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──── 詩1・1976~78 (1~26) ────
 
1
   谷という友人へ
 
おお 私の谷よ 私の友人よ
君は学問を捨て大学を去った
この世の悲惨の極へと向かった
 
おお 谷よ 私の友人よ
君は 現実へ 己の奇形化された肉体と
精神をぶつけ 闘いを挑んだ
 
おお 谷よ 私の友人よ
君の疲れ切った精神と肉体は
砂漠の上に横たえ
今 一時の休息を得ようとしていた
 
寝むるがいい私の谷よ 私の友人よ
日は 明日また昇る
1976
 
 
 
 
2
   私はアナキスト
 
私はアナキスト
無産なるもの、未来永劫に夢見る人。
北方より、寒冷なる候の便り聞けば喜び
南方より、落としめられた人々の怨の叫びに心踊る。
私は精神のアナキスト、常に飢えたるもの
どん欲に夢をむさぼり食うもの
              1976以前と思われる
 
 
 
 
3
   私は誰
 
人 人 人 人 人 人 ひとひとひとひとひと 人 人 人 人 人
ひとひとひとひとひとサラリーマン サラリーマソ サラリーマン サラリーマソ サラリーマン 土工 土工 土工 土工 土工 土工 土エ
飲み屋の女将 飲み屋の女将 飲み屋の女将 飲み屋の女将
身体障害者 身体障害者 身体障害者 身体障書者 身体障害者
胎児性患者 胎児性患者 胎児性患者 胎児性患者 胎児性患者
 
海 海 海 海 海 海 海 海 海 海 海 海 海 海 海 海
漁師 漁師 漁師 漁師 漁師 漁師部落 漁師部落 漁師部落 漁師部落
お稲荷さん お稲荷さん お稲荷さん お稲荷さん 内海 内海 内海 内海
丘の上の公園 丘の上の公園 丘の上の公園 丘の上の公園
桜の花 桜の花 桜の花 桜の花
ハラ ハラ ハラ ハラ ハラ ハラ ハラ ハラ ハラ ハラ ハラ ハラ
 
貴女は 貴女は 子供をおぶって来て 子供をおぶって来て
東京に帰るのね 束京に帰るのね 帰るのね 帰るのね
 
丘の上の桜の花がハラハラハラ
海の見える丘の上の桜の花が ハラハラハラ落ちてくるのです
 
私は誰 私は誰 私は何者 私は何者 何もの
 
1977
 
 
 
 
4
   葬式
 
葬送の曲が天に響きわたり
わたしは狂者のように脅えた
ゆるぎない狂乱の日々を夢見てきた私は
もはや遠い過去へと去ってしまったことを知った
そして 私は私の幻の中に住もうと決めたのだった
1977/9
 
 
 
 
5
   僕は車の運転手
    トラック 毎日飛んで廻る運転手
 
私の祖母
89才にて大寿完ういたしました
そして
葬式が小さな田舎の村上げて出されたのです
 
兄弟親戚縁者一同に集まりて
今何しているのかと
生活状況の説明会
おっとその席
 
僕の母
ねっからの農婦でございまして
申しますに
おまえの服装は流行後れ
車一台も持たぬはおまえだけ
 
元 村一番のエリート大学生
今 出世一番後れの村一番の能無し
と 皮肉なお言葉
 
まずは 職を定め
車の免許を持ち
次ぎに家を建て
自家用車の一台も持つこと
これ 大日本市民としての必要条件
と ごもっともな ご説教
 
クソ食らったら死んしまえ
一昔前の流行歌を思い出さずには居れまいて
              1977
 
 
 
 
6
   踊ること
    果てしなく遠方に去った恋人へ
 
東の空に太陽が昇るとは限らない
羊水をたたえた海たちが 悪意を持って
僕を呑み込もうとしているのかも知れない
    
   踊れ踊れ
   激しくそして優しく
   僕らの胸を打つ鼓動のごとく
   踊れ踊れ
   逞しくそして軽やかに
   生命の泉は果てしなく深く
   そして 枯れることはない
         
踊れ踊れ
 草達が月の光りの中で囁き合う時
 僕も風に誘われて踊り明かそうか
        
 僕は 笛を奏でる虫
 詩う風
 舞う月の光り
 そして 不滅
 
1977
 
 
 
 
7
  ある日、絶望という言葉を聞いた。
 
  ある日、絶望という言葉を聞いた。
私はうれしさのあまり、泪がとどめなく流れて来た。
何となつかしい言葉であるか。
何と美しい言葉であるか、なんと新鮮であるか。
 
  久しく忘れていた、美しすぎて、心の隅で泥まみれになっていて、もう死んでしまったかのような、絶望という言葉は、変形し、ゆがんでいた。
  その上に、夢という言葉のアマルガム化粧を着けていた。
だって、そうしなければ、絶望という言葉も変化しつくし、言葉の形を留めなかった。
 
  ある日、私は絶望という言葉を聞いた。私はうれしさのあまり、とどめなく泪を流した。
                           1976~7 頃
 
 
 
 
8
     朝日
 
暗い夜の後には、朝日が来ると
  君が教えてくれた。
私はまだ朝日を見たことはなかった。
  青い昼と 薄汚れた夕日と
  暗い夜しか知らなかった。
 
 
長い夜の後には、眩しいばかりの朝日が来ると
  君がいつも言っていた。
私は朝日をまだ見たことはなかった。
  君を不安がらせる言葉しか言ってやれなかった。
 
 
暗い夜の後には、美しい朝日がやってくると
  君は信じていた。
そして、私達の家に朝日がやって来た時、
  君は居なかった。
 
けして君が悪いのではない。
  ちょっとばかり夜が長かっただけなのに。
 
                           1976~7 頃
 
 
 
 
9
  君は風になれるかい。
 
君は風になれるかい。
その風さ。
ほら、窓を開けてごらん、
戸口をガタガタ鳴らしている風さ。
 
毎年、この街のとんがり山から、
木枯らし達が地面に茶色のベットを
作ってしまった頃、吹く冷たい風さ。
 
秋の嵐さ、
春のそよ風さ。
 
ほら耳をすましてごらん、
風たちのたわごとが聞こえるじゃないか。
 
                      1976~7 頃
 
 
 
 
10
 
 ひと、ひと、ひと
 
人、人、人、人、人
ひとがとおる。
    みぎ
     の
まえの ぼく のうしろ
     の
    ひだり
  を 人が通る。
 
 
  人人人人人
  人が通る。
 
     右
   前 僕 後
     左
  を 人が通る。
 
人、人、人、人、人
ああ、人人人人人。
 
                      1976~7 頃
 
 
 
 
11
 
  僕は風車を見ました。
 
僕は風車を見ました。
逞しい夏雲を背後にひかえ、
カラカラと回る風車を見ました。
 
風がやってきて云いました。
「オイ、風車よ!お前は俺がいないと動けないのだ。
だから、お前は俺の家来だ。今後、俺に従え。」
といいました。
 
風車は「いやだ。」といいました。
 
風は「覚えていろ。」といって去っていきました。
 
それから、村々に嵐が来ても、台風が来ても、
風車のところは風が吹きませんでした。
 
村人は、風車を壊し、薪にしてしまいました。
 
                    1976~7 頃
 
 
 
 
12
  友人へ
 
悲しみを唄うのはよそう。
雨の多い土地柄だとかいって
切れた三味線のような、しみったれた歌はよしだ。
 
春先には、モウモウと
砂ぼこりを上げて舞う、
この土地の季節のように、
おおらかに、激しくあろう。
 
お前が、一度や二度、
女に振られたからといって、
メソメソするのは止めときな。
 
精神病で入院していた外の友人は
第二の戦いに旅たった。
 
南の土地の不具者達は
嬉々と己の行動を開始したぞ!
 
友よ。
僕は悲しみをことさら取り上げ
唄うのは止めた。
 
                   1976~7 頃
 
 
 
 
13
 
 都会
 
なまり色の
いかにも、私は機械と、
言わんばかりの電車に、
紺色の背広のサラリーマンどもが、
澄まし顔で、吸い込まれて行く。
 
ターミナル駅の前の
地下30mで、
今日も、故郷を忘れた出稼ぎ者どもが、
疲れも知らず、くそ真面目に
泥の中を這いずり回る。
 
埋めて地の町工場。
自動車運転手は花嫁のために
500万円の家を買うんだと、
夜八時まで働いた。
 
プチブルどもが。
今や都会は、プチブルの天下。
 
                   1976~7 頃
 
 
 
 
14
 
 思い出
 
私がまだ幼かった頃である。
私の村に一人の狂者がいた。
 
彼は時々私の家などにやって来て、
暇な人を相手に、歌を唄ったり、
小話をすることを楽しみとしていた。
 
ある午後であった。
彼が私の家にやって来た。
家のものは、またやって来たと言うふうで
お茶などだし、そさくさと野良仕事に行ってしまった。
 
後に残されたのは、僕一人である。
彼は人が聞いているともいないとも気にせず、
唄い出した。
「♪ 船着き場、
  村の入り口は船着き場~
  ・・・・・・・・ 」
                   1976~7 頃
 村の主の家の先代の当主だったと思う。不思議な人、楽しい人として記憶の片隅に残っています。精神科に入る前の時期だったのではないでしょうか。
 
 
 
 
15
 
 無題
 
輝ける陽は西山に落ち
青ざめたる月がますます光の矢を地上に放ちはじめ
白い聖者達の目覚めの時を向かえた。
疲れを知らぬ人々がどん欲ばりを終え、
淫しつな欲望へと我を忘れんとする時、
地上を埋めつくせしアスファルトは割れ、
一条の水とともに這い出したるものは
古代の神々や悪神達。
うたげの準備である。
 
                   1976~7 頃
 
 
 
 
16
  Viba吹っ飛ばせ
 
Viba吹っ飛ばせ
 そこら辺にはうじょうじょと
Vibaかっしばせ
 プチプチプチの小太りどもを
ケガするな、ケガさせるな、警察だたなるな。
 なんじゃこれはプルプル、プチプチ
 安全主義。
 
ケツに安全、前に安全の札をして、
更に家に二重三重、更に更に裏口にも
窓に、煙突まで安全弁、安全カギ。
 
 プチプチ、ブルブル
この世は、ブチプチ天下だ
 ふっ飛ばせかっ飛ばせ。
 
Viba吹っ飛ばせ
 そこら辺にはうじょうじょと
Vibaかっしばせ
 プチプチプチの小太りどもを
安全第一 「+」のマーク
 ケガするな、ケガするな、警察ざたになるな。
 ・・・・・・・・・・・・
胸に勲章、自慢話。
 あの頃一番苦しかった。
 家から米送ってもらって、
 一家自立した、小成功者。
                  不明1977頃か
 
 
 
 
17
 
   夢の中で
 
サーカスがやって来た。
僕の村にもやって来た。
 
えェ、僕の家で小屋を張るとよ。
それは困る、絶対困る。
と、僕の親父は必死に反対。
 
オロオロと、内は今夜は葬式で、
えェ、先日死んだ姉の葬式で、
年の頃は、生娘も生娘、女もこれからが花、
つぼみもつぼみ、17歳の娘が、
一昨日突然、脳の病気で死んで・・・
葬式出さなくてはなりません。
高校の同級の女生徒が
花輪もってやって来ています。
 
団長はそんなことは、有無も知らずといった調子で、
乗ってきたトラックを家の前に着け、
どんどんと、テントやら、動物やら、団員達を下ろします。
あわわ、これは困った、大いに困った。
日も暮れた。葬式葬式とオロオロする親父。
 
とうとう、家の近くの山のふもとに
縦縞の大きな白黒の幕を張り、
中に線香立て、灯をともし
写真をおいて、真中に。
その前に座り込む親父、
そばには女生徒も花を持って。
 
とうに夜も更け、家を占領したサーカス団は
ドンチャン騒ぎの真っ最中。
 
             1977頃
 
 
 
 
 
18
 
 今日は何もせずに空ろに過ごした。
 
病気のわけじゃない、仕事を休んでしまった。
唯、うろうろとするだけ。
煙草を何本も吸ってしまった。
思わしか、電話のベルがなったうな気がした。
いや、それは思い過ごしだ。
 
あの女ひとの一句一語に驚く私。
 「ゴメンネ」の一言で全てはすむのを
ああ、今日は一日無駄にしたした。
 「ゴメンネ」の一言ですむのを。
                1977頃か
 
 
 
 
19
 
 私は貴方の優しさなどほしくない。
 
私は、貴方の優しさなどほしくない。
そんなに電話をかけないで、
私は知っている、貴方の瞳にはもっと外のものがうつるべきことを。
恋人のように貴方は振る舞い、嘘の言葉など欲しくない。
 
 
いつか貴方は「僕は好きか」と尋ねた。
私は答えなかった、そんなの決まっているから。
そんな優しい貴方が恐かった。
誕生日のプレゼントも、何十枚のものラブレターも、私は欲しくない。
私は知っている、貴方の瞳の奥に光るものを。
                      1977頃か
 
 
 
 
20
 
   決意
 
父よ。
16の歳より、出稼ぎ者であった父よ。
幼い日に、反抗者の僕の我ままに、顔を震わせ怒り、真冬の雪の中にほおりだした父よ。
年のうち半年は顔を見せずとも、正月は帰って、なけなしの金でピーナッツ豆とミカンを買って家族の団らんを持とうとした父よ。
姉の突然の死以来、弱くなってしまった父よ。
 
高校の反抗期に、三年間顔を見ることも嫌だった父よ。
その土方服が、そのひ弱な肉付きが、とうとう僕は反抗さえ出来なかった。
  僕が大学に入ったら、更に弱くなり もう働くこともないから、家で鶏の世話でもと言ったら 流れ作業工場で働いたほうがいいと言ってまた働き始めた父よ。
 
今は近くのゴルフ場で働いている父よ。
僕は貴方の生き方を捨てます。僕は僕のために生きます。
ああ・・幼い日、僕の真冬の雪の中にほおりだした貴方が懐かしい。
                      1977頃か
 
──────────────────────────
 
 今、考えると父親のことずいぶん誤解してそう思いこんでいたかも知れません。彼は彼なりに幸せだったのだと思います。僕が大学に入った頃から、急に弱くなり、五十代で痴呆になり寝込みました。
 ただ困ったのは元気な強い父親なら、思い切って反抗できたのですが、病気の父親だと困ったです、本当に。
 
 
 
 
21
 
  循環機能
 
観念ではなく 物ではない
命の宿ったものたち
 
夜昼なく
仕事場でも 行き帰りの電車の中でも
悲惨の真中かでも
喜びの中でもかでも
 
時に静かに
時に激しく
 
今日は優しく
明日は苛立しく
 
音を刻むものたち
 
廻れ廻れ
命の泉
 
けして 枯れることのなきもの
 
          78 Mamoru
 
 
 
 
22
 
 悲しみの王の眠りの記述
 
天に鐘が鳴った
青い馬に乗った騎士は身体に五十もの傷を受けていた
彼は幾度も処刑された
しかし 彼は悲しみの鐘に幾度となく生き返させられた
彼は悲しみの兵士であったからである
青い太場が東より昇り 幾度となく西に沈んだ
悲しみの鐘が世界の隅々まで聞えていたからである
しかし
天に鳴った鐘は、悲しみの葬送の鐘であった
彼はもはや 処刑されることはあるまい
変革の王が 深い森に隠れてしまったからである
蔦の這う館の中に 王は静かに眠りについた
死んだ故ではない
王は死ぬことはないからだ
騎士の目を濡していた泪も 目の奥に沈んだ
失った故ではない
泪を流さなくなってしまったのである
白い太場が東より昇った
世界は白い光と白い砂漠となった
 
             1978/7
 
 
 
 
23
 
 夢の記述 世界の終わり
 
世の中はある規制が暗黙の内に働く
コンクリートのビルの中に人々の生活を押し込められた。
木造の建築物や今までの旧市街にはひとつの禁忌が働く。
徐々に徐々に人々は知らず知らずの内に、コンクリートとアスファルトの中に生活することになった。
市民という人々と、不具者、白痴、不道徳ものは、市民にあらずと人々の回りから姿を消すこととなった。
その世界ではある噂が流れていた。それは噂だけで実際に見たのはいなかった。
古い建物、古い街街は破壊されていると言うこと。
それは絶対的な状況、必要により実行されていると言うこと。
この世界はあるものよりの侵入を受けていること。
 
私は使命を受けていた。人々より望まれた使命ではなかった。
使命という言葉は正確ではない。ある内的欲求と言ってもまた正確ではない。
私はコンクリートの中より飛び出さなくてはならなかった。
夜、こっそりドアを開け、外に出た。人気のないアスファルトの道が続いていた。
明け方、古い街々に出た。元知っていた街はそこにはなく、基礎の石や、木材の破片やガラスが散らばっているのみであった。
 
                                                   1979 7/2
 
 
 
 
24
 
  めくるめくような渦巻き
 
誰だ
  ゴーコト  ゴーコトコト
  ブーン ブーン
微かに何か揺れるような物音に
私ははっと目を覚ました。
 
時計は午前一時半を指している。
終電車はもう終わってないはずだ。
 
 ゴーゴー ブーンブーン
といった、機械音にも似て
それにしては、巨大にして生命あるものの
血のあたたかみにも似て
 ゴーゴー ブーンブーン
と、下の方より聞こえてくるのは?
私はこの音のとりこになっていた。
 
すると
「英貞さん」「えっ」と
私を呼ぶ声がする。
 
彼女は
「美保と申します。主人より貴方をお連れするように言われました。」
 
「えっ」と
丸く見開く私の目の前に
10cm程のブルーのスカートにブルーのスーツを着た
髪の長い女が立っているではないか。
 
「どうぞ私の後について来て下さい。」
といったかと思うと、姿は消え、
私は中空に立っていた。
 
そこには巨大な渦巻きが、ゆっくりと廻っているではないか。
 
                      不明 1980頃か
 
 
 
 
25
 
     子供達よ
 
 私に子宮がいつ宿ったか知らぬ。
 陣痛とおぼしき痛みが、私の全身を戦ふるわせはじめた。
 痛みの後に来る空虚と不安定さ。
 私はとりとめもなく、テレビのドラマにしがみついた。
 痛みの周期は短くなってきたようだ。
 私の思考は、もうない、ないはずだ。
 全身が機械と化してしまったからだ、その筈だ。
 
 君と舞った空の色を思い出した。
 君が私に入り、私は今、子供を産む。
 でも、これは貴方の子じゃない、私の子供。
 貴方は私の子供のための単なるもの
 貴方あなたは貴女あなた。
 貴方あなたは女。
 女は君。
 君は世界。
 
 今日の麦酒は、全くからい。
 紙、紙、カミ、カミ、神。
 紙は、子宮・・・・?
 紙は、子宮に産まれた異物。
 紙は、異物を予想しえたか。
 
 子供達よ、今私の胎をかき回す子供よ。
 貴女の子供よ。私の子供よ。
 子供よ!子供も達を、私を異方の世界につれていってくれ。
 雄々しくはばたいておくれ。
 
                      不明1980年頃か
 
 
 
 
26
 
  Let's Dance  皆で踊ろう
 
目をつぶって、グルグル廻ってごらん
そして、目を開けるんだ。
ほら、家が電信柱が廻っている。
空だって廻っている。
だけど、通行人は踊っている。
自動車も踊っている、風に揺れる木の葉も踊っている。
これが踊りだ、君と一緒に廻ろう、そうすれば踊れる。
 
目を閉じて耳を澄ましてごらん
色々な音が聞こえる、それに合わせるのだ。
それに体を合わせるのだ。
 
              1980以降だと思います
 
 
 
 
 
─ 番外 (未完) ─
 
童話 風にもらった勲章
 
<雪が降る>
大寒おおさむ小寒こさむ 山から小僧が下りてくる。
雪はどこにゆくのか。
 
急いで大人になるまい。
そんなに急いで何になる。
 
運転手。
土方、死線をくぐった人
 
        1977頃か
 
「風にもらった勲章」というタイトルで何個か書いたはずですが見つかりません。最初は鎌倉の極楽寺に住んでいた、隅山さんという絵描きのおばさんの家に行く途中で思いついたと思う。「風にもらった勲章と洒落てみた」とか言う一節があったと思う。73頃の話です。自分を誉めてやりたかったからですが、心に吹く風とそんな気持ちを表したかったからです。僕はこの勲章だけで生きてきたと思う。だから覚えているのですが、いつも書き初めるのですがまとまらなかった。  
 
 
 
 

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──── 詩2・1981~95 (27~37) ────
 
27
 
大地
 
絵は踊りだ
足で大地を踏むように
大地は絵の母だ
ホルムも色も足より人り
全身を満たし キャンバスに投影される
 
大地は光る
光りは空よりやってくるとは
それはウソだ
大地こそ光る源だ
そして 絵は踊りだ
 
        1981頃
 
 
 
 
28
 
ピンクの大地
変容する大地に対する記述
 
光は 空より降ってくるとばかり思っていた
光は 赤や黄色や緑やそして透明であるとばかり思っていた
 
しかし それは まやかしだ
 
光は 空からやって来るのではない
赤や黄色や緑は光によって伝えられるのではない
 
ある日 私はそっと地面の上に立った
 
すると 突然 そしてゆっくりと 地面がほんのり光はじめた
熱気を持ち 赤味を帯び 私の足に伝わり
私の体を満たしはしめた
 
森が前方にあった
 
            1981頃
 
 
 
 
 
28
 
ピンクの大地 変容する大地に対する記述 
  
  光は 空より降ってくるとばかり思っていた
  光は 赤や黄色や緑やそして透明であるとばかり思っていた  
  
  しかし それは まやかしだ         
  
  光は 空からやって来るのではない
  赤や黄色や緑は光によって伝えられるのではない       
  
  ある日 私はそっと地面の上に立った    
  
  すると 突然 そしてゆっくりと 地面がほんのり光はじめた
  熱気を持ち 赤味を帯び 私の足に伝わり
    私の体を満たしはしめた  
  
  森が前方にあった
                                               1981頃
 
 
 
 
29
 
  夢
 
天井のやけに低い建物である。
木造である。
僕が入って行くと、中年の男が二人
箱を囲んで話している。
その容貌はさだかでないが
そのうちの一人は痩せ顔の上
髭が下顎を真っ黒に隠している。
何か真剣に話している。
 
隣の部屋と言っても、かなりの時間が必要である。
そこまで行くのにには。
僕らはそこを穴と呼んでいた。
大人の背丈より少し高いぐらいの
入り口を入ると、天井は低いのだが
部屋はかなり広く、半分は板の間であり
半分は階段になっていて、円形の段が
地下の方に下っていて、
天井もそれに従い下っている。
丁度それが洞窟か何かの格好なので
僕らは穴と呼んでいた。
 
映画をやっている。四人の男が映写機を持ち出して
床のところから穴の奥にスクリーンを作っている。
五十年代頃のアメリカの映画である。やけに
アメリカ的な画面が写し出されている。
円形の段にはまばらに、二人、三人、男女が
スクリーンをのぞき込んでいる。
 
僕は床と段との境のところまで進み、スクリーンを
のぞき込んだ。・・・・座っていた。・・・・
 
僕の数段下にいた女が僕を見ている。
泣いているのか、何か思いつめているのか、
僕のほうを見たかと思うと、突然僕のそばにやって
来て、口を吸い始めた。何か言っている。とても
興奮した様子で「人でなし、抱いて」と言って
僕に唇を押しつけてきた。熱気と
心臓の激しい鼓動が、息づかいが伝わってきた。
 
思わず僕は、体を退ぞけ、平手打ちを食らわした。
女は泣いている、ヒーヒーと声を立てている。
僕は怒ってその場を立ち去った。
                  1983頃か
 
 
 
 
 
                             
30
 
  大変だ
 
大変だ
天井が落ちてくる。
お前はその棒で支えろ
お前は体が大きいから、手で支えろ。
 
空を見上げると、空に輝いていた星々は、
豆電球のように光を失いつつあった。
 
おい、お前手伝え。
お前だ、そこの女、手伝え。
お前も打、髪の毛を染めて男だか女だか分んない奴、
ここに来て手伝え。
 
大変だ、大変だ。
そこの自称天文学者、
お前も手伝え。
 
大変だ、
そこの丸太棒。
そそ、それを持って立て、
そうだ。
 
       1983と思われる
 
 
 
 
 
31
 
一粒の泪と百粒の雨
 
六月のの雨は恵み
熱狂の季節への前奏
流産した赤子たちに落とされた泪の集積
死者たちの腐敗を進める素
豊穣への予感
堕天使たちの休憩の時
花が華たるための水
 
          1984 6 マモル
 
 
 
 
 
 
32
 
   らくだ
 
猫にすがって よれよれと
あの女こにすがって よれよれと
あの女こになじられ よれよれと
錆びたナイフは錆ついて
かっこつけるな 大間違い。
 
猫にすがって よれよれと
骨々 カタコト音がして
肌は ガサガサ傷だらけ
 
猫にすがって よれよれと
錆びたナイフは錆ついて
元は何やら 分からない。
 
猫にすがって よれよれと
これでいいじゃない いいじゃない
かっこつけるな 大間違い。
 
              1985 頃か
 
 
 
 
 
                             33
 
  私は、私の小さな舞おどりを
 
私は、私の小さな舞おどりを舞おどらなければならない。
ゴミの堆積した、この都会の大地にも
雑草は花を咲かせ、虫達は蠢いている。
 
 ならば大地は、今だに
 ならば大地は、今でも
 春を約束してくれる。
 
舞おどらねば、私の小さなキャンパスに
私の「生」の証を塗り込めなければ
 
                1986.1
 
 
 
 
 
 
34
 
二月
 
陽は春の光りを白く放つのに
季節はまだ兜蟹のように
硬い鎧の中にある
 
私のなかには まだ幽かに
その白い光とは反対の
死の季節の記億が蘇る
 
幼い日の土曜日の午後 姉が死んだ
そして 祖母も 父も
この季節に死んだ
 
ビジョビジョの雪道は
弱った病人たちを
三途の河原へと連れ去る。
 
二月
まだ 硬い鎧の中に身をすくめなげれば
北風が心まで凍らす季筋
 
         92/2   守
 
春よ来い 早く来い       春よ来い 早く来い
緑のジュウタンで       悲しみでいっぱいになった
私の体をつつんでおくれ    私の心を
花々で私を飾り立てておくれ  あなたの温かい胸で
抱きしめておくれ
 
 
 
 
35
 
 
借りた山の家の畑の
嬉しさに
大根 小松菜 ナス カブと
手当たりしだいの種蒔は
小雨で薄着の馬鹿はしゃぎ
 
しからば 風邪被き
僕の頭は ポウーと春霞
 
山には薄桃 桜花
ボウーと桃めて
クシャミは3回
 
詮なく 今日は こたつにまん丸 小亀さん
 
庭から
ユンチワァ!
 
黄色く可変い唇の
水仙君が
元気なごあいさつ
 
さりとて
僕ばボウーと春霞
 
          92/4/3 Mamolu
 
 
 
 
 
 
36
 
闘い
 
時々思う
何時も思う
ふと恩う
闘わねばと
 
でも、また思う
何故闘うのかと
 
それはそう言う宿命だから
 
とはいえるが
しかし でも それは
 
きっと
それは素敵なことだから
きっと
それは夢を言うことだから
 
 
思ってもいいよね
 
        92/4/20  Mamoru
 
 
 
 
37
 
芽吹きの季節
 
春が来た、春が来た。
野にも山にも町にも春が来た。
今年も 約束を守って 芽吹き 花咲かせてくれた。
なんと嬉しく、何と有り難いことか。
 
冬枯れの山々は死にたえて
もう木々は私に
ほほえみかけることはない
と思い込んでいた。
 
雨が降り、また雨が降り
今年も芽吹き 春が来た。
 
なんと嬉しく、有り難いことか。
 
 
 
 
 
 

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──── 詩3・1996 (38~45) ────
 
38
 
春・・・若葉
 
桜が散り、葉桜となり、山々の樹々に緑が戻ってきた。
空気は何時でもあるのに
やっと空気を思う存分吸えるようになった。
と、そんな気持ちになるのは不思議だ。
 
さんざめく光と若葉の乱舞の始まり。
私わたくしは車をくねくねとした山路やまみちに走せる。
少年の淡い恋心のような若葉
うぶだったころだけの記憶が蘇り、
美しい光となって木ぬれ陽のなかに解て消える。
 
欅の梢の向うにタヌキの恋人達が連れだって歩き、
子ギツネの道から薮の中に走る姿に車を止める。
光の春と言われる頃から、緑との融合の始まるこの季節を、
何と待ちわびてきたことか。
 
ありがとう、約束とおり戻ってきてくれて。
冬枯れの頃は、死の季節と絶望の記憶と重なり、
空気さえも吸ってはいけない気がしていた。
 
ビーナスの泡色に輝く樹々の緑。
軟らかくしかも力強い陽の光。
そして、そよぐ風。
 
ありがとう、小さな戦士達。
さあ、今までのよどんだ空気を奇麗にしておくれ。
そして、私わたくしの内までをも。
 
             4/22'96 Mamoru M.
 
 
 
 
39
 
 
雨の降る日はひとり家で
ツゴィネルワイゼンのレコードををかけ
コーヒーなどすすると
ほろ苦い過去が蘇ってくる。
 
虫食いだらけになってしまった茄の葉のような記憶が
淡い映像となって時々とぎれそうになりながら続く。
 
「なぜあんなに意地を張っていたのか」という言葉がふと現われ
コマ取り写真となった女の姿が写っては消え、消えては現われる。
 
あの女ひとは今はどうしているだろか、
この雨音を聞いているのだろか。
 
田圃の蛙の合唱が遠く近くに聞こえ
バィオリンの旋律と合唱する。
 
憂鬱、
小説から抜け出した梶井基次郎が夜のもの乾し台から
京都の裏通りをうつろに見下ろす。
ああ、狂おしく不思議な色彩を放つ憂鬱。
 
僕の病の記憶、
熱い夏、苦い記憶の数々
随分と遠くにいってしまった。
 
外は雨、今日も雨。
雨足がまた強くなり、
ザーとトタン屋根を叩く。
蛙はますます狂い叫び、
まるで三部合唱。
 
雨、また雨
窓の外は濃緑の緑また緑。
庭の紫陽花は貴婦人のように
稟と映え、すべてを見透かす。
 
             1996/6
 
 
 
 
40
 
 雨
 
雨の日は思いでにふける。
  
あじさいに霧のような雨が降り
紫の花びらに、大きなしずく
ひとつ、ふたつ。みっつ、よつ。
 
思いでは みんな 淡い青色から紫色になり
地面に沈む。
      
白い鎌倉も、つつじの咲き乱れた駒沢公園も。
 
                  1996?
 
  何故「白い」と鎌倉を形容したのか思い出せない。水俣の支援運動をやっていた仲間と半年、鎌倉に住んでいたことがあります。夏は海の家状態で、みんな友達が遊びに来て、夜の材木座の海で泳ぎました。楽しい思い出なのです。また、大人の左翼といったらいいか、品のある人々に接することのできた時期でもありました。
  駒沢公園は都立大に席を置いていましたから、近くの看護学校の生徒とデートしたり、傍にあったケーキ屋さんのケーキに食べにいったり、自由が丘のジャズのライブに行ったりとか、ただの大学生としての楽しい記憶なのです。その後大学の外でを活動することが多くなりました。
 
 
 
 
 
41
 
 
よく雲を見ていた。
雲は何時も友達だった。
 
ビルの谷間で言葉を失ってしまった時など
屋上に上がりゆったりと幾万に変化する雲を眺めて
何時間も過ごした。
傷ついた心は和らぎ
上手く行けばあてどない空想の中に入り込むことができた。
 
バラ色に輝く雲は幾つも見てきたことは確かなのに、
最初に思い出す雲は何時も困った時や悲しい時に見た雲が多いのは不思議だ。
 
小さい頃、不動明王の肩にのって雲海の中を飛ぶ夢を見たことがあった。
田舎の家が部落の小さな不動尊の前にあり、そのお不動さんの窟の上に上がり
雲を見てあてどない空想を楽しんでいた。
恐らくその連想からの夢だろう。
 
悲しみとコンプレックスの固りだった思春期も、雲を見て過ごした。
山の向うの空の世界にかならずぬけ出そうと心に決めて外の世界を夢見た。
まるで西洋の中世の人々がキリスト教世界の外を夢見たように。
 
雲はいい、何時見てもいい。
何時も優しく大きく包んでくれる。
ゴッホも雲を描く作家だったら、
きっと若死しなかっただろう。
 
僕は、悲しみや、思い悩んだ時の雲が、
一番、記憶の中に残って好きだ。
 
              ’96/6 Mamoru M.
 
 
 
 
42
 
夏  タイフウ
 
南の地方に台風がきているらしい。
亜熱帯性の雲が激しく動き
生暖かい風が木々の梢をかきむしる。
 
チリチリリ、チチチッリリーン、チチ
犯される女なの悲鳴のような鳴り声を上げる風鈴。
ザッーと雨まで降り始めてきた。
 
不安
湿った南風のもたらす
この胸騒ぎといらだち。
ずっと忘れていたこの臭い。
 
台風はやくざな青春に似ている。
荒れ狂う雨や風。
時に見える青空はチリや塵を洗い流され
異更に澄み通る。
 
口は心と反対の言葉を話し、
手足は勝手に暴力的に動いていた。
僕の内にも吹いていたこの風の音と感触。
ああ、なつかしい。
 
急に風が弱まり、雨も止んでしまった。
黒雲の切れ間にぽっかり澄んだ青空が現れた。
 
僕は山の向うの雲の切れ間の
純な青空の向うに
目をやった。
 
            1996/10
 
 
 
 
 
43
 
コスモス
 
雨の季節が終わり、大陸からやってきた高気圧で、
カラッと晴れた青空が続くようになった。
あんなに生気に溢れていた山や野の緑はその活動を弱め、
これから始まる燃ゆるフェナーレの準備を始めた。
色付く柿や、大きな口をパックリ開けたイガ栗やアケビや
どんぐりなどが木々をたわわにして、
いやがおうでも豊かな気分にしてくれる。
 
刈られた稲穂の株だけが残る田ん圃の、
その土手や農家の庭先に赤、白や桃色の小さな群れを作って、
コスモスが風に揺れている。
ああ、なんて素敵な季節になったことだろか。
 
そして、不思議にこの季節になると、
雲ひとつない秋空の山の向こうから、
ふと遠い昔の哀しい記憶が戻ってくる。
 
高校生で死んだ二番目の姉は、
いつも花を抱いた少女のもう黄ばんだ写真の姿で蘇る。
コスモスだったとは僕の思い違いかもしれない、
白い野菊だったかもしれない。
でも、コスモスを抱いた黄ばんだ写真の少女ままで
僕の心の奥に生き続けている。
 
僕の小学5年のけだるい冬の午後に起こった大事件。
母はくるっように泣き、祖母は仏様と、神様に何度も何度も祈りをささげ、
父はこの時から弱くなった。
家族の陰画はそのまま僕の心の中の悪夢として何年も残った。
おそらく今でも僕の感性を支配し続けている事件。
 
哀しみは、誰でもある。と知ったのはそれからずっと後。
そして、それに耐えるために人は植物達がするように
光の方を向いているのだということを知ったのは、
それからまたずっと後になってから。
 
何と良い季節になったのだろか。
秋の日だまりは、午後に入り見えるものすべてを金色に輝せ。
コスモスは光りの海に揺れる海草のように揺らめく。
 
むかし感じた数々の感情は、パターン化さたコンパクトな記憶となって、
僕の内の色々な場所に小さな傷を付て、一巡りする。
そして、穏やかな秋の日差しの中に解けて消える。
まるで毎年のこの時期の儀式のように。
 
                     1996
 
 
 
44
 
 
泪の色は虹の色
せつなく流れた雨粒は
ほどなく、
風景を5色の輪郭で飾って
虹の世界に変えてくれる。
 
幼い頃、泣き虫だった私は
布団の透き間かから見える
裸電球や、窓からこぼれる光りの
5色の衣をまとった様々な変化に、
除々に心を奪われ
気付くと哀しみは消えてた。
 
雨上りの木々がみずみずしく新鮮であように
濡れた目からみる風景は
5色の衣をまとい楽しく不思議だ。
 
小な子供をみると思い出す。
僕にもあっただろう初な心と初な泪
そして、泪の遊びを。
 
             1996/12
 
 
 
 
45
 
 
真っ赤な楓やいちょうの鮮やかな黄色の頃からはだいぶ過ぎ、
山々は、だいだい色の部分と
杉や檜の緑の部分にくきっきりと分かれた。
霜の降った朝などは、
黒々と鮮やかさを失った森と
硬い青で染まった空とが、
美しく嶺線を分けている。
 
一つの季節がぷつんと終わりを告げ、
小春日を飛ぶ蝶のように
しばらくフアフアと過ごした。
僕も少しは大人になったかもしれない。
 
今日、風花が舞った。
昨夜の嵐が上がっても空は完全に晴れず、
鋼鉄の青空に黒雲が静かによどみ
時々強くなる風は肌を刺すほどに寒い。
季節は確実に冬へと向かっている。
 
季節の変わり目はなにか事故や病気で
やむなく考えを変えざるを得なかったのに、
今回は自分から止めようと決められた。
僕も少しは大人になったかもしれない。
 
硬く冷々とした空気は、
心地好くほほに当たる。
美しかった青葉や花々は、
数々の思い出を残し、地に戻る。
冬が、また好きになった。
 
陽はもっと短になって、
そして、もっと寒くなって、
雪も何度か降って、
そして、それから別な季節が。
 
          1996/12
 
 
 
 
 

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──── 詩4・1997 (46~52) ────
 
46
 
光の春・・踊るためには早すぎて
 
 
車の窓から差し込む光りの温かさに、
暖房を切り外套も脱いでしまった。
山々の北斜面には白いものが見え、
開けた窓からはいる風は冷たく、
光だけが春を演じている。
 
心の硝子戸のうちでのみ赤くなった、
そんな少年の恋のような硬い春。
もういっぱしの大人のように振る舞い、
恋に恋している乙女の夢のような光。
 
そんな初うぶな季節の光と影の峡はざまにも、
時には、深い死の縁ふちが見えることがある。
僕の姉も祖母も父もこの季節に死んだ。
遠い北国のレモン色の光と白い雪の記憶。
 
この光は、眩しい5月の木もれ陽へと成長し、
影は、地下深いところで増殖して、
花を散らす嵐となって立ち現れる。
 
僕らも、植物や動物達のように、
死の影に脅え、光に励まされて、
命の踊を踊る外ないのかも知れない。
 
日当りの良い畑の土手には、
ひかえめな少年のように、白梅は清楚な花をつけ、
紅梅のつぼみは、おませな少女の口紅のように可愛いらしく。
寒椿は、濃い緑の中に真っ赤な乙女の匂いをただよわし、
まるで冬枯れの砂漠のオアシス。
 
丘の鎮守の木立の上を
鳶が大きな環わを描いた。
まだ遠き春、
風の寒さにキュッと縮まる体。
でも、踊る心は芽生えはじめた。
 
            29th Jan.'97 Mamoru M.
 
 
 
 
47
 
旅への誘い
 
引っ越しも終わり、生活に落ち着きを取り戻すと
また旅の憬れがつのる。
冬空に輝くオリオンの三つ星は
安住はいけないよと囁く。
 
若い頃は寅さんに憬れて、
小さな車に荷物を積んで行商して歩いたっけ。
厳冬の那須の高原の空気はパリパリと音を立て、
北斗は凛々と美しく瞬いていた。
黒い鹿島の海から昇る月と、白夜の海に佇む
ムンクの女の絵を重ねて楽しんだりもしたっけ。
 
日常の価値は外の土地に身をおいて始めて分かる。
夜どし開いているストアーや、遅れない電車や、女の夜の
独り歩きが出来る安全や、真面目で人の良い人々や。
美味しい水や、綺麗に区分けされた田畑や、美しい山や森。
何とまあ豊かな国住んでいることか。
 
人の良い仲間に囲まれて、馬鹿ばかしい冗談を言い合い、
時々は真面目な話もし、このまま年老える貧乏暮しも、
けして不幸とは言えないのだけど。
むくむくとひねくれ虫が蠢き出す。
 
人はどこから来てどこに行くか。
時に哲学的になり、
結論のでない問いがグルグル頭を廻り、
鳥居の前で手を合わせてみたりするけれど、
僕が悪いか、神々が意地悪か、
堂々巡りするばかり。
 
この世に楽園をつくろと、
人は日夜まじめにはたらくけども、
全体は見たことはなく、
いつも造るのはいびつなものばかり。
ああ、仕方ない、仕方ない。
たまには遠くにでも出かけてみようかと。
 
            10th Feb.'97 Mamoru M.
 
 
 
 
48
 
雨の日に
 
 
しとしと軒をぬらす雨音が
気だるい季節の始まりを告げた。
 
あの病める色彩の紫も
菖蒲や、あやめの
シューと伸びた緑の葉や茎の精悍さに支えられ
辛うじて、正常さを保っている。
雨がその妖艶さを更に美しくしている。
 
外は雨、今日も雨
かってはこの憂鬱が、僕の故郷だったのに
極楽トンボにマインドコントロールされ心は
なかなか沈めこめず、中途半端に漂う。
 
時にはいい、こんな時があっても。
昨年も、その前の年も、こんな時があった。
苦いコーヒーを啜がら、
忘れていた日々を思い出す日があってもいい。
 
と考える矢先、別の思いが突如浮かぶ。
過去の物思いに浸るのは飽きてしまったと。
新しい季節、と口から小さく呟こぼれ出た。
 
梅雨の始めの雨はしとしとと
何時晴れるとも知れず軒を濡らす。
そして思いは、後にも戻れず、前にも進めず、
中途半端に中空を漂う。
 
今日、庭のハーブを竹炭の花瓶に飾った。
部屋と言う部屋にすべて飾った。
ほのかな匂いが家中に部屋に広がった。
 
そして、もう一度小さく呟いた、
別な季節へと。
さあ、勇気を持ってと。
 
                  1997
 
 
 
49
 
雨の日に男は
 
雨の季節は雨が降るのがいい。
 
しとしとと軒を濡らす雨音の中、
ワインは悪酔いしそうだから止めて、
コーヒーなどを濃めに入れて、
憂鬱に過ごすのがいい。
 
デジタル化された情報の洪水に、
もがけども、流され、
己の才能のなさと、身の不幸を
時には、ゆっくり嘆くのもいい。
 
また、今、キラキラしている昔の同輩を、
きっと、その内馬鹿をやり、すべてを失う。
などと想像して楽しむのもいい。
 
女性に、
素敵ですねえとか、かわいいねえとか、
無理なお世事は今日限り止めて、
年上には、はっきりオバサンと言い、
年下には、ガキのお遊びに付き合う暇はないと言う。
そんな夢をみるのもいい。
 
低級なTV番組とシンクロして
極楽トンボになっている自分はしばし忘れ、
今日は、バッハなど聴き
哲学者や詩人のように
世を憂う振りをするのがいい。
 
そう、梅雨の雨の降る日は、
独り、渋く決め、
男の美学に浸るのが一番いい。
 
すると、庭で雨蛙が、
ケロケロ、ゲロゲロと
高く、低く鳴いた。
 
               1997
 
 
 
 
50
 
ロンド
 
雨が降り、蝉が鳴き、季節は巡る。
去年も、前の年も、その先の年も、
春が過ぎ、夏も終わり、秋の風が吹く。
でも、今年の風は少し違った匂いがする。
 
久しぶりにあった友人は
昔とちっとも変わらないのに、
息子は父親より大きくなり、
娘は母親より美しくなった。
 
廻れ廻れ、
季節が巡り、
昨年と変わらぬ虫が鳴き、
朝夕はめっきり涼しくなった。
 
廻れ廻れ、
全く変わらぬ貴女と
ちよっと変わったかもしれない僕と
 
廻れ廻れ、
相変わらずの間抜けな僕と
ちょっと素敵になった貴女と
 
廻れ廻れ、月日のごとく。
そう、この世はロンド。
廻れ、そして、踊れ、
そう、この命の尽きるまで。
 
       1997 9/3 Mamoru M.
 
 
 
 
51
 
虚時間での遊び
 
数々の思い出を引きずりながら
今日の仕事に忙しく動き回わり、
高架電車の窓から明日の雲を見る。
 
朝、目が醒めると僕は死んでいた。
コンクリートのように固められた体と意識
除々に回復して僕は死んでいたことが分かった。
 
明るい、初秋の午後の陽たまり
揺れる木の影、風にそよぐ秋虫の声。
突然、風が止まっり、
時間も止まった、と感じた。
そして、清い透明なものが
僕の体を通っていった。
 
時の流れに
逆らうことなどできないけど、
 
ふと、虚の時にかくれんぼと
遊んでみたい気分となった。
 
       ’97/9  Mamoru MUTO
 
 
 
 
52
 
偶然
 
不思議なことだ。
偶然の出合いが、新たなく偶然を生み
今の必然に到る。
 
アサヒビールの仕事にゆかなければ
おみずに会わず、
彼女の友達も僕のところに遊びにくることもなかった。
また、ミュンヘンに寄らなければ
Noraに会わず、
洋ちゃんにも出会なかった。
そして今、洋ちゃんとおみずの友達の佳誉ちゃんは
不思議な出合いの必然の中に居る。
 
俗事にあたふたと動き回っていた僕が居て
こんなことを考える僕が居る。
けど、明日は何をしているかは分からない。
 
だから、
与えられた偶然は
きっと、素敵な必然に到ると
勝手に決いいめた。
 
        3th Decsember '97   Mamoru Muto
 
 

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──── 詩5・1998 (53~66) ────
 
53
 
残り雪
 
春は名のみの風の寒さ。
先月降った大雪は土地の古老を驚かせ、
山の木々の折れた枝のさけめが痛々しい。
まだ日影に残る雪は汚ならしく水を流していた。
 
風の便りに
昔の女友達の夫婦仲が悪くなったと聞くや、
「ざまあみろ」と心の奥の小さな悪魔が嗤った。
 
仕事と仕事の曖昧な時間。
土手の雪の上に見つけた小さな紅梅。
ふやけた冬と生れたばかりの春。
 
風の寒さに耐え切れず逃げ込んだ
レストランの窓際の席は、
まるで菜の花の陽気。
コーヒーをすすり、
去り行く季節に意地悪な妄想を重ねるのは楽しい。
雪原を吹く風は、ピリッと、
ピアーだった青年時代を思い出してくれたのに。
今はだらしかく、泥んこの残雪となり、
家陰や谷に残る。
 
光と影。
夢を思うには弱すぎて、
所々見え隠れする死のかげ。
何となつかしい不安定さよ。
 
もうしばらくこの居心地の良いこの席で
身勝手な妄想にふけっていよう。
そして、病む友の見舞いにでも行こうか。
 
          Feb.16th/'98
            Mamoru Muto
 
 
 
 
54
 
変な春
 
「あらっ、空は真っ黄色!きれいおますな。
暑いと思ったら、何やら赤い色した風も吹いてきおった。」
 
家の外からの声に目が覚めた。
からだは重戦車のように重く、
半死状態の脳味噌は
世の末期症状もここまできたか、
などと考えている。
 
「雨ばっかしで、カラット晴れた日はなくて、なかなかフアフア気分になれまへんな。
お偉いさん、失政ばっかしなはるから天帝はん怒りなはったとちがいまっか。」
 
寝苦しさに汗までかいている。
変な春。
まだ四月なのにもう夏の陽気、
そして、変な関西弁。
 
「外国の神様の子供はん、熱だしなはって、海水で冷しおったら、海の温度上って、えらいたいへんやと聞くし、この辺じゃ、火炎山からの赤い風吹きなはるし、黄龍はん、吐く息で空を真っ黄色にしてしもうた。」
 
押せ押せの春。
桜と一緒に若葉となり、あっという間に青葉となり、
もう初夏を通り越して夏の緑。
 
おじさん、時代の変化が早いから、天の帝さんもサービスで、
季節を早回ししているのじゃありませんか。
 
「そうかもしれまへんな。天帝はんも呆れて、悪乗りしているかもしれまへんな。」
 
やっと目覚めた体を起こし、外に出ると、誰も居ない。
大きな杉の木が聳え立ち、空は黄色に輝いていた。
一陣の赤い筋がやって来て、木の周りを大きく回転して、
枝をザワザワと揺らして、去っていった。
 
              '98 10th May  Mamoru Muto
 
 
 
 
 
55
 
雨の日はミントを一杯摘んで
 
しとしと雨の降る日には
ハーブの風呂を沸かしましょう。
庭にはミントが大きな葉を広げています。
 
強い香りはペパーミントにスペアミント
軽い香りはレモンミントにパイナップルミント
もう、心は高原のバカンス気分。
 
長雨でべとべとする日には
部屋中にお花を飾りましょう。
そうそう、ミントも忘れてはなりません。
 
ダンディーな香りはクールミントにオーデコロンミント
可愛い香りはキャッツミントにゼラニゥムミント
あらあら、心は映画のヒーロー、ヒロイン気分。
 
むしむし食欲進まぬ日には
野菜をいっぱい食べましょう。
新鮮なミントは絶対必需品。
 
軟らかい香りはヒソップにアップルミント
ピリッと辛い香りはカレープラントにナスタチューム
ほらほら元気がモリモリ出てきます。
 
じとじと思いが溜まる日には
風鈴を下げ窓を開け放しましょう。
そして、ミントのお茶に致しましょう。
 
恋人の香りはレモンバームにキャットニップ
愛の香りはペニーロアイアルにマウンテンミント
そう、二人の心は花苑そのの夢の中。
 
             '98 June Mamoru Muto
 
 注・全部僕の庭にあるものです。カレープラント・ナスタチュームはミント(和名 はっか)の種類ではありませんが辛さがほしかったので入れました。ナスタチュームは和名きんれんかですが、花を楽しむとともにはっぱはビリッと辛くサラダなどの薬味に使います。
 
 
 
 
 
 
56
 
裏方
 
表があり裏がある
 
水俣病の自主交渉の座り込みのころ
渡辺京二さんと言う人が
みんな裏方に徹しなさいと言った。
それ以来僕は裏方の居心地良さを見に付けてしまったらしい。
僕がステージの上で踊らなければいけないのに
人の舞台の裏方を演じてしまっている。
 
踊る人より側で見ている方が良く見え
足らぬものを一つ二つ手助けすればいい
 
              '98 5 June
 
 
 
 
 
57
 
雛芥子ひなけし
 
梅雨前の初夏の川辺りに揺れるひなげし
 
19世紀末のある日曜日の
セーヌの川辺の風景画。
点描写された花々や草木の中に
僕は風に揺る真っ赤なひなげしも見た。
 
野球やサッカーの歓声や
恋人達がじゃれ合う
20世紀末の健康な多摩川辺りにも
僕は可憐に咲くひなげしも発見した。
 
突然、僕は軽い暈を覚えた。
視界は暗くなり、
風景は陰画に変った。
しかし、ひなげしは赤い色のまま
遠い記憶の風景が蘇る。
 
野辺へ向かう葬送の
列から見える風景の
木々は大きく歪み
草葉は泪に重く沈んでいた。
だだ、ひなげしだけが
軽やかに風に揺ていた。
 
その時から、
この花の色は
マティスの赤よりも
赤バラより赤く、
ノルディーの色彩よりも
彼岸花よりも澄んだ、
この世で最も
美しい赤となった。
 
      20th June '98 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
58
 
流されて
 
窓辺の風鈴がチンチンと音を立てています。
そよ風が草木をゆらしております。
 
みずに流れる枯葉のように
流れ流されここまでやって
まだ沈まず流れております。
 
糸が切れそうな嵐もありました。
凍りつく冬の日もありました。
 
大河に浮かぶ木の葉のように
流れ流され今日までやって
まだ沈まず流れております。
 
死んだ猫を濡らす時雨れの日もありました。
炎天のベットの上で寝る日々もありました。
 
よどむ沼に沈みかけた木の葉のように
流れ流され今日までやって
まだ沈まず流れております。
 
             1998
 
 
 
 
 
59
 
余生の後
 
困った困ったああ困った。
だって
こんなに長生きするとは想定していなかった。
 
余生で絵を描きはじめ
老後のひまつぶしに新聞を始めたのに
なかなかお迎えがこない。
 
ああ困った困った。
三十路一杯でこの世とおそらばと
二十二の年に予定をたてたのだけど
 
仙人の修業を始め
もうとっくに天界に籍を入手し
雲の間を飛び回っているはずなのに
 
どうしようどう
老後の老後を考えなけていけないなって
ああどうしよう
御隠居の御隠居を如何に生きるべき
ああどうしよう。
 
            1998
 
 
 
 
 
60
 
雲に乗って
 
時に雲に乗り空を飛びたい
故郷を捨て、親を捨て
友を捨て、僕は空を飛ぶ
 
風に揺れる稲穂の海を
トンボとなって、
僕は左右前後上下へ飛び
大きく舞い上がる
 
ああ、絶対自由の、絶対彼方へ
欺瞞のない無垢な私への飛行
 
       Mamoru Muto '98 Aug. 24th
 
現実は俗世のしがらみの中でしか生きられませんが、
そうであれあるほど空想の中の仙人のように
大気のなかを飛行してみたい。
フリップ・モーリッツの銅版画に
トンボにのって空を飛ぶ騎士(ドンキ・ホーテ?)と
お姫様の絵があり、
僕も何時かこんな世界で遊びたいと思い続けてきた。
 
 
 
 
 
 
61
 
前へ
 
今日は半歩前に進んだか。
僕は水に浮かぶ木の葉のような身だけど
自分の足でちょっと前に進んだろか。
 
波間に浮かぶ芥や流木のごとく
俗世のしがらみに流れ流され
何時沈むとも知れぬこの身なれど
ちょっと自分の力で進んだろか。
 
過去の間違いを悔やみ
今日はただただうろうろするばかり
明日へと流れる時間に逆らうことなど
とてもできっこないのだけど
でも、ちょっと夢のために働けただろか。
 
夏の日に饒舌にはびこる緑も
秋空の深まる頃には赤や黄に染まり
北風に揺れる枯葉になるけれど。
最後の最後になっても
枯葉としての美しい飛び方を考えている
僕でありたい。のだが。
 
      5th Spt. '98 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
62
 
子供
 
いいなあ、いいなあ、いいなあ。
保育園児や、幼稚園や、小学生の子供たちを見ていると羨ましくなる。
だって彼らは、素直に生き、素直に表現できるから。
駄々をこねるのも、甘えるのも、喧嘩をするのも何もかも
自分に素直に表現しているから。
 
僕だって記憶が在るから知っている。
甘えていいときにしか甘えなかったし、
泣いてはいけないときに泣いても、
泣いてはいけない事だとは知っていた。
子供だって、何時も最大限廻りを気にしながら表現していることを。
 
でも、僕は
 
                 1998
 
 
 
 
 
63
 
延命1
 
皆さん、長生きしましょうね。
スイフトは、ガリバー旅行記の中で
不死族のボケ老人達を徹底的に皮肉っている。
彼は世の矛盾を批判出来る健全なる理性、
その著書の中で高らかに宣言した。
でも、僕はボケでも生きているだけで素晴らしいと。
そう思えてならない。
 
遺伝子の分子構造がイギリスで解明されて半世紀、
クローンが現実となり、理論的には不老不死は可能となった。
近未来の在る時期、クローン技術で生み出された臓器移植が可能となり、
脳細胞の点移植によりボケずに死なないことになるかも知れない。
秦の始皇帝が憧がれた。不老不死が現実のものとなりつつある。
 
                    1998
 
 
 
 
64
 
延命2
 
死にしたか。
記憶のそこから聞こえるこの言葉、
水俣実地交渉の時石牟礼美智子はこういった。
洪水のように流れる人、人、人。
内に潜む小さな感傷など無慈悲に無視して進む時間。
明日は何時も真暗
でも長生きしたいから
夢を作る
 
今日寝起きに
死んだ夢を見た。
 
                    1998
 
 
 
 
 
65
 
1999
 
あれやこれや考え夢見てきた。
目先の現実の中で何時も忘れていた。
1999、20世紀最後の年。
 
優しさを憎む僕がいて、
優しさでで動いてしまう僕がいる。
人に助けを求める僕がいて、
人に尊敬され逃げ出す僕がいる。
1999.20世紀最後の年。
 
        1998
 
 
 
 
66
 
闇を探して
 
誰だったろうか。
近代の哲学者で
「もっと光を」と言って死んでいった奴が居る。
 
現代人は彼の言葉を真に受け
夜を真昼間のように照らし始めた。
驚いたのは闇夜に生きる
妖精や妖怪や狐や狸達。
あるものは強い光で姿は消え、
あるものは地中深くに住み処を変えた。
 
近代絵画は全能の神の光の国の中に
闇の発見から始まったと言うのに、
科学者達はその闇を明るい電球で照らし消すことが
自分たちの仕事だと勘違いした。
 
今は世紀末。
中世人は神の全能を信じたように
今は科学が全てを解明すると信じている。
しかし、人々の魂は
日夜働かされ続け疲労困憊してしまった。
 
ああ、今こそ世紀末。
そう、休息を求める心は
闇を求めたが見つけられず、
つくりものの安易な闇で眠る。
 
1999年、
本当の闇を失った人々は
本当の安らぎを見つけられず、
炎天のミミズのように
干からび、狂い始めた。
 
さあ、本当の闇を探しにゆこう。
昼と夜に分かれてから幾十億年、
この世の半分を支配せし処。
昼の魂が休み、夜の魂が遊ぶところ。
そして、不可思議な友達が住む国。
 
さあ、真の闇を探しにゆこう。
そここそ、傷ついた心を癒せる場所、
そここそ、僕等が心置きなく遊べる場所。
 
        1998 31th/December Mamoru
 
 
 
 
 
 

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──── 詩6・1999 (67~75) ────
 
67
 
小春日和に芒を剥むく
 
行止りの山路の
日向に腰をおろし
刈ってきた芒の皮を剥むく。
バリバリ、ツルンと
つやつやしたきれいな肌が現れ、
ついつい癖になった。
 
心地よい微風。
枯れ葉が舞い、
枯れ草は楽しげに揺れ、
芒の白がうつくしく光る。
 
下だる斜面と昇る斜面。
この茶色の小宇宙の向こうは
薄紫、紺、薄紺の山々が続き
空の果てでくっきりした線を引く。
 
ここは春。
日向に腰をおろし
刈ってきた芒の皮を剥むく。
日当たりだけが温かい
この時刻だけの小さな春。
 
山また山、
そして、青空。
 
癖になった手は
もう、止まらない。
 
        2thJan.1999 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
68
 
春色の風
 
 
南風が雲をわきあげやって来る。
木々も喜びのダンスを踊り、
窓ガラスもガタガタと拍子を合した。
降りしきる雪に
幾重もの外套を着て
まだ、小さく身を縮める木の芽たち。
今年の春色の風は桜の甘い香りがする。
波打つ丘の向こうは、
若草が広がり、菜の花が咲き
桃の花弁はなびらが埋め尽くす桃源郷のはずだと
僕は幻想の虜になってしまった。
戻り寒の寒さに
死んだ友の顔がよぎる。
僕はまるくこたつの猫になる。
春色の光は目を開けておれないほどまぶしく
そして、遠い記憶の光と重なる。
青春の都会の公園の
つつじ咲き乱れる散歩路の
連れ立って歩くあなたと僕。
あなたは僕の前を歩き、
長い黒髪がサラサラと肩や背中を流れ、
あなたの清潔な甘い匂いが漂う。
ああ、なんとまぶしい光の季節。
ふと湧いた記憶の断片に戻れそうな
不思議な気分。
この寒さは続かない。
もう、耐える季節も
限りが見えた。
春色の風は
砂を巻き上げ木々を鳴らし、
高らかに柔らかい光の季節の到来を告げる。
今年はどんな恋が待ち受けているのだろか、
今年はどんな夢がかけ巡るだろか。
もう、待つ心は踊り始めている。
 
               '99/2/28
                   Mamoru.Muto
 
 
 
 
69
 
大いなる愚直
 
春の雨はしっとり
若葉を濡らし
枝を濡らし
幹を濡らし
地面を濡らし
根を濡らす。
 
丘の上では
桜の花びらの勲章をつけた
ピエロが踊る。
 
やってきた春。
幸せもの達の季節。
愚直に芽吹き花開くもの達
 
 
 
 
 
 
70
 
春-メランコリー
 
花吹雪とともに芽吹くや
見る見る野や山々は
緑の衣で覆い尽くされた。
 
でも、何かちょっと
昨年までとは違った
気がする、気がしない。
 
今年もやってきた
美しい青葉の季節。
生きとし生きるものが
青春に戻る時。
 
僕の心に来た春はちょっと、
何かが変質し始めような、
変わらぬような。
 
メランコリー。
 
今年は家に閉じ込もり動かない。
 
何かが変わり始めたか、変わらぬか。
 
雲の中、フラフラフラフラ、
メランコリー。
 
新しい私に変わり始めたような、
ないような。
 
でも、そんなに悪い気がしないメランコリー。
 
           '99 5/4 M.Muto
 
 
 
 
71
 
貴人
 
バーゲンで買った靴を履き
友達からもらった服着ていても
心はいつも王侯貴族。
 
幾千の卵子と幾兆の精子の死の上に
生まれた君は奇跡の人。
事故や病気の戦場を切り抜けてきた
君はこのうえない幸福者。
と、
風が僕に枯れ葉の勲章をおいていった。
それ時から、僕は貴族になった。
 
この世は何と多くの奇跡の上にあるのだろか。
この世は何と多くの幸福者の楽園だろか。
 
死んでいった無数の思い、
偶然に生き残った二つ三つの思い。
偶然が必然となり形あるものとして生まれる。
だから
僕はその二つ三つを飾り立てることに決めた。
馬鹿馬鹿しほど賑々にぎにぎしく、
馬鹿くさいほど派手に。
 
風にもらった木の葉の勲章をもらった日から
僕は貴人になった。
 
この世は幸福者だけの集まり。
この世は奇跡的に残ったものばかり。
 
             Mamoru Muto '99/7/16
 
 
 
 
 
 
72
 
愛ではなく
 
愛ではなくて優しさが
何とはなしに人と人をつなきあわせ
別れられないほどに絡みつくと
「腐れ縁」と人は罵る
 
単なる暇潰しが
何となしに長く続き
人がいいと言うと趣味といい
もっとたくさんいいと言うと芸術という
 
             '99/9
 
 
 
 
73
 
明日を見て
 
うだる残暑に秋風が吹き
虫たちの共演がうるさい程に鳴き始め
やっと少し脳味噌が回転し始めた。
 
いつも寝起きは絶望の淵を一巡りして、
死の陰との混在から始まる。
今朝きょうは、早く死んだ父の陰が過よぎった。
なんと久々の彼の登場だろか。
 
急に
僕はだらだらしていてはいけない。
という意識が浮かぶ。
死の淵からの脱出である。
 
死の淵と日常の惰性との間を
ゆっくり時間をかけ目覚めることは
自分のうちを確かめるような気がして
低血圧の特権として楽しい。
 
明日は何が起こるか分からない。
 
明るい未来と人は言うけど、
あまり信じ込まないことにしたのは、
ちょっと歳を重ねた知恵。
 
明日は何起こるか分からない。
未来はきっと何もない。
僕には、毎朝の死の時間のように真暗がちょうどいい。
そして、意識の回復にしたがって生まれる力だけを
素直に 信じること。
 
秋虫と共に少し回復した脳味噌。
淡いけど自分の命の絵の具で描くこと。
闇夜の蛍火のように。
 
そう、淡けど自分の光を信じること。
強い心と、強い意志を持って。
 
           1999/9/9 Mamoru Muto
 
 
 
74
 
寒くなると
 
寒くなると火が恋しくなる。
囲炉裏火に土鍋をかけ、
台所にある残り物の大根やらねぎら
ザクザクきってほおりこみ、
鳥肉や魚などあればなおさらいい。
 
古い友達が遊びに来て、
湯呑みに燗した酒をなみなみとつぎ、
古い話やに盛り上がり、
古い友の消息を訪ねるなどがいい。
 
鰹と昆布出し汁に豆腐をいれ
葱を細長く切りこれもいれ
お酒も少し多めにコップでいれ
最後にどじょうを入れサッと蓋をする。
小さい頃雪を割ってどじょうをとった、
などと話ながら食べるのもいい。
 
体がほっ照ってきたら、窓を開け
草が紅葉して黄色に広がるのがいい。
アリアか古い受難曲に聞き入るのもいい。
また、ブルースもいい。
 
だから秋になって寒くなるのがいい。
 
 
 
 
 
75
 
秋雲
 
時には羊雲のごとく
空にぷかぷか浮きましょか。
地上は何かとせわしくて
ゴキブリのように動くのはやめましょう。
今日は気の向くまま風の向くまま
ぷかぷか、お空の散歩。
 
時にはすじ雲となって。
空高く飛びましょか。
今日明日のことなど皆忘れ、
悠久の時に遊びましょか。
 
夜になり、出てきた大きな月のした。
雲になったあなたと私のランデブー。
隠れていた草木の精達も
現れ踊っております。
黄金に反射する河や海。
雲になったあなたと私の
夜空の散歩。
 
 
 
 
 
 

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──── 詩7・2000 (76~82) ────
 
76
 
夜・・・想いで
 
 星夜の真夜中過ぎ、闇に慣れた目に山の端と空を分ける線はくっきりと美くしい。その下にこんもりした丘や森や河や田圃や畑や道や藪などが微かな闇の濃淡として感じられる。
 昼は「高校生を演じる役者の僕」の時間であり、人々が寝静まり人々が起きてくるまでのこの時間こそ僕が心から何の障害もなく外界とコミュニケートできる時。
二日に一度の真夜中の散歩、そして遠い日の懐かしい想いで。
 
その時知った。
この夜に真の暗闇など無いことを。
厚い雲がかかってもいなければ、道を踏み外すほどの漆黒はないと。
「闇」とはひとが造り出す心の闇が大多数だと。
 
僕の夜の散歩はその後も続いた。
 くねくねと曲がる農村の道、しかも絶妙に配置された鎮守や道祖神とその回りの風景と有機的に一体化し、生き物のように曲がる。
それらに直線的に侵略してきた新興住宅地の道。
そして所々に見える鉄塔の赤い点滅。
都会近郊のこの風景も遠い懐かしい想いで、そして懐かしい青春。
 
真夜中の散歩こそ僕の青春の半分だった。
 ゴー、グーウウウウゴー、ゴーー、と深夜便のトラックが走る国道 誰もいない国道をひたすら歩く、土煙を上げたる広い広いゴミの埋立地の荒野にでた。
汚い海を隔て見える高層ビル群、その上にまた見える赤い点滅。
都会の昼の世界は茨の刺、雑然と不調和は青春そのもの。
このゴミ世界こそ化粧を落とした都会そのものの真の姿。
そこに青春の雑然と混乱が重なり、ここが僕のいやしの場所となった。
 しかし、その地下三十メートルには飲めるほどの泉が湧き、ゴミの島の上には白いちぃさな花が咲く。
その花に僕の微かな希望を重ねていた。
ずいぶん遠くなってしまった想いで。
思い出すこともたまになってしまった青春の夜の想いで。
 
                2000 1/23 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
77
 
海の見えるレストランの窓辺に腰を下ろし
 
キラキラ光る波の
行き交う水上バスや艀はしけやプレジャーボートや
光る波面に大きな白い線がまた一つ、また一つ
 
毛糸の帽子を脱ぎ、オーバーを脱ぎ、マフラーも、セーターも、
Tシャツにならなければ暑くて紅茶はすすれない。
ここは春を通り越し初夏の別世界。
 
ポッカリ開いた昼休みの
プラプラするには寒い北風の
飛び込んだレストランの窓辺は別世界
キラキラキラキラ別世界。
 
白い風が砂を巻き上げ空の青を薄める。
遠くに大型ジェットがゆっくり旋回し、
その下を鳥達が負けじと更に大きな輪を描いた。
 
ああもう春が近い。
こぶしが咲き、桜がさき、たんぽぽも見え、
湿度を含んだ柔らかい光が何もかも包み込む春。
 
終ってみればいつもただの春なのに決まっているのに
今は、ついつい夢見てしまいそうな、
初うぶに恋の夢を描いて頃に戻れそうな。
 
キラキラ、キラキラ、固い波の反射と
明るい日差しを感じ目を閉じた。
 
             2000/2/25 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
78
 
はる・あめ
 
大気庁長官声明
「五月一日現在関東以西では青葉の成長が例年通り、
思い切り呼吸 をしてください。
関東以北ではもうしばらく、呼吸時には小々遠慮
して呼吸してください。」
 
 
はるのあめはやさしく、なにもなにもつつみこむ。
 
花吹雪もおわり、葉桜になった染井吉野の
まだ残っている色あせたピンクのかたまりを
細い素麺すだれのような雨が濡らし、
そして、煙る遠くの屋根や野や山。
過剰な桜花の後にやってくる本当の春。
いっせいに芽吹きはじめた草木を
やわらかくつつみこむ靄。
 
美しい季節がようやく始まった。
 
バシャバシャと屋根や軒をうち、
ささくれたった心もしっとりと濡れる。
冷えておいしい空気を
胸いっぱい吸えるこの幸せ。
この嬉しさをだれにおくろうか。
 
              '00/4 mamoru
 
 
 
 
79
 
予知
 
ある朝、なかなかはっきりしない意識のなか今日の予定はなどと考えていると、
 ああ、そう今日の午後あいつに会うため阿佐ヶ谷の駅の改札に立っているときれいな女が僕の前を通り彼女に目を奪われていると、ドンと男がぶつかってきた。「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」男はちょつとよろけて足早に去って行く。男の行く手のの向こうはの並木に雨がザーザー美しい。傘が足早に動いている。
 
あれ、どうしてこんなことが鮮明にうかぶのだろか。
不思議はその日の午後だった。全く同じことが起こったのである。
 
 そして、それはたまに起こり、時々となり、自分が思った時に未来が見えるようになってしまった。最近ではちょっと油断する
 
と、本意を無視し未来の光景が見えてしまうのである。
 
 超能力とうらやましく思う人もいるかも知れないが、これは、僕にとっての地獄の始まりであった。
 
  というのは僕は僕を演じるロボット、100%確定の未来は確定された未来を演技する人形になってしまったことを意味したからである。
 
ある朝僕は超能力者になった。そして僕は僕ではなく、僕を演じる人形になった。
 
 
しかし、世の中そう捨てたもんじゃないね。何処にでも神様はおる。
そのなのよ。そのなのよ。僕は記憶が、弱くなったのよ。
昨日何をしたのかあまり覚えていれなくなった。
 
そこで僕は、暇なとき弱くなった過去を空想で埋める楽しみを覚えたのだった。
 
明日の夜素敵な女性が寄ってきてこんな話をする。
「この前は助けていただいて有り難うございました。」
僕は何にも覚えていない。軽く笑い「どういたしまして」と答えた。
 
  僕が彼女どう助けたというのだろか。雨が降って傘で家まで追っていたのだろか。いやいや暴漢に襲われていたのを助けたのだろか。
 
  きっと、暗い夜道彼女の後ろから男がついて行く、おかしいと思った僕はその男の後をついていって捕まえ警察に突き出したのだ。
 
空想はとめどなく広がる。
 
                 2000/7/5 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
80
 
風化
 
春の若葉青葉は初々しく、
まるで幼稚園児や小学生のようにかわいい。
花は恋する男と女。
見渡す限りの花園で咲き乱れるさまは
生あるものの甘美さを伝えて限りない。
 
それとは反対の
いやそれ以上に、
死んで朽ち行くものたちに
美しさを感じるのは僕だけだろか。
 
倒木に苔がびっしりと覆い
所々に茸がみっつよっつ見え
ちよっと触るだけで崩れる様は
なんと素敵で美しいことか。
 
かって雄々しい大木が
美しい花を咲かせ、その下に多くの生き物を楽しませ
倒れても美しいのはゆうに及ばず
日陰のひょろっとした朽ち木に
小さな木の芽がちょこんと出ているなど
素敵に美しく見えて仕方ない。
 
のたうち回るほどの不幸の数々も
殺してしまいたいほどの憎悪も
一年たち五年たち十年たち
美しい思い出となってしまうように
風化とはなんと不思議な仕組みだるか。
 
2000年2001年
立ち枯れたもの達の上に
僕も小さな芽を植えつけよう。
 
            '00/9/18 Mamoru Muto
 
 
 
 
81
 
マイナー
 
時にはチョットマイナー気分がいい。
秋霖が一日中枯れ葉や色づいた木々を濡らし
近所の猫が遊びに来て座蒲団の上で寝ている。
チョット独りぼっちで活発になれないのがいい。
陰質が僕の心の性格。
暗い気分が全てのエネルギー源。
それが僕の故郷。
昨夜から降り始めた雨は午後になっても降り止まず、
救急車の警笛が遠くに消えて、又ひとつ大きくなり消えて行く。
薄暗い部屋に小さな明かりを点けた。
明日は人の雑踏の中に行かねばならない。
だから今日はめいっぱいマイナーで行こう。
 
            Mamoru muto 10 Dec.'00
 
 
 
 
82
 
むしくいはっぱ
 
 
 

                                                                                             
                                                  はは
                                              は葉    はは
                                            は      よ     ははは
                                          虫         う          葉
                                            虫       み     み よ    は
                                      虫    虫      ゃ    くゃ           は
                                    は  虫虫       よく よ                 は
                                    は    くよ       うう                     は
                              はは  は      う     み                     うよ  葉
                            葉    葉は       みゃ  ゃ               うよくゃみ    は
                          は                   く く            うよくゃみ          は
                          は                    よよ       うよくゃみ                は
                          は                    うう   よくゃみ                       は
                        葉                      みみ  う                          う 虫 
                        葉   ようみゃく          ゃゃ ゃみ  し                うよくゃみ虫  
                        は      ようみゃくよ   くくく  む  むし         うよくゃみ   虫    
                        は       うみゃく   よよ   し      む    よくゃみ     虫  虫虫
                          葉              よう うう   むし    し   ゃみ       虫虫    は
                            葉葉は            みみ      む      むく                  葉
                                は           ゃゃ         むしむ                      は
                              葉葉           くく   ゃみうよくゃみうよ                  は
                              は            よよ  よく             虫虫虫            葉
                              は            ううゃみう        虫虫虫虫虫  虫         葉
                              は葉         みみ          虫虫虫虫虫虫    虫      はは
           え                   葉        ゃゃ             虫虫           虫は葉は
           枝だ枝               葉        よよ                虫虫         
               枝え             は葉葉    うう                  虫虫虫   
                 だ枝               葉   みみみ                は葉虫
                   枝え             葉葉ゃゃゃ         は葉は葉は
                     枝だ               くくく 葉葉葉はは
                       え枝             よよよ
                         だえだ         ううう
                             枝枝      みみみ
                                 えだ枝
                                     枝枝えだ         
                                           え枝枝       	Manoru muto 18 Dec '00

 
 
 
 

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──── 詩8・2001 (83~89) ────
 
83
 
ゆっくり
 
ゆっくり、ゆっくり行きましょう。
何にもあわてることなどまったくない。
道草をしながら自分の速度で行きましょう。
この世の中はいつも騒がしく、
物の怪に取り付かれたようにますます早まるばかり。
でもね、中身は何んにも変っていない。
明日戦争が始まるわけじゃないし、猫が空飛ぶわけではないし。
コンピューターがのさばりはじめた昨今、
感情を失った機械人間になったらおしまい。
人間は古いにしえの人々となんにも変っていない。
春が来て、花が咲き、雨が降りとき
蝶と遊び、風と共に歌い、雲と戯れることで
人が人となることが出来る。
ゆっくり生きましょう。
何も急ぐことはない。
競争という尺度から離れましょう。
上には限りなく上があり、下も限りなくしたがある。
そんなものに心を奪われ、心をすり減らすのは馬鹿々々しい。
僕は僕、なあんにも変らない。
 
               2001 10 Jan Mamoru Muto
 
 
 
 
 
84
 
青葉の春はいい
 
春はいい
青葉の頃は特にいい
木々の葉や草たちの放つ
健康的な空気に
病み始めた僕の心も
癒えそうな気持ちになってきた
 
生きると言うことは毒を吐くこと
人間の社会は毒の生産工場
もたれあわなければ生きられぬ宿命が
また多くの毒を発酵させる
 
何と心良い風だろか
欅や楢の木が黄緑の若葉を広げ
きらきらと輝き風に揺れる
その下に蒲公英が可愛らしく花を咲かせる
 
世の中の毒気に身を固くしていた私は
春になり心が緩むと同時に
バランスを崩しメランコリーに陥っていた
陽気良さとは逆に心は沈んでいた
 
ああ、なんと若く健康的なものたちよ
ああ、なんと美しいエネルギーよ
あなたたちから貰った力で
僕はやっと前に進むことができるかも知れない
 
丘から見下ろす村々は
緑の森に囲まれて美しく
その下に谷川の深い茂みと下り
更に対岸の大地へと上り
遠くの山々から空へと続く
 
なんと素敵な眺め
素敵な空気
なんと素敵な季節
 
          Mamoru Muto 2001 April 22
 
 
 
 
 
 
85
 
もうちょこっと勇気を出して
 
 
闘いましょう
今日が素敵な日であるために
闘いましょう
明日がもうちょっといい日になるために
闘いましょう
過去が価値あった日々だと認めるために
 
人を愛せなくなったらおしまい
草や野の花を可愛いと思えなくなっら終わり
この世は美しいもの愛すべきもの
 
ちょっとばっかしの勇気を
ほんのちょっとの努力で
この世は美しい花園に変わる
 
きっと
 
        Mamoru Muto 2001 April 24
 
春になると心が不安定になります。今年のように気温の変化が激しいと特にそうです。
体調の不安定が気持ちが移り気で困ってしまいます。桜の花の頃が一番変だった。
そんなときはこんな詩をお経のように唱えながらじっとしているほかありません。
新緑の季節になった今でも少しは良くなったけど同じです。春は仕方ありません。
 
 
 
 
 
 
86
 
時にはゼロになりたくて
 
時にゼロになりたくて
空飛ぶ雲のごとくになりたくて
何もかも捨て赤子になりたくて
 
なあんにもない僕
なあんにもなくなってしまった僕
なんと素敵なことだろう
なんとすばらしいことだろか
 
        Mamoru Muto June 2001
 
 
 
87
 
雨はいい
 
僕は何故こんなに雨が好きなのだろう
パサパサの心においしい清水が染み込むように
チリヂリバラバラ空を飛んでいた思い出が
しっとりと生きを吹き返し夢と重なる
 
          Mamoru Muto June 2001
 
 
 
 
 
88
 
友達
 
ああ困った奴だ
ここさえもうちょっと直せばいい奴だが
なかなかすべて〇とう人はいない。
ああ仕方ない、仕方ない
困った処があるから友達なのだから。
 
           Mamoru Muto June 2001
 
 
 
 
 
89
 
ただ今、ぐうたら中
 
朝五時に起きおしっこをしてまた寝る。
電話がなり、受話器を取ろうとするが体は動かない。
そのうち音は止み、また眠る。
 
「ムトウさん、ムトウさん」
また、「ム~ト~ウさん、ムトウさん居ませんか!」
また、また、「ムトウさん、宅急便です。」
としつこい。
渋々起き、サインをし、また寝た。
 
時にぐうたらは楽しい。
 
次に目が覚めたのは、
時計の針が12時指すちょっと前。
まだ眠り足らないが、空腹には耐え切れない。
 
窓から差し込む木漏れ日が畳に揺れている。
外は秋晴らしく、ぐうたら日より。
茶漬けがおいしい。
 
今日もぐうたら、
明日もぐうたら。
今週も来週も、
疲れるまでぐうたら。
 
腹がくちくなつたら、幸せいっぱい胸一杯。
さあ~て、また夜まで一眠り。
 
寝ても一生。起きても一生。
ガツガツ、イライラ、せわしく年とるのも一生。
でも、時にはぐうたら、のぉぅびり人生は、
なんと素敵なことでしょう。
 
           10 oct.2001    Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 

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──── 詩9・2002 (90~102) ────
90
 
 雲
 
雲に乗って旅に出よう 
     夢の国へ
   遠く銀河の果てまでも 
 
 
91
 
50歳
 
僕にもっと勇気を与えたまえ。
止どまってはいけない。
ちょっとでも前へちっとでも未知の世界に
 
この大宇宙の、
この満天の星々の、
大いなるものよ
僕を新しき世界に誘っておくれ
 
生まれて50年
若い頃、40以上生きるとは思っていなかった。
27歳の時、僕は一度死んだ
こんなに生きるとは誰に感謝したらいいのだろか。
ありがとう父や母
ありがとう多くの友達
ありがとうこの世に生きるすべのもの達
 
冬の夜空に輝く無数の星々。
この地上とこの大宇宙の
大いなるものたちよ
僕に力を与えたまえ。
 
僕の命がつきるその時まで
前に進む勇気を。
 
            19th jan 2002 Mamoru Muto
 
 
 
 
92
 
前へ
 
休みなく進む時の流れ
明日が見えぬは幸いである。
もし明日が昨日のように見渡せるとしたら
それは地獄に等しい。
明日への希望と不安は
コインの表と裏の関係にある。
 
前へ前へ
波のある海では
舟は舟首を波に向ける。
前に向かおうとする心が今を支え
明日絵の不安を希望に変える。
 
光り輝き陰のない時代など
一度も無かった。
陰にひそむの不安や恐怖が、
いつも心の隙をねらっている。
 
前へ前へ
独楽は回転して始めて安定する
何も勢いよく廻ることはない、
元気な時だけ元気に回れば良く、
廻れば倒れない。
 
2002年、21世紀的恐怖の渦巻く時。
ハイテクがかってない規模の破壊を生み出し、
氾濫する情報が人と人の絆を切り刻む。
でも、僕らが前を見ることを忘れなければ、
最悪の事態は避けるはず。
その小さな力の集積がきっと、
よりよき未来へと導いてくれるはず。
 
鳶は風に向かって飛ぶ
それが、一番力の使わぬ飛び方
それが、理にかなった最良の方法。
 
前へ前へ
気持ちはいつも前へ
その気持ちが今日を支え、
自然な明日を作る。
 
          2002 18Feb Mamoru Muto
 
 
 
 
93
 
春爛漫  ①
 
 
レストランの日変わりメニューのように
変わる天気
からからに干からびた空気にかわり
三日おきに降る雨は
一雨ごとにぬくみを増し
濡れるのが楽しい程までなってきた。
 
 
山あいの谷間には
真っ白い大きな布団のような雲が
ゆったりと横たえ、
水墨画の風景は
もう彩色された狩野派の絵に
急速に変わりつつある。
 
 
春爛漫
水仙が咲き、辛夷が白い花を付け、
桜と桃と山つつじがいっしょにやってきた。
そしてすぐ菜の花と待ちに待った若葉が山々を覆う。
 
 
激しく揺れる人の世
衰えてゆくこの体
僕にはもうついてゆけそうもない事がまたひとつ増え、
テレビのゴールデンタイムを賑わす。
 
 
はらはらと風に舞う桜ばな
高い梢で鳴く小鳥達
伸ばした足にとまる蜂
なんと愛らしいものたち
なんと美しい世界。
 
 
ふと
僕も人間の世界を離れ
彼らと同じ世界の住人なりたくかった。
 
 
花の精たちよ、
低くたれこめた雲よ、
君達の住む永劫の世界に僕を誘っておくれ。
 
 
春爛漫!
やわらかい風と明るい光。
融けそうな僕。
 
           7th april Mamoru Muto
 
 
 
 
94
 
春爛漫 ②
 
 
朝日に向かって仕事に行き
夕日に向かって家に帰る
雨の日は泥んこになり
風の日は土埃にまみれる。
 
 
春は爛漫
小鳥の囀りを聞きながら
弁当を広げ
桜の花吹雪の中で
お茶を飲む。
 
 
2002年の4月は
懐かしい土の薫りのする
久し振りの土木の仕事。
 
 
ここはまだ木々が残る
都会の外れの高台
農地の区画整理工事
眼下には果てしなく広がる
家とビルデングの大海原。
 
 
取り残った大根は
直径30cmと巨大化し
「これでもまだまだ食える」と
初老の百姓が笑う。
 
 
幼稚園の子供達が
芽吹き始めた林の中から現れ
梨の白い花々の向こう際を
さえずりながら通り
また林の中に消えた。
 
 
春は爛漫
土塊と戯れるように仕事をし
夕日に向かって家に帰る。
 
 
       7th april Mamoru Muto
 
 
 
 
95
 
ゆっくり
 
困難なときはゆっくりと
楽しいときもゆっくりと
どちらももう二度と繰り返さない
貴重な時だから。
 
困ったときはとかく余裕が無くなり
追い詰められて結論を出さざるを得ない。
でも、そんな時ほど許される限ぎりゆっくりと
物事を決めるのがいい。
 
とかく追いつめられた結論は
更に窮地に陥る悪循環を招くことが多い。
結論が出たら考えない、
余裕が出来た時考え直せばいい。
 
楽しいときは、その幸を
体の隅々の細胞まで感じましょう。
人は無感動や苦しみのため生きているのではない。
心が踊り夢が膨らむから生きている。
その楽しみがあるから苦しいことも耐えられる。
新しい夢に向かって生きるために、
今の幸せを楽しみましょう。
 
            2002 3 May
 
 
 
 
96
 
目を開けて
 
目をもっと大きく開けましょう。
まずは身近なところから
一個一個、丁寧に
見ることから始めましょう。
 
慣れるということは
目に写ることすべてを
目ばかりではなく、耳も、鼻も、肌にあたる風の感触も
「当たり前のこと」と無自覚に受け入れ
「変わりはしない」という意識の慣性の力に
蹴け散らされ消えてしまうことです。
 
世界は同じということはけしてない。
子供は日々成長するし
桜は毎年同じ日に咲かない。
なのに、「同じ」と思い込むのは
安定を求めの人間の根深い欲望からきており、
故にはなはだ厄介な代物で、
なかなか変化を認めようとしない。
 
目をもっと大きく開けましょう。
いつも通る小路の陰に
まだ知らぬ抜け道が隠れているかもしない。
長年連れ添った連れ合いの
新たな才能を発見するかも知れない。
 
発見は心の活性化であり、
変化をさらにいいものに変える肥やしであり、
新たな夢の始まりである。
 
              2002 3 May
 
 
 
 
97
 
まんざら捨てたもんじゃない
 
突然、目の前に素敵な女性が現れたわけでもないのに
まんざらではないなどと思っている。
きっと僕は馬鹿なんだろ。
 
悪いことも二三あるけど、
それらが重なり、たいへんだというわけではなく
どちらかというと、平々凡々な昨日今日。
 
若い頃なら
「蛇の生殺し」とさぞかしイライラしたことだろが、
ここはちょっと大人になって
「あまり考え過ぎず」などと心の安全装置が働いている。
 
占いによればここ一二年は運気が弱いとのこと。
どうも最近僕が軽くなってしまったようで、
人の動きに僕が勝手に動かされていると言うか、
振り回されていると感じることが多々ある。
じたばたしても始まらない。
まあここは、これ以上悪くならないことを可よしとしようか。
 
春には蒲公英たんぽぽが咲き、綿の落下傘となって風に飛んでいったし、
雨の季節には、アジサイが青や紫の花を付け、
今、夏の日差しに茶色に干からびている。
今年もなんとかここまでやってきました。
 
この前、落として出てこないと思っていた財布が出てきたり、
昨日、たまたま通った神社の御神籤が大吉だったり、
細々だが、仕事が無くならずに済んでいる。
これはまんざら捨てたもんじない。
 
人生こんな時もある。
悪く考えてもなあんにも始まらない。
赤とんぼならず、極楽トンボになったほうが勝ち。
きっとこの大吉は大大吉の兆し、
秋には、新しい素敵な冒険の始まるはず。
 
 
そうすべて、いいことと思うことにしょう マル。
 
                   Mamoru Muto 2002/7
 
 
 
 
 
 
98
 
この世に無駄のものなど何もない
 
こんなことはやってはいけないことだろか。
こんな考えは間違いだろか。
と、悩むこともたくさんある。
 
しかし
僕はそう思ってやってきた。
こう思わなければやつてこれなかつた。
 
意味あるとか価値あるとかは
後なってから分かるもの。
すぐに「良い」と分かることも中にはあるが、
多くの事の良し悪しは、とても長い時間のかかるもの。
 
世の中になじめず悶々と過ごした若い頃、
病気で憂うつに過ごさざるを得なかった日々。
しかしそれらは、どこにでもある良いものではなく
「特別なも僕」が、「他人ではない僕」が育つための
大切な時間、貴重な体験の時間だった。
 
ここまで、とても長い時間がかかったが、
今、僕は、
この世に無駄なものなど何もない。
と信じることにした。
 
無駄としか感じられない多くの時間やことがらで
この世は埋め尽くされているけれど、
その中から、何かが生まれ、何かが育ちつつある。
 
季節が移り、新しい風が吹き、
野山の風景が変わった時、
外のあるものと内のものが共鳴して、
初めて僕は、新しい僕に気付く。
 
この世に無駄なものなど何もない。
 
次の新しい僕が育ち芽を出す時まで、
気長に待つことにしましょう。
 
              2002.8.18. Mamoru Muto
 
 
 
 
 
99
 
この世はワンダーランド
Mamoru Muto 11 nov. 2002
 
色つく木々のこずえから木の葉たちが、
「お疲れさま」「ご苦労きま」「また来春」と
お互いに声をかけあいながら
まるで天女のように
ゆらりゆらりと舞い降りる。
 
なんと気持ちよい秋の日差しでしょうか。
 
ススッススーと天道虫くんが
草の幹を登ってきたかと思うと、
「おす!」といって向きを変え
そそくさともと来た道を下り
草の茂みに消えた。
 
この世はワンダーランド、不思議の国。
 
きのう夕日に向かってUFOが飛んでいた。
「やい、あいさつぐらいしろ、宇宙人!」と
叫んだら、プッツンと消えてしまった。
 
科学でわかる宇宙は十分の一だけ。
ほかの九割は、第六感と想像力を研ぎ澄まし、
心で感じ取るほかない。
 
ミツバチが飛んできて
「いそがしいそがし、冬の準備でいそがしい」と
いいながら目の前かすめ飛んでいってしまった。
そして、また別の虫がやってくる。
 
この世はワンダーランド、不思議の王国。
 
 
 
 
 
100
 
大きくそして強く
 
ひとはやっぱり強い方がいい
地に深く広く根をはり
枝葉を天高く広げる大樹のように
人も心の根が強い人がいい。
 
「美」という漢字は広く大きいと書く
元々は外見や容姿がきれいという
意味ではないと僕は思もう。
 
この満天の星々のした
幾千万の植物や動物たちと
さらに幾億種の小さな生き物たちにかこまれ
ひとはほんの一種の生き物しかすぎない。
 
僕ら一人一人は、
さらに米粒ほど小さなものだけど
強く大きくなろとする
いのちの本質に素直に従うべきである。
 
そう、美しく
そう、広く大きく
生きるのがいい。
 
          Mamoru Muto 20 oct 2002
 
 
 
 
 
101
 
ぶつぶつぶつ
 
生木を燃やしているような
ブツブツブツと音がして
煙が曇天の心にたちこめる。
世界は僕を素通りしてグルグル回る。
まるでベットに縛り付けられ病人のように
僕は仕方なく唯眠るだけの
だだ時間を消費する生きた屍。
 
空想という心の部署が
うまく機能しなくなって久しく、
夢の続かぬ僕はなど
ただの木偶の棒、壊れた人形。
大きな生ごみ。
 
ブツブツブツと
酵母が発酵する音かと思ったら、
どうも生ごみが腐っている音らしい。
websideの占いは
みんな最悪の年回り。
左脳では分かっても右脳は全く納得していない。
 
曇天曇天、秋晴れでも心は曇天。
ちょつと差した陽射しのような思いつきも、
暇が有っても金が無い。
このとろの不景気で仕事も大曇り、
ちっぽけな夢もあと伸ばし、あと伸ばし
そのうち陰も形もなくなってしまった。
 
ブツブツブツ
また、ブツブツブツ。
ここまで来てしまったら居直って
腐りに腐つてやれ、
腐るものが無くなったら
音も臭いもしなくなるだろう。
えっ!
それはお前が死ぬときだって。
知るか。どうにでしろ。
 
ボキボキ、プッツ~ン。
あっ、何かが切れた。
 
        Mamoru Muto 24 oct 2002
 
 
 
 
 
102
 
新しい季節
 
そろそろ僕の新しい季節を切り開かなくてはなりません。
十年一昔と言いますが、僕はその位の単位で大きくライフスタイルを変え、変わることで僕はやる気と生きる気力を取り戻してきました。
もう、そろそろ変わってもいい時期なのですが、なかなかきっかけが見つかりません。
 
人間が変わるとは、内と外の条件が揃って初めて形として見えるものです。
十年という時間は、ひとつのことが手探りの状態から始まり、何か別なことが始まったと確信するまで二三年かかります。そして、自分がやりたいことが広がり、自分の技術の未熟さや経済的な不足など、なかなか納得できない時期が続きます。しかし、この時期が一番楽しいものです。その内やることがだんだん洗練されてゆき、また周りの人々も認めるようになってくると、あるピークを境に今度は、いつも同じことをやっているような気になってきます。そして、だんだん興味が薄れてくる、これが終盤です。最後は、すべきこと分からない暗黒の時期に入ります。今の僕は、その暗黒の時期なのだと思っています。
 
 こんなにコンパクトに整理出来きたのは、自分を意識し始めた、武藤という家族の囲いの中の僕ではなく社会の中の裸の僕を意識し始めた、高校生の頃からのさまざまな経験を整理して抽出する事が出来るからです。
 しかし、未来と言うのは常に過去の経験則通りには運びません。かってあった若さや、怨念(社会や自分の家族に対する不満)などはもうあまり感じられなくなってしまいました。その「不満」「糞ったれエネルギー」こそ、いままでの僕の行動を変えてきたエネギー源だったのですが。
 
 明日、コロッと死ぬことが出来ればいいのですが、そう簡単に殺してくれそうにはありません。恐らく僕は、まだ自分でも気づいていない新しい行動原理で動く時期に入ったのだと思います。しかし、なかなか次が見つかりません。もっと、うんざりするほどの無駄な時間の浪費が必要なのかもしれません。
 世の中には、元気な大先輩達がたくさんおります。僕も、彼らのように元気に新しいことを生産し続けることが出来るとは思っています。
 
明日、何んにブチ当あたるか、楽しみに待つことにいたしましょう。
人生は出会いです。偶然の出会いが、必然となり歴史となります。
もちろん、いい出会いばかりではありません。困った出会いでもたくさんあります。でも、困ったものでも、それを受けれたとき、今まで想像だにしなかった素敵なものに変わる奇跡も、たまには起こります。
この世界は摩訶不思議なワンダーランドです。何が起こるかわからないのが明日です。
ただのつまらないものを、時には困ったものでも、夢あるものと見た方が勝ちです。
僕は、そう信じることにします。
おわり。
 
            2002 Dec My Brithday  Mamoru M.
 
 

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──── 詩10・2003 (103~112) ────
 
103
 
Simple is Best
 
昔の社会は単純だった。
世間も狭かった。
ひとびとはシンプルな掟を守れば良かった。
 
ここ百年二百年、人の世界は大きく変わった。
世間が全地球に広がり、人間も桁違い増えた。
人々の生活の隅々に科学技術の品々で埋め尽くされ、
テレビやインターネットを通し世界中から情報が流れ込んでくる。
 
人々はかっての王侯貴族のように自分勝手なことを言い始め、
法律という掟も日々複雑となり変化し続けている。
 
しかし、豊穣と言う物質的な豊かさの裏で、
心に空しさを覚える人が増え、
未曽有の便利さの中、
人々はゆとりを忘れイライラしながら生きている。
この世界はどこに向かい進もうとしているのだろか。
 
人は、200年前の村の掟社会の頃と
いやもっと昔の一万年前の部族社会から、
あんまり変わっていない。
「安心する」「快く思う」「ほっとする」といった
幸せを感じる条件は何にも変わっていない。
 
そう、人にとって本当に必要なものは、昔からきまっているのです。
だからいまは、不必要なものを捨てる勇気を持たなればならない。
そして、多くの情報から必要なものだけを選びとる力が、
現代を生きるための知恵である。
 
「いいもの」というのはこの単純な原理に即したものである。
     そして、人に優しく、ほかの動植物にも優しいものであり、           
しかも、それは強いものである。
 
                  Mamoru Muto  2/26 03
 
 
 
 
104
 
春の嵐
 
雨が雪に変わり、又雨となる。
南風が吹き荒れ、大きな杉の木がきしんだ。
夜には北風に変わり、
そして、今日はまっ青に晴れ上がった。
 
目まぐるしく日替わり定食ごとく変わる天候。
一雨ごとに雪なることが少なくなり、
ゆっくりと本格的に春に向かう。
時に吹き荒れる南風は、
固く固まっている土をほごす。
 
いつしか慣れっこになってしまった、
今日きょう、明日あす、明後日あさって。
なにがしら保守的になっている自分に、ふと気付く。
十年前より、なにやら身のこなしが重くなってしまった。
 
春爛漫の桜吹雪が吹く荒れるためには
風が吹き荒れ、雨が降らなければならない。
南風はかじかんだ土塊を緩まし、
雨は、山路に落石や崩れた小石で山を作る。
土手には蕗の薹が顔を出し、
白梅紅梅がまだ寒い日溜まりをはなやかせている。
 
時に台風並みに成長する春の嵐。
固まり始めた僕の心の中まで吹き抜けておくれ。
そして、僕にも新しい若芽を育てておくれ。
 
 
 
 
 
105
 
青葉の下での願い
 
さんさんと降り注ぐ 柔らかい光
萌え出づる 幼い緑の吐き出す 清らかな空気
花々の蜜をついばむ 楽しげな小鳥の声
 
なんと新鮮なエネルギーに満ちたこの世界
盛りを過ぎた私の肉体には
ただただ、眩しく羨ましく見えてくる。
 
この眩しさは、内向きだった少年の頃の
初夏の光の強さに幻惑された
記憶の数々を思い出さずにいられない。
 
 
 
明るい林の緑
生き生きと揺れ落ちる日差し
青色に染まった風
 
ああ 風よ!
私の中に溜まってしまった
臭気を飛ばしておくれ。
 
ああ 青い光よ!
体と心に住み着いてしまった
ずるい虫を殺しておくれ。
 
そして、若々しい緑たちよ!
眠りかけた勇気と力を
目覚めさせておくれ。
 
         Mamoru Muto 03 17 April
 
 
 
 
 
106
 
停ってはならぬ
 
停ってはならぬ。
心地よい春の風。
ちらちら舞い落ちる桜花さくらばな。
山々は萌えぎ色に染まり
美しい季節の始まりを告げている。
 
休みすぎてはならぬ。
春の眠りは果てしなく
暁どころか昼の時報も覚えず。
しかし、
蒲公英たんぽぽの回りを天道虫はせわしく動き回り
もう、燕は巣作りに忙しい。
 
少しでも前へ。
1cmでも、1mmでもまえへと
念仏しなければならない。
それほど、人は愚かで怠け者である。
 
 
この美しい季節とそこに住む生きるものたちに比べ
何と人は、醜悪に満ち愚かしいことか。
日々生産される己の出す汚物で窒息しないため、
ちっこっとはましな生きものであるために、
一歩前に出ようと努力しなければならない。
 
この優しく美しい時の中
彼らの新鮮な力に助けられ、
僕は己のうちに潜む老化への怯えと
欺瞞の放つ臭気について語る勇気を持った。
 
           Mamoru Muto 03 18 April
 
 
 
 
 
 
107
 
A Fool in Rain
 
何にもなくなってしまった
空っぽになった頭に
10粒の雨粒があたった。
 
ピシャピシャピシャと音がして
ポンポンポポーンと、
いい音が跳ね返ってきた。
 
水溜りから蛙さんが顔を出し、
クァクァクァクァーと
鳴き合わせて来た。
 
 
今日は楽しい雨、
明日も雨。
 
 
空っぽの僕の頭に
100粒の雨が落ちてきて、
ピシャピシャピシャと100回音がして、
ポンポンポポーンと100回返ってきて、
100匹の蛙が
クァクァクァと声を合わせた。
 
 
あめ、あめ、あめ、
今日も雨、明日も雨。
 
 
一人のフールが雨に打たれ、
一匹の猫がじゃれつき、
蛙が一匹クァーと鳴いた。
 
そこに、一羽の烏が飛んできて、
アホーと鳴き添えた。
 
          Mamoru Muto 03/6/5
 
 
 
 
 
108
 
地蔵の風車
 
  梅雨の続くある日、徹夜仕事のあけた朝、芝の増上寺の境内を通った。 今にも泣き出しそうな空に、桜やけやきの大木の緑はみずみずしく美しい。
 その鬱蒼とした大木の下に赤い帽子や涎かけをつけた地蔵が、何百と並ぶ一角がある。ここの地蔵にはおのおの風車が供えられていた。なぜ風車なのかは分からない。そして、地蔵がやたらと幼児そのものの顔である。勿論、人々の子供に対する願いがそうさせることはわかるのだが、これだけ並ぶと不気味でさえあり、殊更に異次元的な不思議な雰囲気をかもしだしている。
  持っていたカメラで、あれこれいいアングルを探していると、突然風車が止まった。人の侵入を感じ取ったのだろうか、僕の次の反応を見ているのだろうか。思わず僕もカメラを目からはなし回りを見渡した。長い沈黙がその場を支配した。突然、カラカラとまた激しく風車が回りはじめた。僕には風が強くなったとは全く感じとれなかったのだが。
 
                7/4  まもる
 
 
 
 
 
109
 
やさしいけど難しいんだよ。
 
人はお互いを信頼するほかない。
人と人が助け合わなければ生きて行けない。
これが人間の本質だから。
 
だけど難しいんだよね。これが。
悪意を持って他人ひとを見た方が
世の中うまく行くことが多すぎるし。
お人好しが損することもたくさんある。
 
「でもやっぱり助け合わないとね。」
と、言えるまでには
たくさん心に傷を作ったり、大きな怪我して
はじめて分かることだから。
 
難ずかしいね。生きることは。
でも最後は、よかったねと言いたいね。
 
            2003/8/15 まもる
 
 
 
 
110
 
変化
 
ドストエフスキーは不幸は軍隊の様に隊列をなしてやって来るといった。
そう悪いことは重なってやってくる。
でも、その不幸に耐えたとき、いつもは通りすぎしまう小さな花も、
底知れぬかぐわしい匂いを発していることに初めて気付く。
 
変化は誰にでもやってくる。
変化には良いか悪いかは結果の問題にであって、
変化そのものに良い悪いはなく、
それは変化を受けとめる側の問題であると思う。
 
何千年と同じことをやり続けることが、
生命の最も本質的なものかも知れない。
変わらない田舎の風景や、
中世のそのままの町並と人々の変わらぬ人情をもとめ
いそいそと外国に旅行に行くことはよく分かる。
しかしそれは、沢山の個人的変化の集積が不変だということです。
 
人は、生まれてから大きくなり老いて死ぬ。
目まぐるしく変化をし続ける生きものである。
そして日々、明日良い知らせが届くことを夢見ている。
 
僕も変わることをいつも求めてしまう。
とりあえずは良くても悪くとも。
変化の兆しががあると、それだけでわくわくしてしまう。
たとえそれが悪くても変化でも、
もしかしたら、素敵な出会いの証かも知れないから。
 
            Mamoru Muto 03/4th stp.
 
 
 
 
 
111
 
冬の日差しの中で
 
木枯らしが吹き、
古い街並を残す街道沿いの民家でも、
年々、クリスマスイルミネーションが増え続け
寒中並みに冷え込む日も多くなってきた。
 
時は、人の都合など考えず無慈悲に過ぎて行く。
今年も知人が一人、亦一人帰なぬ人となった。
この世の主導権は除々に若い人に移りつつあり、
何やら理解不能の事どももやたら多くなってきた。
 
日々低くなる日差し。
窓辺の日溜まりに猫の親子が眠る。
 
 
ふと、一つの幻想が頭の中を過よぎった。
このまま太陽は低くなり続け、遂には昇らなくなってしまった。
昼はなくなり、闇は亦更に深く、ますます寒さは厳しくなってゆく。
そして、この世は、すべてが凍りつく死の世界へ落ちていった。
 
何もかも凍てつく極地の世界。
いつか見た南極の日食。
昼と夜が白い地平の彼方で交差し、
ペンギンはいっせいに不安の奇声を発した。
そしてこのまま、何もかも凍てつく暗黒の死へと向う
のではないかと言う、底知れぬ不安と、陶酔。
 
ちょつとづつ衰えて行く肉体。
己の衰えと日差しの衰えの先に見た、
究極のマイナスの幻想。
 
 
突然、「タタッーン、タタッーン」と携帯電話がなった。
せわしく受け答えをし終えたが、もうその夢想の世界は戻って来なく、
そこには唯、猫が日溜まりで眠りつづけているだけであった。
 
そして、
昔のようには夢を描けなくなった現実が、
やんわりと、しかも重くのしかかってきた。
 
                  12/17 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
112
 
明るい光の中で
 
朝日に照らされ、木々や梢が窓に明るくゆらいでいます。
今度は、どんな素敵なことに出会えるのでしょうか。
そして、どんな素敵な人と出会うことが出来るでしょうか。
 
気持ちはいつでも王侯貴族でありたいものです。
もちろんお金や物質的なことではありません。
どれだけ豊かな気分になれるかと言うことです。
 
「愛がない」などと寂しいこと言わないでください。
自分から優しさや親しみの心を示さなくて、そんなこと言わないでください。
そんな通どおりがとおるのは、子供の時だけです。大人のすることではありません。
猫だって犬だって、植物だって、
愛情を持って接すれば、精一杯返してくれます。
残念なことに人間だけです、ひねくれて素直でないのは。
 
誰でもストレスを持つと人に優しくできなくなります。
そして、人を悪意でしか見れなくなってしまいます。
人は優しさと愛情の接着剤によって始めて人間になるのです。
優しく接することができないと感じたら休みなさい。ゆっくりと。
疲れやゆがみが取れれば、誰でも優しくなれるものです。
 
本当の心の王侯貴族とは、
小さな私が、小さなあなたとつながり、
そこに、猫がつながり、犬がつながり、草がつながり、木々がつながり、
さらに、川がつながり、海がつながり、雲がつながり、空がつながり、
月がつながり、星々がつながることです。
そして、それを感じ取ることが出来るということです。
 
今度はどんな素敵なあなたと、出会うことが出来るのでしょうか。
次はどんな不思議な事件に、出会うことが出来るのでしょうか。
明るい陽に照らされ、ゆったりと揺れる木々と一緒の冬の朝です。
 
               2004年12月 Mamoru Muto
 
 
 
 

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──── 詩11・2004 (113~121) ────
 
113
 
春の嵐
 
春眠暁を覚えず 処々啼鳥を聞く
夜来風雨の声 花落つること知る多少
 
この詩にはまだ少し早い。
でも、今年は春一番から何度も強い南風が吹いている。
温かい冬、早めにやってきた春の嵐の季節。
 
今日は夜来どころか、二日に渡って、
がたがた窓ガラスが音を立て続けた。
 
こんな日は異次元のものどもが風に乗って現れ、
人々を摩訶不思議な世界に運ぶ。
何かわくわくと心が踊る。
 
そういえば、
若い頃、心の中にはいつも風が吹いていた。
時に苦しくなるほど吹き荒れる風に、
僕はいつも、どこそこ彷徨さまよい歩いていた。
 
それが、
いつしかその風も止んでしまった。
風のない生活にすっかり慣らされてしまった。
 
なんとまあ
懐かしい風の音、
懐かしい窓ガラスの揺れる音、梢の揺れる音。
懐かしい青春の心の中の音。
 
 
台風並みに発達した低気圧は、各地に数々の被害をもたらした。
すっかり、雪から雨の季節に変わってしまった。
濡れた道には杉の枯葉があちこちに散らばり、転がり回る。
 
 
嵐ともに季節が変わる。
強い南風に揺り動かされ、
諸々の春の精達が目覚める。
 
そう、僕の内にも
まだ知らない僕が目覚める。
若い頃の風の季節には戻れないが。
 
                 Mamoru Muto 25 Feb.2004
 
 
 
 
 
114
 
新しい空気をください
 
 
新しい空気をください。
このままだと私は枯れてしまいます。
と、
奥底から聞こえてくる悲鳴にもにた声。
 
新鮮な空気と水がなければ一日とて生きて行けません。
お願いです、私に新しい水を注いでください。
 
 
今は春。
若葉が一斉に開き、山々を覆いつくし
道という道には、花が咲き乱れる。
季節は春爛漫。
いきとし生きるもの達が
喜びの大合唱をするとき。
 
 
しかし、
春の光はここまでは届かない。
色あせた陰画と化してしまった春。
何ものかが外界との同調を邪魔して、
小鳥達の囀りが届かない。
 
新しい空気をください。
私は新しいものに触れ続けなければ、
生きることが出来ない生きものです。
私はとても弱い生きものです。
新しい水をください。
 
             13 april 04 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
115
 
雨の日は雨に濡れ
 
雨の日は雨に濡れ、風の日は風に吹かれ
水の流れのままに生きましょう。
 
 
菜の花の花畑に飛び交う蝶のごとく
穏やかな春の日には華やかに舞い、
嵐の時は木の葉の裏で小さく震えているのがいい。
 
 
人の世は小さな欲のために、
がんじがらめの牢獄と化してしまった。
二重三重に文明の利器というもので、
武装しなければ生きられなくなってしまった。
 
 
蟻や蝶のように
雨の寒い日には震え、風の日には物陰で身を潜め
穏やかな日差しの来るのを待ちましょう。
 
 
雨の日は雨に濡れ、風の日は風に吹かれ
水の流れのままに生きましょう。
 
            Mamoru Muto '04 6 May
 
 
 
 
 
 
116
 
私は誰なんでしょうか。
 
梅雨の夜空 雲の切れ間に
背後に漆黒の闇を従い
少し欠けた月が煌々と光り輝いています。
星も一つ二つ 二つ三つと見えます。
 
さっきまで降り注いでいた雨で
地上の空気は洗い清められ
ゆっくり走る雲ぐもは金色に輝き
殊更に美しさを追加しています。
 
私は誰なんでしょう。
私はどこに行くのでしょうか。
 
幾十年と問い続けてきた問いが
また、僕に問いかけております。
 
 
十六才の 大きな月が昇った夜。
田舎の家の庭から田圃や畑に広がるあたりを
「僕は何者と」内から起った問いに
月夜のあまりもの美しさにも手伝って
何時間もうろつき回りました。
胸が苦しくなる程でした。
 
亦ある時は
真冬の月の美しさに
高速道路のパーキングエリアに車を停めた時も
どこからか「私は何者」と言う声が
聞こえてきたことを覚えています。
 
 
でもいつも答えらしい答えを
得られた試しはありません。
 
きっとこれからも 何度も
美しい月夜の晩は
「私は誰」とうろうろすることでしょう。
 
           04/6/8 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
 
117
 
心は緑の林を抜ける風のごとく
 
 
初夏の明るい光と、大陸性の乾いた空気。
雨季の前にやってきた特別の晴間、
林の木々を抜ける風達が
おしゃべりをしながら通り過ぎて行きます。
 
村道の石垣の上の紫陽花が、
小さな花芽が大きく広がり初め、
白い花弁が微かに青みをおびてきました。
 
苦手な季節の特別の晴間に戸惑いながらも、
すっきりと青色に染まった青空と、
軽やかな風たちのおしゃべりに
僕も家の中から外の世界に誘い出されてしまいました。
 
田植えの終わった田圃を風が爽やかに渡り、
燕がぴゅーと飛んで行きます。
草原の緑はますます青く、
明るい木立ちはゆったりと揺れています。
 
村から山の方に昇って行くと、大きな欅の木にであいました。
根本から見上げたら、枝や葉は空の半分を占めています。
これはまるで北欧神話に出てくる世界樹の様に見えました。
葉や枝は青い空につながり、空には星々も見えたような気がしました。
 
緑の木々の間を風達が
おしゃべりしながら通り過ぎてゆきます。
僕にも風の言葉が聞こえたような気がしました。
 
              04/6/17 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
118
 
言葉
 
 
むずしいね、話すということは。
難しいね、言葉を発すると言うことは。
 
自分は悪気がなくても、人を大きく傷つけたり、
いくら言葉を尽くしても、こちらの思いが全く通じなかったり。
人と人の世の中に居ると、言葉は難しいと感じることがよくある。
 
 
でもさあ。でもねぇ。
絞り出した言葉は、
100%とはいかなくても、
三割か四割かは伝わるよ。
それも確かにね。
 
そして、そんな言葉は
日本語とか、英語とか、
ハングルとかいう枠を越えて、
世界の人に伝わるよ。
 
それは、言葉という枠じゃなくて、
心が心に伝わるんだね。
 
 
やっぱし難しい。言葉は。
何気なく使っている言葉は特にね。
いつもは、あまり掘り下げないから。
 
でも、
人と人は言葉なしでは、繋がることはできない。
人は一人では生きることができない。
 
だから、
難しくても
言葉は大切にしょうね。
怖がらなくてもいい、
本当のことは必ず伝わることも確かだから。
 
         20 Aug 2004 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
119
 
ちょっと淋しく
 
旧盆の終わった頃の
ちょっと物悲しい気分。
 
暑さも 朝夕は少し涼しくなり
だいぶ早まった 夕暮れの中
群れ飛ぶ赤トンボも 数を増した。
 
何とはなしに 感じられるこの淋しい気分
この世の深い縁に ちょっと触れたような
しんみりした 「もののあわれ」な気分
なかなか 素敵な夏の終わりのいい気分。
 
 
長い独り身の生活には
時に ちょっと踏み越えて
苦しいほどの淋しさに
さいなまれたことも あるのだが
すぐに押し寄せる 日常という波の中に
掻き消され いつしか忘れ去られてしまった。
 
 
毎日が、お祭り騒ぎの
バブルの頃の狂ったけばけばしさは
どうも僕には合わず苦手な事々です。
 
 
夏の終わりの
澄んだ青空と群れ飛ぶトンボと
頭を垂れ始めた稲穂と
赤紫の小さな萩の花とに感じた
このしんみりした気分が、僕は好きだ。
 
           2004 Aug.22 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
120
 
西日
 
台風一過の秋空はどこまでも澄み渡り、
黄色味をおびた西日が
色づき始めた柿の実や
まだ青々としている葉や
街道沿いに並ぶ、家々の瓦の波や
せわしく通り過ぎる自動車のフロントガラスや
行き交う人々さえも
宝石の輝きに変えてしまいました。
 
もう、そよ風に変わった南風は
過ぎ去った夏をなごり惜しそうに
ハタハタとレストランの旗を
揺り動かしております。
 
 
このまま老いてしまうにはちと早く
単調な日常を幸せと
満足するには程遠く
体力の低下や収入の減少や
何やら不安な雲が広がり
さりとて、有効な手立ても見つからず、
唯、日々を浪費するばかり
 
 
チラチラチラ 光る夕日の反射
美しすぎる街のたたずまいに
それとは決してなじめないものがわだかまる。
漠として、ずうっと先々まで覆っています。
 
きっと何にも変わらない。
若い頃、前に広がる
黒々した闇に呆然としていた頃と。
唯、違うのは
ちょっとばかり、闇の色が薄くなっただけかと。
 
            2004 9/30 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
121
 
穏やかな秋の日に
 
母の死や
大水や大風や
地震までも近間に感じると
 
このあまりにも平凡な穏やかな秋の日差しは
特別な贈り物のように見えてくる。
 
やっぱりこの世は、一寸先は真暗の闇の中。
 
今年も何組かの友人が離婚し、
亦、ガンが見つかっておろおろする奴もいる。
 
 
手探りで闇夜の道を歩いていた
若い頃となんにも変わらない。
 
自殺するもの、精神を病んでしまったもの、
事故に出会うものと。
僕の青春は、混沌の中、
自分はそうならぬため、ひっしで歩いていた。
 
貯蓄や、年金や、家族や仕事や
社会的生存を保障するものの外を歩いてきてしまって、
いまさら人並みになどには戻れはしない。
今それが正しかったととはとても言いえないのだが。
 
でも、
この秋の平凡な日差しが宝物に見ることができるは、
僕が幸せ者だからかも知れない。
 
              Mamoru Muto 11/30 2004
 
 
 
 

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──── 詩12・2005 (122~134) ────
 
 
122
 
斜め
 
 
世の中を斜めに見る癖がつき
いっこうに直らない。
 
世界がモノクロの機械仕掛けに見えてしまったとき以来、
横から、斜めから、裏から見ないと、
なかなか信用しないことになってしまった。
 
やさしい父や、母や、兄や、姉達や、弟との生活の横に、
大きな闇を感じてしまったとき以来、
食べることも息を吸うことさえ、疑いの対象になってしまった。
 
もう中年も半ばを過ぎ、初老と言われるのももうすぐ、
青春の始まりの小さな絶望を、今でも鮮明に覚えている。
 
納得することだけしようと決めたその日から、
世の中の流れに流されに来たという小さな自負。
 
そして、これからも世界を斜めに見ながら、
納得したことだけしてゆけばいいうな気がする。
 
               10 Dec.Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
123
 
 
 
誰でも言葉にできないことがある。
誰でも秘密の一つや二つは持っている。
僕にはそれが人間だと思えてならない。
 
「へ~え、そうなんでか。」と
日向で昼寝をしていた猫が手足を大きく伸ばし言った。
「思い上がりもはなはなだしい」と
山茶花の蜜をついばみに来た鵯ひよどりがいった。
 
それを言ってしまったら、
自分が変わってしまう。
人が、友達が、家族が、自分への評価を変えてしまう。
だから恐くて話せない。
 
「あらまあ、人間は複雑なんでね。」と
猫が笑った。
「人間って、とても不自由な動物なんでね。」と
鵯も笑った。
 
だからそれが悪いこととは言えない。
秘密のないという人、言い切る人のほうが、
よっぽど不自然でおかしなことである。
 
「もっと単純に行かないもんかね。」と
猫と鵯が声をそろえ言った。
 
               20 Dec.Mamoru Muto
 
 
 
 
124
 
夢の中で
 
 
ふと気づくと自分勝手な夢想の中にいる。
それでも随分大人になったと思う。
 
考え事をして下りる駅を乗り過ごさなくなったし、
運転して、道を間違えなくなった。
 
小さい時からそうであった。
多分に現実逃避の傾向があるのかも知れない。
 
 
 
 
 私はM銀河の辺境調査員。辺境の銀河の星々の科学調査をしている。正確にはしていた。二五年前あるとき超光速飛行中、バリアの故障を引き起こし、隕石に衝突した。私たちはこの星に不時着したが、調査船は航行不能、僕以外の隊員は死亡してしまった。地球の濃い酸素は、傷ついた僕の肉体が死に至るのは時間の問題であった。残された方法はただ一つ、この肉体を捨て、酸素に強い地球人の肉体に侵入することであった。
 そんなときにたまたま近くを通りかかったのは武藤という地球人であった。僕が説明すると、微かに「いいよ」といったような気がした。本人は言っていないよといい続けているが、それ以来私と武藤君は同じ体に同棲することとなった。悲しいことな私の性格も、彼に似てきたような気がする。
 
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 
夢というのは、現実逃避と言うこともあるが、
物事にあたる態度を前向きにするというすばらしい力がある。
 
 村のはずれにあるお地蔵さんの裏の木の根に「穴」を発見したのは半年前である。初め野鼠の穴かと思って、小さな石ころを入れた。いたずら心が高じて、木の端や土を次から次と入れたのだが、不思議なことに埋まらないのである。だんだん恐くなって逃げ帰ってしまった。
 穴のことは忘れていたのたのだが、少し前、村の子供達がその穴に気づき、 「なんでも飲み込む悪魔の穴」と学校で噂になっているらしいと聞いた。 噂になっているらしいと言うことを聞いた。
 そして今日の朝、TVをつけ驚いてしまった。見慣れた村外れの風景の映像に続き、ワイドショーのレポーターがお地蔵さんの前で「穴」の話しているではないか。
 
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 
宝くじにあたったらなど思いついたとする。
次には、もう頭の中はその使い道を一生懸命な考えている。
ぐるぐると一時間二時間と、そのことでいっぱいなのである。
 
できたら、このまま夢の中に生き続けたいものである。
いつまでもいつまでも。
 
                 2005 1/9 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
125
 
春近し
 
 
連日、北国の大雪の報道に
故郷の雪の記憶が蘇る。
降りしきる雪に煙る山や川は
僕の負性の多くの部分を占めていた。
 
しかし、春分の頃となると
もう、太平洋側の地域は春の兆しが見え始める。
白い雲と青い空、そして何よりもまばゆい光。
この明るさは何よりもうれしい。
風のあたらぬガラス越しの日向はもう四月の陽気。
今年はどんな春になるのだろか。
なんとはなしに期待が膨らむ。
 
人生の半分は、内に眠る自分の負性をばねに生きてきた。
しかし、それもいつしかは出尽くしてしまった。
そんなときであった、草や樹や動物は
人間のようにひねくれず、みんな素直に生きている。
僕も、この陽性のエネルギーの下で素直に生きることにしたのです。
 
そして、
木々が芽吹くときのように、
花が春に花びらを開くときのように。
ぼくも心の内を膨らますことにいたしましょう。
 
              2005 2/3 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
126
 
アホらしく
 
 
人間、悟りなんか開いてはいけない。
何でもかんでもわかったような気持ちになって、
誰でも、どんなことでも許せるようになったら、
おしまいさ、人間やめたことと同じです。
 
時に阿呆らしく、適度に馬鹿がいい。
欲を張り、人と競い、そして失敗する。
それが人間じゃないかと僕は思う。
我がままで、自分勝手でいいと思う。
 
聖人君主に人々は憧れてきたが、
それは昔の人の考えかたです。
小数の人々に過大な期待をかけてはいけない。
 
 
もう春になりました。
草木は吹き、虫たちは空を飛び回ります。
そう彼らに見習って素直に好きましょう。
 
時に阿呆らしく、時に馬鹿馬鹿しく。
人生楽に生きましょう。
動物や植物は嫌なことを無理にはやらないから。
 
           2/17 '05 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
127
 
基本はゼロ
 
 
引っ越しせざるを得なくなり、
自分の荷物の多さに驚く。
 
みんなその時その時一生懸命に
やった結果であるだけに、
捨てるのには忍びないものばかり。
さてどうしたものか、どうしたものか。
 
 
かって若い頃、
高校生の頃から書いていた日記帳を
捨てるのに大いなる決断が必要だった。
 
 
物は時に人を縛る。
過去今までの思い出が、物に染みつき、
未来さきの行く手を阻む。
 
 
僕も大人になり、縛る物からは
ずいぶん自由なったつもりで入るのだが、
結構気付かぬものも多いもので、
今、その束縛力の全容は分からない。
 
 
さてどうしたものか、どうしたものか。
 
 
しかし、
 
過去今までより未来さきが大切だから
基本はゼロ。
 
過去今までの物は全てを捨てることが基本。
気持ちはいつでもゼロ。
そしていつも、そうでありつづけたい。
 
          2/18 '05 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
128
 
人生は王道を
 
 
僕が金持ちならとついつい考えてしまう。
ああもしたいこうもしたいと、
次々とあふれ出てくる始末。
 
 
いままでしっかり貧乏人生を歩いてきてしまった。
金儲けも何度か考えたこともあるが、
若い頃の「そういうのは悪だ」という倫理観は根強く
悪人にななろとすればするほど、
自分が惨めでわびしい見えてきてしまう。
 
 
「誠意さえ示せば人と人はわかりあえる。」
どうも世間ではこの考えは子供ぽい理想主義と
軽く一蹴されてしまうらしい。
 
 
でもさあ、「夢や優しさや誠意」などといったものは
この世の王道であることには変わりない。
人々が厚い鎧の下に
これらの価値があり続けなければ
この世は一日たりとも持ちこたえできれない。
 
 
だから、
鎧の付け方は下手でいい。
誤解されてもいい。
人生は勇気を持って王道を歩みましょう。
 
           05 3 26 Mamoru Muto
 
 
 
 
129
 
むくむく
 
 
百万光年の彼方からやってきて、
百万年間、地中深く眠り続けた宇宙生命の種。
ひょんなことから地上に出てきてしまった。
 
中越地震とスマトラの大地震。
岩がほんのちょっと動いたので、
固いカプセルがパカッと開いてしまった。
 
 
微かにオレンジに光る宇宙の種、
地下を流れる川に流され流れて、
ドンブラコー、ドンブラコー。
 
丁度、今から百万年前。
永い永い旅の末、この地球にたどり着いたのだが、
厚い大気に弾かれ、ポォーンと大きく飛んだ。
そして落ちたのが深い深い大地の割れ目、
大きな岩がそこに落ちてきて、
またもや眠り続けることとなってしまった。
 
さらに眠ること百万年、星を出てから二百万年。
ひょんなことから目覚めることとなったのだが。
 
 
「ヨウー、どっこか来た!。見慣れん顔だが?」
とミジンコさんが声をかけた。
 
突然、前がパッと明るくなり、地上の川に出た。
波に揺られ、流れの淀んだ所の岸にたどり着いた。
 
 
季節は春。
生きとし生けるものが喜びに歌を唄うとき。
 
 
「おい新米!
土にグイッと根を差し込み、バッと葉っぱを開くんだぜ。」
と声をかけたのは、小さい新芽を三枚広げた栃の実だった。
「うんやってみる。」と宇宙種君。
 
 
でも、おかしいな。おかしいな。
やってはみたけど、何か落ち着かない。
 
その時、小川に近づく二足歩行の動物。
突然、その宇宙生物はピョーンと飛んだ。
この動物の額に着いたかとおもうと、
吸い込まれるように動物の中に消えてしまった。
 
「思い出したヨ。栃の実君!
僕は地球の植物さん達とは違うんだよ。
こんな生物でないと、根を張れないんだよ。」
と言う声がその動物の中から聞こえてきた。
 
          (つづく・4/15 Mamoru )
 
 
 
 
 
130
 
六月の雨
 
六月の雨はしとしとと
何もかも、優しく包み込む。
 
山々の緑や木々や路傍の草々に、
あなた達がこの世界の主役だと
静かに語りかける。
 
 
けたたましい騒音を上げて走るトラックや、
崩された山肌の工事現場の諸々のものどもも
煙る風景の中では、違和無く感じさせてしまうのは、
雨のなせる魔法としか言いようがない。
 
 
突然知らされた悲しみの知らせの、
その驚きの何分の一かを
「なるほど」いう言葉にすりかえてしまのは、
この季節のなせる不思議な技である。
 
 
あめ、今日も雨。
浮ついた気持ちが、しっとりと鎮むのは良いことだが、
沈み込んだ心が体調の悪化まで及ぶのはちときつい。
 
でも、春と夏の間に配置されたこの季節は、
温帯モンスーンのこの地方で生きる、
全てのものへの天からの贈り物なのだろう。
 
僕は過去の大きな事故や病気の記憶も重なり、
いつしかこの時期は心静かに過ごすことが、
一番得策だと、身に付いてしまった。
 
            6/13 '05 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
131
 
ちいさかった頃
 
 
子供の頃、早く大人になりたいと思っていた。
大人はみんな都合の良いことばっかり云うと思っていた。
 
「こうしなさい」「ああしなさい」と、
いつもやってはいけないことばかり。
 
そうなのに点、大人達はとても身勝手で無責任。
子供の気を引こうと甘い言葉をかけてくるくせに、
一寸過ぎる、すっかり言ったことなど忘れている。
 
「約束が違う」などと言うものなら、
何やら説教めいたことをくどくどい言い始めるから始末に悪い。
チキンと説明されれば子供だって分かることは分かるのにね。
 
 
「大人だって子供の頃があったはずだなのに。」
と父や母に食ってかかったこともある。
 
子供心にこんな大人は嫌いだったが、
早く大人になって
自由になんでもできるようになりたかった。
 
 
それからずいぶんと年が過ぎて
中年も後半にさしかかる年になってしまって、
子供の頃の何十倍ものことを知ってしまった。
 
お陰で「少年のように」とはできなくなってしまった。
でも、子供たちから嫌われる大人にはありたくないと、
今でも思い続けている。
 
            6/21 2005 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
132
 
いい形で
 
 
 
物事は何でも
いい発想があり、
いい計画が作られ、
いい経過をたどり、
いい結果に至る。
と有りたいものだ。
 
こううまく行くことは
実際はとても希なことである。
 
 
いいアイデアでも、
金が足らなかったり、
有能な人が足らなかったり、
発想だけで終わることが多い。
 
計画が作られても、
世の中が、今実行に移す時ではないと
主張しいいる時も多い。
 
とかく、世の人々は、
理念や、経緯を軽んじ、
結果だけで全てを評価しがちである。
 
しかし、
「いい理念」や「いい経過」をたどっていないものは、
長い時間の中では、多くの矛盾が噴出するものである。
 
 
いいことをするためには、そんなことを撥ね除ける、
忍耐や、勇気や、努力が必要である。
 
そして、その段階段階で、
新たな夢や、新しい人との出会いが有るものである。
そうやって出来上がったものは、
人々の心にあとあとまで残り、一番強いものである。
 
 
だから、何事もこれらを念頭に置いて行動したいものです。
 
              05 6 Aug. Mamoru Muto
 
 
 
 
 
133
 
心は戦士として
 
 
戦いましょう、
心の戦士として。
心は生なまもの、
新鮮な情報と人とのいい関係で、
夢を常々更新し続けなければ、
腐ってしまう。
 
こんな言い方をしてしか、
僕は自分を鼓舞することが出来ないのだが。
心が萎えてしまったら、
せっかく今までここまでやってきたことが
みんな無駄になってしまう。
 
でも、戦うといっても、たいそうなことではない。
日常の事々から身を放してみないと、
袋小路の考えに捕われていることが多い。
人は自分の弱みを人につかれることを恐れ、
人はついつい防衛的な行動をとる。
つまらぬ意地で、「有り難う」と言えなかったりもすし、
少しばかりの利権を守るばかり、卑屈になったりする。
 
戦いましょう、
心の戦士として。
心は生なまもの、
新鮮な情報と人とのいい関係で、
夢を常々更新し続けなければ、
腐ってしまう。
 
世界は日々変化している。
身近な環境も、三十年前と大きく違ってしまった。
そして、僕に求められることも、
また変化し続けている。
 
僕も代わり続けて来た。
内から出てくる欲望のそのものの種類が変わってしまった。
体も昔のようには動かなく、
そこら中に不安の種が見え隠れもする。
 
もう同じことを同じようには出来ない。
新たな方法と新たな答えを捜し続けなくてはならない。
だから、
心は常に柔軟に、そして時には鋭くしておかなくてはいけない。
 
アウトローとなることを決めてしまった時から幾十年。
その都度その都度、時に人に助けられ、それなりの答えを見つけてきた。
そこはこれからも、変わらないことは確かである。
 
            3 Oct 2005 Mamoru Muto
 
 
 
 
134
 
ゆくっり、のんびり、しかし・・・
 
 
人生はやっくりのんびり、
季節のうつろいを楽しみながら、
できたら、友や愛する人と分かち合い、
しかし、すべきことは確かに成し遂げながら、
行ゆきたいものです。
 
そして、新しい季節を切り開く、勇気と夢は、
今まで同様、いやいや今までより強く確かに持ち続けたいものです。
 
 
今までもいろいろやってきましたので、
そんな目新しいものというのもを見つけるのには、
結構努力も必要になりました。
 
中年を過ぎ、力で押し切ることはできなくなり、
その代わり、数々と経験と数々の失敗から得た知恵を、
存分に使える年となってきたことも確かだ。
 
しかし、慌てることはない、
日々のうつろいをゆっくりと楽しみながら、
新たなものを見つけたときは、
その新しい力を存分に使えば、
未来はそんなに否定的に捉えることはない。
 
 
ゆっくりのんびり人生は、楽しいことばかりではない。
自分のからだの衰えや、同世代のともの病気や、
家族や親戚の死も
受けとめることは受けとめましょうということです。
 
それはきっと平凡な日々の変化を楽しむことと同じことだと思し、
そんな余裕の中から新たな人生切り開く、
勇気と力が出てくるのだと思う。
 
                2005 12 14 Mamoru Muto
 
 
 
 
 

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──── 詩13・2006 (135~144) ────
 
135
 
真冬の春
 
大寒のさなかにぽっかり開いた春陽気。
家を飛び出し、行き先定めず車を走らせる。
町並離れ、幹線道路はスイスイ進み、
広い茶畑の道はノタリノタリ、ゆっくり走る。
 
まだまだ風景は冬のまま。
花もみどりも少なくくすんではいるのは、
少し寂しいのだが。
ずうっと我慢してきた、御褒美の春陽気。
 
野を越え、丘も越え、山も越え、
射し込む日差しは、春本番。
マフラーを捨て、帽子も取り、上着まで脱いだ。
 
明日からはまた厳しい冬に逆戻り。
でも、春を待てる季節になったことは確か。
 
今日は真冬にぽっかり開いた春陽気。
御褒美の春陽気。
待つ春は、本番の春より、
夢いっぱい、幸せいっぱいの春陽気。
 
          2006 1/30 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
136
 
光の春の空虚
 
 
ここ二三年の変化時期が終わり
落着きを取り戻した、ある早春の午后
もう、新しいことが動き始めているか知れないが、
まだそれを感じ取れない、空虚さを感じる時期。
 
冬枯れの風景に、ただ寒椿だけが赤い彩りを着けている。
日々強さを増す、光の春の中、
期待と不安が、交差して胸をかけ巡る。
 
 
「ねェ、今度はどんなドラマを見せてくれるの!」
「どんな冒険に連れていってくれるの。」
 
と、心の奥底から聞こえてくる少年の好希の声。
また別の所から、無造作に否定する思い。
若い頃の「空虚」という苦しさの思いでが、
現れては消えていった。
 
 
ここに三年つついた、激動とまでは言えないが、
僕にとっては大きな節目の事柄が終わり、
平和さを取り戻した早春の午後。
 
まばゆい窓越しの光を浴びながら、
夢見る少年と
まだ見えぬ不安を感じる臆病な僕と
やる前からあきらめているとし老いた私が、
次々と現れては消え、消えては現れ、
苦しい混沌を感じた。
 
            2006/2/3 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
137
 
懐かしのピーナッツ
 
 
 
インターネットで買ったピーナッツのCD、
遠い若い頃がよみがえっくる。
 
洒落た都会の雰囲気を知ったのは
山深い会津のTVから流れていた
ピーナッツの音楽だった。
 
意地ぱりだった青春は甘酸っぱい味がつきまとう。
 
真夏の夜の材木座の海のくらげのミミズ腫れや
雨の青山通りのコーヒーショップの
ガラス窓に流れる雨水や
駒沢公園の「柳子苑」と言う名の
洋菓子屋のケーキの甘さと
 
 
憧れの都会には何時も心に風が吹いていて、
いつしかピーナッツは
単純メロディーのホークソングや、
デモや集会での反戦歌や、
乱暴さだけのロックなどに
掻き消されていった。
 
 
インターネットで買ったピーナッツのCD、
遠い若い頃がよみがえっくる。
 
洒落た都会の雰囲気を知ったのは
山深い会津のTVから流れていた
ピーナッツの音楽だった。
 
           2006 5/2 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
138
 
不完全性定理
 
 
家を出て始めて、親の愛や家族の優しさ気付く。
 
故郷を離れて、山河の美しさや人情を懐かしむ。
 
外国に住み初めて、
己の国の豊かさやおかしな歪みに気付き、
自分の民族性に目覚める。
 
 
宇宙に行けるようになり、
この星の奇跡的な美しさを眺め、
無数の植物や動物に支えられた人類の姿を知る。
 
 
 
こんな当たり前のことをキチンと証明したのは、
二十世紀も後半になってからである。
古代エジプトに幾何学という論理学が生まれて以来、
なんと8000年もの時間を要した。
 
そう、人間は妄想の動物。
自分は、そんなアホらしいことに陥らないと信じ、
グループ内だけの勝手な論理をかざし、
自分の国は、世界一などと思い込み、
己の本当の価値は分からない。
 
              5/21 Mamoru Muto
 
 
 
 数学は論理の体系です。矛盾のない壮大な体系を背景に人間は「科学」を発展してきました。僕らはその「科学技術」無しには一日たりとり生きてゆけません。それなのに、その体系の前提になる「公理」を説明できないのです。あるひとつの公理を数学的に証明しようとすれば、別の公理を持ち出さざるを得なくなるのです。そのことを証明したのが「不完全性定理」です。
 現代科学文明は客観的説明の出来ない「暗黙の了解」の上に成立しているのです。その前提は絶対的なものではないと言うことです。崩壊する可能性を秘めたものでもあるのです。これは、宗教と違って素晴らしいことです。己の体系の限界の可能性を示して初めて、その体系は生きるのです。
 
 
 
 
 
 
 
139
 
夢追い人
 
 
夢を追い続けていたら、年なんか忘れてしまう。
僕は「まもる」という芝居を演じる役者、
困ったことに、この芝居終わりがないのだ。
 
 
感性を四方八方に広げ、
己の細胞という細胞を呼び覚ませ。
まだ眠り続けるものを、太陽の下に引き摺り出せ。
 
 
否Non!否Non!否Non!
今までの全てを否定せよ!
死にものぐるいで、新たな夢を捜し出せ!
 
 
歳を重ねたから、老人なるわけではない。
老化は生まれたときから始まっている。
しかし、八割の細胞は眠り続けたままなのだ。
 
 
芝居は、24時間、365日、Endless!
だらだら続けたら、お客はみんな帰えちっまう。
夢あるシナリオを、新たな仕掛けを、
さあッ、仕込まねば!
 
 
神経を四方八方に押し広げ、
眠れる能力をたたき起こせ!
「まもる」という芝居には終わりはない。
 
          2006 5/29 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
140
 
ヤダヤダ
 
ヤダヤダヤダ、
暑い夏はヤダ。
寒い冬もヤダ。
働くのも、何でもかんでもみんなヤダ。
 
ヤダヤダヤダ、
男なんかヤダ。
日本人なんかヤダ。
地上に縛られている地球人なんかヤダ。
 
 
ヤダヤダヤダ、
ヤダヤダヤダ。
 
 
宇宙人になりたい。
大宇宙を自由勝手に飛び回りたい。
 
マンガのヒーローのように
どうして超能力もって持って
生まれてこなかったのだろう。
 
 
ああ!ヤダ、
ヤダヤダヤダ、
何でもかんでもみんなヤダ。
 
       2006 7/30  written by まもちゃん
 
 
時に何でもかんでも嫌になることもあります。
そんなときは、子供のようにダダをこねてみましょう。
大きな声で「ヤダヤダ!」とわめき、手足をバタバタしてもいい。
状況は変わらないけど気持ちは少しすきっきりするかもしれない。
 
 
 
 
 
 
141
 
ホドホド 程々に美しく行きましょうか。
 
 
沈めば浮くし、
上がれば落ちる。
 
圧力をかければ、変形する。
元に戻ることもあるし、
そのまま変形し続けることもある。
 
人生は程々、それがいい。
 
 
美しく、完璧を求めるのもいいが、
それはなかなか難しく厳しい。
 
そうなら、程々に美しさを求めましょうか。
 
凡庸ということは恥ずかしいことでもないし、
完璧を求めることより大切なことかも知れない。
しかし、これも今さら、難しいんだよ。慣れていないから。
 
 
ということで、程々に妥協しながら、
平凡過ぎるのもきついから、
きる範囲で、美しさを求めましょうか。
 
 
「美」とは広くて大きいと書きます。
そうありたいのは夢ですが、
無理せず程々が肝心というです。
 
               2006 8/18 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
142
 
ローマン派
 
 
ネオンが眩く光る大都会
立ち並ぶビル達のはるか頭上を
大きな月がゆっくり運行する。
 
この地上の生きとし生けるものは
三十億年の記憶をその細胞に刻みこむ。
そう、満月の夜はこの地上が楽園なると。
 
 
眠り続ける細胞をたたき起こせ。
10兆の全細胞に渇を入れよ。
まだ一割二割の能力しか引き出していない。
 
人生八十年時代、五十歳は昔の三十代と同じ、
これからひと勝負ふた勝負仕掛けなくて。
まだ見ない新しい世界を切り開かなくてはならない。
 
 
過激な元素、酸素を使うことによって、
生命は、無限の可能性を手に入れた。
しかしそれは、
老化という時間の制限を受け入れると言う、
取り引きによるものだった。
 
その後の数知れぬ受難の歴史にも打ち勝ち
いのち達はこの地上に
実に多彩な変化と多様性を開花させ続けてきた。
 
 
眠り続ける細胞をたたき起こせ。
10兆の全細胞に渇を入れよ。
まだ一割二割の能力しか引き出していない。
 
人生八十年時代、五十歳は昔の三十代と同じ、
これからひと勝負ふた勝負仕掛けなくて。
まだ見ない新しい世界を切り開かなくてはならない。
 
              06/10/20 Mamoru Muto
 
 
 
 
143
 
時雨
 
いつ降り始めたか分からない雨が、
街路樹を濡らし、傘が一つ二つと通る。
カラカラ乾燥した北風が吹く頃なのに、
今年は暖かく、なかなか冬は来ない。
しとしと、霧のような雨が、家々を濡らす。
 
この時期のこんな雨は、故郷を思い起こさせる。
十一月に入ると、日本海側にある故郷しぐれ模様の日が多くなる。
雪の降る前の曖昧な沈んだ時期、
僕の中の陰湿な部分はこの季節に形作られ、
心の底の部分を支配する。
 
 
遅い朝、朝とも昼ともつかぬ食事をしに、
近くのレストランの窓側に席をとった。
ピザパイをたのみ、エスプレッソコーヒーをすすり、
ボーと外を行き交う人や車を眺めている。
なんと久しぶりだろうか、至福の空虚な時間。
 
 
ふと、痛みが、遠い記憶から蘇った。
幼き頃の火傷の痛み。
叔父の焼いた石の鑿が十分に冷めぬ前に触れてしまったのだ。
大事にはいたらなかったが、
指の痛みに続き、雨と、遠くの飯豊の山々の白い頂が、
一繋がりとなって、記憶庫から蘇った。
 
父方の叔父叔母達はみんな死んでしまい、
田舎の風景も、大きく変わってしまったが、
しかし、遠い記憶の風景は、年を増すごとに鮮明となる。
 
 
師走の遅い銀杏紅葉は、しっとりと濡れ、
僕の心も、しっとりと、
忘れていたことどもの中に沈む。
 
              2006 12 18 Mamoru Muto
 
 
 
 
144
 
「死」に付いての二三のこと
 
 若い頃海水浴で死にそこなったことがあった。酔っぱらって夜の海に飛び込んだのはいいが、沖に流されてしまった。友人が異変に気づき、助け出されるまでの時間(三十分?一時間?時間の感覚など麻痺して分からない)、「助かる」という以外の考えを受け付けていない自分に気づいた。
 
 この経験は大きかった、頭の中で考えていた「死」に対するそれまでのさまざまな考えは吹き飛び、「生きている」ことを素直に受け入れることができるようになった。
 「人は何のために」に生きているのではなく、「ゴキブリやネズミが生きているのと同じ原理」で生きているのだ。と素直に思えるようになった。
 
 それ以前、関わっていた「水俣病患者支援の運動」は、物理的なことでは「支援」だったかも知れないが、心の中では、「迷える子羊」の心の隙間を埋める作業、患者さんに大切なものをたくさん貰った。
 でも、運動の節目には、自殺するものや、医者の世話になるものもたくさん出た。 突然行方不明になったり、すぐに自分の世界に閉じ込もってしまう僕は、仲間達から、「注意人物」の一人に加えられ、「自殺だけはするな。」といわれていた。
 
 二十歳の頃、町工場で目の前で友達に死なれたことがあった。八十度のお湯の槽に落ち全身火傷であった。脱力感に襲われ、立ち直るのに半年ほどはかかった。
 
 小学生の時、二番目の姉が死んだ。優しい姉で一番好きだった。中学になるまで、次は僕が死ぬ番だという悪夢に襲われた。「死」といったものが一生のテーマとなった。
 
 そして、その後多くの「死」にであったが、「ゴキブリやネズミ」のように最後の最後まで「生きる」ことが一番、その次に「出来たら人間としていい生き方」と考えればいいことである。
今、生きていることがなによりも幸せ、とつくづく考える。有り難いことです。
 
                   2006 12/23 Mamoru Muto
 
 
 
 
 

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──── 詩14・2007 (145~158) ────
 
145
 
久遠の空の青さの中に
 
 
爆弾低気圧が何度も通った去年の秋、
一日降りつづいた雨は、
地上のスモッグや塵やゴミを洗い流し、
どこまでの青い空が広がった。
 
なぁ~にもなくなってしまって、
また「ゼロ」からの出発です。
元々なんにもないのだならへっちゃらです。
さあっ~て今度はどっちに行こうか。
 
ぽっかり浮かんだ雲
どこまでも青い中をゆっくり流れています。
丘を越え山を越え海を越え、
どこまで流れて行くのでしょうか。
 
描き続けて真っ黒になってしまったキャンパスは
記憶の倉庫に仕舞い込んだ。
真っ白い新しい奴をイーゼルに立て、
もう、準備はできた。
 
夕日が西の山々の稜線にゆっくりと沈ずみます。
赤やオレンジや黄色や紫の色彩のドラマを
空一杯繰り広げ、濃紺の深い闇へと変わった。
そして、一つ二つ星がその輝きを増してきました。
 
            1/4 2007 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
146
 
ブツブツ虫
 
ちょっと暇な時期が長くなると、
どこからかブツブツ虫が騒ぎ出す。
ブツブツブツブツ
どうしようどうしよう
 
ああなかなかうまくいゆかない。
思ったことの十分の一進まない。
ブツブツブツブツ
どうしようどうしよう
 
掃除して、洗濯して、風呂に入った。
そして、コーヒーを入れたら
ブツブツ虫も少し静かになった。
 
 
暖かい冬、今日もポカポカ春日和。
ブツブツ虫を鎮めに春もこんな早めにやってきたか。
で~もさぁ、そんな程度じゃ消えそうもない。
僕の中にしっかり巣を作り住み着いている。
 
          2/8 2007 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
147
 
春予感
- あまりにも早くやってきた春気配 -
 
温かい冬
日差しだけの春ではなく
気温もともなった春気配。
でも、春を想像することは、うれしく楽しい。
 
満開の桜、桃の花と春霞、梨の花の白さ。
 
実際その季節になると決まって、欲が出て、
木々がみどりの若葉をつけないと本当の「弥生」ではない。
などと不平を言い出すことなども、思い出してた。
 
幼き頃見た極楽浄土の絵と春の花園が重なり、
懐かしい心温まる想いに浸ったりしている。
 
 
また別の日に、雪ではなく温かい雨が降り始めた。
もやが立ち、雲が厚みを増し、しとしとと落ちてくる。
しっとり心のうちまで濡れ、優雅な落ち着きに沈む。
 
いいのかしら、一ヶ月も二ヶ月も前に
こんな最上の春気分に浸って、と
喜んでいいのやら、心配すべき事柄やら分からない。
 
 
変化というキーワード、
驚きという言葉、
「異」なものを求める心。
この春陽気が、そんな僕の心根と
うまい具合に作用してくれるよう
願わずにはいれない・・・・
 
             2/9 2007 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
148
 
さ く ら
 
 
さくらさくら、
毎年この季節なると、なにか浮き浮きとして、
何かくすぐったく、落ち着かない気分になる。
僕も日本人なんだな、と気付く季節である。
 
西行は満開の桜の下で死にたい、と歌に詠んだ。
パアッと咲き、パアッと散る。
今までくすぶっていた春気分が、一気に花開く。
この花咲か爺さんの手品は、
日本人の心を引き留めて止まない。
 
 
さくらさくら、
今年も忘れずやってきてありがとう。
昔は桜の開花が農作業の始まりであった。
今もこの風習をまねて、学校も会社も桜の開花と共に始まる。
古代人が、桜の花に稲穂の豊作を重ねたように、
豊かな収穫を夢見れずはおれない。
 
 
さくらさくら
今年も約束通りやってきて、
僕の心にも、パアッと春が花開くことが出来た。
 
ありがとう、小さな戦士達。
 
              2007 4/5 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
149
 
奇声
 
 
ギャオーオオオオーーッ
ワャオーーーオーーーッ
 
人前でやったら、完全に狂ったと思われることは確かだ。
警察もやってくるかも知れない。
 
ギャオーオオオオーーッ
ワャオーーーオーーーッ
 
今日は友達二人に電話で叫んだ。
先日は車の中で終え続けた。
 
アホホホーオオオーーッ
ビファーーーオーーーッ
 
人間は所詮動物。
真面目くさって社会人やっていたら、
ストレスが溜まるのは当然。
 
ギャオーオオオオーーッ
ビファーーーオーーーッ
 
今夜は、嬉しい嬉しい十五夜お月様。
人いない川原に行って吠えまくれ。
 
               5/2 2007 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
150
 
人として
 
 
神様のような人もたまはいるし、
悪魔のような人もまたほんの少しいる。
ほとんどの人は少し意地悪だが良い人である。
 
「人として」という疑問が、
幾数十年の時を経てまた蘇る。
 
悪の素質は誰にでもあるにはあるのだが、
過失犯はともかく、重大犯を侵すためは、
才能と共に環境的条件が整わなければ起こらない。
それは、まるで美しい芸術作品作る仕事のように。
 
「人として」という疑問が、
幾数十年の時を経てまた蘇る。
 
平凡と言われる圧倒的長い時間の中、
「感動」ということが薄れ、
「何も何もこんなものか」と感じてしまったこの時期、
こんな疑問がもち上がるのは、当然の成りゆき。
 
しかし、まだまだしばらく、この疑問の回りを、
ブツブツブツと、堂々巡りするほかないだろ。
 
 
風景がすべて無気質な鉛色に見えていた高校生の頃。
「夢」と聞かれ。答えられずどぎまぎした二十代半ば。
分かってしまったが、全く納得していない自分。
さりとて、何も先が見えてこない中途半端な時期。
 
 
「人としてどうすべきか」という、
若い頃考えた疑問が、
幾数十年の時を経てまた蘇る。
 
              2007 5/3 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
151
 
品ついて
 
「品ひん」は「貧ひん」につうじ、
「気高き清貧」は、物であふれる今日でも、
人間の品格の最上位に位置することには変わりがない。
 
でも、長年の貧乏生活に、僕ははなはだ疲れてしまいました。
できたら、「貧」を僕の看板することは取り下げたいのですが・・・。
 
 
 
人間の品とは香りのようなものです。
日々の行動や言葉使いや振舞そのものではなく、
それらの仕種の狭間に見え隠れし感じられる匂いのようなものです。
 
若い頃は、親から受け継いだ性格や感受性から、
また、年を取ってからは、人生経験から得た知恵や考えから、
自然と心が発する香りや匂いのようなものです。
 
いい匂とは、己に固執せず、
人への配慮を忘れず、更に普遍的価値へ繋がるものを持合せている故に、
何気ない仕種のでも人の心を和やかにするし、豊かに感じさせます。
 
 
その反対に、「卑ひ」は我に固執した姿です。
良いことを言っても、何やら臭さを感じさせてしまうのは、
その心根が不純故に、疑惑を拭いきれないのです。
 
誰も自分を大切することなしに、何事も成立しません。
しかし、自分だけに始終し、人への配慮を欠き、
その場凌ぎの対応しかできなくなると、
人は、己の厚顔無恥な醜さに気づかなくなってしまいます。
 
 
できたら、僕も「品がある」いわれる人になりたいものです。
 
 
 
困ったことに、情報が飛び交い教養のある現代人は、
理想を追うあまり、知識だけ先行してしまう傾向があります。
 
品は意識的にどうこう出来るといった代物ではありません。
それは、長い時間の中で無意識のレベルまで沈められた、
感性や思想から発せられるものだからです。
 
「品」を取り戻そうとしたら、まず色々なしがらみを排除して
「素直な自分との対面」という努力が必要です。
それが一番大変な作業です。それが出来れば誰でも、
人を思い世界を想う心根のあることも気づくでしょし、
更にそこに、普遍的な価値を見いだすこともできるでしょう。
そして、時々そんな自分を確かめることが出来れば、
自ずと日々の行動が品を帯びてくると思います。
 
 
 
でも、何が上品で何が下品かは、そう簡単には言い尽くせません。
でもきっと、「人の品格とは何か」と時々考える続けることが、
「品を保ち続ける」一つの方法だと、僕は思っています。
 
                   2007.5.26 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
152
 
六月の雨 さみだれ
 
 
午後から降りだした雨は、夜になってもしとしと続く。
気象台も遅い梅雨入り宣言を出した。
久しぶりの雨に僕もしっとりとうなずいた。
 
六月の雨は天の恵み、この国土に住む諸々を作ってきた。
米を育て、豊饒の秋を約束し、
紫陽花をみずみずしく際立たせ、
ささくれたっ肌をしっとりきめ細かくする。
雨で内向きになった心が、
細かいところにまで行き届く神経を養ってきた。
 
長雨はぬんざりするが、
適度な雨無しには、僕の心の健康は保てない。
傷ついた心の隅々に、優しく潤いがしみ込む。
人には話さないことどもが蘇り、
ゆっくり巡り、また心の奥の扉の中に納まる。
 
 
六月雨さみだれは紫。
紫陽花あじさいに、露草つゆくさに、青紫蘇あおしそ。
杜若かきつばたに、菖蒲あやめに、花菖蒲はなしょうぶ。
梅雨つゆには紫の草花がよく合う。
この色は、昔から最高位の色で、複雑な中間色である。
着こなしの難しい、大いなるバランスの上にこそ合う色である。
雨にはそんな複雑さを包み込み、活力ある美しさにする力がある。
 
そして、蛙かわずに蛍。サクランボに、青梅あおうめ。
都会では蛙も蛍も探さないと見つからなくなしまった。
田舎にいっても同じで、
星の数ほどの青白い光や、眠れないほどうるさい蛙の合唱が
本当に少なくなってしまったことは、なんとも寂しい。
水路がみんなコンクリートに覆われてしまったからだ。
それから、忘れてならないのは梅。
梅干しは日本食にはなくてはならない食品である。
 
 
雨はいい、
初めはしとしとと、後半は雷をともない激しく、
六月ろくがつの雨はこの国土の諸々ものを造り出してきた。
 
               2007 6 16 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
153
 
夏本番
 
梅雨は記録的に遅く明けたにも拘らず、
連日35℃を越える暑さが続く。
脳みそは完全にメルトダウン、核爆発寸前の原子炉状態。
体は干物男ひものおとこ、そろそろ臭気を放つクサヤ男への変化は大。
 
午後の樹下昼寝も、
今年は何やら満足には至らない。
 
「このままでいいの」
不満とも、何とも言えぬものが、
夜の熱気の中を彷徨う。
 
朝起きまだ涼しいうちは
「闘うぞ」威勢のいいことを思ったりもするが、
すぐにかき消え、
酸素不足の金魚のごとく口をパクパクさせるだけ、
汗が滲み出す頃には、面倒臭くになりそれも止めてしまう。
 
「夏ナツココナツ・・・」
メトロダウンした脳みそでは先が続かない。
今流行はやりの「干物女ひものおんな」ならず
僕は「干物男」と化す。
 
                 Mamoru Muto 8/10 2007
 
 
 
 
 
 
154
 
歴史
 
お盆に帰った会津の田舎
兄より渡された小冊子
「上かみの家」の爺様が丹念に調べた
1200年の小さな村の小さな歴史
ずっしりと心の中に落ちて行く。
 
過疎や老人ばかりの、今にも消えてしまいそうな小さな村
日本のどこにでもある田舎の姿なのだけど、
でもそれは、大多数のアメリカ国民には及びのつかない、
または、数世代前に都会に出てしまった
日本の都会人にはもう戻ることができない、
淡々と流れた歴史の長さと重みがそこにはある。
 
春になればいつも採りに行く沼の芹は、
1200年前の旅僧にもてなした芹であるし、
幼い頃メダカを獲り行った淵は
観音像が身を沈めた淵であるし、
竜神が姿を現した川である。
 
そんな言い伝えの真偽はどうでもよく、
重いのは、それを信じる一族が
1200年の長きに渡って、
途絶える事無く延々と続いてきたと言う事実。
そして、その延長上に僕もいると言うこと。
 
              8/26 2007 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
155
 
息をして初めて生き物。
 
 
息をして初めて生き物。
動き回って初めて動物。
知恵を出して初めて人間。
 
ものが美しいのは生きているからです。
自分をあまり安心安全なところにおかず、
一日一日を精一杯生きて行きましょうか。
 
そんな日々の営みの狭間からこぼれ落ちる、
言葉や振舞は、きっと外から見たら
美しく見えたり、聞こえたりするものでしょう。
 
生きているものはみんな呼吸していますし、
動き回って初めて動物といえます。
知恵を出せなければ人間とは言えない。
それは、
知恵は知識とは違って、
必死に生きようとした時にしか生まれない、
心の閃きだからです。
生きよとするものすべが命の輝きと同質だからです。
 
動物や植物は、人間のような知恵を出す能力はないけど、
美しい花を咲かすし、奇麗な声で囀る力を持っている。
それは「生きよう」とする本能の美しさです。
 
息をして初めて生き物。
動き回って初めて動物。
知恵を出して初めて人間。
 
だから、人間はその能力を全開にして生きたとき、
人は美しいと感じるのです。
そして、その一部が記録された「物」は、
場所や時間を超える力を持つのです。
 
             9/21 2007  Mamoru Muto
 
 
 
 
 
156
 
気紛れ
 
 
自然は大いなる気紛れの産物。
神々の気紛れでによって産まれ、
気紛れな采配によって営み続けられている。
 
 
海のかたわらにある公園の、小春日和の芝生に腰を降ろし、
コンビニで買ったおむすびを広げ、昼飯を食べた。
空はすっきり青空、下には蟻ん子がここにそこに。
 
 
ご飯粒を二三個を落としてみたら、
何やら騒がしくなってきた。
 
蟻ん子は、ご飯粒の回りを行ったり来たり忙しい。
触角を伸ばし、これは何かと調べたり、
あとから来た仲間と打ち合わせしたりと。
小さな蟻ん子もやってきたて、興味深々。
これは大変、威嚇して近寄らせないのも一苦労。
 
その内に、自分のからだの二倍はある一個を
高々と持ち上げ、運び始めた。
回われば楽なのに、草の上によじ登り、
下りは重いご飯粒から、ストーンと落っこちた。
でも、ご飯粒はしっかり離さない。
 
僕の気紛れで蟻ん子達は大騒ぎ。
 
 
明日の天気が分かるからといって、思い上がってはいけないよ。
今でも雨風は、風神雷神の気分次第でいくらでも変わるし、
地震は大ナマズが起こしていることには、変わりないのだよ。
 
                 2007 12/16 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
157
 
if
 
 
悲しい話が飛び込んで来て、何やら骨身に染み込む。
忘れていた古い物事も浮かび出し、
鉛の液体となって体中を回り始めてしまった。
ギスギス、体のどこかしこ痛み出す始末である。
 
涙を流せるとは、幸せなこと。
本当に悲しい時は、悲しみそのものがあることさえ拒否する。
 
 
if
「もしも」から始まる、
ロマンチックな言葉を重ねるはずだったが、
12月という季節のなせる、術中にはまってしまった。
私の心は、重油をかぶった水鳥のごとく、
バタバタばたつくばかり。もう、飛び上がれない。
 
 
大きな雲が低く空に垂れ込み、枯れ葉がクルクル舞い上がる。
着込んだつもりだったが、ちょっと長くホームに立っていると、
肩をすぼめ襟元を固く押さえざるを得なくなってくる。
 
息子の不自然な死の顛末を話していた老母は、
噴き出した涙に話しは中断し、重い沈黙が続いた。
そしてまた、小さな声で話を続けた。
遠くに坐った私の耳には、所々しか聞き取れない。
必死で聞き取れぬ部分をイメージで埋めるのだが、
細かい部分は分からずじまいのままである。
 
延々と続いた話が終わった時は、すっかり夜も更けていた。
更に夜風は冷たく、ローカル単線の待ち時間はあまりにも長い。
もう、関節という関節がガタガタと鳴り始めてきた。
 
 
if
果てしなく続く戦争。多くの勢力が入り乱れ、
何が正義であったかなど、とっくに分からなくなっていた。
憎悪が憎悪を産み、報復が更なる報復を招く。
まはや戦闘員と非戦闘員の区別も付かず、
動くものすべてが敵となり、感覚は完全に麻痺していた。
私は、ただ「死の安らぎ」を求める戦士となり下がってしまった。
 
何やら修羅の幻影の中に、深く深く沈み込んでしまったらしい。
 
               2008 12/20 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
158
 
素直に
 
 
素直な自分の声を聞きましょう。
もう若くない肉体の軋む音を聞きましょう。
あれこれ老婆心で考え込んでしまっていることや、
おかしなことに、大人なびた推論で、
結論が見えたつもりになっていることも、
何でも、まずは素直に聞いてみましょう。
 
 
強がりを言っても通じないよ。
隠したってすぐ分かってしまうよ。
だって聞いているのはあなた自身だからね。
 
ほら、でも
年取ったばかりの貴方じゃないでしょう。
四十代の貴方も、二十代の貴方も、少年の頃の貴方も、
まだちゃんと生きているでしょう。
 
 
 
世の中はずいぶんと変わったし、
友達関係も二十年前とは違うし、
自分の欲望の種類もずいぶん変わった。
けど、
変わったことに気づいていないのは貴方だけ。
その変化に十分ついていっていないよ。
 
 
 
そう、
自分の素直な姿を知ったなら、
変わった貴方が、変わった世界を、
新鮮に感じる感じ取ることが出来るはず。
 
そしてね、
そこに新たな夢を築けるはず。
五十代後半の貴方の夢がね。
 
               2007 12/20 Mamoru Muto
 
 
 
 
 

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──── 詩15・2008 (159~171) ────
 
159
 
 
 
花々が咲き始める前の
暖冬が当たり前になってきて
昔を思い出す寒さは、ちよっと続いただけで、
身に応え、大幅に行動を制限してしまう。
 
 
先日までは忙しく動き回っていたが、
急に暇になってしまった。
初めは疲労回復の時間で良かったのだが、
暇が続き、何も手が就かなくなり
底無しの自堕落の渕に落ちて行く。
 
 
思い切って、気分回復に外に出てはみたが、
エネルギーを与えてくれるはずの植物達は
まだまだ、深い眠りの中にある。
萎えた心身にあたる空っ風は、
気分回復どころか、心はますます
無味乾燥の砂漠度を増すばりである。
 
 
「なんと無駄な時間を過ごしているのだろか。」
こんな中途半端な時間を昔からの累積したら
とてつもなく巨大な浪費となっている。
「なんとまあ、僕は無能な木偶の坊」
 
ほんの少し、実のあることが出来ていたら
そして、それを何十年間を拾い集めたら
宝石のようにキラキラ輝やくことだろうに。
 
 
夢遊病のように彷徨っていた、
若い頃の僕に、また戻ってしまったらしい。
蟻地獄にはまった虫のごとく、
ただジタバタするだけのかっての僕に。
 
            2008 1/30 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
160
 
夢は戦士として
 
 
 
闘いましょう、生ある限り。
新しい私に出会うために、
まだ見ぬ世界を見るために。
 
人生は浮き草のごとく、
大きな力に翻弄されるばかりだが、
プカプカ浮かぶにも浮き方がある。
 
夢を見ていなければ優しくなれない。
強くなければそれらを保障できない。
物を見抜けなれば、先には進めない。
 
 
 
闘いましょう、生ある限り。
新しい私に出会うために、
まだ見ぬ世界を見るために。
 
ときに祈らざるをえない気分となる。
自分に与えなれる選択肢の少なさに、
己の才能のなさに、
たまに来た幸運も、期待を大幅に下回ると、
嘆きとも、祈りともつかぬ気持ちになるけど、
浮き草の根を腐らしたらおしまい。
 
夢を見ていれば、前を見ることができる。
苦しい時期は沢山あった。
格好だけでも先を見続けましょう。
 
 
 
闘いましょう、生ある限り。
新しい私に出会うために、
まだ見ぬ世界を見るために。
 
そう、恰好だけでも!
いやいや、何もかもこれからさ、
まだやっていないことが、あれもあるし、これもある。
才能がないと踏み込まなかった世界が、沢山あるじゃないか。
 
振り出しに戻り、新しい方向に一歩踏み出そう。
心は青春。若い頃となあんにも変わらない。
そう、僕は一人の戦士。
 
             2/12 2008 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
161
 
赤ん坊
 
 
 おっぱい飲んだら寝る。泣くか寝るか、たまには笑うか。ゆっくり成長すると思われていた赤ん坊に対する見解が、最近の研究で大きく変わった。彼らのうちでは、なにもかも活発に活動し、激しく成長しいるらしい。
 生まれて三ヶ月で歩く本能が目覚め、脳細胞シナプスは、最大で大人の1.5倍まで増加しているという。また、聴覚は、世界中の言語を理解する能力があると言う。たとえば世界に二、三十ある母音の微妙な違いを彼らは明確に区別していることが分かった。まさに彼らは超天才なのです。
 しかし、一度高度に成長したものが、一歳頃から徐々にその能力を失い、通常の成長に移るらしい。言語感覚は、母親の話す言語の母音意外は理解できなくなり、シナプスも減少すると言う。
 
 分かるような気がする。僕らが非常事態に遭遇したとき、アドレナリンが分泌され、脳味噌も筋肉も普通では考えなれない力を発揮する。全神経を張り詰め、現状分析をし、どうすれば危機を回避できるか、脳はフル回転する。そしてその行動に移ろうとする。
 
 赤ん坊にとって、この世界に居ることが非常事態なのです。手でさわり、舌で舐め、そこで感じて触覚、味覚で安全か異なを分析をする。自分にとって安全なもの、自分を保護してくれる母の匂い、感触が分からなければそれはすぐに死につながる。まさに全ては未知との遭遇なのです。一時間でも早く立って歩かなければ、野性なら他の動物に食べられてしまう。生まれ落ちた途端に、彼らは自分の全能力を使い、生死の闘いをしているのです。
 そして、一年経ち、この世界の様子も大分わかり、それに対応することの自信がついて始めて、非常事態の警報を徐々に解除するのです。必要のない能力を無駄に使うのを止めるのです。そして通常の成長過程に移行するのです。
 
 ほとんどの人はそんな小さい頃のことは覚えていないけど、みんな天才的な能力をかって持っていたのです。大人となり、みんな更に限定的にしか自分の力を使っていない。まだ、眠っているかも知れないよ。貴方の内にあるその天才的な力を、まだ使えるかも知れないよ。・・・・
 
                 2008 2/19 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
162
 
春の祈り
 
 
北半球では春分を境に、昼が夜の時間を上回る。
植物達は、冬の眠りから目を覚まし、新たな命の活動を始める。
この星の息とし生けるものは、彼等の作る生産に依存している。
 
人の悲しみや、人と人のいざこざは、この事実の前では芥子粒ほど小さい。
人は過去の成果に縛られ、とかく人は自らを縛ってしまい、
不健康ないのちの小さな枠に固執する。
 
だから、春の柔らかい太陽の前にその身を曝け出し、
植物達の造り出す新鮮な酸素で、洗い浄めなければならない。
 
 
 
人生は矛盾だらけ。
僕の思いなどグヂャグジャに曲げられ、傷を痛がっていたら生きて行けない。
物を二重三重のベールを越しにか見ない術が、すっかり身に付いてしまった。
たとえ見えたとしても何の対応ができなければ、見ないのと同じことである。
 
嫌な奴ほど、じわじわ近寄ってきて、友達面していつまでも長く居座る。
これは、喜劇を通り越しこれは悲劇である。
 
 
 
今年も桜がこの国をピンク色に染めながら北進する。
その後を追って、「萌え」が山を駆け登る。
巡り巡ってきた春。嬉しい嬉しい春。
 
 
僕はこの崇高な季節に祈らざるを得ない。
人々の放つ毒牙に侵された、この身と心を清めておくれ。
あなた達の健康な生命の力で、立ち直らせておくれ。
と。
 
              2008 4/2 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
163
 
さくら色の雨が降る頃
 
 
やさしい雨模様。
しっとり さくらを散らし、
柳の若芽は 鮮やかな若草色に輝く。
 
春はうつろい。
気紛れな乙女心のように
晴は続かず、次の日は雨となり、風が吹く。
時には大荒れとなることもあるが、
それは、青春の優しいピンクの、
その変化のひとつに過ぎない。
 
 
雨はいい。特に春の雨は。
 
桜の馬鹿騒ぎも ほぼ終わり、
花散らしの雨が しっとりと降る。
 
地下かこで眠っていた、思い出が
息を吹き返し、地上いまを巡る。
そして、
小さな生命いのち達が空みらいへ向かって
すくすくと伸び出す。
 
              4/7 2008 Mamoru Muto
 
日本人は桜の花に異常な興奮を覚える。それは病的と言っていい。どこもかしこもお祭り騒ぎである。その祭りの最期を飾るのが、しとしとと降る春雨である。この雨が病的なまでに高まった興奮を鎮め、いつもの春に戻してくれる。
 桜が咲くのが「をかし」なら桜が散るのは「あわれ」である。何やら忘れていた、古い記憶が蘇ってきた。
 仕事で寄った日本橋のコーヒーショップの窓から歩道の木々を眺めながら、空いた時間をしっとりとした気分に浸っていた。もう濡れた新芽が顔を出している。
 
 
 
 
 
 
164
 
古い詩
 
 
ちよっとのぞき込んだ押入の段ボール箱。
メモ帳に走り書きした文字の連なり、
僕の青春が次から次と蘇える。
 
悲しかったり、苦しかったことの方が多かったのに
楽しかったことだけが次々と浮かび上がる。
時間の魔法のなす術わざなのでしょうか。
それとも一杯泪を流したお陰でしょうか。
 
 
 
綿入れ半纏とビーチサンダル、それが僕の正装。
丸の内のビジネス街も、霞ヶ関の官庁街も、
治外法権の無頼漢として押し通した。
 
水俣病患者支援というのは名目。
青春のエネルギーをぶつける場所を
見つけることが出来た、僕は幸せ者。
 
最期まで、意地っ張りを通してしまった。
止めなくてよかったのに、大学に退学届けを出しに行ったり、
静かに身を退けばいいものを、「運動から抜ける」とわざわざ皆の前で宣言したり、
女の子の優しい言葉に、素直に「助けて」言えなかったり、・・・と。
 
 
でもそれは、心の中には風が荒れ狂っていて、
本当に無器用で、ぶっきらぼうにしかできなかった。
「ああ、馬鹿だった」と、ひとりクスクス思いだし笑い。
 
時が経ち、もうとっくに風も止み、毒気は十分浄化された。
やっと、心から笑えるようになりました。
 
 
 
忘れていた段ボール箱。
デッサン帳の端に綴られた言葉の連なり、
遠い青春が、再び蘇る。
 
楽しかった思い出だけが、
キラキラ輝きながら飛び回る。
 
               4/27 2008 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
165
 
風にもらった勲章
 
 
昔の世界に浸ひたっていたら、
何やらうっかりミスを連覇するばかり。
否応なしに現実世界に引き戻されます。
今や、前期高齢者突入する年の頃。
いやはや、いやはや。
 
でもさ、今だって風にもらった勲章は
ぼくの一番の名誉、一番の宝物。
もうとっくに、風も吹かなくなったし、
なみだも、流すことも少なくなったけど、
風がおいていった勲章は
胸でキラキラ輝いています。
 
 
青春の生意気な気分にはまっていたら、
叔父さんの世界では、ちぐはぐするばかり、
いけないいけない、ぼくはただの叔父さん進行中。
生きるって恐いこと、
人や物の洪水が、勝手にぶつかり流れています。
避よけたり、逃げたりしませんと、
大きな怪我しちゃいます。
 
誰か、人が誉めてくれた言葉より、
遠い昔にもらった勲章が、
ぼくにとっては一番の誉め言葉。
だって、風に舞う雪花や木の葉たちが、
泣き虫小僧を慰なぐさめ、くれたものだから。
今でも心の奥底で、小さく小さく輝いています。
 
            2008 6/5 Mamoru Muto
 
 昔から童話を書きたいと思っているのですが、なかなか書けません。大人のつき合いや仕事が色々邪魔して、そういう気分に浸り切れません。でも、時間があっても書けないのは、僕の気持ちが書けるとこまで出来上がっていないからでしょう。詩は思いつきで出てくるのですが、長くなりません。
 子供は小学生前半までが一番かわいい。泣くにしても笑うにしても彼らは天使ですよね。高学年になると段々大人のことケチが付く。でも、この詩は低学年じゃまだ分からない、小学高学年にならないと。
 車の中でラジオを聞いていて、誰だったか作家が言っていた、名前までは覚えていないのだが、「泪は想像力のなせる技」と。聞きながらなるほどと相槌を打った次第。僕の昔を思い出したついでに、それを詩にしてみたらと。
 
 
 
 
 
 
166
 
なみだ
 
みなだを流す人は幸せだということだよ。
本当に悲しいときはなみだは出ないから。
だって、お父さんやお母さんがそばにいる時にしか、みなだは出ないでしよう。
 
泣き虫は素敵なことだよ。
それは、豊かな才能、すばらしい感受性を備えていると言うことです。
悲しいから泣くんじゃないよ、悲しいこと想像して泣くんです。
そしてねそれは、自分の痛さだけじゃなく、人の痛さも感じることの出来る、
とても素敵な大切な才能をそなえているということです。
人はなみだの数だけ、大きく豊かな人になるのです。
 
更にもう一つ言っちゃうとね、
人間の世界は、なみだを流せる人がいっぱいいるから強いのです。
目に見えないなみだを流せるたくさんの人が、
目に見えないたくさんの心で支えているから、
少々のことでもびくともしないのです。
 
だから、いっぱい泣いて、そして一杯笑おうよ。
 
             泣き虫の君へ    まもる 2008 6/6
 
 
 
 
 
167
 
悲しみは不意にやって来るもの、楽しみは自分で作り出すもの
 
 
悲しみは不意にやって来るもの
楽しみは自分で作り出すもの
 
人生はこんなはずではなったのに
重い重力の拘束を受けるばかり、
羽根をもがれた小鳥のように
うろうろ上を歩くばかり。
ああ神様、僕にもっと力を
空高く飛べる翼をください。
 
 
楽しみは自分で作り出すもの
汗を流して見つけだすもの
 
いつも一人の戦士として
戦い続けてきたけれど。
十分の一も思い通りにはできていない。
優しい言葉などいらない。
 
まだ、力が不足しているのでしょうか。
努力が足らないのでしょうか。
でも、選んだ道とはいえ
長いマイナー生活にははなはだ疲れた。
 
 
幸せは汗を流して見つけだすもの
汗を流せることがあるのは幸せもの
 
世界の多くの場所で、汗を流す場所さえない人々がいる。
しかも、それは彼らの責任でないのに。
 
ならば、僕は平和な豊かな国に生まれて、
贅沢な悩みを持つ欲張りものでしょうか。
程々をわきまえるない、強欲ものなのでしょうか。
 
 
悲しみは不意にやって来るもの
楽しみは自分で作り出すもの
 
でもさあ、よく考えてみれば、物質には、
僕は食うや食わずの人々変わりはない生き方をしてきた。
おまえはこれ以上の欲張るなというのはおかしい。
不意の悲しみも幾つか僕の身を襲った。
だから、
もっと沢山お金はほしいし、それを造り出す力もほしい。
 
 
この世に生受けたからには、
一日でも、一分一秒でも長く生きること。
それが、生き物として、動物として、すべき事。
そして、
新たな私に出会う、旅を続けること。
それが、人間として、最大の楽しみ。
僕がこれから全力を尽くし、すべき事。
 
           7/31 2008 Mamoru muto
 
 
 
 
 
168
 
 
宇宙皇子の肖像
 
 
はるか100光年の時空を超え、
銀河の果て、宇宙のド田舎、地球へ。
探検にやって来たのはいいのだが、
事故で宇宙船は壊れ、お供のものは皆死んで、
瀕死の重傷で生き残った、宇宙の皇子。
 
辺境宇宙の真っ暗い空間に
宝石のように、小さく輝く惑星、地球。
この青い美しい星に住むものたちも
みんな、可憐で美しかった。
ただ「人間」と称する生物以外は。
 
美しい植物たちの造り出すものをただ食べ、
かわいい動物たちをも、むさぼり食うだけの、
すべてを他の生物に依存する生き物「人間」。
馬鹿で、間抜けで、アホな、ただの一種類の生物「人間」だけで、
宝石のこの星を、ただの石塊ころの星に変えてしまっていた。
 
状況は緊迫していた。
ここの惑星の大気に含まれる酸素は、宇宙人には毒性が強く、
弱った皇子の肉体を更にむしばんでいた。
こうなっては、生き延びることは難しかった。
 
その時である。一人のあの寄生生物が近くに寄ってきた。
もう、選択の余地はなかった。
皇子は回復不可能な肉体部分を捨て、
この生物の中には入り込んだ。
 
ここに、寄生生物「人間」の中にもう一人の人格、
しかも、宇宙で二番目に高貴な「宇宙皇子」が同居するという、
おかしなことなってしまったのである。
 
これが「宇宙王子・まもちゃん誕生秘話」である。
 
                宇宙歴 41.80.8002  Momo
 
 
 
 
 
 
169
 
八 月
 
 
夏の暑さが頂点に達し、これからはものの陰が伸び始める。
陽と陰、喜びと悲しみが、両極端に写し出される季節。
山や海では若者達や子供達の歓声が谺し、一斉に勢いを増す蝉の声。
それと正反対に、
この国では敗戦の記憶が語られ、盂蘭盆会が催される。
 
内向きな僕は、光のより陰部分に心は馳せる。
お盆過ぎの、もの寂しい気分が好きだ。
ヒグラシや、ツクツクホウシの蝉の声もいい。
残暑の空に、久遠の秋空を先取りするのも良い。
 
 
 
何やら今年は、北京の馬鹿騒ぎに、
マスコミは完全に占領されてしまった。
NHKがオリンピック前に戦争特集を組んではいたが、
連日の競技の勝敗報道に、何もかもが呑み込まれてしまった。
 
例年ごとく、新たに見つけた公園の木の下、
簡易ベット、お水、コーラ、カメラ、携帯、タオルを
芝生の上にばらまき、ただ蝉たちの協奏曲に耳を傾ける。
32℃を超えたら、こういう過ごし方が一番いい。
 
まだ、久遠の空を感じられない。
見る間に空を覆ってしまった雷雲から、
激しい夕立が降りまじめ、今日は逃げ帰ってきた。
 
八月も半分。
明日でお盆も終わる。
来週からは、徐々に人々は、いつの日常に戻る。
僕はもうしばらく、この暑い日々をやり過ごし、
いつもの日常に戻る。
 
さて今年は、しっとりした気分を
どれほど楽しむことが出来るやら。
 
             2008 8/15 Maoru Muto
 
 
 
 
 
 
170
 
王者のごとく。
 
 
「戦士のごとく火達磨になっても」
と、言ったって、体が付いてこない。
目も耳も足も手も、年相応に力を失っている。
 
でも、心は失いたくないね。
行動はゆっくりとなり、注意深くなッたけど
「何か」を探し続けていた私は失いたくない。
 
 
「王道」とは何でしょうか。
ずっと考え続けてきたことの一つです。
それは「ただ」と言うことでしょう。
普通このことのです。
 
それは人間社会が、他の動植物と契約した約束事。
人間同志が長い時間をかけ、培ってきたこと。
難しいことではなく、最も優しい当たり前のことです。
そして、それが一番この世で強く、そして大きいのです。
 
 
だから、王者のごとく行きましょう。
誰でもできる「王者の道」を。
ゆったりと、小さなことには動じず、行きのましょう。
「水の流れる」如く、「風の吹く」如く。
 
             2008 10/19 Maoru Muto
 
 王というは、多数派のことです。国という大きな集団のみんなが共有できる価値を包括した存在です。王にまつわるそのほかの様々なものはその属性、付け足しに過ぎません。「聖」というと、行者の持つ普遍性ですが、王は凡人の愚かさも重ね持っているのです。宇宙の普遍性と、凡人の愚も合わ持つ「王」は、僕の好きな言葉です。
 
 
 
 
 
 
171
 
センチメンタル おーたむ
 
 
赤や黄色の菊の花が、鮮やかに庭先を染め初め、
昔の勢いを失い、少し色付き始めた木々の葉達。
深まる秋に、ちょっと人恋しくなり、
素敵なあの女ひとに、文ふみなど綴ろうかなと、
郊外のレストランに陣取った。
 
 
 
『 拝啓  ご無沙汰しております。・・・』
 
どこからか聞こえる「ピッピッピー」という音。
 
『・・・紅葉の頃となりました。・・・』
 
携帯の音でもないし、「チョボチョボチョボ」
耳を澄ますと、どうも僕の内側から聞こえてくる。
 
 
入るのはチョボチョボ、
出るときにはガッポリ、
だから僕はいつでもピッピッピー。
そこで、満月の夜には時々、
ギャオオオーと吠えまくる。
 
 
オイオイ、秋もたけなわ、誰でも詩人になる季節だぜ。
 
 
 
森の中にある静かなレストランの昼下がり。
今日のダージリン紅茶の味は上々。
おもむろに書き始めたはいいのだが、
変な音がじゃまをする。
 
 
「ギャオオオー」じゃないぜ、ここは物の哀れを感じるべき処。
遠い女ひとに思いを馳せ、文ふみをしたためる刻とき。
 
 
入るのはチョボチョボ、
出るときにはガッポリ、
だから僕はいつでもピッピッピー。
そこで、満月の夜には時々、
ギャオオオーと吠えまくる。
 
 
ちょっと変・チクリンな、センチメンタル おーたむ。
 
                  10/25 2008 Mamoru Muto
 
 
 
 
 

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──── 詩16・2009 (172~200) ────
 
172
 
新年も相変わらずブツブツと
 
 
「多くを望まず」
困った事に、いつもこの言葉を持ち出さなくてはいけないことが多い。
一つは僕の心の安全弁として、
そして、人が僕の失望を知り困らせないために。
 
でも多くを望まないわけにはゆかない。
夢を見ないわけにはゆかない。
 
僕は欲張りなのでしょうか、
荒唐無稽な夢を見続けてはいけないのでしょうか。
 
 
 
「若い頃はいっぱい苦労したから、これからはいいことが続くはず。」
と、勝手な思い込みで先々を楽天的に見ようと努力はしているが、
現実はそんなにうまくは行っていない。
 
相変わらず、次から次と問題は起こり続けていし、
時に、悲惨な未来のイメージの虜から抜け出せないこともある。
 
僕はいつまで重い鎖に縛り付けられなければならないの。
僕は人並みの幸せを望んではいけないの。
 
 
 
「人としての品は忘れずに。」
と言う言葉が金糸玉条となって囁く。
「困った時ほど美しく。」と。
 
そんなこと言ったって、体が嫌々言っているよ。
もう疲れたよ、もうそろそろ開放してくれよ。
 
何やら今年もブツブツと、
心の底で何人もの私が小言を言い合っています。
 
               2009 1/20 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
173
 
春だ春だ、ギォオオオオーーッ!
 
 
春だ春だ、ギォオオオオーーッ!
一割の希望があれば戦える。
夢は自分で描くもの、造り出すもの。
万物が新たな命でに満ち溢れるこの弥生、
自分力を出し惜しみしてはいけない。
 
 
春だ春だ、ギォオオオオーーッ!
世の中は不景気、不景気と沈んでいるけど。
そんなのオラには関係ねぇ。
木々や草花の出す若々しい精気を感じていたら、
沈んでいる暇などありゃしねぇ。
 
 
春だ春だ、ギォオオオオーーッ!
春は唯でも、青春が蘇るとき。
輝かしかった過去の季節と、
記憶の押し入れの奥に仕舞い込んではいけない。
新たな夢を追い続ける人はいつも青春。
 
 
春だ春だ、ギォオオオオーーッ!
未来はいつでも真っ白。
状況は暗黒、絶望の淵。
荒海に船を漕ぎ出そう。
そう、僕は今が青春。
 
なあーぁにも、心配することなどない!
大自然の木や草の精達が応援してくれるはずだから。
 
             2/25 2009 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
174
 
波立つ海へ
 
 
世界は今大きく変わろうとしている。
古いシステムは崩壊して、新たな価値が伸び上がる。
ゆっくりと、巨大な力で、バリバリと音を立てながら。
 
僕らは古いシステムから新しいシステムへ、
船から船へ飛び移らなければ行けないのだが、
波は荒く、新しい船は近寄ってはくれないし、
すがる船板もそんなに強くない。
 
 
「若い」いう武器だけを頼りに、
小船を一人荒海に漕ぎ出した頃に戻らなければならない。
青春は年の話ではない、古いものにしがみついてはいけない。
 
でも、漕ぎ出いだそう。
どんなに暗くても。
過去に生きることは出来ないから。
 
              3/5 2009 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
175
 
は る
 
陽も伸び、寒さも緩み始めると、夢を見てしまう。
「今年はどんな素敵な人に出会うのだろか。」と。
 
桜も散り青葉若葉の頃になると、
「今年も大したことはなかったと」といつもがっかりする。
でも、夢見なければ生きて行けない。
 
俗世での不遇は、己の心で補うほかない。
いつまで僕は、気高さを演じ続けなければならないのだろか。
 
春が近づくと夢見てしまう。
きっと何か素敵なことに出会うはず。
そうして心を膨らませなければ、生きてはゆけぬ。
 
誰も憎しみたくはないから。
こころはいつも優しくしていたいから。
 
               3/5 2009 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
176
 
恐 怖
 
 
今朝は恐怖で目覚めた。
血圧が上がり、意識が回復に従い、
恐怖は薄らいでいった。
 
 
僕の記憶の奥をのぞき込んでも、
もう、思い出すことは出来ないが、
赤ん坊は底知れぬ恐怖の中で生きている。
 
 
 
 
寝ている場所や時間。
暖かい蒲団や、今日の予定、明日の予定が、
僕の意識の中に、流れ込んでくる。
それらは、僕の安全を保障するなにものでもないのです。
ゆえに、僕の感じた恐怖は徐々に薄らいで行く。
 
 
 
赤ん坊は、大人の何倍もの感覚器官をフル動員し、
何倍もの脳細胞をフル回転しながら、
何が安全で何か危険か分析しているのです。
唯一「母」だけが、自分の安全の保障する存在のです。
 
泣くのは、その母に自分の窮状を訴えるため。
笑うのは、己の満足というよりは、
その母の心を繋ぎ止めておく為の必死の演技なのです。
 
 
「恐怖」、それは自分を日常の安全弁から解き放なち、
最もピュアーな自分と出会うことの出来る、数少ない機会。
環境に順応してしまった自分を返り見る、大きなチャンス。
 
               Mamoru Muto 2009 3/25
 
 
 
 
 
 
177
 
四楽/さくら
 
開花時期を予想して楽しみ、
花の下で酒を酌み交わし楽しむ。
散る花びらに世の哀れを感じて楽しみ、
花茶に初々しい季節を思い出し楽しむ。
 
          4/6 2009 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
178
 
外へ
 
「何もかも分かってしまった」など、
貴方の思い上がり、
新しい発見を感じられないということです。
 
外に出ましょう。
ちょっとばかり知らないところに。
いつもの路地のちょっと先には、
貴方の知らない世界が広がっています。
 
「幸福の青い鳥」の話は
外にでなければ、
今いる場所の幸せが分からないと言うことです。
 
外に出ましょう。
公園の木々が緑の花を咲かせました。
彼らの造り出すオゾンが貴方を待っています。
 
 
 
「不思議に出会う」こと
それが心の冒険の始まり、
ワンダーランドは遠い世界の話ではなく、
僕らの住む世界が
不思議でいっぱいなのです。
 
外に出ましょう。
緑の川原で逆立ちして、
寝そべって空を見ましょう。
妖精達が飛び回っています。
 
           4/17 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
 
179
 
薫風、爽やかなれど
 
 
ゆっくり、ゆっくりペダルをこぐ
ほたる通りから急勾配の小路を下り
住宅地を少し行くと河川敷です。
空は青く澄み渡り、遠くに白い雲
風は強く、緑の木々や草を波うたせています。
 
木々を吹き抜けた緑の風は
初夏の強い光に輝き
無機質なコンクリートの橋までも
あたかも大きな生命の一部かのように
解け込ませています。
 
何と、美しい季節でしょうか。
何と、快こころよく眩しい、光と風でしょうか。
 
 
いいんでしょうかねぇ、僕は
こんなことをしていて、
もっと何かやるべきことあるうな
 
 
ビューッと若者の一団を追い抜く
僕は歩くほどのスピードで
ゆっくりゆっくり、
サイクリングロードをゆく。
左は花の終わった桜並木の緑、
右は広々と広がる河川敷の公園。
 
向こう岸には家々が小さく見え、
更に青い山々とつながり、
その上に真っ白い雲が浮かんでいます。
 
お弁当を広げたり、遊び回ったり、
カップルや家族達の思い思い姿が
緑の芝生の上に広がっています。
 
何と、爽やかな空気でしょうか。
この緑の季節に、何もが喜びに満ちています。
 
 
いいんでしょうかねぇー、僕は
何もかもお金のないせいにして
もっとすべきことが
 
 
土手を下くだり小道に入った。
ここは公園に続く林の中
まだ去年の大水の傷跡が残っています。
 
その木々の陰にホームレスの
ブルーのテントがひっそりと見えます。
林の向こうは石だらけの川原
水辺で子供たちが遊んでいます。
 
それにしても何とまあ、澄んだ青空でしょう。
昨夜の雨が、塵を全部洗い流してくれました。
 
 
あまりにも美しい光と風に
僕の心は付いて行けません。
だから、こんなわだかまりを
感じるのでしょうか。
 
             4/27 2009 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
180
 
六 月 ~ 病 い
 
雨の季節に病いの話はチョときつい。
 
5、6年前、向こうから一方的に縁を切った、
弟分のAT君から突然電話が入った。
 
「ムトウさん1億5千万やるから、女性を紹介してほしい。」
 
ムムッ、とうとう僕にも運が向いてきたか、遺産か、宝くじか。
 
「電気霊界から・・・」
 
一寸オカシイゾ、とにかく一度あいましょうか。
 
ほどなく、手紙や、絵を送ってきた。
ああAT君、すっかりあちらの世界にお住まいか。
お金もあらの世界からのお告げ。
 一週間後、埼玉のとある駅で再開。5年の空白なのに20年も会わなかったようにAT君は老け込んで見えた。
 車は秩父方面に向け走り出した。家々の庭先には、黄色や白い花が咲き乱れ、休耕田はポピーの赤い花で埋め尽くされていた。
 
 もう六年間、電気霊界から言葉が聞こえると言う。一時入院し、カウンセリングを受けているが、消えないと言う。
 「こだわりを捨てなさい、さすれば他のことが見えてくるし、言葉も消える。」と仏経の教えにそって、説いてみたのたが。AT君の再起は無理かも知れない。
 
四時間いろいろ話し、彼の家の近くで分かれた。
まさしく彼は地獄のなにいるのです。あの世の話ではなくこの世のこと。でも、すべて彼が自分で招いたもの、他人の僕が出来る事は少ない。
何とまあ、病む友の多いことか。一人が消えるとまた新たにやってくる。
 
 
 月が代わり、しとしとと雨が青みをおび始めた紫陽花を濡らしています。この季節、病いの話はチトきつい。
 
                   2009 6/5 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
181
 
あ せ
 
体も心も汗を流さないといけないね。
汗を流さないと、健康は維持できない。
 
ダイエットも良いのだけど、
入口だけコントロールしたって半分。
体を動かさし出口も働かせないと何にもならない。
そして、脳味噌も使わないといけないね。
 
不景気で仕事は少ないく、時間はたくさんあり余ってます。
時間は貴重。もっと使わないと、もったいない、勿体無い。
 
昨日は桑の実を見付け、今日は蛍にであった。
自転車を漕ぎ、10km夜道を走って、懐かしい風景にであった。
 
でも何かまだ無駄に過ごしている。
もっと他にやるべきことがあるはずなのに。
そう、智恵という汗はまだそんなに流していないから。
 
               2009/6/13 Mamoru Muto
 
 
 
 
182
 
ゆめ
 
夢は心の道しるべ
古いにしえ の船乗りの北極星
 
夢はそれを実現する以上に今を支える。
袋小路迷った心に、よりよき道を指し示す。
様々な困難を耐える力と勇気を与える。
 
人は夢を失ったとき死ぬのです。
さらに、たとえその身が滅んでも、
受け伝える人あらば、永遠に生き続けるのです。
 
          2009/6/13 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
183
 
 
sexy
 
 
セクシイは若者の特権などと思ったら
それは心が老化している証拠です。
本能なんです。だから死ぬまで欲望はあるのです。
 
基本は異性を魅きつける身のこなしや気配り、ですが、
異性だけではなく人間生活の中で人とふれあう時、大切です。
それは「心の若さであり」「生きている自分を感じる」ことです。
 
100歳になっても、
sexyでお洒落であり続けたいものです。
 
                2009/6/13 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
184
 
比  較
 
 
なんまあ、くだらなく阿呆らしいことでしょうか。
人と比較し、羨んだり妬んだり、あいつは俺より上、下と。
何とまあ、多くのエネルギーを浪費していることか。
 
 
人は関係性の中でしか生きられない。
生出た時、比較され評価されることを運命付けられている。
まるでドッグレースの犬のように、勝組は賞賛され、負け組蔑視される。
だから常に人と比較することを、根深く習性化させてしまった。
そして、比較は、差別へとつながり、
人類の重層した社会を維持する価値としていき続けてきた。
 
 
 
でもさあ、一人一人まったく同じと言うことないジャン。
生まれも違うし、環境も皆んな違う。
比較なんか出来できっこないじゃない。
 
もう止めよう、
比較して優越感を感じたり、劣等感にさいなまれることは。
自分がいいと思ったことは、世界で一番いいことだし、
貴方が幸せと思ったら、貴方は世界一の幸せものなのです。
 
でも、これ難しいのだけど、本当はね。
 
               2008.6.23 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
185
 
少   年
 
少年は遠くを見ていた。
村の岩山の、お不動様の祠の上から、
風に揺れる稲穂や、川や、遠くの山や空を、
何時間も眺めて過ごすことが好きだった。
見つかれば、きつく叱られる場所なのだが、
いつかこの土地を離れなくてはならない。
遠い世界への憧れとも、不安とも知れぬものがそうさせた。
 
それから幾十年、もう老年の入口にさしかかる。
でも、これまで、
時折少年の頃を思い出し、遠くを見続けてきた。
困難にぶつかるとそうして、乗り切って来た。
 
そして、これからも、
雲や山や海や空の彼方を見続けるだろう。
見える遠くではなく、まだ見えぬ遠くこそが必要だから。
 
               2009.6.25 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
186
 
絶   望
 
 
友とのメールのやりとりで
不意にでた 「絶望」という言葉
何と 懐かしい青春の香り
 
この言葉を使えるのは 純に追い求めた人だけ
そんなこと出来るのは 青春だけの特権 と
心の奥底に仕舞い込んでいたのだが
どうもそうではないらしい
 
 
言葉を使い過ぎ
もう 若い頃のように重くは使えない
 
悶え のたうち廻ることもない
涙も出てこなければ 寝込むこともない
 
そして 何やら 希望とかいう甘い言葉で
目くらましする悪智恵も 身につけてしまった
 
 
友とのメールのやりとりで
ふとでてきた「絶望」という言葉
懐かしい青春の香り
梅雨のうっとうしさを しばし消してくれた
 
             Mamoru Muto 2009.7.1
 
 
 
 
 
187
 
 
-取りあえず100歳計画-
魔 法 塾 開塾
 
 
 
さあさあみなさん、今日は魔法塾の始まりの日です。
みなさんは、魔法塾のピカピカの一年生。
さあこれから、魔法の基礎の基礎、
魔法のイロハをしっかり身につけましょう。
 
「とりあえず100歳」と聞いて驚いてはいけませんよ。
魔法の世界では、100歳200歳は当たり前、
人間の常識は捨ててくださいね。
普通の人間では推し量れないのが魔法の世界ですよ。
狭くて堅い世界にこだわっていては、
立派な魔法使いにはなれません。
 
ハイでは早速最初の授業を始めましょう。
今日は「野草茶の魔法」について勉強します。
 
人間は「美味しくない」という理由だけで、
ほんの一部のお茶しか飲まなくなりました。
何と勿体ないことでしょう。
昔の人間は、そうではなかったのですがね。
 
人間の捨てた草花にこそ、すごい力の成分が含まれているのです。
その力を見つけだすのが、今回の魔法の授業です。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
                   8/1 2009 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
188
 
二 十 二 歳
 
 
二十二歳の年に、小さな決断をした。
みんなが曲がった角を、僕は、まっすぐ進んでしまった。
 
そこは、石ころだらけの荒れ地で、
自分で道を造らなければ、先には進めなかった。
でも、そこは意味深きことが多い所だった。
 
 
確か二十二歳の春、大学に退学届けを出しに行った。
水俣病の支援活動も一段落して、僕らも考える時期に入っていた。
 
同じ大学の他の仲間達は、ゼミに出るようになった。
でも、僕はみんなのようにすることができなかった。
 
姉に話したら「親のことを考えていない」としこたま怒られた。
友達も「卒業だけをした方がいい」と言った。
大学の職員も「保留にしておくよ」と言ってくれた。
でも、僕の気持ちは戻らなかった。
 
アウトローの生活はその時から始まった。
今までやってきて、この先も変わりようがない。
でも、「間違ってはいなかった。」と、今いえる。
 
 
僕は二十二歳の春、小さな決断をした。
みんなが曲がった角を、僕はまっすぐ進んでしまった。
 
そこは、それは石ころだらけの荒れた道だった。
自分で道を造らなければ、先には進めなかった。
でもこの道は、意味深き事の多い道だった。
 
そして、きっとこれからもずうっと。
そして、僕はきっと幸せ者。
 
              8/16 2009 Mamoru Muto
 
記憶が曖昧で、二十三歳が正しいかもしれない。
でもタイトルはこのままにしておきましょう。
 
 
 
 
 
 
189
 
リ タ イ ア ー
 
60歳近くになると、世の人は退職とか言う話になる。
昔のご隠居さんである。
そして悠々自適な暮らしが待っている。
 
僕に全く関係ない話です。
一度も会社勤めをしたことありませんし、
この世界の道をはずれて生きてきましたから。
 
そして、そう簡単にリタイアーするわけゆかないのです。
だって僕の夢は果てしないし、実現したことの方が少ないから。
心臓が止まる直前まで、それを追い続けるが僕の仕事。
神様が僕にそうしなさいといっていますから。
 
今まで「年相応に」という価値判断が、
時々自分をチックする指標のひとつだったのですが、
もうこれからはこれは使えない。
心が若い奴が、長く元気に生きるから。
世間の年齢など何の役にも立たないから。
 
              8/25 2008 Mamoru Muto
 
 
 
 
190
 
秋 風
 
早くやってきた秋。
大陸育ちの高気圧、からっと晴れた空。
まだ汗ばむ気温だが、心は久遠の彼方に見つめている。
 
あまりの快こころよさに、すっかり寝坊してしまった。
夏の疲れがずしっと体に残っているのが感じられる。
細々こまごまと、家の中のことをして過ごし、夕方買い物に出た。
 
どんな秋になるのでしょうか。今年の秋は。
素敵な話が舞い込めばうれしいが。
西空の彼方を見あげた。
 
             8/27 2008 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
191
 
長 生 き は 芸 術
 
 
平均年齢を超えたら誰でも芸術家。
その身は結晶化した芸術作品。
 
人は平凡な人生と言うけれど、
90歳のじいさま、ばあさまは
非凡な才能にあふれた人達なのです。
ただ平々凡々と長生きなど誰も出来ないのです
 
 
人は誰でも年食えば、
体は弱くなるし、心も萎えてきます。
でも、それを跳ね返す心と体の強さがなければ、
長生きなどかなわぬことです。
 
ここまで来るのには誰だって
一つや二つ、危機を切り抜けてきたのです。
運がよかった訳でありません。
才能と努力の勝利です。
 
次にすばらしいのは、
若い人のように無駄な動きをしない。
積み重ねた経験からえた、知恵の固まり、
抽出された生きるためのエッセンスだけを、
日々、淡々と実行しています。
 
まるで、ヒットを打ち続けるイチローのように、
あるは、ミロのビーナスのように無駄がなく、美しい。
 
 
そう、長生きは、
強い心と日々の努力と知恵に裏打ちされた、
術者だけがなしえる、最高の芸術なのです。
 
岡山のお母様へ、94歳誕生日のお祝いとして。
 
             9/15 2009 Mamoru
 
 
 
 
 
192
 
美 し く
 
美しいとはなんでしょうか。
もちろん、容姿が整っているだけで、美人とは言わない。
鮮やかな色彩を放つ花を、それだけでは美しいとは言わない。
 
漢字で「美」は広く大きいと書きます。
更に無駄がなく、必要なものが整っているという意味です。
そして美しいとは、そう心を動かす精神的なものが必要となります。
だから、整った容姿も、きれいな花も、
心に語りかけるものがなければ、人は美しいとは言いません。
 
美しく生きたいですよね。
でも美しいかどうかは、自分では分からない。
人が感じることですから。
 
どうしたら、人に美しいと感じてもらえるのでしょうかね。
精一杯生きていれば、そう思わせるかも知れなし、
物事を美しく感じる心を、いっぱい持てば、
人もそう思ってくれるかも知れません。
 
また、「広く大きな心を」持つことが、
一番大切なことかも知れません。
形の美しさは、その次のことでしょうね。
 
しかし、自分では感じること出来ないなら、
結局人目はどうでもいいことです。
僕は一生懸命、情熱的に生きることぐらいしかできないし、
それが結果的に人に、美しく感じさせることが出来たら、
それにこしたことはないけど。
 
                10/14 2009 mamoru
 
 
 
 
193
 
もう少しで60歳
 
 
20歳と40歳、
その歳年頃、僕の人生は大きく変わった。
水俣病もそうだったし、
エジプトの砂漠も、山の中のイベントもそうだった。
大きな出会いが、僕の価値観を大きく変えた。
 
もうすぐ60歳。
また人生を大きく変える出来事に、出会うかもしれない。
 
 
歩きながら時々、
「背筋を伸ばしなさい。」と
自分に言い聞かせたりしている。
 
 
日々の事柄に埋没して滅入ったり、
同世代の人々の話しに引きずられ、
自分の人生の先々を、勝手に悲観したり、
気付くと、前屈みでトボトボ歩いている。
 
 
「もっと背筋を伸ばしなさい。」
自分を忘れちゃいけないぜ。
 
 
人の一生は波。
海面を揺らす大小様々な波の集まり。
20年という時間は、最も大きな
津波の周期ごときもの。
60歳という節目は、
新たな津波がやって来るということ。
 
 
まだ新たな出会いの予感すらあるわけではない。
ただ漠と
「今までして来なかったことをしたい。」
と思い続けてているだけ。
 
 
「もっと背筋を伸ばしなさい。」
繁雑な毎日に埋没したら、
折角のチャンスも見えないよ。
 
二年もしたら僕も60歳。
心は新たなものを待ち望んでいる。
 
            10/20 2009 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
194
 
四つ葉のクローバー
 
 
ふらっとドライブ、山のなか
たくさんクローバー生えていて
乙女のように四つ葉を捜します。
 
高い高い青い空
雲がゆっくり動いています。
 
 
気晴らしに登った山の上
四つ葉のクローバーを見つけたよ
心に灯りがひとつ点きました。
 
澄んだ秋のお空には
白い雲がゆったり浮かんでます。
 
 
誰も行かない山の奥
四つ葉のクローバー手に採って
少女のようにお願いいたします。
 
大きな大きな雲さんが
かすかに笑って通り過ぎます。
 
           10/23 2009 mamoru
 
 
 
 
 
195
 
品ある 生き方 を
 
 
困った困った。
不景気で仕事がない。
手伝いの大工じゃ、最初に干され、
仕事が回ってくるのは最後。
どうしょうどうしょう。
 
 
ブルーな気分が長引くばかり、
ゴキブリとなって餌を探さないと。
ドブネズミ様、君は偉い。
人間なんて捨てっちまえ。
 
アウトローとはこういうこと。
人間なんて捨てっちまえ。
カラスのようにゴミをあされ。
野良猫となって残り物を奪え。
 
 
困れ困れしっかり落ち込め。
ブルーを塗り重ねればブラック。
みんな真っ黒くなれば、字が書ける。
真っ白いペンキで「人間」と書ける。
 
          10/29 2009 mamoru
 
 
 
 
 
196
 
いざ、荒海に帆を上げて
 
 
若い頃の句です。
ドヤ街で絵を描き始め、
やっと、自分の言葉らしきものを見つけた頃です。
 
家族の期待や、友達の優しさを振り切り、
裸の自分と向き合うことが出来た。
知らない世界のことを始めた頃です。
 
 
木枯らしの吹く寒い曇天の空、
明るい雲の一角、微かの青空も覗き、
数十年前の記憶が蘇り、広がった。
 
くすんじゃ、いけないぜ。
何時での光り輝いていなくちゃ。
心も身体も甘やかしちゃ、くすんじゃうぜ。
 
 
友から野菜が届いたり、田舎からお米が着くや、
はたまたお金も届いたり、なんとまあ僕は幸せ者。
この言葉の頃とは、一転した世界にいる。
 
でも、もうそろそろ、旅立つ頃。
新たな空気を入れないと、輝き続ける事は出来ないから。
それが僕の一番の仕事だから。
 
荒海に帆を上げて、新たな夢を探し、
いざ、久遠の彼方を目指して。
 
             11/29 2009 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
197
 
悩み多き人生を
 
青春は悩み多きもの。
親元だけの少ない経験だけで、
魔物ごとく巨大な世界のを理解出来ないのは当然のこと。
また、何でも大袈裟に考える欲張りの証拠。
欲が深ければ悩みも深い。
欲張りに挑戦出来るのが、青春の特権。
 
しかし歳を重ねたからといって、
人生の物事に対するスタンスは変わらない。
 
新たな問題が生まれるし、考え直しもたくさんある。
 
悩む時は大いに悩み、悲しみは心が許すかぎり悲しむ。
きっとその先にやって来る、
喜びや楽しみは、実に深きものになるはずだから。
 
             12/1 2009 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
198
 
小春日和、林に椅子を出し
 
温かい師走。
色付いた木々も盛りが過ぎ、
梢からハラハラと枯れ葉が舞っています。
木漏れ日が、梢や幹や下草や落ち葉に、
まだら模様を刻み付けています。
ここは都会に残された、武蔵野の林。
 
美しいたたずまいに思わず車を止めました。
簡易椅子を持ち出し、落ち葉の絨毯を踏み込み、
林の中に椅子を据え坐りました。
しばらくこの風景の中に我が身を置くことにしました。
 
まるで雪の降るように、落ち葉が舞い始めました。
舞降りながらキラキラ光り輝やいています。
風が強くなったのです。
ひんやりとこちらまで回ってきました。
 
ここは都会の林。
飛行機の音や自動車の音もひっきりなしに聞こえます。
でも、そんなものは忘れて、
暫し、悠久の時の流れに身を置くことが出来ました。
 
              12/2 2009 Mamoru
 
 
 
 
 
 
199
 
波  動
 
この大自然は波動の集積。
無数の振動の重なりで出来ている。
それは、植物も動物も人間も同じ。
 
人の世も波、無数の波の集まり。
日夜、幾十億の波が重なり、揺れ動いているのが、世の中。
私たちひとり一人は、大河に浮かぶ木の葉のようなもの。
 
そして、そのひとり一人も、亦波が支配している。
幾兆もの細胞の起こす、微かな波の塊が人間。
生理も、感情も、波の作り出す現象に過ぎない。
 
この宇宙は、絶妙のバランスの中に存在する。
そして、私たちの社会も個人も、このバランスが作り出したもの。
 
故に、幸不幸を必要以上考えすぎてはいけない。
本来は波であるが故に、上がれば下がるし、下がれば上がる。
幸せは全身で喜び、不幸は静かに耐えればいい。
本当に不幸の時間は短く、いずれ世界が輝き出す。
 
私たちは、この大自然の波動と人の世の波と自分の揺れを、
敏感に感じ取る感性を磨かなければならない。
これが幸せを得るため、まずすべきこと、そして最良の術。
 
                12/9 2009 Mamoru
 
 
 
 
 
200
 
クリスマスイヴ
 
何もない本棚の上に小さな祭壇を造りました。
そう、今日クリスマスのイヴの日は、母の命日。
可愛い花瓶に花を飾り、お線香を燃やし、蝋燭を立てました。
そうそう、好きだった甘いものも忘れてはいませんよ。
 
もう何年になりますか、指折り数えます。
生きている間は喧嘩ばっかりしていたのに、
いなくなると、ほんとうに寂しいものです。
そしてね、感謝の気持ちだけが、浄化されて残ります。
 
毎年クリスマスイヴの朝は、手を合わせます。
時は少しずつ遠くになりますが、
ありがとうの気持ちは、ちっとも褪せることはありません。
 
だからお願いね、貴女も僕らを守ってくださいね。
 
              12/24 2009 Mamoru Muto
 
 

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──── 詩17・2010 (201~230) ────
 
 
201
 
ハ ナ ロ ク ・ 花 六
 
 
蕾の五十に、花の六十。
実りの七十に、収穫の八十。
僕はこう行きたいものです。
 
栄光とか成功とか縁の無いところを歩いてきた。
下を掘る事から始めて、今やっと地上にはい上がってきたとこ。
眩しい太陽の光にもようやく慣れてきた。
このまま人生下り坂など、到底受け入れられない。
 
 
この地上に60億の人間が動めいているのです。
無数の価値が氾濫しているのです。
昔に比べ、世界は桁違いに複雑になっているです。
そこで自分見失わず、自分の足で立つには、
長い時間が必要なのです。
 
二十代は、自分の目で世間を見るので精一杯。
三十代で、自分の考えをやっと少し言えるよになり。
四十で、世間と自分との折り合いに付いて考えはじめ。
五十で、少しこの世界で生きるということが分かってきた。
 
 
人から評価されるとかいうことは、まだなあんにもしていない。
人間の老化は生まれた時から始まっているのです。
世間の歳相応の基準など、あまりあてにはならない。
なら「ハナロク」と自分の夢を掲げても、些かもおかしくないはず。
 
                   2010 1/3 Mamoro Muto
 
 
 
 
202
 
 
 
音の世界は深い。
片耳が悪くなり、色々調べたし考える。
お蔭さまで、かなり善くなり、今は左右の耳のバランスの最後のリバビリ中です。
 
哺乳類がこの地上に生まれた頃、大型の恐竜がこの世を謳歌していた。
哺乳類はネズミのように小さく、恐竜達が寝静まる夜、主に活動していた。
そのため音は光より大切で、先ず耳が鋭敏となることになる。
故に哺乳類の耳は、耳はより深い脳の活動と直結しているのです。
 
 
三半規管は耳の中にあり、運動機能と体のバランスには欠かせない。
耳は生体の危機管理の部分に大きく関与しています。
情緒や感情とも最も深い場所からの関わっている。
 
更に、言葉という最も上層に思考回路も、「音を認識する機能」の中にある。
話し言葉は勿論、文字言葉も視角的に脳に取り込まれるが、
脳の中で「音」に変換されて、情報処理され、我々は理解しているのです。
 
 
僕は長らく音は苦手で、深く注意を払ってこなかった。
怪我の功名。耳を悪くして、耳の機能や音について色々考えさせられた。
ひのひとつ、人間の言語は音の中枢で分析され理解されているとは、驚きである。
 
音も光も、耳も目も、他の感覚も機関も、みんな必要、大切なもの。
一つが悪くなると、他の部分に大きな負担なり、他の機能も悪くする。
体はバランスが最も大切なのです。
老化が避けられないなら、バランスよく一緒に悪くなるのがいい。
 
                   2010 1/27 Mamoru Muto
 
 
 三十代初めに胃潰瘍で胃の三分の一を切除した。それ以来体のどこかがいつも痛かった。三十代で歯がぼろぼろになり、総入れ歯になるまで二十五年間痛み続けた。耳は良かったのですが、胃にいい姿勢(右耳を枕に付けて休む)が日常化し、四十代後半から耳鳴りがするようになった。とうとう聞き取りにくくなってしまった。
 しかし、聞き耳を塞ぐとだんだん聞こえてくる。ならこの歳なら補聴器を付けず元に戻るかも知れないと、いろいろやってみたら、時間はかかったが確実に良くなり、元に戻りそうである。
 自分の長年無意識にやっている習慣が、体を知らぬ間に壊している。気づいた時、直せるものは自分で直しましょう。病気はその癖を直さない限り治らないから。体はバランスです。バランスよく、弱くなって行くというのがいいんじゃないかと思っています。
 
 
 
 
203
 
二 月  光の春の頃
 
 
寒さには少し慣れてきた。
風がなければ日向の温かさに、随分と体が楽になり、
午後の温かい時間など、街をウロツクこともできるよになった。
 
何時になったら、本当の春が来るのでしょうか。
でも今年は特別、春が来るのは遠い気がする。
 
故郷で、本家の文男アンチャが死んだ。
そうこの季節、雪深い故郷では、弱った年寄りが死ぬ。
僕の多く家族達もそうだった。
 
二月、
増す光より消える光の悲しみの時と、
僕の心には刻印されてしまっている。
 
希望と絶望。
光と寒さ。
 
光の春であるこの二月は、
相反するものがせめぎ合い、結論でないまま、
まどろこしさだけが延々と続く。
そして今年は、殊更長く続きそうな、悪い予感。
 
二月、春とは名ばかり。
風は冷たく、弱り切った者の命を奪う、死の季節。
耐えなければならなぬ、長き長き「光の春」。
 
                   2010 1/30 Mamoru Muto
 
 
田舎の小さい村の親戚が死んで、この季節のぞっとする闇に触れてしまいました。
 若くして死んだ姉から始まり、祖母、父、一ヶ月ほどずれるが母、義姉とみんな僕の家族はこの時期に死んでいます。
この季節になると体が、何度か氷付くのです。
 
 
 
 
 
204
 
二 月 / もどかしい季節
 
 
またぬかるみを歩いています。
人々は癒しの言葉を求めています。
優しい言葉をかけて上げたいのですが、
僕自身おぼつかなく、強く支えてやれません。
 
 
悲しみと不安を心に閉じ込め、歩く雪解け道。
幼い頃の記憶の二月、寒い風と薄日の太陽。
ビジョビジョのぬかるみを、歩く感覚が蘇ります。
 
 
春までの長い日々、
光は見えているのに、遠く弱く頼りない。
もう耐える事に疲れてしまいました。
 
 
 
まだ、ぬかるみを歩いています。
人々は癒しの言葉を求めています。
僕も疲れてしまって、優しい言葉を掛けて上げられません。
このおぼつかない季節は、いつまで続くのでしょうか。
 
                   2010 2/12 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
205
 
人  生
 
 
人の人生は波が洗った砂浜を歩いているよなもの。
いつもはこのことは忘れている。
 
 
人は家族や友達や無数の人の中で生きている。
人と繋ぐ糸が切れた時でもなければ、
「真っさらな砂浜を歩いている」事に気付かない。
 
また、人は人を見て、自分の行動を決めている。
歩き方も無意識の内に他人と比較している。
 
でも、人はみんな、一人一人条件が違うのです。
人の真似をした処で、同じ足跡にはけしてならない。
詰まるところ、踏み出す判断は一人一人別なんです。
 
 
自分の人生は、誰の人生でもないのだから、
怖がらず、好きなように、一歩一歩、歩けばいい。
 
                   2010 1/30 Mamoru Muto
 
 
 
 
206
 
二 月   雪
 
 
二月になると東京は雪が降る。
積もってもすぐ解ける淡雪である。
夜更けて昼の氷雨が雪に変わった。
 
いつもの如く、真夜中の散歩に出かけた。
冬は家の周りを一回りするだけものだが。
真っ暗な天から舞い降りる、白い妖精達は可憐で美しい。
 
 
「胸を張って前を見なさい。」と、
自分に言い聞かせて、背筋を伸ばす。
 
やっぱり、「戦士」がいいな、
カッコいいし、美しい。
戦士としてならいつでも死ねる。
 
 
真夜中の散歩は高校時代からの習慣。
人が寝静まり、夜のとばりだけが僕を癒してくれた。
「もう大丈夫、何が起ころうが、乗り越えられる。」
 
車のヘッドライトに照らされ、
無数の白い筋が闇の中に浮かび上がった。
頬に降り立った妖精は、小気味いい冷たいさを残し消えた。
 
                   2010 2 17 Mamoru Muto
 
 
 
 
207
 
品ある人生を
 
 
人は一人では生きられない。
家族がいて、友がいる。
町があり、国があり世界がある。
 
人間の世界は動物や植物無しには成立しない。
大地があり、海があり、空がある。
 
地球の周りを月が廻り、地球は太陽の周りを廻る。
太陽は銀河を周り、銀河は大宇宙の中にある。
 
 
だから、先ずは自分を大切にいたしましょう。
そして、家族の為に汗をかきましょう。
友の為に心を尽くしましょう。
 
町や国の事も考えましょう。
そして、動物や植物についても気を使いましょう。
海や空に良きことをしましょう。
宇宙にも想いを馳せましょう。
 
これが「品ある人生」の第一歩。
 
                   2010 3/3 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
208
 
丁寧に
 
一日一日を丁寧に生きましょう。
 
今年のサクラは去年と違し、
サクラを見る僕も去年と違う。
 
同じような毎日だけど、ちっょずつ毎日は違う。
その小さな違いを楽しみましょう。
 
「平凡で同じ様な日々」と人は簡単に言うけれど、
人間が「同じ」と感じてしまっているだけで、
同じ日など一日たりともない。
 
心をゼロにすれば、
その小さな違いを感じ取る事が出来るはず。
心を真っ白にしておけば、
小さな変化を楽しむことが出来るはず。
 
そう、
毎日を丁寧に過ごしましょう。
一日は「一期一会」の瞬間の集まりだから。
時を無駄にしてはいけない。
 
                   2010 3/23 Mamoru Muto
 
 
 
 
209
 
たいした根拠はないのだけど
 
 
たいした根拠はないのだけど
今年はいいこと有りそうな。
 
だってたくさん良くないことあったから、
考えられる悪いことは
みんな起こってしまったから。
 
もっと隠れたこととなどと
考え過ぎは良くない良くない。
 
今年も、もうサクラ咲く頃になったけれど
さほどのいいことは起こってはいない。
でもさあ、悪いことが頭をもたげる気配もない。
 
 
何の根拠もないけれど、
今年はいいことありそうな。
 
特別のいいことは、
後から仰々しくやって来ると、
信じる事に致しましょう。
 
                   2010/3/26 Mamoru Muto
 
 
 
210
 
春はメランコリー
 
 
春は心が不安定となり、若い頃から苦手な季節です。
年を重ねるにつれ、春の楽しみ方の要領を覚えたつもりだったが、
今年は上手く乗れていない。
 
気温差が激しくその分、心のコントロールが難しい。
初夏の様に温かいと思ったら、四月半ばに雪がふるんじゃ、
身体を通り過ごし気持ちまでも縮み込む。
 
 
折角の桜の花も、感動と言うにはほど遠い。
義務的に花見の準備をし、セレモニーとして終わった。
 
ややもすると、ヒビ割れた心の割れ目から、
死の妄想や若い頃の混沌が吹き出してなかなか収まらない。
 
心の奥底から叫び声が聞こえてきた。
桜がだめなら、「生気あふれる若葉達よ、私を助けて」と。
 
                   2010/4/18 Mamoru Muto
 
 
 
 
211
 
歩   く
 
 
歩くことは私の原点かもしれない。
学校の帰り道、トボトボと空想に耽った幼い頃。
人の寝静まった、真夜中の散歩の高校時代。
あてもなく、東京の街々を歩いた、二十代。
でも、それが何時しか自動車に代わってしまった。
 
程よい汗をかき、足腰の筋肉が少し張り、
草木の様子や家々建たずまいなど
細かく見ることが出来るのは歩きである。
 
今でもそうだが、身体ばかりではなく、
心の健康には欠かせないことである。
 
 
季節は弥生、命の生気溢れる時。
車を降り、健全な青葉のエネルギーを貰いに行きましょう。
 
 
また、わたくしは迷い道を歩いているのかもしれない。
腐っちゃ行けないよ、
小手指の技術論じゃ解決しないよ。
先を見て、大きく、
この無垢エネルギー以外に頼っちゃいけないよ。
 
 
若い頃とは内も外も随分と変わってしまった。
また車で通り過ぎるとは違って、丁寧に。
 
歩けば何かが見えてくる。
歩けば自分を前向きに出来る。
 
                   4/23 2010 Mamoru Muto
 
 
 
 
212
 
 
散歩は小さなアヴァンチュール
 
 
小学校の帰り道、いつもと違った路地を曲がったら、不思議な街並に出た。
違った方向から見た街は、異次元にの魔法にかけられた街に見えた。
僕は不安が全身を覆い、引き帰らざるをえなかった。
 
 
人生で一番怖いのは「全てが分かってしまった」時である。
正確には、そう思い込んでその考えから離れられなくなった時である。
勿論そんなことはけしてなく、物事に興味を失ってしまったということである。
自分の求めていたものが満配となり、心は新たなものを求めているということである。
 
僕はそんな風に感じられ、何度か立ち止まらざるを得なかった。
新たな世界に飛び出さなくてはならないが、出口はなかなか見付からない。
何年も何年も、絶望の淵を彷徨い続けたこともある。
 
そんな時、僕はひたすら歩いてきた。
小さな発見が僕を前向きにさせて、少しずつ次の冒険の心の準備をが出来た。
青春時代の深夜の彷徨も、労務者時代の散歩も。
 
 
感動がなければ人は生きられない。
感動出来なければ、己の身を外に置く他ない。
草木の成長や街の風景の変化への驚きは、ささやかなカンフル剤である。
 
街角を一つ曲がれば、そこはワンダーランド。
不思議な光景が広がっている。
そんなの子供の頃だけでと、決め付けてはいけない。
気持ちが無垢になれたら、それは何時でも起こる。
 
                   4/30 2010 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
213
 
拝  啓
 
もう梅雨の時期なのですが、ここ一週間日本は中国育ちの高気圧に覆われ、気持ちいい日々が続いています。
四月五月と雨が多く寒かったので、少しお詫びの晴れ間でしょうか。
 
来週からは曇り空の予想なので、今年最後の春陽気、初夏陽気でしょう。
 
余りにも気分がいいので、公園のベンチに腰をかけ、ずーうっとただ空を眺めています。
 そして、そよぐ風に身を委ねていますと、まるで、風の精になった気分です。空高く舞い上がり、この緑の地上を見下ろしています。
 
 最晩年の仏陀が「この世は甘美で美しい」と弟子に言ったそうですが、恐らくこんな日に、生きとし生けるものがそう写ったのだろうと、勝手な想像してしまいました。
 
こんな気分を誰かに伝えたくなり、ペンをとりました。
 
                   では、 姉上様 へ
                   詩人の マモルより   6/4 2010
 
 
 
 この仏陀の言葉は、瀬戸内寂聴さんが好きな言葉と言っていた。「甘美」という日本語が気になるのです。元になった古代インド語の持つ意味合いは分からないが、僕は「セクシー」とか「エロス」と言った言葉に置き換えたい。
 
 敬謙な仏教徒には怒られてしまうかもしれないが、セクシーもエロスも若い性的ものでのあるが、更に根源的な生命力そのもののことです。その美しさならセクシーと言ってもなんら問題ないと思うのですが。
 
仏陀は性を否定した訳ではない、その欲望の虜になること否定したと思うのですが。
 
 
 
 
214
 
けやきの樹は偉い
 
けやきの樹は偉い。
緑の葉っぱをいっぱい広げ、
心地良い日陰を作ってくれるから。
 
ミミズは偉い。
一生懸命地面を耕してくれから。
 
でも人はあんまり偉くない。
みんなに迷惑になる
ことばかりするから。
 
                   マモル 2010 6/6
 
 
 
 
215
 
 
 
思いは、天空を飛び交いたいと願っているのに、
小さな虫の光に幸せを感じることぐらいしか出来ない。
傍では奈落が、僕を呑み込もうと大きな口を空けている。
 
 
蛍達は、
湿気で数を減らした、天上の星の光と、
奈落の深い闇との中間あたりを、
雌を求めて、夢中で飛び交う。
 
暗い水辺で無邪気に点滅する彼等も
生存をかけた一生一度の闘い中である。
 
 
僕も蛍のように光っているのだらろうか。
夜空の星々のように、強く輝きたいのだが、
その手だては、閉ざされたままである。
 
それどころか、ちょっとでも努力を怠ったら、
足元はぬかるみ、腕に弦が巻き付き、
僕を奈落の底に引きずり込もうと、待ち構えている。
 
                   2010 6 12 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
216
 
闘いましょう。
 
生きるということは、闘いの連続、
新たな自分との出会いの連続、
夢という、明日を捜す仕事の連続。
 
燦々と輝く太陽のした、
総ての人々に、与えられた条件を、
生かすも殺すも、僕ら一人一人に委ねられている。
 
 
歳は関係ない。
貧乏など与えられた環境は、関係ない。
障害など戦う条件も関係ない。
 
より多くの感動を得た者が勝ち。
より多くの喜びを得た者が勝ち。
より充実した者が勝ち。
より多く人と喜びを分かち合えた者が勝ち。
より多く人に感動を与えた者が勝ち。
 
闘いましょう。
沢山の苦労した者は、喜びも倍になって戻って来るもの。
劣悪な条件を生き抜いた者をは、多くの感動を人々に与えることが出来きる。
 
前を向く勇気さえ忘れなければ、自ずと道は開けるもの。
理に適った苦労を惜しまなければ、これが恐らくこれが一番楽な道。
 
                   7/17 2010 Mamoru Muto
 
 
 
 
217
 
楽しみは作り出すもの
 
子供頃、この世界は、
まずは恐怖に満ち溢れ、害がない分かれば不思議に変わり、感動的なものでした。
それは、なにもかもが知らないし、未経験のことばかりだったからです。
でも、多くの時間が経ち、多くの経験を積む内に、何もが平凡なつまらないものに変わってしまいました。
 
しかし、「つまらぬもの」は、自分がそう思い込んでいるだけなのです。
謙虚に観察すれば、同じものでも、別な表情が必ずあるものです。
 
感動は常に見る側の心の内にあるのです。
こちらが、感じる心の余裕を持ちさえすれば、新たな感動を感じることが出来ます。
 
元々花咲いているけど、美しい訳ではありません。
美しくしさを感じる心を持って、花を見るから、花は美しく咲いてそこにあるのです。
 
 
そうです。
楽しみは作り出すもの、
小さな季節の変化を最大限美しく感じ、
至福の時間に作り上げるのは、
誰でもなく、己の力です。
 
7                   /25 2010 Mamoru Muto
 
                   2008に他界した Tasha Tudor の言葉です。
 
 
 
 
218
 
感   動
 
子供の頃を思い出してください。
この世は不思議に満ち溢れていました。
それがたくさんの経験を積み、心も身体も馴らされて、
物にを感動しなくなってしまった。
それが老化です。
 
余分な経験は捨てましょう。
残すのは、エッセンスだけ。
心に空白をいっぱい作りましょう。
そうすれば、小さな季節の変化や物の変わり様が、
大きな感動として入ってきます。
 
僕等は物事の一面しか経験できない。
それを分かった等と思い込むのは、傲慢です。
同じことも別の角度から見たら、摩訶不思議なものです。
 
                   8/21 2010 Mamoru Muto
 
 
 
 
219
 
梅雨バテ、夏バテ、残暑バテ
 
 
火炎地獄に忿怒の不動明王がちらつく。
僕を叱咤激励しているのか、はたまた。
 
昨年の日食の頃、炎天下の穴掘り中に始めて現れたのだが、
今年も何度か見え隠れする。
 
 
お不動様は僕の守護神と、
村の不動尊を祭る岩屋の前で生まれた僕が、
勝手に思い込んでいるのだが、
脳裏にちらつくのは生まれて初めて。
 
 
温暖化の為か、季節は激しく変化している。
梅雨入り宣言と共に極度の湿気に身体は悲鳴を上げた。
次の梅雨明け宣言で眩暈に襲われた。
積もり重なるストレスに、手足が吊った。
 
これから一ヶ月、生きて行けますかどうか。
苦手な夏と引きこもっていけないらしい。
 
 
どうもお不動様のご加護らしい。
昨年は炎天下の肉体労働をやりどげたし。
今年も公私の予定を何とかこなしている。
 
昔見た、合田佐和子の絵の端に、
小さなな不動明王が書き添えられていたことを思い出す。
 
                   8/21 2010 Mamoru Muto
 
 
 
 
220
 
月に祈る
 
今日は仲秋の名月、しかもお彼岸。
なのに昼は真夏の太陽が照り付け、
夕方から激しくクマゼミが音の雨を降らす。
 
 
夜空には美しい月が昇り、
無数の黄金の矢を放ちはじめた。
更に、北の空には季節を分ける黒雲が
稲光を伴いにじり寄ってくる。
 
 
私はあまりの美しさに、心の内で手を合わせていた。
「もう修羅の私からは卒業したいのです。
闘い疲れました。」と。
 
 
しかし
半時間もすると、冷たい風が蝉の声を止めてしまった。
見上げると、雲が月を覆い隠そうとしている。雨さえ降り始めてきた。
 
                   9/25 2010 Mamoru Muto
 
 
 
 
221
 
重い目覚め
 
 
重く動かない身体、暗い視界、
私は死んだのかと、死のイメージが過ぎる。
地の底に埋められ動けぬ状態で、
悪意のある他者がいたとしても、何も出来きぬ。
 
 
程なく恐怖が現れ、徐々に大きくなり全身覆う。
叫び声にならぬ叫びあげている。
 
仕事がなく路頭に迷うという想いが駆け巡り、
誰も助けてくくれぬ絶望が繰り返し、消えてはやって来る。
 
やっと視界に部屋様子が認識され、
やっと手足を横じらすことに成功したが、
まだまだ絶望の淵を回り続けている。
 
少しは薄らぎはしたが、
死と人生の失格者のイメージが重く付き纏って離れない。
 
 
 
何と長い時間、恐怖と絶望の間を行ったり来たした末、
やっと起き上がることができた。
 
何度もあった。
若い頃もこんな目覚めが、走馬灯のように過去の記憶が甦ってくる。
20代も30代も40代もあった、更に小さな頃も。
 
熱いコーヒーを啜り、やっと生きている自分を確かめた。
私は安全というものの外を巡っていた。
きっと生きている証拠の目覚めと、自分言い聞かせたが、
半日重さは消えなかった。
 
                   2010 9/28 Mamoru Muto
 
 
 
 
222
 
生きるぞ!
 
生きするぞ !
太く長く、図々しく !
必要とあらば悪魔の手先になっても !
何でもするぜ !
 
世界は俺様のためにあるのよ !
まだ俺様は、己の力の十分の一も発揮していない。
九割り以上がまだ眠ったまま。
 
ギァオオオオオオオーーーーー !
ガオオオオオ ーーーーー !
 
                   2010/10 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
223
 
ちょっぴり幸せ気分
 
 
ちょっと遅めの朝。
雨は上がり雲の切れ目に、青い空が光っています。
朝食のパンを買いに、開店を待ちスーパーにでかけました。
 
家々のちっちゃな場所に、
雑草とも植えたものとつかぬ草花も光っています。
 
公園の猫じゃらしは、水玉を付け、
橙に変色し始めた赤シソも、少し色を紫に戻した。
 
ブロックの上を子猫がこちらに歩いて来ます。
挨拶しようと腰を下げたら、奥に逃げて行ってしまいました。
 
だだの秋の朝、ちょぴり新鮮な気分の幸せ。
 
                   2010/10/25 Mamoru Muto
 
 
 
224
 
舵 は 前 へ
 
 
ちよっとでも前へ進みましょう。
だって後ろ向きは、肩凝るし大変だから。
じっとしているのもいいけれど、
動かないのも疲れるよ。
 
 
平凡な毎日なんて軽々しく言っちゃいけないね。
この世は奇跡の集積、大宇宙の中の緑のオワシスなんだから。
大地も空も、動物も植物も、日夜激しく動いています。
平凡とは、それらが奇跡的に保っているバランスのことです。
謙虚に心をゼロにすれば、その変化が見えてきます。
 
その変化を感動的に受け止め、
前向きに捕らえることが僕等の仕事です。
 
 
 
人生は「修行」ですね。
先人達が色々やっていて、貴方に合ったアドバイスを与えてくれます。
でも、仏教の形式にこだわる必要ない。
環境が違うし、時代も違うので、
昔の人のように禁欲的になる必要はない。
最後は自分のことは自分で判断下すしかないし、
貴方の「行の形」を作っていくのが「本来の行」です。
 
 
 
雨が降れば、木々が美しく見えるし、
晴れれば、心が晴れやかになります。
大きな感動はなかなか難しいけど、
小さな感動はいっぱい転がっている。
それらを丁寧に一つ一つ楽しみながら行けば、
きっと明日は、ちょっぴり素敵な貴方を発見できるはず。
 
                   2010 10/30 Mamoru Muto
 
 
 
225
 
毎日ひとつ、小さな感動を
 
 
花が咲いたとか、晴れたとか、
友から手紙が来たとか、
こんな些細なものを、
毎日ひとつ感じられたら素晴らしい。
 
でも毎日のこととなると、結構難しい。
身体や心が健康がなければいけないし、
気になることで気持ちいっぱいだったり、
仕事が忙しすぎたりしたら、それは出来ない。
 
 
フリーハンドの心を常に持つことは、
とても重要で大切なことです。
 
悪人が事件を起こすのは当たり前ですか、
実際は、真面目でいい人同士が
問題を起こしていることの方が多いのです。
それは遊び心を持たない真面目さは、
時に暴走するものだからです。
 
 
日々の小さな変化を楽しみましょう。
それの感動は心を豊かにしますし、
明日を少し明るくしてくれます。
そしてね、大きなチャンス待ちましょう。
 
                   2010 11/1 Mamoru Muto
 
 
 
 
226
 
優雅に生きましょう。
 
優雅に上品であるということは
一にも二にも心持ち様です。
 
物に縛られ過ぎると、心は貧しくなります。
心の豊かさとは、物の束縛を超えた自由な心です。
 
人は心の豊かさを求めて集まってきます。
だからお金がなくとも、財産がなくとも、
怖がる必要はありません。
 
身の回りの事ばかりにあくせくせず、
いつも季節の変化を楽しむ余裕を持ちましょう。
そして、友に思いを馳せましょう。
 
                   2010 11/26 Mamoru Muto
 
 
 
 
227
 
詩三編その一   女
 
祖母が居て、母が居て、三人の姉が、僕には居た。
 
だから僕は女には厳しのです。
好きな女にはついつい厳しくあったてしまう。
だから僕は何時も一人ぼっち。
でも、女は好き、大好きです。
 
身篭った女性は美しい。
新たな命が彼女を美しくする。
 
          2010 11 15 Mamoru Muto
 
 
 
228
 
詩三編その二  品
 
上品に生きましょう。
上品とは背負うべきものを背負っている人姿です。
 
背負うべき荷から逃げている人を、下品といいます。
 
また、上品な人は美しいのです。
美しさと上品とは同じ意味です。
 
          2010 11 15 Mamoru Muto
 
 
229
 
詩三編その三  言葉
 
美しい言葉が美しい訳ではない。
言葉が美しいかどうかは、
その言葉がどんな状況で
発せられたにかかっている。
 
詩人は一生懸命生きている人のことである。
彼の生きた心の軌跡が、人の心に届いたとき、
はじめて、だだの言葉が美しく輝くのです。
 
          2010 11 15 Mamoru Muto
 
 
 
230
 
桜もち
 
冷蔵庫の奥から、塩漬けにした桜の花と葉が出てきました。
二年前に漬けたのをすっかり忘れていました。
袋を開けると、ファーッと!春の香りが広がります。
 
あッ、そうだ! 明日は命日。
甘党だった母に、桜もちを作くって供えましょう。
 
 
冷蔵庫の奥から、春の精が出てきました。
外は師走、でも部屋の中は春の香りが広がっています。
 
          12/23 Mamoru Muto
 
 
 
 
 

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──── 詩18・2011 (231~271) ────
 
231
 
出会いてを求めて
 
21世紀が十年過ぎ、2011年が目を覚まそうとしている。
未来は依然と茫洋で、希望と不安が交差する。
昔のダダの絵描きが、永遠に終わらぬ作品を書き続けたように、
私は、新たな私と、まだ見ぬ友へ思いを馳せる。
今年はどんな出会いが待ち構えているのだろうかと。
 
 
 
そう出会いこそ旅、
人生は人や物事や、私自身との出会いを求める旅人。
パソコンや携帯電話や、
目まぐるしく進化する文明の利器がはびこる今日、
魂の旅人は、
幾千年と変わらぬ原理原則の世界を行く。
 
 
 
素敵なあなたを求め
希望と不安が交差する
          2011年 正月。
          Mamoru Muto
 
 
 
 二十代はじめの水俣、四十前後のエジプト旅行や相模湖界隈でのイベント。カルチャーショックともに僕の人生を大きく変えてきた。そういう変化が起こってもいい時期と思っていいるのだが、もうそんな大変化は起こらないのかもしれない。しかし変わるチャンスに出会ったら、少々不安を感じる要素が大きくても、僕はそれを選択するつもりです。そうすることが今までやってきたことに報いることだからです。
 未来を確定的にとらえてはいけない。アウトローにはアウトローの生き方があります。それは明日は白紙だということです。自分で書き込むしかないということです。
 
 
 
 
232
 
感 謝
 
 
 
2011年は「感謝」から始めたい。
僕らは何一つ、他人からの支えなくしては生きてゆけない。
淡々と過ぎる毎日を支えてくれる、すべてのものに、
感謝しなければならない。
 
 
 
更に僕には、僕を気遣う家族がいて、
野菜を送ってくれたり、仕事を世話してくれたり、
はたまた家に来て、飲み明かす気まぐれな友がいる。
僕を取り巻くすべての人に、今年は感謝することから始めたい。
 
 
フリーダ・カーロの最晩年、
彼女は食卓のスイカを描き『生命万歳』と名づけた。
不幸な事故で体の自由を奪われた彼女は、
平凡な食卓のスイカは、命あるすべてのものであり、
生きていることへの感謝の気持ちを示そうとした。
 
 
 
僕には僕を気遣う家族がいて、
気まぐれな友がいて、仕事をくれる人々がいる。
また、米や野菜や肉や魚は一言も文句を言わず、
僕の胃を支えてくれる。
更に、おいしい空気に満たされ、清潔な水が蛇口から流れてくる。
 
だから、今年は僕も、
『生命万歳』と叫ぶことから始めましょう。
 
 
          2011 1/2 Mamoru Muto
 
 
 
233
 
悪   戯
 
 
冬のこの時期になるとふと思い出す。
遠い古里での中学生の頃の話。
雪と寒さとダルマストーブ。
 
 
今日はストーブ当番。
ワクワクと学校へ急ぐ。
そう、悪戯心が騒ぐ。
 
 
いち早く到着した教室。
ダルマストーブに新聞紙と木片入れ火を点ける。
まずは、その上に石炭をくべる。
そこまでは順当の手順。
 
石炭に火が燃え移り、もう消えないことを確かめてから、
今度は大量の石炭を載せる。
もくもくと煙がではじた。
煙突に吸い込みきれず、口という口から出て来た。
 
上の蓋を開け、その苦境を直そうなどあれこれするが、
でもこれも悪戯のうち、事態は更に悪化、
教室中が煙だらけになり目も開けられない。
 
遅くやって来た他の生徒もワーッとか、チャーッといいながら、
教室の異変を楽しんでいる。
だから誰も僕を責めたりしない。
 
先生がやって来て、やっと事態の収集が始まった。
窓を開けるよう指示したが、簡単に煙は引かない。
一時間目は20分遅れることをとなった。
 
そして席につくと、悪たれ小僧がニタッと笑いながらエールを送ってきた。
 
でも、これを叱られた記憶はあまりないのです。
山の中の中学校、勉強でできるできないの区別はない。
実にのんびりした時代でした。
 
          1/4 2011 Mamoru Muto
 
 
 
 今田舎に帰ると機械で人の通る道には雪がない。僕の小さい頃は道路は人の歩くところだけ踏み重ねられ、春先まで車は通らない。そんな道に「ドフ」を作って悪戯をした。踏み固められた表面の堅い部分五センチほどを平たく取り、そこに深い穴を掘りまた表面を載せ、下が空洞でないように偽装する。
また寒い朝は道を強く踏み固め、つるつるにアイスバーン状にしてそこにさらさらの雪をかけて置いたりした。
もちろん大人に見つかると大目玉を食らうのだが、子供同士で遊んでいる分には怒られない。
 
寒がりでボーッと自分の世界に浸っていることが多かったぼくだったが、結構悪戯もしました
 
 
 
 
 
234
 
正月早々
 
 
正月早々、悲しい知らせが入ってきた。
癌を患っていた古い知り合いが、この世を去った。
ガクッと体が動かなくなり、節々が痛み出した。
しばらく、元気が回復するまでは年賀はお預けだ。
 
 
二ヶ月前、十年以上ぶりにあった。
その変わり果てた姿に、長くはないことが分かった。
会う早々僕の新聞への悪口を並べ立てた。
そのいいぶりの裏に、彼の絶望の深さが除き見え、
「会えて良かった」と言うだけが精一杯だった。
 
 
正月早々の、古い知人の訃報。
目には出ないが、心の中では涙が流れて止まらない。
enyaのCDを何度も何度も聴き続けた。
 
          2011 正月 Mamoru Muto
 
 
235
 
今年は
 
今年は小さな幸せをしっかり掴むことから始めましょう。
散歩の途中で見つけた花や、友が送ってきた季節の野菜や、
そんなささやかな幸せを大切にしましょう。
 
僕らは、戦争や不安定な社会ではない、
最も平和で豊かな時代にを生きている。
だから、平凡と言われる日々の幸せを確かめながら行きましょう。
 
しかし、事故や病気や知人の死とは、隣り合わせに生きている。
不幸と幸福は同じ土俵でいつも起こっていることなのです。
だから、喜べるときは、それを最大限喜び、
そして悲しい時は、それも受け止め押し返す力を持ちましょう。
 
そして、新しい夢を見つけましょう。
大きな飛躍の年にしたい。
 
          2011 正月 Mamoru Muto
 
 
 
 
236
 
寒い朝
 
寒い朝の目覚めの散歩
寝ぼけ眼でゆっくり歩く僕を
完全防備の人がまた一人追い抜いてゆく。
傍を仕事場に向かう車も急いで走り去る。
 
振り向くと鋭い光をの矢を放ち、
昨夜の雨で青く堅く澄んだ空に浮かんでいる。
 
大寒のこの時期
「心を引き締め前を向いて」と思うのだが
どうも力が今ひとつ抜けて出てこない。
 
まあっいいか、程々に元気なら
今年は久しぶりの寒い冬
まだまだ寒さは長く続きそう。
 
          2011 1/下旬 Mamoru Mut
 
 
 
 
237
 
春 で す
 
うれしいね、うれしいね。
寒い寒いと思っていたら、
節分と同時に春が突然やってきた。
 
嬉しいね、嬉しいね。
今年は例年になく寒く、
体の節々が縮こまり痛み出していた。
立春とともに気温が五度も上がった。
 
          2011 1/下旬 Mamoru Muto
 
 
 
238
 
二月の空は曇り空
 
 
仕事で出向いた浅草寺のおみくじには、
「ようやく雲も晴れ、光が差し込む」と書いてあった。
 
二月を境目に暖かい日が二三日続いたかと思ったら、
今度は雲が出始め、余寒という寒さがやってきた。
やっぱり人生甘くはない、仏様を信じすぎるのも考えもの。
 
 
インターネットの占いには
「長く続いた、下りのエレベーターを登る時期は終わり、
上りのエレベーターを登れるようになります。」とあった。
 
そうなればいい良いのだが、
僕は逆向きに乗る性癖が染みこんでしまっていて、
普通にエレベーターを乗るのは、かえって手間取るかも知れない。
 
 
「北風の中を風に向かって歩く」
僕にこびりついてしまった心の中のイメージです。
 
あまり未来を甘く見ない方が無難、無難。
二月の曇り空は、ぶり返しの寒さに風邪引きやすい時だから。
 
          2/8 2011 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
239
 
インターネット革命
 
 
チュニジア、エジプトの政変で、インターネットや携帯電話が
大きな役割を果たした。
もはや、国家が情報を管理する時代は、できない時代となってしまった。
 
 
40年前、僕は大学の校門で、手作りのチラシを配った時は、
謄写版であった。
明治、大正、昭和と大衆運動には欠かせなかったのは謄写版でした。
僕らはその最後の世代でした。
 
 
技術の進歩は面白い。
インターネットは国家が作ったもの、軍事技術としてこの世に生まれた。
敵の攻撃から、司令部や、情報伝達ルートを分散させることによって、
どんな場合でも反撃を可能にする技術であった。
それが今や、国家を脅かす最大の技術になるとは。
 
          2011 2/16 Mamoru Muto
 
 
 
340
 
一 歩 前 へ
─ 人生に魔法をかけるために ─
 
 
暖かくなったら、いっぱい動きましょう。
家に閉じこもっていたんじゃ何も変わらない。
外に出たら、何か素敵なものを見つけることができます。
 
一歩前へ。
人生に魔法をかけるために、新しい何かが必要です。
 
 
 
春になったら、外に出てたくさん動きまわりましょう。
そして、素敵なものを沢山見つけましょう。
その驚きが、この毎日の諸々を生き生きとさせる原動力となるのです。
古いままの手法では、この人生の感動は先細り、ありきたりの毎日となり、
ついには魔法は死んでしまうのです。
 
一歩前に出る事によって、
人生の魔法はまた新たな息吹をもらい、再び輝きを増すのです。
 
 
 
そして、魔法の連鎖?
物事はみんな関連しています。
良い事も、物事の良い部分が関連して起こります。
 
一歩先に出て得た、新鮮な感動という調味料加えることにより、
今まで古くてつまらぬものまでが、素敵な輝きを放ち始めるのです。
更に別の素敵なものを誘い出しという、連鎖を起こすことができます。
 
 
これこそが魔法です。
まずは一歩先に出て、新たに輝くものを見つければ、
連鎖反応により何倍ものものが光り輝くのです。
 
          2011 2/18 Mamoru Muto
 
 
 
 
241
 
喜 怒 哀 楽
 
悲しいときはオメオメと涙を流しましょう。
苦しいときは歯を食いしばり耐え抜きましょう
 
春が来て花が咲きます。
うれしいときは、満開の桜のように喜びましょう。
そしてその幸せをみんなと分かち合いましょう。
 
生きると言うことはそういうこと。
身近に起こる諸々のものを全身で受け止め、
泣き、笑い、悲しみ、怒り、楽しむこと。
そんな人生にいたしましょう。
 
          2011 2/27 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
242
 
津  波
 
 
突然やってきた、絶望が希望を飲み込む三月。
テレビから流れ出る、巨大な破壊の津波。
私わたくしも、大津波に押し流れてゆく。
でも、テレビから離れることができない。
身体はボキボキと音をたてて歪み、痛みがそこら中で悲鳴を上げる。
 
 
普段は呑まぬ酒を一杯又一杯、酒に呑まれてゆく。
ひび割れてしまった私わたくしの心、
その底から私わたくしの闇が、液状化した泥水となって吹き上げた。
 
 
石牟礼道子さんが僕らに心を許し、「死にたか」と切々と話す。
その言葉は私わたくしの中を舞い始めた。
だからいつしか私は、生きることが仕事になった。と
遠き若かりし頃の記憶が蘇り巡る。
 
 
友達の自殺が現れ、
更に母まで自殺、義姉までもが、と苦い記憶だけが、
浮かんでは消え、又浮かび飛び回る。
 
 
そして今、彼の地で起こっている、
何千何万の絶望が津波となって、覆い被ってきた。
 
 
耐えきれなくなり、真夜中の街に彷徨いでた。
「生き抜いてやる!」と声にはならぬ声を叫び上げた。
 
          2011 3/23 Mamoru Muto
 
 
243
 
さ く ら
 
ありがとうサクラ。
今年も忘れずに、花を咲かせてくれた。
凍り付いた心が、ほころび微笑ほほえむ。
 
誰も彼もが、心を凍らせてしまった三月。
被災地ばかりではなく、日本中が
放射能や、停電や、電車も止まりと、
天災と人災の余波に、
心が動かなくなってしまったか三月。
 
サクラの開花とともに、
人々は急速に自分を取り戻すことができた。
 
なんと偉大な力だろう。
ありがとうサクラ。
 
この国はあなたの国、
あなたの微笑みなしには有り得ない国。
 
          2011 4/4 Mamoru
 
 
 
 
244
 
味噌漬け
 
久しぶりに帰った田舎
昔とはすっかり豊かに変わってしまった食べもの。
そこに懐かしい漬け物を見つけました。
 
ただ、茗荷や大根を味噌に漬けただけの漬け物
でも他の土地では、この味は見つけられない。
思わず、これだけでご飯を二膳食べました。
 
小さな頃は嫌々食べていたものなのに
今はどんなご馳走よりも贅沢な味です。
たくさん持ち帰り少しずつためています。
 
          2011 5/12 Mamoru
 
 
 
 
 
245
 
五 月 の 空
 
五月の空は 青春の香り
希望と不安が交差した 若き日々が甦る
 
青々と力を増した 草木の青葉
強い日差しと  まだ控えめな 気温
 
季節も今は青春 恋いの花が咲き乱れ
黒い雲まで ゆっくり近寄ってきています
 
          Mamoru Muto 5/14 2011
 
 
246
 
不器用者
 
誰でも最初からうまくはゆきません。
何でも簡単に上手に出来たら、
それはつまらないことです。
 
不器用な人は、幸せ者です。
 
 
この世にあるものは何でも、深く、複雑なのです。
絶妙なバランスの上にあります。
そして、見かけはそう複雑には見えません。
 
器用な人は、見えている部分を見て、上手に渡ってゆきます。
不器用な人は、壁にぶち当たり四苦八苦しながら、ゆかざるを得ませんが、その時、物事の深さと複雑を知る事が出来ます。
 
時に、この絶妙なバランスが崩れる時があります。その時、不器用者の経験が、真価を発揮します。
 
          まもる  5/19  2011
 
 
 
247
 
おべっか
 
若い頃、いやもっと幼い頃から、
大人は「自分を押し殺し、人におべっかばかりしている。
僕はけしてそんな大人にはならない。」と思っていた。
 
 ご近所であろうが、親戚であろうが、顔を合わせると、相手の喜びそうな言葉を次から次へと並べたて、何度もペコペコ頭を下げる。
そのクセ、帰ると、手のひらを返して、その人の悪口を並べ立てている。二重人格も良いとこである。と。
 
 
 
 けして僕はそんな大人にはならないと、硬く決めたのだが、気付くと僕は誰かかまわず笑顔を振りまき、歯の浮くようなおべっかを、平気で並べ立てている。
 
ああっ!いつの間にか嫌な大人になってしまったものだ。
 
          2011  6/15  Mamoru Muto
 
 
 
 
 
248
 
雨の六月
 
昨夜から、音もなく、霧のような雨が降り続く。
木も草も街並みも、人々の生活までもが眠らせてしまいそうな雨。
 
日々の生きてゆく為の些細ないざこざ、溜まれば大きなストレスになるが、今日の雨はそれらをも、鎮めてくれた。
 
夢からは程遠く、絶望というには切迫感はなく、
ただ生きているという中途半端な時間!
「まあなんとまあ、浪費と感じる時間の多さよ」
また、ため息がわたくしの全身を覆う。
 
外は雨が、何もかもを眠らす、魔法の霧雨。
良きも悪しきもすべてを包み隠してしまう。
 
          2011  6/19  Mamoru Muto
 
 
 
249
 
空   気
 
初夏の公園に燦々と降り注ぐ強い陽射し
遠く近く聞こえる子供達の歓声
青々と茂る木々のみどり
何と美味しい空気でしょうか
 
人の世にも空気があり、
人は一人では生きてゆけない
故に
この人の世の空気も吸わなければ生きてはゆけない
時に厄介な空気でもある、人の世の空気
 
 
 
風に乗りましょうか
頑丈な城は僕にはふさわしくない
風に吹かれて「飛び惑う枯葉」
 
ああっ!
僕は高い空を悠々飛ぶ鷹にはなれない
人の世を「飛び惑う枯葉」にしかなれそうにないが
じっと動かず腐ってゆくよりはいい
 
          2011  6/30  Mamoru Muto
 
 
 
 
250
 
変   化
 
 
今年は正月から、心沈む事が次々と起こる。
極め付けが地震と原発事故。
身の回りでも同じ歳の知り合いがこの世を去った。
 
前半は悪い事ばかり。
でも悲しむのはやめましょう。
平凡な日々の暮らしに感謝しましょう。
 
 
変化、ウサギ年のこの年は、私にとって変化の年。
変化とは、破壊と創造が同時に起こること。
なら、悪い事が出揃ったら、あと楽しい事が芽を吹き出すはず。
 
でも私は悪い妄想から抜けきれない。
目覚めると、小悪魔達が、私の手足をしばり、
「いい事なんか起こりっこない」と囁く。
目覚めるに従い、彼らの呪縛は振り払うのだが、完全ではないらしい。
 
 
真っ白になりましょう。心を空っぽにしましょう。
いいじゃない、いい事が起こらなくても。
いいじゃない、それが私に与えられたことなら。
真っ白になって、これから起こる、
よくない事も、いい事も全部引き受ければ。
 
          2011  7/2  Mamoru Muto
 
 
 
251
 
く  つ
 
河原の公園にちっちゃなくつがひとつ
子供の石像の足にちょこんと載っています。
 
誰かさんが水遊びをして、
干しているのでしょうか。
それとも、裸足の石像がかわいそうと、
履かせてくれたのでしょうか。
 
不思議だな、可笑しいな、
公園の石像にちっちゃなくつがひとつ。
 
          2011  7/7  Mamoru Muto
 
 
 
 
252
 
幸 せ の 秘 訣
 
 
一日ふたつ、自分の嫌いな事をすると、心が磨かれる。と言う
毎日となると、これはかなり大変
無理せず、心掛けて見ましようか
 
 
ふと気付くと、前かがみになって歩いている
良からぬ連想の虜になって、身体が小さくすくんでいる
「背筋を伸ばして」と、言い聞かせると、
今までのモヤモヤはスーッと消え去った
 
 
後は捨てること、
出来るだけたくさんもの捨てて、
そして、いつも心を真っ白にしておくことでしょうか
 
そうしたら、色々なものが入って来ます
心が空腹なら、何を食べても美味しいものです
 
これが「幸せの秘訣」ですね
 
          2011 7/7 Mamoru Muto
 
 
 学生の頃、大学を飛び出してから、定職という仕事に着いた事は有りません。アウトローです。だから、多くの日本人のような、安定した老後というものはありません。若い頃は、波乱に満ちていました。でもその後も大差ありませんし、これからも変わりはありそうにありません。
 二十代は二十代の悩みがあり、現実があった、三十、四十、五十代も悩みながら、時に叫びながら来た。次から次と問題が起こる。
 
 最近思うのは、生きると言う事はそう言う事、無理はいけないが、何か探し続ける事、限界決めちゃいけないと思っています。だから「行」なんです。終わりのない修行なんです。殊更坊主にならなくても、「行」は出来ます。自分の心掛けてひとつです。
 
追記
「毎日、なるほどと思うことを、ひとつしよう」とは心がけているのですが、「嫌いな事、ふた
つ…」となると難しい。
遠い昔になくなった僕のおばあちゃんは、家族に良からぬ事が生じると、願掛けをして、自分の
好物を断っていた。豊かな時代になり、こんな願掛けの風習が失われしまった。プラス思考で考えるのが理に叶っているのかもしれないが、伝統的な方法も、試す価値はあります。
 
 
 
253
 
アヂーィッ!
 
 
脳みそが溶け出し、機能不全。
毎日毎日、気力は失われ、今や廃人直前。
昼間の熱さは仕方ないにしても、
朝まで続く熱帯夜の連続は、
確実に人を廃人へと向かわせる。
 
アヂーィッ!
ギャオオーーッ・・
 
エンジンは故障、舵も効かない。
只今漂流中!サンサンと降り注ぐ太陽!
もはや神様に祈る他ない。
 
アヂーィッ!
アヂーィッ!
 
連日35℃の真夏日、28℃の熱帯夜。
神経細胞焼ッ切れて、脳みそは溶け出した。
もはや、「ギャオー」と叫ぶ力もない。
 
アヂーィッ!アヂーィッ!
アヂーィッ!
 
          8/19 2011 Mamoru Muto
 
 
 今年は梅雨の戻りやがあり、暑さは適度に切れてくれるのですが、旧盆の頃は、実際暑さより気持ちがバテたと言う感じです。心の方向性、疲れるといつでも、こんな感じになります。
 
 
 
 
254
 
空   想
 
 
僕は小学生の頃と変わっていない。
仕事や用事がない時間、取り留めのない空想で、時間を潰している。
 
億万長者になった夢、超能力持ったら、宇宙船で地球の外に出たら、等々と。
 
 
突然未来が透視できるようになったらどうしようか。
良い未来だけでもない、悪いことも見えてしまったら大変だ。
相当の心の修行と哲学を身につけないと、自分自身がダメになる。
人の未来が見えると分かれば、人に追いかけられるだろう。
また、どこかの国の諜報機関が、僕を使おうとするかもしれない。
僕は仙人のように、社会から隔絶して過ごさなければならないだろう。
 
 
空想は僕の命、
穴だらけの人生の隙間を埋め、深い奈落に落ちることを防いでくれた。
だから、空想出来ない時が一番苦しい。
 
          8/21 2011 Mamoru Muto
 
 
 
255
 
人生やり直せたら
 
 
長いアウトロー生活!
時々、若い頃僕は大きな間違いしてしまった、と思うことがあります。
 
明日の生活さえおぼつかなさに、疲れてしまいました。
それで、何処で間違えたのだろうかなど、思い出しながら考えるのです。
 
人生の節々になる変化の時期に、
ああすれば良かった、こうすべきだったと思うのだけど。
 
でもね、
色々細かしいことまで思い出して見ると、
別の選択していたら、僕はもっと窮屈な、
不健康な人間になっていただろうと言う結論至ってしまいます。
 
まあ、仕方ありませんね。
今の生活は楽ではないけど、神様が「お前は苦労しなさい」
と言っているのだと思う他ありませんね。
 
          8/26 2011 Mamoru Muto
 
 
256
 
馬    鹿
 
 
人生は馬鹿がいい。
大馬鹿は人を困らせるし、最後は自分がその付けを払わされるから、
お勧めできないが、
少々の馬鹿は、とてもいいことです。
 
お利口はダメです。なんでも窮屈にしてしまうからです。
他人か関わろうにも、すきがないから、近付きにくい。
 
その点、馬鹿なら人は、ああすればいい、こうすればいい、
と近寄って来ます。
欠点が友達という大きな財産を得ることとなります。
 
 
社会は総合力。
秀才だけ集まったって、普通よりちよっといいことできるだけ。
でも、馬鹿だが個性的な連中がうまく絡まった時、
偉大な仕事をします。
 
 
 
馬鹿とは、
あるものに長けているから、
他の部分が少しおろそかになるということです。
多くの人の真実の姿です。
 
得意なことすれば、
誰でも他の所が抜け落ち馬鹿になります。
 
また、
馬鹿なことしないと神経を緊張させていると、
自分の得意なことまで殺してしまうのです。
 
だから、
程々な常識派より、程々の馬鹿は素晴らしい。
 
          9/9 2011 Mamoru Muto
 
 
 
257
 
もどかしい 九月
 
 
台風が通り過ぎ、大陸の高気圧が張り出して来ました。
真っ青な空に、白い雲がポッカリ、一つ二つ。
何処か遠くに、ゆこう行こうと、誘います。
 
サルスベリの花が咲き、夾竹桃も、萩も花を咲かせています。
コスモスと猫じゃらしは風に揺れて楽しそうです。
 
 
 
 
秋は出会いの季節。
チョピリ淋しくなった心の隙間を埋めたくて、
ちよっと遠くに出かけました。
 
 
早稲の田んぼは黄金色の穂が垂れていました。
栗も大きくばっくりと口を開けています。
 
なのに、
空は高いイワシ雲のでしたに、
低い雲がたくさん出てきました。
湿気もまして来たようなです。
また、南に台風が近づいているようです。
 
 
 
 
九月は夏と秋がせめぎ合う季節。
先を求める心には、じれったく、
イライラする季節です。
 
 
          9/9 2011 Mamoru Muto
 
 
258
 
面 白 い
 
 まだ、大学に席を置いていた頃、僕は学生運動に好意的な、助手でしたか、助教授でしたか、忘れましたが、研究室に出入りしていました。
そこでよく市民運動のこなど話していたのだか、ある時、武藤君「面白いだけてはいけないよ、何故面白いのか、論理的に説明出来ないと」と諭された。
 
 当時、理学部の学生でありながら、僕は論理的に説明と言うことが、全く出来なかったのです。だから、僕の会話では感覚的な「面白い」という言葉が連発されていたのです。
 
 その後も僕は長いこと、論理的な話が出来なかった、何とか感覚的な言葉をつなげて詩らしきものはできたのだが、それ以上言葉をつなげることが出来なかった。
 
 助手の意見は正論です。でも、人間は論理で動いているわけじゃありません。いつもは直観で物事の本質を見抜き行動しているのです。論理的に説明する為には、直観で感じたことを、言葉(論理的な)で翻訳する必要があります。翻訳する為には、自分を考えの基本になる考えがしっかりしていないと、出来ません。
 
 若い頃の私は、その基本になるものがわからず、いや、疑問に感じて、論理を組み立てることが出来なかったのです。
 
 自分の存在そのものが疑問だったのです。左翼の中におりながら、イデオロギー的な論理に反発していたこともあり、そこで、自分にできる感覚的な言語、「絵」で自分を表現しようと思ったのです。
 
 でも、感覚言語だけでは、感動は表現できるのだが、程度の加減が出来ないのです。思いだけが先行して、体をこわしてしまいました。そこで文字言葉で整理すること、そのために新聞を作り始めました。言葉を何とか使える様になったのは、四十歳をも半ばを過ぎてからです。
 
物事は深いのですね。深さを理解するためには、それなりの時間と手間が必要です。
 
 
 でも、若い人が感覚的な言葉の羅列で会話しているからと言って、彼らが浅はかな認識しているわけではありません。
 
 若者だけではなく、子供も、赤ん坊だって、直観で物事の本質を感じとって生きています。大人のような社会性はないから、そういう深さはないのだけど、身近な大人を観察して、深刻かそうでないかを瞬時に理解しています。その感性はずつと大人より鋭敏です。自分で自立できないから甘えられるよう、演技しているだけです。
 
 
今でも、僕の判断基準は「面白い、面白くない」ですし、直感で感じ取ったことが一番大切にしています。
 
          9/19 2011 Mamoru Muto
 
 
 
 
259
 
一 期 一 会
 
同じ様な日はたくさんあるけど
同じ日は繰り返さない
 
月も季節も年も
 
だから 毎日が真剣勝負
 
何でもが、美しい
 
          9/20 2011 Mamoru Muto
 
 
 
 
260
 
ゴロゴロ日和
 
 
雨も止んで、秋晴れが広がって来ました。
今日は格好の出かけ日和。
秋の花が咲き乱れているでしょう、
もうそろそろ温泉も良い季節。
 
でも、出かけるのはやめて、
家でゴロゴロ、ゴロゴロ。
 
面倒臭いから、何もかにもみんなやめ!
今日はぐうたら、ゴロゴロ過ごしましょ。
 
君は真面目すぎ、
休みの日まで何やかにや、やり過ぎやり過ぎ。
 
 
 
外は格好のお出かけ日和、
でも、今日の僕はぐうたら、ゴロゴロ日和。
 
          10/6 2011 Mamoru Muto
 
 
 
261
 
フツフツと
 
 
嵐の春も、暑い夏も過ぎ、秋になました。
平凡で、単調なな日々が戻って来ました。
今年は、普通の生活が出来ることの有り難さを、
身に滲みて感じる一年となりました。
 
前を向いて歩けるようになると、何やらまたフツフツと、
「これで良いのか、」という思いが湧き上がってきます。
 
次男坊で、家を出る事を意識した時から、
僕は旅人となったのです。
流浪さすらい人の意識が、安住を拒否しているのです。
 
 
 
 
今は取り敢えず「ただの人として」
特殊ではなく、どこにでもいる人としてがテーマ。
 
でもいずれ、何時かはわからないが、
新たなものを探しに旅立たなければならない。
 
          10/16 2011 Mamoru Muto
 
 
 
262
 
平  凡
 
昨日があり、今日があり、明日がある。
淡々過ぎる日々。
なんと素敵なことでしょうか。
 
安全、安心、みんなの知恵の結晶です。
奇跡の集積が「平凡な日々」を作り出しています。
 
大地や大気の絶妙なバランス、
何千万の人々の活動が淀まず流れているから、
何事も無く、今日、明日が過ぎていっているのです。
 
考えてみてください。
この小さな国土に一億三千万の人がいて、世界には七十億の人が居る。
それが淀みなく流れている。
物流にしても、経済にしても、人の流れにしても。
これこそが奇跡です。
 
日常とは、
大地や、水や空気のバランスの上に、
植物や動物達がおり、人間がいて、
それらが破綻無く、バランスよく安定して居る奇跡のことです。
 
          11/5 2011 Mamoru Muto
 
 
 
263
 
おすそ分け
 
田舎から今年もお米が届きました。
美味しいお米がいつでも食べられるのは、
ちっとした贅沢。
でも、全部一人じめはいけない、いけない。
誰かさんに、ちっとおすそ分け。
 
 
するとね、その誰かさんから、別の誰かさんに、
気持ちが伝わり、また他の誰かさんにも伝わり、
回り回って、また何かが届きます。
 
          11/5 2011 Mamoru Muto
 
 
 
 
264
 
不 思 議
 
河原にはこんなにたくさん石があるのに、
 
一つとした同じ石はない。
 
色も形も表の模様もみんな違う。
 
不思議だな。
 
散歩の途中、石を眺めてしばらく過ごした。
 
 
          11/始め 2011 Mamoru Muto
 
 
 
 
265
 
『宇宙ウルフの歌』
 
空に青い満月 昇る夜は
宇宙ウルフが跋扈する。
悪の中の悪、恐わいオオカミ 獲物 あさる夜。
 
どんなに頑丈な 鍵で家を閉ざそうが、
俺様、宇宙ウルフにゃあ 利かないぜ!
塀をひょっと飛び越えて、可愛い子供はいただきさ。
 
 
 
青い青い満月 昇る夜は、
俺様、宇宙ウルフの活動日。
柔らかい子供の肉は、俺様 涎たらたら、大好物。
 
ギャハハハーッハ!
 
今夜は、ヤスべえ 可愛がる
ウサギの子供が 標的だ!
 
ギャハハハーッハ!
ギャハハハーッハ!
 
 
          11/始め 2011 Mamoru Muto
 
 
 
266
 
『ウサギの歌』
 
 
ウサギ、ウサギ、月見て跳ねる。
なぜ、月見て跳ねる。
 
青い月が昇る 満月の夜は
恐いオオカミ やって来て
カワイイ カワイイ 子供
さらうから。
 
お空のお月様 大きなったら、
オオカミ やって来るよ、来るよ、
と、跳ねる。
 
やさしい、ヤスべえさん!ヤスべえさん!
カワイカワイ、私の子供
守ってね、守ってね、
と、跳ねる。
 
 
          11/始め 2011 Mamoru Muto
 
 
 
267
 
『ヤスべえのテーマ』
 
 
ピカ!ピカ!ピカーッ ピカ!
おいらは ヤスべえ、ピカ安よ。
ピカ!ピカ!カピカーッ、ピカ!
 
おいらはしがねい 貧乏画家。
でも、さあ、
しかし、心の中は ピカ!
ピカ! ピカピカ光っている。
 
人は、貧乏画家と バカにするけれど、
心の中は、いつもピカピカ 輝いている。
 
でもね、
ウサギさんだけは知っている。
おいらの心は いつも光っていることを。
 
だから、ウサギの子供はおいらの子。
オオカミなんか、おいらが追い払う。
 
 
おいらは ヤスべえ、ピカ安よ!
ピカ!ピカ!カピカーッ ピカ!
 
 
          11/始め 2011 Mamoru Muto
 
 
 
268
 
枯 れ 葉
 
 
散歩の途中で見付けた 枯れ葉二枚
 
どんな言葉をかけたら 良いのでしょうか
 
「ご苦労様でした」でしょうか、それとも
 
「自由になって良かったね」でしょうか
 
考えると、なかなか難しいね
 
          11/下旬 2011 Mamoru Muto
 
 
 
269
 
自  分 ─ それは未知の宇宙 ─
 
 
恐らく一番近くて、一番わからないのは、自分自身でしょう。
 
人はたくさんの顔を持っています。
 家族見せる顔、近所の人に見せる顔、会社などの顔、親友に見せる顔、知らない人に見せる顔と相手により顔が違います。そして、自分自身に見せる顔と。
 
でも、それら全てが自分の顔なのです。
自分の心に聞くと言っても、心も漠としてわからない。というのか、本当の姿です。
 
 
自分というのは、量子力学的存在の微小の粒子に似ているかもしれません。
確かに存在はしています。ある側面を突き詰めて、自分とはと問えば答えは出て来るが、他の側面はボケてくる。と言ったことかもしれません。
 
 
 生まれてからの様々な体験や経験から感じた、さまさまな思いが重層し作られたのが、自分だからです。相反することも重なっています。それら全てが、自分自身でしょう。
そして、無意識の内に、発酵する食品のように、新たな要素が付け加わったりしている。
 
 
だから、複雑です。
いつも自分と思っている自分は、ホンのごく一部だけです。
日常生活に必要ない自分は表に出て来ません。
 
宇宙なんでしょう、自分と言う宇宙、未知なる宇宙なんでしょう、そう思います。
 
          11/30 2011 Mamoru Muto
 
 
 
 
270
 
飢   餓
 
何と懐かし言葉でしょうか。
青春の日々を思い出させてくれる。
飢えることのなくなってしまった今日、
でも心の飢餓は消えることはない。
 
三月の地震と原発事故は、一時的にせよ、
僕を青春へといざなってくれた。
 
重い雲が低く垂れ込め、不安は満ちに満ちていた。
光を求め、右往左往する人々の様は、
僕の青春と重ね合わせることが出来ました。
 
弱い者は生き残れない、特に心の弱い者は。
 
 
秋になり、平凡な日々が戻ってきた。
明日が約束出来る有り難さが、身に染みた。
 
でも、ここで満足していいかと、
そんな疑問がフツフツと持ちがあって来ます。
 
          12/3 2011 Mamoru Muto
 
 
271
 
十 二 月 ─ ゆっくり ─
 
町まで紅葉が降り、枯れ葉舞う十二月。
運気は僕の元に無いらしい。
仕事の予定は変更に変更を重ね、
さんざん期待を持たせた末に、消えてなくなった。
 
いつも思い通りには進まない十二月。
ゆっくりゆっくり、
確かなものだけしっかり握り、他は手放そう。
今年の秋は頑張った、ここらで少しやすみなさい。
 
 
じゃ!心をゼロに戻さなくては!
いけないいけない、
仕事頑張らないなら、他の事を頑張らなくては、
と、考えてはいけない。
時には、無駄な時間を過ごす事も大切。
何度も自分に言い聞かせた。
 
          Mamoru Muto 2011/12/23
 
 
 
 
 
 

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──── 詩19・2012 (272~305) ────
 
 
272
 
感謝することからはじめましょう
 
 
まず今年も、感謝から始めなくてはなりません。
大災害は、たくさんの貴重なことを教えてくれました。
僕等の毎日は、無数のバランスが作る、絶妙さの奇跡である。
大地や海のバランス、動物や植物のバランス、人間社会のバランスと。
だから、全てのものに、全ての人に感謝しなくてはなりません。
 
そして、
明日は明るいと思えば、未来は明るくなりますし、
不安だらけと思えば、明日は暗くなります。
毎日出来る事はほんの僅かでも、
それが重なれば、大きく未来を明るく変える事が出来きます。
 
夢は明日に向けた期待です。
どれだけ実現出来たかという、結果ではありません。
何よりも夢は、今日を確かに生きるために必要なのです。
 
という事々を!心に置き、
2012年を始めることといたしましょう。
 
          Mamoru Muto 2012 正月
 
 
 
273
 
心は旅人して
 
高校生の頃、この世のもの全てに疑問を持ってしまった。
人は何故食べるのだろう、なぜ右手で箸を持つのか、
悲しいのに何故涙が出ないのか、笑えないのか、等々と。
 
ぬくぬくと山奥の町で、親の愛を何の疑問も持たず成長したのだが、
大きな町の高校に出て、何も世間を知らない、小さな自分を恥じた。
それを何もかにも、と拡大してしまったのは、
多感な思春期の成せるワザです。
 
そんな疑問に答えを見付けるために旅に出た。
様々な出会いがあり、様々な経験をし、また失敗もした。
たくさんの時間を経て、
何とか人間として生きてゆけるようになった。
 
さてどうでしょうか、僕にはもっと別の人生があるかもしれません。
僕が下して来た、若い頃の疑問への答えと決断は、
かりそめのにしか過ぎません。
 
新たな心の旅を続けることが、よりよき私に出会い続けることが、
最も大切のだと思います。
 
          Mamoru Muto 2012 正月
 
 
 
 
274
 
戦うという事
 
 
戦うと言葉は嫌いだった。
中学、高校、大学と大嫌いだった。
人と競争するという事が。
 
水俣にゆき、これだけ社会から見放された人は、戦うべきと、
初めて戦いというと言葉を正当化する事が出来るようになった。
 
植物でも、動物でも、自分の生存をかけ、戦っています。
自分も彼等と同じレベルに置いてみて、始めてこの言葉が分かった。
 
そして、次に考えたのは、
自分は生まれて来たからには、生きるためには何をしてもいい、と。
僕は悪人、悪いことをしようと思ったのだが、
人を害するより、自分の体を害してしまった。
どうも、悪人の才能がないらしい。
 
ひとつの言葉を発見するには、長い時間がかかります。
今、この言葉は僕にとって、無くてはならい言葉になりました。
思春期に感じた違和感は、
大切だからこそ感じた、違和感だっのかもしれません。
 
          Mamoru Muto 2012 正月
 
 
 
275
 
貪  欲
 
古い教えでは、何処でも貪欲を戒めている。
食欲、性欲、金銭欲、権力欲・・・等々と。
でも、欲望は生命活動の根幹です、なくなったら死んじゃいます。
 
古い教えを、今の僕に合わせ書き直せば、
バランス崩す欲望はそれなりの報いを受ける、
それを覚悟出来れば、何でもやって良いということです。
 
 
僕は欲張りが好き。
時に人に嫌われるかもしれないけど、
自分の心や体のバランス崩すかもしれないが、
貪欲な人間が好き。
 
程々の所で満足しちゃだめ、
今年は、二歩先に!
太く長く、がめつくで、ゆきましょう。
そして、ずるくも忘れちゃいかん、と。
 
          Mamoru Muto 2012 正月
 
 
 
 
276
 
水  俣 ─あるは誤算─
 
昔、渡辺京二さんは言った。
「おまえ達は裏方になれ」と。
だから僕は裏方に徹した。
 
時が過ぎ、裏方の季節が終わった時、
僕は悩んでしまった。
「武藤君は何をしたいの」と心配する女ひとを
僕を強く抱きしめずに悩むとは。
 
誤算、ごさん。
誤算が新たな誤算を生み、人生は誤算だらけ。
 
思いは、金子みすゞに馳せる。
彼女の誤算や絶望に比べら、僕の誤算はまだ小さいかと。
 
          1/13 2012 Mamoru Muto
 
 金子みすゞすはいいですね、凄い詩人です。震災報道で彼女の詩がしつこく流されたので、皆さんの記憶に残っていると思いますが、大正期の大きな花です。
彼女は不幸な結婚生活と子供を救うため、自殺の道を選んだ。
 彼女の童話は、恐らく青春という人の一つの季節がなせる技でしょう。人間を飛び越え、鰯に思いを馳せることの出来る心の広さは、不朽です。短い優しい言葉に違った地点が存在するすばらしさです。それはまた自分に戻ってくるので、世界がグンと広くなるのです。
 
 
 
278
 
寒  ─ 凍てつく空の下で ─
 
 
北国からは大雪の報シラせが届いてます。
太陽の運行から一月遅れて、最も寒い季節がやって来ました。
町歩く人は身体を縮スボめ、足早に通り過ぎてゆきます。
北風は、地上のゴミや埃を吹き飛ばし、澄んで締まった青空に変えてくれました。
だから、この季節は嫌いじゃありません。
 
固い夜空に、降る程の煌めく星々も、
流浪の旅の中、この季節に見ることも出来ました。
 
時にこの季節は、弱った命を奪います。
そんな人々の悲しみをも、無慈悲にあるは平等に凍らせてくれます。
 
再生の前に訪れる、死の季節。
大いなる神々の為せる技ワザです。
私ワタクシも古い衣を脱ぎ捨て、ピュアだった頃に戻り、
来る春の準備をすることにします。
 
          1/17 2012 Mamoru Muto
 
 
 
 
278
 
空 回 り
 
正月早々から空回り、
僕の思いと世間とは、どこかでちょっとずれてます。
慌てない慌てない、いきり立てば立つほどますます空回り、ですから。
 
寒いからでしょうか。
寝起きは悪く、追い詰められたり、叱責されたりと、
毎日、悪い夢の中で目覚めています。
心の奥底で、現状に不満を感じているのでしょう。
 
もうすぐ春、心も体も軽くなります。
新しい何かを探しに旅に出ましょう。
そう、今は分からないが、「素敵な何かを探す心の旅」です。
春は出会いの季節ですから。
 
          2/3 2012 Mamoru Muto
 
 
 
 
279
 
二 月 の 空 / 虚 ろ
 
 
まだ吹く風は冬、低く垂れ込めた雲の下は寒い。
仕事のOFFが続いく午後、何も手がつかず、ドライブに出た。
冬枯れの風景は、まるで僕のうちを映し出しているようで、
無機質な荒野として広がる。
 
 
『充実』という言葉があるが、その反対の、無為にすぎる時間の多さよ。
当てどなくさまよっていた、青春の日々ばりでなく、
その後も、実に多くの無為な時間を浪費して来た。
 
 
『何もかにも素直に受け入れなさい』と、ふと考えが浮かんだ。
波立つ水面みなもには、夕日焼け反射するしていた。
そして、『ゆっくり、焦らず』と心に言い聞かせると、
やっと僕は落ち着きを取り戻し、帰路につくことが出来た。
 
 
          2/11 2012 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
280
 
春だ! 一歩先へ
 
春だ! さあ、一歩前へ!
昨日は昨日で、終わり、
今日の一歩は、明日へと続く一歩。
花咲く季節、外に出ましょう。
 
 
去年が最悪な春なら、
今年の春は最高の春になるはず。
そう信じる事にしましょう。
 
          2/22 2012 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
281
 
異   常  ─ 原発事故から一年 ─
 
 
3.11が近づけるにつれ、去年の異常事態が蘇る。
その日から始った悪夢の数ヶ月。
 
地震は神々の為せる技、原発事故は人の思い上がりが招いた罰。
日夜変化する事故状況に、そんな腑に落ちぬ思いが渦巻き続けた。
 
 
街が暗くなり、お祭りやイベントが中止し、食料品がスーパーの棚から消えた。
仕事がなくなっり毎日が暇となり、テレビにしがみつく引きこもりの日々が続いた。
直接的影響から派生する、人々の心理の異常さほどキツいものはない。
 
僕は自分の心の健康を保つため、出てあてどなく歩いた。
外や公園の花や木々の緑は、いつも通りの安らぎを与えてくれた。
 
 
こんな時でも、冷静に対処しようとする生真面目な国民性。
でも人々の内は、不安が狂った心理として沈殿し、深くどす黒く渦巻く。
 
日々流される地震や事故の報道も、一ヶ月もすると麻痺してしまい、
細かいニュースには、無感覚に反応しなくなってしまった。
しかし、それは黒く重い荷物となり、ずっしりと肩にのしかかり続けた。
 
 
もし僕が昭和十年代の日本に居たらと、ふと思いを重ねて見た。
 
戦争は人間起こす最大の人災である。
当時の交戦的風潮と開戦と、そして敗戦と。
きっと僕を原発事故などと比べられない、暗く重い思いをしただろうと。
 
事故だったからまだ救われるかも知れない。
緊急事態が収まれば、反省と言う希望に変わるはず。
昭和の十年代は、ブレーキが故障した暴走列車だったから。
 
          3/10 2012 Mamoru Muto
 
 
 90前後のバブル景気の世相も僕には同じぐらい悪い印象で残っている。誰も彼もが不動産屋か金融業者になったようで、嫌でした。土地が売れたとかで、知り合いがそうなると、気分が悪かった。夜も昼もお祭り騒ぎ、この頃よく、車で山の中にドライブして、そのまま朝まで過ごすことが多かった。お金が入る有り難さより、平常心を忘れた姿の方が、嫌でした。バブルが崩壊して、不景気になり、町が静かになった時、本当にほっとした。
 
 
 
 
282
 
遅 い 春 ─やっとやってきた春日和─
 
 
風の寒さがとれ、晴れ渡った三月の下旬、散歩に出た。
公園の辛夷はまだ咲かない、今頃白梅紅梅の盛りである。
でもまあ、なんと久しぶりの気持ちの良い暖かさでしょうか。
もう今日は何もしない、一日ブラブラ過ごすことにした。
 
 
サクラ!
昨年の混乱が、ことにに付けぶり返してくるからでしょうか。
冬が長くなかなか暖かくならず、春気分にならないからでしょうか。
どうもサクラが咲いても、今年は素直に楽しめそうもありません。
 
 
歩きながら自分に言い聞かせた。
〝まっすぐ前を向いて歩きなさい。
ちよっと、お前!姿勢が前屈みだぞ!〟
 
 
駅前のコーヒーショップでコーヒーをすすり、
ぶらぶらと河川敷の公園に出た。
なんと暖かい日和でしょう。
枯れ草に横たわると、眠気が襲いそのまま寝込んでしまった。
 
          3/29 2012 Mamoru Muto
 
 
 
 
283
 
ゆっくりゆっくり
 
やっと春が来ました。
暖かいことは何と気持ちの良いことです。
春はのんびり、ゆっくり過ごしましょう。
 
 
真面目にやり過ぎてはいけません。
小さなところで始終してはいけません。
世界は広く大きいのです。
時に立ち止まって、体を休めましょう。
 
人への慈しみを忘れたらおしまい。
夢を失ってもだめ。
人は夢と慈しみの心で動く生き物です。
 
          3/29 2012 Mamoru Muto
 
 
 
 自分のしなければならないこと分かって居るので、 少し忙しくなると、知らず知らず自分を追い込んでいます。気付くと疲れて、悪い考えばかり去来するようになります。そんな時「ゆっくりゆっくり」と自分に言い聞かせるのです。時には責任を放棄することも大切です。
 
 
 
 
 
284
 
春だーーーーっ! ガあオオオーーーっ!
不平満載 ! そして、 夢も満載 !
 
この世はうんざりすることばかり、
ほっとすることはほんのちょっぴり、指の爪先ほど。
なのに、文句つけたいことは、象の体ほどたくさんある。
 
 
でも、文句ばっかりいっても始まらない。
前向き前向き!
発展的解消 !
あれっ!この言葉大昔よく使ったんだよね。
問題は、新しいこと挑戦する内、解決する。
そうそう、前向き前向き、発展的解消 !
 
 
ガあオーーーっ! 春は嵐 !
寒気と暖気が入れ替わる。
重い衣を捨てて、外に出よう。
汗流そう、動け動け、汗流せ!
 
夢は待つ物ではなく、探しに行く物。振り返ってみたら、いつも先は真っ暗。大荒らし、小嵐の連続!
今更ぶつぶつ言っても始まらない。
 
 
春だーーーーっ! ガあオオオーーーっ!
不平満載 ! そして、 夢も満載 !
 
          4/6 2012 Mamoru Muto
 
 
 
 
285
 
春 の 雨 ─ 僕は何処から来て、何処へゆく ─
 
 
桜の花も大方散り、公園一面を桜色の花弁が埋め尽くしてしまいました。
いつしか、しとしとと、春の雨が降り出してきました。
木々は芽吹き始め、淡い緑の花をつけています。
 
 
 
僕は何処から来て、何処へゆく。
若い頃の疑問が、亦現れ僕の中を巡っています。
 
 
 
街角を、骨の折れた傘をさした老人が、通り過ぎてゆきます。
歩道に植えられたハナミズキの並木も、花を付け始めました。
雨はそれら全てを濡らし、しっとりと落ち着かせてしまいました。
 
 
 
僕は何処から来て、何処にゆくのでしょうか。
ひとつの季節が終わり、何もない僕に戻って、
亦、同じ問いが現れてきました。
 
 
 
人陰も疎らな、日曜日の午後の街並み。
家々の屋根も、庭の草や木も、アスファルトも、街路樹も、
優しい春の雨に、古い風景写真のようにひっそりとしています。
 
「そう今度は、こんな安らぎの向こうにゆけば良いかもしれない。」
と、ふと浮かび上がっては来ましたが、
確かな像を結ぶ前に、消えてしまいました。
 
          4/22 2012 Mamoru Muto
 
 
 
286
 
季 節 は 巡 る ─ 新たな出会いを求めて ─
 
 
世界は波の寄せ集め、砂浜を寄せては返す海の波とよく似ている。
そよ風に揺れるさざ波から半日周期の満潮干潮まで、
海の波は無数の種類の波の集まりで出来ている。
世界も無数の波の重ね合わせ、そして人間一人一人も同じ。
 
人生の波の中で、大きな波に、
十二年一昔と言う如く、十年あるは十二年位の周りで、
同じ様な事が回ってやってくるものがある。
そして、今の僕は新たな出会いの年回りの周期です。
 
これまで僕は、内に籠もる時期、外に出る時期を繰り返して来た。
一つ前の40代の最後から50代は、
自分の外より内の整理に時間を費やす事が多かった。
だから60代は、新たな出会いの季節かと、密かに期待が膨らむ。
 
 
僕は何処から来て何処へゆく。
 
山深い田舎から都会に来たが、
大学を辞め、九州や労務街放浪した
10代から20代半ば。
 
絵という自分だけの世界に籠った
20代後半から30代。
 
新たな出会いを求めた40代。
 
と、大きな波を打ち生きて来た。
ではさて、次は何処へむかって旅立つというのか、僕は。
 
          2012.5.18 Mamoru Muto
 
 
 
 
287
 
若さについて、あるは老化について
 
若い頃がキラキラ輝くようになったら、老いた証拠
時間は、自分に都合の悪い事は忘れさせ、都合の良い事だけを思い出させ、美化する
かって思い込みや幼稚な判断で、周りの人に迷惑かけていことなど、すっかり忘れ去っている
 
確かに未経験は、大きな感動を与えてくれ、慣れるに従って、感動は薄れてゆく
それが、青春を美しく飾るりやすい一番の要素である
しかし、それが青春だけの特権ではない
いつの時代も、人は不安と恐れの中にあり、それを克服した時、大きな感動や幸福感を得る
 
青春を殊更美化してはならない
年取った若者はこの世にたくさんいるし、若い年配者もたくさんいる
若いとは、年齢ではなく、過去を守だけにはいらないということです
そうすれば、人は年に関係なく、キラキラと輝き続けることができる
 
          2012.5.22 Mamoru Muto
 
 
 
 
288
 
金 環 食
 
 
テレビつければどこのチャンネルでもやっている
アホたちが、金環、金環と馬鹿騒ぎ
一日過ぎれば、今度は、スカイツリー、ツリ、ツリーと青騒ぎ
世間という名のアホ共が・・・・・
 
朝一時間早く家を出て、西船橋で途中下車、
雲の切れ間から、金環食確かに僕も見ました。
一日幸せ気分で過ごした。
 
でも、
一日経ち、疲れが出たか、若い頃の皮肉屋の僕が顔を出す。
世間が騒げば騒ぐ程、皮肉屋の僕は、世間をアホと決めつける。
 
僕もなかなかの気分屋、いいじゃない、いいじゃない。
 
          2012.5.22 Mamoru Muto
 
 
 
289
 
梅 つ ゆ 雨
 
 
雨の日はしっとりと、
そこはかとなく感じられるものを感じて過ごしましょう。
表の私は嘘の私、世間体という仮面を脱ぎ、
日頃忘れている私を思い出しましょう。
 
 
六月の雨は恵み、
天が下天に与える最高の贈り物。
地上の全てのものは、
この宝石の雫のなしには生きられぬ。
 
 
人は優しさという雫と、愛という蜜なしには生きられぬ。
人は人から優しい気持ちを受け取らなければ、
干からびて心は死んでしまう。
また、人を愛さなければ、心は自家中毒を起こし狂い出す。
 
 
雨の日はそんな事に心を巡らしましょう。
仮面の下の私は何を欲しているか、耳を傾けましょう。
 
 
昨晩から梅雨の走りの雨が降っています。
紫陽花は青い花弁を鮮やかに広げ始めました。
木々の青葉も深い緑色に輝いています。
 
          2012.6.6 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
289
 
都   会
 
ビルデングとか、家とかいう植物が密生し
その間を車とか、電車とかいう虫が忙しく動き回り
そこに更に小さな、人間とかいう細菌が寄生している
 
まるで空き地の雑草達が作る風景のようなところ
 
          2012.5.26 Mamoru Muto
 
 
290
 
 梅 つ ゆ 雨
 
 
 
雨の日はしっとりと、
そこはかとなく感じられるものを感じて過ごしましょう。
表の私は嘘の私、世間体という仮面を脱ぎ、
日頃忘れている私を思い出しましょう。
 
 
 
六月の雨は恵み、
天が下天に与える最高の贈り物。
地上の全てのものは、
この宝石の雫のなしには生きられぬ。
 
 
 
人は優しさという雫と、愛という蜜なしには生きられぬ。
人は人から優しい気持ちを受け取らなければ、
干からびて心は死んでしまう。
また、人を愛さなければ、心は自家中毒を起こし狂い出す。
 
 
 
雨の日はそんな事に心を巡らしましょう。
仮面の下の私は何を欲しているか、耳を傾けましょう。
 
 
 
昨晩から梅雨の走りの雨が降っています。
紫陽花は青い花弁を鮮やかに広げ始めました。
木々の青葉も深い緑色に輝いています。
 
 
2012.6.6 Mamoru Muto
 
 
 
291
 
一 歩 一 歩
─ 平凡という名の奇跡を確かめて ─
 
 
最も大切なのは、今日の今の一歩。
明日の一歩じゃないし、昨日の一歩でも、ない。
足から伝わる地面の感覚と、空気の味と、聞こえる音と、見える風景。
それらをしっかりと感じ取る事。
 
 
生きるとは行、僕らは平凡を生きる行者。
小さな花に三十億年の生命の歴史を感じる想像力。
安心という怠慢と、無感動という浪費を吹き飛ばしましょう。
 
 
足から伝わる地面の感触。
無数の地割れが重なり、たまたま安定してるだけあることを想像しましょう。
そう、僕らは、平凡という奇跡の大地を歩く行者。
 
 
事故や災害は平凡がたまたま見せた、素顔。
感じる空気は、海を越え、砂漠を横切り流れて来たもの。
だから、今の幸せを一歩一歩確かめなくちゃ、損。
 
          2012.6.16 Mamoru Muto
 
 
 
 
292
 
また夏が来ました。
 
また夏が来ました。
ちょっと油断すると、心の隙間から熱気が入り込み、
取り留めのない事になります。
昨日は、朝から満腹なのに、食べに食べて居た。
散漫、バラバラ。
 
 
二三日前まで、戻り梅雨。十度も低い、五月の陽気。
その時は、やたらと眠い気が襲って、
仕事中、じっとしているのが、辛かった。
 
 
季節の変わり目はオロオロするばかり、
今年はどんな夏になるのやら。
 
          2012.7.24 Mamoru Muto
 
 
 
 
293
 
飛 べ な い 夏
 
 
熱さに心も気分も沸騰し始め、勝手に空中を飛び回る。
集中とは正反対に拡散、混沌とするばかり。
よからぬ心配ごとが、チクリチクリとアブのように僕を刺し、
その場しのぎの対応するのが精一杯。
 
 
いいものは少ない夏の思い出。
川で遊ぶ子供達の歓声をよそに、
川砂遊びに一人で没頭していた幼き頃。
犬に噛まれ、いく針も縫った夏。
 
 
今年もやって来た夏。
「ビバァ!夏だ!情熱の季節がやって来た!」と
浮き立ちそうな気配もあったが、すぐに
「あまり多くは望まない。」といつものフレーズ脳裏をかすめ、
自ずと僕の期待は萎んでゆく。
 
 
ああっ?なんと重力は重く、飛べない僕。
 
思いでの夏も飛んでいなかった。
日比谷の地下30mの工事現場の夏。
九十九里では、酔っ払って、海の底に沈みかけた。
 
 
でも、そうだった、西の空を見上げて、
秋になっら、空が澄む分、気持だけでも、
空を舞えるかも知れない。
と漠とした希望に自分を託すことにした。
 
          2012.8.11 Mamoru Muto
 
 
 
294
 
品 あ る 生 き 方 を
 
時々考える、「品とは」と。
日常という煩雑さだけに振り回されると、
自分を忘れ、目先の事だけで物事を判断してしまいます。
時には、少し離れたところから自分を見ないといけません。
 
一番品が問われのは、自分が苦境にぶち当たった時です。
その時どういう選択をするか、その人の真価が問われます。
突然そんな場に行き合わせても、
日頃から考えていなければ、いい判断は出来ません。
 
美しいものを愛でる心、
花や虫や季節の変化を楽しむ心、
友達だけでなく、人を愛する心。
いずれも、難しい事では有りませんが、
そんな心の遊びがあって始めて、
困った時にも少し大きな尺度から物事を見ることが出来るのです。
 
品ある生き方をしましよう。
それは、心にいつも余裕を持つということです。
 
          2012.9.10 Mamoru Muto
 
 
 
 
295
 
頑 張 ら な く ち ゃ !
 
 
暑さ寒さも彼岸まで。
三十度を越える残暑も、寝苦しい熱帯夜も、
お彼岸がくると、不思議なほどあっさりと気温が下り、
機能不全だった身体や脳みそも、やっと回復し始めました。
 
 
「おもしろきこともなき世におもしろく」とは高杉晋作の歌ですが、
楽しい事は自分で作り出さなければ、誰も運んでは来ません。
 
 
時々考える。
僕は十分に僕の力を出し尽くしたか。
僕は新たな事をするのに臆病になってはいないか。
そして、
心の奥底で、年を言い訳にしていないか、と。
 
 
今までも大変な事の方が多かった。
楽しい事より、苦しい事の方が多いかもしれない。
そして、これからも、新たな問題が僕を苦しめるだろう。
 
でも、頑張らなくちゃ!逃げちゃいけないね。
「苦も亦楽しからず」ですね。
 
          2012.9.22 Mamoru Muto
 
 
 
296
 
満     月
 
 
新月、満月近くになると力が抜ける。
目的があり動き廻っている時は、あまり感じないが、
オフの大した用事のない日などは、全身が重い。
 
 
何百万年の人類の歴史が、細胞に刻み込んだ習性。
満月の夜は、唯一夜行動できる時、逢引の時なのです。
細胞達は夜歩きと出会いの為に、喜々と過敏になっているのです。
 
でも、僕の体は敏感に反応する感受性について行けないのです。
何時もは防衛的にバランスを取っている細胞達が、
解放したが為、出力低下を招いたのです。                                
 
先週末は最悪だった。
過敏になつた感性がプラスではなくマイナスの方向に振れ始めた。
心配ごとがグルグルと回り始め、気持ちを切り替えることが出来ない。
食事や買い物など、日常の些細なことも面倒臭くなってくる。
何やら若い頃の自分に、戻ってしまってような感じとなった。
 
 
ちょっとばかり、過敏に生まれて来てしまった為に、
人の言葉の裏まで見えてしまう為に、
物事が分かり過ぎてしまう為に、
身動きが取れなくなってしまった、思春期から青春時代。
そこから逃れる為にひたすら、未知なものを求めるしかなかった、
僕の青春と重なった。
 
          2012 10/2 Mamoru Muto
 
 
 
297
 
あ り が と う
 
 
まだ夏の暑さの余韻が残る青空、
細長い川縁べりの公園は、曼珠沙華の鮮やかな赤で埋め尽くされています。
久しぶりの青空だからでしょうか、曼珠沙華の見事さのためでしょうか、
何かに感謝の気持ちがこみ上げ、「ありがとう」と小さな声でつぶやきました。
 
いつ頃でからでしょうか、「ありがとう」と素直に言えるようになったのは。
若い頃はなかなか言えなかった。
今考えると難しい言葉です、深く広い言葉です。
 
 
誰もがいつでも、ありがとう、と使うけど、
若い人には、簡単に使って欲しくない言葉です。
それは、この言葉は自分と関わるすべてのものとの、
関わりが分からなければ、使えない言葉だからです。
 
つけんどんな若者が、僕は好き。
見境無く、ありがとうの安売りをする大人の真似はしなくていい。
思わなければ、無愛想にしている方がいい。
本当にそう思った時、一言「ありがとう」と言えばいいのです。
 
          2012 10/5 Mamoru Muto
 
 
 
 
298
 
ありがとう 2
 
 
親が自分の思いが分からず、
こうしなさい、ああしなさいとうるさく感じるなら、
ありがとう何んてとてもいえない。
 
世の中の視線が敵意に満ちて感じられたり、
自分は異邦人と感じたりしたら、
亦、ありがとうなどといえない。
 
 
失敗や、事故や、災害にあって初めて
人は人の優しさにを知る。
 
病気をして健康の有り難さを知り、
里山に遊んで初めて、他の生き物を知る。
 
 
人は一人では生きられない。
人は人間だけでは生きられない。
 
家があり町があり村があり里山があり、
山があり川があり海があり空がある。
それらみんなが無ければ生きられない。
 
だから、「ありがとう」は深く広い言葉なのです。
 
          2012 10/6 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
299
 
野垂れ死
 
 
 昨年は一人、今年は今のところ一人、古い知人が誰にも知れず死んだ、孤独死である。僕の先どりをしているようで、心中はなかなか穏やかでない。
でも、二つとも後日知人が集まり、お別れ会をした。
全くの1人ではない、多くの知人の中での、その時傍に誰もいなかったと言うことです。
ふと思ったのだが、死に方はどうでもいいんじゃ無いかと、問題はどう生きたかであると。
 
 
それは、死の側から見ることが出来ないから、「死」はあくまでも、「生」の側からの想像でしかないからです。
死は意識がなくなることで、自分で感じることが出来ないので、考えようではどうでもいいことです。
 
 
 なら、死に方は、自分自身のためというよりは、生きている人々への死でゆくものからの者の配慮以外のなにものでもありません。
 
 僕の家族や知人友人が、僕の死に方にとやかく思わなければ、僕は野垂れ死でも、いいんじゃないかと、思もいました。
 
知人のお別れ会をに出席して
 
          2012 10/7  Mamoru Muto
 
 
 
 
300
 
「人として」
 
 
若い頃持ってしまった疑問。
六十にして亦、ここに戻る。
 
定まった明確な答えなどない。
その場その場で、答えは違ってくる。
恐らくこの命ある限り、問い続けるでだろう。
 
 
不思議なことに、悩んだ時、問題にぶつかった時、
この言葉を思い出すと、自ずと答えが見えてくる。
 
時に回り道、競争社会の中、余分な事かも知れない。
でも、長い時間を見れば、こちらの方が理かなってる。
 
 
何度もこの言葉に助けられたて来た。
だから、最も大切な言葉である。
僕にとっては。
 
          2012 10/20 Mamoru Muto
 
 
 
 
301
 
ヤダ、ヤダ、ヤダーーーッ !
 
 
ヤダ、ヤダ、ヤダーーーッ。
やだあーー、なあんにもしたくない。
 
朝、
今日は久しぶりのお休み、
温泉でも行こうか、途中の峠道の紅葉も良いな
でも、まだ早いし、眠り足りない、もう一眠り。
 
昼、
途中の運転のこと考えると、体が重い。
今日は温泉はやめ、
カレーそばのカレーの試作品でも作ろうか。
 
午後、
スパーに買い物はもなんか面倒くさい。
外は氷雨、寝たり起きたりテレビを見たり。
集中力はまったくゼロ。
 
夜、
腹がへったが、飯を作るのもヤダー、
雨の中渋々スパーにお弁当買いにでけた。
報道番組は頭を使うからヤダー、
アニメと馬鹿なバライティーTVで、
目覚めている事の苦痛に耐えた。
 
          2012.11.17 Mamoru Muto
 
 
 時間の使い方は難しい。疲れて何も手に付かない日があります。考えることも苦痛になって、ただ時間が過ぎることを願っているような日が、月に一二度はあります。
雨が降っていなければ亦別な過ごし方もあるのですが、家に閉じ込められる、なかなか疲れも解消しない。
 随分と時間が経ち若い頃のことは思い出せなくなっていますが、思春期から三十代頃まで、こんなすべてが浪費と感じることが、今と比較にならないほど長かったような気がします。
 
 
 
 
302
 
花を咲かせましょう
 
 
久しぶりに会う友達は、時が経ち変わっていた。
会わなかった時間の長さに比例して、
白いものの増え、シワが深くなっていた。
 
でも、心の内はどうなんでしょう。
それは、話をして見なければ分からない。
 
外見だけで人を判断しては、いけないよ。
出会った頃の様な、みずみずしい心を忘れなければ、
彼は今でも青年です。
 
若い頃にだけ花は咲くと、決めつけてはいけない。
若い頃咲く花、壮年に咲く花、年を重ねなければ咲かない花、
と違った種類の花が咲く。
 
春に何百年の老桜が、花の雲で覆い尽くされるように、
常に細胞が若がえりを繰り返しているのです。
だから何歳になっても、花を咲かせる事はできます。
心が若さを忘れてしまっては、それは出来ません。
 
          2012.12.1 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
303
 
師    走
 
 
十二月はゆっくりと心を鎮める時間が欲しい。
忘年会やそば打ちやで、忙しく動き回る時でもあるが、
基本は一年間起こったことを、思い出し反芻する時。
 
 
掃除や洗濯を放り出し、外に出た。
川沿いにゆっくりゆっくり、車を進める。
紅葉の最後を、乾いた冬の太陽が照らしている。
 
自転車を押す老人や、青々とした白菜の畑や、
家々のベランダには、干された洗濯物などが見える。
これらを愛おしい感じなければ、前に進んではいけない。
 
 
十二月は失敗の時、若い頃は力任せに動き、良く時期に失敗した。
自然と身体が前に進もうと欲するまで、動いてはならない。
良いことも、悪いことも、心のあるべき場所に収まるまでは。
 
          2012.12.10 Mamoru Muto
 
 
 
 
304
 
そ ば
 
 
食べ物はいい。
美味しいか、そうでないかだけ。
何の理屈も必要ない。
 
そして、
子供も大人も、男も女も、若者も年寄りも、
おいしいければそれでいい。
 
更に、
美味しいもの食べれば心の壁が緩み、
みんな友達になれる。
 
          2012.12.20 Mamoru Muto
 
 
 
 
305
 
青 春 ─高校時代─
 
 
高校時代の友が十年ぶりにやってきて、
僕の打ったそばを美味しい美味しいといって、
帰って行ってた。
 
その後、
「尾瀬に行ったことや、
転校する時のことが走馬燈のように甦り、
光り輝いている。」
とメールで送ってきた。
 
僕も同感です、高校時代は宝石、
その頃から続く、数少ない友も宝石。
と返信した。
 
悶々として、否定な部分しか見て来なかった僕にとっては、新鮮な驚きであった。
確かにそうだ、同じことも、別の角度から見れば、輝いて見える。
 
          2012.12.20 Mamoru Muto
 
 
 過去は変らないが、見方は今の自分がかってに決め付けている。だから、今が大切ということです。頭を柔らかくしないと、過去も振り返りられなくなる。
 
 
 
 
 

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──── 詩20・2013 (306~342)────
 
306
 
新        年
 
 
白いキャンバスに新しい絵を描きましょう。
新年は野や山に降った初雪です。
綺麗なもの汚きたないものを全て覆い隠してくれます。
一歩踏み出し新しい足跡を残しましょう。
 
 
子供の頃、待ちに待った初雪を最初に踏を楽しさ。
グズグズ、グズグズという音に狂喜して、
一歩が十歩となり百歩となり、
丸や四角に描いた足跡が、遠くまで伸びてゆきました。
そんな足跡を踏み残した童心に返り、
心の新雪に新たな足跡をつけましょう。
 
 
今年は沢山動きましょう。
仕事はいっぱい致しましょう。
新しい人に出会い、心を新しいもので埋め尽くしましょう。
そうすれば、僕の心に新しい芽が芽吹くでしょう。
 
          2013.1.1 Mamoru Muto
 
 
 
 
307
 
美 し く
 
 
美しく生きましょう。
バランスがよく、過不足ないものは、強く長持ちします。
美しくとは、豊かで広く大きいことです。
人には人にあった身の丈があり、それぞれみな美しい姿が違います。
 
 
生きるということは、混沌と同居することです。
混沌が美しくないからといって、排除することは出来ません。
排除した途端、活力を失い滅んでしまうからです。
混沌を受け入れ、秩序あるものに再編することが、
生きるということに他ありません。
 
 
だから、美しい姿も、常に変化し続けなければなりません。
芸術は人の願望を形にしたものです。
元々は残せないものを、形として残そうとした、
人の強い欲望から生まれたものです。
 
 
変化流転する中、新たな美しい姿を模索し続けることが、
きっと、最も強く生きるという事でしょう。
 
          2013.1.2 Mamoru Muto
 
 
 
 
308
 
春 の 光
 
 
 
「光の春」の光はまだ寒く鋭い。
三月もお彼岸を過ぎる頃となると、
鋭さを失い柔らかさへと変身する。
 
水面に反射する光は、
己の内をも照らし出してしまう。
なにやら柔らかい世界が久遠の彼方まで
続いているような、錯覚さえ見させてくれる。
 
春が実動し始めた。二三ヶ月経ち振り返った時は、
ただの平凡な春なのかもしれないが、
今は期待が満ちている。それを楽しもう。
 
          2013.1.19 Mamoru Muto
 
 
 
309
 
一月二月は、夢を温めるとき
 
今年の冬は少し寒い様です。
特別の目的地も定めず、北へ北へと車を走らせてて来ました。
冬の風景は、生き物はみんなひっそりとして、
果てしなく荒涼とした、街並みや田園が続くだけでした。
 
冬は夢を温めるとき、動くときではありません。
春まで待ちましょう。
人間はせっかちで欲張り過ぎ、
動物や植物達の様に、自然の営みに、素直に従いましょう。
 
思い温めて置くことも大切。
温めている間に、思いつきではない、
深いものや広いものも加えることが出来ます。
小寒、大寒や光の春の時期は、思いを温めるとき。
 
          2013.1.24 Mamoru Muto
 
 
 
 
310
 
何をしていいか分からない
 
 
「大学いって、何になる。」と、村人に問われ、
「何していいか分からないから、大学に行く。」と、答えた私。
 
それから四十年以上過ぎたが、
何やっていいか分からない、と同じ問いが甦る。
 
 
六十を越え、これからの「老い」は未知の体験、
山の中から、都会に出てきた時とよく似ている。
右耳が聞こえ難くなったり、疲れやすくなったりと、
身体は一つ一つ確実に壊れてゆく。
 
これからも優しくない。
戦い続けなければなにも乗り越えられない。
だから、全力で生きるしかない。
 
原則は分かったが、なら「何をすればいいんだ」と、
古い問いが、亦甦る。
 
 
ゆっくりゆっくりでいいよ、焦らなくて。
今までの様にすれば、すべき事は自ずと見つかる。
やるべきと感じた時、やれば良い。
フットワークを軽くして、勘で動けばいい。
そうすれば、僕にとって大切な事、
と後から納得できるはず。
 
          2013.2.1 Mamoru Muto
 
 
 
311
 
荒野について
 
 僕等の世代の十年ぐらい古い人々は、第二次大戦後の荒野を知っている。若い頃は、彼等に対して嫉妬もしたが、津波の破壊された様子など様々な荒野を経験する内に、それは少しずつ無くなって行きました。
 
 今、僕等は整備された文明とういう町に生活している。嘗ては鬱蒼とした大森林だった所である。僕等はいくら逆立ちしても、今の文明が作り出す世界を離れて生活することは出来ない。でも、荒野を想像すること、町が破壊された姿、また、町ができる以前の姿を想像することはできる。
 
 荒野を想像すること、そしてそこに立ったと想像することは、僕らの生きている世界が健全であるか、そうでないか、考えるうえで大切です。
 古代ので都市が人口増加と過剰な開発により砂漠化を招いたように、人間が荒野を忘れた時、大きな力により文明は滅ぶのです。
 
          2013.1.半ば Mamoru Muto
 
 
 
312
 
幸   せ
 
 中学生の頃だろうか、「僕は何と幸せ者だろうか」と思った記憶が残っている。優しい父がいて、母や祖母がいて、兄弟に囲まれ、そう思った。
 恐らく、小学生の後半、二番目姉が死んだ家族の不幸や、死の恐怖にとり憑かれたりしたものが、収束したからだろう。
 
 
 時を経て、二十代に二年程、山谷など労務者街をうろついた事があった。友達付き合いや家族との連絡を最小限として、スケッチブック一つを持ち、日雇いの仕事で過ごした。
人間関係という束縛から自由になりたかったので、自分が何を願っているか、知りたかったのです。
 
 ドヤ街に集まる人々は、実に多種多様な経歴の持ち主達であった。あらゆる階層からそこに流れてきていた。そこで会った人々と、親しくなると、僕は決まって「なぜここに来たか」聞いて回った。すると誰もが「ねほりはほり昔のこと聞くもんじやない」と怒った。
 そう、彼等はみんな心の傷、「失敗者」という思い出しくない過去を背負っていた。何度かの心痛い失敗を繰り返し、その度に家族を失い、友人を失い、人に対する不信が、根深く心の底に沈殿していた。だから、それに触れることは、厳禁であったのです。そしていつしか、誰からの束縛も受けず、自分勝手に出来る唯一の場所、ドヤ街以外に生きる事が出来なくなっていた。
 この体験は僕にとって大きな事であった。「人との交わりを断っては、人は生きられない。」と思えるようになった。
 
 
「幸せ」とは何でしょうか。
 「家族がいて、友がいて、彼等を信頼出来る事。」恐らくそれが、平凡な毎日が一番の幸せな事なのでしょう。他の幸せはその次に来る事なのでしょう。
          2013.2.4 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
313
 
ま ど ろ み ─ 光 の 春 ー
 
 
土曜日の遅い目覚め、
外からカタコトと風が立てる音が聞こえてきます。
朝飯とも昼食つかぬ食事を取りとり、
風呂をわかし、湯船に浸かることにしました。
 
ガラス窓には明るい光が、簾やビアの葉を、
鮮やかな影絵として映しだしてます。
楽しげに戯れる子供のように揺れています。
 
 
一週間の疲れがじわっと染み出してきます。
「言葉に出来ない事もたくさんある」と、
不意にある思いが吹き出て来ました。
「ダメダメ!これはだめ。
言葉にしたら、明日から自分が立ち行かなくなる」と、
心の蓋を慌てて閉めた。
 
 
今日は何もしない。
明るい二月の日差しに、まどろげるようになるまで。
 
          2013.2.16 Mamoru Muto
 
 
 
314
 
貪  欲 ─ あるは夢を追うということ ─
 
「貧しくとも足るを知る者は、むしろ裕福である。無限の富を持っていても、貧者に転落することを常に恐れる者は、冬枯れのように貧しい。」               シェイクスピアの戯曲『オセロ』
 
片方は分かりすぎるほど分かるが、もう一方は想像するだけで分からない。一度で良いから体験してみたいものです。
 
ここで一つの疑問がわく。
「貧しくとも足を知る」だけで良いのだろうかというかと。
財産を持っている者との比較でなく、貧乏な過去の自分との比較で。
 
貪欲は生き物の一番の本質である。
足を知るのは大切で、しかしそれで満足してしまっては終わり。
更に新たなものを探し続けることが、より幸せなことである。
 
元々人間は何も所有していないのです。
裸で生まれ、裸で死んでゆくのです。
所有はかりそめの姿でしかりません。
 
所有したものに自分が縛られるから、不幸となるのです。
新たな財産を求めることは、何の不幸の原因にはなりません。
 
新たなものを探し続けること、夢を追い続ける姿が、素晴らしいのです。
 
          2013.2.18 Mamoru Muto
 
 
 
315
 
もうすぐ春、たくさん動きましょう。
 
もうすぐ春です。たくさん動きましょう。
仕事でも、遊びでも。
 
時間は貴重、時間を無駄にしてはなりません。
動けば、発見があり、出会いがます。
出会いは、感動となって自分に跳ね返ります。
感動は、身も心も若返りさせてくれます。
 
毎日は、特別な時間が続いているわけではありません。
平々凡々と過ぎているだけです。
それを価値ある時間にするのは、自分次第なのです。
感動深い出会いや発見があった時、
それは、心の中に永遠の価値として残ります。
 
出会いは求めなければ、やって来ません。
捜し、動き回る中でしか得られません。
 
さあ、春です、動きましょう。
小さな花に、喜びを感じることができたら、
それは大きな素晴らしい体験の始まりです。
 
          2013.2.21 Mamoru Muto
 
 
316
 
春 の 訪 れ
 
急速なと言うより、激しい春の訪れ。
真冬から、初夏の訪れ、嵐とまた冬の気温へ逆戻り。
身体や心がなかなかついてゆけません。
 
四、五日続いた馬鹿陽気に、
予想より、一週間も早く桜の開花宣言が出る気配。
これではせっかくの春の楽しみに遅れをとってしまいます。
 
まあ、焦るな焦るな!
桜が咲いたからといって、
花見の宴会やらなければならないと、
決めつける必要はない。
ここはなりゆきにまかせましょう。
 
暖かくなったことに感謝し、
後は、気持ちの赴くまま、
春の到来を楽しみましょうか。
 
 
          2013.3.15 Mamoru Muto
 
 
 
317
 
Reset ─ 春分
 
 
あまりにも早い春の到来に、予定が大混乱。
なら、何もかにも取りやめて、足元を整理することにしましょうか。
 
まずは洗濯に掃除。
冬の寒さにかまけ、手を付けずにためていた物がたくさんあります。
折しも今は春分、昼と夜が入れ替わる時、
冬場の心の持ちようを、春の心持ちとも入れ替えなければなりません。
 
冬は冬、春は春、夏は夏、秋は秋と
日々の身の動かし方を変えないと、風邪を引きます。
取りやめたものは心にとめておけばいい、
いずれそのうち自ずと埋め合わせが出来るようになりますから。
 
 
さて、その他に長い時間のことも考えましょうか、しかも真剣に。
出来ることでやってこなかったことはないか、
このままで良いのか、変わるべきことはないか、と
思いを巡らしてみましょう。
 
この世は流転、変化するもの、変わらぬものは何もない。
変化は喜劇と悲劇を生み、幸と不幸を作り出す。
 
今朝は喪失のイメージで目が覚めた。
目覚めるに従い、力が湧きイメージも前向きに変わり
希望のイメージに変わった。
 
 
今年の春は何かの芽を見付けられたら、それで良い。
来春、来々春、それは大きな花を開くことになるかも知れないから。
 
                  2013.3.24 Mamoru Muto
 
 
 
 
318
 
この世はシナリオのない芝居
 
人生にとって成功も失敗も、芝居だと思えば、
自分はとてつもない名演技を演じている役者に見えてくる。
 
また、平々凡々と過ぎる毎日だからといって、
平々凡々を演技と見たら、
並々ならぬ役者にしか出来ぬ、
自分は技量が必要な役者という事です。
 
そして、
どんな人生も、必ずいくつかのドラマが潜んでいて、
どんな大根役者でも、
他人には真似の出来ない、名演技をしているものです。
 
自分とは、「私」という役を演じる役者と言う事です。
シナリオはありません、予想は出来ないのです。
それは実に摩訶不思議な、芝居なのです。
 
                  2013.3.24 Mamoru Muto
 
 
 
 
319
 
赤ん坊 ─ あるは、老化についての二三のこと
 
誰でも赤ん坊の頃は天才なんです。
どんな音痴の人でも、赤ん坊の時は、日本語には無い半母音を聞き分けているのです。
お母さんが話す母音が五種類と理解すると、ここは省エネとばかり、半母音を聞き分け聞き分ける能力を退化させるのです。
 
まず赤ん坊は、生きてゆくために、最初の他人である母親との関係をよくする為に全精力を注ぐのです。不満なら泣き、満足なら万心の笑みで答え、母親との絆を構築する為に自分に備わった能力を最大限使うのです。その頃の能力は、その頃備わっているもの、これから成長するものと大人の二倍三倍の可能性を秘めています。
 
しかし、次は父親、祖母や祖父、兄弟姉妹へと少しずつ関係を拡大し続けると共に、必要はない能力は退化させてゆくのです。
そう、老化、若くは退化は、赤ん坊の時から始まっているのです。
幼稚園、小学校と自分を取り巻く社会が拡大するとともに、自分はこんなもんだと、自分に枠をはめる事になります。
更に、大人になるに従い、自分の社会性が増し、この世界との関係が分かるに従い、今度は、「自分はこんなもんだ」「ただのこんな存在だ」と自分の能力をに枠はめることになります。
 
生きる為だけなら、それでいいかも知れない。それは一番エネルギーを使わない生き方かもしれない。
 
しかし、自分で作った自分能力規範に満足せず、それを壊す作業、赤ん坊の頃あった能力の復活作業をすれば、人は進化し続けるのでは、あるは、新たな自分との出会いが出来るのでないかと、僕は思っているのですが。
さて、どうなのでしょうか、実際は。
                      2013.3.31 Mamoru Muto
 
 
320
 
花散らしの雨   さくら いとあわれなり
 
今年のさくらは、駆け足でやって来て、
すぐ満開となり、もう散ろうしています。
精霊の虫の居所が悪く、
意地悪したのでしょうか。
 
 
今日の朝から冷たい雨が降っていて、
歩道はヒラリハラリと、花びらが落ち
白いの絨毯の厚みをましています。
 
でも、その濡れた姿は「いとあわれなり」と
いにしえの言葉が、口から出てきました。
 
2013.4.2 Mamoru Muto
 
 
321
 
 気もそぞろな四月
 
さくらが散ると山々は歌い出します。
淡い紫色から始まった、萌えの季節は、毎日変化して、
一週間も経つと、薄緑のみずみずしく姿を変えます。
 
この季節、僕は落ち着かず、そぞろです。
どうしてでしょうか、若い時からそうです。
毎日強さを増す光に、心の中がかき乱されて、
収拾がつかなくなってしまうのです。
 
「季節の変化に素直に」と心がげて来たのですが、
今年は三月の激しい春の到来から、混乱は収まりそうもありません。
 
そんな訳で、「長丁場の計画は始めない」ことにしました。
ただボーっと過ごす事も、時には大切なのかも知れません
 
2013.4.11 Mamoru Muto
 
 
322
 
  萌えのころ  掃  除  
 
 
さくらが散ると草木の芽が吹き出し、萌えが始まります。
山々は薄茶から薄紫、薄緑と変わり、一斉に歌い始めます。
毎日の変化が激しく、一週間もしないうちに、視界は若葉色に染まります。
 
あらあら、今年はついて行けない。
一日で二ヶ月分も温度が急変する春の嵐、台風並みの風、雨。
やることなすことが、ちぐはぐだらけ、
若い頃の情緒不安に陥ってしまいました。
 
 
パソコンの空きスペース不足との警告メッセージ。
この前ファイルを整理して、空きスペースを開けたはずなのに。
メモリは自動的に保存されたバックアップファイルでめいっぱになっていた。
必要ないものは削除、削除。
 
情緒不安で何も手につかないなら
ここは新たなことに手を付けず、心の掃除でもしましょうか。
たまりたまりになった必要ないものは、削除、削除。
でもこれ、パソコンの様に簡単ではありません。
心も時に掃除しないと、新しいものが入ってゆきません。
 
2013.4.15 Mamoru Muto
 
 
323
 
ひ な げ し    初 夏
 
風に赤いひなげしが揺れています。
まるで印象派の絵から 
抜け出した様に、
明るい光を浴び、
楽しげにおしゃべりをしています。
 
 
遠く過ぎ去った、
初夏の感触が蘇り、
また素敵な恋をしたくなりました。
 
2013.5.6 Mamoru Muto
 
 
324
 
仕 掛 け   初 夏
 
明るい光と若い緑
色とりどりの花々
初夏は青春。
 
新たな仕掛けを探しましょうか。
自分が楽しみ、友や人々も楽しめる仕掛けが。
 
 
チャンスは探さなくては見つからない。
でも、自分に出来るのは、自分を変える事だけ。
間口を広げて、何でもやってみようと言う気持ちだけ。
 
自分も人も楽しめる仕掛けが、
新たな出会いを誘い、新たなチャンスをもたらす。
だから沢山の仕掛けを見付け、実験しましょう。
 
2013.5.8 Mamoru Muto
 
 
325
 
今日はちょこちょこ日和見
 
 
暑くなく寒くなく、大陸性の乾燥した空気に覆われ、
今日はちょこちょこ日和。
 
トイレを掃除したり、床の雑巾がけしたり。
次は洗濯は、でもその前に一休みひとやすみ。
コーヒーを入れ、特性の納豆トーストで、小腹ごしらえ。
横になり、テレビを見ていたら、あらあら寝てしまった。
 
 
五月は最高、青葉は美味しい空気を作ってくれ、
町々は花々が咲き乱れています。
そうだ、ツツジを観にゆこう、
洗濯?後回し後回し、ツツジは待ってくれない。
 
 
薫風の中、車を走らせ、程なく古い寺に到着、
ここはツツジの名所、観光バスで人が来るところ。
ありゃ、ツツジは終わったから、駐車料金は無料とか、残念無念。
今年は季節が早周りし過ぎだよ。
でも、おみくじは大吉が出たし、春蝉の鳴き声聞くことがてきたし、
埋め合わせは出来た。めでたしめでたし。
 
2013.5.14 Mamoru Muto
 
 こんな感じでちょこちょこと思い付きで動き回れることが最高です。
良いアイデアとかこんな時見つけます。こんな思いつきだけで動けるように、何時もの環境作っておきたいものです。
 
 
 
326
 
一 歩 先 へ  ─人生はこれから─
 
可能性は多ければ多い程良い。
ひとつふたつじゃ足らなくて、三つ四つ五つと欲しいものです。
 
現実は常に予測不可能で、実現出来るのは、少ないから、
数は多い方が良いのです。
 
 
人生の勝ち組は、如何に充実したか、感動大き時間をたくさん出会ったか、です。
不遇はより大きな感動を得るためのもの、
問題はそれに如何に対応したかです。
逆に、幸運も同じ、それをどれだけ多くの人と分かち合えるからです。
 
生きていると言うことは、これ自体が奇跡の産物。
その奇跡を少しでも多くの伸ばすことが、僕らに課せられた仕事なのです。
 
2013.6.6 Mamoru Muto
 
 
 
327
 
孤   独
 
僕を信じてくれる人が一人いたら、
世界を敵にまわしても僕は戦えます。
 
僕が僕を信じていると仮想することを許してくれるなら、
僕は戦えます。
 
でも、それもダメなら、
僕は戦う自信はありません。
 
2013.6.12 Mamoru Mut
 
 
 
328
 
雨 ─ 六月の雨は心を鎮める時 
 
早い梅雨入り宣言にもかかわらず、
空梅雨にようやく雨が降ってきました、
小さな庭に、朝顔、瓢箪、ヘチマの種を蒔きました。
これでようやくすくすく伸びてゆけそうです。
 
六月に雨が降らなければ、こと国は日本じゃない。
雨は恵み、草木ばかりではなく、
人々の心もしっとりと落ち着かせてくれる。
 
仕事も煩雑日常を忘れ、
雨の日は思い出に耽ましょうか。
 
2013.6.23 Mamoru Muto
 
 
 
 
329
 
生    命
 
熱力学の第二法則、すなわち、エントロピー増大の法則は、全宇宙を支配している。
宇宙はひたすら、エントロピー増大の方向、熱的平衡の方向にしか変化しない。
 
しかし、
生命は、負のエントロピーを吸収し、エントロピーの増大を防いでいる。
更に数を増やし、負のエントロピーを増やし続ける。
 
巨視的にみれば、エントロピーの法則を逃れる事はできない。
などと、もっともらしいこをいってはならない。
 
生命は大宇宙の法則に反逆する反逆児なのだから。
 
 
2013.7.26 Mamoru Muto
 
 
 
 
330
 
強く、前へ前へ
 
五月半ばに種を蒔いた朝顔、
元気に子葉広げたのだが、虫が葉っぱを食べので、
二ヶ月経っても大きさが変わらない。
虫が食べる量と成長が一緒なのです。
 
自然の摂理とはそういう事。
弱いものは、食べられ、朽ちてゆく。
人の世は助け合いという、
  弱いものを助ける機能があり、
他の生物とは違った力を持っている。
しかし、程度の問題、
  人の世も弱ければずり落ちる。
 
一緒に植えたキュウリは僕の背丈を超え、
食べきれないほどの実を付けている。
 
虫食い朝顔、まだ負けた訳じゃない。
頑張れ!頑張れ!
 
2013.7.26 Mamoru Muto
 
 
 
 
331
 
「ルールを見つけると、ルールを壊す現象が起こる。」
 
気象予報士の言葉です。過去の統計から、気象の新たなパターンを見つけると、自然はそれに当てはまらない現象が起き、予想が外れる。
 
人間は、過去の経験から、ルールを見つけだし、煩雑な日常を効率よく処理して生きている。
 
でも、どうでしょうか、
過去が似ているからと言って、同じ結果にはならないのとは時々体験する事です。
 
僕らだって、自然の生き物。
僕ら自身も未知の自然的存在です。
過去の経験から見つけた、経験や体験から導き出したことに固執することは、何やら問題がありそうです。
 
2013.7.28 Mamoru Muto
 
 
 
 
332
 
帰  郷   山
 
誰でも心に残っている風景がある。
 
故郷の山は、会津を象徴する磐梯山でも、飯豊連峰でもない。
小さな盆地の北西をある、末広がりの三角の山。
500mたらずの里山だが、盆地の広がりを手を広げて差し示している。
この山の見える風景こそ、僕の故郷のそのもの。
 
 
幼い記憶の断片、
トボトボ帰る小学生の帰路。
この盆地の北西、末広がり山の方向へ歩くと、
暖かいコタツが待っていた。
 
五月の連休の頃、父親の後から登る。
この山の頂上近くには植林した松や杉の林があった。
雪で倒れた若木を立てる、毎年の春仕事。
帰りは、コゴミ、ゼンマイ、ワラビをカゴに摘んで帰った。
 
 
名前は蝉峠、いわれは忘れてしまったが。
北に飯豊の山々、その下に阿賀川が流れ、
その西にこの三角が見える。
 
久しぶりに帰って来た野沢、
その山の裾野に僕の育った村がある。
 
2013.8.19 Mamoru Muto
 
 
 
 
333
 
季節の狭間に
 
背筋は伸ばし、50m先を見て、ゆっくりと歩きましょう。
心は大きく、空に浮かぶ白雲のの動きに、身を任せましょう。
季節の区切りには、そんな時間が必要です。
 
そして一歩先へ、
新たな何かを探しに、旅立ちましょう。
 
時は夏と秋の狭間、
思考回路を狂わしていた、暑さも去り、
ものの変化を素直に受け入れられる、
心の余裕も生まれてきました。
 
同じ街、同じ道のり、同じ人々でも、
接する僕が変われば、新たな出会いが生まれます。
まして、新たな人や場所なら尚更です。
 
そして、背筋を伸ばし、未来に夢を膨らませましょう。
 
2013.9.10 Mamoru Muto
 
 
 
 
334
 
強く、前へ前へ
 
 
五月半ばに種を蒔いた朝顔、
元気に子葉広げたのだが、虫が葉っぱを食べので、
二ヶ月経っても大きさが変わらない。
虫が食べる量と成長が一緒なのです。
 
 
自然の摂理とはそういう事。
弱いものは、食べられ、朽ちてゆく。
人の世は助け合いという、
  弱いものを助ける機能があり、
他の生物とは違った力を持っている。
しかし、程度の問題、
  人の世も弱ければずり落ちる。
 
 
一緒に植えたキュウリは僕の背丈を超え、
食べきれないほどの実を付けている。
 
虫食い朝顔、まだ負けた訳じゃない。
頑張れ!頑張れ!
 
2013.7.26 Mamoru Muto
 
 
 
 
335
 
ムトーの 「夢は夜開く」 
 
赤く咲くのは地獄ゆき、
白く咲くのは極楽ゆき、
どちらにゆけばいいのよ、この私、
夢は夜に開く。
 
十五、十六、十七と、
私の人生暗かった。
その後も変わらず、真っ暗くら。
どうすりゃいいのよ、この私、
教えておくれよ、曼珠沙華。
 
最後はせめては極楽と、
探しに探した、白い白い曼珠沙華。
お願いだから、極楽連れていって。
ああっ!夢は夜開く。
 
自殺した藤圭子に敬意を込め。
もう私くし、白い曼珠沙華にすがるしかないのです。
 
 
そうしたら、
「お前にとって娑婆が一番の地獄。
地獄も天国も行ってはダメ、もっと娑婆で生き地獄味わえ!」
と鬼がケケケッと笑った。
 
とほほほっ。
 
2013.9.25 Mamoru Muto
 
 
 曼珠沙華は別名、地獄花。ニョッキと地面から花芽を出し、真っ赤な花を咲かす。昨年入間川の河川敷で、白い曼珠沙華を見付けた。赤い花の中に所々に白く咲かせている。昔の歌を思い出し、「赤が地獄の入口なら、白は極楽か」などと言葉遊びをしている内に、この詩が出来上がった。
 藤圭子は自殺してもういない。彼女に敬意を表してと入れておこう。自殺は嫌いなんで、死なない落ちも加えた。
 
 
 
 
336
 
そ ぞ ろ
 
休みが続きいたのはいいが、外は雨。
台風の余波で気温も上がっている。
洗濯や掃除も手につきません。
先の予定の準備と言っても、今することはありません。
読みたい本も皆読んでしまっし、、、
 
ダラダラ、だらだら、
時間の潰しが苦痛、苦痛。
 
そぞろ、そぞろ。
病気ちょっと手前。
 
2013.10.3 Mamoru Muto
 
  ありますねこういう時が、季節の変わり目とか決まった時期と不定期間の何かかみ合いが悪い時と二種類あります。
 今回は前者の九月から十月変わり目、涼しくなりやる気は出てきているのですが、毎年他のこととの絡みが悪い。そういえば去年もこんな調子だったと思い出す。
 
 
 
 
337

 

こころを空に
 
十月下旬まで夏の余韻が続き、
十一月半ばには冬の兆しが吹き始めた。
この先、秋は無くなってしまうのだろか。
 
夏バテを修復する暇もなく、紅葉の季節を迎えた木々は、
あざらかな色彩で、秋の終わりを飾ることも出来ず、
鈍い枯れ葉となって、地面に散っていった。
 
 
もう残されたのは一ヶ月そこそこ、
新たな今年の行事も限られてきた。
 
心を空からにしましょう。
特別なこと以外は、捨てましょう。
 
満腹感!何やら貪欲さが失われている。
だから、リセットしましょう。
 
心はいつもゼロ、それが僕の原点。
 
2013.11.22 Mamoru Muto
 
 
 
 
338
 
言  霊  ことだま
 
昔の人は言葉には霊力があると考えていた。
言葉を言い続けると、何もなかったところに、
言葉の意に沿ったものが現れてくると信じていた。
 
愛でる言葉の反対に、呪う言葉も実体化するので、
言葉の使い方にはいつも神経を使っていた。
 
 
科学的分析とか、とかく論理で理解しようとする現代人は、
言葉の力を過小に評価するけれと゛、本質は変わっていない。
 
言葉はまず自分の心をまとめ、それを聞いた人々を集め、
その言葉にまつわる人と人の輪を作る。
 
 
だから、
「前向きに、前向きに」と自分に言い聞かすことは大切。
ゆめゆめ、悲観的な言葉を連発しいはいけない。
 
前向きの言葉を言い続ければ、世界は自ずと開かれる。
 
2013.11.23 Mamoru Muto
 
 
 
 
339

 

鎮 め る
 
特別な事というより、平凡な事の連続で終わりそうな、最後の月。
夢見るブツブツ鳥が、何やら騒がしく音を立て始めている。
街までやってきた紅葉も、無彩色に、ただ通り過ぎてゆく。
 
 
今は立ち止まり、心を暫し鎮めて見ましょうか。
 
忘れていたことなどに思いをめぐらすのもいい。
遠くになってしまった、友達や事ごとを考えるのもいい。
今年起こった出来事など、思い出すままに振り返るのもいい。
 
己の動きひかえ、受動的な自分に心がければ、
水が低い土地に集まるように、
周りのささやかな変化にも、気付くことが出来る。
 
 
ゆっくりゆっくり、気持ちを穏やかに、
日々の移ろいの中に身を任せるましょう。
 
そして、
心に残ったものや、気付いたものが、
新たな形を作るまで、待ちましょう。
 
動くのはそれからでも遅くない、今は暫し留まり心を鎮めましょう。
 
2013.12.3 Mamoru Muto
 
 
 若い頃は、周囲と何かずれているのに力任せに押し切り、良く失敗した。晩秋から初冬の季節は苦い経験が何度かある。
 屁理屈を言えば、知識に対する反発があったからです。理性的とか論理的とか、世間常識の優等生への反発です。それに対して、直感、動物的感覚、感受性、イメージ力とか、論理的思考に対抗するものを大切ににしたかったからです。
 でも、直感力だけで動くと、問題が起こります。それは物事を構成する本質かもしれませんが、この世にある物事は、そこに様々な要素が加わり、存在しています。直感で感じた要素以外のものを、往々に無視してしまうからです。
 例えば「僕は善意でやっているから、人は分かってくれるはずだ。」余り説明もなくやれば、人の反発をかうことはことになるわけです。親しい友人なら時間が経てば分かってくれるけど、親しくなければ大きな問題となるのです。
 悪意は全くないのだが、僕の行動が不信感をかうことが、良くありました。特にこと時期、秋から初冬の頃は、よく失敗しました。
 
 
 
 
340
 
地 下 足 袋
 
温かい季節は、地下足袋底と同じ靴を履いて大工仕事をしています。 雪駄に足袋が伝統的職人の履き物ですが、それでは危ないとクレームがつくので、地下足袋底の靴にしています。軽いし、素足の感触が残るので、いいのです。
 
パリの若者には、地下足袋は最新ファションとして受け入れられています。
靴にはない素足の感触が受けているのでしょう。
 
日本のサブカルチャーと言われるものの世界的ブームが止まないのは、ヨーロッパの文明にはない何かがあるからだと思います。
 
日本の文化は自然と共に進化した文明です。旬という季節感にしても、自然と共存の中で洗練された文化です。
 
皮肉にも、日本人が忘れかけているものを、世界の人が認め始めています。
 
それらはけして、百年二百年と言った短い時間で作られたものではありません。恐らく、千年二千年の単位、縄文時代から続く一万年以上の文化の厚みから生まれてきたものです。
 
論理的ではない、多分に情緒的でさえある文明に、何やら世界の未来を感じ取っているからこそ、世界の若者が日本の伝統的なものに、興味を持っているのではなあでしょうか。 自然を改造しようとする文明の行きずまり、自然と共存してきた文明への憧れです。
 
皮肉にも、当の日本人はそれに気付いていない困ったことです。特に保守的な日本人は、西欧コンプレックスの魔力から脱出できていない、情けない話です。
 
2013.12.4 Mamoru Muto
 
 
 
 
341
 
冬枯れの川辺
 
低く垂れ込めた雲
寒々と冷えた風が吹く
流れる水に鋭い光が反射している。
 
揺れる枯れ草原の河原は、
この季節の心持ちにふさわしい。
 
このところ、気持ちが浮き立ち、
落ち着ちを失っていた。
 
やっと風景と同調することにより、
何時もの自分を取り戻した。
 
2013.12.23 Mamoru Muto
 
 
 
 
342
 
花を飾り、お菓子を供えて
 
今日はクリスマスイブ、どこもかしこも騒がしくしているけと、
僕は一日心静かに過ごしましょう。
今日は母の命日、もう十年の年月が流れました。
 
お部屋の隅に、小さな祭壇を作りました。
お花とお菓子を買ってきてました。
ロウソクを灯し、お線香を焚きました。
そうそう、ドイツから送ってきたお菓子も添えましょう。
甘党だった母には、お菓子は欠かせません。
 
12月24日は母の命日、
生きている間は喧嘩ばっかりやっていたけど、
今はきっと僕の守り神になっているはず。
今日は一日心静かに、思い出に浸りましょう。
そして、ありがとう、と言うことも忘れずに。
 
2013.12.24 Mamoru Muto
 
 

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──── 詩21・2014 (343~377)────
 
343
 
やわらかく
 
古代人は、「人は草」。
野山に生える草と同じと認識していた。
 
そんな考えを彷彿させる発見があった。
 「人参の細胞を刺激すると再生するように、
  マウスの細胞も簡単な刺激で、
  リセットし再生する。」
とニュースが世界を騒がせている。
 
人間は自らが作った認識に、囚われている。
一度獲得した認識を手放そうとしない故に、
固執し、物事はだんだん複雑にしてしまう。
 
何事も、心をゼロに戻せる勇気を持ちましょう。
こだわりから離れる事が出来れば、
問題解決のヒントが見つかることは多い。
 
季節は春、芽吹く草木のように、
子供の頃の柔らかい心を思いだしましょう。
 
2014.2.2 Mamoru Muto
 
 
 
 
344
 
戦 う ぞ !
 
いつ頃だったか、青春のある頃、
風に戦士となることを誓った。
 
今日は雪、東京には珍しく30cmの大雪。
故郷の雪に比べたら、ほんの小雪。
 
毎日、いい事より悪い事のの方が多く飛び込んでくる。
前向き前向き、背筋を伸ばし先を見て、自分のすべきことをする。
 
オリンピックとか、景気とか、何やら安易な未来に寄りかかり、
保守化し、力で押し切ろうとするおかしな風潮。
 
ダメダメ、未来は楽にはやって来ない。
それなりの努力無しには、良き未来はやって来ない。
 
一歩ずつ、多少の苦労あろうとも、
今日すべきことを後に回さず、
長い目で見て理のあることをする。
でも、結果的にはそれが一番楽なこと。
安易は必ず代償を支払わせるもの。
 
2014.2.9 Mamoru Muto
 
 
 
 
245
 
二月の空
 
先週降った雪が、建物陰や広場の隅に残る。
吹く風はまだ一向に温まろうとしない。
 
ただ空だけは、日々明るくなり、
窓辺を暖めるようになった。
 
浮かぶ雲の間を
硬く、純に澄んだ青が埋める。
まるで、少年の心のように。
 
2014.2.12 Mamoru
 
 
 
 
246
 
雪のある風景
 
二月に入り、東京は何十年ぶりかの大雪になった。
僕もすっかり東京人、二日家に閉じこもっていた。
しかし、何日かすると、この風景に慣れ、
故郷の早春を思い出す。
 
雪は人を閉じ込める。
故郷の会津は重い雪との戦いの季節。
そして、弱った年寄りの死ぬ、死の季節。
しかし、この世に何もかにも悪いものなど無い。
 
雪は心の内の世界、空想の世界を広げる。
また、厳しい冬あるが故に、春は殊更に光り輝く。
そして、雪は田畑を肥やし、
豊かな実りを約束してくている。
 
恐らく、僕の性格や気性を養ってきたのも、
この故郷の深い雪。
久々の東京の雪は、忘れていた自分を取り戻させてくれた。
 
2014.2.14 Mamoru Muto
 
 
 
 
347
 
春 の 兆 し
 
二度続いたどか雪は
北国の春を待つ心持ちを思い出させてくれた。
まだ残る雪は空気を硬く冬に縛り付けている。
 
光の春、太陽は益々強さを増し
窓辺に反射する光線に目眩を起こしそうになった。
さくらやなのはなや春かすみの風景が心をよぎる。
 
昨日見付けた犬ふぐりは、星々のきらめきのように見えた。
タンポポもひとつ、水仙も一輪、雪の割れ目に見付けた。
 
春よ来い来い、早く来い!
 
2014.2.14 Mamoru Muto
 
 
 
 
348
 
春 散 漫
 
春爛漫ならず春散漫。
何をやっても落ち着かず、気持ちが定まらない。
家にいると寝てばかり、今年は重症、春散漫病。
 
ノラの「余命一ヶ月」メールは強烈。
悲しみとかの感情は湧かずに、身体中が痛み出す。
人に会い、四方山話て回り、
ようやく、何時もの平常心に戻った。
でもそれは表向きだけ、それから散漫病が始まった。
 
遅い春一番が吹き、急速に春の陽気になった。
毎年の春散漫病に、今年は大きな重石が追加された。
 
仕方ない、仕方ない。
成り行きに任せよう。
 
もうすぐ桜が咲き始める。
今年は春爛漫ならず春散漫病。
 
2014.3.19 Mamoru Muto
 
 
 
 
349
 
悲 し み
 
また一人友達が逝った。
許す限り悲しむことにしましょう。
それは僕の心の一部が失われた事だから。
 
2014.3.28 Mamoru Muto
 
 
 
350
 
優 し い 雨
 
未明からシトシトと雨が降る。
もう雨だからといって、身を縮め身構える人もなくなった。
優しい温かい雨。
 
咲き始めた桜は、この雨で一気に満開へと突き進む。
木々の芽が大きく膨らみ、ちらり若葉の緑を覗かせている。
 
やっと冬は終わった。
哀しみがひとつ、永遠とへと旅立った。
痛む傷口を、春の雨が優しく濡らし落ちる。
 
2014.3.30 Mamoru Muto
 
 
 
351
 
空   か ら
 
息をするなら、まず息を吐くことから。
雑念があり過ぎては、新しいものは入ってこない。
心を空(から)にしましょう。
 
 
春本番となり、気温も上がり、硬く閉じていたものがみな花開く。
僕の気持ちも、あちこちで沸き立ち始めた。
でも、今はまだ静かに静かに。捨てる方が先!
焦るな、焦るな!
ゆっくり、ゆっくり!
 
2014.4.10 Mamoru Muto
 
 
 
352
 
花 の 季 節
 
午後から、しとしと春雨が降っています。
家々の庭先や舗道の小さな花壇には、
パンジーやチューリップが雨に濡れ、
ひときは鮮やかに輝いています。
 
四月に入り、桜の花に続き、木々は一斉に芽吹き、
次から次と花が咲き始めた。
時は弥生、字の意味する季節の到来です。
そう、今年は去年以上に花を観て回りましょうか。
 
また一人友が逝ってしまった。
彼女にもっと花を贈ることにしましょう。
何より僕の心を花で埋め尽くしたいから。
 
「野生の草花の方が、小さく目立たないが、
  本当の花。」などと屁理屈は言わない。
名所に豪華な花でも、街の小さな花壇でも、
  人手の入らぬ藪の中でも、
  花は精一杯花びらを広げているから美しい。
 
2014.4.22 Mamoru Muto
 
 
 
353
 
連休は成り行きまかせ ?
 
5月の連休は仕事も何も予定がない。
何しようか、まあその日の成り行きにまかせましょう。
 
 
「我々は何処から来て、何処へ行く」とか、
なまじっか大脳皮質が肥大化したので、考える。
 
「神様」とかかってに自分達以外に偉い人を作り出し、
その人の命令だからと、自分じゃ出来ないことを
平気でやってのけ、責任は神様と言い逃れする。
そんな悪知恵も身に付けた。
 
生き物はそんな難しく、難解なものではない。
「偶然に生まれ、成り行きで生きてきた。
そしてこれからも、行き当りばったり生きてゆく。」
これが恐らく三十億年の生き物の本質でしょう。
 
 
だから、
「今年の連休は成り行き任せ、生命の本質に合致している。」
ははははっ!
僕も立派な、悪知恵の働く生物の仲間らしい。
 
2014.4.28 Mamoru Muto
 
 
 
354
 
目 覚 め
 
目覚めの三十分一時間は面白い、
意識の防御システムが機能回復する前、
五感と感性が直結されている時間がある。
外界が私を襲ってくる、恐怖を感じ時である。
 
若い頃感じていた、五感が戻って来たような。
恐怖と不安が高まり、絶望の渕に立たされる。
 
目覚めにつれ、防御システムの回復し恐怖は薄らぎ、
いつもの日常が戻ってくる。
 
 
多くの経験により賢くなったが、
しかし、それは何重もの硬い殻を持ったと言うことです。
 
昆虫が脱皮することにより大きくなるように、
いつでも、脱ぎ捨てる勇気を持ち続けたいものです。
 
2014.4.29 Mamoru Muto
 
 
 
355
 
初 夏  め ま い
 
朝飯を食べて眠ってしまったらしい。
倦怠感が全身を覆う。
窓と隙間からこぼれてくる光は明るく鋭い。
目眩が全身を覆ってきた。
身体はこの強烈な初夏の日差しを拒否しているらしい。
 
 
「ああ、面倒臭い、また寝ようか!」
「ダメダメ、そうしたら今日一日無駄にしてしまう。」
「とにかく家を出よう、ここに居ては、身体が眠ったままだ。」
 
 
日曜日だからか、連休明けで遊びに出かけるのにも疲れたか、
今日は車が少ない。
雲ひとつない、初夏の太陽は、
南フランスかスペインを思わせるほど、眩しく、
半袖から抜き出た腕の肌を焼く。
まだ湿気を伴わない、大陸育ちの空気が、それらを援護する。
 
内向きの人生をおくって来た為か、
こと季節の「めまい」の記憶が蘇る。
もう小学生の頃から、明るい光の中で戸惑う僕が、
ポツポツと思い出される。
 
 
「やっぱり正解!家を出て来て。」
街抜け、茶畑の続く田園地帯までやって来た。
もう強い倦怠感も収まった。
畑の隅に咲く初夏の花々も、所々に残る武蔵野の林の木漏れ日も、
美しく輝き、僕に笑顔をおくってくれるようになった。
 
2014.5.11 Mamoru Muto
 
 
 
356
 
Facebook ・ ・ ・ 情報
 
「貴方もフェスブックやりなさいよ」というメール。
「そろそろ潮時か」スマートホンの「F」のタグを押し、登録をした。
 
あらあら名前と苗字、逆に表示されているじゃない。
などと思っているうちに、早い早い、
僕はあまりたいしたことやっていないのに、
向こうから次から次とアクセツしてくる。
暫らく縁遠くなっていた友達が、ドンドンやってくる。
メールが来ないな、思っていたら、こんな所で用をたしていたのか。
 
あっという間に何十人の名簿が出来てしまった。
 
 
高校生の頃、会津の田舎で深夜のラジオ放送の情報に耳を傾けていた。
僕らの欲しい情報は探さなければ見つからなかった。
会津の田舎ならなおさらであった。
 
小さな端末で何でも集まってしまう今日と、
ラジオや一部の週刊誌の片隅に乗った記事に、夢を膨らましていた時代と、
どうしても比較してしまう。
 
「果たして僕らは豊かになったのか?」
「少ない情報を温め、空想を膨らましていた時代の方か、心は豊かでなかっか?」
云々、と。
 
2014.5.16 Mamoru Muto
 
 
 
357
 
出逢い 変わり続けること
 
人と人の出逢いの他に、時代との出逢いといった大きな出逢いがある。
 
若い頃の水俣病や、四十代の相模湖周辺でのイベントは、
大きな時代のうねりの中での出逢いである。

前者は、学生運動や公害問題が大きな社会問題になった時期ですし、
後者は、バブル経済とその崩壊のさなか、それらに疑問を感じた田舎暮らしが脚光浴びた時代です。

その出逢いにより、僕は多くのことを学なび、大きく人生を変えることが出来た。

出逢いは変化であり、変化の原動力は感動です。
新たな人や物事に出くわすことは、新たな自分との出逢いでもあります。

もう僕の気づかないところで、変化が始まっているのかもしれない。
ソロソロそんな時期だと、密かに思っているのだが。

そう、昆虫のように、変身し続けられることを願っているのだが。
 
2014.5.27 Mamoru Muto
 
 大雑把に言って二十年の大きなスパンですね。自分よやりたいことと、社会的なこととが一致した時は。十代後半から二十代前半。四十代。
 十年もしくは十二年ひと昔、とはよく言ったもので、そのぐらいの期間で、自分の世界に閉じこもり気味な時と社交的な期間と交互にやってきているような気がします。
 そうう考えると、これからは外に出る時期なんでですが、さてさて。こんな分け方自体が、これからは間違いなのかも知れませんし。
 「気になって仕方ない。」「面白い」が動く動機ですので、そう感じることがなければ、何も起こりませんが、それならそれで宜しい、です。
 
 
 
358
 
先々のこと
 
先々のことは何にも考えていません。
 
考えたどころで、そうなったためしがない。
 
 
明日どうやって生きるかで、精一杯です。
 
2014.5.28 Mamoru Muto
 
 何も考えていないというのは嘘です。でも、先々というのは、明日、明後日の積み重ねなんです。
 人は、先々を考えるは良いんですが、とかく自分をそこに押し込めてしまうものなのです。金型を作って知らず知らずのうちにそうしてしまう。
 今をしっかり生きれば、十年後には不可能と思えることも出来る可能性があると思っています。
 
 
 
359
 
梅 雨  ゆっくり
 
ゆっくり、ゆっくりゆきましょう。
カタツムリさんぐらいでもいいよ。
 
友達が元気に飛び回り、活躍しているからといって、
焦り必要もないし、比較す必要もない。
世の中が激しく動いているからといって、
自分を合わせる必要もない。
 
今は梅雨の季節、しっとりと心に水を注ぐ時。
忘れていたことを思い出したり、雑用を整理したり、
心に肥やしをまき、雑草を片付け、水をやる時。
 
大切なのは、自分内側から湧き上がってくるもの、
それなしに動いてはいけないよ。
2014.6.5 Mamoru Muto
 
 
 
360
 
Nora
 
3月4月は、悲しくて何もやることがきつかった。
毎日花ばかり眺めて、心を癒していた。
 
5月に入り、やっと気持ちの整理もついたか、
少しずつ体が軽くなったのはいいが、6月に入る頃には、
今度はふあふあ、足が地についていない。
 
ヤバイやばい、気持ち鎮めなくちゃ。
こんなに気分んじゃ、いつか大きな失敗します。
 
なんとかんとも、今年は気持ちのアップダウンが激しい年。
これから何が起こるのやら、全く見当がつかない。
 
まだまだ僕は、Noraに踊らされています。
 
2014.6.5  Mamoru Muto
 
 
 
361
 
不 思 議
 
猫や犬のなにげない仕草は、可愛いらしい。
可愛がられることを意識して、
同じ仕草をしたりもするけど、
人間のようにずるさはない。
 
同じく花壇や植木鉢の花も、綺麗で可愛い。
猫や犬のように甘えたりしないし、
猫や犬よりももっと素直。
 
でも、そう感じて、
猫や犬を飼ったり、花壇の手入れする、
僕ら人間って、不思議じゃない。
 
もし、猫や犬を可愛いと思わなかったら、
庭の花や、公園の草木に何も感じなくなったら、
それって人間に大変なことが起こっていると言うことだよね。
 
2014.6.12  Mamoru Muto
 
 
 
362
 
ひょうたん達の会話
 
綺麗な西日は、今日一日のご褒美。
つまらない事で、嫌な思いをしても、
蒸し暑く、一日ダラダラと過ごしても、
 
綺麗な西日に出逢えたら、
それは一日が幸せなだった、ということ。
 
簾越しの西日を受け、二人のひょうたんが、
そんな話をしていました。
 
2014.7.12 Mamoru Muto
 
 
 
363
 
避     暑
 
今年もやって来た、谷川のそば、大きな木の下 特等席。
木漏れ日が、草木の緑、分厚い苔に、まだらな濃淡をつけている。
そして辺り一面を水の音が反響する。
谷を下る爽やかな風が、髪の毛を揺らす。
いつもの場所に簡易ベットを広ろげ、身を横たえコーラを喉に流し込んだ。
 
ああ!なんと素敵な至福の時。
 
何処からか、まだ頼りなく鳴く蝉も聞こえる。
 
岩は苔で滑りやすく、恐る恐る谷川に降りてみた。
水量は多く、所々で白い飛沫を上げている。
小石が透き通る淀みに足を入れると、冷たさが全身を駆け巡った。
 
上を見上げると、岩の上から、真っ白いヤマユリが、風に揺れていた。
 
2014.7.25 Mamoru Muto
 
 
 
364
 
遁   走
 
 熱波。
 南の海上を二つの台風がゆっくり接近、ひとつは去ったが、もうひとつはこれからどこを襲うか窺っている。
 先の台風が去っても、西日本は大雨は続き、関東の熱波も衰えるどころか、強くなるばかり。
東京は今日明日がピークらしく、今日はとうとう38°Cと、今年の最高記録となった。
 
 先週、末期ガンの友を見舞った。
やるせなさが全身を覆い、それ以来、気持ちの低空飛行はなかなか戻らない。
 
 逃避。
 暑さから、また滅入る気持ちから逃げる日々が続く。
五日市のの谷川、名栗村の人造湖、奥多摩湖に流れる支流の滝壺へと。
 
 なるがままに。
今は時の流れに身を任せる他ない。
二つ目の台風が通り過ぎれば、熱波は収まる。
友の病気も受け入れるべきものは受け入れよう。
 
 時のが全てを解決してくれるはず。
神様の思し召すままに!
 
2014.8.5 Mamoru Muto
 
 
 
365
 
変     化
 
生きるということは変化し続けることです。
生命というのは、新たなものを摂取し、古いものを捨てることです。
年齢が老化を招くのではなく、そういうことが出来なくなったと、
思い込んだ時、人は年を取るのです。
 
国が老化すると、自国の変化や改革より、
国内政治の矛盾を隠し、他国の責任にして、非難して、
安全保障とか軍事とかに金をかけようになります。
愚かにも、後で何倍もの代償を払うことになります。
 
人間が老化すると、お金や医療や他人に頼ることが多くなります。
自ら動き汗をかくことを放棄したら、
人は益々体は弱くなり他人依存性が増すばかりです。
 
かってに自分の限界を決めないこと。
人間が決めたルールより、
植物や動物のルールに即して行動する方が、
遥かに有意義だと、僕は思います。
 
2014.8.13 Mamoru Muto
 
 
 
366
 
重    荷
 
十字架は重すぎる。
 
三浦雄一郎は二十キロの荷物を背負って歩き回っている。
これなら僕も、、、いや、これもちょっと重いかな。
 
なら、10キロ、5キロ、
1キロなら僕にも出来る。
 
チャウ、チャウ、
気持ちの重さ、問題を背負い込もうとする姿勢。
 
ん! よしゃー、何でも来い、
  ギャオおおーーっ!だ。
 
アッ、いけねぇ!
  僕には宇宙王子として、
宇宙の平和を守る重い責任があったっけ。
 
えっ!それはすごい。
拍手!パチパチパチパチ。
 
2014.8.15 Mamoru Muto
 
 
 
367
 
憩  い ─ 涼を求めて
 
本三冊をジョルダーに詰め、イオンモールのフードコートに陣とったか、どうも今日はここではない。早々に退散。
 
車で山路を20分、谷川のせせらぎの側、苔生す岩の上、木立の茂みの下。 そう、ここが僕の安らぎの場所。
 
簡易ベットを広げ、お茶とタバコと、本を並べ、暫し安らぎの時間を過ごそう。
 
せせらぎの軽やかな音は、どんな音楽よりも美しく、全身を潤す。
 
2014.8.21 Mamoru Muto
 
 
 
368
 
奇      蹟
 
「平凡な毎日」なんて、とんでもないことです。
僕らは毎日奇蹟の一日を過ごしているのです。
そう感じられないのは、なんと不幸ことでしょうか。
 
心の倉庫に後生大事にしまっている、古めかしいガラクタは捨てましょう。
本当に必要なものはそんな多くはありません、他はみな捨てましょう。
そうしたら、無機質にしか感じられなかった「平凡な毎日」が、
キラキラと輝いて見えてくるはず。
 
子供がキラキラ輝いているのは、心の倉庫に空いているからです。
見るもの出会うものを感じたり、考えたりといった心の動き、
すなわち、外から見たらキラキラと見えるのです。
お腹が空けば何でも美味しく食べられることに似ています。
大人は、経験とか体験とかを後生大事に詰め込んでいるため、
新たに収納する余裕がないので、以前に見たものと同じと決めつけ、
通り過ぎてしまうのです。
 
世界は同じことはけして起こりません。毎日変化し続けているのです。
その変化の違いを受け止め感じるためには、空の心のスペースが必要なのです。
そうすれば子供の時のように、キラキラ輝けるはずです。
 
2014.9.15 Mamoru Muto
 
 
 
369
 
ないしょ
 
長く悪かった右耳が治った。
でもね、これは内緒。
だって聞きたくない話し多いから。
 
2014.10.2  Mamoru Muto
 
 
 
370
 
秋   霖
 
今日は朝からしとしと雨。
最近取り出したコタツに入り、
身の回りの整理などいたしましょうか。
 
隣の家のミカンの身も、濃い緑から黄色に変わりはじめました。
それを雨が濡らし、みずみずしい色に輝いています。
 
雨は良い。
忘れていたことなど、次から次と思い出され、
    また心の底に沈んで行きます。
ここしばらく、何やら落ち着きなく過ごしていました。
そんなものも、しっとりと落ち着かせてくれます。
 
買い物に外に出た。
家々も、街路樹も、電車も皆んなしっとりと落ち着いています。
学校帰りの子供が、傘をさし車の横を通り過ぎてゆきます。
ああそうだ、今日は風呂を沸かそう、
温もりが今日は一番相応しいから。
 
2014.10/22  Mamoru Muto
 
 
 
371
 
働   く
 
人は貧しいから、真面目に働いてきた訳ではない。
夢があったから、真面目に働いてきたのです。
 
豊さ、貧しさは比較の問題。
今の人は、昔の王侯貴族の様な生活しながら、貧しいと嘆く。
 
心豊かに生きることと、豊かさ、貧しさは関係ない。
 
2014.10/29  Mamoru Muto
 
 
 
 
372
 
師      走
 
ゆっくり行きましょうか。
街まで降りてきた紅葉など眺めながら、
過ぎ去ろうとする一年を振り返ったり、
遠くの友達に想いを馳せったり、
気持ちの赴くままに行きましょう。
 
この一年、早く過ぎたのか、長かったのか、
色々あったのか、平凡に過ぎ去ったのか、
この時期は二律背反する想いが同居します。
 
きっと、どちらも大切なものであることは、確かです。
簡単に忘れ去っては勿体無い。
牛が反芻するように、思い出すままに、
想いを馳せてみましょう。
 
師走だからと言って走ってはいけない。
様々なものが、心の内より飛び出したものは、
いずれ収まるところに収まるもの。
そんなニートラルな時間を自分に保証してあげましょう。
 
2014.12.1 Mamoru Muto
 
 
 
 
373
 
土    鍋
 
冬は土鍋の季節。
食材を程々の大きさに切り、土鍋に放り込み、
後はグズグズ煮込めば、たいてい美味しく出来上がる。
アクをこまめに取り、柚子などを添えれば、がくんと上品な味となる。
友達や家族で鍋を囲めば、更に美味しさが増す。
 
土鍋のルーツは縄文土器。
一万五千年前、この極東の島国で初めて生まれた。
泥をこね、器にし、乾かし、たき火で焼けば、水にも火にも強い器が出る。
そしてこの時、人類は「煮る」という調理法を発見したのです。
人類の食生活を根本的に変える大革命だったのです。
 
硬くて食べられないものを食べられる柔らさにし、
アクが強いものをアク抜きをし、
弱い毒を持つものなら、煮だしうわ水を捨てれば毒消しが出来た。
人類の食料を10倍、20倍にも拡大することが出来たのです。
 
そして、使う食材が混ざり合い、柔らかく豊かな味を作り出します。
それは人類が美食に目覚めた時でもあったのです。
 
土鍋、そのルーツは縄文土器。
土鍋を囲む姿は、一万五千年前の縄文人と、大して変わっていない。
 
2014.12.1 Mamoru Muto
 
 世界で発掘された土器の中で一番古いのは、一万七千年前と推定される日本の縄文式土器です。四大文明でも本格的土器の使用はそれから五千年、一万年あとです。考古学では日本の土器が世界に伝播した証拠はありません。世界各地で独自に土器を開発した。というのが考古学者の意見です。
 
 氷河期が終わるとそれまで繁栄していた大型動物が姿を消します。人類はその多くを大型動物に頼っていたので、食糧危機に陥ることになります。そこで野生の植物を管理育成する農業が始まることになります。保存が可能な小麦、大麦、稗、粟、米などの稲科の植物は新種改良も進み、人類にとり最も大切な植物となります。狭い土地での大量の食料生産が可能となると、村に大きな人口が可能となり、村々が連帯して国家かを形成することとなります。人の集中は情報、コミュニケーションが密になることであり、そこに文明が生まれたのです。
 
 そこで土器の役割は大きく、鍋として、貯蔵器、食器として必要欠くべからずなものでした。そして火で焼くに続き、「煮る」という調理法が確立することになります。稲科の植物は硬く、石で砕き粉にしてパンに加工するか、土器で煮てお粥にしないと食べることが出来ません。
 
 日本は海洋性気候で大森林が覆っていました。ドングリ、くり、現在山菜と言われる茎や葉。貝や海藻、鮭や小動物が生息する豊かな森の中にありました。その豊かさ故に農業の本格的導入が遅れたのです。日本の新石器時代を「縄文式土器」の時代と呼ぶのは、森と土器に負うところの大きいからです。自然の食材はアクや弱い毒を有します。水でに出すことにより土器を使うことにより多くの食材を手に入れることが出来たのです。土鍋もそうですが、日本時の自然観、美意識、宗教観はこの縄文時代まで遡ることが出るものが多いのです。
 
 
 
 
374
 
雨 の 山 道
 
僕の車の前を自転車に乗った少年が走っている。
黒いジャンバーを横に広げ、
小さなバットマンを連想させ、カッコいい。
 
僕は彼を追い越さず、後からゆっくり、
彼の姿にみとれながら進んだ。
 
 
晩秋、冬はもうそこまで来ている。
冷たい雨は、全てを濡らし、
しっとりとしかし、
なにもかにも押さえつけようとしていた。
2014.12.5 Mamoru Muto
 
 
 
375
 
ニュートラル
 
 
師走になると仕事が減る
代わりに展覧会やら、忘年会やら私用の用事が増える。
師走も半ばを過ぎた。しばらく殊更の予定がない。
いやあったが、あったが、断った。
 
一昨日は終日!氷雨が降り続いていた。
昨日は晴れるには晴れたが、木枯らしが吹き荒れ、枯葉が舞っていた。
二日とも、外には出たが、用事を済ませるとそそくさと家に閉じこもった。
今日は風も止み、車の内側は春のように温かい。
 
 
自分に聞いてみた。
今日は何をしたいのか?と。
これといって特別な答えはなかった。
こんな、自分でもどう過ごしていいかわからない時間。
これが良い。
 
 
人は目的があって生きている訳じゃない。
生きているから、生きている。だけの話。
 
義務や約束や、夢や予定に縛られない私。
何もないニュートラルな自分を、
今日は楽しみましょうか。
 
2014.12.18  Mamoru Mut
 
 
 
376
 
ヒーロー
 
英雄が居ない社会が一番良い社会です。
英雄が必要としないほど、社会的混乱がなかった。ということですし、
問題があっても、多くの人々が知恵を出し合い解決し、
特定の個人がクローズアップされなかった。ということです。
 
「それじゃ映画が作れないじゃないか。」とお叱りを受けますが、
多くの場合、特定の個人ではなく、
無数の人々の努力により、社会は改善されているのです。
 
ヒーローが語られる時、カリスマとか更に強調長調される時、
そこには多くの問題と矛盾が潜んでいるということです。
不幸な時代であるが故に、ヒーローが活躍するのです。
 
2014.12.21  Mamoru Muto 
 
 
 
377
 
戦士
 
いつも笑顔で居たいから
いつも冗談を言いたいから
いつも優しく人に接したいから
 
それはきっと
戦士の強さがないと出来ないことだから
 
2014.12.23  Mamoru Muto 
 
 

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──── 詩22・2015 (378~407)────
 
378
 
鎮 め る
 
 
年が明け、年末年始の忙しさも終わり、
閑な時間を作れるようになった。
しかし、どうも落ち着かない。
忙しさの反動なのか、集中が出来ない、
虚ろな日々を過ごす羽目となってしまった。
 
 
虚ろ、、、それは僕の代名詞。
振り返れば、なんと多く空虚な時間を過ごしてきたことか。
その空白を埋めるために、あせくせとやってきた。
 
不思議、、、それは自分自身のこと。
振り返ればなんと多く、空虚な時間を過ごしてきたことか。
その空白を埋めるために、あせくせとやってきた。
 
鎮める、、、それは自分の声を聞くために。
虚ろを感じるのは、日常に飽きてきたから。
でも、心の声はまだ微か。
だから聴き耳を立てなければ、聞こえない。
 
 
正月休みも終わり、仕事や友達付き合いとか、
いつもの日常が、大きな力を持って僕の行動を支配し始めた。
 
2015.1.13  Mamoru Muto
 
 
 
379
 
無  為
 
 
なんとまあ「無為」に過ぎてゆく時間の多さよ。
淀んだ流れのように、方向を失った時間。
もったいない、もったいない。
冬に入り、そんなことを感じることが多くなった。
 
目先だけで考えずに、広く長いスパンで見ましょうか。
流れは淀んでいる訳ではない、ゆっくりしているだけ。
状況が悪いわけでもない。
気持ちが乗らないだけ。
 
オッ!いけねえ、いけねえ、前屈みにになっているぞ!
背筋を伸ばし、目線は50メートル先。
 
2015.1.23  Mamoru Muto
 
 
 
380
 
神様について
 
 
僕は何教を信じているのでしょうか。
毎年初詣に行くし、クリスマスも嫌いじゃない。
葬式は仏教が多いし、仏教の教えは染み付いている。
恐らくこれが多くの日本人の宗教との接し方でしょう。

最近、盛んに報道されているイスラム国。彼等とは全く対照的な宗教感覚です。
でも、僕等はこれでいい。間違いではないと思もいます。


元々神様や仏様は人間の都合で作ったもの。この世に神や仏なんていやしない。
自分の都合に合わせ、信じれば良いのだろうと思うし、信じなくても良い。
大切なのは、神様からのメッージとして伝えられてきたら多くの知恵です。
それらは、神様ではなく人間が見つけた知恵を、神様からの贈り物として、言っているだけのことです。

神様を信じれば、心の整理が付けやすくなるし、恐怖や不安の軽減に繋がります。しかしその反面、違った神様を信じる者を排除する傾向は避けられません。

世界は狭くなり、様々な信仰を持つ人々と隣り合わせに生きて行かなければならないこんにち、排除の論理が先行せるよりは、一見場当たり的な日本人の宗教感覚の方がいいのではないかと思います。

大切なのは、神の名の下に蓄えられた知恵です。
信じるか信じないかてはないと思います。
 
2015.2.12  Mamoru Muto
 
 
 日本の宗教は自然宗教、縄文時代の森の民の宗教観が母体です。山や川、森や木々、植物や動物に霊感や神様を感じて大切にしてきたのですか、日本人はそれらにあまり上下の差を付けずに信仰してきたことです。そして、弥生人が稲作の文化と稲作の神さまを連れてやってきましてが、大きな混乱もなくお互いを習合したのが神道です。
 その後、仏教、道教や儒教が入りましたが、山や川の神様のように受け入れ、時には日本に合わないものは受け入れませんでした。紆余曲折はありましたが、それらの良いものを同時に共存し大切にしてきたのです。
 その柔軟性が遺憾なく発揮したのは、明治以降の西洋文明の受け入れる事が出来たのです。だからといって旧来の日本の信仰や文化は失わず今日まで来たのです。良いものは何でも捨てずに持ち続けてきたのです。排斥しない共存という考え方は今日一番大切な価値です。
 
 
 
381
 
トラウマ
 
 
四年前に死んだ知り合いの話をしているうちに、
急に海が見たくなり、鹿島の海を見に行った。
その時もこの海に来たことを思い出したからです。
外洋の波は明るく野性的で、再び僕の心に刻まれた。
そして、その年のその後のことが続々と思い出されてきた。
 
 
車で有明の展示場に向かう途中、羽田付近で大地震に遭遇した。
帰りは大渋滞とガソリンスタンド営業停止ためのオイル不足。
そしてそれから、
テレビからたれ流れる被災地の報告と原発事故。
すべての予定のキャンセルされ、押し寄せる悲劇の波が重くのしかかった。
暫し忘れるため、街中をあてどなく歩いて気を紛らわすほかなかった。
 
 
当時と同じ頃仕事で羽田を車で通った。
グラグラと大地が揺れるのではないかという不安が、
家にたどり着くまで続いた。
そしてこの先、暫くの間、仕事がなくなり、
毎日の身の処し方に苦労するのではないかという不安が、
ことあるごとに心を横切った。
 
結局、大地の揺れはなかった。
当時と違うことを一つ二つ確認発見するごとに、不安は薄まっていった。
 
「平凡という名の日常」
強烈な春の嵐を伴い、ゆっくり「いつもの春」を迎えつつある。
 
2015.3.13  Mamoru Muto
 
 
 
382
 
春 の 雨
 
靴下も履かず、防寒具も着ずに歩けるほどに、暖かくなった。
しとしと降る雨は、天が与えた慈愛の雫。
 
山菜を採りに車を降り、多摩川の支流に向かった。
水面には無数の同心円の波が広がっていた。
対岸では白鷺が、水面にすっと立ち、動かず魚を狙っている。
 
ああ、なんと素敵な雨だろう。
花起こし、芽起こし、春起こしのの雨。
そして、人々の心の傷を癒す雨。
 
傘を捨て、等間隔に並ぶ飛び石に乗り、
無数の同心円の小さな波を眺めているだけで、
僕も大きな優しさに包まれていることが、分かった。
 
2015.3.19  Mamoru Muto
 
 
 
383
 
時  間
 
もったいない、もったいない!
暇な日が三日も続くと、ウズウズと、
もったい虫が動き出す。
 
昨日も今日も、テレビ見ているだけの、
僕は本当に困ったぐうたら人間。
疲れがまだ取れていない、胃の調子が悪い、
肩が痛い、、、、。
動かない理由は、次から次と尽きることはない。
 
お金の浪費でも、ものを捨てることでもない。
一番のもったいなさは、時間の浪費。
何もせずただ過ぎる、時間は取り戻せない。
 
さあ!脳みそ回せ、フル回転!
無ければ探せ!今日やるべきこと。
考えめぐらせ!明日なにが必要か。
動けば変わる、何もかも。
 
2015.3.21  Mamoru Muto
 
 
 
384
 
さ く ら
 
この時期、公共施設という公共施設、道という道、
河川敷という河川敷に桜が咲いています。
その理由をあなたは説明できますか?
 
かって、晩年の折口信夫と柳田国男が会話していて、
桜の話になったら、二人とも口を噤んでしまった。
という逸話があります。
 
昔、庶民は桜を花神、豊穣の神として祀った。
貴族達は桜の木の下で酒盛りし、歌を詠んだ。
武士は己の身の処し方を、散る桜の姿に重ねた。
今でも日本人は桜についてキチンと説明できない。
説明できないが、本当ではないでしょうか。
 
2015.4.2  Mamoru Muto
 
 
 
385
 
大切なこと
 
先ずは一歩前に出ること
そして考えること
 
出なければ何時もと同じ風景、
見えるもの同じなら、浮かぶものも同じ。
少しでも風景が変われば、
考えることも変わる。
 
人生はその連続、
時が経てば大きく変わった自分を発見する。
 
2015.4.17  Mamoru Muto
 
 
 
386
 
夢を見ましょう
 
未来はいつも真っ暗だから
 
小っちな明かりでいいから
 
2015.4.19  Mamoru Muto
 
 
 
387
 
春の小川
 
調布の画廊でやっていた、友達の絵を見てから野川に寄った。川には菜の花が最後の黄色の花弁を揺らしている。もう晩春。なんと優しく美しい風景だろうか。
 
都会の小川は一度死んでしまった、バブル景気以降でしょう、川の改修が市民手で行われるようになったのは。
 
思い起こせば長い時間がかかった。学生の頃、シャボン玉が飛び交う多摩川を見て、絶望した。人々は悪臭の漂う空気を当たり前、これぞ豊かさの象徴と勘違いしていた。
 
河原で遊ぶ家族ずれに、都会の川の半世紀が、脳裏でパノラマとなり流れていった。
 
2015.4.19  Mamoru Muto
 
 
 
388
 
掃除
 
掃除は苦手、整理整頓も。
いつも気になることを優先させてしまうから、
片付が終わらない後から散らかってゆく。
だから家の中は散らかったまま。
 
掃除を始めた。
十日後にお蕎麦の会を決めたので、
嫌でもやらざるをえなくなった。
会の二三日前でも大丈夫なのだが、
早め早めやらないと、
閃いたアイデアを試す時間が作れない。
そう新しいことをひとつふたつ見つけることが、
最も楽しく大切なことだから。
 
でもやっぱり、掃除は苦手。
少し片付け、買い物があると自分をだまし、
家を出てしまった。
 
2015.4.21  Mamoru Muto
 
 
 
389
 
健全な視点で
 
健康にとは分かりやすいようで、なかなか難しい。
体についても、心についてもバランスの取れた状態という事なのですが。
社会見る時も己の心身の健康を基礎に、見た視点が健全ということです。

現実の社会は、川の流れのように一定ではない。
僕らは社会から離れて生きらられず、水面に浮ぶ芥のような存在である。
そこで健全に見るとなるとなかなか大変でなこである。

逆に、病んだ見方とは何かを考えたら、分り易いかも知れない。
固定した見方に固執すること。
自分が素直に感じたことを無視すること。
様々な見方がある事を認めない事。
などである。


健全とは、歴史的必然を見抜く力でもある。
目先の利害だけではなく、一歩二歩先を見ようとする努力でもある。


政権が代わり少し保守化した所で、間違った政策はいずれ是正される。
「取り戻す」といって、成長期の政策をした所で、
若者はいない、年寄りの国家が、戻ることなど出来ない。
いずれ然るべき政策に変更せざるを得ない。

日々の技術やシステム革新で、安全な自然エネルギーが
低コストで得られる未来は見えている。
病んだ目には、変化する世の中が見えず、目先の利益で原発をごり押し、
未来に大きな損失を想像できない。


基本は自分の心と体だのバランスを確認し、その目で現実の社会を見れること。
捕らわれを捨てれば、自ずと未来は見えてくる。
 
2015.5.10  Mamoru Muto
 
 
 
390
 
ありがとう、どうぞ
 
きのうは駅のエレベーターで、年寄りの女性に
どうぞ、お先に!」と言った。
彼女は、笑顔を返してくれた。

今日は、学校帰りの子供達が、
車の道を空けてくれたので、
「ありがとう!」と大きく手を振った。

そんな当たり前の毎日を、大切にしたいものです。
 
2015.5.14  Mamoru Muto
 
 
 
391
 
温 暖 化
 
地球の大気の二酸化酸素が増えれば、
地球から放射されるエネルギーが制限され、温暖化を引き起こす。
海水温や大気の温度が上がれば、氷河解け、海水がが上昇する。
気象は乾季と雨季の差が激しくなり、災害は巨大化する。
これは人間から見た温暖化である。

植物から見たらどうなるだろう。
大気中の二酸化酸素の量が増えることは、植物にとり、光合成の材料が増えることであり、植物達は活気づく。
気温が上がることも、悪いことではない。
雨さえ降ってくれれば、温暖化は大歓迎である。
大気中の二酸化酸素の増加は、過去の植物達が地下に埋めたものを、人間がエネルギー源として燃やしたからです。
植物達は大気から二酸化酸素を回収し、地下に戻そうと、活発化するのです。
 
2015.5.23  Mamoru Muto
 
 
 
392
 
いっぱい遊んだかい
 
子供に問いかけるように自分に
「今日一日、いっぱい遊んだかい。」
聞いてみた。

生きていることに子供も大人もない。
また、仕事と遊びの区別などもない。
自分の力をいっぱい出したかどうかです。
 
2015.5.24  Mamoru Muto
 
 
 
393
 
七 月   戦士、いやいや嘆き
 
 
なんでまあ、自分の想い通りになる事の少ない事よ。
出るのは溜息ばかり、嘆いてばかりして居れず、
これ以上、人間の質まで落とさぬようにと、胸を張る。
これぞまさしく戦士の実態。
 
友達の頼みごとに振り回され、車をぶつけたり、カードを落としたり、
延々と続くちょっと困った事々。
更に追い打ちをかけ、台風が運んできた湿気と暑さに、バテバテの夏バテ。
そこで「僕は戦士」と最高級の精神論を持ち出した次第。
 
友の一周忌のイベント出かけ、昨年のおなじころを思い出す。
そうだった、昨年はもっと辛かった。
死の床についた友のことが、重くのしかかっていた。
毎年、どうもうまく行かない、この7月という月は。
 
2015.8.1  Mamoru Muto
 
 
 
394
 
空 振 り
 
一度は国会前のデモに参加しないと、と
暇になった8月の最初の日曜日の夕方、
電車を乗り継ぎ、霞ヶ関駅を降りた。
 
僕と同じような人間がここまでくればいるはずなのだが、
駅はいつもの日曜日より閑散としている。
国会までな道筋は、所々に警備の警官と
デモとは無縁そうな人と観光客がチラホラ。
あらあら、インターネットで集会情報を調べればよかった。
 
正門の前までくると数人のグループが、
サックスを片手に座っていた。
挨拶をして、しばらく四方山話などして過ごした。
 
仕方ない、仕方ない。
何もかにも、予定通りじゃつまらない。
 
2015.8.2  Mamoru Muto
 
 
 
395
 
信     頼
 
特別なものが、特別に用意されるのではなく、
程々のものが、そこに行けば、あるはその時期に、ある事。
 
そんなに無数の繋がりの中で、いま生きています。
 
2015.8.5 Mamoru Muto
 
 
 
396
 
幸     せ
 
お盆の墓参りに、会津の実家に帰った。
不思議なもので、二年のブランクがあるのに、
全くそれを感じない。
 
隣を走る列車の音も、その隣の国道の車の音も、
自然と僕の内に入ってくる。
 
何もかにも、違和感なく、僕のうちと溶け込む。
まるで昨日もここで生活していたように。
きっとこれを、幸せということなのでしょう。
 
2015.8.14 Mamoru Muto
 
 
 
397
 
すっぱい女の子
 
いつも すっぱいこと言う女の子
あまり 優しいこと言わないのは
きっと君のこと好きだから
 
君があまり頼りないから
ついつい
そんな風に言っちゃうんだって
まるで お母さんみたいだね
 
8/19 ま
 
 
 贈った梅干しを、ドイツのミミ姉は、こんな作品にしてくれました。
 
 
 
 
398
 
日本という種
 
 
日本人を現す最も基礎的なものは、
大陸と離れた一万五千年前から紀元元年頃までに造られた。
それ以降の二千年の歴史は、それが開花しただけの時代かもしれない。
 
鬱蒼とした自然林に囲まれ、長い海岸が線の中で、
自然を愛し、恐れ、調和する事を最も大切なものとした。
土器や磨製石器に見られる様に、繊細な加工技術の基礎もこの時長い年月をかけ生まれた。
五つの母音と五七五のリズム、話し言葉、歌謡もこの時生まれた。
 
それ以降も海洋性気候がもたらす豊かな自然はその恵みを惜しげもなくそそぎつづけた。
日本海という巨大な堀は、侵略という人災遠ざけ、
新たな知恵や知識を持った人々だけに通過を許した。
 
そして
日本の歴史時代は、長い縄文、弥生文化のしっかりした基礎の上に、
大陸の文化という調味料を加え、発酵した。
明治以降も同じ事が起こった。
2015.8.20 Mamoru Muto
 
 
 
 
399
 
人工頭脳と 生物の好き嫌いという感情について
 
 
 コンピュターが高度化し、どんどん人間の能力を超えて行きます。でもいくら高度になっても越えられないものがあります。どんな生物、どんな小さな生物でも持っている「好き、嫌い」といったものです。
 一つ一つの細胞のレベルから、高度に組織化された人間のようなものまで、生物は瞬時にものごと判断して行動します。それは生物の生存に直結事だからです。
 高度に組織化された人間は、細胞レベルの好き嫌いを基礎として、感覚、感情の中枢を持って居ます。そして人間の心もその一部です。
 
 知らない場所に踏み込んだ時、瞬時にそこは危険かそうでないか判断ではなく、感じとります。
 恋に落ちるときも、理屈ではありません。一緒にいれば楽しいのに、なんの理由は必要ありません。恋は人間の生存に直結する感情だからです。
 
 
 機械や高度なった人工頭脳は、人間は人間の関与なしには作動しません。高度に分析しでも、自己決定は出来ません。
 
 自己決定能力を獲得した時、機械ではなく新たな生命が生まれるのかもしれないません。 それが即、人間排除に向かうとは考えられません。人間は彼らの存在の根拠なのですからです。
 命とは何か、機械とは何か、新たな哲学は必要になってくることは確かです。
 
2015.8.21 Mamoru Muto
 
 
 
 
400
 
自 己 満 足
 
 
昨日に続き、国会前のデモに参加することを決めた。
昨日は小雨だったものが、今日は本降り、雨対策寒さ対策が必要。
長靴に雨カッパ、セーターも着込んだ。
おにぎりも、小さいやつ二つ作った。
お茶よりコーヒーが好きだから、それも入れた。
本降りの雨の中の参加だ、きっと、貢献度は5割り増しと高いはず。
ウフフ、なのだ!
 
 
国会の外は、僕のような人の集まりとしたら、
国会の中は、国民の支持率をにらんだ、院内格闘技というゲームが進行中。
与党は数ある採決の中で、支持率を出来るだけ落とさない方法は何か計算するし、
野党は、馬鹿げた子供じみた戦術がどこまで許されるか真剣に議論されている。
そしと、「かまわない、やれやれ!」と外での集会は、野党議員の背中を押す。
 
 
冷静な論理などもはやありません。
バアーゲーム、しかも勝敗は見えている、ゲームもどき最後の芝居!
 
そして、
僕は、ここに積極的に参加したという自己満足を満たすために、やってきた。
あ〜あっ!
 
2015.9.17 Mamoru Muto
 
 安部政権成立以降、危惧した結果になってしまいました。歯がゆいですね。自分は何が出来るかと考えてみましたが、こんな事ぐらいですね。
 
 
 
 
401
 
な え る
 
 
元気に飛び回っていた九月。
勢い余って、梯子から落ちた。
足首を捻挫、そして骨折もありで、
簡単なギブスまで装着となってしまった。
しばらく動くな、というのが医者の指示。
 
あゝ!地獄。
日々、萎えてゆく自分がある。
人は動いて初めて、初めて健康を保てる。
何をするにも、面倒くささが先に立つ。
 
たかだか軽微な骨折なのに、
こんなに気持ちを落ち込ませるとは。
 
2015.10.12 Mamoru Muto
 
 
 
 
402
 
ゆっくり前向き
 
 
取り外し可能なギブスでも、ギブスはギブス。
先週は、出来るだけ動かないようにしていた。
 
家の中では、ギブス付けなくても良いよ。
医者がいってくれるた。
家の中なら、少しリハビリしても良いということだ。
 
つかまり立ちして、骨折した足に重心移す。
痛みが随分軽くなった。
だが、体重を足一本では支えられない。
 
事故後四週間目に入った、ほんのちょっと先に進んだ。
貪欲に、足の不自由で得たものは、などと考えてみる。
 
心配してくれるたくさんの友達には、感謝感謝。
さて、この見返りを見つけないといけない。
 
2015.10.19  Mamoru Muto
 
 
 
 
403
 
変 化
 
 
不動産屋がやって来て、家を出て行ってくれという。
少し前、敷地を測量していたので、何かあるなとは思っていた。
書類には半年後、引っ越し条件は別会社と交渉とあった。
 
僕は10年以上長く住んだ所は無い。
ここもそろそろ10年、いい時期かも知れない。
安定より変化、変化する事により、
様々な大切なものを見つけ出して来た。
だからそんなに悪い話では無い。
 
仕事で怪我らしい怪我しなかったのに、
梯子から落ちて、一ヶ月ちょっと休まざるを得なかった。
全くの不意の出来事。
何やら大きな歯車が動き始めたのかも知れない。
 
2015.11.3  Mamoru Muto
 
 
 
 
404
 
気だるい晩秋
 
 
朝まで丸一日降り続いた雨は、南の夏の空気を持って来た。
晩秋とは思えない、湿気と暖気は、気だるい午後を演出する。
元気を求め、紅葉の見栄えの良さなど探しに、外に出たはいいが、
進む山道を深く入るに従い、厚い雲が覆い、気分は益々悪化した。
これなら、多少でも、お日様の出ている、住宅地の方がいい。
 
 
風を失い方向性を失った、帆船のような、
無為意味に流れる時間。
過去のげだるい、ムンクの叫びのような時間の記憶が蘇る。
 
青春の日々は毎日が、こんな時間であった。
発狂せぬように耐えることに、己の全精力を使わざるをえなかった。
そして、
幼い時分も、トボトボを歩く道すがら、
低く垂れ込めた雲の下、あてどない空想をする自分の記憶が蘇った。
 
2015.11.19  Mamoru Muto
 
 
 
 
405
 
美 し い も の
 
 
美しいものや風景を美しいと感じたら、
それはあなたの心が健康だから。
 
ありふれたものや、少し醜そうものまで美しいと感じたら、
それはあなたの心が子供のように純だから。
 
美しいものを美しいと感じられなかったら、
それはあなたの心が病んでいるから。
 
 
より多くものを美しいと感じるには、
心を浄化する必要があります。
溜まった毒素を吐き出し、子供の頃のに戻ることは、
行者のような努力が必要です。
 
2015.11.21  Mamoru Muto
 
 
 
 
406
 
雨 の 大 学
 
 
国立にある一橋大学
ここの木立にも紅葉はやって来た。
 
今日は雨。冷たい晩秋の雨。
遠くに学生の傘、銀杏拾いのお母さんと人はまばら。
 
地面には無数の銀杏がうめつくす。
 
雨はいい。しっとりと全てのものを、
あるがままの姿にしてくれる。
 
けばけばしい化粧や虚飾で覆わなければならない、
浮世の垢をしばし洗い流してくれる。
 
表の大学通りに回った。
桜の名所も桜以外の木々がなんと多いことか。
桜とは異なる紅葉仕方がそれを教えてくれる
 
2015.11.25  Mamoru Muto
 
 
 
 
407
 
手を広げて
 
 
大きく手を広げましょう。
そしてたくさんの風を受けましょう。
 
空があり、雲が浮かび、木々が立っています。
風はそれらを抜けてあなたの所までやって来ます。
 
風は小鳥達の囀りも運んできてくれます。
遠い海辺の香りも渚の波の音も。
 
そして、
風は人の囁きも運んできてくれます。
遠くでまだ見ぬ誰かが、あなたを探しているかも知れません。
 
居心地の良い友達や慣れ親しんだもの達だけで、
全ての時間を使い切っていませんか。
 
でも、時には手を広げて、
遠くからやってくる風の声に耳を傾けて見ましょう。
 
まだ知らぬ誰かが、あなたを探しているかもしれません。
 
12/4 まもる
 
 
 
 

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──── 詩23・2016 (408~455)────
 
408
 
かるく
 
 
寒とは思えぬ陽気に、今日も茶畑の広がる所まで来てしまった。
エルニーニョの為せるわざ。しばしこの春もどきを楽しもう。
 
今日は二連休の初日、所々に車が止まって、
恐らく農作業ではなく、この陽気に誘われた人々。
本物の春はまだまだ遠い。
 
ふと浮かんだ言葉、「かるく」。
ついつい何事も煮詰めて、重くしてしまう性癖。
この陽気のように、ときに軽くて良いはず。
 
そうお思ったので、買い物のついでに、
予定を変更してここまでやって来た。
 
そうもっと軽くゆっくりと生きよう。
 
2016.1.10  Mamoru Muto
 
 
 
 
409
 
職業
 
 
絵を今描いていないから、絵描きとは言えない。
新聞を出し、詩を書いいるから詩人。
そう言ってくれるのはうれしいが、自信は全くない。
大工仕事に一番多くの時間を費やしているから大工。
世間的にはそれが一番分かりやすいので、それで通す事も多いが、
大工さんにしては、他にやっている事が多すぎる。
 
それなら、そば屋はどうか。
これは季節限定の一時期のみ。
 
宇宙人もそれなりに僕を形容しているが、
テンション高い時分の、一性格なので、これも却下。
 
ひとつ枠に閉じ込めようとすると、
困ったことに、そこに収まらない自分が「No!」と騒ぎ出す。
 
僕は「武藤」という役を演じている役者。
結局、これが一番正確な言い方。
この芝居、全く台本がなく、いつでもアドリブなので、
明日何が起こるか分からない。
 
2016.1.13  Mamoru Muto
 
 
 
 
410
 
足の怪我
 
 
転んだらタダでは起き上がりたくない。
この事故から学べるものを探そうと思った。
 
 
簡易ギプスを付け動かなかった二週間、
高齢の方が寝たきりになる経緯の一端が、分かったようなな気がした。
 
松葉つえやステッキをしていると、
世の中の人はみんな、優しく対応してくれる。
この社会まんざら捨てたものではない。
障害のある人、足の不自由な人の気持ちも幾分分かった。
 
足も絶妙な期間である。絶妙なバランスで体を支えている。
ヒビの入った足首の骨は、治ると幾分大きくなる。
骨折が治ってからが大変。
一度狂ってしまった、骨と骨のバランス、筋とのバランスを
再構築しなければ、上手く歩けない。
その調整にすこぶる多くの時間が必要であった。
三ヶ月経った今でも、違和感は完全には解消されていない。
 
 
そんなことが分かったのだが、
さて、神様はなにを僕に諭したのだろうか。
 
2016.1.21  Mamoru Muto
 
 
 
 
411
 
失敗
 
 
僕のワクリばあちゃんは言っていた。
 
「失敗するのは仕方ない。
同じ失敗を二度するのは、馬鹿だ。」
 
遠い昔の、おばあちゃんの口癖を
よく思い出す。
 
2016.1.22  Mamoru Muto
 
 
 
 
412
 
無為な時間
 
 
仕事と仕事の間に生まれた、ちっと長めの休み。
特別の用事無く、やりたいこともない。
仕事の話もあったが、
何やら気がすすまず断ってしまった。
 
淀んだ流れの様な時間
淀みの浮かぶ芥のような自分。
風が吹けば何処かに吹き寄せられるかも知れない。
 
どう過ごそうか今週は、
来週からはまた忙しくなる。
なら今週は、何も決めず、
風に弄ばれる芥の自分を楽しもう!
 
春や秋なら外に出れば
季節の移ろいを楽しむ事が出来るが、今は冬。
無為な時間を無為に過ごすのも、また良いかな!
 
2016.1.25  Mamoru Muto
 
 
 
 
413
 
 
 
いつもの友達とのメールのやり取り。
ヤバ、送った文書に棘が出ている。
返信は暫く途絶え、居直りする文面。
今日はこれ以上メールは止めよう。
 
自分の棘に気付く自分がいるので
大事にはならない。
イヤイヤのメールのやり取りだから、
棘が出てくる。
 
2016.1.30  Mamoru Muto
 
 
 
 
414
 
春の過ごし方
 
 
春は余り詰めたは話はしない方が良い。
花々を飛び交う、蜂や蝶のように、
身を軽くし、気の赴くままに動きましょう。
 
花が咲き、草木の芽吹く季節、
彼らの放つ健康的な生命の息吹を、
身体いっぱい集め回りましょう。
 
雨は生命の泉、
春の嵐は、生命エネルギー躍動の証拠。
雨は、古きものは朽ちさせ、
新たなものの成長を助ける。
 
あなたも小さかった頃を思い出し、
新たな夢を描いてみましょう。
 
2016.2.6  Mamoru Muto
 
 
 
 
415
 
テーマは優雅に
 
 
風寒く、お彼岸まで遠き、光の春。
今年は、引越しやら、仕事やら、
雑事の春先になりそう。
そこでこの時期のテーマを考えた。
「何事も優雅に行こう」と。
 
気持ちの持ち方なのだが、忙せわしいからこそ優雅にと決めた。
花を眺めるゆとり、お茶を楽しむゆとり、友と語らうゆとり。
そして、春爛漫、桜の季節を迎えよう。
引越しを終え、花見の宴を開こう、と。
 
2016.2.11  Mamoru Muto
 
 
 
 
416
 
引越し、それは脱皮
 
 
昨年秋から懸案の引越し先が決まった。
やっと具体的に、春以降の予定が立てられる。
 
引越しのキーポイントは捨てる事。
取っておくものと、取っておくものをより分ける事。
物はそれに関わった思い出の産物です。
思い出は、新たな出会いを拒否するのです。
だから捨てる事が大切なのです。
 
十年前の前回に比べて、今回は捨てるものは少なくて済みそうだ。
前回は大きな人生の変更の決意があり、多くを捨てた。
今回は大きな生き方の変更はない。
 
僕にとり、引越しは昆虫が脱皮しながら、
成長してゆく様なものかも知れない。
 
2016.2.23  Mamoru Muto
 
 
 
 
417
 
引っ越し  ゴ ミ
 
 
十年という時間は長い、出てきたゴミは300kg。
前回は大幅に捨てて、身の回りをコンパクトにしたので、
今回は少なくこの程度で済んだ。
 
ゴミは僕の都合で、不要になったもの達です。
有用か無用かは人間側の都合です。
昔の人はものにも魂が宿り、身勝手人間の都合に、
「ものが妖怪化」すると警鐘を鳴らしたのです。
 
ものの魂を認めなくても、ものは人間とともにあった時期、
ものへの思い入れを記録した心の記録簿でもあるのです。
ゴミにして捨てるとは、自分の心も捨てる事になるのです。
無造作にものを扱うことは、自分の心を無造作に扱う事なのです。
昔の人は悪霊化すると戒めのは、何と合理的な説明です。
 
だから、
感謝という言葉を添え、ものはゴミにしないといけない、のです。
 
2016.3.16  Mamoru Muto
 
 
 
 
418
 
引っ越し  居場所
 
 
日常生活を営むには、居場所が必要である。
家の中でも、日常生活に必要なものが揃っている場所がある。
僕は四畳半と台所とトイレと風呂場で事足りる。
 
その居場所が不安定となり、機能不全陥るのが、引っ越し。
心が落ち着かなくなる。
 
新たな家の新たな居場所に、必要な物が整い、
日常生活に支障が出なくなった時、始めて引っ越しは完了する。
 
2016.3.16  Mamoru Muto
 
 
 
 
419
 
 
 
先週までは毎年の早春のそば打ちパーティーなど、出来そうにもない様子だったか、今週に入り、引越し諸々の事が終わるのにつけ、気持ちが宴会へと変わりつつある。
 
今日の午後は野芹を採りに、青梅と飯能の境にある、湿地帯まで出かけた。正味二時間ぐらいしか、ぬかるみにはまっていなかったのに、やけに疲れた。
 
ここ何年か、早春の山菜を採って宴会開く事が定例化している。特に芹を採るのがのが一苦労する。
 
芹については、因縁があるのかも知れない。僕の田舎は会津の芹沼という部落。芹にまつわる伝説があるのです。春先は野芹を採り食べる事は、無意識のうちに僕の身体にインプットされているらしい。
 
芹採りで一汗流し、桜を愛でる会を開けば、心も身体も、春モードに切り替わる。
 
2016.3.27  Mamoru Muto
 
 
 
 
420
 
罰があたる
 
 
 最近、「罰があたる」と言わなくなった。しかし、罰にまつわる行動様式が変わったわけではない。日本人の行動を深い部分で支配しているのです。
 
 なら罰を与えるのは誰か、それは八百万の神々なのです。人間でない存在です。罰を与えるものが人間なら、人は人に隠れて不正を働く、しかし人間以外の精霊達なら、しかも彼らは人には見えず、何処にでもいるとなると、どんな場所に居ようと罰を意識せざるを得ない。
 
 車や人がいないのに信号を守ったり、誰も見ていないのにゴミを捨てずに持ち帰ったり、また工業製品の隠れた部分に手抜きをしない。日本人の行動は常に、人間以外の目を意識して形作られているのです。
 
 最近は環境という言葉で、論理的に説明されたりしているが、罰があたるという言葉で、大昔から、自分の行動を戒め、影の部分まで心を配ったきたことは、素晴らしい事で、後世に継承して行きたいものです。
 
2016.4.2  Mamoru Muto
 
 
 
 
421
 
春の病い 散漫
 
 
引越しも終え、友達への新居の披露も終えた。
お彼岸の頃から感じていたものが、
やる事がなくなると、表に出て来た。
 
散漫、気持ちが落ち着かない。
無気力が体全体を覆う。
春の病い。
 
車で拝島駅近くの玉川上水を通った。
土手沿いの桜並木は、吹雪となり風に流れ、
水面を埋め、所々に花筏を作っている。
 
この美しい風景が、素通りし、
大きな感動へと結びつかない。
 
焦るな焦るな!仕方あるまい。
ゆっくり、ゆっくり、毎年な春の病いだ!
 
2016.4.10  Mamoru Muto
 
 
 
 
422
 
何ができるか、探しながら行きましょう。
 
 
引越しも終わった。
大きく環境が変わったわけではないが、
生活をリセットするのには良い機会だ。
 
時間は無尽蔵だか、でも僕等は有限だ。
時の流れを如何に有効に使うかが、試されている。
 
出会いは探さなければ生まれない。
新たな人やものとの出会いは、
それはまだ知らぬ自分との出会いでもある。
 
大切なのは、何が出るかを探そうとする姿勢なのです。
 
明日何が起こるかは分からない。
良い事も悪い事も襲ってきます。
自分はそれらにどう対応し、良い出会いを探せるかなのです。
 
何が出るかという積極的な関わりの姿勢から、
物事は良い方向に回転するのです。
 
悪いものは恐らくありません、上手く対応出来れば、
常に大きな幸をもたらすものに変化す可能性があるのです。
 
2016.4.16  Mamoru Muto
 
 
 
 
 
423
 
気ままな時計
 
 
引越し祝いに友達が持ってきた時計、
なんとも気ままな自分勝手な時計。
 
勝手に動いたり止まったり、
全く僕の言う事聞いてくれない。
 
動いているから、時間を合わせると、
また動かなくなってしまった。
 
振っても叩いても、全く動かない。
そして、何が気を変えたか、
また勝手に動き出す。
 
2016.4.25  Mamoru Muto
 
詩が書けたので、暫く捨てるのは延期。
 
 
 
 
 
424
 
木漏れ日の中で 散漫 無気力
 
 
今年の初夏のこの時期は、
新たなものを見つけながらゆこう。
と決めたのは良いが、中々気持ちが定まらない。
 
大方の事は飽きてしまったのである。
どこそこに行こうと思っても、
何度も言ってしまった所ばかり。
だから「新たな」という形容詞が付くと、
とても難しい事になるのです。
 
暇なら、雑文のヒントぐらいは思い浮かぶのだが、
それすらままならない。 行動する以前に、
僕の心がバラバラで落ち着いていないらしい。
 
一昨日はフラット秩父の方にドライブ、
花の季節、もっと花々に感動しても良いのに、
少し物足らなさを感じる。
今日は奥多摩の山の中に入り込んだ。
林道の先に谷川が作った広場を見つけた。
樹々に降り注ぐ木漏れ日が美しいから、
ここで暫く時を過ごそうか。
 
2016.5.26  Mamoru Muto
 
年に何度かあります。季節は最高なのだけど、それを受け止める心が定まっていない。原因が分かってもどうする事もできない。時間を待つしかない。
 
 
 
 
 
425
 
 
 
少し肌寒く、雨がしとしと街や木々や草花を濡らしています。
乾燥質の五月の空気に変わり、海洋性の湿気の多いに変わり、
そろそろ雨季の到来です。
 
今年も家を朝顔ハウスにすべく、家の周囲に朝顔を植え、
篠竹の冊など巡らしました。
まだ深く根を張っていない幼い苗のには、
五月の日差しはきつ過ぎます。
日差しに生気をもぎ取られ、しんなりと垂れ下ってしまいます。
水遣りは欠かせず毎日の日課なっていました。
それも雨の季節が近づき、
少し水遣りを省く事ができるようになりました。
 
雨はい良い。
五月の乾燥した晴天は、朝顔の幼苗のごとく、
僕を不安定な精神状態にしてしまいました。
少し落ち着かなかった心に、強い日射が跳ね返り、
不安定を拡大させ、収集が付かなくなっていたのです。
久しぶりに降り注いだ雨、そんな心持ちまで
しっとりと落ち着かせくれました。
 
2016.5下旬  Mamoru Muto
 
 
 
 
 
426
 
歴 史  庶  民
 
 
 とかく歴史というと、有名な貴族や武将の行動に終始しまいがちです。
 しかしそれは一つの現象であり、本当の歴史は、それを支えた庶民の生き様なのです。庶民こそが歴史を作ってきた張本人なのです。

 例えば、明治維新、
高杉晋作や坂本龍馬などの志士の行動がよく焦点になります。
 しかし、彼らは支えられた人々です、力を持った商人や、志士の行動に共鳴した農民や町人の行動そのものが明治維新なのです。
 商人が金を出し高杉晋作に農民軍を作らせ、その軍と、下層の武士が手を取り合い、西欧の兵法で闘ったかい、やる気のない徳川軍が崩壊したのです。もはや力を持った町人や庶民の世と認識したのが明治維新です。
 だから、その後の明治という時代が破綻せず、近代国家へと変貌することが出来たのです。

 同じ事が、戦国時代にも言えます。
 豊臣秀吉が何故、検知や刀狩りをしました。
 大名との直接契約により、農民の権利を保障する代わりに、戦闘能力は解除して貰うためです。
 即ち、土地所有と耕作権の保証。大名以外の勢力からの保護。武器で土地を守る浪費の排除。等々の権利が保障されたのです。
 農民や町人の力を取り込むのに成功したのが、戦国武将として生き残り、庶民をないがしろにした武将は滅んだ。庶民は生産力を高め、自立意識が強まった、それが戦国時代という時代です。

 鎌倉幕府を支えたのは、関東の武士団です。
 彼らは武士は支配者であると同時に、農民達の長、指導者でもあったのです。
 関東の開発が進み、西国に匹敵する経済力を持ったが故に、強力な軍事力を養うことが出来、関東に新たな政権を維持出来たのです。

 この様に、なかなか見えてこない、庶民の生活の有り様が、歴史を作って原動力なのです。
 それは現在もこれからも変わりません。
 
2016.6.11  Mamoru Muto
 
 
 
 
 
427
 
歴 史  「 三 方 良 し 」
 
 
 中世、室町時代、近江に拠点を置く商人達は、琵琶湖の水運を利用し、各地に活躍した。
 そして、彼等は商法の哲学として「三方良し」を編み出した。

 「売り手良し、買い手良し、世間様良し」
 売り手と買い手の当事者ばかりではなく、その周りの人々にも利益をもたらすものでなれば、商売は永続しない。第三者まで目を配れ。という教えである。


 戦国の世が終わり江戸が新たな都市が作られると、彼等は江戸に進出した。江戸の繁栄は、近江商人が支える事になるのです。
 いつしか「三方良しの教え」は、日本の商人の中に、最も基本的な教えとして、広くゆき渡っていった。


 明治となると、江戸時代の商人は様々な近代産業へと進出することになります。そして日本に産業革命を起こす事になるのです。
 しかし、軍事力を背景とした商法は、敗戦とともに破綻しました。


 戦後、ゼロから出発し、勤勉さと培った技術力で高度成長を起こすことに成功します。更に、日本企業は海外へと進出し、世界企業と成長してゆくことになるのです。
 その過程で、「三方良しの教え」は大きな意味を持ってゆきます。
 好景気による、土地や企業買収はことごとく失敗し、その時先祖が培ってきた教えに立ち戻ることになるのです。
 すなわち近江商人の「三方良し」こそがトラブルを解消する、最良の方法だと気付くわけです。


 進出した国の人々を雇い、その国の企業を育て、その国の経済、文化に貢献しなければ、人々の反発を招き、商売は長続きしないと。  正しく日本の中世商人の教えは、今、世界で生き続けているのです。
 
2016.6.11  Mamoru Muto
 
 高度成長を成し遂げた中国が、海外の不動産を買収したり、企業進出したりしています。そこで地元と多くのトラブルを抱えています。豊富な資金を全面に出した進出が、地元の意向とそぐわず、反発を招いているのです。

 同じことをバブル景気崩壊まで日本もやっていました。批判の強くなった公害工場の海外移転。地元の政府の役人の利権に絡んだ、大型インフラ整備。等々です。その象徴的な出来事が、アメリカで暴動化した日本車排斥運動です。

 その打開策はないかと先人の知恵を思い起こすと、近江商人の「三方良し」の思想に行き着いたわけです。進出国の実情に合わせた投資。地元住民を雇い、技術教育をして高度な労働者としてゆく。下請け企業を地元に育成してゆく。経営者も育成し日本企業からその国の企業として定着させる。日本企業から多国籍の国際企業への進化です。

 お陰で日本のイメージは改善し、多くの国で好印象を受けるようになりました。
 
 
 
 
 
428
 
あ     め
 
 
梅雨の始めの頃のしとしと降るあめはが好きだ。
寒気が入り、一度は半ズボンになったものを
長ズボンに着替え、セーターも持ち出した。
今日はあめ、朝からしとしと、結構大降りである。
 
午後、外にでた。
あめは小雨になったが、降り続けている。
雨はいのち水、天が地上に注ぐ恵み。
 
小さな庭に植えた、レモングラスや大葉や山椒芽や
ミントは、みな生き生きと青葉を広げている。
家の周りに植えは朝顔達は、
元気に蔓を篠竹な柵に巻きつき始めた。
 
雨が地面に沈み込むように、
僕の気持ちも深い場所にゆっくりと落ちてゆく。
 
思い出と思い出が、無数の糸でつながる。
思考と思考が優しい穏やかな海の中で、連結する。
 
六月の雨は、天の恵み。
生きとし生きるものへ、神々が与えた愛のしずく。
 
2016.6.14  Mamoru Muto
 
 
 
 
 
429
 
大 切 な 事
 
 
時には立ち止まり考えよう。
何が一番大切かと。
 
一に、品。
  人間としての品格。
 
二に、前向きである事。
  生きるとは戦い。物事を先を見て処理する事。
 
三に、友や人を大切にする事。
  人は一人では生きられない。良い絆を結ぶ事は、
  皆自分に返ってくる事なのです。
 
四に、広く世界を見る事。
  世界はますます狭くなっている。遠く事が僕らの
  日常と連動しているので、より良い自分の姿勢を
  考え対処する事。
 
五に、人間の世界の外にも目を向ける事。
  環境や大宇宙の中に、小さな人間の世界がある事
  を自覚する事。
 
    などなどですかね。
 
2016.6.14  Mamoru Muto
 
 
 
 
 
430
 
和解
完全なる和解はない、しかし歩み寄る事は出来る。
 
 
人は愚かにも時に、感情に任せ、人を傷つける。
それを癒し和解する事は、なんと多くの時間と努力が必要となる。
 
 
国と国、民族と民族の和解は、不可能といってもいい。
妥協に妥協を重ね、
過去の過ちを起こさないと約束するのが精一杯である。
更に和解は出来ないが歩み寄る事は出来る。
 
オバマ大統領の広島訪問は、歩み寄りの歴史的瞬間であった。
これで被爆者の思いが解消されるはずはない。
アメリカ政府や社会が、原爆投下を謝罪する事はできない。
 
 
しかし、過去の傷を癒す事は出来る。
今できる、精一杯の努力の結果である。
 
核廃絶や平和の尊さを、共に確認する事により、
未来に一筋の光を共有は出来る。
過去に犯した鋭い棘を、少しでも和らげること、
それは政治の大きな仕事でしょう。
 
2016.6.17  Mamoru Muto
 
 
 
 
 
431
 
エ ア コ ン
 
前の借家にはエアコンがなかった。
夏場の暑い時は、五日市の山の中に避暑していた。
夏場の暑さに身体を慣らせること、
山梨に家を借りて以来、
それがエアコンなしの二十年間の夏の対処法でした。
 
今度の家には全部屋エアコンが付いている。
あるなら使わない方はない。
今年は避暑していた時間を何かに使えそうだ。
 
冷やし過ぎはしないように注意してある。
基本は暑さに身体を慣らすこと。
自然ままに生きるのが、一番だから。
 
2016.7.25  Mamoru Muto
 
 と思っていたら今年の夏はなかなか来ない。七月下旬になっても、梅雨寒でセーターを持ち
 
 
 
 
432
 
止まること、凪
 
風の吹かない凪というのがある。
帆船なら船は自力航行できず、潮の流れに任せるしかない。
 
積極的予定や目的がなければ、無理して動く必要はない。
「何かせねば。」という建前を少し取り下げてみようか。
 
暑い夏場は、詰めた思考には適さない。
暑さを避け、避暑しよう。
というのが夏場の過ごし方であった。
 
エヤコン付きの家に引っ越し、
多少暑さから逃れることができるなら、今までより積極的に動けるか、
と思ったが、どうもそうはならない。
 
この世で一番分からないのは自分自身。
心に風が吹いていないなら、無理に動かそうとしない事も大切。
 
2016.7.25  Mamoru Muto
 
 
 
 
 
433
 
ポ ス ト
 
ハガキを出しに外に出た。
いつでにスパーにより買い物も。
 
あっ!凄い、まだこんなポストあったんだ!
懐かしい、昭和の香りの円筒型のポスト。
 
まだ現役、ハガキはここに入れよう。
なにかうれしい投函行為。
 
2016.7.25  Mamoru Muto
 
 
 
 
 
434
 
夜の河川敷
 
久しぶりに多摩川の河川敷の公園にやってきた。
程よいベンチを見つけ腰を下ろし空を見上げと、
夏の大三角がはっきりと見える。
その三角を横断する、チカチカと点滅させ飛行体。
ひとつすぎるとまたやってくる、
飛行コースになっているらしい。
 
ベンチに胡座をかき、手を膝に乗せ、目を閉じた。
風がシャツを震わせ通り過ぎてゆく。
まだ草むらの虫の音は聞こえない。
 
突如ガタゴトと五日市線の鉄橋を列車が通る。
 
2016.7.29  Mamoru Muto
 
 
 
 
 
435
 
オリンピック
 
今年はオリンピックイヤー
初めての南米、ブラジル開催
そして、
ヒットラーの亡霊が未だに健在
人々は国別のメダル獲得競争に一喜一憂
 
オリンピックを国別対抗戦に変えてしまったのはヒットラー
冷戦時代はまさに代理戦争の場となった
更に商業主義がはびこり今日至る
 
初め、「コンパクトで金はかけない」と
準備のはしまった東京オリンピック
知らぬ間に、予算は増え、
旧来の「国の威信」を示す場に変容した
 
スポーツに熱を上げるのは、戦争するよりは良い
でももうそろそろ、ヒットラーの亡霊からは抜け出そう
国の関与は出来るだけ小さく、個々人の努力の祭典に戻そうや
 
2016.8.18  Mamoru Muto
 
 
 
 
 
436
 
愚     痴
 
ふつふつと愚痴が出てきた。
「馬鹿野郎が!」「いいかげんにせれ!」
とか、心の中で、不満が沸き立ってくる。
これで良し、こうでなければ僕じゃない。
 
元気が出て来た証拠。
愚痴を言っても何も良くならないと分かれば、
文句を言う事を止めてしまう。
努力すれば、少し頑張れば解決しようだから、愚痴が出る。
 
避暑のごろ寝などばかりしていたから、体が鈍ってしまった。
今年は今までの夏よりは、実になることをしようと思っていたのだが、
結局、いつもの夏同様、ダラダラと過ごしてしまった。
 
鈍った身体動かす事から始めよう。
愚痴こそ僕が前向きに動くためのバネ。
 
2016.8.20  Mamoru Muto
 
 
 
 
 
437
 
秋 で す
 
暑くなり、台風が来て、雨風が吹き荒れ、
また暑くなり、そして秋が近づいて来ました。
人の世の戯れ言に、一喜一憂する日々ですが、
天空の雲は、今日もゆったりと流れてゆきます。
 
今は盛りの朝顔を楽しみ、瓢箪を収穫し飾り物を作り、
そして、曼珠沙華を訪ね、ススキの穂など眺め、
深まりゆく秋を楽しみましょう。
 
ゆったりと大きく、天空の雲のごとく、
夜空に煌めく星々の如く、これからの秋を迎えましょう。
 
2016.9.2  Mamoru Muto
 
 
 
 
 
 
438
 
初秋 ─ 芝生に落ち葉
 
白い曼珠沙華を訪ね、入間川の河川敷に行きました。
今年も赤とは違った、清楚な姿に出会うことが出来た。
 
ふと隣を見ると、
まだ青々と命の満ちた芝生の上に、無数の桜の落ち葉が散らばっていました。
まだ落ちたてらしく、みな鋭い芝の葉の上に載って、浮遊しているように見えます。
 
あるは大きく波打ち、あるは右に左に曲がり、今にも動きそうな、生き物のよう。
ちょこんと座ったり、寝っ転がったり、あるは友達と絡まり、じゃれあっているです。
 
それはまるで、草原くさはらで遊び戯れる、幾百の妖精のように見えるのです。
 
2016.9.18  Mamoru Muto
 
 
 
 
 
439
 
贅沢とはなんだろう?
 
 胃を切る前、甘党の僕はポケットに、チョコレートやら何か甘いものを忍ばせておくのが常だった。それが大福一つでも、食べると動悸が激しくなり、血糖値が上がり、ひどい時は意識がなくなる程になってしまった。うどんやそばならやっと一膳食べられるまでに回復したからです。
 
 カイロで最近日本に行ってきたという、ヨルダン人と知り合いになった。小さな商社をカイロで開いていた。彼は僕をカイロの高級店に連れて行ってくれた。次から次と料理を注文したのだが、僕はほとんど味見程度に口を付けるだけで、食べることが出来なかった。
 
 良くしたもので、その国にはそれなりに、胃の弱い人に優しい食べものあるものである。街のどこにでも、屋台がある。イースト菌で膨らませないパンの中に、羊の肉や煮豆やカブやキュウリの塩漬けを入れたサンドイッチをどこでも売っていた。煮豆を入れたものが一番安く、貧しい人の日常的食べものであった。
 なんと、何とそれが僕の胃は違和感を感じなかった。煮豆だけの貧しい人の食べ物、エジプト中どこにでもある食べもの。それが僕の胃に一番優しかった。なら何処にでもゆける。
 
 お陰でサハラ砂漠のオアシス周りも行くことが出来た。欧米の旅行者相手のお店の料理も、僕の胃はちょっと注意といってくる。マクドナルドのハンバーグも日本と大差ない味なのに、日本にいる程美味しく感じない。そこのドリップ式のコーヒーもどうも合わない。
 
 エジプト人がたむろする、お茶のコーヒー、それをブラックで飲む。イタリアンよりもっと濃い、コーヒー粉と一緒に飲む方が、美味しい。地元の人はかならず、角砂糖を何個も入れて甘くして飲むのだが、砂糖は僕の胃は受け付けない。「ノウシュガー、ブラック」と言わないと、角砂糖が一個は入っている。このエジプトコーヒーのブックは、乾燥した気候の下では、何と美味しく、胃に優しい。
 
 この旅行経験は、弱い胃でも十分に世の中を渡ってゆける自信に繋がった。
 
 贅沢とは何だろうか?
 健康な胃なら、高級料理店でのステーキは贅沢品だろう。船盛りしたお刺身も。しかし僕は、刺身を一切れ二切れ食べれば十分、ツマの大根の方が美味しく感じる。
 
2016.9.19 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
440
 
感     情
 
なんと深く、なんと単純でなんと複雑であるあることか。
それは、生命の本質に根ざしていると同時に、
複雑になった社会生活により、感情表現も複雑となったからです。
 
食欲が満たされれば、喜びとなるし、セックスすればそれも喜びです。
生命の維持や継続に必要だから、喜びの感情が生まれた。
 
欲望が阻害されれば、怒りの感情となるし、
不安や恐怖も、生命の危機から発せられます。
 
子供を育てる事から愛が始まり、人と人の連なりの中で愛が広がり、
より多くの人の中で愛は洗練され、他者を慈しむ感情が生まれた。
 
社会が高度に複雑になるに従い、人間の感情表現を複雑になって来た。
そして、
それらは初源的なもの上に重なり、人間の感情表現は複雑怪奇となって行く。
その現れ方も多種多様なのです。
 
2016.10.6 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
441
 
前 へ 前 へ
 
朝起きて「今日も一歩前に進みましょう。」と自分に声をかけるて起きる。
夜寝るときは「何時もと変わらない一日だった。」と感想を持って床につく。
 
子供の頃、毎日が未経験の不安と希望の日々だった。
街の路地の曲がる角を間違えただけで、知らない街並みが続き、恐怖のどん底に落とされた。
 
経験とは恐ろしく、日々を感動や不安の少ない、無感動な平板なものへと変化させてしまう。
毎日が山と谷の往復のような感動の日々が、なだらかな平野を進む日々へとへ変わってしまった。
 
 
しかし、前に進むことを止めることは出来ない。
止めたら、益々平板な感動や不安の少ない日々になってしまう。
 
ものごとを決め付けてはいけない。
夢を見続けることを止めてはいけない。
感動こそが、命の細胞を活性化する唯一の方法だから。
 
2016.10.7 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
442
 
明日あす
 
明日は恋人。
ワクワクとした気持ちで待ちましょう。
 
今日は親友。
共に有意義な時間を過ごしましょう。
 
そして、
昨日きのうは旧友。
思い出という財産を大切に、別れましょう。
 
2016.10.9 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
443
 
だ ら だ ら 日
 
今日はだらだら過ごしましょう。
朝遅く目が覚め、そう決めた。

三日働き、一日のだらだら日。
良い形で、仕事と休みが噛み合っている。

午後になったら、桜の枝を探しに行こう。
それを削って、瓢箪の栓にする。
瓢箪のくびれに巻く紐も捜しに行こう。
今日はいつでも暇な時、作業できるよう準備をしよう。

そうだ、ゆっくり湯船に浸かりたい。

だらだら日はそんな分けて、結構忙しく動き回っている。
でも、気持ちはだらだらが基本、体が動きづらいことはしない。
 
2016.10.12 Mamoru Muto
 
 
 
 
 
444
 
スパームーン
 
忘れもしない去年の九月二十七日、スパームーンの夜、
よりより徹夜の仕事、
梯子より落ち、足首にヒビが入った。

満月は僕が野生に帰る時。
スパームーンならその影響は極大。
自制という理性のコントロールが効かなくなる。
嗚呼恐ろしや!恐ろしや!

文明など、何十万年と続く人類の歴史に比べたら、
最後のほんのひと時の時間。
人々は満月の夜の異性を求め、出歩き、
それ故に、人類、子孫を増やし絶滅を免れた。
満月の夜は人が人となる時。
文明という衣を脱ぐ時。

しかし、
がんじがらめの文明の束縛を受けた現代人は、
素直に本来の人の姿に戻れない。
故に、時として混乱し、パニックに陥る。

恐ろしや!恐ろしや!
今年のスパームーンは明日、十月十六日。
池袋の街で、僕が僕でなくなるかもしれない。
 
2016.10.15 Mamoru Muto
 
 
 
445
 
詩は自分への応援歌
 
 
高校生の頃、人生に対する疑問が起きた。
その頃から、日記を書くようになった。
感情に任せ、書き連ねたものか僕の詩です。

20代半ば、絵を描き始めた。
言葉は極力人に見せまいと思った。
しかし、要所要所では、言葉で表現しないといけないものかあり、
それがしの形になった。

30代後半、体を壊し、言葉で自分をコントロールする必要に迫られ、
新聞を出し始めた。 ほどなく、詩を人前に見せることにした。

詩は人の為ではなく、人生の折々で、自分を励ます応援歌です。
だから今までやってこれた。
 
2016.10.22 Mamoru Muto
 
 
 
446
 
ブ ツ ブ ツ 虫
 
 
暇になり深まり行く秋をを楽しむ、、、、
いやどうもそういう風にはならない。
どこかしこから、ゾロゾロ出てくるブツブツ虫。
愚痴が僕を覆い尽くす。

やりたいこと、やらねばならぬこと、
その十分の一も出来ていない。
何とも不甲斐ない!
何とも情けない!

バカヤロー!
とうとう、充満したブツブツ虫は、爆発した。
何とも情け無い、何とも不甲斐ない!
バカヤロー!、ともう一度叫んだ。
 
2016.10.30 Mamoru Muto
 
 
 
447
 
ぷ ん ぷ ん
 
 
地球の重い重力と、
人付き合いの、真綿の強い締め付けと、
己の不甲斐ない力不足とで、
今年も無難に過ぎようとしています。

何ともかんとも、うんざりなことか。
 
2016.10.31 Mamoru Muto
 
 
 
448
 
鎮 め る
 
 
今年も残り1ヶ月となり、大工仕事とかまばらとなった。
なら他にやるべきことを探せ、という叫びがどこからか聞こえてくる。

まずは、落ち着き、心を鎮めることから。
戦士は、しばし中止。
それからでも、やるべきことを探しは遅くはない。

ますば力を抜いて、温泉でも行き、
自分と身の回りの諸々のものを、
ゼロに戻すことから、自分を作り始めましょう。

いつも通りの、ありきたりと思われることも、大切な事。
それらを否定し新たなものを求める事も大切な事。
ほらほら、閉じ込めていたものが吹き出してきた。
 
2016.11.25 Mamoru Muto
 
 
 
449
 
悲しみに涙しよう
 
 
今年も何人か旅発った。
悲しさが全身を満たし、涙がこぼれ始めた。

人は一人では生きられない。
人を愛する事でしか、満たされない心がある。
でも、満たされることは稀で、何時でも隙間風が吹いている。

悲しみに涙しよう。
心に強がりを使いてはいけない。
木枯らしに震える自分を認めよう。
それが、人として生きると言うことだから。
 
2016.11.26 Mamoru Muto
 
 
 
450
 
ひょうたん
 
 
今年はひょうたんに感謝しなければいけない。

勝手に芽を出し、朝顔の柵を独占し、
忌々しい奴めと思っていた。
何度も作っているので、珍しいものではない。
でも、秋にはたくさん実を付けた。


その実を収穫し、中を腐らせ、
種を抜き、乾燥させた。
栓を作り、刺繍糸で縄に綯い、飾りものとした。
ありきたりとだが、手作りなので、贈り物にした。

人に感謝を伝える時、やはり手作りは一番いい。
友達とのよしみを深めるのに、
大いに貢献してくれた。
ありがとう、ひょうたん達!
 
2016.11.26 Mamoru Muto
 
 
 
451
 
 
 
里に降りた紅葉も、最期の時を迎え、
枯葉となり、風に舞っています。
冬を迎えた風景は、しばし息を潜めています。

都会の外れの、無機質なコンクリートの羅列、
高速道路の支柱に、一つ二つ、蔦が伸びています。
蔦の作り出す造形美に、しばし足を止めました。


たまたま種が落ち、与えられた条件で、
精一杯蔓を伸ばしたその姿は、なんと美しいことでしょうか。
命のありのままの姿が、その形に投影されています。

「無機質なこんな強大なコンクリートの壁面を、
緑で飾ることが出来るのは、私だけ。」と、
蔦は、誇らしく主張しているようにさえみえます。
 
2016.12.13 Mamoru Muto
 
 
 
452
 
愛を望むなら、まず人を愛することから
 
 
「地獄への道は善意で舗装されている」
という諺があるそうです。
少し皮肉が込められた諺で、
「天国への道は悪意で舗装されている」との意味も含まれています。
人の善意や悪意を疑って見ることも大切と、と言う程度のことでしょう。

人は
愛を示せば、愛で返します。
また、逆も亦然りです。

だから、人から愛し欲しければ、
まずは、自分が人を愛することから始めればいいのです。

しかし、それは勇気の必要な事で、
いつでも誰でも出来る事ではありません。
そうしたからと言って、見返りが保証されるものでもありません。
先のうがった見方の方が、分かりやすいと言うことになります 。

相互扶助が社会の基本ルールです。
基本から外れた見方は、何処かに問題を抱えていることです。
 
2016.12.21 Mamoru Muto
 
 
 
453
 
やるべきこと
 
 
眠っている細胞を叩き起こし、
怠けている奴らを叱咤激励し、
ひとつの生命体として、
兼ね備えている能力を、
最大限引き出すこと。
 
2016.12.22 Mamoru Muto
 
 
 
454
 
新 年
 
 
2017年、大なる期待と夢を膨らませ、迎えましょう。

光と闇は交互にやって来るもの。
光の季節は、精一杯輝きましょう。
闇の季節は、静かにこの世の深淵に触れましょう。

世界は個人の都合に、合わせてあるわけではない。
機会は誰にも、ぼぼ均等にやって来るのに、
幸不幸の差がつくのは、それを上手く捕まえたかどうかです。

変哲もないものに、価値を見出し、
人を幸せにするものへと、改造するのは、
夢と想像力の力です。

自分は不幸と嘆く人は、世にあるものの価値を知らない、
自分は無知であると、言っているに等しいのです。

2017年を、夢と期待で迎えましょう。
ワクワクと、心を躍らせて!
 
2016.12.26 Mamoru Muto
 
 
 
455
 
変わらないこと
 
 
十五、六の頃から変わらないこと。

自分で納得したことをやる。
人におかしいと言われようと。
そして、精一杯やること。
 
2016.12.27誕生日
Mamoru Muto
 
 

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──── 詩24・2017 (456~506)────
 
 
 
456
 
 
 
時に心を無にすることが必要となる。
この世のしがらみをできるだけ忘れ、
空虚にすることが大切です。

そうしないと、新しい事が入ってこないからです。
状況は変わっているのに、
心の慣性力により、今迄と同じ動きしかできない自分がいます。

捨てられるものは、出来るだけ捨て、
忘れていいものはできるだけ忘れる。

そうすれば空になった心に、自然と新たな事が入いり、
それに見合った行動を、起こすことが出来ます。
 
2017.1.8  Mamoru Muto
 
 
 
457
 
寒波 一月の空は青春の香り
 
 
今年最強の寒波が日本を襲い、
コタツから出るのも億劫。
暖かさになれてしまった体には、
一桁前半の温度でも寒い。

買い物で外に出た。
凍てつく硬い空の向こうに、
夕暮れが迫っていた。
肌を刺すこの寒い空気と、
硬くそしてピアな空。
そう、忘れていたものが蘇り、
頭を巡る。

それは青春。
会津の厳冬の季節の山の上の空。
そして二十代の一月の空が蘇る。

自分の言葉を探しいた頃。
人を拒絶するこの風は、僕自身。
青く澄んだ空は、僕の心色。

情報の嵐と沈黙の僕
 
2017.1.15  Mamoru Muto
 
 
 
458
 
彷徨 wandering is wanderfull.
 
 
また彷徨い歩いている。
これは僕の人生そのもの、
この世に動かぬ物などない、
旅こそ人生そのもの。

外に出た、大寒の風は寒い。
しかし、日差しの戻った車内は春の陽気。
五日駅の駅を過ぎ、川の南斜面の裏道を進む。

雲ひとつない冬空と、南斜面の集落と畑が広がる。
でもまだ地面は硬く、草木はひっそりと息を潜めている。

蝋梅の花を見つけた。
車を停め、蕗の薹など他の植物を探した。
梅もまだ硬く、開花はもう暫くかかりそうだ。
冷たく乾いた空気に、黄色い蝋梅だけが目立つ。

wander ! wandering is my life.
so my life is a wanderfull life.
犬も歩けば、棒にあたる。です。
 
2017.1.26  Mamoru Muto
 
 
 
459
 
バランス
 
 
新しい友達とFBのやり取りで、盛り上がった。
他の友達も入り、徹夜してしまった。
盛り上がるのは良いが、崩れた生活は、なかなか元に戻らない。
仕事があれば、切り替えが早いのだが、
冬寒の風景は、切り替えの目を惹くものが少ない。

そんななか、新たなやり取りが始まった。
止めどなく、言葉が出てくる。
自分自身のコントロールが、効かなくなりつつある。
意識がマイナスの方向に落ちて行く。
いけないと分かりつつ、やめられない。

「ヤメ!終わり!」
と、何度も自分に言い聞かせ、
やっと終わった。
 
2017.2.2  Mamoru Muto
 
 
 
460
 
人は夢見る動物
 
 
砂漠のシリア難民チャンプで、
花壇を作り故郷を思いだし楽しんでいる子供の映像が、
インターネットで世界に拡散している。

人は楽しみや夢なしには、生きられない。
悲しみの記憶では、明日は来ない。
置かれた現実に向き合った時、夢が生まれる。

悲惨かどうかは、他人と比較しなければ分からない。
あるのは自分を取り巻く現実と、
そこを生き延びようする、一人一人の生き様。
それこそ人間の類いまれなるダイナミズム。

戦争や大災害など過酷な現実を、
人々はささやかな夢を携え乗り越えて来た。
失ったものや肉親を悲しんでいたら、生きて行けない。
悲しみは、心に余裕が生まれて初めてできる贅沢なのだ。

困難な現実を戦い、生き延びようとするすべての人に、
幸あれ!
 
2017.2.12  Mamoru Muto
 
 
 
461
 
平凡
 
 
いつもの様に寒くなり、
いつもの様に太陽から春はめくってくる。
年末には蕎麦を打ち、友と語らい。
年明けは少し休み、いつもの仕事が始まる。
昨年と大差ない今年も過ぎて行く。

若い頃は考えられないことだった。
そんな平凡な生活を蹴嫌っていた。
今、変化を求めても、変化出来ない自分がいる。

そこは、まあまあまあ!
冬が来て、春が来て、同じに見えて、
同じじゃない季節の巡りを楽しむ!
またそれも良いんじゃない。
 
2017.2.13  Mamoru Muto
 
 
 
462
 
無為
 
 
なんと無駄にすぎる時間の多さよ!
ケチばかり出て来る
 
2017.2.16  Mamoru Muto
 
 
 
463
 
生き抜くぞ!
 
 
この春、己の力すべてを使い生き抜こう。
まだ見ぬ未来は、真っ白なキャンパス。
光り輝く明日も、暗黒と絶望の明日も、すべて自分次第。
なら、花々に満ちた、優しさに満ちた明日を描こう。
それが生き抜くと言うこと。
 
2017.2.22  Mamoru Muto
 
 
 
464
 
悲観 延命
 
 
今年に入ってから、何やら考えが煮詰まり、それも極端に煮詰まる。
何やらマイナーな思考の虜になってしまう。

人生の季節の変わり目には、こんな時期があった。
二十代後半、三十代後半、五十代半ば。
それまでの生き方に大きな変更があった時期である。

その度に「延命」と心に言い聞かせ、新たな季節を探した。
今回もそうなのだろか?まだ分からない。

落ち込む時はとことん落ち込む事。
それが僕のやり方。
そうすると、必ずそれに反発する力が出て来る。
それを頼りに、新たなものを組み立てる。

波乱万丈、青春期に夢見た人生を、
少なくとも心の内では継続出来ているのかもしれないが、
ただ・・・。

悲観する心と、大丈夫という希望との狭間で揺れる中で、
頼りの身体はボロボロとなり悲鳴かあげる。

良く今まで生きて来た!と
労いの言葉を、自分自身にかけてやらないと。
 
2017.3.9  Mamoru Muto
 
 
 
465
 
感   動
 
 
人に感動してもらうためには、
一生懸命やるしかない。

一生懸命やったらといって、
感動して貰えるわけではない。

人の興味のあるものなら、
それなりの心に通じるものがあるだろうが、
関心のないものには、感動は生じない。

しかし、皆んな同じ人間、何か通じる事はあるはず。
 
2017.3.17  Mamoru Muto
 
 
 
466
 
丁寧に
 
 
今年は花冷えが強く、油断すると風邪を引きそう。
今日は十五度を超え、桜の開花が期待出来る。

不必要なものは捨て、心を出来るだけ無垢にし、
新たな季節の到来を、歓迎しましょう。

人の世はあまり変わらないように見えるけど、
日々少しずつ変化し、当たる光の角度により、
様々な姿を示すものです。
昨日と同じと、新鮮に感じられないのは、
それを受け取る僕らが、過去に束縛され、
見え方が一面的になってしまっているからです。
日々の微妙な変化を捉えられないのは、僕らの責任です。

無垢な心と、何事恐れない戦士の心で、
日々を丁寧に生きましょう。
 
2017.3.30  Mamoru Muto
 
 
 
467
 
サクラ
 
 
日本人は桜の開花で狂う。桜は日本人にとり切っても切れない花です。
なら何故そうなったか?

桜は何処にでもある山桜への信仰です。それが秋の稲作の実りを約束しているからです。
サクラの精霊は木花咲耶姫です。この神様は山桜の精霊であると共に、山の神でもあり浅間神社の御神体であり、富士山の御神体です。
なぜその神様が稲穂の実りを約束するかというと、春に山を下り、田の神、すなわち稲荷神に変身するのです。

どうして性格の違った二つの神様が同一視されるようになったか?

それは、古代、稲作がこの国に定着した過程を見ればよくわかります。
弥生時代、大規模土木工事は出来ないので、稲作栽培は、山の裾野の小規模河川の作り出す湿地たいから始まったのです。
稲作にとって最も大切な水は、まさしく山の木々がもたらすわけです。
縄文時代から信仰されていた、山の神、また森林の神が、新たに始まった農業の神へと変身を遂げることになるのです。

里から見える山桜は、里の農作業を始める合図であり、後世導入される暦より、的確に農作業の開始時期を表しているわけです。
その頃、キツネが里山近くで見られることが多く、豊穣神、稲荷の眷属としての定着したわけです。

サクラは日本人の中に特別な地位を占めるようになり、サクラを祭り、里に移植し、お花見をするようになるなるのです。

更に人生の節々を、サクラの花と重ね、和歌に読み伝えて来たのです。喜びだけではなく、悲しみ、苦しみもサクラの花に託してきたのです。

サクラ、日本人の心そのもの、醜態まで受け止めてくれる花なのです。
 
2017.3.31  Mamoru Muto
 
 
 
468
 
本当は
 
 
何が自分が一番したいことか、
何が自分が一番欲して居ることか?
これが結構分からない。

世界が予想通りに動かないことが多いように、
自分自身もなかなか分からない。

だから時々、「何をしたいのか?」と、
自分自身に聞いてみないといけない。
 
2017.4.7  Mamoru Muto
 
欲望は限りありません。現状が許してくれないから、表に出て来ないだけです。
行動すれば新たなものが出てきます。だから決めつけないことが何より大切です。
 
 
 
469
 
春は蝶々の如く
 
 
春はフアフア、蝶々のよえに過ごすのが良い。

この前まで、氷雨に防寒着まで待ち出したと思ったら、
今日は夏日、30℃近くまで上がった。
もう体がついて行けない。
気持ちもフアフアと、足が地についていない。

地につかないなら、地につけないでフアフアして入れば良い。
春は蝶々の如く、風に吹かれて過ごすのも良い。
 
2017.4.19  Mamoru Muto
 
 
 
470
 
身を軽くし、そして変化すること
 
 
山笑う萌えの季節。
植物達は長い沈黙の時を終え、一斉に生命の歌を歌い始めた。

蜜を集めに忙しい蜂のように、花と花を巡る蝶達のように、
重いものは捨て、身軽になって、
移りゆく季節の奏でる音楽に、耳を傾けましょう。

それは、変わり続けるということ。
新たなものを受け入れ、化学反応し、新たなものに変化すること。

かっての勲章にしがみつき、変わる自分を押し留める傲慢さは、
何の足しにもならない。
重い鎧は捨て、幼葉に生えた産毛で感じ、
脱皮した柔らかい皮膚を、大きく膨らませましょう。
 
2017.4.20  Mamoru Muto
 
 
 
471
 
夢は大きく
 
 
変わりばえしない毎日などと不平を言ってはならない。
今日もひとつ、小さくとも大きな一歩を踏み出しましょう。

今日もは週末の宴会に向け、何が旬か調べて回ろう。
何か新たな料理用意できるかもしれない。

ハナミズキの花が歩道をに彩りを添え、
たんぽぽが綿毛を飛ばす。
日々、色を緑を濃くし、新緑から青葉の季節へと大きく踏み出した。

一度全く聞こえなくなった右耳は、
健康な左耳と全く同じ程に回復した。
小さなリハビリの積み重ねの、大きな勝利。

小さな庭に今年はなにをうえて楽しもうか。これもこれからだ。

前向き!前向き!
新たな出会いが大きな仕事を生み、
大きな成果を、友達と分かち合う事ができるかもしれない。

少年の如く、夢大きく!
今日も一歩前に駒を進めましょう。
 
2017.4.23  Mamoru Muto
 
 
 
472
 
時に、ふと思う
 
 
時に、ふと思う。
間違えなかったか、もっと他の方法なかったかと。
若い頃「今やらなねば」と普通の生活とか別の世界に飛び出した。
しかし、そこで思いとどまっていたらと。

人生の時間は思う以上に長い。
若い頃、今しか出来ないと思い詰めた事も、
長い人生では、いくらでも余裕を持ってやれる時がある。と
後から分かったのだが。
若い頃無理したツケは、身体の各所の軋みとして残っている。

やってしまったことの価値。
青春にはその時期しかし出せない輝きがある。
壮年になり余裕が出来、同じことをやっても、
その輝きまでは真似できない。

でも思う、これでよかのかと。
 
2017.4.23  Mamoru Muto
 
 
 
473
 
内なる声に、耳を傾けて
 
 
何か落ち着かない、私がいる。
随分と飽き飽きしてるのに、
今年もサクラ賛歌で過ぎてしまった、僕がいる。
萌え出ずる若葉に、馴染めぬ、僕がいる。
細かいお金の収支を計算する、僕がいる。

内なるものが発する声は、
意味を形成するまでには、時間がかかる。
何に不満か、何を欲してあるのか、
すぐには分からない。
 
2017.4.25  Mamoru Muto
 
 
 
474
 
化  粧   それは魔除けから始まった
 
 
化粧品の大きな展示会の仕事をしていて、ふと気付いた。
化粧は今も昔も全く変わっていない。
美しさは、二次的な目的ではなく、魔除けが最も重要な目的であると。

古代人は、岩絵具で派手な化粧したり、刺青をしたり、大きな首飾りをしていた。
それは森や山や川に潜む、魔物から身を守るためでした。 自分を魔物に負けないと律するためでした。

なら今の人も、古代人やアフリカの原住民と変らない。変わったのは山や川の魔物ではなく、人間社会に潜む魔物という点です。

家族やごく親しい友達の前では、人々は化粧を気にしない。
仕事や公の席で、不特定多数と接する時、人々は化粧し、外向けの顔を作る。
知らない人々の中には、自分を害するものもいるかもしれない。
だから、化粧という鎧を身につけるのです。

男なら凛々しくする。女なら美しくする。
接する相手に好印象を与え、敵意を抱かせないためというのが、最も大切ことです。
更に重要なのは、化粧することにより、自分自身に喝を入れ、見知らぬ人に会う為に、律することです。

役者や舞台の上に立つ人の化粧は、晴れの特別に日、神々に献げられた舞やお神楽です。魔除けや神へのの感謝を象徴的に演じためです。その為の化粧は必要不可欠となります。

また、よりセクシーに見せる為の、異性を惹きつける為の化粧であるし、アスリートやプロレスラー化粧は、相手を威圧し、強い人間への変身のためです

健康のためと言うことも、魔除けの延長上に発展してきたものです。紫外線対策や肌の健康も、魔物が外からやってきて心身を犯す信仰に由来します。

化粧は魔除けから始まり、その時々の目的に合わせ、自分の外側を変身させることにより、内側をも変身させる道具として、化粧は有りつつているわけです。
 
2017.5.18  Mamoru Muto
 
 
 
475
 
優 し い 雨
 
 
雨が楽しい季節になりました。
この列島に住み、初夏の雨ほど嬉しいものはありません。
植物達がスクスクと伸びるように、
初夏の雨は、僕の心を潤してくれます。

冬の間は、知らず識らずのうちに、何重ものバリアを張り、
頑なに心を閉ざしていました。
この優しい雨のお陰で、バリアは内側から解け、
少しずつ夢を語り始めることができるようになります。
人も植物達と同じ、新芽を膨らませ、若葉を広げるようにです。

初夏の日差しは眩しく、
よちよち歩きの、夢の新芽は、眩暈を覚え、
足元はおぼつかなくふらつき、不安が覆います。
しかし、昨日の雨は、そんな心持ちまで、
しっとりと濡らし、落ち着かせてくれました。
 
2017.5.19  Mamoru Muto
 
 
 
476
 
め ま い
 
 
初夏の日差しは眩しく、
遅い目覚めとマイナーな心には、
きつく目眩さえ覚え、ふらつく。
若い頃はこの季節、よく目眩を覚えたことを思い出した。

季節の営みも、人の世の煩雑な物事も、
この小さな僕など、全く無視して進行している。
ついて行けない、心の違和感。

青く晴れ渡った、しかも空気は大陸性の乾燥し、
そして強い日差し。
青葉達は今こそ青春、持ちいる力を天空に大きく広げている。
赤や黄色、紫や青やと、花々は思い思いの色彩で飾り立て、
生命の賛歌を歌っている。
 
2017.5.19  Mamoru Muto
 
 
 
477
 
腹 減 っ た
 
 
どうも人間の体は、空腹感がないと怠けて活動しない遺伝子があるらしい。
力士があの体型で体を維持しているのは、
稽古という運動量と、一日2食という食生活にあるらしい。
食べない時間の長さ、空腹時に眠った遺伝子が活性化し、傷んだ細胞を修繕し、糖分を細胞に吸収し、血糖値を下げ、過剰糖分の弊害を取り除いているらしい。

人類の歴史は飢餓との戦いだった。十分な食糧が入らない時のために、多くの対策が備わっている。空腹時にそれらが活性化し、体のメンテランスをするのです。

なら、一日一度、空腹を感じる時間を作ろうか。食事の時間を移動し、間食を避け。
です。

ハングリー精神と言えば、心の飢えですが、身体もハングリーである事が、健康の秘訣です。
 
2017.5.19  Mamoru Muto
 
 
 
478
 
習    慣
 
 
少々疲れていても、夜中の十二時を回ると目が冴えてしまう。
仕事などで疲れていると、頭は冴えるが身体は動かず、
でも眠れない。
そんなわけで、朝起きなければならない仕事の時は、
いつも睡眠不足。

これは高校生の頃からの僕の習慣。
今更直せない。
若い頃は、夜中に家を出て、散歩に出たりしていた。
まるで夢遊病患者のように。

昼間は世間の人々に、夜は自分の家族に、
気を使わなければ生きて行けない。
それは歳を重ねても変わらない。
人が寝静まった夜中こそ、僕が自由になる時間。
誰に遠慮する事なく、自分世界に浸れる時間。
正しく、夢は夜中開く。です。
 
2017.5.25  Mamoru Muto
 
 
 
479
 
危ない季節
 
 
自分の過去を振り返ると、危ない季節というものがある。
六、七月、十二月がその代表です。
大きな事故や事件が集中しているのです。

自分は元気いっぱい、でも周りとの折り合いが空回り。
それをコントロールする事は至難の技です。
ただの人間ですから、仕方ない、仕方ない。

アッシャーアレイクム!(神様の思し召すまま)
正にイスラムのお祈りの通りです。
 
2017.6.24  Mamoru Muto
 
 
 
480
 
大切なこと
 
 
明日が明るく見えること。
友達だけではなく、人々を優しく見つめられること。
身近な風景が美しく見えること。

これらが出来ない時は、何か問題があります。
余裕の無さや、ストレスの解消に努めましょう。
 
2017.7.2  Mamoru Muto
 
 
 
481
 
だ ら し な く
 
 
梅雨が明け、
うどんの会もまずまずの盛況で終え、
少しだらしなくしています。

戻り梅雨で気温は上がらないのだが、
30℃を越えると、新たな事をやる気持ちは削がれます。

このまま気持ちが萎えて行くなら、それは病気、
でも、底なしのスパイダルの心配はなさそう。
心配はやめ、
気持ちの成り行きに任せましょう。
 
2017.7.28 Mamoru Muto
 
 
 
482
 
ニュートラル
 
 
暇になり、取り敢えずの予定もなくなった。
次の予定を作る前に、気持ちをニュートラルに戻しましょう。

人は、今のタマタマの仕事や、偶然知り合った人とのやりとりで生きている。
しかし、それが本当に自分にとり必要なものかは、さだかではない。

日頃の様々な束縛やしがらみを、少し横からや見てみましょう。
本当に必要なものは、多くないはず。
そして、忘れていた事を思い出し、大切な事を再確認する事も大切。

自分をゼロに戻し、自分自身と向き合う事は、年に一度二度必要です。
 
2017.7.28  Mamoru Muto
 
 
 
483
 
う ど ん
 
 
何事もやってみないと分からない。
そば打ちとは違うとは分かってはいるが、具体的には分からない。

昨年から夏場はうどんを打つことにした。
そして今年も、七月下旬のある日曜日、うどんの会を設けた。
料理は芸術作品と同じ、食べてくれる人が居て初めて成立する。
もっとも基本的なコミュニケーションなのです。

今回、茹で時間が短いこと。
生麺を置く時は、しっかり切り口に粉をまぶし保存する。
などが新たに分かった。

長くても1分ぐらいの茹で時間のそばとは、大きな違いである。
茹で加減で、麺の硬さ、塩加減などもかなり調整出来そうだ。
切り口を乾燥すれば、くっつかないそばとの違いも分かった。

またまた理想のうどんには程遠いが、
いつでも美味しいと、言ってもらえるうどんは打てそうだ。
 
2017.7.30   Mamoru Muto
 
 
 
484
 
夏休み ─ 気分は雨模様 ─
 
 
少し暇が出来た。
何時も違ったことをしよう、と思っていたら、
カードケース、図書館で借りた本、キセルやらが入った
手提げがなくなった。
山の中、電話をかけに、電波のいい場所まで戻った、
ほんの十分二十分の間に。
そして次の日にはは、些細なことで違反切符を切られた。

開放的な気分は一気に冷め、鬱状態。
ダラダラ何も手付かず、日々を送る羽目。

自分に喝を!と何時もの方法で元気は出てきたが、
折角の夏休みなんだから、
何時も違う気持ちの持ち方したかったのに。

今年は夏らしくなく、よく雨が降る。
 
2017.8.15   Mamoru Muto
 
 
 
485
 
やませ、それは宮沢賢治の世界
 
 
空梅雨と思っていたら、八月に入り今度は冷夏。
そのせいではないが、僕の精神状態もあまり良くない。
夏なのに毎日雨が降る、そして寒い東北からの風、いわゆるやませ。
何やら宮沢賢治の世界を思い出さずにはいられない。

三十代で死んだから、晩年と言っても三十代。
童話作家として有名になったのは、死んでからで、
当時は地元でも一風変わった東京帰りのインテリ。
彼が晩年一番取り組んでいたのは、農民に冷害対策の指導をすることでした。
農業の専門家でもない彼だか、本を読むことができたので、
農業関係の本読み漁り、彼なりの耕作方法を見つけたのです。
「肥料経営」と名付けたその方法は、強い稲を育てるため、
一年間の肥料を施す計画を立てること。勘の頼らない育成方です。

初めは見向きもしなかった人々も、
彼の方法の確かさが一つ二つと証明されるに従い、
自分の耕作田の肥料計画作成に彼の元に殺到するようになります。

彼の死を一番を一番悲しんだのは、農民達。
農民に慕われる姿を見て、この変わった青年を心配しながら見守っていた父親も、
彼を認め、病床で「初めて父親に褒められた。」と喜んだと伝記は記しています。
 
2017.8.17   Mamoru Muto
 
 
 
486
 
ワクワク、ドキドキ
 
 
歳を重ねるに従い、ワクワク、ドキドキする事が少なくなる。
それは仕方ない。経験が感動を弱めさせている原因だから。

北斎が引っ越しを重ねたのも、感動こそが作家の命。
ワクワク、ドキドキする心を一番大切にしたからです。
それを生涯貫けるのは、凡庸な芸術家の出来る事ではありません。

新鮮な空気が細胞を活性化するように、
不思議さを感じる、ワクワク、ドキドキの心の高ぶりこそが、
心を若返らせる事ができるのです。

子供は毎日が、そして世界が不思議さで満ち溢れていました。
探せばまだまだ、世界は不思議だらけのはずです。
偉大なる子供のままで居続ける、努力をしましょう
 
2017.8.26   Mamoru Muto
 
 
 
487
 
友    達
 
 
人は他人から必要とされて、
生き生きと生きて行ける。
友達があれこれ相談してくるのは、
ありがたいことです。

時には、便利屋どころか、
ゴミ屋と勘違いしている人もいるが。

まぁまぁ、いいじゃない、
細かいことは気にしない。
気にしない。
 
2017.8.29   Mamoru Muto
 
 
 
488
 
一 日 一 会
 
 
時間は止まることを知らず
過去から未来へと進み続ける。

季節は巡り、美しい花は枯れ
新たな花が咲き乱れる。

また、人のの世も、流転し続け
栄華盛衰を繰り返す。

変化を楽しみましょう。
季節の変化にせよ、人々の変わり様にせよ
新たな出会いに、心をときめかしましょう。
 
2017.8.31   Mamoru Muto
 
 
 
489
 
 
 
僕の心には風が吹いている。
久しくその風を感じる事はなかったが、
今日は風を思い出し、感じている。

風が吹く理由は分からない、うまく説明は出来ない。
思い当たる事は二、三あるが。
思春期に感じた失望、あるは絶望。
心の中に空いた空洞、そこに風が吹く。
恐らくこの世では解消、出来ないものかも知れない。

そして、その満たされないものを埋めるため、
様々なことをやって来た。
その風に抗して立つ事が、
僕を逞しくし、僕を高めて来た事は確かだ。

だから、僕は幸せものなのかもしれない。
そう考えると、涙が滲むのだから。
 
2017.9.17   Mamoru Muto
 
 
 
490
 
台 風 一 過
 
 
雨が一日中降り続け、家に閉じ込められた。
何やらシックな気分になり、ふと昔を振り返る。
時にはこれも良い。

一夜明け、今日は朝から眩しい光に満ち溢れた。
台風が運んだ暖気に、夏が戻ってきた。
でも、嵐がここ世の不浄を洗い流し、
青い空に白い雲が、青年のように大きく浮かんでいた。
 
2017.9.19   Mamoru Muto
 
 
 
491
 
「何もしない贅沢」の日
 
 
昨日は肉体的疲れが取れず、やらなければならないことだけした。
今日は午前中は寝たり起きたり。このままだと体調まで崩してしまう。

午後、外にでた。
田園地帯をプラプラとドライブ。

そうだ、コスモスの写真を収めないと。
コスモスの草原を撮りたかったのだが、
そんな草原はない。茶畑の外れのコスモスで妥協。

今日は仲秋の名月!何かしたいが、
面倒臭い、夜になったら考えよう。

帰り道、種無し柿を買った。

何も集中できないのだから、
今日は「何も出来ない贅沢」の日
 
2017.2017.10.4   Mamoru Muto
 
 巷では選挙とかどろどろした話ばかり、更にミサイルとか核兵器とか危なっかしい。しばし浮き世は忘れ、秋の風や花と戯れてみましょう。そこにはピュアーな自分がいます。<
 
 
 
492
 
シ ン プ ル
 
 
かぼちゃを無人野菜売り場で買ってきた。
二つに割り、タネを出し、電子レンジで加熱。

塩だけでも美味しい。
マーガリンを付けたら更に美味しい。
素材そのもの、シンプルな料理が一番大切。

そして、なんにでもそう。
 
2017.10.4   Mamoru Muto
 
 
 
493
 
秋霖 今を楽しむこと
 
 
今日を精一杯楽しみましょう。
今日は夕方から仕事、
少し早く出て、どこかのコーヒーショップで、
窓辺に座り、急に深まった秋の人々の装いなど眺めましょうか。

雨は人を慈しみの心に導く。
家族や友達との触れ合いを確かめる時。
遠くの知人に想いを馳せることもまた良い。

幸せは遠くにあるものではなく、
今ここにあることが、幸せはの証拠。
季節の花を楽しむことを、ちっぽけななんて軽んじてはいけないよ。

コスモスの花は、宇宙という意味。
小さいが大宇宙の一つの象徴なのですよ。
その美しさは生きとし生きるものの美しさ。

さあ、秋雨の今日、精一杯、今を楽しみましょう。
 
2017.10.13   Mamoru Muto
 
 
 
494
 
お風呂 氷雨
 
 
10月半ばというのに、秋雨前線とは一ヶ月遅い。
先週まで夏の暑さが、冷え込むまで気温は急降下。
昨日からは、シトシト雨が降っている。
もう秋を通り越し、師走の頃、寒い!

こうなると、お風呂が楽しい時間となる。
朝帰りの徹夜仕事、目覚めた午後、お風呂を準備した。
初めは40〜1℃のぬるめが良い。
極楽!極楽!

身体が慣れたら、一、二度と温度をあげる。
ポカポカと少し汗ばんできた。

外は氷雨、早すぎる師走模様。
仕事疲れを取り、心の疲れも取る至福のひと時。
 
2017.10.16   Mamoru Muto
 
 
 
495
 
選挙、愚の展覧会
 
 
政治は感情、低級な論理が乱れ飛ぶ。
アホな国民と面白さだけ追求するマスコミと、
無能な政治家たちの、臭い芝居。

何が本当に大切なのか、何がこれからの社会に
必要か、自分の心に問いもせず、右往左往する。

選挙には行ったが、批評すほどの価値もない、
臭い芝居。
 
2017.10.17   Mamoru Muto
 
 希望の党バッシングがマスコミを踊っています。当たり前のことでしょう。即席の党に出来ることは限れています。
 野党が混乱するのを見越しての選挙です。必要のない選挙をやる、政権党の党利党略にマスコミは踊らされていんです。アホな村芝居はゴメンです。

 議員は政策を練るのが仕事、その仕事を中断する政権党こそ、最も間違った政治をしているのです。税金泥棒です。
 
 
 
496
 
色気、ムンムン
 
 
色んなこと経験してしてしまったので、
大抵のことでは潰れない。
でも、やれて居ない事は沢山あります。

何でも興味の湧くものには、手を出しましょう。
新たに何が出来るか、考えましょう。
欲望ギラギラ、色気ムンムン!

人生はどこまでいっても、先は闇。
予想外の壁や谷が待ち構えている。
でも必ず乗り越える方法はある。
培ってきた知恵を使い、乗り越えた時、
新たな地平が見えてくる。

恋をしないといけない。
恋は出会い、新たなものへの冒険。
期待と不安で心が乱れる事。
それは心をリフレッシュさせる事。

これからも、
青年のように、あるは少年のように。
 
2017.10.24   Mamoru Muto
 
 
 
497
 
1 2 月
 
 
今年の12月は暇そうだ。
仕事も疎らになった。無理して入れていない。
恒例の年越しそばも、手間のかかることはやめた。
大晦日は何年振りかの予定のない日になった。

意識を沈めましょうか。
マイナーな自分に会いにゆきましょうか。

人は自らの心の傷を、夢や希望に変えて生きている。
闇の深さや質が、日々の行動を規定している。

しかし時として、己の闇を誤解していたりする。
それは仕方ない、当時は逃れるのに精一杯だったのだから。

12月はそんな時期、心のメンテランスの時期。
 
2017.12.4   Mamoru Muto
 
 
 
498
 
落ち葉の布団
 
 
僕の小さな庭のレモングラスが寒そうにしています。
南の国の雪など絶対に降らない国の植物です。
ことママだと日本の寒さに枯れてしまいます。

そこで布団をかけてやることにした。
山に行き紅葉の木下にはたくさん落ち葉が積もっています。
さぞかし今年も綺麗な紅葉となったことでしょう。
それを竹箒で集め、大きな袋にいっぱい詰め込んで帰りました。

レモングラスの周りにモミジの枯葉をいっぱい置きました。
でもまだたくさん余っています。
隣のラベンダーにも、
ニラも越冬できるかもしれないのでニラにも、
三つ葉にも、唐辛子にも、落ち葉の布団をかけてあげました。

さあ皆さん、落ち葉の布団の中でぐっすりおやすみなさい。
春になったら、布団はあなた達の元気を支える肥料になります。
 
2017.12.4   Mamoru Muto
 
 
 
499
 
青  春
 
 
青春とは、苦しいことばかり。
疑問に感じなければ良いのだが、
些細なことか気になり、
それを詰めたれば、
もはや僕の手には負えない大問題となる。

人は何故食べるのか。
なんの価値もない自分が。
と、自分の存在感の薄さに、
腹立ち、苦しさが全身を覆う。

あらゆるものが、
バラの棘となって僕の肌に傷を負わせてさっゆく。
しかし、防御が出来ない僕。
防御システム自体にまで疑問を持ってしまった私。

もはや突き進む他なかった。
身体が壊れるまで、
悲鳴をあげ、耐えきれなくなるまで。

そしてやっと、小さく「ノー」と叫んだ。
 
2017.12.7   Mamoru Muto
 
 
 
500
 
ほどほどの重さを背負って
 
 
トラックは荷物を積んで初めて安定します。
軽くも行けないし、重すぎても行けません。

人もそうです。
社会は多くの問題を孕んでいます。
その小さな一つでも、別の問題と絡み合い、
ゆくゆくは底なしの重さにになっています。

楽しく、健康的とかいうものは、
物事のある側面だけを言った言葉です。
見えぬ十字架を背負ったが故に、
安定走行している姿です。

夢や希望も同じですね。
程よい十字架、程良い重さが必要です。
 
2017.12.7   Mamoru Muto
 
 
 
501
 
ファわわわ
 
 
休みが一週間続いてやっと、
ファわわわの気分になった。
もう二、三日、予定がないから、
このままで行けそうだ。

先週は思い付きもあるのだが、
途中から力でマイナーな自分に
戻ろうとしたりしていた。
心も体もあまり欲していない見たい。
なら無理はやめよう。

このままファわわわで過ごせるなら、
またそれも良いことだ。
 
2017.12.11   Mamoru Muto
 
 
 
502
 
パ ニ ッ ク
 
 
突然パソコンが起動しない。
起動ソフトがキズついたらしい。
こんな事故の為の操作を怠っていたことや、
基本ソフトのCDが見つからない。
一晩中、やれることはやったが、復活しない。

翌日、諦めることにした。
中古の今までよりは少し新しいパソコンを買った。
バツグツアップは取って置いたが、
最近のは記録していない。
七、八割できていた、乱蘭通信も全て作り直しである。
完全に以前の状態に戻すのに半月かかるか、
一ヶ月かかるか。

スマートホンやパソコンが壊れると、
生活の基本が壊れてしまう。
カードの暗証番号や友達、知人への連絡も覚束なくなる。

くわばらくわばらである。
修復は疲れる。
今年の12月はゆっくり過ごそうと思っていたのに、
減らそうと思っていたタバコの量が、また増えた。
 
2017.12.15   Mamoru Muto
 
 
 
503
 
乱蘭通信 それは、日記であり手紙。
 
 
高校生の頃から、日記を書いていた。
そして、よく姉や友達に手紙を出していた。

面とも向かうと、相手に合わせてしまい、自分を上手く表せなかったからです。
内向きの性格は、外にははにかみだったり、聞き手にの役割に回ってしまった。
世間に流されないため、日記をつけ始めたのです。そしてそんな僕を分かってくれそうな人に、手紙を書いていたのです。

日記は僕にとり心の財産、宝物でした。
大学を辞めるべきか否かと、また、
水俣病の支援運動辞めるべき否かと迷った時、
心の財産は大きな冒険を阻む力となって立ちはだかった。
そしてある時、十数冊の日記帳を捨てる決意をした。

でも、その頃新たな日記帳は増え続けた。

40歳を前にして、認識の変更に迫られた。胃を切り、歯が抜け始め、僕のうちにある病的なサイクルの是正に迫られた。
そこで始めたのが乱蘭通信です。
日記とほんの数人の友人のみの行為を、不特定多数に晒すことにより、歪みを是正しようと思ったのです。

精神的ストレスは、自分の認識と周囲の認識のズレの中で起こります。
日記という小宇宙と世間様のズレが、精神的から最終的には、肉体的な重荷となって、身体を破壊するのです。

ほんの数回と思い始めた新聞が、三年続き、溜まっていたのもが、大方吐き出され、もう辞めようかと思ったら。
でも新たに僕の新聞を楽しみにしている人も出て来たので、辞めずに続け、今日に至った訳です。

              運転免許更新、府中試験にて
 
2017.12.22   Mamoru Muto
 
 
 
504
 
 
 
お金が欲しいですね。
一億、十億、百億円あっても多過ぎる事はない。

贅沢とは程遠い人生ですから、
豪華客船に乗り、高級リゾート地で優雅に過ごしてみたい。
そのまま戻れなくなるかも知れません。

さて、どうでしょうか、心の底から楽しめるでしょうか、
やってみなければわかららないことですが。

恐らく、今の気持ちでは、
今までやってきたことのの延長上にあること、
人を喜ばせん仕事に使うのではないでしょうか。

お金がなくて困っている人は、国内でもたくさんいます。
しかし、同じお金でも、外国に出れば、十倍にも百倍にも、
笑顔の人を作ることが出来ます。

特に子供達の笑顔、
そんなプロジェクトのために使うんじゃないでしょうか。
学校を作り、井戸を掘り、生活環境を整える事に使ったら、
百億だって、足りません。
心の贅沢、お金に換算されない贅沢のために使うことです。

 
クリスマスイブそして母の命日
2017.12.24 Mamoru Muto
 
 
 
505
 
倦怠
 
 
何でも飽きがくる、これが一番恐れてきたこと。
不感症になり、細かいことが気付かなくなる。
それ故に冒険と称して、やる事を色々変えてきた。

無器用だから、守るものは守って、
一部だけを変えて行くような方法は出来なかった。

かってはワクワク、ドキドキのイベントも、
何やら日常の一部となり、感動は減少し続ける。
冬枯れの季節が、よりそう思わせているのかも知れない。

また、新たな冒険が必要なのかも知れない。
さりとて、今すぐ動きを始める事は持ち合わせていない。
ならば、
何でも拒否せず、少しでも興味を感じたら出向いて確かめよう。
そこに、素敵な出会いが待っているかも知れないから。
 
2017.12.24   Mamoru Muto
 
 
 
506
 
無駄な時間は無い
丁寧に、夢を持ち、前向きに
 
 
新たな年を迎えます。
無駄な時間というのは無いかのかも知れません。
目的があり、ある価値で提示するば、
それに関連しないものは無駄と切り捨てられます。
価値は無数の無限にあるわけで、
それが見えない故に無駄と思うわけです。

だから人生は無限です。
丁寧に生きれば、まだ見ぬ価値を発見したりします。
そこに新たな夢が広がったりすることも可能です。

新たな年も前向きに行きましょう。
貪欲である事が、大切です。
限定しない、決め込まないことが大切です。
 
2017.12.29   Mamoru Muto
 
 

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──── 詩25・2018 (507~)────
 
 
 
507
 
1 月
 
 
凍てつく風と、幼い太陽。
晴れ渡った硬い空。

何故かこの季節が好きだ。
産ぶ声を上げる前の、
硬い殻に守れらければ、
壊れてしまいそうな、
少年の純な魂を感じるからです。

私はどこから来て、どこへ行く。

幾ばくかの人生で、それなりの答えは出して来た。
それは数多ある答えの、ほんの一部でしかない。
新たな答えを探すこと。
探し続けることが、生きること。

季節は一年のうち最も寒い時期を迎え、
己を純な少年の時まで戻し、
新たな答えを探しにでかる、
心の準備をしなくてはいけない。
 
2018.1.10 Mamoru Muto
 
 
 
508
 
お風呂は、ささやかな至福の時。
 
 
 お風呂は寒い時期、家で出来るささやかな贅沢。 冷えた身体を温め、冬を忘れさせてくれる。

 しかし、この至福の時間が、昨年の11月半ばから、不満の残る時間になってしまい、二ヶ月完全復活出来なかった。

 給湯器のリモコンに虫が巣を作り、作動不調に突然陥った。業者が来て、リモコンを外し、熱湯がでるから、水を足し自分で調整。と帰って言ったが、熱湯にならない。
 インターネットでリモコンを見つけた。いちいち大家を通すのは面倒。自分で取り付ける事した。しかし今度は、配達業者が紛失、届くのが遅れた。 そして、昨日やった設置し、完全復活させた。

 僕はぬるめのお風呂ごすきです。上がる直前に、熱湯を入れ熱くして上がると、ポカポカが長続きする。その上がる直前の熱めが、出来なかったので不満の原因だったのです。

 欲を言えば、今の風呂は置いた気が出来ないので、特製の薬草湯が一回きりでもったいない。電気ヒーターでも探してこようか。

 少なくても、冬場のささやかな至福の時は、復活させた。
 人は、ささやかでも安らぎなしでは戦えぬ。
 
2018.1.21 Mamoru Muto
 
 
 
509
 
寒  波
 
 
 大寒も半ばにいたり、この冬最大の寒波がやって来た。 マスコミは、「四十年ぶりの大寒波!」と騒ぎ立てる。
 郊外の福生でも、マイナス5℃。以前住んでいた山梨なら、普通の冬の寒さ。生まれ育った会津なら、尚更穏やかな冬の日といえそうな寒さ。

 しかし、東京の生活が十年以上。東京の寒さに慣れた体には、節々が痛み出し、日々の行動さえ、億劫させる寒さなのです。

 今週月曜日、午後から降り出した雪は、吹雪となり、恐らく大丈夫だろうとたかをくぐり、ゆっくり帰宅したら、立川から先の電車が止まってしまった。
 西武線なら拝島まで行けるとの情報、国分寺に戻り、西武線に乗り換えた。確かに動いてはいるが、駅ごとに30分停車する、超鈍行運転。拝島に着いたのは、11時、有明から五時間もかかってしまった。

 仕方ない仕方ない。年に一二度、こんな日があるのは仕方ない。この寒さに慣れたので、もうこれからは、ほんのちょっと春めくだけで、いっぱい春を感じることができる。

2018.1.27 Mamoru Muto
 
 迂回に回った西武線高野台駅前の雪の町並み。長く停車しすぎるので、たばこを吸いに駅の外に出たら、急に電車が出発し、さらに次の電車まで三十分以上待たされた。
 
 
 
510
 
中国病 「中国夢」
 
 
 オリンピックの成功とリーマンショックは、中国の指導層に大きな自信を与えた。それは忘れていた事、「自らが世界の中心である。」ということを思い出させた。

 超大国アメリカの前代未聞の金融危機から、中国がいち早く脱出し、世界の国々の支援に回る事が出来たという自信は、かっての「中華帝国」の再現と誤解するのに十分であった。

 中華思想は世界観である。中心に何事にも優れた国、天子が治める国があり、周りの遅れた国々に徳を与え、教化し支配する。神から与えられた国であり、この世に同等の国は存在しない。

 かって、この考えに取り憑かれ、ヨーロッパ文明とはなんたるかを理解する事が出来なかった。アヘン戦争で大敗したのに、イギリスを始めヨーロッパ諸国を見下し続け、東洋の蛮族日本に負けて始めて、改革の必要を悟った。


 中華帝国の夢を見始めた中国は、少々の事では夢から覚めない。そこに国と国が対等という概念は存在しない。自分以外のあらゆる国が蛮族であり、教化、支配すべき国なのだ。

 世界帝国、中国の再稼働である。夢から覚める為には、戦争に匹敵するような、大破綻がなければ、容易に覚めない。

2018.2.3 Mamoru Muto
 
 
 
511
 
漢 字 ─中国と日本の対比─
 
 
 中国文明の最大の発明品は漢字でしょう。殷の時代の占いの模様から、漢字は生まれた。漢字の最大の特徴は、意味文字としの性格です。

 文字には、意味と音を表す機能の二面性がある。多民族国家の中国では、意味言葉の側面が大きな役割を果たした。
 話し言葉は各民族で皆違う。特定のの意味に同じ漢字を当てれば、発音は違っても、意味は通じる。この意味性により、民族間の意思疎通が可能となり、巨大国家を築きあげる事ができた。

 そして漢字は、初期の信仰に直結した言葉から、巨大国家を如何にとうちしてゆくか、その論理を記述す事に、最大の関心が払われる事になる。

 日本語は漢字を韻と音に分けて、二重に使い分けた。
 音は中国語の発音そのまま真似、意味も中国語の意味に類似する意味となる。韻は漢字の意味と類似する大和言葉を重視し、漢字の発音を大和言葉に変えてしまった。その使い分けにより、圧倒的な論理展開する中国文化から、日本文化の独自性を守る事に成功した。

 大和言葉は信仰を母体に発達した、話し言葉である。漢字から平仮名、片仮名を発明し、信仰、すなわち、人の心のありようを表現、記述する文化を花開かせる事になる。

2018.2.3 Mamoru Muto
 
 
 
512
 
儒   教
 
 
 高校が藩校の流れをくむ高校に入学したこともあり、事あるごとに儒教的なものが出て来た。当時、それらの教えには違和感を感じていた。それは今でも変わらない。
 朱子学の教えの一つに「弟子は師を超えてはならい」という一句あるらしい。それで分かった、朝鮮王朝が長期の低迷した事も、古代こそ輝かしい文化を創造したにもかかわらず、その後新たなものはあまり作り出さなかった、中華文明も。
 儒教にも革命の思想はある。易姓革命である。しかしこれはトップを据え帰る事でしかない。旧態依然とした国家の体質は残る。
 なぜ儒教が悪いのか?問題はあるが社会が安定して良いではないか。という意見もある。しかし、儒教は農業を基本とした、変化の少ない社会の政治哲学だかです。近代とは、庶民の創意工夫の社会、それにより変化し続ける社会だから、儒教のように固定的対応していたのでは、間に合わないからです。
 年寄りの判断に頼っていたら、何もかにも滞りなってしまうのからです。自分で情報を集め、自分で判断しなければならないのが、現代の社会だかです。

2018.2.8 Mamoru Muto
 
 様々な学問が並立して、儒教はその一つに過ぎなかった日本でさえ、明治以降本格的な脱儒教が行われ今日に至っていますが、年功序列だったり、男尊女卑だったり、と未だに残っています。社会の体質変化には長い時間が必要です。
 かって朱子学オンリーだった朝鮮半島や本家の中国は陰に陽にその影響は根深く、今日の社会を支配し続けています。先進国の真似はすぐできます。未来につながる普遍的な価値を創造したとき初めて世界から尊敬されるのです。
 
 
 
513
 
準   備
 
 
 楽しみは、それを待っている時期の方が、ドーパミンが多く分泌され、幸福感を味合う。」との脳医学者の意見です。
 イベントを企画し、あれやこれやと準備している時が一番楽しいものです。
 実際のイベントでは、美味しかった。楽しかった。という返事が一言帰って来れば、それまでの苦労は報われます。でも、その時には八割の楽しみは、済んでいます。

 お花見は、今年はいつ咲くだろうか。何処に花見に行こうか。と満開の花を想像して、予定を立てている時が一番幸せな時間です。
 ただ、見頃の季節になり、予定にない見所を不意に発見した時は、これは発見の楽しみで、特別です。そんな時は、さぞ沢山のドーパミンがでていることでしょう。

 今は2月、まだまだ桜の季節には早いが、雪が雨に変わり、雨降るたびに暖かくなり、じれったいが楽しい時間です。

2018.2.10 Mamoru Muto
 
 
 
514
 
この世はワンダーランド、幸せの国
 
 
 日本の古い宗教では、我々も含めてこの世のあらゆるものに、命があり魂を持ちます。動物も植物も、土や石ころも、山や川も、風や空も、人間の作った様々なものも、命があり、魂が宿っているのです。更に、外来の宗教の様に、根っからの悪人はいないのです。善悪は、人間の関わりの良し悪しにより決まるのです。

 人間がものの本質を忘れ、乱暴な扱いをすれば、妖怪となり、荒神となり人間に危害を及ぼすのです。また逆に、上手な付き合い方をすれば、限りない幸をもたらしてくれる存在でもあるのです。



 この世は努力次第で変わる、喜びに溢れた、ワンダーランド!
小さな幸を大きくし、嫌われものも、新しい素晴らしいものに変えることが出来る。

 時は春!
花々が咲き乱れ、虫たちが蠢きだす時期!
新しい楽しみを探し、今までになかった幸を作り出しましょう。
 この世はワンダーランド!
幸せに満ち溢れた世界にすることも、平版な日々も地獄も、全て貴方次第!

2018.2.15 Mamoru Muto
 
 
 
515
 
春嵐 しゅんらん
 
 
春は嵐と共にやって来る。
寒さに固まってしまった諸々のものを、
優しくではなく乱暴に目を覚まさせる。
雨と終日ふき吹き続ける強い南風。
木々は大きく揺れ、街の看板は傾き、
時には砂埃を天高く舞い上げる。
「目を覚ませ!起きろ!」
眠りの布団を奪い去る。

何やらまだ優しさを表現できない、
粗野な青年ように。

2018.3.1 Mamoru Muto
 
 
 
516
 
時間 時の流れに身を任せ
 
 
毎日毎日は特別な時間。
今過ぎようとしている一瞬一瞬は、再び戻る事はない。
昨日会ったいつもの貴女は、今日は同じ貴女ではない。

マンネリとぼやく前に、みんな自分に責任がある事に気付くべきなんです。
貴方の感覚器官が、刻々と変化し続けることを察知できていないからです。
貴方の記憶が頑強に、以前と同じと主張し続けているからです。

  時間とは、
  変化している故に、時間が生まれるのです。
  様々な変化を感じ取ったが故に、様々なことの間に、
  時間の経緯を認識するのです。

だから、
その変化を楽しみましょう。
イヤイヤ受け入れのではなく。

変化は自分も変わるということ、 自分の変化を拒否する何物かが、 イヤイヤな気分を引き起こしているからです。

時間いう変化を楽しめれば、自ずと外の変化とうちの変化が調合し、より有意義なものとなります。
そして、「時の流れに身を任せ」ですね。

2018.3.13 Mamoru Muto
 
 
 
517
 
春 は 散 漫
 
 
先週まで忙しかった。
仕事に追いまくられ、少しバテ気味!
今週から暇になった。

暖かくなり、今までの疲れが出てきたか。
しなければならない事務的な事を済ませながら、
1日2日と過ぎたが、どうもおかしい。
力が出て来ない。気持ちが落ち着かない。

そう僕のヨットは凪に入ってしまった。
風が吹かないから、ただ波揺られ、漂うだけ。

季節の変わり目、仕事の変わり目に生まれた無気力。
結構しつこい、二日経ち、三日四日経っても治らない。
なかなかきつい。

春散漫!
風吹かなければ、舟は進めない!

2018.3.20 Mamoru Muto
 
 
 
518
 
誠実について
 
 
何事も誠実である事。
もっとも大切な事です。

しかし、現実は、生きると言うことは、
誠実と正反対の態度なしには成立しません。

人を信じず、常に疑いの目を持ち、
鎧を二重三重にしなければ生きて行けません。

しかし、人や物事を疑うだけではも生きて行けません。
そこで妥協として、疑いつつ出来るだけ誠実である事。
そんな絶妙なバランスが必要となります。

誠実も疑うも疲れますので、
その絶妙のバランスの取り方を楽しもうではありませんか。
これぞ、生きる知恵です。

2018.4.1 Mamoru Muto
 
 
 
519
 
春 の 雨
 
 
僕は雨は好きだ。
特に春の雨は良い。
しっとりと浮つく気持ちを静め、
より深く春を楽しむことができる。

しかし、今年はダメ。
友を失い、心が泣いている。
沈んでいる心は、更に沈み、
感じる力も失い、重く無感覚になる。

もう暫く、僕の周りだけでも、
花見の馬鹿騒ぎ、馬鹿陽気が続いて欲しい。

2018.4.17 Mamoru Muto
 
 
 
520
 
ハ ー ド ル
 
 
何か始める時は、ハードルは出来るだけ低く、
無理は禁物です。
物事が続くか、三日坊主で終わるかの境目は、
楽しみを見つけられるかどうかです。

人は快楽原理で動いているのです。
猫や犬と同じです。
やることが楽しいなら、物事は続きます。
楽しくなければ、苦痛ばかり感じます。
自分合うか合わないは、
楽しいかそうでないかで判断できます。

頭で考えて、動こうとせず、
こうであるべき、ああであるのが良いと、
考えるだけなのが、一番よくありません。
体で考え、体で感じること。が一番大切です。

楽しみを見つけ、続けば、欲が出ます。
より良くしたい、良いものにしたいと思います。
いずれ物事は自然と洗練され、
始めとは比較にならないものに変質するのです。

2018.4.20 Mamoru Muto
 
 
 
521
 
「新しいこと」をと望み過ぎずに
 
 
何か新しいこと始めたいのだが、なかなか見つからない。

五月の連休が過ぎ、何時もの日常が淡々と過ぎて行く。
無理なく、いい感じです回っていて、悪くはない。
休みの日は、疲れが残り、何かしようという意欲が出てこない。
不満は新鮮味がない事。

倦怠。 忙しい時は、いい事も悪い事も重なってやってくる。
そんな時期に一つの区切りが付くと、今度は全くの無風となる。
脱力した体も心も、なかなか 戻らず、時間だけが無益に過ぎて行く。

自然の流れにみをまかせましょうか。
新たなことをと望み過ぎずに。

2018.5.18 Mamoru Muto
 
 
 
522
 
五月の朝
 
 
朝の太陽が、「起きなさい!」と、
この世にある全てのものに、
光を差し向け始めました。

ひんやりとしかもカラッとした初夏の空気。
公園のパンジーも色とりどりの可愛い花弁で化粧し、
ニコニコと微笑んでいます。
滑り台やブランコもグッスリと休んで、
いま、目を覚ましました。

今日は日曜日、もうしばらくしたら、
早起きの年長の子供達から、
次はお母さんやお父さんに連れられた
小さな子供達がやってきて、
子供達の歓声が響き渡るでしょう。

2018.5.20 Mamoru Muto
 
 
 
523
 
直  感
 
 
人は論理では生きていない。
あらゆる場面で直感により、状況を判断して行動している。
危険かそうではないか、動物的感覚を研ぎ澄ましている。

歩道は安全だと論理では認識はしてあるけど、自転車が走っいらば、警戒を怠らない。


これが高度に社会化された組織、国や会社やについても同様の事が言える。
高度に論理か、政治化された問題でも、第一印象は大切です。
人は「自分の常識」というか判断基準を持ち合わせています。日常生活中で身につけた認識基準です。
それとの対比で、高度なニュースも即座に正しいか嘘があるのか判断しています。


現在、情報化社会で様々な情報が飛び交っています。
その良し悪し、真実か虚偽を見極めるには、動物的な直感力を高める必要があります。
高度に論理化されたシステムの上を、真実とも、フェイクと分からない情報が氾濫しています。
それ故に、30億年積み重ねて来た、生物的感性を磨く必要が大切なのです。

2018.5.23 Mamoru Muto
 
 
 
524
 
一歩前へ
 
 
毎日、何か一歩前へ足を進めましょう。
出会いは感動です。
心のデーターバンクに、新たな光を与えます。

年は巡り、去年と同じ季節がやって来ます。
しかし同じ季節は決してありません。
自然は常に今までとは違った顔を見せます。
それを同じ季節と見過ごしているのは、
受け取る側の怠慢です。

人の世も同じです、常に変化しえいるのです。
身近な家族や友達関係も、変わり続けています。
それを取り巻く社会の様相も、
流転する大小の波に揺られて日々を過ごしています。

そして、何もかにもが変化し続けているという事で、
自分にとり良いもの悪いものとは別の事です。
悪い変化もあり良い事もありのです。
そこに何か、宝物を見出すのは、常に可能です。

こんな日々の変化を楽しみましょう。
そこに心を踊らせるものを見つけましょう。

2018.5.29 Mamoru Muto
 
 
 
525
 
慈 し み の 初 夏
 
 
今年、二人が満開の桜の下で逝った。
その喪失感が癒えた頃、今度は、五月の下旬、
姉のように慕っていた女ひと、病床で最後を迎えた。

いつもなら、友達の生意気な発言には、
一言二言嫌みな言葉で返すのだが、
柔らかい優しい言葉になっている事に気付く。

初夏の強い太陽は、僕の心とは別世界の物語ように、
明るく白昼夢の照明のように照らしている。

慈しみの初夏、そして優しい梅雨!
目に入るものが何か大切な宝物に見えてくる。
蛍や紫陽花を「いとあわれななり」と、
古来の表現が口に出して郎じてみた。

今は強い光、
そしてこれからは、雨、あめ、雨!
生きとし生きるものを、光り輝かせ、
優しく鎮めれば良い。

2018.6.3 Mamoru Muto
 
 
 
526
 
静かな時間
 
 
昨日は雨、梅雨の雨。
シトシト、雨の季節の始まりの雨。

心の鎧を脱いでしまったので、
物事がもろに突き刺さり、ドーン鈍い痛みが走る。
些細なことが、負のイメージを飾り立て、
悲劇のヒーローのように物語始める。
おいおい、それはハマり過ぎ、やめやめ!

この間の短い時間でも、様々なことがあった。
それを素直に受け止められれば良い。
そして、色々としなければならない明日がある。
それらをまとめられれば、良い。

雨をしみじみ味わうほどの余裕はない。
でも、身の回りで起こっていることは、
受け止めることはできる。

雨、あめ、雨! 梅雨の始まりの雨。

2018.6.12 Mamoru Muto
 
 
 
527
 
夏 コカコーラ
 
 
他の季節には飲みたいとは全く思わないのだが、
汗が噴き出す季節になると、時々欲しくなる。

あの甘さと、キヤルメラの味と、炭酸の泡。
これは夏の飲み物だ。

カロリーゼロというものが出たが、
これはまがい物ですね。
コカコーラの良さは、汗をかき、
失われたエネルギーを補給出来るからいいので、
カロリーゼロなら意味がない。

2018.7.19 Mamoru Muto
 
 
 
528
 
夏 虫になれ
 
 
夏になると虫たちは元気が良い。
変温動物の彼らに取り、35℃を超える日本の夏は、最高のパフォーマンスを披露できる最高の環境である。

我が家では毎日、虫とのバトルが毎日何回となく繰り広げられている。
流石にゴキブリは時々しか出てこないが、更に小さな虫が、台所を現れる。
台所には掃除機が常に用意してあり、スイッチを入れ吸い取る。
春の彼らの動きとは、格段の違いがある。
掃除機から流れたら、僕の平手打ちがあり、更に足を使った一撃も待ち構えている。

殺虫剤も使ったが、殺虫成分で台所が汚染される方が気になり、今は直接のバトルで仕留める方法にしている。

夏のすばしっこさと、次から次へと現れてくる生命力には感心するばかりである。
この力は学ぶべきである。

2018.7.19 Mamoru Muto
 
 
 
529
 
夏 おばあちゃん
 
 
遠い記憶の彼方に、おばあちゃんの姿が浮かび上がる。
他の家族が止めるのも聞かず、炎天下の庭で草むしりをする姿である。

夏は体の調子が良いからと、草むしりは夏の自分の天職と決め込んでいた。

暇な時は庭草むしりなどやっている。
おばあちゃんの言っていることがわかる年になって来た。
夏場の方が体の調子が良いのです。

おばあちゃんと同じく、血圧が低く、体の体質が似ているのでしょう。
寒さは何かと支障が色々出てくる。
すぐに手足が釣ったり、とか。

2018.7.20 Mamoru Muto
 
 
 
530
 
「七十歳までに体を鍛えておけ」
 
 
聖路加病院の院長で、105歳まで生きた日野原先生の言葉です。
元気であれば、八十歳でも九十歳でも仕事ややる事は沢山あるので、
その為の身体を鍛えなさい。
という事です。

僕も成る程とおもうので、無理はしないが、
身体に出る範囲で負荷を与えるようなどと、 努力しています。

社会通念はあくまでも参考資料ですね。
常識という事に囚われる必要は全くありません。
自分で自分の生き方、自分の世界を切り開くことしかありません。

未来は常に不確実!
新たな現実から逃げずに、それらとの間で花火をちらつかせる事。
それは新たな挑戦であり、そこから新たな感動が生まれるし、
生きるとはそういうことです。

2018.7.24 Mamoru Muto
 
 
 
531
 
何もしない日
 
 
今日起きたら身体が重い。
昨日もそうだった。
仕事があったので仕事行ったが。
今日は特別な用事は何もない。
ならいっそのこと「何もしない日」にしよう。

七月は良く動き回った。
仕事と用事と、やるべきことは大方こなした。
何もしないで、脳みそ空っぽにするのも大切。

台風が近づいていて、昨日から今日に温度が下がった。
梅雨明け以降一ヶ月、猛暑の中を動き回って来た。
疲れが溜まってしまったのだろう。

自然に手足が動き出すまで、
何もしない方が良い。

2018.7.27 Mamoru Muto
 
 
 
532
 
不思議 魔物
 
 
今日、カードでお金を引き出そうと思ったら、
カードない。どこを探しても出てこない。
最後に使ったのが昨日、養老渓谷に行く前である。
そして、去年も養老渓谷でカード二枚を無くした。
昨日は去年のことを思い出して、
カード管理には気をつけていたはずなのだが。

不思議だ、あの渓谷には魔物が住んでいるのか?
僕の注意を狂わす魔物が。

2018.8.1 Mamoru Muto
 
 
 
533
 
帰 省
 
 
三年ぶりにお盆に田舎に帰った。

山々も川も野も、
町の家並みも、村々の佇まいも、
実家も、そこに住む人々も、
水も空気も、木々や草花も
何にも変わっていない。

あった!変わったものが、
庭の木が大きくなっている。
でも、変わったのは、それだけ。

田舎はそれでいい。
僕は変わらぬ事を見に来たのだから。

2018.8.15 Mamoru Muto



 実家に帰り、夜中眠れないままに、縁側から外の風景を眺めていました。隣の国道を走る車もまばらで、時々強い光をこちらに投げかけて来ます。
 この夜の風景こそ、僕の高校時代の思春期の風景なのです。
 それで、こんな詩ができました。
 

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