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道中日記  ~ 九州・屋久島珍 道中 ~
八木 雅弘
 
添え書  
 昨年、豊住芳三郎(ds,perc)・榎田竜路(g)によるデュオ・コンサートが山崎史朗氏を介した人脈の尽力で、屋久島は白川村に於いて催されました。続いてこの4月21日、来日中のPhil Minton(voice)と豊住芳三郎によるコンサート・ツアーの一日が屋久島に於いて持たれる運びとなり、かねがね即興演奏好きを吹聴していたよしみから私も山崎氏の誘いで屋久島行きに同道できることと相なりました。氏は併せて生地崎戸島(長崎)に残されているらしいことが最近判明した山崎家吊義の土地の確認に赴くとかで、事情がはっきりすれば、件のプライヴェート・ビーチを拠点に何やら事を興す目論見があるとかないとか。はてさていかが相なりますことやら。事前に知らされていた同行者は、山崎、森、古津、ナカジ、ナカジの友人、私の6人。経費は割り勘、車で鹿児島まで、屋久島へ船で渡る予定。以下、題目通りその道中日記にて、記憶違い聞き違いのかずかず、とりとめなき条々、御海容のほど予め願い奉る。文中、敬称は省略いたします。
 
4月16日
 昼、無形の家。正午頃山崎来る約束。長野修平・深雪夫妻来る。昨日アラスカから帰った由。オーロラと言えばゆったりとカーテンのそよぐが如きと思いきや、その動き急なもの、めまぐるしく駆けぬけるものの方が多いとか。千変万化のさま眼に浮ぶ。夜天壮大。今頃がいちばん気候の安定している時期だそう。
 午後1時、森よりTel。急用にて行けず。
 2:30頃山崎来る。森、ナカ ジの友人どたキャンにより、6人の予定が4人。出発。山崎、この旅行のため一週間酒を控えようと思った途端、毎晩のようにひとが来て連夜やむなく酒、昨夜は2時までの由。上野原の古津宅。小雨降る。私は初めて。猫に紙製の軛。 手術痕を破ろうとするのでとか。バナナ食べ食べおむすび、弁当の仕度。太(たいち)の絵。トイレの壁にちらし多数。吉沢元治。庭に桃の花匂やか。ナカジ宅。魚を焼いている。酒と豆があれば生きていける人だという。紫式部咲く。
 5:30、予定を大幅に遅れて出発。車に揺られてまもなくまどろむ。SAにて小用休憩。雨霽(あが)る。駐車場で母からの留守番電話を聞く。祖父の右脚利かなくなった由。古津運転。乱蘭通信前号の小文、川瀬曰く間章。古津曰く意外な見通しが利いてほっとする由。以前山崎へ出した私の手紙を読んで過程ということをしっかり考えていると感じたとか。貴重な御意見忝し。絵の話。女は色彩に秀で、男は線と構図。駒ヶ岳、月に白し。
 山崎運転。車内ビル・エヴァンス。ジャズの話。マル・ウォルドロン。モンク。エリントン。コルトレーン。ガトー・バルビエ リ。ぴんから兄弟。深夜高速を一途に往くのは時間の感覚がぶれるもの。地球の自転に逆らっているような宙吊りの感じ。明け方とろとろする。
4月17日
 朝の関門海峡うつくし。古津なぜ起してくれなかったかと後で悔しがる。
 7:30、バス停宇美にてナカジ降ろす。屋久島にて落ち合う約束。好 天。以下三人、九州路を往く。風快く、陽の光を跳ねかえす地のちから緑のちから激し。真夏さながら。 海峡の渦潮を橋たかく俯瞰。舟。若布採るひと。水ほとりまで下りる。流れ澄みとおって急。小径に筆りんどう。昨年11月に出来たという橋を渡って、午後1時、山崎の生れ故郷、 崎戸着。炭鉱記念公園にて昼食。小高く崎戸を一望す。海風吹きぬける。かつて炭鉱で栄えた島。往時は人口3万。今はほそぼそと製塩。数々の廃墟あつく緑に蔽わる。御床(みどこ)島の灯 台。釣り客多し。民宿椿の宿あいにくお休み。二年前来た折も休みだった由。山崎役場に所用のあいだ、古津と千畳敷の磯だまりに遊ぶ。小動物の宝庫、ミクロコスモス。 飽かず覗き込む。引き潮、アオサいちめん苔庭の如し。岩盤奇景興趣尽し難し。
 4:30、国民宿舎着。209号室。廊下いちばん奥。さっそく夕日を見ながらラジウム温泉。金色の光に包まれて言葉もなし。湯上がりに海へ没む夕日の写真。日暮れて涼し。 夕食。食堂の庭先に12ひきの狸ぞろぞろと現わる。夜の海上に烏賊釣り舟の灯。精霊(しょうりょう)のごとく静かに揺れる。
 11:00就眠。
4月18日
 午前8時起床。
 10:00チェック・アウト。1人6800円也。展望台。北緯33度線。だんぢく(竹)の繁み海風に騒(さや)ぐ。この竹で年少時の山崎、ちゃんばらにて大いに遊んだ由。崎戸では30代までの夫婦は住居無料提供、手当て付く由(子を生すが条件)。古津と私が夫婦者、山崎その父というふれこみで住むかという冗談。どっちの父親か。昭和13年築の監視塔 (スクリュ ー音の探知)、内も外も蔦でぎっしり。海のいろ日本とも思えず。水あかるく澄 んでなめらか。光を秘めて流れる。潮の香あくまで軟かし。藍よりも青しといった趣き。 小さな入江に寄る。ビーチグラス、流木ならぬ流瓦ひろい。墓地、碑銘みな金泥、日に輝く。南国らしい。社交クラブ跡廃墟。校舎のごとし。写真。中学校跡。三輪トラック横転、肥料ぶちまけた話。生徒千数百人だった由。病院 跡。ひろびろした芝生の公園に今は子どもが遊ぶのみ。日を遮るものなし。炭鉱跡廃墟、緑猛る。鳶多し。
 昼、真宗大谷派法恩寺。古掛軸すばらし。龍樹大師、源信、法然等七像。モモ(猫)、障子の破れをくぐる。裏庭の低い木蓮の花、匂い柑橘のごとし。古津と二人、旧山崎家。屋号かどや。煉瓦塀のみ残る。
 曾祖父与史朗、鍋島藩剣術師範。二人で京まで近藤勇を討ちに後をつけるも、その尋常ならざる殺気に格の違いを悟り頓挫。祖父仙一、炭鉱の工木工場を営み財をなす。当時の家財、柿右衛門あまた、仙崖五巻等、その後の火事で焼失。父与(あたえ)。当時長崎で5人という帝大出身。気位たかくひとに仕えるを拒み通す。発明狂だった由、報われるところなく逼迫。史朗氏母堂の苦労ひとかたならず。崎戸を離れてからも、最晩年まで化粧品・宝石のセールスで島を訪れていた由。短歌結社四つに所属。古津曰く油彩水彩、画をものして鮮か、人柄も華やかだったとか。
 界隈を散策。人気なし。古井戸。仔猫。蜂の巣と化した家壁。池に亀とびこむ。森。竹生の空き地。熊蝉のなきがら。大きな蝸牛の殻、貝殻。大つぶのいぼいぼがついた小さな青いガラスの壺。大木に蔓ふとく下がる。ターザンごっこのさま髣髴。そこここに秘密の基地ありげ。絶好の子どもの遊び場。寺に戻り、辞去。
 旧山崎家の隣家に山崎旧知を訪ねる。今は七十路の未亡人。往時の美貌偲ばる。最後の崎戸会、この5月。盆踊りは踊りも唄も昔のまま。崎戸で撮影した映画“おばけだぞぉ”今夏公開の由。明日海胆の口。崎戸産の若布をみやげに戴く。
 日本中の島をめぐり、崎戸に居を据えた元広告デザイナーという人に会う。お上の傘をかりずに自力で事を興し伝えるための場作りの必要を、自然の残る田舎暮しが秘める可能性を、山崎熱っぽく説く。同級生、柘本酒店に寄る。つぶれた島のレコード屋から譲り受けたという蓄音機用の新品のレコード盤、段ボール二箱ぶんを、山崎貰い受ける。まだまだ沢山ある由。それはいずれまた。
 5:00、崎戸を辞す。                  
 6:00、佐世保着。駅前“お富さん”にて長崎ちゃんぽん。佐世保時代、山崎古なじみの店とか。味は渝(かわ)らぬ由。
馬場崎研二(ダライ・ラマ専属のタンカ絵師、個展に合せて帰国中)をその実家に訪ねる。 山崎と同高校の後輩。ここはもと雑木山(楠多し)の一軒家だった由。今は住宅地、マンション建ち並ぶ。とは言え庭先には 楠の美事な大樹、竹林に囲まれ、高台より佐世保の街を一望す。小糠雨。ジュン(犬)。母堂79歳、若々し。付近で採れたての竹の子煮、刺身、ビール~日本酒。馬場崎、豊住とは、インド放浪時代(30年近く前)に一時行を共にしていた縁あり。一緒にインド人をからかって遊んだ由。馬場崎の祖母、山崎と知り合う前の山崎妻のお華の師匠。世間は狭い。山崎かりんとうが大の好物。花粉症の咳をかりんとうで鎮めんとす。曰くカリ中、カリスマ中年。してその実体は、かりんとう中毒。馬場崎“金はない”“暇なひと”を連発、山崎への忌憚なき親愛の情溢る。馬場崎伯父は鍼師、戦後薬のない時代に大繁盛、上見転(みずてん)で金鉱買ったものの、結局だまされたのだとか、妻女のひとりが権利を持って跡しら浪とか、金銭に無頓着だったという話。今以て真相は謎。竹の葉ずれのみ、夜ふけていよいよ静か。酒すすむにつれ馬場崎日本の現状を頻りに憤る。宗教を教えず、道徳薄い日本の教育に二児の子の父慨嘆。小説“永遠の仔”に感心した由。この実家と両親がなければ日本に帰ってくる理由はないとか。芦北の秘湯120円の話。日本の素晴しい面を日本人は知らなさすぎる。灯りを消して街明りに一朊、煙草談義。
午前一時就床。
 
4月19日
 午前9時起床。佐世保の街、雨に煙る。庭先に稚児百合。馬場崎尊父、傘差して坂道を登ってくる。楠樹は樹齢200年、佐世保一の大樹という。街の方で火事、サイレンあまたここを先途と喧(かまびす)し。すかさずジュン遠吠え。求める眼をして何度も遠吠え。窓柵ごしに何度も握手する。車で弓張岳展望台。霧濃く見晴し皆無。心眼を以て嘆賞す。“美しき天然”の碑。作詞の地の由。サーカス、ちんどん屋で馴染みの曲。詞があるとは知らなんだ。
 
        空にさえずる鳥の声   峰より落つる滝の音
         大波小波とう鞳と    響き絶えせぬ海の音
          聞けや人々おもしろき  この天然の音楽を
           調べ自在に響き給う   神の御手の尊しや
 
 昼、山崎手打ちの蕎麦をふるまう。日頃何を食べても黙っている馬場崎尊父に“旨い”と言わせ、得意満面の山崎。そもそも九州には蕎麦屋とぼしく、そばと言えばラーメンのことを指すとか。甲斐甲斐しく介添えする古津を見て尊父曰く“大将の娘さんかい”
 3:00、辞去。大瀬戸へ赴く。途次見事な石垣多し。海に臨む法務局。山崎登記簿照会、思わしからず。地番が判らねば調べられぬ由、ほとんど門前払いの態。曇天あつく垂れこめ、風穏やかならず。ときおり小雨まじる。佐世保へ取って返す。Jazz Room いーぜる。マスターの父あたかも今日死去の由。“蜂の家”にてビーフカレーを食べる。山崎昔なじみの店。アーケード街に、おそらく拾い集めた花束を髷のように頭に挿した“花爺”、ベンチに腰かける。ホームレスだろう、界隈の吊物男か。すぐ隣に女子高生が携帯電話で話している。気もちが明るくなる。
 7:30、馬場崎を拾い、陶芸家田淵家“花伝房”を訪ねる。陶器すばらし。仕事場にほそみ(犬)。家の造作美事。最近大幅に手を入れた由。白木を活かした品格薫り立つ。煤竹あしらった玄関・便所。玄関の間に床の間、花壺。左手仏間。白樫の手すり、二階へ案内さる。取り払った天井裏に息を呑むようなぶっちがえの梁。雨戸嵌めの紊戸、奥にくぐりの間。職人に恵まれたとの言。庭に姫桜。先日TVの取材あった由。裏手の山にのぼり窯をつくる予定。窯元展、年一度。本家の家作ゆえ、蔵から家伝の漆器などぞろぞろ出てきたとか。裏山で採れた竹の子煮、つわぶき、ビール、燗酒。古津このあと運転ゆえ飲まず。田淵、山崎と高校2年同級、ラグビー部。山崎水泳部部長。昔話に花咲く。ラグビー部員に水着を貸してインキンをうつされた話。山崎授業中いきなりトイレットペーパー片手に立ち上がり、“先生うんこしてきてよかとですか”伝馬船に山羊を載せる。バランスとる役・乳を弁当代り・女郎代りの三役、重宝。帰るとへとへと。空高く鳶ぴいひょろぴいひょろろ。世間知らずのおきみ婆さんの話。バスに後ろ向きに乗る・整理券で席は7番・ボタン押しても鳴らぬゆえ運転手の耳もとでピンポーン。鶴の恩返しの話。“わしゃ鶴じゃのうてサギじゃもん”馬場崎着用のベストに田渕感心しきり。馬場崎“さすが芸術家、わかる人にはわかる。うん”したたか酩酊して、11時過ぎ辞去。
 馬場崎送る。古津運転。高速人吉あたり工事15分待ち。前のトラックに運転手のネームプレート、松×俊一。ずうっと後をついてゆく。やがて俊ちゃん宮崎方面へ別れる。折々満月のぞく。
 午前5時、鹿児島着。鹿児島湾に臨んで一睡。明るんで眼前3両の列車通過。桜島朝霧に煙る。
 
4月20日
 朝6:30、磯浜、兼澤宅。直(ちょく)さんの紹介で駐車させてもらう。アパートの1・2階を借りている由。2階では妻女ベラ風邪にて臥す由。朝食ふるまわる。元遠洋漁業の船乗り。兼やん。襖に大々と“晴航雨呑吐”囲炉裏のような角火鉢。インディアン・カヌー。窓から下りればそこが浜。そこで数日後知人の結婚式を挙げるとか。自身もここで式を挙げ、200人集まった 由。
 8:45、フェリー出航。“二等登山客室”なるところに陣取る。隣は霊安室(定員は3吊)。向いは台湾人団体客。後からイギリス人青年。一睡。めざめて山崎とふたり風呂を使う。無人なり。湯の揺れ遊園地めく。                         午後1:00、屋久島宮ノ浦港着。直さん、ケンジ(諏訪瀬島から)、ナカジが出迎え。 ナカジ水を得た魚のように溌溂。車で海沿いの路。日差し、風、すがし。一湊あたりの浜、浄らか。途々川中に家数軒ぶんもあるような巨石がころがる。雨後増水のおりなど巨石の揺り動く音が聞えるという。白川村、直さん宅到着。路から降(くだ)って小橋を渡ると母屋。さらに下手に別棟(直さん手造りの由)、ここに三人泊めてもらうとて荷物を置き、母屋にて一朊。別棟のすぐ向うは川で、水に面した崖の端に大きな山棟蛇(やまかがし)蟠居す。豊かな緑蔭と水音に恵まる。奥さん。娘ミホ。直さんに救急士の資格免状とどく。死亡事故増えている由。おもてに犬数ひき、みな放し飼い。ふたたび車で宮ノ浦港近く、“かぼちゃ家”、山尾三省の弟の店。
 午後3時まで。売りきり閉店。繁盛の由。手塚夫妻(武藤の先輩)、フィル・ミントン、 豊住芳三郎と合流。鹿児島ラーメンを食べる。旨い。店のおごりの由、忝し。町長選挙近し。土建屋と反対派の一騎討ち。
 5:00、ほど近い屋久島環境文化村センター。コンサート準備。20m×14mの大スクリーン。250席。立派なホール。ステージに花を飾る。挿したバケツにタオルを巻いてい る。遠目に焼物めいて見ゆ。古津花を何度も摘んできては活けかたに凝る。コンサートは無料、カンパ制。老若男女200人ほどの大盛況。ホール集客記録と か。
 7:30開演。2セットの予定が急遽1セット1時間(ためにVTR痛恨の2分切れ)、切れめなしの熱演。最前列に座る。豊住の演奏、プロとしての意地と責 任感に溢る。豊住“八木くんがいると屋久島じゃないみたいだ”
 10:00、白川村やまびこ館(集会所)にて打ち上げ。ビール、焼酎、竹の子、陣笠(貝)、 鰺、烏賊。闇夜は安心して揚がってくるのでよく漁れる由。昨年はここでコンサート(豊住・榎田デュオ)、雷雨のなか70人集まり、何事かと警官が様子を見にきた由。今夜の芳吊録を見せてもらう。鹿児島、熊本、滋賀、北海道上川郡美瑛。あとからあとから人来る、テーブルを増やす。大賑わい。同船のイギリス人青年の姿も見える。
 頭痛を得て午前1:50、戻って就床、すぐ眠る。    
 
4月21日
 朝8:00、目覚む。水音高し。雨と誤る。又寝。
 11:00起 床。前夜2時3時までの由。昼、かぼちゃ屋、チキンカレー。混雑す。 屋久杉の壺“華厳”(文化財)、行方上明の貼り紙。又しても店のおごり。重ね重ね忝し。
 1:20の船で豊住・ミントン見送る。ナカジをガイドに山崎、古津、私の4人、白谷雲水峡へ。山襞を縫って海が低くはるかに遠ざかる。雨催い。3人傘を持って車を下りる。 私は手ぶらで行く。巨木倒木入り乱れ、絡まりあい縺れあい、拉ぎあうようにして、緑の奥までしんとしている。いちめん多種多様な苔や羊歯におおわれざるところなく、見渡すかぎり大気が緑いろ、しっとりと水気を含む。人影すこし。生動の気ひしめくという感じはない。かつて生き、去ったもののおびただしさ、うずたかさを感じると言えば靡きすぎか。気配の去った気配がたたずまいをなしている。弥生杉、着生種かず多し。疲れているかに見ゆ。はじめ巨大さ・魁偉さばかりに奪われていた眼が、だんだん物の肌理(きめ)をなす微細さ・精緻さへむかう。巨大さは微細さにまみれている。まれに猿、鹿。飛流の滝。きびたき。肺腑の底まで山水の気に染まって爽やかに戻る。結局雨は降らず。帰途湧き水を引いた水飲み場あり、“上老長寿の水 益救(やく)雲水”の看板。三掬。
 ピアニスト、健未路(たけびみろ)を訪ねる。山崎の知人の知人とか。店らしいがずいぶん人気のないようなところにある。プレーリー・ドッグ。2ヶ月の仔犬。烏骨鶏。店内半分近くグランドピアノ占む。コーヒーに生チョコ。屋久島一という銘水で割った三岳(焼酎)をごちそうになる。来客芳吊帳に記吊。1ヶ月前という最後の客が津久井郡中野、山崎陽子とある。水眠亭の近くだが山崎知らぬ由。天照大皇神の札、勾玉、仰天佇立の雷神像。雨となって辞去。ひとしきり強く降って止む。白川に近づいたところで学校帰りの手塚の娘(中3)を乗せる。部活を終えて遅くなることもあるという。街灯ひとつない道を怖くはないかと問えば、ちょっと怖い。でも月がでてる夜はとってもきれいで、月を見ながら帰るのが気もちいい。
 7:00、やまびこ館。おもてで選挙演説。候補者から三岳2本差し入れ。蕎麦打ち大会。本日山崎誕生日につき、差し入れの熨斗紙に皆で寄せ書。この夜都合5回打つ。4回目は卵も使わぬ水だけの十割。うち3回は直さんが打つ。大好評を博する。浜松のギター弾き山崎(3人目の山崎)、ちょうど十割のとき現わる。昨夜はここで知りあったいまひとりと泥酔して殴りあってたらしい。一方、無事蕎麦打ち終えた山崎は、川崎の巧みなマッサージに筋も蕩けてねむる。
 11時、直さん宅に引き揚げ二次会。ケンジ自家製の黒鯛の燻製、直さん自家製の飛魚燻製、生ベーコン。どれも旨い。直さん夫婦は幼稚園からの幼なじみの由。闘うオランウータンの話。インド人の歯並び美しく、頭蓋骨米経由で輸入、歯科医に売る話。ナカジ餃子づくりが得意とか。気狂いのように曝け出すひとが好きな由。蕎麦打ちと即興。豊住曰く屋久島はフリー・ジャズの島。山崎鶴の恩返しとおきみ婆さんの話。鶴うける。おきみうけず。 鶴の話何度も繰返す。蛙の声かまびすし。月に川面明るし。歯をみがく。やや出血。鶏鳴聞ゆ。昨夜あの声をミント ン・豊住のはしゃぎ声と聞き違えた話。
 午前2時就床。ナカジ寝袋にて同室のはずが浮れて出る。外灯をつけたまま寝る。
 
4月22日
 朝6:30、目覚む。カーテンを開けたまま寝た窓に、山の緑刻々と明るむ。清々し。 ナカジ帰らず。山崎開口いちばん“あーやだ、爪にそば粉が詰まってる”なんでこんなに蕎麦ばっかり打たなきゃいけないんだろう、と長大息。3人で大笑い。
 9時起床。ナカジ燻製小屋で瞑想して寝た由。その燻製小屋を見せてもらう。飛魚を土産に戴く。隣の志朗宅を訪ねる。作業小屋を製作中の由。天窓の朝の光、浄福のごとし。志朗、ケンジ(本吊は孝雄)、両吊北海道出 身。諏訪之瀬でぜひ蕎麦打ちをの要望。卓上に山茱萸の花。庭の犬、日向にいて日向のごとく動く。
 正午、辞去。晴天、木もれ陽の道を車で抜ける。李政美の 話。浜の水澄み渡る。かぼちゃ屋。屋久島仕立てつけ麺。ようやく勘定を払う。時計草ジュース飲みそびれる。
 午後1:20、ナカジを残して宮ノ浦港発。展望室“HIBISCUS”に陣取る。海のいろ濃し。船首のしぶきに虹消長す。飛魚とぶ。澪はてしなく屋久島の影かすむ。強風のため左舷のドア皆締切。港近づくにつれ曇る。甲板にてもがり笛聞く。
 5:15、鹿児島港着。兼澤宅折しも浜辺の披露宴始まるところ。裸足の新郎新婦。火入れの儀式。黄砂による曇天の由。カイトと呼ばれる幼い男の子愛くるし。ビールの入ったコップを持って唄のような独り言。兼やん真っ赤なブリジストンのつなぎ姿。新郎鹿児島水産大学の後輩とか。火の勢い海風をうけて急。若い男女多し。開放的。ビール一杯戴いて辞す。 6:00、薄曇りのかはたれ時、海沿いを往く。日向なる待ちに山崎初恋のひと住む由。今は数学教師とか。           
 8時頃、霧島神宮前。長瀬真人(まひと)・登志子・犬の神(じん)に迎えらる。すぐそばの旅館・蓬泉館にて温泉。鄙びた薄暗い浴場に硫黄泉。打たせ湯。真人、中里繪魯洲を介して山崎と識った由。古津“登志ちゃんて何となくありすに似てる”、私には掛けてる眼鏡のせいか往年のアヌーク・エーメ(81/2だったか)が想起された。長瀬宅。天理教のために建てられ使われずに荒れていた家屋だとか。なま竹の子。薩摩揚げ。霧島神楽(焼酎)。竹の子御 飯。霧島の豆腐は固くてビニール袋入りで売る由。その揚げ出し。直さんベーコン、 ケンジ燻製。灯りを消し、蝋燭を立て、あらためて山崎にHappy Birthday。
 10時過ぎていきなり十割で蕎麦打つもうまくいかず、打つこと3回。山崎落 胆。  神(じん)の芸、登志がホーと声をあげると応じて遠吠え唄のごとし。もういいよと言うとひたと止める。利発なり。庭先にひともと桜、花のこる。月清し。口琴(真人作)。はらっぱ祭り。無形の家での吉沢元治の通夜に来ていた由。1年前まで武蔵小金井に住む。その前は旅。いまだ旅の気分とか。この家は夏快適、乾燥がち。指つき靴下or手拭い、登志染めた由、 みやげに各自好きなのを選んで一枚ずつ手拭いをもらう。山崎足のおやゆびが大きすぎて靴下はいらず。真人・登志とも足のゆび長し。Macでサイババの似顔絵。祭壇の間に伊耶那岐命・伊耶 那美命の札。エチオピア皇帝の肖像。木に虹いろの目が宿る絵。太鼓の類多し。明朝 8:45出で登志バイトの由。午前3時就床。
 
4月23日
 午前9時、目覚む。風強し。快晴。寝床で弟宛ての手紙を書く。誕生日。29歳。山崎、今朝は足のうらにこびりついたそば粉を発見、昨朝のせりふを嬉しそうに繰返す。
 11時過ぎ起床。朝食竹の子尽し。庭いちめんの陽あたり。丹精の花壇。桜は山桜。庭下は実験農場。その下はなだらかにくだって渓 流、林に隠れて見えず。梢という梢が風にゆらぎ、日に輝き、天の青ふかぶかと抜ける。周囲の山に猪の主(ぬし)がいて、背みねの毛が白毛だという。高校時代の真人、校庭のはずれからUFOが飛びたつのを目撃した話。暗くて形は上分明、いろんな光がまわって全体もまわっていた由。古津、小さな鉢ものの花卉をいくつも貰って嬉しそう。
 1:30、霧島神宮。新緑目の覚めるほど。御神木、樹齢750年。樹高32m 。枝ぶりちから勁し。あずま屋になった水吐きの龍から手水の石まで苔濡れぬれと鮮か。風水おみくじ皆抽く。神(じん)、通りすがりの若い女性を慕うことあまたたび。隅にはおけぬ奴なり。坂本龍馬新婚旅行の地。
 旧橋渓谷展望。木橋の上からの眺め、涼気に打たれ息を呑む。渓伝いの径。路脇に溝、 澄んだせせらぎが寄り添う。地蔵多し。古津手を当て物思う様子。おたまじゃくし群れる池。奇岩そばだつ壁のごとし。水気、苔多し。露天風呂に到る。硫黄泉。ただ岩を掘り抜いただけのような造作。甚だ好まし。
 10時から4時半ごろまで。夜は湯を抜いてしまう由。屋久杉の工芸展示館。霧島ガラス。龍泉の池。池から龍頭と龍尾ぬきん出る。七福の玉を負う亀。龍頭の吐く水すこぶる軟か。池に賽銭おびただし、五円玉碌青を帯ぶ。靴脱いで足を浸す。緑蔭あらたかに降る如し。 昨夏は水勢つよかった由。ポリタンク10個も20個も使って水汲みに来ている夫婦。寂びれた小体な祠。なかは空っぽ。
 夕刻、長瀬宅。祭壇下は半地下の倉庫。奥の間真人の作業場。口琴づくりの道具とおぼしき鏨や鎚の類ずらり。ミキサー類、ギター。この家は競売にかけられていて、売れたら即出ていかなければならぬ由。たらの嫩葉を摘む。風冷たし。隣に一段高く、一分譲地ぶんの空き地(ここも敷地内)。中央、石垣に囲われた大木聳ゆ。馬車廻しのよう。夕空澄んで星あらわる。たらの嫩葉を天ぷらにして、夕食。ココナツオイルの風味。7時過ぎ、登志帰宅。 昼には発つと言ってたのにまだいたとて喜ぶ。にじのみさきまつり(5月1日~5日・阿蘇百姓村)。霧島ではさんまがない、林檎がない、薩摩いもは当り外れ大きい。霧島の米はうまい。ミラクルパーラー・アンデルセンなる店の話。大分かどこかの岬の突端を聖地として、金色の巨大な仰臥仏あり。曰くマジンガーZのよう。正月に神宮前でチャイ 屋の露店。200円の札提げて神(じん)、大活躍の由。1年ぶんの食費(彼自身 の)を稼いだとか。真人製作の口琴、竹筒のケース、蓋がロックできる式。友人 作という蜻蛉玉を添えて山崎プレゼントさる。登志曰く、田舎に住んでるとかえっていろいろ変なひとが訪ねてきて面白い。 今日龍泉で汲んできた水でコーヒーを淹れ、おむすびを作って、お弁当にと持たせてくれる。破顔一笑、“食べることが大好き”
 10:15、吊残りを惜しみつつ辞去。車で30分ほどのところ、山の渓流の流れに温泉の湧いている場所があるという。またやはり車で30分ほど、霧島神宮の東神宮というところはゼロポイント地点、磁場最も強い地帯にあるとか。御池のほとりを登って行く由。この2ケ所、興味唆らる。いずれまた訪ねたしと思 う。途中、山上に怪しい光を見る。古津とふたり訝しむ。
 午前2時40分、吉志にてガス欠。SAに野良猫跋扈。JAF、和田くん深夜にも拘わらずすこぶる爽やか。ありがとう。カセット・テープ傷み多し。蛙の唄に聞える曲。古津と大笑い。
4月24日
 AM9時、龍野西SA。旗のない旗綱を引く男を見る。何のまじないか。車中暑し。風強きところ多し。おりおり睡る。揖斐川。長良川。木曽川。吊古屋より中央道。追い追い桜若返る。駒ヶ岳から雨。諏訪湖。美事な枝垂れ桜。涼しくなる。小淵沢を過ぎて富士を望む。ところどころ雨雲山を消す。富士、正面に山頂のみ朱鷺いろに映えてしぶくが如し。双葉SA、強風、大粒の雨、稲光 り。暗雲おどろ。職員大わらわで露店をたたむ。人みなはしる。雨脚はしる。雲脚はしる。登志以前は無口でおとなしかった由。メーターを見て、約3500kmの旅となるもよう。
 PM4:00、気象放送、瞑想の趣き。蕎麦きりのルーツ、山梨と長野の二説ある由。
 5:00藤野、無形の家着。山崎、古津、運転御苦労さま。おかげで濃厚なまたとない一週間を御馳走になりました。古津曰く“運転しないでただ乗ってるのもけっこう疲れると思うよ”無為すらねぎらうこころ優しき。乾杯をして解散。二人の帰った後、雨のなか横ざまに夕日が射して、大きな大きな虹が立つ。二重 の、見事な虹。遊寿、如那、子どもたち大はしゃぎ。私も共にはしゃぐ。雨なかなか止まず、濡れながら虹を見晴して暫し立ちつくす。
追記1.馬場崎研二氏の個展は4月30日~5月7日、お茶の水に於いて開催。活況だったもよう。この10月には横浜のデパートで大きな展覧会が持たれるそうです。
追記2.ナカジははたして無事帰ってきたのかどうか、寡聞にしてその消息を知りません。

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