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やませ、それは宮沢賢治の世界


空梅雨と思っていたら、八月に入り今度は冷夏。
そのせいではないが、僕の精神状態もあまり良くない。
夏なのに毎日雨が降る、そして寒い東北からの風、いわゆるやませ。
何やら宮沢賢治の世界を思い出さずにはいられない。

三十代で死んだから、晩年と言っても三十代。
童話作家として有名になったのは、死んでからで、
当時は地元でも一風変わった東京帰りのインテリ。
彼が晩年一番取り組んでいたのは、農民に冷害対策の指導をすることでした。
農業の専門家でもない彼だか、本を読むことができたので、
農業関係の本読み漁り、彼なりの耕作方法を見つけたのです。
「肥料経営」と名付けたその方法は、強い稲を育てるため、
一年間の肥料を施す計画を立てること。勘の頼らない育成方です。

初めは見向きもしなかった人々も、
彼の方法の確かさが一つ二つと証明されるに従い、
自分の耕作田の肥料計画作成に彼の元に殺到するようになります。

彼の死を一番を一番悲しんだのは、農民達。
農民に慕われる姿を見て、この変わった青年を心配しながら見守っていた父親も、
彼を認め、病床で「初めて父親に褒められた。」と喜んだと伝記は記しています。

2017.8.17 Mamoru Muto
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