── 思い出すまま ──

思い出すまま - No149 /  prev top next


 何故、今だに反日の感情が根深いのか。
 日本の敗戦後、半世紀以上経ったのに、事あるごとに反日運動が繰り返されている。ひとつは日本の影響が、独立後も非常に大きいということです。特に経済と文化においては、戦後も日本の技術や文化を導入して、日本の真似をして開発するしかなかったと言うことが考えられます。日本に追いつけ追い越せを合言葉に進められたが、なかなかハードルが高いということだろと思います。独自の技術や文化を持った近代国家を作りたいが難しいと言うことでしょう。
 また韓国では、現在漢字を使わないハングルのみの表記が前提になっています。日本語のように、意味言葉である漢字を使わないのは、同じ文字が多くの意味を表すことになり、不便なことだと思いますが、それを強行する背景には、より根深く、中国文化からの独立ということもあるのだろうと思われます。中国が更に経済発展し、朝鮮半島に脅威として写れば、反中国として姿を変える要素がそこにあります。中韓の密接な長い歴史からして、反日感情より根深い問題が潜んでいるように思われます。
 
 反日感情の始まりは植民地にされたという被害意識です。近代国家への変革が日本の植民地政策により大きく阻害されたと言う意識でしょう。満州事変から敗戦までの十五年間の強硬な植民地政策が半島に住む人に決定的に悪い印象を与えたのだろうと思います。
 当時の政策の一つに「創氏改名」があります。とんでもない馬鹿げた政策です。朝鮮人のアイデンティティを根こそぎ失わせようとする政策です。「朝鮮人の姓名を日本風の氏名に変える。」ということですが、改名は自由意思と建前は言いつつ、末端の行政では強制、半強制的に実行されました。同じ皇民化政策の台湾では自由意志が尊重され、反発も少ないのとは対照的です。
 
 日本の「名字」(古代の氏、姓、苗字も合わせ)は三十万種あります。それに対して朝鮮半島では「ファミリーネーム、姓」は三百種未満です。日本と朝鮮半島では、そもそもファミリーネームに対する考えが全く違うのです。
 世界的に見ても日本のファミリーネームの多さは異常です。中国全体でも二三千種しかありません。日本人は血縁の重さを軽視してきたとしか言いようがありません。血縁より土地、宗教など生活環境に合わせ便宜的に変更してきたのが、日本の「名字」です。何故日本以外では少ないのかというと、世界の多くの民族は古来から熾烈な争いを続けて来ました。人々は国家より同じ姓の血縁関係が最も信頼できる社会だったからだと思います。血縁関係を示すファミリーネームを最も大切にしてきたからだと思います。
 
 更に朝鮮半島では、同じ姓も先祖の出身地を同じくする「本貫」が大きな意味を持ち、各本貫ごとの結束力が非常に強いのです。事あるごとに、門中を会議を開いたりしていたのです。
 朝鮮総督府はその血縁関係が反日へと動くことを恐れたのです。問題は日中戦争が泥沼化する中、「創氏改名」が強行されたと言うことです。朝鮮総督府総出で、マスコミも総動員し、反対者には「治安維持法」をちらつかせるその政治手法は、今日まで長引く反日感情の奥に、苦い記憶として残リ続ける結果となったということです。実施期間が短いと言うこともあり、社会に与える影響は少なかったのですが印象は悪く、朝鮮半島の近代化、工業化と言った朝鮮人が評価出来る政策もあった事は事実ですが、そんな評価を全て打ち消してしまったのが、「創氏改名政策」です。
 
Nora & Mimi  by Megu  
 日韓の温度差
 この創氏改名についても、日本の保守的な人間は「積極的に改名した人も多いではないか、ろくな抵抗もなかったではないか。」と言うし、韓国人は「誰も好んで改名した人はいない。特高や治安維持法をちらつかせては、誰も反対出来ない。」と反論する。同じ事実でも、立場により百八十度違ってきます。
 日本人としては明治維持以降の思い上がりを、先の大戦の反省、特に大陸への侵略の反省は不十分だと思います。世界のリーダーの一角になった今日、こういった態度こそ、国家の世界が望む姿だと思います。これからの世界的視野に立つことも大切です。
 
 そして
 今日本も韓国も中国も保守化して、他国を非難合戦をしている。韓国の海難事故に見から見えてくるのは、社会が成熟していない。と言うことです。保守的な民族主義は社会の欠陥を他国に向けさせる政治の力が働いているのです。靖国神社に行く政治家の心理は、戦没者とは関係ありません。力で押し切ってきた政治への郷愁です。望もうが望まないが共存共栄する方向にしか進めない周辺国際状況に対する怯えです。僕にはそんな風に見えてきます。
 
 
 弥生人・・・倭族  古代史は面白い
 日本の古代、紀元前五世紀頃、日本に弥生人が大陸から渡って来て、稲作を中心にした農業文明が本格的始まった。この弥生人は元々何処から来たかと言うと、揚子江流域に栄えた文明だったのです。
 中国大陸の古代文明は、黄河周辺と揚子江流域の二つが存在した。前者は初めは粟を主食とし、後に小麦に代わりました。北や西域の遊牧民が定住し、農耕をするようになったのです。
 それに対して、揚子江流域では、米を主食にした文明、幾つもな王朝があったのです。しかし、秦や漢王朝が成立する頃までに、北の王朝に滅ぼされ、その移民たちが、雲南省などの山間部、インドネシア辺りまでの東南アジア各地、朝鮮半島、日本へと逃れることになったのです。
 この文明の特徴は、今でも日本にの中に残っています。高床式住居、しめ縄、刺青、地母神、女系社会などなどです。
 
 魏志倭人伝の頃、黄河流域の人々は倭の国は呉の南の海ある国と認識していたのです。魏は呉と敵対関係にあり、日本との友好関係の必要性から使節を送って来たわけです。刺青など当時の日本人の風俗が、当時揚子江の南に追いやられていた人々と似ていてことも、倭の国のの位置が呉の南、沖縄や台湾辺りの国と認識する助けになったのだと思います。
 大和朝廷は何度も朝鮮半島に出兵しています。半島南部の利権の確保(鉄の購入など)の経済的理由の為ですが、特に北九州の人々にとっては、朝鮮半島は同族の住む土地、その政治に関わりたいと言う思いも大きかったからだと思います。歴史は朝鮮半島は北からの遊牧民との融合、中華帝国の東の国家いう形で進むことになります。一方日本は縄文先住民との融合の中で、大陸とは一線を画した、政治文化が形成されることになります。
 また、宗教でも対象的違いがあります。黄河文明は遊牧民の影響を受け天の神を崇拝し、王権の成立と共に「天帝」信仰、更に父系社会へと形作られてゆくのです。それに対して揚子江文明は地母神が主流で母系制社会なのです。日本に流れてきてもそれが変わらず、日本の古代は「産(うぶす)」「豊(トヨ)」を冠した女神達が信仰され、色濃い母系社会(平安時代まで婿取り、妻問い婚が続いた。)だったのです。
 
 
 4/6 福生カニ坂の花見
 例年の花見は今年は様相が違い機動隊の敬語の中。まだ二十日もあるというのにオバマ大統領訪日のための警備が始まっている。この町が米軍の基地があることを認識させられる。基地に向かう道路には検問所が設けられ、パトカーが巡回している。交通違反の切符を切られる訳じゃないが、お巡りが多いのは良い感じがしない。
 春の嵐、今日だけ寒い。サクラ吹雪はきれいなのだが、みぞれ混じりの雨が降ってきたので、早めに退散。
 
 
 安部政権
 そろそろこの政権の化けの皮が見えてくる頃なのだが、どうだろうか。
 基本的には僕は憲法改正に反対ではない。第二次対戦から半世紀以上経ち、時代に合わない部分は変えるべきだとも思う。その最前提は十分に国民的議論ができれば、と言うことに尽きる。
集団的自衛権を憲法解釈変更だけでやるのは非常に問題です。日本の憲法では、憲法裁判所はない。最高裁は憲法裁判所ではない。憲法判断を行政機関の一部である内閣法制局が行なっている。これは日本の憲法の欠陥の一つです。
 この政権の最も危険なところは、国民的議論を無視する、軽視することです。国民は景気回復の部分ではこの政権を支持しているが、その他の保守的政策に同意している訳ではない。だから十分な議論なしに保守的法律を次々に通しているのです。将来的には害悪だと僕は思います。
 
 国民が支持している経済政策もそろそろ化けの皮が見えてくるのではないかと思います。金融緩和は一時的政策です。これだけなら、バブルを生みます。未来に向けた制度改革を伴う経済政策が必要です。しかし、この経済政策が保守的故、思い切ったものになっていないのです。従来の発想以上のものがあまり無いからです。だからこの政権は今が一番のピークで後はシワジワと支持率を落としてゆくような気がします。そうあって欲しいと願っています。
  原発もTPPも消費税も、メリットデミリットがあります。議論すること、民主主義は議論してメリットデミリットをみんなで背負うことです。国民の議論を回避しているところが、安倍政権の悪いところです。それでは日本の社会が強くなれません。
 この政権一日も早く潰れることが日本にとっても世界にとつてもいい事です。
 
 
 小保方、STAP細胞騒動
 4/9の小保方さんの記者会見を見ていました。僕としては好意的に感じたのですが。彼女に戦えとエールを送りたい気分になりました。
 
 日本の理科学研究所は世界的な権威ある研究所です。その研究所の調査委員会から、不正、捏造と言われることは、彼女の研究者としての人生に「死ね」と言われることに等しいことです。論文の欠陥をすべて彼女にきせることなど、現代の魔女裁判とさえみえてきます。理研の調査が急ぎ過ぎ、不十分と言わらざるを得ません。それは政府からこと問題の早期解決せよとの圧力のためです。
 
 小保方論文の面白さは、研究者としての未熟さ、素人的発想のユニークさです。簡単なストレスで細胞が初期化するなど、熟練した研究者なら、複雑さを知るが故にまずはしない発想だからです。もしSTAP細胞が存在すると証明されるなら、この未熟さのなせる技は高く評価されるでしょう。偉大な発明、発見はいつも常識の外にあるからです。
 
 記者会見を見ていて、早々たる理研の先輩研究者の調査に「NO」と言ったことは立派です。勇気ある行動です。マスコミが騒ぐことも、丁度法律改正時期で巨大な圧力が重なったことも、宿命と思い、逃げずに戦って欲しいと言うのが、僕の感じたことです。
 そして理研には、彼女の研究者としての未熟さを攻めるのでは、STAP細胞の存在を確かめる追試を彼女の立ち会いのもと行い、是非が出るまでは理研の研究者としての彼女の地位と名誉は保証すべきです。理研が彼女を採用したのは彼女の研究に興味を持ったからですので、この研究の先行きを見極めるまでは研究機関として責任を取るべきです。
 
 報道を色々見ていると、論文を無効にして成果だけを横取りしようという、悪質さもチラリと見えますからね。文化の違いですね、完璧さを求める文化はいいが、野心的な未完なものを育成する大切にしないと、後で大損します。多くのユニークな科学者がアメリカに行き、彼らの残した業績はすべてアメリカに取られてしまうことになりかねない。ということです。
 
 四月二十五日、理研の論文調査委の委員長が、自らの論文の不正疑惑で辞表した。小保方さんの不正を厳しく指摘した人間が、自分の過去の論文に不正疑惑で、彼女の犯したミスは誰でもあると、立証するというお粗末さです。
 特別立法による予算措置の為に、結論を急がせたのが、一番悪いのです。じっくり調査し、判断すべきことなのですが、専門家であるほど、判断を鈍らせるというのが、こと研究ユニークさです。
 僕はこの若い研究者にエールを送り続けようと思います。
 
 
 二ヶ月と言う時間
 不思議なもので、特別人と違った活動をしているわけでもなく、若い時のように比べたら平々凡々の毎日なのですが、心に残るものが一つ二つ必ず起こります。今回のように、悲しみだったり、前回はドカ雪の驚きだったり、綺麗なものにであった感動だったりです。
 今は若い頃のように、展覧会やイベントなど特別な時間も作りたいのですが、余力やそうすべきものが特別見つからなければ、無理にしなくても良いのだろと思っています。大切なのは、平々凡々な毎日を充実させることです。そこに更に特別なものを少しでも付加して貪欲さだろうと思います。
 
 貪欲さ、これ一番大切。若さって年じゃありません。夢や欲望失った時人は年を取るのです。やりたいこと山ほどあれば、体もそれに引きずられて動くものだと思います。春なんで、良い季節ですから、とにかく動きましょう。桜を楽しみ、ツツジを愛で、新緑に遊ぶ。友達との出会いを喜ぶ。ですね。
 
 嬉しいこと
 右耳が良くなり、左耳とのバランスが良くなった。普通の耳に戻った。諦めずリハビリした結果です。万歳です。ここまで良くなるとは思わなかったので、嬉しいですね。
 でも、完全復活宣言はしばらく後です。検証しないいけません。家でリラックスしている時と疲れて緊張している時では随分と聞こえ方が違うのです。一ヶ月二ヶ月、いや持つとかかるかも知れません。様々なシチュエイションで試さなければなりません。

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