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ありがとう、吉沢元治さん
満 福
 
 その日は、旧武藤邸での秋の収穫祭だった。畑でとれたものや、皆が持ち寄った料理を囲んでの楽しい夜がふけたころ、吉沢さんがベースを手に立ち上がり、座敷の一角にしつらえたステージに立った。武藤さんお得意のディスプレーを背に、ベースをかまえた吉沢さん。僕は、ステージの真ん前に陣取った。やがて音楽が始まり、お酒を手にざわめいていた人たちも、見んなシーンとして吉沢さんのベースに聞き入った。 吉沢さんにもっとも近い場所にいる観客として、僕は少し緊張して正座していた。でも、ベースの音が体にしみ込んでいくにつれ、緊張がどんどんほぐれていき、だんだん楽な姿勢になっていった。足をくずし、背中を丸め、手をゆったりと広げ・・・、気がついたら、僕は畳の上に大の字になっていた。「ミュージシャンの真ん前で、最前列の観客が寝ころぶなんて、失礼だ《と頭では思うのだけれど、全身で音を浴びるのはあまりにも心地好く、動けない。結局、演奏が終わるまで、僕は大の字に寝ころんだまま、吉沢さんの気持ちのいい音を浴び続けた。そして、演奏が終わると同時に、深い眠りに落ち、静寂の中にイビキをひびかせてしまった。
 
 
 東長寺でのブッチ・モリスとの共演(その時、僕は会場内でタイ料理の店を出していた)、赤坂ラ・ホーレでの「いのちのつどい《(その時は、インド料理の屋台を出店した)など、吉沢さんの演奏にふれる機会はたびたびあった。が、僕にとっては、武藤邸でのあの演奏が最高に「気持ちのいい《体験だった。
 吉沢さんが荼毘にふされる日、僕の古くからの友人が琴の演奏会を開いた。迷った末に、演奏会に行ったら、ちょうど吉沢さんが空に昇る時間、琴の演奏が最高潮に達し、僕は「吉沢さんは今、琴の音に送られていった《と強く感じた。そして「演奏を聞きながら昇っていくなんて幸せだなあ。さすが吉沢さんだ《と思った。
 
 
 そしてその十日ほど後、長野の山中で行なわれた野外ライブで、僕は上思議な体験をした。駐車場から会場に向かって数百メートルの道を歩き出したとき、ステージから吉沢さんのベースが聞こえてきたのだ。思わず小走りになって急ぐ途中、吉沢さんのベースはずっと聞こえてきた。会場にたどりついてみると、ステージにいたのはまったく別のベーシストで、僕が「今、吉沢さんは確かにここにいる《と実感した後に、彼は吉沢さんの音楽とはまったくちがう彼本来の演奏に戻っていった。
 
 
 さて、演奏が終わると、タイ料理やインド料理をつまみにきてくれていた吉沢さんは、いつか僕に「演奏には、真剣勝負から生まれるハーモニーが大切だ《と言ったことがあった。お通夜や生前葬になるはずだったコンサートの会場で、めぐちゃんをはじめ吉沢さんを介して知り合ったり、親しさを増したりした多くの人に再会した。音楽に限らず、人と人にも「真剣勝負から生まれるハーモニーが大切《なんだと感じさせられた。僕は、人生の中のさまざまなシーンで、その言葉を心によみがえらせている。
 
 
 ありがとう吉沢元治さん。

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