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風樂草子 - 2007年 正月 -
 
ルア ノヴァ
 
 新年を迎えてもなお降りつづいた雨に、やっと切れ目が現れた。久しぶりに見る青空だ。
昨年は十月の新月の夜(二十二日)に、風楽の公演「Lua Nova(新月)」を家族一同で行うというちょっと画期的な運びがあった。振り返ってみると、偶然に導かれて事が動いたようだが、私たちの流れの中では薄っすらと夢に描いていた種が、程なく花を咲かせたような、何か祝祭的な出来事であった。
 
 
 十二という数はとかく物事の節目をなすが、2006年は私と妻シサ、当時一歳だった長女十麻がブラジルに移り住んで、ちょうど一二年目に当たった。当初からはっきりとした見通しがあって渡って来たのではなく、シサが二人めの子群を里で産み 、あとはしばらく様子を見てみようということであった。彼女は東京で「ガイジン」としての暮らしに草臥れ、私にはサンパウロで移民としての生活が待っていた。
 やがて三人めの子悠林が誕生し、移住から六年目には妻の実家から独立し、小さな住居を構えるに至った。と同時に自ずと両国間を行き来する生活の余裕もなくなり、この地に踏み止まる覚悟が生まれた。
 
 
 私にとってのブラジル生活は、実はこの地点から本当に始まったと言える。まずはささやかな旗揚げとして屋号をカーザ ド ヴェント(casa do vento/風の家)とし、子育てを始め、家族の生活と家庭の流転をアートパフォーマンスとして捉えて行こうとした。またそこから人との出会いによって展開してゆく多様な活動をジャージン ドス ヴェントス(jardim dos ventos/風の庭)と称し、幾つかのプランを草稿しながら、動きはすでに始まっていた。
 
 その骨格はまず私が日本ですでに十四年間学び、こちらでも始めていた整体法
 
 とくにその中の動法という新しい分野の稽古会を、主宰し運営してゆくことだった。それを柱として共感を持てる様々なジャンルの人たちとの交流から、人生において最も大切と思われるものを模索してゆく場を拓いて行こうと考えた。
 その器としてまずサンパウロ市の郊外にあたるエンブー市の我が家の居間を、二十六畳の稽古場に改造し、三、四年掛かりで裏庭に野外舞台や池などを拵えていった。子どもクラブ(遊戯楽)や観月会などが細々と続いているが、四年前から始まった月一、二回の庭作業の日が定着して、人の流れと家のバランスが落ち着いて来たようだ。
 風楽とはそんな中から出た造語で、私たちの力の波が高まって、外に向かってイヴェントを打つときの称号のようなものとなっている。
 
 
「楽」ってなんだ
 
 「楽」という言葉には気を付けてみると興味深いニュアンスが含まれている。
 
 今日ではわずかに能楽、文楽、神楽、雅楽、千秋楽というような古典芸能の中に名残を止め、一般的には音楽という言葉に親しみやすく見受けられるが、その意味するところは一筋縄ではなさそうだ。
 現代ではまず「楽しみ」や「安楽」「娯楽」をすぐに想起するが、古くは「あそび」「わざ」とも読まれ、広く芸事全般を指していたらしい。「ガク」という音は「学」という漢字に隣接し、「あそび」と「まなび」は本来同源であってしかるべきと思わせる。
 「わざ」は「技」であるとともに「態」であり、その音「タイ」は「体」に連なる。「技」が「体」に活きづき命を持った姿を「態」としたのだろうか。いずれにしても「わざ」という言葉に身体と技術と用の妙を思わせる。
 
 
 古典芸能に残る語感からは「芸術」よりは「芸道」という言葉のほうがなじみやすい。「楽焼き」といえば一般的に趣味の領域になるだろうが、その一方で利休の時代の長次郎から現代に至るまで、綿々と十五代に渡って楽家という陶芸の家系が存続しているということは驚異である。
 「芸道」という言葉がかって日本にあったということは凄い事なのではないかと思う。それは「芸術」という近代の個人主義を背景にして発展した概念とは趣を異にしている。そこからは何というか、杞憂褒貶、利害損得に関わらず、ひたすら自らの本源に向かって修行する人の姿がイメージされる。
 また個の表現が姿を消し、親から子へ、師から弟子へと伝承される「わざ」を通じて自然と一つになろうとする志向が見受けられる。そこには個性の表出というよりは、形を通り抜けて人が光のように現れている。感じる者には在り、感じぬ者には存在しないそんな人の姿である。
 
 
 幼少の頃から欧米の近代芸術に憧れ学んできた私にとって、それは理解し難い世界であった。しかし十代の終わりにはその近代芸術の世界がもつ個の表現という作業に強い違和感を覚え、やがて反芸術という方向に進み舞踏やパフォーマンスというものに出会った。
 一方東洋ではことの始めからいわゆる個性を否定してかかる。その否定性は容赦なく、究極にまで追いやらなければ納まらない。そこが「無」だ。だが面白いことに修行者の日常は最も先端的なパフォーマンスと共振している。その日常生活は、あるいは「裏パフォーマンス」と呼べるようなものかもしれない。
 
 
「わざ」ってなんや
 
 「わざ」という言葉、これも分かるようで分からぬ世界である。
 
 ブラジルはポルトガルの植民地時代から今日に至るまで、欧米の強い影響下にあるが、ここにもって来ると「わざ」のニュアンスはすり替わってしまう。ここではおそらく、それは目的を実現するための「テクニック」であり、その実体は「トレーニング」である。たとえばダンサーが身体を調整し、多くの場合は調教でもあり、それに適応した者のみが舞台に立ち成果を上げる。すなわち目的を達成する。「テクニック」はいわば身体をある目的に適応させる一つの手段として選ばれ使われている。
 
 
 しかし私はもとより、日系三世のシサまでが、そのような整合性に激しい不満を抱いてしまう。「技法」が何者かの使用人の様に、あるいはコンピューターのソフトを買い替えるごとく安直に扱われることにだろうか。あるいは、「身体」「技法」「作品」、または「人生」「社会」「環境」それらをそうそうクールに分解してお気に召すように操作してもらっては困ると、体が拒絶反応を起こすからだろうか。
たぶん現在の日本の社会や文化の中でその辺が昏迷し、ブラジルにはその消息はほとんど知られていなかった。すなわち「わざ」は、身体を調教し目的に適応させる手段ではなく、本来「身体」と「技法」が一体となる中で、「人生」の歓びや深まりを体験する「営み」であった。限りある個人がその体験の内から自然に還えり、生命の何たるかを見つめるのだ。「作品」とはその「営み」から自ずと図らずに立ち現れる、野に咲く一輪の花のようなものかもしれない。
 
 
 「わざ」の実体は「稽古」であり、それは目的を持たずともそれ自体で自律し、充足している。「稽古」は生活に浸透してゆき、生活がやがて「稽古」ともなりして両者は一つの活力と成ってゆく。古来よりその様な相互循環作用を「修行」といったり「道」と称したのだろう。
 現代の私たちは、そんな言葉を古臭く非論理的だと煙たがり、若者たちはダサいと一笑し、多くの場合は昨今の経済性に見合わぬために闇に葬られてきてしまった。しかし本当にダサいのは、欧米一辺倒に追随してきた日本の文化政策と、そのために自らの足元すなわち「体」を見失った私たちの方である。
 「わざ」そのものの世界は「あそび」であり「たのしみ」であり、家族や人々の親交のなかに、あるいは物や道具との関わりのなかから自然の深みや、宇宙の無限性、生命の尊厳性に通じてゆく、人間の根本的な生の「営み」なのであり、それもまた「業」と言えるだろう。
 
 
息、きこえるかな
 
 「楽」という言葉の中に私の世界が見つかった。三十年近くかけて二人の私が、一方は地球を東周り、もう一方は西周りをして旅をしていた。ブラジルはその二人の旅人たちが落ち合うのに、うってつけの地なのであった。「パフォーマンス」という分野と「芸道」という世界は、「楽」という言葉の森の中で深く息をしている。それが「風」なのだった。
 
 
 昨年の風楽の公演「ルア ノヴァ」はそのような意味で、私たちにとっては祝わしく、下手くそで初々しい作品となったかと思う。
 
・・・それはあらゆる文明が
      消滅したあとに現れる
         宇宙の息の響きである・・・
                    ( LuaNovaのパンフレットより)
 
 
2007年1月12日エンブーにて
田中敏行

田中君のe-mailアドレスはcasadovento@hotmail.comです。連絡したら喜ぶと思います。
下線部分をクリックすれば自動的にe-mail画面が開きますが、開かないときは手動で打ち込んでください。

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