思い出すまま - No90 / prev top next


 バレーボールの女子選手チーム
 日本の社会もようやく憲法通りの男女同権の社会になりつつある。女性のほうが元気がいいのです。前回の新聞を作りながら、オリンピック最終予選の試合を見ていた。日本チームの快進撃に僕も元気付けられます。上り調子のチーム、選手よりも監督が一番気分がいいのじゃないでしょうか。
 小学校の時、学校で「日本は男女同権です。」と言っているのに、「おまえは男のくせにグジュグジュして、女の腐ったような奴だ」とか、「男らしく」と言われるのがとても嫌だった。廻りを見れば、男尊女卑の社会であることは明らかだった。「男の子らしさ」という言葉に含まれた、外で活発に遊ぶというイメージは、時に自分の世界で遊ぶことの多かった僕にとっては嫌なことであった。
 世の中は女が中心にならなければいけない。洗練された社会とはそう言う社会です。と僕は思います。
 
 放浪について・・・そして
 インドのサワさんから原稿が届いた。元気そうなので何よりです。その中に、彼の87才のお母さんのことに付いて少し書かれていた。興味本意で悪いが、彼のような息子を持った年老いた親の心中を一度聞いてみたいものです。僕も放浪は憧れなんですが、彼のようには出来ない。元祖ピッピー殿! 元気で、旅を続けてください。
 
 そして少し話が変わるが、Jica(日本国際事業団)の理事長に国連の難民高等弁務官だった緒方貞子さんにかわって、援助の質が変わりつつあると、NHKの報道番組でやっていた。Jicaは政府のODAの半分以上使っている政府系の援助団体ですが、やっと日本の援助も土建屋から、NGOやってきた方向に変わりつつあるのかと思った。
 就任してから緒方さんはJicaの組織改造に着手し、現場主義を徹底させ、権限を現場(援助活動している地域)のスタッフに移し人員も増やした。更に、アフリカに焦点を合わせた。
 流石です、国際援助は政治的駆け引きでなされしすぎたのです。世界が狭くなり、相互依存の度合いがますます深まっているのです。日本だけ安全で豊かなど全く空想の世界です。世界の人が一緒に豊かになること以外に安全はないのです。
 
 国際NGOなどで頑張っている人など見るとすごいなと思う。Jicaのような組織は当然のことをしているだけですが、資金や、組織力のないNGOこそ、人は助け合わなければならないという、原点で戦う戦士ですし、しかも、 誰にでもわかる優しいことなんです。
 
 北朝鮮
 韓国、中国、日本とも北朝鮮をソフトランディングさせうと色々硬軟交ぜ、外交交渉をしている。今でも僕は北朝鮮が中国やベトナムのように解放経済に向かうとは思えない。その内破綻するだろ、政治的に、と思っています。
 それは、戦前の日本やドイツに始まった現代の国民管理国家のその完成された姿が北朝鮮です。完全なる密告社会、経済も外交も破綻しているのに、国が壊れないのは、その徹底した管理システムです。経済解放の方向に進もうと思ったら、その管理のタガを緩めざるを得ない、それはすなわち今まで蓄積されていた抑圧が噴出してくることになる。一度壊れたら、崩壊に加速度をつけて進まざるを得ない。日本人、韓国人の拉致問題は、今までの今までの諜報組織の内側そのものが表に出ると言うことですし、一千万人の離散家族の相互訪問は、南と北の落差を知ることになる。その一つが崩れれば政治的体勢崩壊に向かう。
 今の政治体制を維持しながら、経済解放に向かうなど、とても金正日が出来るとは思わない。彼は金日成の下で、国民管理体制を一生懸命作ってきた人間です。無理です。僕に言わせたら十年から十五年遅いのです。金正日に変わってから、逆に軍事組織でしか支配できなくなり、逆行している。
 ドイツのように、韓国への吸収合併しかないと思います。100万人の難民が出ることを恐れて、やたら延命処置をするほうが、被害が大きいような気がしてならない。戦争と言う方法はいいとは思わないが、北の人々が新しい政治を求める方向へは廻りの国々は動くべきだと思う。

 平凡そして特殊・・・
 「普通」とか「ただの」とか「平凡な」とかいう言葉は、おそらく曖昧なことだと思います。組織や社会に依存する傾向の強い日本人ですが、それらの言葉はある幻想の中に形作られたものです。細かく見れば、誰だって特殊なのです。どんな家庭でも他人に言えない秘密の一つや二つはあります。いつもはそれらを忘れ、「平凡」は多数派であり、それ故に安全であると言う信仰の中に埋もれているだけです。
 「普通の」子供が犯罪を起こすと、「まじめでいい子なのに」「とてもそうは思えないのに」と言う感想が帰ってくる。この前の佐世保の事件でなんかでもおそらく、「平凡」のなかに潜む闇があるのだと思います。けして、インターネットで喧嘩したとか、部活をやめさせられたとかいう、直前のことだけでこんな事件にはなりません。「人を殺す」と言う行為は、「自分の生死」に関わる重大事件と関連づけられたとき、避けられない正当防衛としてなされることなのです。大人でも子供で同じです。 おそらく大人には「大したことではない」と認識していることが、彼女にとっては「生死に関わる重大事」と認識してしまった事件が過去にあり、それがトラウマになり、今回それが現れてしまった不幸なと言うことじゃないかと、僕は思ったのですが。
 例えば、彼女が幼稚園の頃、父親が浮気をした、そのストレスを母親は子供にぶつけてしまった。そして、彼女に「そんな太った子供は私の子ではない。」と言ったとする。幼稚園の彼女にとって親がそういった背景まで心が及ぶはずがない、それは彼女に「死ね」と言うことに等しい事だったのです。その後、父親は詫を入れ家族は「平凡な家庭」に戻ったとする。今回、部活をやめさせられた事に追い討ちをかけ、友達に「太った」と言われたら、彼女の幼い頃の悪夢が噴き出しても不思議ではない。精神分析が進めばこの辺が明らかにされると思うが。
 このようなことはどこでもある事です。大切なのは「平凡」とか「普通」と言う言葉に逃げないことだと思います。人と同じことをやっていれは安全言うのは危ない危ない。 これから先彼女がどうなるか分からないが、同ような事は誰であります。そんなトラウマや引け目を克服するところに、人の心の奥底を探る仕事、作家や芸術家や精神科医などの仕事が成立しているのです。平凡と特殊はコインの裏と表です。

 かなぶんカントリーを唄う
 今年の春先、たくさん久米さん近藤君の協力でかなぶんこと金沢順子のコンサートを開いた、それから不定期ですが時々開くようになったのだが、折り合いが悪くまだ聞いていなかった。彼女とはアルバイト中まで、少しシャイなところがあり、礼儀正しいし、こんな仕事だけしているのはもったいない人だとは思ってきた。一度は聞かなくてはと思い、6月3日、国立のライブハウス地球座に出かけていった。
 今回は増岡裕之太田雅人かなぶんのトリオでのライブでしたが、なかなかいいんじゃないんでしょうか。声がいい、強いし、素直で、素朴でさえある。きっと、唄えばどんどんよくなると思います。一番良かったのは本人が楽しくやっていることです。音楽は音を楽しむと書くのです。楽しくやるのが一番。またしばらくしたら聞きに行きます。   (下の写真は左より増岡君、かなぶん、太田君)



























 暑い暑い・・・そして選挙
 この所、梅雨の空ける前に真夏日になることが多くなった。温暖化の影響でしょうかねぇ。もう七月初めにして夏ばて気味です。僕も不在者投票にをしてきました。そして、今日開票放送を見ながら、最後の原稿を書いています。
 予想通りと言えば予想通りです。比例区では民主党が勝っているのに、当選者数はそれほど変わらない。そこに何か、構造的な、慣性の法則とでも言うべき、変わらない何かがあるのでしょう。あんな強引に法律作ったら、敏感に反応して、自民党が議席を半減させるようならすばらしいのですが。結果として表向きはあまり変わらない。別な言い方すれば、野党が民主党に一本化しただけともいえます。
 でも、少しずつは変わりつつあるのかも知れません。そう思いたいものです。少なくとも小泉さんの役目は終わったようです。政治も若い人、四十代の人が中心にならなればなりません。そして、もっと女の人が全面にでないと。