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 詩とホームページ
 春は活動的というより、内向きになることが多い。経験的に無理に動き回らないほうが失敗が少ない。大きな失敗は春が多かったからです。そんなわけで、一週間かけて、僕の詩だけのホームページを作りました。新聞に載せたものを全部載せました。思ったほど多くない、詩人と言われるためにはこの十倍ぐらいはないと。
 僕が詩を書き始めたのは必要に迫られてです。二十代後半になって、どうしても言葉で自分を把握する必要に出てきたからです。人に読んでもらうためと言うより、自分のためということが大きい、それは今でも同じです。
 四十を境に僕の人生観が大きく変わりましたが、どうも最近行けません。言葉だけで空回りしていて、年というのは関係ないと思うけど、新鮮な感動が少ないような気がして、良くない良くない。人間の脳は、常に新鮮なものを求めている。慣れが良くない、なれると脳を使わなくて済むようになる、少しストレスがある状態がいい、「どうしょう、どうしょう。」と考えないと前に進まない状態がいい。
 気か向いたらアクセツしてみてください。もちろん乱蘭通信のホームページからも入れます。
 
   直接のurlhttp://members.aol.com/ran3tsu/shi.htm です。
 
 
 イラク、イラク
 もはや巨大国家が他国を侵略して、力でその国を支配する時代は終わった。情報がインターネット、衛星放送と国境を超えてながれ、イラクの国民も、世界の世論の半分以上はアメリカの正義のやりすぎを認めていないと知っているので、最近は「レジスタンス」公然と反旗を起こし始めた。
 この戦争、アメリカの敗北も間近でしょう。このまま混乱が続けば、アメリカがこじつけに上げた「テロ支援国家」(サダムのイラクは民族主義的独裁国家かも知れないが、アルカイダなどの原理主義的テロリストとは無関係)が本物のテロリストの温床になりかけない状況です。イラクに、親米国家を作りアラブ諸国に影響力を強めようとした野望が、影響力の大幅後退という事態になりかねない。今の時代これを終収出来るのは国連、もしくはそれに準じる国際機関だけです。
 
 日本の報道陣やボランティアが誘拐されて大騒ぎしたけど、アメリカの無差別攻撃を止めよとしたファルージャ周辺の住民が、この事実を世界に知らせようとした切羽詰った行動だったようです。日本政府はこれを過激派の武装集団、テロリストにしておきたいようだが、特別に訓練された戦闘員ではなく、住民が手持ちの武器をもった、たくさんの集団が咄嗟にとった行動であったことが分かってきた。
 
 テロテロと言いますが、アメリカが標的に狙われるのはしかたがない。イラクに限らず、パレスチナでもずっとイスラエルを援助し続けている。そのために何人の人々が死んでいるとしたら、僕は9.11のテロなど可愛いとさえ思えてくる。イラクにしても、アフガンにしても米軍の誤爆などでどれほどの人々が死んでいるかと考えたら、百万都市が小型核爆弾で崩壊するほどの犯罪をしていると僕は思えてくる。このままイラクが泥沼化し、ベトナム戦争の時のように大敗するのが今後の世界にとっていいことかも知れない。
 
 イラクと連動して、イスラエルのシャロン政権ますます凶暴になるばかり、テロが起こるのは当然です。シャロンが殺したパレスチナ人の数は、テロで死んだイスラエル人の十倍になるでしょう。これじゃ、当分続きますよ。テロの世紀が。こいつを止められなくてテロリストだけ悪者じゃ、終わりませんよ。
 
 誘拐された日本の青年たち、いいですね。同じ頃の僕と比較したら、立派ですよ。ああいう人たちがて出て来るならまだまだ日本も捨てたものではありません。一人のすばらしい人がいるとは、それを支援する百人の人が居ると言うことです。それが千人になり、一万人になるのです。
 
 
 青葉
 植物はすごい。この頃になると同じ生物として恥ずかしくなるほどです。
    季は青葉 ただただ見とれ 妬ねたむのみ
    木漏れ陽 きらめく青葉 嫉妬して
 
 
 田舎そば
 国道二十号線の笹目トンネルの手前大月よりのところに「やまびこ」というそば・うどんの店がある。一応手打ちそばなのだが、いわゆる「こだわりのそばや」ではない。午前十一時から午後三時までの昼飯時しかやっていないのだが、いつも近くの農協や郵便局や酒造会社の社員や道路を通る営業マンなどで満席である。近くを通った時いつもこの店に寄りそばを食べている。
 ここのそばが好きなのは、安いこともあるのだけど、盛りがとにかく多いことです。普通のお店の二倍以上あるかな。僕には少し多いのだが、これぞ田舎のそば屋という気がしてうれしいのです。
 そばで村興しをしているところは多いのだけど、変にこだわりすぎ、田舎のそば屋の良さを忘れているような気がする。洒落たそばと言うのはもともと都会で発展してきたものです。都会の中でも一部の金持ちに好まれてきたものです。ほとんどの人々は二八そばとかの安いそばを食べてきたのです。田舎でもそばはご馳走だったのですが、そのご馳走の意味が今とは違ったと僕は思うのです。
 もちろん僕が行っているのは十年二十年と行ったことではなく、もっと長いスパンの時間でのことです。それは、日本の食文化の歴史の中で「腹いっぱい食べる」ということがごく最近、戦争前までは最大のご馳走だったのです。ヨーロッパだってアメリカだって大差ありませんし、今でも世界の過半数以上の人々は同様の食生活をしているのです。庶民にとっては「山盛りに盛る」というのが最大のご馳走だったのです。
 
 
 旅に出たいな
 そろそろ旅に出たいな、詩に書いたように春はいつも少しマイナーになるのだが、それは僕の季節病だから仕方ない。毎日同じことを仕続けることが苦手なのです。ここに三年不景気でお金がなかったりして、身動きが取れないのだが、今までは動けなければ動かないですることが次から次と出てきたのだが、どうもそれもネタ切れ状態。脳味噌の更年期障害が、なかなか良くならないと言うことです。どんどんと袋小路にはまって行くと言うのが現在です。
 旅は色々なものを活性化してくれる。そろそろ新しい空気を入れないと死んじゃうよ。バタ!
 
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