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 武藤より
 僕とは、栲さんとはここ三十年の付き合いです。国立に鈴木浩さんがやっていた、キゴマという画廊あり、そこでの展覧会で、たくさんに案内文をお願いしたのが、身近で付き合いする始まりです。
その後、展示会の大工の仕事に僕が引き込んだこともあり、親しく付き合わせてもらいました。
2006年からは庭劇場のホームページ担当をしております。
 
 3/31の昼前、付き添いの人から血圧が低下し、意識が弱くなった。見舞いしたい人は早めに、とメールが来たので、身近な人々に連絡。
 僕はお蕎麦の会をやっていたので、自分の会の方を優先し、連絡係に徹することにした。
こと時点で、二、三日は持つのではないかと思っていた。
 
 午後三時、カナブンより電話があり、死亡との第一報があった。これもメールで配信。
朝吹や痴明、万福などお蕎麦の会にいたので、追悼の飲み会になってしまった。
こんな写真出てきました。
二十代でしょうね。
 夜、葬式はしない由の遺言が、メールで入り、それも配信した。そして密葬には参加してくださいとの事、仕事をキャンセルできたら行くと返事。
 
 4/3 立川羽衣の火葬場で、睦さん、榧君立会いの下、密葬が行われた。生活レベルの付き合いのあるごく少数の葬儀でした。
 
 栲さんの死亡については、一言二言では言えません。次から次へと思い出や思いが出てきます。
 
 折しも、3/31は満月、東京の桜は丁度満開。西行の、有名和歌と重なりました。
昨年の十二月の庭劇場の能書きのタイトルが「西行」2017年は純な透明なものに出会え、充実した年であった由の内容だった。
 すぐに僕は西行と関連づけ、何人かの人々に、病気の経緯や死亡の報告を伝えました。
 
 
 
 以下、能書き集より、三月の休演の文章が絶筆となります。
 
 
 
 
 
 
 
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