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戦うという事
 
 
戦うと言葉は嫌いだった。
中学、高校、大学と大嫌いだった。
人と競争するという事が。

水俣にゆき、これだけ社会から見放された人は、戦うべきと、
初めて戦いというと言葉を正当化する事が出来るようになった。

植物でも、動物でも、自分の生存をかけ、戦っています。
自分を彼等と同じレベルにして始め、この言葉が分かった。

そして、次に考えたのは、
自分は生まれて来たからには、生きるためには何をしてもいい、と。
僕は悪人、悪いことをしようと思ったのだが、
人を害するより、自分の体を害してしまった。
どうも、悪人の才能がないらしい。

ひとつの言葉を発見するには、長い時間がかかります。
今はこの言葉は僕にとって、無くてはならい言葉になりました。
思春期に感じた違和感は、
大切だからこそ感じた、違和感だっのかもしれません。
 
Mamoru Muto 2012 正月

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