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 春はのたりのたりかな
 桜が咲いたら、眠いのです。いくらでも眠れるんです。おかげで頭はボーッとしぱなし。昼間は暖かいけど、まだ寒い風が吹くので始末に悪い。桜見ながら草むらで横になって眠り込んだら、風邪を引いてしまう。
 
 毎年この時期はボーッと過ごすのが一番です。去年は高尾の国の研究所にいろいろな桜を見に行ったり、国立昭和公園に行ったりしていましたが、今年は近くの公園の桜で十分満足です。
 昨年死んだ石田勝久さんの遺作を、美学校の展覧会に並べることができました。お線香だけ上げるんじゃちよっと悲しい。少し作家らしき事をしてやれましたか。後日、家族がとても喜んでいたと報告が入った。何よりお母さんお父さんお姉さんが喜んでくれたなら、それが一番嬉しい。
 
 アートランドでそば打ったりしました。全体として暇なのですが、そんなときに限って仕事が重なり、バタバタしています。蕎麦は端境期、旬の美味しさを埋め合わせとして、野で採った蒲公英を初めとした山菜料理、これで満足満足。
 
 今年はそんな桜の花の頃でした。
 
 
十円饅頭
藤沢の隣、辻堂の駅前で見つけた十円饅頭。家に買って帰り食べたらおいしいのです。こんな安いのはすごいと、自慢げに友達に話したら、彼の家の近くにもあるという。チェーン展開しているらしい。知らなかったのは僕だけらしい。
 

    


 食の安全・チベット・そして・中国、日本
 一月の冷凍ギョウザの農薬事件、三月のチベット暴動と中国にまつわる大事件がメジロオシに起こっていますが、経済成長とともにこの巨大な国の内部矛盾も拡大しているのでしょう。今はオリンピックという足かせがあり、力で押さえ付けていますが、今後、この国は大きな社会変革の時期に入るのだと思います。
 かってのソ連の崩壊の時の様な大変化へと進むのか、徐々に民主化へ構造変化できるのか、中国の指導者の力量が試させる時です。確かなことは力による支配という時代は終ったということです。共産主義という理念に指導者がこだわれば、ソ連の崩壊のような方向に進みまし、徐々に改革といってもなかなか難しい。でも、そう向かわざるを得ないと思います。
 チベットのデモを力で押さえたのは、民族問題だけではないと言うことです。漢民族に対しても同じ不満が常に噴き出してくると言うことです。穏健な民族主義者のダライラマを受け入れられないのは、中国全土に民主化の動きが波及することを恐れているからです。ダライラマを故意に独立派と決めつけているのはそのためです。分かっているが、民主化へのシナリオを準備できていない、自信の無さの表れです。
 
 オリンピック以降、民主化なしには経済も成り立たなくなって行く時代が来ると僕は思っています。他国の真似の製品はどんな政治体制でも作れます。「ブランド」という、真似ではない製品は、規制の多すぎる社会では限界があります。政治や表現の自由化なしにはそれは難しいと思います。都市部の少し余裕の持ち始めた市民は、経済から、表現や政治の自由を求めるでしょう。多発する、公害や汚職は、マスコミや政治の自由化でしか解決しないでしょう。僕はそう思います。
 かっての日本、韓国もそうだったように、オリンピックは高度経済成長の終わりと、それによって生じた社会問題へと、中国人の関心が移って行く大きなターンニングポントになるのだと思います。
 

   友人のアレックスが送ってきたパンダ。  
 食糧危機、日本の農業
 四月に入り、小麦を初め穀物類が大幅に値上がりした。最近の値上がりに付いては、旱魃による不作、投機筋の穀物相場への金の流入、生産国の輸出規制などが直接的な理由です。懸念されてきた、気象変動による慢性的な生産量の減少や、爆発的人口増加による世界的食糧危機が始まったと見てもいいでしょう。
 冷凍ギョウザの農薬事件は、中国国内の食の安全性の問題と思いますが、しかし、それは同時に日本の危うの問題です。日本の農業をないがしろにしてきた長年の日本政府の農業政策の失政の裏返しの事件です。エネルギーも原材料も食料も外国に依存せざるを得ない日本社会の危うさです。農産物の自給率を上げると言ったってそう簡単には出来ません。
 そしてこの基本食糧の値上がりで最も大きな被害を受けているのは、途上国の貧困層です。常に最も弱いところにしわ寄せが行くのがこの世界の常です。
 
 飽食と飢餓。贅沢が悪いわけじゃない。贅沢は、人間の可能性を切り開いてきた根本的エネルギー源です。唯、贅沢の質については大いに考え直す必要があると思います。情報が世界中を飛び交い、世界が江戸時代の日本より狭くなってしまった今日、基本食料に苦しむ人々の事を無視した贅沢は、本当の贅沢とは言えないでしょう。また、他国で生産したものに、「安全がどうのこうのと騒ぎ立てる」こともおかしなことです。一番の贅沢は、食糧を自分で生産して、「生産の喜びとともに食べる」ことでしょう。それができないなら、生産している人の顔がわかり、生産の喜びが多少なりとも伝わってくるものを食べると言うことでしょう。高度に分業化してしまった今日、貧困も飽食も同じ穴の狢なのではないでしょうか。それらを反古にできるような心の豊かさを伴った物こそが、一番の贅沢な食品だと思います。
 
 最近の食糧問題を引き起こしている原因の一つ、トウモロコシや砂糖きびのエタノール燃料化は、本末転倒の温暖化対策だと言うことです。小規模ならそれは環境は配慮した技術ですが、産業ですが、大規模になったら、食量の自給率を逼迫させる何者でもありません。
 
 日本の農業の復活は可能です。日本人が「信頼できる食量とは何か」ということに目覚めるべきです。食量は他国に任せず、顔の見えるものを食べると、意識改革が必要です。日本の高度な集約農業の技術と多雨温暖という自然条件は、農業復活のためにはとても恵まれた条件です。国内農産物なら、輸送コストも少なく、結局は温暖化対策にもなるのです。
 外国の農産物を日本が買い漁ると言うことは、世界の餓死者の食糧を横取りしていることでもあるのです。金を支援すればいいと言うことではありません。世界市民としてグローバルにこの問題を考える必要があります。農業技術の援助をするとか、安い食料が世界の貧困層に回る世界的仕組みを考えるなど、更に積極的に努力すべきです。
 穀物安定供給機構、とか国際機関を作るとか、投機資金が穀物相場を混乱させるのを避ける国際条約を作るとか、出来ることはたくさんあります。貧困による不安定地区の増大のリスク、たとえば戦争や治安維持のために出す経費の方が、遙に大きく膨大になることは、最近の馬鹿げた戦争などでお分かりになると思います。・・・・
 


農水省が出している国内産食品だけでのメニュー案 (2020kcal)

朝食 ご飯茶碗一杯・粉吹き芋(じゃが芋二個)・糠漬け一皿
昼食 焼き芋(さつま芋)二本・じゃが芋の蒸し芋一個・りんご1/4個
夜食 ご飯茶碗一杯・さつま芋二本・焼魚一切れ
うどん(2日に1杯)・味噌汁(2日に1杯)・納豆(3日に2パック)・
牛乳(6日にコップ1杯)・(7日に1個)・肉12g(9日に1食)

だそうです。育ち盛りの若い人や力仕事の人にはきついかも知れないが、なかなかいいメニューじゃないでしょうか。今< 騒がれている、飽食が引き起こした生活習慣病という病気は根絶できます。  




 良寛さん
 お彼岸に義姉の法事で会津に帰り、その足で新潟県の出雲崎の良寛記念館に寄ってきました。良寛さんは江戸時代後期の禅宗の坊さんです。山の中の草庵に住み、托鉢僧として一生過ごしました。子供と遊んでいる逸話のなど良く知られていますが、漢詩や和歌の詩人としても知られています。
 彼の実像となると分からないことが多いのです。それは自分の事についてほとんど語らなかったからです。彼の詩や書がもてはやされるのを嫌っていたからです。どうしてそういうことになったかというと、複雑な人なのです。
 今回細い流れるような字や、晩年尼さんで詩人の才女と交わした和歌など沢山のことっていることを知りました。女性的な感性を持った人なのでしょう。深い悲しみが底無しの優しさとなったのでしょう。「出雲崎の名家・山本家をつぶした」負い目が、名声を嫌う気質になったのかも知れません。子供と手毬遊びをしている時、彼は一番癒されていたのかも知れません。


 今年は・・・・
 昨年暮れからなんか僕の身の回りで物事が激しく動いていて、驚かされる。今年はどうもそういう年回りの様です。大きな変化が起こっているのでしょう。こういう時はジタバタしても始まらない。その変化が良い方向な行くように、先々のことになることなら積極的に、良くないことは、静かに見守れしかありません。
 変化は今までのことが崩壊して、新しいことが起こると言うことです。不景気で仕事がないとか、悲観的になることは全くありません。
 
 日本の政治も自民党の保守派が台頭したが、じりじり評判を落としている。福田さんはもう駄目ですね。行動起こすのが一歩二歩遅い、薬害にしても、日銀の総裁任命にしても、ガソリン税にしても、政治状況や国民の意向を読め切れていない。半月早く行動に移していれば、支持率の低下は避けられるのに。彼を支えている自民党保守派が足かせになっていますが、それ以前に彼は状況を読み切れていないのが問題です。
 いいままで同様、自民党のずるい手法で、今年選挙も政権交代もなくズルズルゆくのなら、日本の国は重症の病気に突入として行くと言うことでしょう。最悪です。
 小泉さん以降、制度改革、公的資金改革が足踏みしているのです。巨大な行政機関が、老人社会に対応していないのです。福祉や環境が最大の行政課題と認識していないのです。経済成長を推し進めてきた自民党の役目は終わったと言うことです。方向性さえ定まれば、経済も復活するでしょう。そう認識していないのは、公の機関だけだからです。
 
 僕にとっても今年は何か新しいものを見つけたいものです。作品を作らなくなって以降、これが僕の新しいスタイルと言ったのが見つかっていません。見つからなくてもそれはそれでいいのですが、この辺に少し力を入れてみようと言うのが見つかれば、それにこしたことはありません。今年はそんな年回りらしいので、「ムトウ第三の闘い」とか格好いいことは申しませんが。
 

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