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           春・・・若葉

 

       桜が散り、葉桜となり、山々の樹々に緑が戻ってきた。

       空気は何時でもあるのに

       やっと空気を思う存分吸えるようになった。

       と、そんな気持ちになるのは不思議だ。

 

       さんざめく光と若葉の乱舞の始まり。

       私わたくしは車をくねくねとした山路やまみちに走せる。

       少年の淡い恋心のような若葉

       うぶだったころだけの記憶が蘇り、

       美しい光となって木ぬれ陽のなかに解て消える。 

 

       欅の梢の向うにタヌキの恋人達が連れだって歩き、

       子ギツネの道から薮の中に走る姿に車を止める。

       光の春と言われる頃から、緑との融合の始まるこの季節を、

       何と待ちわびてきたことか。

 

       ありがとう、約束とおり戻ってきてくれて。

       冬枯れの頃は、死の季節と絶望の記憶と重なり、

       空気さえも吸ってはいけない気がしていた。

 

       ビーナスの泡色に輝く樹々の緑。

       軟らかくしかも力強い陽の光。

       そして、そよぐ風。

 

       ありがとう、小さな戦士達。

       さあ、今までのよどんだ空気を奇麗にしておくれ。

       そして、私わたくしの内までをも。

4/22'96 Mamoru M.



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     雨の降る日はひとり家で

     ツゴィネルワイゼンのレコードををかけ

     コーヒーなどすすると

     ほろ苦い過去が蘇ってくる。

 

     虫食いだらけになってしまった茄の葉のような記憶が

     淡い映像となって時々とぎれそうになりながら続く。

 

     「なぜあんなに意地を張っていたのか」という言葉がふと現われ

     コマ取り写真となった女の姿が写っては消え、消えては現われる。

     

     あの女ひとは今はどうしているだろか、

     この雨音を聞いているのだろか。

 

     田圃の蛙の合唱が遠く近くに聞こえ

     バィオリンの旋律と合唱する。

 

     憂鬱、

     小説から抜け出した梶井基次郎が夜のもの乾し台から

     京都の裏通りをうつろに見下ろす。

     ああ、狂おしく不思議な色彩を放つ憂鬱。

 

     僕の病の記憶、

     熱い夏、苦い記憶の数々

     随分と遠くにいってしまった。

                 

       外は雨、今日も雨。

       雨足がまた強くなり、

       ザーとトタン屋根を叩く。

       蛙はますます狂い叫び、

       まるで三部合唱。

      

       雨、また雨

       窓の外は濃緑の緑また緑。

       庭の紫陽花は貴婦人のように

       稟と映え、すべてを見透かす。

1996/6



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      雨の日は思いでにふける。

     

      あじさいに霧のような雨が降り

      紫の花びらに、大きなしずく

      ひとつ、ふたつ。みっつ、よつ。

       

      思いでは みんな 淡い青色から紫色になり

      地面に沈む。

       

      白い鎌倉も、つつじの咲き乱れた駒沢公園も。

       

                        1996?


────────────────────────────

  何故「白い」と鎌倉を形容したのか思い出せない。水俣の支援運動をやっていた仲間と半年、鎌倉に住んでいたことがあります。夏は海の家状態で、みんな友達が遊びに来て、夜の材木座の海で泳ぎました。楽しい思い出なのです。また、大人の左翼といったらいいか、品のある人々に接することのできた時期でもありました。
  駒沢公園は都立大に席を置いていましたから、近くの看護学校の生徒とデートしたり、傍にあったケーキ屋さんのケーキに食べにいったり、自由が丘のジャズのライブに行ったりとか、ただの大学生としての楽しい記憶なのです。その後大学の外でを活動することが多くなりました。



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よく雲を見ていた。
雲は何時も友達だった。

ビルの谷間で言葉を失ってしまった時など
屋上に上がりゆったりと幾万に変化する雲を眺めて
何時間も過ごした。
傷ついた心は和らぎ
上手く行けばあてどない空想の中に入り込むことができた。
 
バラ色に輝く雲は幾つも見てきたことは確かなのに、
最初に思い出す雲は何時も困った時や悲しい時に見た雲が多いのは不思議だ。
 
小さい頃、不動明王の肩にのって雲海の中を飛ぶ夢を見たことがあった。
田舎の家が部落の小さな不動尊の前にあり、そのお不動さんの窟の上に上がり
雲を見てあてどない空想を楽しんでいた。
恐らくその連想からの夢だろう。

悲しみとコンプレックスの固りだった思春期も、雲を見て過ごした。
山の向うの空の世界にかならずぬけ出そうと心に決めて外の世界を夢見た。
まるで西洋の中世の人々がキリスト教世界の外を夢見たように。

雲はいい、何時見てもいい。
何時も優しく大きく包んでくれる。
ゴッホも雲を描く作家だったら、
きっと若死しなかっただろう。

僕は、悲しみや、思い悩んだ時の雲が、
一番、記憶の中に残って好きだ。

’96/6 Mamoru M.



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           タイフウ

 

     南の地方に台風がきているらしい。

     亜熱帯性の雲が激しく動き

     生暖かい風が木々の梢をかきむしる。

 

     チリチリリ、チチチッリリーン、チチ

     犯される女なの悲鳴のような鳴り声を上げる風鈴。

     ザッーと雨まで降り始めてきた。             

 

     不安

     湿った南風のもたらす

     この胸騒ぎといらだち。

     ずっと忘れていたこの臭い。

 

     台風はやくざな青春に似ている。

     荒れ狂う雨や風。

     時に見える青空はチリや塵を洗い流され

     異更に澄み通る。

 

     口は心と反対の言葉を話し、

     手足は勝手に暴力的に動いていた。

     僕の内にも吹いていたこの風の音と感触。

     ああ、なつかしい。

                   

     急に風が弱まり、雨も止んでしまった。

     黒雲の切れ間にぽっかり澄んだ青空が現れた。

 

     僕は山の向うの雲の切れ間の

     純な青空の向うに

     目をやった。

1996/10 



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            コスモス

 

    雨の季節が終わり、大陸からやってきた高気圧で、

    カラッと晴れた青空が続くようになった。

    あんなに生気に溢れていた山や野の緑はその活動を弱め、

    これから始まる燃ゆるフェナーレの準備を始めた。

    色付く柿や、大きな口をパックリ開けたイガ栗やアケビや

    どんぐりなどが木々をたわわにして、

    いやがおうでも豊かな気分にしてくれる。

 

    刈られた稲穂の株だけが残る田ん圃の、

    その土手や農家の庭先に赤、白や桃色の小さな群れを作って、

    コスモスが風に揺れている。

    ああ、なんて素敵な季節になったことだろか。

 

    そして、不思議にこの季節になると、

    雲ひとつない秋空の山の向こうから、

    ふと遠い昔の哀しい記憶が戻ってくる。

 

    高校生で死んだ二番目の姉は、

    いつも花を抱いた少女のもう黄ばんだ写真の姿で蘇る。

    コスモスだったとは僕の思い違いかもしれない、

    白い野菊だったかもしれない。

    でも、コスモスを抱いた黄ばんだ写真の少女ままで

    僕の心の奥に生き続けている。  

 

    僕の小学5年のけだるい冬の午後に起こった大事件。

    母はくるっように泣き、祖母は仏様と、神様に何度も何度も祈りをささげ、

    父はこの時から弱くなった。

    家族の陰画はそのまま僕の心の中の悪夢として何年も残った。

    おそらく今でも僕の感性を支配し続けている事件。

 

    哀しみは、誰でもある。と知ったのはそれからずっと後。

    そして、それに耐えるために人は植物達がするように

    光の方を向いているのだということを知ったのは、

    それからまたずっと後になってから。

 

    何と良い季節になったのだろか。

    秋の日だまりは、午後に入り見えるものすべてを金色に輝せ。

    コスモスは光りの海に揺れる海草のように揺らめく。

 

    むかし感じた数々の感情は、パターン化さたコンパクトな記憶となって、

    僕の内の色々な場所に小さな傷を付て、一巡りする。

    そして、穏やかな秋の日差しの中に解けて消える。

    まるで毎年のこの時期の儀式のように。  

1996



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        泪の色は虹の色

        せつなく流れた雨粒は

        ほどなく、

        風景を5色の輪郭で飾って          

        虹の世界に変えてくれる。

 

        幼い頃、泣き虫だった私は

        布団の透き間かから見える

        裸電球や、窓からこぼれる光りの

        5色の衣をまとった様々な変化に、

        除々に心を奪われ

        気付くと哀しみは消えてた。

 

        雨上りの木々がみずみずしく新鮮であように

        濡れた目からみる風景は

        5色の衣をまとい楽しく不思議だ。

 

        小な子供をみると思い出す。

        僕にもあっただろう初な心と初な泪

        そして、泪の遊びを。

1996/12



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    真っ赤な楓やいちょうの鮮やかな黄色の頃からはだいぶ過ぎ、

    山々は、だいだい色の部分と

    杉や檜の緑の部分にくきっきりと分かれた。

    霜の降った朝などは、

    黒々と鮮やかさを失った森と

    硬い青で染まった空とが、

    美しく嶺線を分けている。

 

    一つの季節がぷつんと終わりを告げ、

    小春日を飛ぶ蝶のように

    しばらくフアフアと過ごした。

    僕も少しは大人になったかもしれない。

 

    今日、風花が舞った。

    昨夜の嵐が上がっても空は完全に晴れず、

    鋼鉄の青空に黒雲が静かによどみ

    時々強くなる風は肌を刺すほどに寒い。

    季節は確実に冬へと向かっている。

 

    季節の変わり目はなにか事故や病気で

    やむなく考えを変えざるを得なかったのに、

    今回は自分から止めようと決められた。

    僕も少しは大人になったかもしれない。

 

    硬く冷々とした空気は、

    心地好くほほに当たる。

    美しかった青葉や花々は、

    数々の思い出を残し、地に戻る。

    冬が、また好きになった。

 

    陽はもっと短になって、

    そして、もっと寒くなって、

    雪も何度か降って、

    そして、それから別な季節が。

1996/12



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