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「 山口と福島をつなぐ旅 」 その四
 
 選挙では、単なる乗りでは勝てない事を学んだ。日常生活の積み重ねしかない、地元に根を張るしかない事を。
友達は自宅に太陽電池を据え付けた。僕のアパートには、大家がコンポストを設置、ゴミの量は格段に少なくなった。ここの北にある美祢市は全国一位のリサイクル率90%以上を誇り税金も少なく済んでいる。上関原発反対運動のミュージシャン仲間達は、福島の子供達を事故の前も後も撮影し続けた写真家と共に韓国をツアーして、福島の子供達を韓国に招待しようとしているグループと交流した。僕の家から歩いて行ける小山の脇に、800年前からの名水が湧き出ていて、退職後の老人三人があたりの薮を切り開き風流な庭園を作った。近くの棚田も復元させるつもりらしい。市内6ケ所にある足湯に続いて、出逢いの場所が増えた。小さくとも、散歩に立ち寄る楽しい場所が市民の力で増えた。
 僕は半生を、特に外国の旅にまつわる生業をしてきたから、円安で3割増えた外国人観光客の流れを山口県にまで繋げる案と英語のチラシを練っている。東は広島の原爆ドームと宮島の厳島神社、西は阿蘇山まて外国人観光客は多いのに、まだ山口県の何気ない素晴らしさに途中下車もしない。また、山口市にある、まだ状態の良い古民家を年金生活者むけ長期滞在型観光に使うの可能性も視野に入れている。四国の寺や神社はほとんど山口県周防大島の大工が建てたように、山口県の伝統家屋は良く作られ、風水とマッチしている。地方に必要なのは若者だけではない。勤めあげた仕事のノウハウと人生体験と資金力を持つ老人が移住すれば、若者のバックアップができる。若者にも彼らのケイタリングやケアーの仕事が出来る。世代間のギャップを埋める事も市民ネットワークのパワーとなる。この歩道の完備した小さな都市は、老人には暮らしやすい。しかも温泉、足湯、そして室町時代には西の京都と呼ばれただけあって、エレガントな店が揃い、飯屋はうまい。
 
 自然エネルギー大型プロジェクトは大企業が下関海上の風力発電などで進行中だ。選挙期間中に法令化された自然エネルギーの電力固定価格買取制度は、13年前に飯田が叩き台を作った。原子力ムラで勤めていた時には、ドライキャスク、使用済み核燃料乾式貯蔵装置、の製作チームに入り、事故がなくとも日々溜まり続ける核のゴミ問題に道をつけた。先見の明がある。
 しかし、彼が昨年末の衆議院選挙に立候補した時、県知事選の仲間達は盛り上がらなかった。地方から変える、というポリシーから外れた、と僕も思ったから、どうしても人手が必要な時にしか、顔を出さなかった。もちろん山口一区では自民党副総裁の高村が圧勝した。彼は忙しい身なのに、地元に帰ると数人単位を相手にして会う。僕も誘われて30分ほど話した事がある。まったく無表情ながら気配りの良く効く人だった。自民党の強味は利権だけではなく、人間的な付き合いの巧さであり、市民ネットワークはまだまだ幼いと思い知らされた。
 つい最近、参議院補欠選挙に立候補した民主党候補を応援するために、前首相管が首相体験者には終生つくSPに守られて、山口市亀山公園のアースデイを訪れ、少し言葉を交わす機会があった。顔は目まで終始穏やかに笑っていたが、仮面のように見えた。市民ネットワークからの政治家が頂点を極めた。国民ももっと長期的な展望を持って、オバマ政権が再選されたように、もう一期民主党に任せても良かった。太平洋を挟んで新自由主義と軍国主義にチェックをかけた最初の政権だったのだから。一期目はそれまでの政権の後始末をさせられるだけだ。米軍基地も原発も自民党政権の置き土産だった。菅前首相は東電の撤退を止め、浜岡原発を止め、自然エネルギー固定価格買い取り制度を成立させた。ただ企業は自民党支持、労組の連合は民主支持と双方の基盤は原発推進であるのは、日本にとって不幸である。市民政党を押し出さなければ、再び大変なこととなる。南海トラフ地震は遠からず来る。原発事故は民族のDNAを劣化させる。チェルノブイリ事故後の8年間に旧ソ連邦の平均寿命は7歳低くなった。未だに人口は減少している。日本人は食生活に注意深いから、最も危険な内部被曝は少ないかも知れないが余談は許されない。原発行政と憲法問題が論点となる。夏の参議院選挙は要注意だ。
 何かと、それまでは政治路線が続きそうだ。現場を踏むという壮年期の締めくくりは、その7月あたりか。
 
 インド人が辿るように瞑想や物書きに集中する林住期を経て、無所有無所属無私、人を拒むまず人を追わず、の遊行期に入りたい。でも、やることは思う通りに行かなかった過去が伝えている。あまり用意をするな、とも。
 
(完)

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