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-声を失くした人-
十数年前の出来事
 
  ある日、友人が「一杯飲りに行こう。」と、誘ってくれた。いつも私をサポートしてくれるSさんだ。仕事帰りにいつも飲んで帰る…。
 街中まちなかのなんと言ったら良いのかわからない路地をくぐりぬけビルの2F。手創りの木で出来たDoorをあけるとテーブルが4つ程のフロアーと一番奥にカウンター。正面の棚には、たくさんの洋酒のボトル。でも、やっぱりたのむのは、シマザケ。Sさんとお疲れ様の水がわり(?)のシマを半分程飲みほすと、カウンターの右側から登場したのがマスター。昔、ブルーブラスをやっていた人で、とにかく音楽は好きでマンドリンを弾いて唄っていたそうだ。ところが、10年前にガンにかかり一命はとりとめたものの「声を失くして」しまったそうで…。
 「僕も50歳を過ぎてしまいましたけれど、こんな小さい店でもやってささやかに暮らしていけば…。」と喉元に小さなワイヤレスマイクを付けて語ってくれた。喉の振動で自分の声をまた持った。なんだかとてもさらりとした人だが、その「時間」というものがとてもたとえよもない大切なものだということを知らされた。ここに連れてきてくれたSさんは、本当に大事なことを教えられる。
 毎日飲む島酒も、この日ばかりは、とてもおいしい一杯となった。
 充実しつつある仕事の合間、あまり深く考えないようにはしているが、やはりいろいろな生き方を見ていると、自分の甘さを嫌という程見せつけられるのだ。また一人ドアを開けて、客が一人入ってきた。
 「シマ!」と一声かけると私の目の前でヨロヨロと倒れかかる。
 「大丈夫ですか?」と声をかけるが、返答が遅い…。
 「あの…、すみませんが背中を拝見させて下さい。」とたのみ、上着をぬいでもらい、すぐ背中の背骨をまっすぐにした。身体の右側がとても冷たくなっていたからだ。
 「お母さんは、ユタなんだぉ。」と叫んでいたが、どうも「占い」を職業にしていた人で、だいぶ良くない状態で、「しばらくじっとしているといいですよ。その内背中が暖かくなりますから…。」
 Sさんとカウンターのマスターはしばし、唖然としていたが、私は、お清めでもう一杯シマをたのみホッ!とひといき。
 音楽は軽快なカントリーミュージックが流れている。この小ちゃなお店を何年も続けているのだろう。
 毎日いろいろな出来事があり、声を失くしても、声を発し続ける人間の一つの在り方、生き方。この島を彼が選んだのは間違いではなかった。
 一つの肯定的場面が私に深い感動を静かに与えてくれた。
 いつも、B、ガード、兼、話し相手でもあるSさんには感謝し続ける。そしてこの小さい店がいつまでも続きます様に…
 生きている間、ずっとあなたの声を発し続けて欲しい。
 この島の上で…。
 
麻梨  
「喉頭ガンを克服した方の話です。」

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