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 サワ
 一月の十日頃重い封筒が届いた。開けてみたら、サワさんからの原稿である、例のごとく裏表にビッシリ書かれている。「今回は載せるのは無理、次回です。」とメールを打った。サワこと澤村浩行さんからは何時もこんな風に原稿が送られてくる。
 僕よりは一回り年上、かってのヒッピー世代の草分け、いまだに世界を放浪し続けているのには驚かされる。弟さんとも友達付き合いをしています。今回の文章でサワさんの家庭内のことも書かれていたけど、こんな兄貴を持ったら、弟さんのツネヤンが起こるのもよく解かりますし、別れた嫁さんが子供中心にシフトチェンジすることもよく解かります。
 でも、世の中はこういう人がいて社会の幅が拡がるし、豊かなものになるちと言うことで、貴重な存在です。「流浪」や「放浪」といったものは、普遍的なものです。定住という大多数派に比べ何時の世でも少数派だったのですが、過去に多くの精神的遺産を造り出して続けてきたのかれらです。宗教の世界も流浪の中から根幹に関わるものが形作られてきたものが数多くありますし、哲学者や詩人も流浪の中から普遍的なものを発見してきました。
 勿論、難民や、乞食や歴史に残らない人々のほうが圧倒的に多くいたことも確かですが、人世代前の封建的社会では、行商人、芸人など土地に縛られない人々が大衆の文化、芸能、流通を支えてきたのです。
 気づくと僕もいろいろな財産が自分を縛り、引っ越しひとつするのにアタフタとしています。二十代の頃のように、見んな捨てて身軽になるのも一つの手かとも考える昨今です。
 サワさんは韓国中国を旅行中とか、日本語フォントの入っていないノートパソコンを持ち歩いていますので、編集した文章を画像で出力してメールで送り、ローマ字で校正するといよな方法で連絡しあっています。
 
Kids2   川瀬メグ
 はな・花・華
 春はもうすぐ、天候の様子が変わり、曇りの日が多くなり、雪が雨交じりとなり、雨だけとなり、春先はめまぐるしく変わる。その変化がやっと始まった。これから一雨ごとに春になる。春は花の季節である。花はいい、できたら花ある人生を送りたいものである。
 エロスがあるというは、大切なことである。精気にあふれて、静的魅力があると言うことである。年の問題じゃないよね。心が若いと言うことです。
 植物たちが冬の眠りから覚め芽吹く時、花芽が膨らんで花弁を開くのはいつ見ても、あれは感動です。命と言うけど、芽吹きや、花芽の開花は命の美しさを身近に見せてくれる最大なものの一つです。
 派手な華やかさは、僕には無理。そういう才能はないと身に染みてわかっています。僕の詩を読んでもらえれば分かります。原則論しか言えない。ピカッとした飛んだ文字がちりばめられないと、才能があるとは言えない。あの詩は人に読んでもらうと言うより、自分に元気を出させるために書いているのです。スターとして人々にもてはやされるものはないが、夢を持ち、エロスを感じさせることが出来るような意欲を忘れたら人生終わりです。
 それと、好い人過ぎてはいけない。エロスというは生命の持つエネルギーそのもの、うまくコントロールすることは大切だが、物分かりが良過ぎるとは、生命現象を現象させる方向に作用することがある。お利口さんになりすぎないことも大切です。
 
 核・あるは北朝鮮
 核の保有宣言をするような物騒窮まりない隣の国、二十世紀最悪の国家の一つでしょう。これをつぶすなり、解体するなり、うまく体制を変革するのは至難の業のようです。僕が思うには今焦点になっている核やミサイルではなく、一番大切なの難民でしょうね。中国国境近くに国連の難民事務所を開くことができれば、この国は崩壊に向かうと思うのですが。どうしてそれができないのか。日本と韓国が金を出しキャンプを作り、日本で多くて百万人の人々を受け入れれば、この国は変わらざるを得ない。
 あの国は、分かりやすく言えば二千万人のオウム教団です。二千万人が思考停止しているのです。周辺の諸国がそれ相当の手傷を追うことを覚悟しなければ益々、更に大きな災害になる思うのですが。
 ニュースを注意深く見ていると、中国と朝鮮の微妙な関係に気づかされます。朝鮮族にとって中国は心許せる国ではないのです。中国にとっても、決して素直に従う国ではないのです。北朝鮮が古い共産主義に固執するのはそのためです。簡単に中国型の開放路線に移れないのは、水面下で根強い歴史的なものが横たわっています。いずれにせよ、東アジアにおける冷戦時代の最最終章が今進行中と言うことです。
 僕の勉強した朝鮮史で、近代化が遅れ、日本なんかに植民地化された原因は、長い清王朝の間接支配のためです。軍事権と外交権を奪われ、日本のような情報だけは入っていた半鎖国ではなく、完全鎖国を強いられたからです。情報がまったくない状態で、十九世紀の半ば外国船が現れるのです。日本と同じように改革派という人が現われるのですが、自国の保守派だけではなく、清王朝が大きくのしかかり、勢力を伸ばすことができず、壊滅してしまうのです。そして、日清戦争後、李王朝は清、ロシア、日本と大きく宗主国を探して揺れ、日露戦争によって結果が出たのです。
 福沢諭吉も改革派の人々を応援していたのです。もし彼らが大きな力になっていたら、李王朝の依存体質から脱却し、独立国家を作ることができたかも知れませし、その後の抗日運動が強くなれなかったことにつながるし、第二次大戦後、統一国家が作れなかったことにつながると思うのです。ちよっばかり近代化に乗り遅れてしまった故の悲しい歴史です。
 日本の日中戦争以降の植民地支配は目茶苦茶悪いことをしてしまったから、反日感情は当然ですが、歴史的な観点から見たら日本に対しては一時的なものです。中国とは古代から、支配されたり、独立を守ったりの歴史です。中国人に対する警戒心は、恐らく根深くあるのです。
 金日成・正日親子の体制は大国の中で独立を守ろうとしたあがきなのです。独立を守ろうとするあまり、内には専制的になって行くとう可哀想な指導者と言うことだと思います。八十年代、九十年代の韓国の民主化運動は、朝鮮族が自立した民主主義国家をここに初めて築いたと言うことだと思います。おばさんたちは素直ですので、自立した韓国男性の強さと優しさを直感的に感じたのです。だから韓流ブームは本物なのです。
 引っ越し
 昨年十二月から家探しを今まで以上に力を入れやっている。改装可能な古い農家、家はあるのだがなかなか貸してくれない。登記所に行って持ち主捜したりして四、五軒気に入ったのを見つけたのだが全滅である。三月に入り不動産回りを始めた。少々疲れた。
 季節の変わり目でしょう。正確には三年前から家を捜し始めているのに見つからない。一番は僕のパトスが以前のようには出てないと言うこともあるが、これだけ探して駄目ということは、別のライフスタイルを考えなさいと言うメッセージかも知れない。僕は定住型の生き方をしてこなかった。十年以上同じところにいたためしがなかった。住居を移すことによって新しいエネルギーをもらって再生すると言うのが僕のライフスタイルかも知れない。でも、新しいことが見つからないでいるのも確かなここに三年です。いい契機になってくれればと思っています。

 追記
 相模湖町ピクニックランドの東側に一軒家を見つけました。普通の借家なので面白味がないのですが、家の前に谷川が流れていてせせらぎが聞こえるのが気に入った。契約は四月からということになりそうですし、この家探しについては全く付きがない僕ですので、確定したら、次回にお知らせします。

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