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砂洲

八木 雅弘

 

いっぽんの木を能う限りゆっくりと見上げてゆく。私が明るんでくるのと引きかえに木は梢へ行くにつれ暗くなってゆく。そこには何か絶えまない音楽の終りと始まりがひそんでいる。

鳴くということは孤りではありえないことへ向けての振舞いであり、それはたちまちにしてつかのま繁るということであり、現れることの鮮かさが、果しなく紛れ、隠れることの意味へひとえにかかっている消息なのだ。

一杯の茶が経る。ただ淹(く)まれてそこにある。溢れもせずに満ちている。満ちれば揺れやすいが揺れることを惧(おそ)れる。おそれるとき、おそれているのは茶ではない。そこを経なくてはならない。

背後へ滝に立たれる。

たしかに、おまえの代りに生きることはできない。だからおまえはおれのなかに立つ。立ち尽す。おれのなかが、おれの背後へ退くほど。おれはおまえに立たれた。それを惜しんでおれは生きる。おまえの代りにではなく、おまえに立たれて生きる。私は一度として着替えたことにならない。

黒を緑に代える。私への死、私の喪が、いちめんの緑となっておし展(ひろ)がり、おし寄せる。無数の緑が無数の喪を、無数の死をおしえつつ、緑は伸び上がり風へ渡す。関わりなく風へ渡して一羽の纏(まつ)わり翔ぶにまかせる。一羽の経めぐる時に縫い取られ、私の喪は私をおろす。緑の始まりが痛みであることを、いちめんのそよぎがはるかな響きと静寂の反復へ渡して、これを季節とよぶことを明かす。季節であった。はるかな前(さき)から季節であった。今知って、季節は私を通る。痛み、苦しみも歓びも知らぬ痛み。

光が一ヶ所とぎれている。そこで人は抱かれるのだ。

おれをずれて、おれの真上から滲み始める。

低空飛行に身を呈し、自分の影がくっきりと大地に投影されているが、どんなにすれすれでも大地に触れることはない。触れたいのは大地ではないからだが、触れうるものは大地しかない。

騒いでいる。何が私を騒いでいる。私でないものが私をそよぐ。あらゆる分(ぶ)が、秒が、入り乱れてやまない。

死者となって隠れるのではない。隠れることで死者となるのでもない。隠れているものが見つかったとき、それは死者となる。習慣のなかで死者が見つかる。

色気とはやむをえないものなのだ。

見上げた緑が倒れもせずに私を進むとき、関係が見えないのではなく、無関係だけが見えるから私は溢れたいのだ。

唄のようなつづきがまっすぐにそよいでゆく。

器ひとつなく、ただ広がりに蓋をおく。滔々たる流れをなぞって、蓋はそよりともしない。

線の縒(よ)れ。よじれ。躍り。湿けたり乾いたりする。熱の乱れた痕なのだ。

からだのどこが昼でどこが夜かを感じ取ること。

光が差す。私の直前にあるものを差し込んでくる。

声が声に寄り添うには、声だけでは足りない。寄り添われていることを感じるために、声だけで立ち尽してはいけない。

私の手である前に、影が流れる。影である前に水が流れる。外は何年ぶんの雨。

追求は逸脱だろう。人をしぶとく支えるのは執着である。物狂いの極みは日常そのものにこそあるのだ。だが極みなどない。ありはしない。狂いかたの違いがあるばかり。風にあれ水にあれ流れを聴く耳は養いやすい。淀みを聴くには耳では及ばない。放心に於て執着が露わになる、表面(うわっつら)がどん底なのだ。あらゆる容量をふいにする営為。生活の基線。反復によって麻痺した綱渡り。綱渡りは日常の義務である。

日常それじたいが仕掛けにほかならない。危機を反復し、踏襲し、習慣にする。習慣は少しづつ少しづつ摩滅と利潤を生む。

刃物を近づけるのではない。刃物に近づくのでもない。近づくことが刃にほかならぬ。刃物とは刃を渡ることなのだ。うたがかすかにひびいてくる。

ひとはそれほど激しく距離を動かさぬものだ。その限りで匂いは標識となる。激しく動くとき、幽霊のように遠近を破って匂いがはたらくとき、惑わしてやまぬものとなる。布置の匂いを狂わせる匂い。

誰もいないより、私がいることが、寂しいと知る。

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