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石綱いわつなの またをちかえり あおによし
  奈良の都を また見なむかも
     作者不明


もののふの、八十伴
やそとものの男の、思ふどち、心遣らむと、馬並めて、うちくちぶりの、白波の、荒礒あらそに寄する、渋谿しぶたにの、崎さきた廻もとほり、松田江まつだえの、長浜過ぎて、宇奈比川うなひがは、清き瀬ごとに、鵜川立ち、か行きかく行き、見つれども そこも飽かにと、布勢ふせの海に、舟浮け据ゑて、沖辺おきへ漕ぎ、辺に漕ぎ見れば、渚には、あぢ群むら騒き、島廻しまみには、木末こぬれ花咲き、ここばくも、見のさやけきか、玉櫛笥たまくしげ、二上山ふたかみやまに、延ふ蔦つたの、行きは別れず、あり通ひ、いや年のはに、思ふどち、かくし遊ばむ、今も見るごと     大伴家持
二首とも万葉集
前の歌「綱」、後の歌「蔦」ともに定家葛のこと



 




・開花時期は、 5/15 ~ 9/末頃。
 7月頃いったん花は途絶えるが、その後 新しい枝が伸びてきて  また開花する。
・スクリュー型の変わった形。
・おいしそうな香りがする。


・薬効   解熱
・薬用部位 葉、茎
・生薬名 「絡石(らくせき)」



 



 謡曲の「定家」に由来する名前。

 京都を旅していた僧侶が夕立にあい、雨宿りで駆け込んだところが、昔、歌人の「藤原定家」が建てた家だった。
 どこからか現れた女性が、その僧侶を、葛(つる)のからんだ「式子内親王(平安時代の、後白河法皇の第三皇女)」の墓に案内し、こう語った。

 「藤原定家は式子内親王を慕い続けていたが、内親王は49歳で亡くなってしまい、定家が式子内親王を想う執心が葛となって内親王の墓にからみついてしまった。内親王の霊は葛が墓石にからんで苦しがっているらしい」

 僧侶はそれを聞き、内親王の成仏を願って墓の前で読経した。じつは、先ほどの女性は式子内親王本人の「霊」で、僧侶が読経してくれたことで成仏できて喜んだ。
 そして、この、からみついた「葛」に後年、「定家葛」の名前がつけられた。



 




ていかかずら  Trachelospermum asiaticum Nakai     〔きょうちくとう科〕
 本州、四国、九州の山野に多い、常緑のつる性の木である。茎の太いものは径4cm長さ10mにおよぶ。 葉は柄があり対生し、普通は長楕円形であるが、長さや幅の差が多く一様ではない.。葉質は革質、全縁で先は鋭形鈍端,基部は鋭形で短かい柄がある。古い葉は暗緑色,新葉は緑色でともに光沢がある。初夏、葉腋または頂に白色で後黄色に変る花を集散状に開き、 花には香りがある。 がくは緑色で深く5裂する。 花冠は径2~3cm、下部は細い筒となり、上部は5裂して平らに開き、裂片は回旋する。雄しべは5本で雌しべは1本、ともに花筒の中にある。果実は袋果となり細長いさや状で長さ15~18cm、熟すと裂開して一端に長い毛が多数はえた種子を飛ばす。葉の小形のものを特にセキダカズラといい。葉の形がはきものの雪駄に似ているのでいう。本種はしばしば赤変する葉がまじり、昔マサキノカズラといったものはこれである。またチョウジカズラの俗名もある。
 〔漢名〕 白花藤という、しばしば絡石があてられるが誤りである。
-牧野植物図鑑-



  
つぼみ、0日       1日目     7日目、しおれています


有名な植物ですが、僕には馴染みが薄く、取り上げるのが遅くなりました。万葉の時代には定家かずらという名前はなく、蔦(つた)、綱(つな)と呼ばれていた様です。
花がスクリュー状なのも面白いですね。上の開花後の変化を見て下さい。(ま)


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