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サ ク ラ


日本人は桜の開花で狂う。桜は日本人にとり切っても切れない花です。
なら何故そうなったか?

桜は何処にでもある山桜への信仰です。それが秋の稲作の実りを約束しているからです。
サクラの精霊は木花咲耶姫です。この神様は山桜の精霊であると共に、山の神でもあり浅間神社の御神体であり、富士山の御神体です。
なぜその神様が稲穂の実りを約束するかというと、春に山を下り、田の神、すなわち稲荷神に変身するのです。

どうして性格の違った二つの神様が同一視されるようになったか?

それは、古代、稲作がこの国に定着した過程を見ればよくわかります。
弥生時代、大規模土木工事は出来ないので、稲作栽培は、山の裾野の小規模河川の作り出す湿地たいから始まったのです。
稲作にとって最も大切な水は、まさしく山の木々がもたらすわけです。
縄文時代から信仰されていた、山の神、また森林の神が、新たに始まった農業の神へと変身を遂げることになるのです。

里から見える山桜は、里の農作業を始める合図であり、後世導入される暦より、的確に農作業の開始時期を表しているわけです。
その頃、キツネが里山近くで見られることが多く、豊穣神、稲荷の眷属としての定着したわけです。

サクラは日本人の中に特別な地位を占めるようになり、サクラを祭り、里に移植し、お花見をするようになるなるのです。

更に人生の節々を、サクラの花と重ね、和歌に読み伝えて来たのです。喜びだけではなく、悲しみ、苦しみもサクラの花に託してきたのです。

サクラ、日本人の心そのもの、醜態まで受け止めてくれる花なのです。

2017.3.31  Mamoru Muto
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