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どこにもいない、そこにいる、どこにでもいる。

三宅 岳
 
僕がこの小さな家に住みはじめてから、
ずっと張ったままのポスター。
LA FIESTA 砂の曼陀羅 ’90
そのイラストのポスターのなかで、
ベースを弾いているのは
間違いなく吉沢さんだ。
 
 
吉沢さんについて、何か語ろう、
記憶を呼び起こそうとするとどうしても、
砂の曼陀羅に行きついてしまう。
当時の僕は2年間のアシスタント生活を終え、
実家に戻りふらふらしていた。
一つの目標があったが、見事にずっこけてしまった。
ずっこけたときと砂の曼陀羅が重なった。
その準備をしていたときだったろうか。
もはや記憶の糸はとぎれとぎれだが、
天野さんの家で開かれたパーテーの時、
僕ははじめてあの低い低音にゆさぶられたのだ。
それは、いい音悪い音、快い音上快な音
そういう判断とは別なベクトルのゆさぶる低音だった。
 
 
ただし(これは失礼な言い方になるが・・・)
それは吉沢元治の音だけにゆさぶられたのではなく、
その場を包んでいた、誰にも見うないけども
誰もが感じていた《砂曼》というものに動かされたのだ、
と今にして思うのだ。
 
 
僕は《砂曼》でずいぶん変化した僕自身を感じている。
あの祭りがそれまでの僕をずいぶん変えたのだと思う。
だいぶ搊をしたような気もするし、それ以上に徳をした気もする。
いや、搊や徳なんてどうでもよい。
僕は砂曼いたし、吉沢元治を聞いたのだ。
あのとき以来先日まで、何度も僕はあの低音の中にいた。
 
今年も、僕は‘ぐるっと散歩篠原展’を開いた。
(僕というのはよくない言い方で、本当は僕らと言うのが正解なのだが)
昨年、吉沢さんが来て焼いたモチを食べていた。
まあ、なんてことを思い出しながら展覧会をした。
もう吉沢さんはいないのだから、モチを食いに来ることもないし、
ベースを弾いてくれることもない。
《砂曼》がその姿を消してから、どんどん大きくなってきたように、
その《砂曼》の通奏低音である吉沢元治は、
これからどんどん大きくなってくるのである。
いや、大きくなるのではない。
どこにでも存在する吉沢元治になる。そんな気がする。
あの人影の中、森の木影、川の流れの中、
即興。場所も時も。心の中さえ。
澄み切ったノイズが、誰にも聞こえない音で響き続けるのだ。
 
(写真家)

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