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No161 - Photo日誌 3月、4月 へ

 やる事がない
 2月の下旬の早朝の話である。みなとみらいの仕事があり、南武線を川崎で京浜東北線に乗り換えた。座席はいっぱいだったが、空いている席がひとつあった。隣の恐らく70代の老人が酒に酔い斜めに空いた席を塞いでいるので、空いていたのです。僕は少し強引にその席に座った。すると、
 
「痛いじゃないか、謝れ!」と来た。
黙っていると、また同じことを言う。そして、
「やる事がない!」とつぶやいた。
そこで、「悪い悪い」と言うと話しかけてきた。
 
 毎日が暇でやる事がない。何もやる気が起こらない。と言い出す。酔っていることもあり静かな車内では周りに響いた。僕も遠慮せず大声で受け答えした。周りの人が僕らの会話を聞き、吹き出すのを抑えている。
 
 彼はあまり良い身なりではなかったが生活に困ってはいないらしい。老人会などに行っても、だれだれさんは入院したとかの話ばかりでつまらない。そこで僕は
「年寄りは甘え過ぎなんだよ、同世代のものだけ集まって傷舐めあったんじゃ、何にもならないよ。」「若い人と一緒にやれること探しなさい」とか調子に乗り言い出し始める。
 
 そんなやり取りを川崎から桜木町の間、20分ほどやることになった。下車する時は握手して別れた。
 
 「やる事がない」という彼の言葉には普遍的な、リタイヤーした人々の悩みなのです。仕事や子育てで強制されて生きて来た人々にとり、自由とは何をして良いか分からない、難問なのです。自分で新たなものを作り出す事ができないと、自由とは何とも困った重荷なのです。
 
 3/9、大津地裁、高浜原発3、4号機運転停止仮処分
 やっと異変が起こり始めたという感じです。保守的な裁判官もやっと考えを変え始めたという事です。原発の再稼動を急ぐ今の政府が異常なのです。当然の事です。
 4月から始まる電力の自由化、再生エネルギーの一般家庭への供給が追いついていない。まだ企業向けの再生エネルギーのみで、各家庭で再生エネルギーを選択したくても出来ない。まあ仕方ないです。かってのパソコンの普及のように経済的に計算しやすい事業所からの普及と言うことです。こちらは確実に伸びてゆくと思います。
 こちらが伸びなければ原発の軽減は出来ません。電力の規模は小さいのですが、各家庭への再生エネルギーの普及は確固たる世論を確立する上で大切なことです。
 
 どうにかしてくれ保守政権
 中国政府の悪口言うのは簡単だ、発展途上で粗が目立つ。中国も韓国も日本も世間知らずのお坊ちゃんお嬢ちゃん、しかも強保守政権。古い価値に拘り、力で政治を動かしているのには似ている。しかしその力ずくの政治も陰りが見えてきた。良いことである。
 日本のアベノミクス、上手く行かない。三本目の矢、構造改革が弱いからです。ゼロ金利とかいう禁じ手を使うまでになった。これは政策的失敗ということです。
 韓国は、中国に偏りすぎた経済と政治。伝統的な冊封国家朝鮮の再来のような政策も、中国経済の減速で破綻。折しも、強お坊ちゃんの金正恩のキチガイに翻弄され、政策変更を余儀なくされた。
 中国は問題山積。バブル崩壊を新たなパブルを起こすことで乗り切ろう、間違った判断をしている。習さんへ権力が集中するに従い、太子党内部からも批判が出て来た。それに加え、パナマ文書による政権への打撃は大きいものと思われる。
 
 三国に共通して言えることは、国の大きな利権を持ったいる人々、あるはその一部グループの出身なので、構造改革は声高いに叫ぶ程には本腰を入れていない。
 一番困るのは、政権維持のため、国家主義をかざし、軍事的緊張を高めてあることです。改革を進めれば自分達の存立基盤が弱まるので、外国の脅威を殊更に掲げ、制度や法律をねじ曲げようしていることです。
 そして三国とも、初めはセンセンショナリーに掲げた政策が、三年経ち言葉だけと国民に見えて来たということでしょう。
 
 わからない国、中国
 気になるので、主に携帯のヤフーニュースサイトから様様な中国関連ニュースを読んでいるのだが、益々わからなくなってくる。
 金まみれになった社会はいずれ破綻し、経済改革だけでなく、政治改革まで行くのでないかと密かに期待しているのだが、状況は保守化し、人権や自由が制限されている。
 
 中国は個人あたりの総生産は日本の5分の1です。日本の5分の1の資本主義の社会と大雑把に言えるかもしれない。だから開発の余地がまだ残っているのです。90年代の日本のバブル崩壊時には日本は欧米諸国と同レベルの生活水準まで達していた。経済成長はそこで高止まりした。
 日本や欧米の基準で見れば、中国は完全にバブル崩壊なのだが、そうならないはまだまだ開発の余地が残されているからです。
 中国政府は規制緩和や新たな公共投資で、減速した経済のこれ以上の低迷を防いでいる。今まで貯めた込んだ資金が残っている事も、中国政府の強気の理由です。
 
 輸出型の経済から内需主導型の経済への構造改革へと習政権は舵を切ったのだが、政治的改革は後回しというより後退している。これから起こるゾンビ企業など非効率な国営企業のリストラによる大量の失業者のストライキやデモに備えた形です。
 
 これは経済という視点から見た見方です。中国が豊かな成熟した社会へと成長するためには、政治の民主化は避けて通れません。下からの改革なしでは、環境問題、公衆道徳の向上などは望めません。物質的にも精神的にも豊かになるというのが本来の目的です。13億の人々がお金という病魔に冒されているのが、現在な中国社会です。精神的にも豊かな社会への糸口が見えて来ない。というのが「分からない」いう言葉を使った理由です。
 
 新たなバブルの中国経
 景気の減速に伴い、右往左往の場当たり式の経済対策をしているのが現状です。三月の全人代で新たな五カ年計画が承認されたか、絵に描いた計画で実現性は不透明です。
 中国は社会が欧米より似ている、日本の経済政策を良く研究しているのです。90年代のバブル崩壊と金融引き締めによる、長期の景気低迷を批判的に捉え、構造改革による景気低迷を避けるため、ミニバブルを政策的に起こさせ、過度の不景気を避ける。ということです。
 三年前までの不動産バブルが弾け低迷し始めると、昨年の株式バブルを誘導し、それが過熱すると、強引な手法で抑えにかかり、今度はまた不動産のミニバブルを誘導といった具合です。
 
 石炭や鉄鋼などの産業は大幅な過剰生産を抱え、地方政府の補助金で破綻を免れている国営企業、いわゆるゾンビ企業を多数抱えています。破綻処理するためには、大量の失業者の受け入れ産業を作る必要があります。その為の時間稼ぎをすることです。中国政府が一番恐れているのは、大量失業者による社会不安定と批判が噴出することです。
 
 中国経済の根幹を成しているのは、政府所有、経営は民営、企業内共産党員の指導と言った、中央、地方の共産党企業です。完全な民営会社ではありませんので、批判は即共産党批判に結びつくのです。改革を優先させれば即共産党批判へと進んでしまうのです。だから思い切った改革が出来ないのです。故に場当たり式の対応となるわけです。
 
 昨年華々しく立ち上げた一路一帯構想やAIIBは、余った建築資材や建設業の仕事先を探すのが最優先され、投資国が必要としているものと言うより、中国の国内事情のためという意味合いが強く、恐らく上手く行かないでしょう。
 
 中国経済を分からなくしているのは、経済関係の様々な指数の不透明さです。その最大の問題は、経済担当の政策実行者が自国の経済状況を正確に把握出来ずに、政策を立案実行している事でしょう。これも計画経済がもたらす弊害です。末端の共産党員に至るまで、中央政府の意向に沿った数字を報告しないと自分責任となりますので、数字の粉飾が日常てになされているわけです。それが中央に上げられまとめられれば、二割三割狂ってくるわけです。これではまともな経済政策など立てられません。中国政府の場当たり式経済政策の背景には、統計の曖昧さが大きく関係しているのです。
 
 現在ブラジルは「中進国の罠」に陥っています。日本の70年代の経済状況、高度成長後の時代です。その時期に経済が低迷し、長引くというのが「中進国の罠」です。日本は日本人が得意とするこまめな気配りを生かし、「軽薄短小」を合言葉に、製品の小型化、効率化を成功させました。またその時期、公害反対の市民運動が盛り上がり、市民が政府や社会をチックする社会が生まれたのです。企業の製品にも省エネや環境を意識した製品が作られ、経済の低迷を脱出するのに大いに寄与しています。日本はこの低迷時期を免れた、数少ない国なのです。
 恐らく中国は政府の掲げる未来とは裏腹に、この「中進国の罠」にズブズブとはまって行く様な気がします。共産党が認めない、下からの改革、自立した市民の存在ないからです。市民の自由な創意工夫なしには、この罠からの脱出は出来ないと、僕は思うのですが。役人の不正にしても、食品の安全性にしても、公害企業の摘発、環境問題にしても、上からの視点では、問題が起こってからのトカゲの尻尾切り的対応しか出来ません。市民からのチックこそが永続的な対策を可能にするのです。市民の自ら社会を作るという意識こそが、道徳問題の根本的解決でもあるのです。
 
 熊本地震
 4月14日終電近い電車で帰宅し、地震を知った。それからまるまる二日間テレビに釘付けとなった。熊本は僕の青春時代を過ごした土地です。随分と縁遠くなりましたが、青春の一時期が蘇って来ます。
 熊本から八代、不知火海へと断層は伸びていますので、そちらに拡大しないかハラハラ、ドキドキと見ていました。また阿蘇高原は好きな場所です。雄大で伸びやかになります。テレビを見ているだけで、体調が悪くなってゆきました。
 日本は何処にいても何らかの自然災害はあるということですね。大地震経験して、地震への救援体制も進歩し効率よく機能し始めているようです。今回は遠くから見守らせていただきます。
 

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