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ページの 詩6 詩11 最下端 ・詩1

昔の詩 その2 - 追加15編 (1976~96)



oo前回に続いての昔の詩です。その後、新しく15編ファイル化しました。前回の詩も含め全部、人に見せようと書いた詩ではありません。自分の気持ちを確かめるために書いたものです。僕にとっては宝物ですが、かわいいね。笑っちゃいますね。
oo水俣病の運動から抜け出した後ろめたさから、自分を正当化するために、どうしても言葉を連ねる必要があったのだと思います。他に女友達への弁解とか。また夢の記述はリュールリアリズムの自動即記をまねたです。機関車が女になりとか言うものもあったと思いますが見つからない。
oo僕は意識家ですね。左翼は言葉の暴力でこうすべき、ああすべきといってきます。また前衛芸術家も言葉が先行します。だから、理屈じゃない絵が必要だったのだと思います。絵は人に見せても、詩は人には見せませんでした。言葉は難しい、 やっと五十才過ぎて少し使えるようになりました。








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─ 詩 1 ─

  私はアナキスト
 
私はアナキスト
無産なるもの、未来永劫に夢見る人。
北方より、寒冷なる候の便り聞けば喜び
南方より、落としめられた人々の怨の叫びに心踊る。
私は精神のアナキスト、常に飢えたるもの
どん欲に夢をむさぼり食うもの
              1976以前と思われる




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─ 詩 2 ─

  Viba吹っ飛ばせ
 
Viba吹っ飛ばせ
 そこら辺にはうじょうじょと
Vibaかっしばせ
 プチプチプチの小太りどもを
ケガするな、ケガさせるな、警察だたなるな。
 なんじゃこれはプルプル、プチプチ
 安全主義。
 
ケツに安全、前に安全の札をして、
更に家に二重三重、更に更に裏口にも
窓に、煙突まで安全弁、安全カギ。
 
 プチプチ、ブルブル
この世は、ブチプチ天下だ
 ふっ飛ばせかっ飛ばせ。
 
Viba吹っ飛ばせ
 そこら辺にはうじょうじょと
Vibaかっしばせ
 プチプチプチの小太りどもを
安全第一 「+」のマーク
 ケガするな、ケガするな、警察ざたになるな。
 ・・・・・・・・・・・・
胸に勲章、自慢話。
 あの頃一番苦しかった。
 家から米送ってもらって、
 一家自立した、小成功者。
                  不明1977頃か




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─ 詩 3 ─

   夢の中で
 
サーカスがやって来た。
僕の村にもやって来た。
 
えェ、僕の家で小屋を張るとよ。
それは困る、絶対困る。
と、僕の親父は必死に反対。
 
オロオロと、内は今夜は葬式で、
えェ、先日死んだ姉の葬式で、
年の頃は、生娘も生娘、女もこれからが花、
つぼみもつぼみ、17歳の娘が、
一昨日突然、脳の病気で死んで・・・
葬式出さなくてはなりません。
高校の同級の女生徒が
花輪もってやって来ています。
 
団長はそんなことは、有無も知らずといった調子で、
乗ってきたトラックを家の前に着け、
どんどんと、テントやら、動物やら、団員達を下ろします。
あわわ、これは困った、大いに困った。
日も暮れた。葬式葬式とオロオロする親父。
 
とうとう、家の近くの山のふもとに
縦縞の大きな白黒の幕を張り、
中に線香立て、灯をともし
写真をおいて、真中に。
その前に座り込む親父、
そばには女生徒も花を持って。
 
とうに夜も更け、家を占領したサーカス団は
ドンチャン騒ぎの真っ最中。
 
             1977頃




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─ 詩 4 ─

 今日は何もせずに空ろに過ごした。
 
病気のわけじゃない、仕事を休んでしまった。
唯、うろうろとするだけ。
煙草を何本も吸ってしまった。
思わしか、電話のベルがなったうな気がした。
いや、それは思い過ごしだ。
 
あの女ひとの一句一語に驚く私。
 「ゴメンネ」の一言で全てはすむのを
ああ、今日は一日無駄にしたした。
 「ゴメンネ」の一言ですむのを。
                1977頃か 




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─ 詩 5 ─

 私は貴方の優しさなどほしくない。
 
私は、貴方の優しさなどほしくない。
そんなに電話をかけないで、
私は知っている、貴方の瞳にはもっと外のものがうつるべきことを。
恋人のように貴方は振る舞い、嘘の言葉など欲しくない。
 
 
いつか貴方は「僕は好きか」と尋ねた。
私は答えなかった、そんなの決まっているから。
そんな優しい貴方が恐かった。
誕生日のプレゼントも、何十枚のものラブレターも、私は欲しくない。
私は知っている、貴方の瞳の奥に光るものを。
                      1977頃か




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─ 詩 6 ─

   決意
 
父よ。
16の歳より、出稼ぎ者であった父よ。
幼い日に、反抗者の僕の我ままに、
 顔を震わせ怒り、真冬の雪の中にほおりだした父よ。
年のうち半年は顔を見せずとも、正月は帰って、
 なけなしの金でピーナッツ豆とミカンを買って家族の団らんを持とうとした父よ。
姉の突然の死以来、弱くなってしまった父よ。
 
高校の反抗期に、三年間顔を見ることも嫌だった父よ。
 その土方服が、そのひ弱な肉付きが、
 とうとう僕は反抗さえ出来なかった。
 
僕が大学に入ったら、更に弱くなり
 もう働くこともないから、家で鶏の世話でもと言ったら
 流れ作業工場で働いたほうがいいと言ってまた働き始めた父よ。
 
今は近くのゴルフ場で働いている父よ。
僕は貴方の生き方を捨てます。僕は僕のために生きます。
ああ・・幼い日、僕の真冬の雪の中にほおりだした貴方が懐かしい。
 
                      1977頃か

────────────────────────────────

  今、考えると父親のことずいぶん誤解してそう思いこんでいたかも知れません。彼は彼なりに幸せだったのだと思います。僕が大学に入った頃から、急に弱くなり、五十代で痴呆になり寝込みました。ただ困ったのは元気な強い父親なら、思い切って反抗できたのですが、病気の父親だと困ったです、本当に。



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─ 詩 7 ─

 夢の記述 世界の終わり
 
世の中はある規制が暗黙の内に働く
コンクリートのビルの中に人々の生活を押し込められた。
木造の建築物や今までの旧市街にはひとつの禁忌が働く。
徐々に徐々に人々は知らず知らずの内に、コンクリートとアスファルトの中に生活することになった。
市民という人々と、不具者、白痴、不道徳ものは、市民にあらずと人々の回りから姿を消すこととなった。
その世界ではある噂が流れていた。それは噂だけで実際に見たのはいなかった。
古い建物、古い街街は破壊されていると言うこと。
それは絶対的な状況、必要により実行されていると言うこと。
この世界はあるものよりの侵入を受けていること。
 
私は使命を受けていた。人々より望まれた使命ではなかった。
使命という言葉は正確ではない。ある内的欲求と言ってもまた正確ではない。
私はコンクリートの中より飛び出さなくてはならなかった。
夜、こっそりドアを開け、外に出た。人気のないアスファルトの道が続いていた。
明け方、古い街々に出た。元知っていた街はそこにはなく
基礎の石や、木材の破片やガラスが散らばっているのみであった。
 
                           1979 7/2




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─ 詩 8 ─

  めくるめくような渦巻き
 
誰だ
  ゴーコト  ゴーコトコト
  ブーン ブーン
微かに何か揺れるような物音に
私ははっと目を覚ました。
 
時計は午前一時半を指している。
終電車はもう終わってないはずだ。
 
 ゴーゴー ブーンブーン
といった、機械音にも似て
それにしては、巨大にして生命あるものの
血のあたたかみにも似て
 ゴーゴー ブーンブーン
と、下の方より聞こえてくるのは?
私はこの音のとりこになっていた。
 
すると
「英貞さん」「えっ」と
私を呼ぶ声がする。
 
彼女は
「美保と申します。主人より貴方をお連れするように言われました。」
 
「えっ」と
丸く見開く私の目の前に
10cm程のブルーのスカートにブルーのスーツを着た
髪の長い女が立っているではないか。
 
「どうぞ私の後について来て下さい。」
といったかと思うと、姿は消え、
私は中空に立っていた。
 
そこには巨大な渦巻きが、ゆっくりと廻っているではないか。
 
                      不明 1980頃か




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─ 詩 9 ─

     子供達よ
 
 私に子宮がいつ宿ったか知らぬ。
 陣痛とおぼしき痛みが、私の全身を戦ふるわせはじめた。
 痛みの後に来る空虚と不安定さ。
 私はとりとめもなく、テレビのドラマにしがみついた。
 痛みの周期は短くなってきたようだ。
 私の思考は、もうない、ないはずだ。
 全身が機械と化してしまったからだ、その筈だ。
 
 君と舞った空の色を思い出した。
 君が私に入り、私は今、子供を産む。
 でも、これは貴方の子じゃない、私の子供。
 貴方は私の子供のための単なるもの
 貴方あなたは貴女あなた
 貴方あなたは女。
 女は君。
 君は世界。
 
 今日の麦酒は、全くからい。
 紙、紙、カミ、カミ、神。
 紙は、子宮・・・・?
 紙は、子宮に産まれた異物。
 紙は、異物を予想しえたか。
 
 子供達よ、今私の胎をかき回す子供よ。
 貴女の子供よ。私の子供よ。
 子供よ!子供も達を、私を異方の世界につれていってくれ。
 雄々しくはばたいておくれ。
 
                      不明1980年頃か




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─ 詩 10 ─

  Let's Dance  皆で踊ろう
 
目をつぶって、グルグル廻ってごらん
そして、目を開けるんだ。
ほら、家が電信柱が廻っている。
空だって廻っている。
だけど、通行人は踊っている。
自動車も踊っている、風に揺れる木の葉も踊っている。
これが踊りだ、君と一緒に廻ろう、そうすれば踊れる。
 
目を閉じて耳を澄ましてごらん
色々な音が聞こえる、それに合わせるのだ。
それに体を合わせるのだ。
              1980以降だと思います




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─ 詩 11 ─

  
 
天井のやけに低い建物である。
木造である。
僕が入って行くと、中年の男が二人
箱を囲んで話している。
その容貌はさだかでないが
そのうちの一人は痩せ顔の上
髭が下顎を真っ黒に隠している。
何か真剣に話している。
 
隣の部屋と言っても、かなりの時間が必要である。
そこまで行くのにには。
僕らはそこを穴と呼んでいた。
大人の背丈より少し高いぐらいの
入り口を入ると、天井は低いのだが
部屋はかなり広く、半分は板の間であり
半分は階段になっていて、円形の段が
地下の方に下っていて、
天井もそれに従い下っている。
丁度それが洞窟か何かの格好なので
僕らは穴と呼んでいた。
 
映画をやっている。四人の男が映写機を持ち出して
床のところから穴の奥にスクリーンを作っている。
五十年代頃のアメリカの映画である。やけに
アメリカ的な画面が写し出されている。
円形の段にはまばらに、二人、三人、男女が
スクリーンをのぞき込んでいる。
 
僕は床と段との境のところまで進み、スクリーンを
のぞき込んだ。・・・・座っていた。・・・・
 
僕の数段下にいた女が僕を見ている。
泣いているのか、何か思いつめているのか、
僕のほうを見たかと思うと、突然僕のそばにやって
来て、口を吸い始めた。何か言っている。とても
興奮した様子で「人でなし、抱いて」と言って
僕に唇を押しつけてきた。熱気と
心臓の激しい鼓動が、息づかいが伝わってきた。
 
思わず僕は、体を退ぞけ、平手打ちを食らわした。
女は泣いている、ヒーヒーと声を立てている。
僕は怒ってその場を立ち去った。
                  1983頃か




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─ 詩 12 ─

  大変だ
 
大変だ
天井が落ちてくる。
お前はその棒で支えろ
お前は体が大きいから、手で支えろ。
 
空を見上げると、空に輝いていた星々は、
豆電球のように光を失いつつあった。
 
おい、お前手伝え。
お前だ、そこの女、手伝え。
お前もだ、髪の毛を染めて男だか女だか分んない奴、
ここに来て手伝え。
 
大変だ、大変だ。
そこの自称天文学者、
お前も手伝え。
 
大変だ、
そこの丸太棒。
そそ、それを持って立て、
そうだ。
 
       1983と思われる




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─ 詩 13 ─

   らくだ
 
猫にすがって よれよれと
あの女にすがって よれよれと
あの女になじられ よれよれと
錆びたナイフは錆ついて
かっこつけるな 大間違い。
 
猫にすがって よれよれと
骨々 カタコト音がして
肌は ガサガサ傷だらけ
 
猫にすがって よれよれと
錆びたナイフは錆ついて
元は何やら 分からない。
 
猫にすがって よれよれと
これでいいじゃない いいじゃない
かっこつけるな 大間違い。
 
              1987 頃か




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─ 詩 14 ─

  私は、私の小さな舞おどりを
 
私は、私の小さな舞おどりを舞おどらなければならない。
ゴミの堆積した、この都会の大地にも
雑草は花を咲かせ、虫達は蠢いている。
 
 ならば大地は、今だに
 ならば大地は、今でも
 春を約束してくれる。
 
おどらねば、私の小さなキャンパスに
私の「生」の証を塗り込めなければ
 
                1986.1




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─ 詩 15 ─

    
 
雨の日は思いでにふける。
 
あじさいに霧のような雨が降り
紫の花びらに、大きなしずく
ひとつ、ふたつ。みっつ、よつ。
 
思いでは みんな 淡い青色から紫色になり
地面に沈む。
 
白い鎌倉も、つつじの咲き乱れた駒沢公園も。
                           1996頃か?

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   何故「白い」と鎌倉を形容したのか思い出せない。水俣の支援運動をやっていた仲間と半年、鎌倉に住んでいたことがあります。夏は海の家状態で、みんな友達が遊びに来て、夜の材木座の海で泳ぎました。楽しい思い出なのです。また、大人の左翼といったらいいか、品のある人々に接することのできた時期でもありました。
  駒沢公園は都立大に席を置いていましたから、近くの看護学校の生徒とデートしたり、傍にあったケーキ屋さんのケーキに食べにいったり、自由が丘のジャズのライブに行ったりとか、ただの大学生としての楽しい記憶なのです。その後大学の外でを活動することが多くなりました。




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─ 番外 (未完) ─

童話 風にもらった勲章

<雪が降る>
大寒おおさむ小寒こさむ 山から小僧が下りてくる。
雪はどこにゆくのか。

急いで大人になるまい。
そんなに急いで何になる。

運転手。
土方、死線をくぐった人
1977頃か


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「風にもらった勲章」というタイトルで何個か書いたはずですが見つかりません。最初は鎌倉の極楽寺に住んでいた、隅山さんという絵描きのおばさんの家に行く途中で思いついたと思う。「風にもらった勲章と洒落てみた」とか言う一節があったと思う。73頃の話です。自分を誉めてやりたかったからですが、心に吹く風とそんな気持ちを表したかったからです。僕はこの勲章だけで生きてきたと思う。だから覚えているのですが、いつも書き初めるのですがまとまらなかった。

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