No80 index No90

コンクリートの上に咲く花

 

澤村浩行

 

 僕はその駅前団地の一階の住居部の前にも、ビオトープ庭を二坪ほど作っていたのだったが、ついウッカリとして三ヶ所の排水口の一ヶ処の上を、土で覆ったままにしておいた。
 僕が静岡に行っている間に、下水道掃除のポンプ車が来た。近所の人が総出で土を除けてくれたらしいが、僕のビオトープ庭園の秘密を見ることとなった。
 散水をしなくとも、雨水だけで草花が生き永らえるように、地下水の代わりに、ゴミ場で拾った広口のビンの蓋を外して、コンクリートの基盤の上に並べた上に、五十センチほどの土で覆ったのだが、その水気が、ヒキガエルの絶好の繁殖地となっていた。
 たぶん次から次へと、あの褐色で動きの鈍い両性類が、ノッシノッシと出てきたのに違いない。団地を仕切っていた元建設作業員の更地主義者達にとって、僕は悪霊の使いのように思えたのだろう。 彼女も、黒魔術を恐がるタイプだった。それがギロチン台の第一歩となった。 

 

 その一年ほど前に、表通りに面した、僕の巣であった閉店中の店舗の前のビオトープ庭園を六坪に拡大し、土も五十センチ以上盛ったところ、団地有力者等が密告し続けた。当然、所有者のと住宅局の都営住宅不適切使用始動課より、毎月のように退職後の役人らしい老人が、撤去勧告に訪れてきた。
 その老人には申し訳ないが、石原知事の唯一の善政である、都有ビル、都有地や新規ビルの「屋上等緑化条令」を頼みに、正式の許可をとりに行ったが、縦割り行政は余りにも馬鹿らしいほど厳密過ぎていて、住民局、環境課等をたらい廻しにされただけでラチがあかなかった。

 そこで遂に 

「あそこが自殺の名所だったこと知ってるでしょう。本当は、自殺者が飛び降りる前に、コンクリートの上の花を見て気が変わるんじゃないかと思って作ったんですよ。事実あの庭が出来て以来、一人も自殺してないでしょう。それまでは毎年一人以上は落ちていたんですよ。」

 と本音を吐いたら、その都営住宅不適切使用指導課の課長は唖然としていたが、勿論譲歩しなかった。
 仕方ない。すさまじく気の重い撤去作業に取りかかった。その十階建の団地群は、あたりの住宅地が高さ規制された二階建がほとんどだから、遠目には巨大な墓石群に見える。だから自殺者が引き寄せられる。僕は自分の墓穴を掘るみたいに、少しづつ土を除けていった。

 

 あれは引っ越して間もない頃だった。僕は二人の関係あった間にただ一回の暴力をバートナーの女性に振るい、当時まだ二人だった幼児とともに家から追い出した。彼女達は実家に戻り、僕は苦い思いを噛みしみながら、代わりに入居した、大麻で二年ぐらいくらって出所したばかりの人物と暮らしていた。その半年後の日曜日、銭湯の朝風呂を浴びて帰宅した時だった。もう遺体は引き取られていたが、家の近くに血溜まりがあった。制服私服の警察官がメジャーで測ったり聞き込みをしていた。かって僕の店の前でも何人か落ちているという。今回は女性らしい。
 駅前商店街の一番はずれにあるとは言え閉店したままの、幽霊商店街と化した原因が判った。その場で、その日の暮れない内に、慰霊祭をやることにした。近所の誰かも気にかけているかも知れないと、告知を張ったところ、団地の自治会長が 

 「ここが自殺の名所だって宣伝するようなものだ。」 

と怒鳴り込んできた。すぐに告知を外して、自治会館に半升の日本酒を届け

「もう友人の坊さんも駆けつけてくれることになっているし、近所の仲間も来るので慰霊祭をやります。」 

と報告した。      

 

 ささやかな飾り付けを店にすると、托鉢僧の読経、法螺貝、フルート奏者の友達三名の音が、名も知らぬ霊に捧げられた。
 途中偶然に、アメリカ先住民の信仰に従っている信州の友人も二人、車で立ち寄った。彼等は、  

「じゃあ、犠牲者の亡くなった所をセージで浄めようか。」

と現場でヨモギ科の聖なる葉の束に火を付け、その煙の香を漂わすと、上の階の老女が話しかけてきた。 

「実は、今日の午後、私が買物に行こうとエレベーターに乗ろうとしたら、中からすごい顔つきの若い女の人が出てきたんですよ。そのまま降りてあの角を曲がったとたんに、ドーンと変な音がしたから、たぶんあの人だったと思いますよ。できたら、飛び降りたベランダも浄めて下さいな。」

 そこで、みんなで一緒にエレベーターに乗った。十階のベランダはすばらしい眺めで、多摩丘陵がボーウと遠望できた。

「冬は富士山がきれいなんですよ。」 

という人の良い老女を囲んで、セージの香に読経を唱えた。   

 

 その夜は、誰かは知らない若い女の死者の通夜となった。みんなで酒を廻して飲んだが、まったく酔わない。会話も続かない。瞑想状態でもない。ただ時が過ぎてゆく。そして夜更け近くとなった。誰かが遠慮がちに、住居部の金属ドアをノックしている。
 外には、かなり白髪は交じってはいても、まだ勤めをしているように見える、背広姿の男が立っていた。手には、白い上で包まれた、日本酒半升ビンをさげている。 

「あの、ここは自治会長さんの家でしょうか。」 

「会長は突き当たりで、自治会館は中庭です。」

と答えたが、立ち去らない。誰か気のついた者が 

「そんなところに立っていないで、中にどうですか。」 

と言ったんだと思う。
 その痩せ気味で背も低目だが、どこか敏捷な身体つきの初老の男は、そこに居残った僕達五人の男の輪に入り、静かに坐った。
 誰も話しかけられない何かがあった。決っして張りつめた沈黙ではなかったが、何かが始まる気配があった。初老の男はドッと泣いた。  

 「あれは、私の娘だった人です。」 

 それからは、涙ながらも、順序を立ててポツリポツリと話し続けた。 

「私が厳し過ぎたから、あんなことをしたんです。」 

 どうやら父と娘ひとりの父子家庭だったようだ。娘は中学教師に就職し、近く結婚するはずだったという。ところが、その前の週末に相手の家に泊まり込んだらしい。帰宅した彼女を、父は激しく叱責した。彼女はそのまま家を飛び出して、死のエレベーターに乗ったのだ。たぶん、近親相関的愛憎の板挟みとなったのだろう。
 その父親は、途切れ途切れながらも話を話し終えると、姿を消した。僕達は、ようやく消灯して横になる気分となった。
 僕は何故か、闇の中で、僕が始めて暴力まで振るって彼女と子供達を追い出したのは、この自殺騒ぎを見せないためだったのかも知れない、と思った。それから、当時続けていた、日本企業が買うウッドチップやコンパネ材料の貯め破壊され続ける、タスマニヤ、パプアニューギニヤ、サラワクの原生林保護運動の撮影に訪れた現場を思い出した。伐採され尽くされた跡地はナパーム弾に焼かれ、プランテーションの植林か、鉱山開発に使われる。あの土まで焼けただれた地獄が甦った。
 身の毛もよだつ同じ現場が、一面のコンクリートに覆われた、その駅前団地商店街にもあると言うことだった。  

 

 しばらくすると、例の女性と子供達は戻ってきた。まだ幼稚園生だった二人の息子は  

「お母さんに謝るべきだ。」 

と僕を諭したが、僕は当主の面子を突っ張って、それに従わなかった。子供の英知まで傷つけたことが、ギロチン台への第二歩となった。
 かってウーマンリブ運動にも関わっていたという例の女性は、当然復讐をした。近所にも、僕の友人にも、僕の親にも、僕の勤め先にも、僕の暴力沙汰を触れ回った。
 僕は、その駅前商店街の一番外れのコーナーにある僕の巣である店舗前のアーケードが、予算の関係か、その部分だけ天井をつけず、人通りも歩道へとそれて行くのに目をつけ、少しづつコンクリート地面の上に土を盛り、廃材で回りをかこったビオトープ庭園を作ることで謝罪し続けたつもりだった。しかし、それは余りにも脈絡がなさ過ぎた。
 思い切って一気に拡大したところで、不法占拠の刻印を押されたのが、ギロチン台への第三歩。   

 

「あそこに蝶が飛んでいる。」  

「トカゲを見た。」         

「肥料に埋めた枯れ草が露き出て汚らしい。」  

「雨の日には、泥水が中から出てくる。」 

等々の、僕には信じられない、自治会役員や、通行人らしい人物がケイタイからかけたに違いない苦情が列記されていた。一部の日本人の中年から壮年にかけての自然感はひどい。
 絶対数の人は好意的で、休日に僕は、種や苗を交換しあったり、世間話等、良き出逢いのスポットであった。散歩の途中に、アーケードの車道側にある歩道脇の、都が育てているツツジ用の大きなプランテーションの端に腰をかけて、その庭の花をゆっくり鑑賞する老人達や買い物帰りの主婦、 

「小さいカマキリが一柄いる。」

と大騒ぎする子供達、夜には近くのコンビニで買った飲物類を持ち込んで輪となり坐る不良少年達も、ビオトープ庭園のファンだった。
 ところが半分ほど作業が終わった時に、自殺未遂事件が起きた。今回は、これまでと違って、上の階に住む老女が、部屋で薬物を大量に摂ったという。ただ、もがいたはずみに火事を起こし、駆けつけた消防車に命を救われたのは「不幸中の幸い」だった。それもあって、僕は様子を見るために、ビオトープ撤去を中断した。
 以来そのままだ。もう誰も密告しない。都庁からの老人も来ない。中央部にポッカリとコンクリート地面を露出したまま、その店舗前の六坪のビオトープ庭園は、両端に草花を茂らせている。

 

 (その後、僕はパートナーより三下半のギロチンを遂に落とされ、インドに移住した。)

No80 index No90