思い出すまま - No106 / prev top next



 年末、正月は近くの温泉三昧でした。ここは山梨市フルーツ公園の上にある「ほったらかしの湯」という所。温泉はお湯の質もあるけど、周りの環境です。携帯電話のカメラなので鮮明じゃないけど遠くに富士山が見えます。ここは、甲府盆地、富士山が一望できることで人気があります。 桃の季節になったらまた行ってみよう。
 納豆がない
 一月半ば、「TVニュースで納豆がなくなる」というので慌ててスーパーに買いに行ったら、本当に納豆の棚に納豆が一つも並んでいなかった。家では肉や魚をあまり食べない僕にとって、納豆はなくてはならない常備食なのである。ご飯にかけてよし、武藤版納豆トーストはお勧めの食べ方である。これと野菜を食べていれば、栄養のバランスはほぼとれる。一日一個ぐらいは毎日食べている。
 その後、何故無くなったか分かってきて、馬鹿馬鹿しく阿呆らしくなってきた。納豆はすばらしい食材です、でもそれて五キロも十キロも痩せられるはずは、冷静に考えば誰でも分かるはずではないか。楽に痩せようとする安易な考えを盲信する根性はは情けないと言うほかない。カロリーのあるものを食べたら、その分汗を流せば太らず済む。汗をかきたくなかったら食べなければいいだけです。
 結局、番組製作会社の捏造データーということで、納豆はスーパーの納豆棚に戻って、僕はほっとした。昨年は寒天が標的となった。集団心理とは恐ろしい。はっきり言って流行とかブームとか言うものは基本的に信じないことしています。
 
 武藤式納豆トースト:食パンにマーガリンを塗り、納豆を糸立て醤油で溶き、その上に載せ、更に融けるチーズを乗せて焼けばできあがり。僕は醤油を多くしてパンに染み込ませ、少しパンを焦がすほどに焼く。外はパリパリと内はドロッと仕上がれば成功。また、納豆にからしや薬味を入れてもいい。一度お試しください。
 
今年は
 今年は猪年、猪の年は荒れると言う。十二年前、阪神大震災があり、オーム事件があった。僕も激しく動いていた。今年も何やら一つ二つ大きな変化の年になりそうな気配である。
 いいにつけ悪いにつけ、これだけいろいろなものが動いているのです。淀んだ腐ったものは表に出てきますし、制度疲労起こしているシステムや構造物はドドドと音を立てて壊れ、新しいものに移行します。そんな時期です。それにしても気になるのはこの暖冬です。
 勿論、僕についても新しい動きがいいころなのだが、こればかりはなんとも・・・・
 
 暖冬
 大きな不安が世界を、じわじわ襲い始めている。鈍感な人間達に自然が本格的に牙を剥き始めたのかも知れない。専門家は警告している「ここ二三年で有効な対策の方向性を出さなければ、人類は取り返しの着かない事態に陥る。」と。いっこうに進まない二酸化炭素対策。アメリカ、中国と言った超大国の反応の遅さ、省エネの技術で世界をリードするといっている日本でさえ、その中身は逆行している現状では、見通しははなはだ暗い。
 温暖化で、寒暖の差が激しくなり、旱魃や洪水、伝染病の蔓延になど直接的影響に拠る死亡。農業作物の減収による飢餓の進行。恐いのはそれらが原因で予想される二次的被害、人災です。
 温暖化は何十年も続く、一次的被害の慢性的増大は、世界的貧富の格差、政情不安と続き、紛争の多発へと進む。専門家が懸念するのは「対策が遅れれば、次の対策の遅れを引き起し、簡単には解決できないことによる、悪循環に」陥ることです。「災害や飢餓が増大することにより政治的不安定さが増し、更にそれが環境対策の遅れを招く」といった悪のシナリオです。元は、口では「環境環境」といっても目先の利益にしか眼がゆかない人間の傲慢さから発しているのです。
 
 身の回りを見ればわかると思います。ここ十数年の日本、バブル経済の崩壊移行経済の立直しが最優先で、環境問題は二の次にされた。「京都議定書」の履行は不可能な程にCO2を増やしているではありませんか。
 遅いよね、「レジ袋有料化」今頃やっと始まった。二十年前に始まっていい話です。この二十年間の遅れが、都会の夏の気温を一度上げたと置き換えてもいいかも知れない。
 過去の水俣病など深刻な環境汚染に苦しんだ日本がこんな現状なのです、他の国に日本と同等の環境対策が出来るはずがありません。世界は破滅的方向に向かっていると思わざるを得ません。
 
 CO2削減は世界的でなされなかれば意味がない、中国、アメリカ、インドなどの大量排出国の動向が鍵です。人間はこれだけ贅沢になりその生活レベルをさげることは容易でない。そこで環境の先進地と言われる人々の今やるべきことは、豊かで自然に優しいモデルをいっぱい作ることだと僕は思います。テクノロジーだけではない、新しい生活、文化、哲学を創造することです。
 実際問題として、人間は危機が起こらなければ動かない、災害が起き、食料がなくなり、多くの人が死ななければ人間社会は変わらない。でも多くのモデルが用意されていれば、犠牲を最小限にして自己変革をすることができる。
 と僕は思うのですが。
 
ギャー!ヤスだちょうだ!!
ヤッサンから送ってきたメール写真で構成
追記
 中世の末期ヨーロッパはペストで人口が三分の一に減った。漢と唐の間の内戦時代に中国の人口は十分の一にまで減少した。恐らく現代の環境問題はそんな人類の歴史的岐路に立っている問題だと思います。更に長い生命の歴史から見たら小さな異変かも知れないが。
 
 二十世紀は資本主義の確立と社会主義運動と共に始まった。二十一世紀は環境問題が当面の人類の最大の課題でしょう。産業革命は人間社会に新たな格差を生んだ、以前の「領主と領民」という格差から「資本家と労働者」という格差を生み、そのバランスなしには社会が機能しないこととなった。
 環境問題は人間社会と他の動植物や更に大きな自然とのバランスの問題ですので、更に根深く本質的問題だと思います。
 

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