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男 尊 女 卑 


 天皇家の最高神はアマテラスで女神です。伊勢神宮はアマテラスに豊受の豊穣の女神のセットで機能しています。恐らく、最高神を男神にする事できたのでしょうが、女神の方が貴族より庶民に人気があり、国の安定のために女神を選択したのでしょう。その決定をしたのは、大海人皇子、天武天皇です。

 平安時代半ばまで、日本は婿取り婚が主流でした。男性中心の社会だった大陸の影響を強く受けたのは貴族階層でしたが、庶民の母系社会までは変えられなかったのです。

 その後武士の社会に移行する中で、新たに嫁取り婚の「家」が生まれ、それが時代と共に主流になって行きます。しかし、主婦の力は衰えず、家の財政権は武士の世の中でも握り続けていたのです。

 男尊女卑の男性上位の社会が生まれるのは、江戸時代からです。江戸幕府が武士の倫理として朱子学を採用してからです。そして明治政府が民法で男性上位を決めたので、庶民まで徹底されることになってしまったのです。

 戦後、男女平等の憲法が生まれたのですが、男尊女卑の解消には中々時間がかかっています。男尊女卑の時代は長い日本の歴史の中で、高々400年程度の短い期間です。女性の権利の復権を論じるなら、古代の母系社会を思い出せばいいはずなんですが。

 如何でしょうか!
2019.1.17  Mamoru Muto


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 日本人の特性として、生真面目である。街が綺麗である。親切である。他人事を思いやる。とか色々言われますが、これら女性的性格の現れですよね。
 楽天的に、大雑把だけど行動的と言った男性的な、行動様式ではありません。
 控えめですが、確実に抑えるところは押されている。なにやら主婦の理想的な性格と重なります。

 古代、中国文化が圧倒的な力を持って、日本にやってきた時、女性達は、ひらがなを作り、物語や和歌の日本文化を守りました。細かい心の動きを、文学に纏め、大雑把な、原理論に対抗したのです。
 日本という国は、女性達が守ったと言っても過言ではありません。
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