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「終わりなき旅」─ 喜寿を迎えて ─
澤村浩行
 
 僕は77歳となり、体力の劣えを感じます。それも自然の成り行きで、何かを失えば何かを得る(気づく事のなかった自分を見出して、日々を味わい深く過ごそう)と人生の転換をはかっています。
 具体的には、旅の移動期間が短くなり、かっては年間八ヶ月間、一回につき三ヶ月程の身体能力があったのですが、昨年は計六ヶ月ほど、一回は二ヶ月半が限界になりました。たぶん今年はもっと短くなるでしょう。海外にも数年いっていない。
 そこで、より滞在日数の増えたここ山口市郊外。あたりは、田園と新興住宅が適度な空間をはさんで混在し、その背景にはらくだの背のような石灰岩質の低い尾根と、その固い山腹にかじりついたみたいな低い自然林。その麓からここまで続く田畑に面した軽鉄骨二階建アパートの一階最奥部。六畳一間の1K。そのミニマムスペースを使いこなすことがメインの(これ迄ご縁の薄かった、居ながらのの旅)を続けています。
 当然に家事も日々進歩させるように努めていると、その内に、室内の作業と精神の動きがうまくバランスをとってくる(宇宙的な時間と連動しているんだ)と一人わくわく夢想したり、(お見事!専業主婦的綜合力)と感心したりの旅です。
 室内で発見する微細な物質の絶妙な複合体が波打っている。その空間と僕という人間の思いが関わりあっているようです。その何重にも絡まるレールに乗っている僕は、もしかしたら、(肉体の最小単位である遺伝子と物質の最小単位量子は、人間の思いに反応する)という真理を実践しているんだ、と一人悦に入っていることもあります。
 
 台所が最初の入口です。僕は左足が乳幼児期に、母が一寸子守に預けた女性が、戦争トラウマに悩んでいた人だったらしく、左足股関節を突如脱臼。戦争中とて適切な治療受けられず、不自由なまま成長したので立ったままの作業が困難、特に火を使う料理は苦手でした。そこで、僕の人体工学に合った料理用テーブル、料理道具の配置、高い椅子を設置。すべて手の届く空間で無理なく楽しく料理して、長年依存した共同生活者や手製サンドイッチ依存からの脱却をしました。
 家具は、引っ越し便最小単位で七年前入居したのが、その後アパートを引き揚げた人達が、僕の状況を見て、役に立つ棚、机、書類ボックス、暖房具、扇風機、冷蔵庫を残してくれたので、平均的文化生活の用意も整いました。それらの家具をいかに限られたスペースに収めるかは当てがつかず、何気なく眺めているだけでした。ある時、その家具の材料である材木や鉱物をとった人、加工した人、運んだ人、売った人、そして僕以前に使った人、各々の思いが、その家具にこもっているのを感じてきたのです。そこに、これから使う僕の思いが溶け込んで行った!家具が僕の肉体を動かし、最も効果的で美しい場所へと収まった!家具どうしの空間も豊かな上に、なによりも室内では杖を使わずに、家具の角を伝わって移動できる。部屋の隅にホコリが貯まらないように、居間に置いた唯一の家具、小さな本棚は、小さなテーブルに乗せ、転倒防止も設置した。窓を全開とし、扇風機をフル回転したままやる掃除は、ホーキを振るう気功の運動となりました。風呂の残り湯を使った押し洗いや足踏み洗いはヨガの時間。最近脱水機能だけ生きている洗濯機をもらったので、乾燥が早くなりました!早朝や深夜の何もすることのない時間は、ボーとした瞑想らしき時間。と目覚めから睡りに落ちる、睡りから覚めるまでの基本路線は整いました。毎年数ヶ月かけて七年後ようやく。
 
 この日常の流れにワクワク感を添えたのは(庭と神棚作り)です。どの国どの地方でも、一階に住んだ時は、荒地であろうと舗装であろうと土を盛り、廻りを石か煉瓦か廃材で囲み、草花の種を蒔いて特大の箱庭をこれまでも作ってきました。屋上やベランダなら、プランターを並べる。懐かしいなー。対のバナナとズッキーニ、南インドのパパイヤ園、イタリアの石庭に青いマリアの眠りと呼ばれる花。アムステルダム屋上のスクスク伸びるレア。あの庭たちも、熱があったから出来た。今も熱がある。時間がある。
 僕は、その土地の土、枝や枯葉などの肥料、そして土と水に触れるのが好きだ。朝の水やりの時、陽ざしに青々と成長する草花が、僕にとってその異郷で最初に心を開いてくれる友達なのです。野生動物のマーキング行為とも似ている(我ここに在り)です。それは土地人に僕のセンスをアピールする手段ともなっています。どこでも(おかしいけれど何かきれいな庭だ。)と評判です。この山口市郊外のアパート前には、各戸とも二台は駐車できるスペースがある。そこで友人の大家から、ブロック塀に沿った細長い箱庭をそのアスファルト上に作る許可を得た。
 アパート住民に話すと、上階のブルトーザーの運転手が整地をする時出た大きな石を三十個ほど持ち込んでくれた。僕一人では重過ぎる大石を、たまたま立ち寄ったバックパッカーや市内に住む外国人達が並べてくれた。今回は脇と前に立つブロック塀に沿って細長い十畳ほどの石庭風箱庭となりました。近くの露天風呂で知り合った九十歳の老人が、自分の山から自分で運転して土をどっさり持ってきてくれた。農家出身のアパート住民は、コンポスト肥料から芽を出したカボチャとゴーヤ用の棚をブロック塀に設置してくれた。僕が旅に出ている間に水やりをしてやる、と住民の一人は申し出てくれた。長州人の瞬発性チームワークです。
 それから七年。冬はビオラ、春にはチューリップとクロッカス。夏には朝顔に夜の夕顔。日陰の部分はインパチェンサと百合。勿論その合間にネギやハーブや、トウガラシにミニトマト。アスファルトの上でも、肥料と水を絶やさなければ十畳でも植物の勢いは良い。僕は気が向いたら時、野鳥のエサに米粒などばらまくのですが、それをついばむ雀や山鳩、カラスなどのフンに紛れた木の種が立派に成長し、今や僕の背より高いのが三本。花と実に虫も集まる。友人から貰った苗も植えた。そのユズには蝶が孵化しました。
 
 室内の楽しみは、外国籍多宗派の神棚です。世界中で拾った小指の先より小さな石や木の実から、一神教や多神教や先住民のシャーマニズムのシンボルや偶像が混在する神棚。僕が立ち上がって見る位置より上や水平にある、シャキッとした姿勢で、対峙して祈るための神棚です。  公平にあらゆる宗教の神々やシンボル、そして自然のエレメントに祈ります。
 朝一番の皿洗いと口のうがいをした後にその神棚を見上げると、ひとつひとつの思い出が甦る。そのひとつひとつの長い旅の流れから今日の旅へと継がる。偶像やシンボルをくれた人の思い出と、石や木の実を手にした場所が一体と化す。悲哀と至福。冷蔵庫の上に肘を組み、立ったまま小一時間。その間に背筋からそろそろと手先が伸びるや、神棚にひしめく、小さな偶像から、祈りの対象である画像、写真や聖なる文字、そしてあまたの小石や木の実の配置を微妙に変えています。その度に神棚周辺の空間光り輝き活々とする。なによりも、とても豊かな物語性に満ちてきます。その流れが無意識に進行するのは、やはりそのオブジェに関わった、今の僕を含めた人の遺伝子と、物質と空間に波打っている量子?
                     (3月下旬)

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