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 ゆっくりのんびり、しかし、やるべきことは確実に!
 人生はゆっくりのんびり行きたいものです。しかしやるべきことはしっかりと、言うのが大人の仕事です。
 また新しい年を迎え、自分の人生を振り返ってみると、まだまだというよりはこれからひと仕事、ふた仕事と大きな野望を持って行きたいと思っています。人生これからです。人に誇れるようなことはあまりやっていないような気がしてなりません。
 というのも、二十代はずうっと世の中の裏を見続けてきました。三十代になって、「Non、Non」とばかり言っておらず、生産的なことをしようと思ったのですが、見てしまった世界が余りにも重く、ただただ引き摺られるばかりて、立ち直れなかったのが実情です。四十になってやっと自分を取り戻したような感じです。かっての水俣病や三谷の労務者生活と平凡な市民生活が、同じものと見れるようになりました。だから僕はこれからです。
 でも、もう体は同世代の人々が、持病が表に出てくる年となりました。昨年は耳鳴りがひどくなり、突然右耳が聞こえなくなったりしました。幸いこれは生活には支障ない程に良くなりました。だから、若いときのように力まかせはもう通じません。そのかわり、たくさん失敗もしましたので、知恵は身に付けたと自負しています。
 夢は忘れてはなりません。心は青春であり続けたいものですし、野望は大きくもって、五十代後半、六十代と行きたいと思います。夢の何割かは実現できるものです。腐らず放棄しなければ、経験から身に付けた知恵の一つです。これが、2006年年頭の僕のメッセージです。
 
 では、皆様にとって良き年でありますことを!




 こめちゃん

 僕の友人に米田こめた君という同世代の友人がいる。みんな「こめちゃん」と愛称で呼ぶ人なのだが、風のように漂々としていて、楽しくなってしまう。
 美学校のコンセプシャルアートの松沢先生のお弟子さんですが、友人のイベントなので顔を見かけてはいたが、僕と話すようになったのはここ七、八年のことです。ナグリ(企業の商品展示会の仮設工事などの大工仕事)で顔を見かけるようになり、いろいろ話すようになり、僕の仕事を頼むようになり、この新聞も送るようになった。
 それが二年位前、突然音信不通になった。青梅の営林署の仕事が見つかったので、大工仕事はできないと言うのが音信不通になる前の最後の話したことである。その後しばらくして、新聞が戻ってくるようになり、電話しても通じなくなった。人にも聞いたが分からないのでそのままになっていた。
 それが今年の九月の初め(八月終わりだったかも知れない)、横浜のみなと未来にあるパシフィコ横浜で仕事があったとき、ロビーに彼がいるでないか、驚きである。「どうしていたんだ。」と聞くと、「今テント生活している。」言う答えが帰ってきたのでびっくりである。山仕事は失業対策事業で、半年以上できなく、その後仕事がなくこうなってしまったという。少し汚れが目立つぐらいで、元気そうだし彼の漂々とした姿は変わっていなかった。
 普通の人なら、こんなホームレスになったら、夫婦別れたり、悲惨さが顔に出るものだが、彼は単に住む家が亡くなっただけのいうハウスレスで、そんな生活を楽しんでいるとさえ見えてくるのは不思議だ。根が詩人なんでしょう。いいですね。
 この前、また東京の有明であったら、「冬はきついのでそろそろ家を探そうか。」といっていた。「家が見つからなければ、ホームレスになる。」と冗談で言って回っていたが、米ちゃんに先を越されたんじゃこの冗談はもう使えない。


 大根炊き
 冬が近づくと毎年これを作る。土鍋で二三時間、ことことと味を大根に染み込ませれば完成である。一晩置くと味が染み更にいい。武藤流は鯛や鰤や鮭のアラや頭を使うこと。切り身よりは味がいいし、なんといっても安い。自分で食べるときは大根丸ごと使う。皮剥きなどもってのほか、皮に栄養があるし、大根葉もおいしい。ほかの野菜はあまり入れない。大きく輪切りにし、魚もぶつ切り、醤油を少したらしことこと煮込むだけ。あくを丁寧にとれば味は万全。
 すぐ食べるときは、大根がやらかくなったら一端火を止め、三十分から一時間冷ます、この時味が染み込むので、この作業を忘れてはいけない。最後に味醂、醤油、唐辛子でなどで味の調整し、一煮立ちしてコネギやショウガを添えれば完成。
 元々上品な味がある鯛を使い、大根の皮をむき、面取りをして、ゆずの皮を入れる。醤油は薄口醤油を使うなど少なめにして、足らなければお塩で調整すれば、きれいに透明のスープとなる。水菜のおひたしやコネギのみじん切りで緑を添え、洒落た器に盛れば、料亭にも負けない上品な一品となる。
 
 追記
 僕は三十代初めに胃を2/3切り取って、今は大いに感謝している。それ以来高カロリーの食事が取れなくなってしまった。糖尿病や高血圧と言った食事に起因する習慣病の心配をしなくても良くなったからです。
 自分で作る料理は野菜が中心で、肉や魚は冷凍室で、一ヶ月二ヶ月と眠っていることが多い。独り者だからどうしてもどうしても外食することが多く、肉や魚の料理食べざるをえなく、家では精進料理まがいのの食事でバランスが取れる。

 飽食の時代というけど、四十年五十年前の人が町を歩いたら、おどろきでしょう。レストランに並んでいるのは当時の人が一ヶ月にいっぺん食べられか食べられないかのご馳走でしょう。それ毎日食べ続けたら、年取って病気になるのは当然。その半分が外国からの輸入と聞いたら目をまわすだろう。
 最近の統計で日本人の肉の消費が野菜との比率でアメリカ人を抜いてしまったと言う報告がある。1980、90年代、アメリカでは高カロリーの食事により心臓病、肥満などの健康被害ばかりではなく、経済活動や他の社会生活への弊害が叫ばれ、野菜の摂取を中心とする食生活の改善がなされたのに対して、バブル経済破綻後もグルメブームが一向に収まらない日本は高カロリー食品の比率が増加し続け、アメリカを抜いてしまった。「成熟した社会」というは江戸時代のようにその時代のテクノロジーや経済の中で調和した食生活と言うことだと思います。少なくとも食生活の上では「成熟した」社会とは言えないのだと思います。「貧乏からの脱出」というトラウマから精神的にはまだ脱していないのだと思います。

 ここ十年十五年、宅急便の出現、食の安全性、環境問題への関心で産地直送が定着して、生産者と消費者がとても近くなった。でも、輸入食品については、大手輸入業者に任せられ、毎日食べているにもかかわらず、生産している人を日本人はまったく知らない。僕は、この大手の業者に頼らない、世界規模での産地直送が今後の課題だと思います。
 イギリスでの実験ですが、コロンビアの農家とイギリスの小売店がコーヒー豆を直接取り引きする契約を結び、いい結果を出している。コロンビアの零細農家は、バイヤーに豆を売りたたかれることもなく、経営が安定し、イギリスの消費者が望む、無農薬の質の高い豆を生産することができるようになった。
 豊さを世界規模で還元するシステムを作ることが、世界の貧富の差、環境問題を解決するもっとも大切なことの一つです。
 
 引っ越し
 三年農家を探しても見つからない。これ以上大家さんに伸ばしてもらうできない、仕方ないので不動産屋で探すことにした。そこで問題が生じてくる、荷物が多すぎるのである。自分の荷物のほか、友人の引っ越しやらで、捨てるにはもったいないものなどが、自分の荷物以上に集まってしまったのである。
 四月、日用品を中心に、かなりのものは燃やせるものは燃やし、捨てるものは捨てた。そして、いざ自分の作ったものになると力が萎えてしまった。三十年前のデッサンから、最近の明かりシリーズのオブジェや絵描きかけの絵などは、捨てるに捨てられない。田舎の兄には、「もしかしたら荷物を預かってくれ。」と了解は取り付けてはいたが。
 心を決めるには時間が必要であった。よく考えてみればそんなにいいものは少ないのだが。製作中は捨てるものなのないのである。シミヤ傷でさえ、大切なヒントになるからである。故に捨てようと心が定まるのに半年かかった。
 そして、荷物の整理作業を十一月から再開した。今度は捨てることができた。どんどん燃やせるものは燃やした。それでも小さいものまで含めれば、百点近くは残ったが。
 これでずいぶん身軽になった。三分の一から四分の一まで圧縮できたと思う。でもちょっと気を許すと「もったいない精神」が顔をもたげ、「心に白い部分がなければ新しいことも描き込めない」とまた気を入れ直す、なかなか厳しい葛藤であった。これで少なくとも次の引っ越しは楽になるだろう。もうちょっとがんばれば、ワンルームのアパートかマンションに引っ越せるかも知れない。
 ノートパソコンひとつを持って旅に出る。他に私物らしきものは持たない。これは僕の夢である。難しいだろうが。


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背景・ダイヤモンドダスト





ミゼット
 晩秋の日曜日の早朝、八王子の高尾の甲州街道を懐かしい車が走っていた。おそらく四十代と思われる夫婦と、子供が乗っていた。今話題になっている映画の世界である。途中、コンビに止まり降りてきたので、「これどうしたんですか。」ときくと、「今日銀杏祭りがあり、パレードがあるので、これで出席するんです。」「整備は自分でやった。」という答えが帰ってきた。なんとも微笑ましいことである。
 こんな小さかったかな、50ccの自動車を一回り大きくぐらい。子供の頃の記憶しかないけど、もっと大きく思っていたのだが。