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八木 雅弘
 
 
◆ 唄を、唄わずにあらわす。唄であらわすことなく唄を。あるいは、あらわさぬことであらわれているものを損ねないようにする。
 
◆ 見ることが即ち詣でること。
 
◆ 悠然と位置をしずめる。位置について位置をしずめる。
 
◆ 席を縮める。
 
◆ ふれる手はもう私ではない。食べた物すなわち私でないものが私となるまでに必要なのは、この食べてからふれるまでの長さではないのか。ふれるまでは確かに手だったか。ふれて初めて手は手となる。手が私の延長なのではなく、私が手の還元からなる。
 
◆ 奥の挙げ退げ。
 
◆ 肌が旅。どこまで行っても旅、いたるところ肌。肌はそれじたいが更新であり、拡張にほかならぬ。だが肌は決して空間には属さない。ゆえの、旅。肌が愛撫を誘うのではない。肌じたいが愛撫であり、風雪の厳しさが愛撫である。身づから肌を忘れるまで肌は旅する。糧から次の糧までの、つかのまの生まれかわり。喉とはべつの、立たない呼吸。謂わば水平で、群生の気息。毛穴のひとつひとつに顫える唄。
 
◆ 何ものにも献げられぬ営みなどあるものだろうか。
 
◆ 所望を食いしばる。
 
◆ 立っていれば乱れている。
 
◆ はげしく背中を流れ落ちる。背中が加速するほど流れを上空へ立ち上がり静まる。いずれは垂れ下がるほど充実しはじめる。だがまだ上空ではない。
 
◆ 墓に実る。
 
◆ うな垂れて、ささやかに斜断するもの。断たれて命脈を保つ。一心に、光のなかで光を待っている。
 
◆ 欲しているのではなく、憶い出しているだけなのではないか。
 
◆ 太い夜の柱のそばで、自販機の灯りは何と神聖にかがやくことか。
 
◆ 見渡す限り祈る者もないとき、それが祈りである。私が祈らぬなら、私は祈りだ。私以外の悉くが祈りだ。
 
◆ 口はまだ私ではない。
 
◆ 揺れてるあいだに過ぎてゆく。何も通り過ぎるものはないのに揺れているのがここから聞える。
 
◆ 祈りにまで高まれば、人前にありながら人目に立たなくなるだろうか。
 
◆ 照らされることで塞がっている道。
 
◆ 風景を道具のように使い込む。
 
◆ この風景の息づかい。このからだの息づかい。このからだがこの風景よりも奥まった風景のひとつにすぎない。風の通りみちを避けて引っ込んだ処から、引っ込んだ処が既にさまざまに横切られている息づかいで目覚めている。わざわざ出向かなくとも立ちつくしている。
 
◆ 誰が定めたとも知らず、ここら辺りは境界なのだが、どこにも仕切りらしいものなどなく、まして線など引いてあるわけもない。この一帯がただぼうぼうと生い茂ったなりで、取りとめなくぼんやりと境界をなしている、ということか。境いめに盛る。立ちはだかったものがほかならぬ兆しであるような風景。
 
◆ 息をひそめ、息をほそめ、ちいさな穴のような光へと通す。
 
◆ 景色が景色じたいの素地へなすりつけられていると見る。画布へ絵具がなすりつけられるように。だから景色がどのようにそよぎ渡ろうとも、なつかしさに似た感覚が喚びさまされてもそれが具体的に憶えのあるなつかしい景色へ重なることはない。景色は荒んだものだ。景色は猛(たけ)り立ったものだ。私の肉をふるわせるのはそのためだ。
 
◆ 分け入らないことは分け入ることより甚だしい暴力である。
 
◆ 揺れながら(揺れたから?)連なるものを、連なってしまったから(しまったなら?)揺れはじめたんだろう。そう聞える。
 
◆ 道が激しく揺れて道にひびく。届いたから道なのだ。
 
◆ ひらいていれば軋むこともない。
 
◆ 制度によって滅ぶより動機によって滅ぶ。
 
◆ 背中あわせの背を、いずれかが引く。いずれかが引き取る。
 
◆ 北上南下。すみずみまで、むしろすみずみこそが震える。
 
◆ 水のように落ちのびる。四散するまでと、四散してからの、表面張力。
 
◆ 参るのは、ここまで届かない影へこちらから倒れて受け渡すこと。
 
◆ 粘ることで束ねなおしている。束がほぐれることで分割せずに存え、この面と他の面とを繋ぎ、そもそも四隅を混ぜあわせる。表面と底面を混ぜあわせる。
 
◆ 境界線は境界線に沿って流れている。流れつづける。われわれは岸辺となって差し出されなくてはならない。そして境界線の底へ深く差し込まれ、渡すのでなくてはならない。底では岸はもはや岸ではない。
 
◆ 滴にまみれて朽ちはて、跡形となって天を映している。天を映さずそこを跨ぐ。
 
◆ 塵取りの塵取りに過ぎないものを過ぎる。身の羽目。過ぎてはいない。過ぎてはいないが過ぎようとしている。
 
◆ 四隅もない野放図な広がりを混ぜあわせるためには。
 
◆ 臍に膝をおさめる。
 
◆ 皺の寄ったところを異物のように感じる。身体の充実が表面から退いて、表面が余ったわけだ。もともと一枚の表面と表面があちこちでくっついて重なり、たたなわる起伏をなして私がふと景色として立っていることに気づく。私の見渡す景色は私にとっての景色だが、この、私じしんが退きかけている私の表面のけわしさは誰にとっての景色か。ほかならぬ私じしんの生きた歳月が齎した表面の景色は、そのことじたいによって私の手に負えぬものとなり果てる。私がほそぼそと、だが深く狙いを定めて息づきながら眺めやるあの景色も、ひょっとすると何ものかの退(しさ)った表面、置き去りを食うことで去りゆくものを呪縛する、はるかに手の負えぬそれ自身の影なのかも知れない。景色は影だが見る眼も影にほかならぬ。眼が景色を纏おうが、景色が眼を纏おうが、どっちでもいいことなのかも知れない。おもえば眼とはそもそもの始めから宿っていた皺ではないか。私の歳月は皺の展開だったとも言えるような気がする。
 
◆ 伝わるのではなく伝うのだ。器の内がわでも外がわでも伝うと言う。滴のようなものだが滴なのかもしれない。伝う滴はどんなに激しく打つ滴より響く。どこへ響くかを思え。滴は滴に纏わる。器は割れることができる。砕けることができる。誰もいないので割れずにそこにある。器は割れるとき響きを立てるだろう。割れずにそこにある器は割れるよりもはるかに激しい。そこにあることが響き。響きを立てるに及ばず。響きそのものの如く立つ。立ちつづける。
 
◆ 望んで与えられるものではない。だが誰かが望んだ。それは望みとして私に伝わったのではなかったが、今なお何かが伝わりつづけている。それは因果か。枝葉が繁り、光にそよいだからは、私も誰かのひとりに他なるまい。
 
◆ 吊革につかまって揺れる腕の列。何と厳かな眺め。

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