思い出すまま - No72 / prev top next

思い出すまま・編集後記

武藤 守

星野文昭そして僕の71年 

修ちゃんのお兄さんで昔のデモ隊のリーダーをやっていたおかげでデモ中に警官が死んだのでその責任をとらされ今も刑務所におり、その会に最近出ることが多く、ついつい僕もその頃のことを思い出す。   

71年は僕にとっても大きな変化の時であった。大学に入り、暮れに水俣病の運動に参加するようになり、そちらが本業になってしまった。その間色々集会やデモに参加していたのだが、過激になり始めた学生運動にはついて行けず、「気持ちはとてもわかるけどそこまではやれないだよ。」大学で泥だらけでアジテーションしている三里塚に行っている活動家と立ち話などするのが常だった。活動家と言われる連中は良い奴が多くてね。

ぼくもあの日はデモに行っていた。渋谷ではなく日比谷公園の方の集会にいって、催涙弾をあびて帰ってきたことなどを思い出す。「渋谷がすごい事なっているらしい」とそこで聞いたと事など思い出す。

あの頃学生運動が過激になりはじめ、観念的な正義感だけではではついて行けず明らかに「正しい」と思われる現場を捜している時期だったと思う。活動かはいいやつとは分かつているけど、内ゲバが始まりなど状況は悪くなるいっぽうでどう対応していいか困った。僕はイデオロギー的なことがまったくだめで感覚的でなにか言うとすぐにだめと言わた。いつもその繰り返しでした。その点水俣の運動は屁理屈を言わずに済んだのですぐには入れた。おかしな時代であった。ボランティアをするのに政治的な理由付けをしなくてはいけなかつたとは。                            

僕が星野文昭さんに触れるのは、修ちゃんを見ていると彼のお兄さんのことを考えざるを得ないからですが。   

追記

夜中に目が覚めたときなど、若い頃のこと夢見ていることがある。そしてまあなんとあんなに危なっかしことばかりと、今のからだが震えていたりする。「若かったから」とは思ってみるけど、なかなかそれ以上そのころを説明する言葉は出てこない。意地だけで生きていた。今年の12月50歳になりますが少しでもこれから人生に役立つものを、やつてきてしまった事の中から見つけたいのだが、それがなかなか見つからない。40歳までは力任せで生きていたような気がします。

大学に行って、学生を否定して水俣に行って、次は水俣を否定して、美学校に行って、またそれを否定してといえば少しかっこいいが、次々やることが出てきたのでやってこれたが、40過ぎてからは青年の行動方法ではやれなくなったのだが、新しいものは見つけ切れていないのが現状なのです。見つけるためには落ち込むときはもっと落ち込まないと行けないのかも知れないが、若い頃のように思いっきりよくはできない。ぐすぐすとなるばかりなのです。病気したこともあり、自己保持機能が二十三重に身に付いてしまってね。気づいたら、唯のおじさん。ためいきばかりの昨今です。

「青春がすばらしくてジジババだめということはなく、この世に生があることは奇跡の集合体であり、価値のないものはない。」と常々考えてはいるけど、なかなか「なら何をすべきか。」の回答とは出ず、ぐずぐずするばかりである。

追記2

僕は71年の12月から77~8年頃まで水俣の患者支援の運動にかかわっていましたが、それが僕の青春です。それで僕の人生が大きく変わってしまいました。、世の中の価値とは少しずれているけどその時たくさんの宝物を貰ったと思っています。

確かに「見なくてもいいものを見てしまった。知らなくてもいいものを知ってしまった。」と思ったこともあるけど、7年も続いたのは、楽しかったのです。大変さよりも楽しいほうが勝っていたからだろうと今は考えています。

あの頃の不毛なイデオロギー的な論争、現実離れした討論あれだけは今でも厭な思い出です。運動が低迷し始め支援者がそういうことを言わないとやれなくなったとき、ぼくはもういいと思った。そして水俣患者さん支援の運動を止めることにしました。

人は立派そうな理念では動かない。自分の心の声と回りから要求されたことが一致した時にしか動けない。そうじゃなく動いていることが世の中多くありすぎる。

 

百鬼夜行

梅雨が始まり蒸し暑い日が続くようになると妖怪や鬼たちが跋扈しまじめる。

仕方ない、「人間は地獄には行ったことはあるけど、天国に行ったことのある人はいない。」と水木しげるがTV出演で言っていたが、それはひとつの真実だ。妖怪や化け物は人間の投影なんです。静かな人が突然キレル、理由が良く分かない。昔の人はそれを物の化のしわざにした。それは一つの合理的な考えだったと僕は思う。愚直な信仰と馬鹿にしてはいけない、今を別な時代からみれば馬鹿馬鹿しい信仰に惑わされていることがたくさんある。

平安時代頃は百鬼とは道具霊たちで人間が普通使っている道具の形をしていた。夜中に彼らが行列を作って町中を歩く、出会った人は命がなくなる。それが時代が下るにしたがつて、それに手がはえ足が出、恐ろしい顔がついた。真夜中台所で包丁や茶碗がかたかた音を出して何かしているのを聞いたのは僕だけだろうか。いいよね、道具にも命があると信じていた昔の人の心根は。

時宗

僕の田舎は浄土真宗で葬式などで唄う御詠歌に「石山本願寺云々」などと出てくる。「南阿弥陀仏」と唱えれば浄土に行けるとは僕は自分勝手な考えだと思うけど、ほとんどが文字を読めない中世の庶民にとっての浄土宗については分るような気がする。難しい仏教の経典を読むとは、今の時代国立大学に行くようなものだった。それだけの秀才でなければ浄土にはゆけないと思われていた時代のことです。

その浄土宗の一派の時宗(六時衆)は中世の宗教を考えるとき興味を感じる。それは踊り念仏と言われるように坊さんの鐘に合わせ踊りながら念仏を唱えるという、宗教と言うより盆踊りのような芸能的要素が大きいからです。調べてみないとわからないが「盆踊り」のルーツは時宗にあるのではないだろか。時宗は中世のロックだと思えば、なにか親しみもわいてくる。                                  

一遍が布教していたのは鎌倉後期、元冦の前夜社会不安が極度に高まった時期。法然や親鸞の思想を更に進め芸能にしてしまった。その斬新さは、60年代70年代のロックのような気がしてくる。お高い芸術から踊ってうさをはらす大衆音楽への・・・・・

 

政治

人間馬場かですね。聞きたくなくても入ってくるから考えるけど、ちょっとばかり普通のことをやって前代未有の内閣支持率があが事自体異常なのです。政治とか国家とか巨大な組織になればなるほど鈍重であるか、馬鹿であるかということです。

女の人がトップに立てば世の中もっと柔らかくなるし、男社会の組織体系が崩れ、裏表がなくなる。急速に老人社会が進んでいるのです。ババアが社会の実権を取らければ社会自体が機能不全陥ります。・・・

庶民は馬鹿じゃない。だれがこの世を良くし誰が悪くしているか知っている。

個人的に思っていることは、政治は女に任せて男はみんな芸術家になればいい、そうなったらいい世の中になる。きっと

生命

地下数千メートル、岩石の中にも微生物が棲息するという。それも地上の生物が酸素を吸ってエネルギーを得ているのとは違って、地下深く空湧き出ている水素を食べて生きているという。そして、メタンなどの簡単な有機物を排泄し、さらにそれを食べる微生物もいて地上とはまったく違った生態系が成立しているという。それら水素型生物全体の量は地上の全植物量にも匹敵すると試算している学者もいる。

小さい頃「地底探検」「地底人の逆襲」とかいうまんがやSF小説を読みふけったことがあったが、マグマと地上の間の幾十キロ数、数百キロの間はくまなく生物で満たされているらしい。もちろん「地底人」のような複雑な生物はまだ発見されていないが、「生命」というが年がまた一つ広がりロマンが広がります。

最近「エコロジー」「エコロジー」と常識の言葉まで成長したけど、これも、人間にとっての環境であって、それ以上で以下でもない。彼ら微生物の世界から、あるは地球全体から見たら、人間は単なる「寄生生物」の何者でもない。きっと、地球の生物圏の主役は、昔も今も、単細胞などの微生物類だろと思う。


 

編集後記・・・最後に

前号での「禁煙宣言」恥ずかしながら失敗しました。でも今回は50日、僕の人生で最長の記録です。胃を切ったときでさえ二週間ですから、また機会を見て挑戦します。

なかなか調子が出てきません。予想はしていたけど、アルバイトの大工仕事が少なくなるし、金が無いのはいつものことだから落ち込むし必要はないのだが、気持ちに元気が出てこない。仕方ない、空元気で「頑張りましょう。」

前回、千葉さんの尾瀬の写真をいっぱいホームページに入れたら、さっそく出にくい」という苦情がきました。せっかくの写真です。できるだけ高画質で見ていただきたいのです。56kバイト/s以上の通信速度、サーバーの混んでいる時間を避ければすぐにでます。

今回は原稿の集まりが少なめかと思っていたら、締め切りすぎて、「俺も書いている」と いつもどおりの分量になってきた。有り難いことです。皆さんけっこうしっかり読んで居て時々思わぬ人から葉書が舞い込んだりするとうれしいかぎりです。もうすこし読みごたいのある文章を書こうと思っては居ますが、出し続けることで勢いっぱで中身間で 考え切れません。

久々登場の通称「サワ」こと澤村浩行さんは日本にヒッピーという言葉が上陸した頃からヒッピーライフを通している詩人です。

●暑い夏になりさうです。皆さんも暑さに負けず元気にしてください。僕も元気に頑張ります。なんでも負けちゃ駄目、ではまた。