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縄 文 人


かって、中国の黄土高原は森林地帯だった。
人々は森の恵みを受け、生活していた。
人口が増え、乾燥化が進むと、増えた人口を養うため農業を始めた。
農業は森を切り開き、農具を作り出すために木を伐採した。
いつしか、人々は森を忌み嫌う様になった。
そこには毒蛇や毒虫が住み、人間を怯えさせる場所だと。

一方東島国でも、人々が移り住み、森の恵みで生活していた。
人々は土器という鍋を開発し、煮るという調理方により
何倍も森の恵みを得る術見つけた。
海の民は丸木舟をうまく操り、北海道から沖縄まで、
そして日本海を渡り、大陸まで頻繁に出かけた。

大陸で暮らす所にもしばしば出かけ、
農業という、食べ物を得る方法も知った。
その地には、森はなかった。
人々は国という組織を作り、お互いいがみ合っていた。

そして考えた、
森が失われるねら、人と人が争わなければならないなら、
無理に農業はしなくても良いと。
2020.3.23 Mamoru Muto

 三内丸山遺跡で栗は栽培されていました。六千年前には焼畑農業をやっていました。大陸並べ、雨の多い日本列島は、20年もすれば、森は復活します。本格的な農業が遅れたのは、農業を知らなかった訳ではなく、そのマイナス面を知っていたからです。
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