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異  常   ─ 原発事故から一年 ─


3.11が近づけるにつれ、去年の異常事態が蘇る。
その日から始った悪夢の数ヶ月。

地震は神々の為せる技、原発事故は人の思い上がりが招いた罰。
日夜変化する事故状況に、そんな腑に落ちぬ思いが渦巻き続けた。


街が暗くなり、お祭りやイベントが中止し、食料品がスーパーの棚から消えた。
仕事がなくなっり毎日が暇となり、テレビにしがみつく引きこもりの日々が続いた。
直接的影響から派生する、人々の心理の異常さほどキツいものはない。

僕は自分の心の健康を保つため、出てあてどなく歩いた。
外や公園の花や木々の緑は、いつも通りの安らぎを与えてくれた。


こんな時でも、冷静に対処しようとする生真面目な国民性。
でも人々の内は、不安が狂った心理として沈殿し、深くどす黒く渦巻く。

日々流される地震や事故の報道も、一ヶ月もすると麻痺してしまい、
細かいニュースには、無感覚に反応しなくなってしまった。
しかし、それは黒く重い荷物となり、ずっしりと肩にのしかかり続けた。


もし僕が昭和十年代の日本に居たらと、ふと思いを重ねて見た。

戦争は人間起こす最大の人災である。
当時の交戦的風潮と開戦と、そして敗戦と。
きっと僕を原発事故などと比べられない、暗く重い思いをしただろうと。

事故だったからまだ救われるかも知れない。
緊急事態が収まれば、反省と言う希望に変わるはず。
昭和の十年代は、ブレーキが故障した暴走列車だったから。
 
3/10 2012 Mamoru Muto


 90前後のバブル景気の世相も僕には同じぐらい悪い印象で残っている。誰も彼もが不動産屋か金融業者になったようで、嫌でした。土地が売れたとかで、知り合いがそうなると、気分が悪かった。夜も昼もお祭り騒ぎ、この頃よく、車で山の中にドライブして、そのまま朝まで過ごすことが多かった。お金が入る有り難さより、平常心を忘れた姿の方が、嫌でした。バブルが崩壊して、不景気になり、町が静かになった時、本当にほっとした。

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