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オバマ大統領の声明全文   2016年05月28日 08時38分
 オバマ米大統領が27日の広島訪問で発表した声明の読売新聞による和訳は次の通り。
 
◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇
 
 71年前の快晴の朝、空から死が降ってきて、世界は変わってしまった。閃光(せんこう)と火の塊が街を破壊し、人類が自らを滅ぼす手段を手にしたことを見せつけた。
 
 我々はなぜこの地、広島に来たのか。それほど遠くない過去に解き放たれた恐ろしい力について思いをはせるためであり、10万人を超える日本の男性、女性、子どもたち、多くの朝鮮半島出身者、捕虜になっていた米国人を含めた犠牲者を追悼するために来た。
 
 彼らの魂は私たちに語りかけている。もっと内面を見て、我々が何者か、我々がどうあるべきかを振り返るように、と。
 
 戦争は広島だけに特別なものではない。多くの遺跡は、人類が初期の頃から、暴力的な紛争を行っていたことを示している。
 
 私たちの遠い祖先たちは、石から作った刃物や木から作ったヤリを狩猟の道具としてだけでなく、同じ人類に対して使うことを学んだ。
 
 どの大陸の文明の歴史も戦争で満ちあふれている。食糧の欠乏や金に飢えて行われたり、国家主義の熱や宗教的な情熱で戦争に駆り立てられたりしたこともあった。帝国が台頭し、衰退した。人々は奴隷になり、そして解放された。それぞれの節目で、多くの無辜(むこ)の人々が苦しんだが、数え切れない犠牲者の名前は、時とともに忘れられた。
 
 広島と長崎に残酷な結末をもたらした世界大戦は、世界の中で最も裕福で力のある国々の間で争われた。
 
 こうした国々の文明は世界の偉大な都市や素晴らしい芸術を生み出した。思想家は正義と調和と真実という思想を発展させた。だが戦争は、原始の時代と同様、紛争をもたらす支配欲や征服欲から生まれてきた。古くからのこのパターンが、制約を受けることなく新たな能力によって増幅された。
 
 ほんの数年の間に、私たちと何ら変わりない6000万人もの男女や子どもたちが、撃たれ、殴られ、行進させられ、爆撃され、捕らわれ、飢えさせられ、毒ガスで殺された。世界中にこの戦争を記録した場所がたくさんある。慰霊碑は勇気や英雄的な物語を伝え、墓標と空っぽの収容所は、言語に絶する悪行をこだまさせる。
 
 しかし、この空に広がったキノコ雲の姿は、我々にはっきりと人間性の中にある矛盾を想起させる。我々の考えや創造力、言語、道具を作る力といった、人類が自然とは違うことを示してくれる能力が、我々に不相応な破壊力も与えている。
 物質的な進歩や社会的な向上が、私たちにどれだけこの事実を見失わせただろうか。すべての偉大な宗教は愛と平和と正義への道を約束する。それでも、どんな宗教にも、信仰ゆえに人を殺すことが許されると主張する信者がいる。
 
 国家は、犠牲と協力のもとに国民を結束させる話をしながら勃興し、注目に値する功績を成し遂げることもあるが、これらはしばしば、自分たちと異なる人々に対する抑圧や人間性を奪うものとしても使われる。
 
 ◆1945年8月6日の記憶は消えない◆
 
 科学によって我々は、海を越えて交流し、雲の上を飛び、病気を治し、宇宙を理解することができる。しかし、こうした同じ発見が、より効率的な殺人マシンに変わってしまうこともある。
 
 現代の戦争は、我々にこの真実を伝える。広島がこの真実を伝えている。
 
 人間社会の進歩を伴わない科学技術の発展は我々の破滅をもたらしかねない。原子の分裂に導いた科学の革命は、道徳的な革命も求めている。
 
 それこそが我々がここに来た理由だ。
 
 我々はこの街の中心に立ち、爆弾が落ちてきた瞬間に思いをはせずにはいられない。我々は、目にしたもので混乱していた子供たちの恐怖を感じずにはいられない。我々は静かな泣き声に耳を傾けている。我々は、あの悲惨な戦争、それ以前に起きた戦争、今後起こりうる戦争で命を落とした全ての無辜の人々に思いをはせる。
 
 そうした苦しみを言葉で言い表すことは出来ないが、我々は、歴史を直視し、こうした苦しみが再び起きないように自問する責任を共有している。
 
 いつの日か、証言する「ヒバクシャ」の声は失われていくことだろう。しかし、1945年8月6日のあの朝の記憶は、決して消えることはない。その記憶により、我々は現状に満足してしまうことに対して戦うことが出来る。我々の道徳的な想像力をかき立てる。変化をもたらす。
 
 そして、その運命的な日から、我々は希望を与える選択を行ってきた。
 
 米国と日本は同盟というだけでなく、友情を築いてきた。我々は戦争で得られるものより、はるかに多くのものを勝ち取った。
 
 欧州の国々は連合を築き、戦場を貿易と民主主義の同盟に変えた。抑圧されていた人々や国々は、解放を勝ち取った。
 
 国際社会は戦争を回避し、核兵器を制限し、減らし、廃絶する制度や条約を創設した。依然、国家間の侵略行為やテロ行為、政治的腐敗、残虐行為や圧政はこの世界に存在しており、我々の仕事が決して終わっていないことを示している。
 
 我々は、悪を働く人間の能力をなくすことは出来ないかもしれないので、国家や同盟は自らを守る手段を持つべきだ。だが、我々のように核の備蓄を持つ国々の間で、核兵器が完全に廃絶される世界を求め、恐怖の論理から脱却する勇気を持たなければならない。
 
 我々は、私が生きている間にこの目標を実現させることはできないかもしれない。
 
 根気強い努力は破局の可能性を減らすことができる。我々は(核兵器の)備蓄の破棄につながる道筋を描くことが出来る。我々は、新たな拡散を止め、死をもたらす物質が狂信者の手にわたらないようにすることができる。
 
 それでも、まだ、十分ではない。
 
 私たちが住む今日のこの世界では、粗末なライフルやたる爆弾が、暴力をさらにひどい規模にしかねない。我々は、外交を通じて紛争を防ぐため、始まってしまった紛争を終わらせるため、戦争そのものに対する考え方を変えなければならない。暴力的な競争ではなく平和的な協力によって我々の相互依存を深化させる。破壊能力ではなく、我々が築いてきたものによって我々の国を位置づける。
 
 おそらく何より、我々は人類の一員としての互いのつながりを考え直さなければならない。
 
 これが、我々の(人間としての)種をほかにないものにしている。我々は過去の誤りを繰り返すように遺伝子に組み込まれているわけではない。
 
 ◆我々は学び、選択することができる◆
 
 我々は学ぶことができる。
 
 我々は選択することができる。
 
 我々は子供たちに異なる物語を伝えることができる。共通の人間性を語り、戦争が起きる可能性を低減し、残酷な行いを容易に受け入れないという物語だ。
 
 我々はそれらの物語を「ヒバクシャ」に見ている。ある女性は原爆を落とした飛行機のパイロットを許した。彼女は本当に憎んでいるのは戦争そのものだと気づいたからだ。ある男性は、ここで犠牲となった米国人の家族を捜し出した。彼にとって、米国の犠牲も日本の犠牲も同じだと信じていたからだ。
 
 私の国の物語は、シンプルな言葉で始まった。「全ての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって、生命、自由と幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」(米独立宣言)。その理想の実現は、米国の中でも、米国民の間でも容易だったことはない。しかし、その物語に対して正直であろうと努力する価値がある。
 
 それは、懸命に努力するための理想だ。大陸や海を越えて広がる理想だ。全ての人に不可欠の価値だ。全ての命は貴重であるという主張だ。我々は人類という一つの家族を構成しているという根源的で不可欠な考え方だ。
 
 それが、我々が伝えなくてはならない物語だ。
 
 これが、我々が広島を訪れる理由だ。
 
 だから、愛する人のことを考えることができるだろう。朝に我々の子供が見せる最初の笑顔。キッチンテーブル越しの配偶者の優しいふれ合い。親からの優しい抱擁。我々はそうしたことを考えることができ、71年前の広島で、同様の貴重な時間が営まれていたと知っている。
 
 亡くなった人々は、私たちと同じような人々だった。ふつうの人はこうした考えが理解できると思う。
 
 彼らはもう戦争は望んでいない。科学の奇跡を、命を奪うためではなく、暮らしをよりよいものとするために使ってほしいと考えている。
 
 国家の選択や、指導者の選択が、この単純な英知を反映した時、広島の教訓が生かされたということだ。
 
 世界はここ(広島)で一変した。しかし今日、この街の子供たちは、平和な日々を歩むだろう。
 
 それはなんと貴重なことか。
 
 それは守るに値することで、全ての子供たちへ広げていく価値がある。
 
 それは我々が選択できる未来だ。広島と長崎は、核戦争の夜明けとしてではなく、我々の道義的な目覚めの始まりとして知られなければならない。

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