思い出すまま - No98 / prev top next




街角で見つけた小さな秋
選挙・そして
 景気が上向いてきたせいか秋なり、仕事が忙しくなってきた。有り難いことです。さて、選挙は自民党の大勝、アット驚きの小泉劇場でした。選挙制度の影響が大きく、選挙後の世論調査では、勝ち過ぎと言う声が一番大きので、国民が馬鹿のりしたわけでないことが判って少し安心した。
 どうでしょうかねえ、小泉さんのアメリカ型への改革は今の時点では正しいのかも知れない。従来の自民党の利益誘導型の政治は、一種の社会主義です。村社会への利益誘導という側面があるし、談合も利益共同体といった、村社会的な発想のもとになされてきた。終身雇用や、国民全保険なども社会主義的要素が強い。長い単独政権で、自民党がリベラリズムと社会民主主義的な要素も持ってしまったと言うことだと思います。
 近代リベラリズムは、バイキングや、スイスなどヨーロッパの王権から迫害されて人々が基礎を作り、フランス革命やアメリカの独立でその思想的地位を築いた。アメリカはヨーロッパから逃げてきた貧乏人やアフリカから奴隷達の作った国です。かってのバイキングのように、自由を求める心が強いのかも知れません。ヨーロッパ社会が成熟して、社会主義的要素を取り入れなくては立ち行かなくなった今日でも。
 日本の村社会は相互扶助がその基本です。古代の村全体での農作業から、武士の時代でも明治以降でも現代でも、村社会の相互扶助的なものの上に現代的なシステムが成立しているのです。都会ではご近所の関係が薄くなったといっても、人々がグループや組織を作るとき、みんなが平等になるように作ってしまう。それが日本人の体質なのだと思います。すべてアメリカ型のリベラルな社会に変えるというのは無理な話です。元々が社会主義的なのです。小泉さんが少々公益法人を民営化しようとも、その体質は変わらないでしょう。現時点で正しいのかも知れないと言ったのは、その平等主義のマイナス点を是正するためには正しい方法の一つかもしれないと思うからです。
 これからの日本社会にとって、もっと大切なのは、情報公開でしょう。資本の論理の透明性を確保することは一つの方法です。でも、すべて資本の論理の社会にすることは出来ないことです。これから向かう老人社会を考えたら、民営化は限定的とならざるを得ないからです。公益法人や準公益法人の非効率かをチックするには情報の徹底的公開以外にはありません。
 僕が思うに人間は社会的生きもので、営利企業であろうが、町役場などの公的機関であろうが、住民サービスをすることにその存在意義があるのです。儲けた分の何割かは社会に還元するのは当然のことです。自由であり、助け合いがチキンとできる社会が一番いいのだと思います。

 前回も言いましたが、国内政治は小泉自民党であろうが民主党であろうが、国民の監視下にあり極端な方向には進まない。問題は国際政治です。日本人が思っている以上に日本は巨大な国家なのです。彼のタカは的性格は大いに問題です。その部分は支持できない。
 
富士山麓の紅葉の始まり
景気・ガソリン高騰・・・

石油の値段がじわじわ上がっています。新聞等で報道されている通りですが、それにもめげず景気はマイナスにならず良くなっています。これはすごいことです。かってのオイルショック時の頃とは全く違う状況が起こっていると言うことなのです。なら何が変わったか。
バブル経済を経て日本の経済力が、強大になったと言うことです。この石油高を吸収する力が今あると言うことです。COなどの環境問題もあり、石油依存度が低下した構造的な変化と言うこともあるが、かっての「物を作って外国に売る」ことだけではない、豊かさを支えるシステムが多方面充実した経済を獲得したと言うことなのです。
アメリカの経済学者が日本に来て「アメリカの経済は老年期に入ったが、東アジアはこれからで日本はこれからの十年順調だろう」と言った。彼はバブル期にバブルの崩壊とその後の不景気を予見した人です。1バーレル100ドルになっても日本は大丈夫だろうという意見もある。
日本に居ると日本の経済の巨大さは分かり難いが、あまり日本人はそれを感じていないように僕は思えます。韓国や中国がちょっとした日本の政治的変化に敏感になって、半日的な行動に出るのは、日々彼等は日本製品がブランド品としてデパートを飾るなど、日本の経済の力をひしひし感じているからです。日本が政治的に保守化したらという危惧が、戦前の悪夢と連想してしまうのだと思います。冷静に考えれば、それは日本の破滅でもあるるのだが。
この辺で日本人も良く考えておくべきだと思います。世界では一方で餓死する人々がいて、見て見ぬ振りをして自分だけの豊かさを求めるなら、それは犯罪にも等しいことです。やり方間違えたら、テロの標的になっても仕方ないのです。それとこの石油だか、上がりすぎは困るけど、程々の高さはいいことだと僕は思います。脱・石油社会を加速するからです。地球は限界なのです。一日も早く、太陽から降り注ぐエネルギー以外を使ってはいけないと警告を鳴らし続けているのです。ますます激しく。この程度では間に合わないけど、変わらなければもっとひどくなる、いうことだと思います。
 
お水と吉田君
 伊豆の松崎

 十月に入り、伊豆に引っ越したというメールが入った。オミズと吉田君である。早速仕事の合間を見て様子見に行ってきた。伊豆はいいね、山があり、海があり、暖かく、魚はおいしいし、温泉もある。山より、海は豊です。海の幸だけではなく山の幸も一緒にあるからです。
 田圃や畑を借り百姓をするという。僕にとってもうれしいことです。気軽に遊びに行けるところが伊豆にできたからです。僕の引っ越しも終わり、ゆっくりできるようになったらまたレポートしましょう。
 今回修善寺から西伊豆の高原に登った所で、夕日を見ることが出来た。西伊豆は夕日が美しいところ、そして駿河湾越しに眺められる富士山です。
 
 
 何事も自然の流れで

 物理学の法則の大原則は平衡と言うことです。バランスと言うことです。大宇宙も、僕らの身近な物々もバランスの上に存在する。バランスを崩せばその跳返りが起こり平衡を保とうとします。環境問題も、人間が大量に化石燃料など眠っていたエネルギーを使ったから、そのバランスを是正するために温暖化が起こっているだけです。CO増加は植物にとって悪いことではない、植物の生育が良くなり、その生産物がまた化石燃料として地下に蓄積される過程でしかないのです。その気象の大きな変化に人間が対応できないのが問題なだけです。そして、同じことが人間の社会でも言えます。急激な変化は必ずその反動が伴いまし、一人一人の人間にとっても同じように物事は作用します。
 僕自分に関しては簡単です。「やるべきことはやる、それで駄目ならあきらめる。」と言うことに尽きます。それを決める最終的判断は「自分に対して正直であるかどうか。」と言うことです。どういう結論になるにせよ、後に凝りを残さないことが大切です。自分の能力外のことはしかたない、しかたない。後は神様だけが知る領域です。
 変化は一つの平衡から新しい平衡に移動する過程です。良い悪いはその人間にとっての個人的な出来事です。良いことも悪いこともそれ自体を中心に変化しているではなく、変化の一断片が良かったり悪かったりするだけと言うことです。だから、人間の社会も自然の世界も、悪いことも良いことも限度があると言うことだと思います。悪いことは身を潜めその限度まで耐える力が大切ですし、良いことは蝶が美しくはばたくように、花が咲き乱れるように喜びを全面に出すことが、素晴らしいことだと思います。
 恐いのは無意識下に進行する構造的変化です。人間の場合生活習慣病のようなことですし、地震の発生とよく似てしています。これは仕方ないことです。予想外のことを全て予防するのは不可能です。そこで大切なのは五感と第六感だろうと思います。兆候をいち早く感知する能力。これは磨けるのです。
 そう、何事も川の流れのごとく、鳥や蝶のごとく生きましょうと言うことでしょうか。