prev top next



 栗ご飯 ・ 古代の栗ご飯は
 秋になるとどこの家庭でも作ります。実りの秋の風味、美味しいですね。
 古代、奈良時代頃にももちろんあったのですが、今と全く意味合いが違っていたのです。今は白米のご飯に、風味として栗を混ぜます。奈良時代は、まだ縄文時代の記憶が残っていたというか、栗の分量の方が多いのです。風味としてお米(玄米、粟、稗、稷)を混ぜて秋を味わったのです。おかしいでしょう。
 縄文時代、栗は主食だったのです。それが徐々に粟(アワ)や稗(ヒエ)や稷(キビ)に変わったのです。お米が日本に入ってきて千年ぐらいになる奈良時代になっても、毎日白米を食べていたのは上流貴族だけ。中流貴族でも玄米が主食。庶民は玄米でも特別のごちそうで、粟、稗、稷などを雑炊にしていた食事が一般的でした。近くでとれる、蕗やのびるなど山菜を入れ、不足しがちなタンパク質は、タニシや、ドジョウなどで補っていたのです。
 江戸時代の田舎の食事は、もちろん奈良時代よりは豊になり、お米の分量は格段に増えますし、畑の野菜の種類も増えますが、白米ではなく、二分搗き五分搗きの玄米です。雑炊として食べていることが多かったことでしょう。
 面白いのは、庶民の貧しいこんな食生活の方が、栄養バランスがよく、白米を食べていた江戸の町人は江戸病と言われ脚気など、ビタミン不足による疾患が少なかったのです。
 
 今でもある、日本人の白米信仰。二千年にわたっての、贅沢の象徴が白米だったのです。根深いですよね。更に「旬」という食文化は貴族だけの特権じゃなく、庶民にとっても貧しさの中に、変化をもたらす贅沢、神様が与えてくれた贅沢ですかね。
 
 
 発掘(遺跡調査)の仕事
 七月の下旬から発掘の仕事を始めました。西国分寺の近く小学校の跡地に介護施設が建つ予定で、その土地の埋蔵物の調査です。一番上の黒い地層(1mぐらい)は縄文時代から今日までの地層、住居跡、土器の破片、石類などの遺跡が出てきます。その下が旧石器時代、一万年以上前の関東ローム層の赤土の地層を更に三メートルぐらいまで調査します。旧石器時代の方はすべてではなく所々、三メートル四方の穴を掘り、どんな地層になっているか、何か大変な物ありそうかどうかだけ調べる試験堀です。
 僕は初心者なので、もっぱら、関東ローム層の試験堀りの穴掘り人夫の仕事です。肉体労働です。冷夏と言っても炎天下の仕事、疲れます。以前、猛暑の草刈りの仕事などやってきましたので、体は対丈夫のはず。
 
 前から興味はあった仕事です。雨の日などは土器の破片など水洗いなどの仕事も別にあります。そんなことしていると、古代の人の文様を刻む指先の動きや、更には彼らの「思い」も聞こえてきそうでなかなか面白い。
 お昼は近くの国分寺跡地の公園で、蝉の声を聞きながら弁当を広げるときが一番の楽しみになりました。
 
 今年の夏は34、5℃の猛暑がなく、幸でした。ほぼ一ヶ月、週五日ですが、一日の休んだだけです。炎天下の肉体労働にこれだけできれば、たいていの仕事はできます。かって34、5℃で草刈りをやった時よりは、楽でした。
 
 
 田中トシ
 七月二十六日、ブラジル在住のトシが帰国して室野井洋子とパフォーマンスをするというので、美学校まで出向きました。
 僕より十歳若いというのに、彼の方が白髪混じり、それいがいは何も変わっていません。昔の記憶が色々蘇ります。
 嬉しいですね。本当は僕がブラジルに遊びに行きたいのです。未だに貧乏な僕はなんともふがいない。
トシの字ですね。
 
    



 横田基地 元は福生飛行場
 8/22、朝から外が騒がしい。隣の空きの駐車場が車で満杯である。人がぞろぞろ横田基地の方に歩いている。土日と市民に開放されているらしい。いつも基地反対のデモなんかに参加しているので、潜在的な抵抗感があるのだけど、こんな時でなければ中に入れない、夕方でかけることにした。
 兵士の模擬店、大音響のロックバンドのステージが二つもある。メインは戦闘機の展示である。箱根ヶ崎の方に歩いてゆくと戦闘機が沢山見えてきた。でも広い、きりがない、途中で引き返してきた。最新のステルス機も展示されているとニュースでやっていたが、先の彼方なのだろう。
 家に帰って、横田基地をWebで検索してみた。元々は立川飛行場の付属の飛行場として戦前造られた「福生飛行場」という名前があった。戦後米軍に接収され、「ふっさ」は呼びづらいので隣接する武蔵村山側の地名「横田村」を使うことに決まったらしい。
 横田は戦前の大工事、羽村から狭山湖、多摩湖の人造湖に地下水道管の大工事の現場なのです。狭山湖の山裾には、当時掘られたトンネルが遊歩道として残っています。基地の真下を現在も水道管が通っています。
 また、江戸時代までさかのぼると、八王子の千人同心が日光東照宮警護のために整備された日光街道が、現在の十六号より50m基地の内側を通っていたと言うことです。拝島町(JR拝島駅ではなく拝島大師のあるあたり)から箱根ヶ崎に、ほぼ直線的にのびていたことになります。


    


    

格納庫はロックバンドのステージになっていた。


政権交代 総選挙
 遅いよね、日本人は「無難な道を歩む」「慎重」といえばそうなのだけれど、八年前に、小泉さんが登場する時に政権交代はあってしかるべきでした。世間が気付くのになんとまあ時間がかかることか。
 
 僕が一番大切と思うのは、弱者救済を民主党が掲げているというより、「政権交代」により政治に流動性と緊張感を持たせるということです。
 今まで日本は社会主義の一党独裁国家といわれてもしかたがありません。民主主義とは、流動性ある中で、情報や権力が固定されない緊張感により、Betterな政策が実行出来るというシステムです。だから政権交代が起こらなければ、なんの意味もないのです。
 これでやっと、五十五年体制からの脱却ができます。15年前の政権交代は、期間が短く政策の転換とまではゆかなかった。かえって野党への失望につながった。やっと零に戻ったということです。
 
 自民党はこれでやっと利権から離れ、自らの政治理念に戻れます。保守とは何か、リベラリズムとは何かと結党時期まで戻れます。それができれば、そう遠くない時期に、四年後八年後に、彼らが求められる時期が来ます。恐らく経済効率とか、古き良き日本とかが望まれる時期がきます。その時まで、ダイエットして体質を改善すべきです。
 
 そして次に大切なことは、今までの発展途上国型の経済、社会のシステムを、「環境福祉型の経済、社会」に変わるべき構造改革です。バブル経済崩壊以降、それは色々されてきたのですが、明確なビジョンの中で体系的になされていないのです。中途半端なのです。
 経済における透明性と構造改革は一定程度なされてきました。しかし、政府機関や官僚システムの透明性と構造改革が一番の早急にすべきことなのです。経済も内需と輸出とが均衡したものにならないといけない。農業産品も自給率を60%70%まで上げないとだめです。
 そのために大切なものは、「行政の情報開示」まず徹底にすべきことです。政治の流動性とともに、官僚達が既得権益として表に出したがらない情報を表に出すこと、これが三番目に大切なことです。税金の無駄使いや、膨大化した公益法人なども、その半分は情報開示により、自ずと今後必要か否か分かるものです。官僚の既得権益の最大のものは「情報の独占」です。
 
 そして四番目に、後は将来、二十年、五十年後の国家、社会ビジョンでしよう。それに照らし必要ないものは整理し、必要なものは創設するです。
 急速に進む高齢者社会が経済の停滞を招くと言うことはないと思います。次世代の世界が必要としている問題に対応した社会が、世界のリーダーとなるのです。環境問題は、今後のエネルギー機関産業の問題なのです。石油からの脱皮です。太陽電池などの次世代エネルギー源への変換の時代です。その技術、社会システムを先に作った社会が、これからの世界のリーダーになるのです。高齢者社会だから経済の活力が落ちるなど言う理由はないのです。
 
 追伸
 選挙は民主党の大勝に終わったけど、勝ちすぎです。過半数をチヨット超えるぐらいが一番いいのだけど、うまくゆかない。民主党には次の選挙に大負けしないように頑張ってほしい。今まで下積みをしっかりやったので、少しは期待していいでしょう。公約の半分ぐらいやれたらいい、それ以上の期待はすべきじゃありませんね。日本の大枠の変化道筋つけたありで、新生自民党に戻すというのもいい考えです。政治家はあくまでの国民のしもべです。
 
 
 まだまだ続く不景気、それは神様が与えた考えるチャンス。
 景気は底入れしたが僕ら末端の人間まで仕事が回ってくるのは来年だろう。もう、しばらく辛抱の時が続きそうである。もっと知恵を出さないといけない、もっと考えなければならない。危機感がなければ、新しいことは生まれない。
 昭和初期の大不況時は餓死や身売りや米騒動や社会不安が軍事政権へとつながった。100年に一度の経済危機といってもそんな気配は全くない。借金が返せなければ自己破産すればいい。生活保護という最終手段もある。こんなに豊かに保護された社会で、思い悩むのはおかしなことです。
 この時代の常識の範囲で物事考えていたのでは、新しいものは生まれない。昔の詩人や行者は今より比べられないほど質素な生活の中で、すばらしい詩や歌を残している。「便利」という現代社会の環境の外を垣間見るいい機会である。神様が「考えるチャンス」を与えてくださったのです。
 
 福生、かに坂の祭り
 8/29、30。去年今年と雨にたたられた。ロックパンドのが多いのですが、ステージ外で踊りの照明の手伝いを今年もしました。
 



    


prev top next