prev top next
 
 若いと言うこと
 ある老作家が「人生七十年、八十年と生きてくると、若い頃うらやましいと思っていた人に人に、会ってその後の話など聞いたりすると平凡な人生だったりして、人間の幸不幸は平均化して、特別人による差がない。」と言うことだそうである。
 五十才を過ぎたあたりから、なるほどと思うことも多くなった。今ままであまり目立たなかった友達が、子育てを終え、生き生きと活動的になっていたり、昔騒がれた人が、今は何しているか噂話も聞かないと言ったことが、結構あるからです。
 僕に関して言えば、二十代、三十代頃、「今しなければ、僕と言う人間の人生観が変ってしまう。」という危機感から決めたことが多々あったのだが、今考えると、果たしてそれが正しかったのかと思えてくる。なかなか簡単に結論がでない。勿論やってきてしまったことは取り返しは着かないけど、時には考えてみないといけないかなと思う昨今です。

 
 中国
 連日サッカーの中国サポーターの日本選手やサポーターに対するブーインクが報道されている。サッカーの歴史でこの程度のことはかってのヨーロッパのフーリガンや南米の政治がらみの歴史に比べたら大したことではない。僕は、そろそろ中国も政治の季節に入り始めたのではないかと思えてくる。
 それは、経済解放だけで政治的自由がないなどと言うことはありえないと言うことだからです。国旗を燃やすとか、日本の国歌の時にブーイングをするとか、先の戦争犯罪を日本政府が充分自己批判していないと言うことは確かなことですが、それと同等に、いやそれ以上に政治的自由がないことに対する不満が蓄積ありつつあると思えるのです。自家用車を乗り回し、パソコンで世界中の人々と交信し始めた人々が、選挙権がないなどいう現実に満足できるはずありません。
 中国ではナンダーグランドで過激な「日本批判」のサイトが咲き乱れていると言う。馬鹿な日本人が中国に行って春売をしたり、馬鹿な踊りをして顰蹙を受けているけど、このサイトが中国政府批判にいつ変るか分からない。ということです。
 おそらく僕の予想では、オリンピックまではそれらが暴走することはないと思う。それは、オリンピックは国の目標であり、民衆の夢だからです。先進国から遅れていると言う意識から解放されたとき、二桁の経済成長が頭打ちになったとき、人々は政治的自由を本気で求め始めるのだと思います。
 かっての天安門事件ぐらいの大騒動になるかも知れません。台湾とは政治的には対立しているけど、建て前と本音をうまく使い分ける人々です。対立と言いつつしっかり香港や台湾のやり方を学習しつつあるのが、先の見えた中国人の今ではないでしょうか。 日本が仲良くすべきはアメリカではなく、韓国や中国です。
 
 ↓ 家の前の不動尊                    お盆・田舎
何十年ぶりでしょうか。お盆田舎に帰るは。御袋が死んだときぐらい帰ろうと思った。田舎という所は、若い頃と中年以降とは随分と違うようだ。若い頃は自由がないとか、働く場所がないとかいう理由で目はどうしても外に向きますが、中年以降は、自分のルーツを求める気持ちや懐かしさで、生まれたところを思うものです。それが帰ると言う行為には、なかなか結びつきませんが。
僕の家は会津と越後の国境にあり、本家は行商人などが泊まる貧乏宿をやっていたのですが、江戸から明治に変わる頃そこの次男坊が村の不動尊の前に開いていた茶店を引き継ぎ独立したのが始まりです。村は多くて七八軒、今は六軒の小さな村で、冠婚葬祭はすべて村全体でやる村が一つの家族なのです。ルーツは古く、奈良時代まで遡れるとか?土地は山と川に挟まれてとても狭いのですが、交通の要所ですし、鉄道が敷かれる前は、川仕事(運搬は川で船でというのが主役でした。ので、それに付随した仕事かいろいろあった。・・会津藩の米はこの川を使って新潟に運ばれ、更に大阪まで運ばれた。また鮭が獲れた。)、炭焼きなどの山仕事など、豊かではないが、貧しくはなかったようです。
写真は家の前の不動尊の前に簡易ベットを広げ横になってとったものです。不動尊の石碑の下に用水が流れていて、大きな鬼胡桃と岩山の木々の木陰とで涼しく、夏はここで横になるのが僕は大好きだった。岩山を少し登ると小さな祠があり、お不動様が安置されています。ここは出羽三山の湯殿山の信仰圏なのです。 ここの胡桃を食べて育ったので、胡桃と言えば鬼胡桃の苦み渋味の強い味が染みつき、市販の胡桃では少し物足らない。何かあると、おばあちゃんが胡桃を割り、胡桃餅、胡桃蕎麦にしてもてなしをすることになっていた。

久しぶりに田舎のゆったりとした気分を思い出したお盆でした。
                                     鬼胡桃の木 →
PS
とは言え、御袋の死に方が余りにもショッキングな出来事だったので、特に御袋に最も近しい人々、近所のお母さんたち、姉たちの心はなかなか癒えそうにもありません。これからかなりの時間が必要なのでしょう。

芹沼会・お盆に帰省した人々が集会所に集まり飲み会を始めた。少し顔を出してきた。初めてと言うことらしい。僕の兄、姉達たちだったが、彼らがこの村に居た頃この小さな村が一番活気にあふれていたことだった。実の兄弟以上にいいことも、時には悪いことも教わり、いつも日のくれるまで遊んだ。山や川、回り全てが遊び場だったのです。こんな飲み会を開くようになったのも、定年もしくは間近くなり、故郷がことさら恋しくなって来たからでしょう。
懐かしいと言うより、不思議な異空間に迷い込んでしまった「アリス」のような感じであった。
 
非戦のグループ展
山梨明野村に住む浅原友子さんの個展を仕事の疲れを理由に直前で取り止めにしたので、「非戦」をテーマにしたグループ展の案内が舞い込んだので甲府まで顔を出してきました。若い人(四十五十代)のいろいろなオブジェや作品に混じって、92才のお婆ちゃんの作品がありとても感動しました。卵のからに着色して貼り付けた作品で、花や蝶や森の木などを描いているのだが、色の発色がいいことと、若い人のような雑念がすべて浄化され、素直に見たまま、感じたまま描かれていて、目の覚める思いでした。年よりは元気で居るだけでうれしいのに、こんな作品残せたらもっとうれしい。


 森の作品の緑の発色が良く、とても気に入ったのですが、写真映りが悪く、別の作品を載せました。それと浅原友子さんの作品と会場の写真。









 オリンピック
国家と国家の対決、そう演出したのがヒットラーです。彼の天才的な演出で、国家がスポンサーとなる世界のイベントになったのがオリンピックです。政治的にねじ曲げられてきたのです。でも初期の理想主義は継承されていることも確かです。世界の人が集まりお祭りをやること事体が大切なことです。
ほんのここ十年ぐらいの間に、日本の選手が明るくなったことが印象的でした。バブル経済を経て、やっと欧米コンプレックスが獲れてきたのでしょう。特に若い人は。以前の滅私奉公的な、スポーツ根性マンガ的な糞真面目さがなくなってうれしいことです。オリンピックであろが何であろうが、スポーツは自分のためであり、次に家族のため、地域社会、所属クラブチームのためでであり、最後に国とか民族のためです。人のためのスポーツではありません。
国際政治の道具にされたり、過度な商業主義に流されたりと紆余曲折はあるけども、「平和、フェアー」と言った高貴な哲学は残るのです。アマチアイズムは仕方ないでしょうね。ここまで高度になったらアマチアでは対応できない。それより、スポーツを楽しむ人の裾野が広がっていることが大切です。


prev top next


 逗子の海岸からの富士山
猛暑の八月に逗子の小野さんの古い家の修理に何日か通った。夏ばて解消には身体を動かすのが一番です。ここの海岸から見る富士山は僕の好きな富士山のひとつです。
 この時期、裾のまできれいに見える富士山も珍しいので、車を止め思わず写真に撮った。手前にあるのが江ノ島です。夕焼けにきれいなシュルエットとなっていました。