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チ ッ ソ ─ 日本の食料の視点から ─ 


日本のお米に関する本を読んでいてなるほどなと思った。

弥生時代になって、誰でもがお米中心の農業に変わったというのは大間違い。まだみんなドングリを食べる事の方が圧倒的に多く、採集生活は長く残り続けていますし、日常は粟、ヒエ、キビ、そばなど雑穀を食べてきた訳で、お米は贅沢食の意味合いが強かったのです。

農業は江戸時代まで、連作障害との戦いなのです。水田は1/3〜1/2は休耕田で、地味が増すのを待たなければならなかったのです。肥料の作り方など技術開発は進むのですが、弥生時代から江戸時代まで、単位面積当たりの収量は、二倍から多く見ても三倍程度しか増加していないのです。それでは毎日お米は食べられなかったのです。人手による有機肥料だけしか作れませんでしたからね。

それを画期的に変えたのは化学肥料です。チッソという会社は明治時代出来るのですが、日本の農業を根本的変えたのです。誰でも毎日白いお米を食べられるようになるのは明治時代からです。銀シャリを食べる事は、文明開花、近代化の証だったのです。

それ故に、チッソ城下町としての市、県や国のチッソ擁護は強く、水俣病の発覚を遅らせ、被害を拡大させたのです。若い頃僕の関わった事件、まだ解決されていない事件の根深さが分かります。日本の近代化の問題が全て集約しているのです。

更に、手入れの届かない、患者さんのミカン山のミカンを、「無農薬ミカン」として売り出し評判になり、有機農法ブームのさきがけとなった。増産の出来ない有機農法から、増産可能な科学肥料と農薬による農法、安全性重視の有機農法に戻る。日本近代の不思議な因果です。
2019.10.18 Mamoru Muto

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