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No94前半

ランダム ジャーニー 第一話
気ままに転がれ固い石
澤村浩行
━ 後半 ━

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 大乗仏教僧が、上座仏教について「ただ自分個人が悟りさえすればいいと修行するばかりで、庶民の悟りには、大乗のように関わっていない」と批判するのに時々出くわすことがある。
 だが僕の現場の実感では、大乗(マハヤナ大輪)が小乗(ヒナヤナ小輪)と蔑む上座仏教の方が、毎朝の托鉢や、庶民の男子を一生一定期間出家生活をさせることによって、瞑想を直接伝えている。更に、各々がグルとなって、庶民の人生相談に応じたり、身寄りの無い老人や野犬にまで、托鉢行で得た食料を分けて近くに住まわせ、一部の寺は、酒や薬物中毒者の更生施設を運営したりして、現在の大乗仏教では滅多に見られなくなった、慈悲心の実践をしている。
 
 しかも祭りで、僧自ら製作した花火や熱気球まで打ち上げて庶民にサービスをする、愛嬌さえある。
 今の世界の仏教界で、上座(テラワダ)と呼ぶに価する仏教僧達に囲まれて旅をするなんて、今回の僕の旅は、恵まれたスタートを切った。
 
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 ところで、わが友フジは入口近くのベンチをエマと共に占めた。その先の、車両の隅には、水を張ったタライがデンと坐り、その内側からカンビールが涼しそうに誘っている、車内販売の基地だ。フジは次々とビールを買っては飲み干していく。
 「移動中に飲むと利きすぎるよ。事故に遭ったり、内臓パンクしても知らないよ」僕は見て見ぬふりをしない。このカップルが、あらゆる指示や忠告には反発するか無視するのを知ってはいるが。「でも僕達、バンドの慰安旅行の時には、いつもこうして車内で飲んでいたんだよ」可哀そうに、慰安旅行だけが、フジが、五十代前半までにした唯一の旅だった。
 移動するのは公演のためだった。シスコやニューヨークやジャマイカにも行ったが、録音スタジオが待っていた。仕事に次ぐ仕事でそこそこの名声と金はある。だが、何ら規制のない旅は、酒の酔いに任せた、仕事の合間の慰安旅行でしか体験していない。
 目の前には、高度成長に再び突入したバンコクで、用事や家庭訪問を果たした後に、(ようやく懐かしい田舎の家に戻れるわい)とリラックスした庶民、一番安い鈍行列車の固いベンチに揺られている、素朴な庶民の味わい深い存在があるというのに。
 
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 いつものように、フジの相手をしていてエマが飲んでいる。カオサン道路でそれが始まった時に「ここは観光コロニーだから旅の女も自由に飲めるけど、地元のレベルでは、女が公に飲むと、その種の職の女と誤解されて、トラブルになるよ」と、さりげなく言ったのだが。案の定、車内の一角を占めた中年女性の一団が、険しい表情をして睨み付けている。
 エマの反応は(私たちいつも世間からこう見られているのよ)だ。確かに、日本の見事なまでに洗脳されて面子だけを重んじる社会で、僕達のような存在は、どうつくろっても、うさんくさく怪しげだ。陰湿な締めつけを受けることも度々ある。そこで、同一言語集団に固まりがちとなり、そのマナーで押し通そうとする。でもそれはお互いに偏執狂じみた分断症状を生む結果となってはいないだろうか。
 
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 エマは、典型的な中産階級の家庭に育ち、大学も卒業した。しかしそのいずれも彼女を規制するばかりだった。その圧力を破ったのがロック・ミュージックとヒッピー・ムーヴメントだった。ドロップ・アウトして双方にのめり込んだ彼女のポリシーは、反抗と快楽。そして仲間との、同志的でいて私小説風の関係であるように思われる。だが、そのように決めこんだ時に、外の新しい世界は閉じられていると思うのだが。
 
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 窒息するまで教育され管理された日本。ほぼ完璧な中産階級モノカルチャー。それと比べたら、アジアは、伝統に束縛されてはいても、より多様な物語性に富んでいるように見える。
 しかし現実には、一見素朴な人達にも、異人種や異文化への、偏見だらけの好奇心、生理的な拒否反応、嫌悪感、そして最も現世的な、世界経済の勝組に対する嫉妬や憎悪等も潜在しているのは、確かなことだ。それが世界の庶民の隠された素顔なのかも知れない。
 しかし僕は、その場の人間模様の中で、僕と通路を挟んだ向こうの席に坐っている壮年の僧の、全体像を見ながら、同時に一人一人の存在をも誤解なく観ている能力に感銘を受けた。
 彼にとって、人種や宗教や貧富の差は、まったく問題となっていない。彼の観ているのは、一人一人の霊性であり、その各々が同一の車両に乗り合わせた、という御縁なのだ。
 
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 その上彼は、僕達がその場でさらけ出している、グローバリゼーションの潮流にも、毅然として状況を見極め、自己の尊厳を失うことなく柔軟に対応している。
 タイだけが植民地時代全盛の時も、第二次大戦中も、ベトナム戦時化にも、一貫して独立を維持してきたのは偶然ではない。利己的な損得と感情を越えて、国の状況、世界の推移を観て、最もふさわしい方策を立て実行する多くの指導者が存在しているからだ。
 植民地勢力が迫りつつあった一八世紀後半には、鎖国の代わりに、首都を貿易立国のため、内陸よりチャオプラヤ川のバンコクに移し、日々西欧列強との交渉を通じて、自らを国際経済と政治の世界に順応させた。その指導をした一人の王は、老年に至るまで出家をしていた王族だった。
 
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 大乗仏教は、理想郷であったチベットの受難が続く。中国ではほぼ存在が見られない。日本では、当初より明らかに無謀で残虐で犠牲の多いと予想された戦争を止めずに、ほとんどの宗派が「進め皇軍」と鼓舞さえした。戦後の経済至上主義も、自ら葬式業やパーキング場経営をして範を示した。
 僕は、なるべく公平に世界を見るために、特定の宗教や政治的信条には染まらないように心がけているが、タイの上座仏教には頭が下がる。
 それは支配、被支配の関係ではない。「洞察し、理解して、均衡をとった実践をする。」日常生活から国際関係にまで通用する、普遍的な体系だ。
 僕達が影響を受けるのは、僕の席の通路の向こう側に坐る壮年の僧の存在のような、身近に接して感銘を受ける生身の人間であり、常に流動し時には激変する時代の流れに、「利己的な動機なしに舵とりをする冷静沈着な指導者、国の内外に対して、説明能力、交渉能力のある指導者」なのだ。
 
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 僕の背後が騒がしくなった。例のフジの声に呼応しているのは、タイ語のようだ。振り返ると、リタイヤーしたエマに代わって、泥酔状態に近い二人の中年のタイ人の男達が、フジのベンチの前の床に坐り込み、酔っ払いどうしの国際語を話しながら、ビールをおごりあっている。
 勿論、水商売の仁義に徹しているフジは、国際通貨事情を考慮して、決して豊かには見えないタイ人の男達からは好意の象徴ぐらいのビールを受けるだけで、次々とお返しをするのに、せいを出している。あたりの空気までが熱くぶれてくるみたいな盛況ぶりだ。乗客の表情が明るくなった。
 そして僕は、クールさの極地のような、上座仏教の僧達に囲まれている。
 その時、ひらめいたのだ。(もしかしたら、これは、タイ人がピーと呼ぶ、予想不可能なスピリットの登場なのかも知れない)
 通路をはさんだ向こう側の席に坐っている壮年の上座仏教僧が、そう感応して僕に伝えているみたいだった。
 フジはトトと喧嘩した。トトは消えた。フジは車内販売の基地であるカンビールがプカプカ誘っている、水を張ったタライの近くのベンチに坐った。フジの移動中の飲酒を僕は警告した。僕は上座仏教僧達に囲まれてヴィパサ(静観)を続けた。エマの飲酒がタイ人の叔母さん一行に睨みつけられた。リタイアーしたエマの代わりに、その既に泥酔していたらしい二人のタイ人の男達が現れた。今ビールのおごりあいをしている。その全てをピー(精霊)が創出したのだととらえてもおかしくはないほど、プロセツは符合している。
 (ピー達が宴会をしているとしたら、僕達みんなの守護霊だか背後霊だか何だか知らないが、ピーと呼ばれる存在に手を引かれてここに乗りわせたとしたら、ヴィパサナもそこに招かれたとしたら)等と次々に僕は連想を続けていた。
 
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 (アレッ おかしいぞ。まったく久しぶりにヴィパサナにはまったから、一寸した刺激にも過剰に反応している。これまで何度となく、アル中とヘロイン中毒者達には、こうやって踊らされ、奴等の陰謀のままに操られ、スッカラカンとなって放り出されたではないか。頭を冷やさなけりゃ。そうだ、ニコチンタイム。さっき誰かが、前の車輌との継ぎ目の上で吸ってたっけ。あそこだったら風当たりはいいし、景色もいい)
 立ちあがり歩こうとした時だ。いつの間にか、入口に近いベンチから、エマが離れ、一人で所在がない風に立っている。(ハハー、タイ人の男達に床から見上げられるのが嫌になったんだな。そんなら、しばらく僕の席を提供しよう)
 そうエマを呼んで僕の席に坐らせた瞬間だ。例の恐い叔母さん達のベンチから、非難の声が爆発した。エマは暴風に吹き飛ばされたみたいに、元の場所へ飛んで帰った。(アツうっかりしてた。坊さんの横に、女が坐っちゃあいけないんだった)
 その一部始終を、壮年の上座仏教僧の横顔は、ヴィパサナでとらえている。
 これまでも常に状況の意味することを僕に伝えてきた横顔の、優しくおだやかな目尻が(これもピーのなせるわざですよ)とでも言っているかのように見える。
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 車輌の継ぎ目の鉄板が不規則に揺れる。その上に立ってタバコを吸う。念のために、片手は手すりの棒をしっかり握っている。車輌間の覆いはほぼ破れて無きに等しいから、景色はは抜群だ。
 モンスーンに入りたての樹木も草原も田畑も沼地も、みんな洗われている。熱く乾いた夏は終わった。雲がいつも走っている。その一部はどす黒い雨足を降ろして迫ってくる。モンスーン。息を吹き返したピー達が、プンプンムンムと匂いを発してスコールを呼んでいる。モンスーンが来た。
 たぶん、僕はピーにとりつかれ易いタチなのだろう。だからかえって、自身を論理的に整合するように、常に努めているのかも知れない。
 だけど、フジのとりつかれ方は尋常ではない。黒人と日本人の混血というだけでも、まったく新しいピーのDNAの組み合わせだ。しかも孤児であったことから、常に自己の存在を賭けて、既存のピーに割り込まなければならなかった。突破口を開けなければならない、あたりを、一度ひっくり返して、何があんなにかたくなにさせていたのかを、そこに居合わせたピー達と共に、洗い直さなければならなかった。
 
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 タイ人と黒人と日本人の酔っ払ったピーが、ヴィパサナの下で、アタフタしたり、実験したりするから、まわりのピーも、調子が狂っておかしくなっていくのは、当然だ。
 二人の中年のタイ人の男達は、たぶん近所の飲み仲間で、いつもは穏やかに気を合わせて同じ慣れ合いをしているのだろうが、今は、ゴースト・ダンスを踊っているみたいに、別れ別れとなって、明後日の方向に叫んでいる。怖い叔母さん達にも、その酔いが伝染したのか、(もうモラルの監視なんて止めて、ピーに愛されるぐらいまで、破れかぶれにやっちゃいましょうよ)とでもいうように、熱い気災を上げている。他の客も付和雷同中だ。(一体この列車は、どこを目ざして走っているのだろう)
 黄衣の僧の一行が坐る一角だけが、何もなかったかのように、輝いたまま静まり返っている。
 
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 うまいタバコを吸ってから席に戻ると、酔っ払ったタイ人の男のひとりが僕達の席に近づいてきた。僕の横の通路にクシャンと坐ると、壮年の僧に向かって手を合わせ、目をうるませて、恭順の意を表わした。何事かを語りかけている。多分、大騒ぎしてきたことへの詫を入れているのだろう。いじらしいくらいに従順で、いたずらをしたい放題した子供が、最後に親に(ごめんなさーい)と腹で笑って顔で泣いているような、デジャヴューの光景だ。
 その男に対して、壮年の僧は、限りなく絶対的に優しい。スマイリング・ブッダそのものの、いつくしみあふれる笑みを浮かべて、男を受け入れている。そして滑らかな言葉が、ほんの数秒、僧の口から男に伝わっていった。
 その数語の言葉は、その場の空気を一変させたみたいだった。酔った男の表情が輝いている。
 それは、慈悲心というものが、いかに存在の次元を上げるかという証だった。輝きが車内に拡がっていくのが見える。
 半ば呆然として、その鮮やかな物語性に打たれていた僕に、これまでも常に状況の意味することを伝えてきた壮年の僧の横顔の、優しくおだやかな目尻は、いたずらっぽく僕に向かって(私等はこんなつきあいもしているんですよ)と笑いかけているように見えた。
 
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 その車輌の中で起ったことの意味は、すべて僕の心だけが感じていたのに過ぎないのかも知れない。でも、日本の車輌では決して見たことのなかった酔っ払いの輝きは、僕の内側にまで浸透していったのだ。
 それは、意図して成ったシーンではない。壮年の上座仏教僧はそのおかしな酒宴をただ一貫して観ていただけだった。当然に起り得ることで、当然の結果をもたらすだろうと観ていただけだった。
 空行く雲が騒然として動く。その黒く染まった部分が、重く地表にたれる。と同時に吹き寄せる、冷々として水臭い強風と、それにあおられ慌てふためき互いを打ちあう、海の潮騒にも似た樹の葉や草の葉の音の波。そして遂に襲来する豪雨。壮年の僧は、視界まで洗い流す水、水、水のピーを眺めているのと変わりのない、自然体のままで観ていただけだった。
 
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 だから、タイ人の酔っ払いが詫を入れたことは「雨降って地固まる」プロセスとなったのだ。
 彼が満足した表情で酒宴の場所に戻ると、もう一人までヨロヨロと立ち上がって、その壮年の僧の下にたどり着き、クシャンと坐って手を合わせ、何言かを吐いて、素直に恭順の意を表わしたのだった。
 繰り返すが、その好意は決して支配被支配の関係を表わしているのではない。それは互いに完全に理解をしたというセレモニーだった。ただ、仏教僧の方は、黄色の衣をつけ僧団の規律に従っている手前がある。酔っ払いは、より個人的で、より自然の意をそのまま受けて表す、精霊信仰に属しているという、双方の表面上の差を埋める作業として、恭順のセレモニーがあるように思えたのだった。
 
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 (これが、ヴィサナとピーの関係なんだ)互いを補いながら共存している、瞑想と精霊信仰の関係は、タイの隅々まで浸透して、庶民を一体とさせているのだろう。
 この組み合わせは、チベットでは仏教以前のボンポ信仰、中国では道教との混合、日本では神統系の密教にも見られる。仏教の柔軟な性格は、それまでの精霊信仰を駆逐しないで共存する方向を選ばせた。それは庶民の精神生活をより豊かで自由で、抑制の利いたものとしたのだった。
 僕が上座仏教に魅せられるのは、このように、そのものズバリを表現するより他はない精霊信仰と、瞑想を通じて着実に積み上げ体系化していく仏教とが、互いを許容して融合しているファジーな部分があるからだ。
 でも、本物の上座仏教徒になるには、出家するより他はない。それほど守るべき戒律は多く厳しい。僕が上座仏教のファンでシンパでサポーターに過ぎないのは、充分承知しているつもりだ。
 
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 終点に近づいていることが、古びたディーゼル機関車のあえぎ方で解かった。僕が同席した黄衣の僧達は、二人組で旅をしているらしく、途中の小駅で二人づつ降りていったが、また二人づつ乗り込むので満席の状態は続いている。だが、一般の乗客席には、空席が目立ってきた。
 酔っ払いのタイ人達は、僧を拝んだ直後に消えたらしい。残ったのは、その二人が持ち込んだと思われるビールの空きビン数本と、そのお返しにフジがおごり続けた、ひとかかえはあるカンビールの空きカンだけだった。フジは、いつものように、ショーが終わった印の黒眼鏡をかけて、コンコンとベンチの上で眠っていた。
 実は二人のタイ人の酔っ払いが僧に詣でたのにつられて、フジも僧にフラフラ近づいたのだったが、電力のプラスどうしが反発しあうような、何かがスパークをした。フジは、はじかれたように後退して、席に戻っていった。後で彼の語るところによると(何だかヒジ鉄を食らったみたいだった)そうである。
 あの壮年の僧は、かって、ムエタイ(タイ・ボクシング)でもやっていたかのように体格は良かったから、ピーと出家間のセレモニーに敬意の払い方を知らないロックミュージックシャーマンを、軽々しく寄せつけるほど甘くはないことを、ヤンワリと見せしめたのだろうか。黄衣というユニフォームを着てるのは伊達ではない、品位を保つためなのだ、と。
 
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 僕は、その車輌の、出家と身体障害者用席で、出発駅から終点まで、二十人ほどの僧が入れ替わり坐って旅をするのを見てきた。五時間ほどの間、全員がひと言も口をきかなかった。僕も、最初少しフジに酒について注意した後には、エマに席を譲ろうとした時にだけ声をかけたのみ。それもまったく無駄口に過ぎなかったことが証明されたから、それ以降は沈黙を保ってきた。その内、車輌が心に見えてきた。
 二十人の僧は、まったく何もしなかった。トイレにさえ行かなかった。ただ、二人の、もはや腰も立たずにグシャリとつぶれたように坐りこんでいる老僧に付き添った、サマニーンと呼ばれる二人の少年見習い僧が、ほんの時折、老僧にペットボトルの蓋を開け差し出すと、老僧が口を湿らせるだけだった。
 その過程で、僕のような部外者も感じる「存在感のようなもの」を持っているのは、僕の席の通路の向こう側に坐った壮年の僧と、彼の補佐役らしい若い僧、そして、二人の少年見習い僧のみだった。(十代初めの少年見習い僧二人は、既に賢い人間だった。精神的自立を成しとげている。その上に、究極の悟りに向けて、日々の努力を怠っていない。上座仏教恐るべし)
 残りはいずれも体制依存型の「食えて社会的に認められればいい」という程度に思えた。これは、どこの社会にも共通している。「本物20%」の法に合致している。
 事実、蟻の世界でさえも、すべての蟻が忙しく働いているように見えるが、現実の生活に直接関わる仕事をしているのは、その内の20%だけだという研究報告を読んだことがある。ただし、その20%の内の一部でも欠けた時には、自動的にそれまで遊んでいた蟻の中から補充され、常に20%の核は維持されるという。
 20%の、責任ある実働指導者層。そのバランスが、この地上に存在する生命体にとって、最も自然な姿なのかも知れない。
 だから、アメリカの先住民のいう「20%の人間が変われば世界は変わる」は、自然のなりわいに沿ったものなのだろう。
 
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 壮年の上座仏教僧とは、終点のアランヤプラテットまで一緒だった。列車が止まると、水の流れるような別れ方をした。
 (まあ、列車の中でここまで熟睡できるのか)と思わせたフジは、声をかけなくともひとりで立って下車していた。荷は置いたままだったから、エマと僕で運び出した。
 外はスコールの直後のようだった。舗装されたプラットホームはまだ濡れていた。そこにフジが、大の字になって寝転んでいた。日に二本到着する列車の客を見ようとして集まった田舎のガキ達が、大喜びで彼を取り囲み「マォーマォー」とはやし立てていた。
 僕もいつかタイの田舎で、まっ昼間に飲み過ぎて同じようにひっくり返ったことがある。あの時にもガキ達が「マォーマォー」と叫んでいたのを思い出した。そして、僕を覗き込んでいたのは、ガキの顔には見えなかった。あれは「ピー」ではなかったかと、端のつりあがった、フジの黒眼鏡に写る空を見降ろしながら、思い当たったのだった。
 
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 ゲストハウスの迎えだという、頑健な体躯の若者が、外に待たせた車に先導した。プラットホームの端を一歩出ると、雨後の赤土が分厚い泥の層となって、僕の靴にもまとわりつくし、僕が荷運び用に使っている、粗大ゴミ場で拾った乳母車の車輪にベッタリと張りついて、押しても先に進まないから、ズルリズルリと引き続けて、そのピックアップトラックの荷台に載せた。エマも、二人分の荷を載せた、ババチャリで苦戦したらしい。既に、大きなバックパックを脇に置いていた白人の女性が、荷台の席の向こう側に坐り、僕らの泥だらけの「手動式貨物トラック」を、怪訝な表情で見つめていた。
 (フジは)と思い出して顔を廻すと、彼も既に坐っていた。不思議なことに、彼の靴には、赤い泥がついていない。
 ともかく、ここはアランヤプラテット。国境の街に着いた。
 
第一話 完

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