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     詩人とテロリスト

小牧みどり 

 

 大佛次郎といえば、近代日本の夜明けを描いた「天皇の世紀」や、フランス革命、パリコンミューンについての膨大な資料にもとづく「パリ燃ゆ」などが有名かと思うが、「鞍馬天狗」もおもしろいらしい。私が持っている本は、「ねこのいる日々」という猫のことばかり書いた随筆と童話がはいった本で、猫の絵や猫の置物のコレクションの写真が楽しい。横浜の「港が見える丘公園」にある、大佛次郎記念館が開館した当時は門も猫の模様だった。のちになぜか変わってしまったが猫だらけで徹底していてうれしい。書斎らしき写真は猫が15匹いたために障子がバリバリになったままだ。我が家の猫は3匹で壁をバリバリにしてくれて、白い壁紙がぱらぱらと落ちている。しかし大佛次郎にあこがれる私としては、まあいいか、といったところがあって怒れない。家を新築してから9年が過ぎ、みごとに壁は、すべて、バリバリになった。今では、猫が爪を研げないような、しっくい壁の家をもういちど建てるのが夢である。塩化ビニールの安い壁紙にしたのが悔やまれる。が、今となっては笑うしかない。 

 

 それはともかく、朝日新聞社のノンフィクション文庫7に、「ドレフュス事件・詩人・地霊」が収められている。ここでは「詩人」とはなにか考えてみたいと思う。 

 

 1905年、帝政ロシア、モスクワが舞台になっているテロリストたちの話である。男の名はイワン・プラトノビッチ・カリャアエフ、詩人。2月2日、ボリショイ劇場では赤十字を後援するために、モスクワ総督夫人主催の観劇がはじまろうとしていた。上流階級の貴婦人などが子供を連れて集まってきた。カリャアエフの目的はモスクワ総督セルゲイ太公暗殺であった。

 この計画のモスクワ指揮者は「蒼ざめた馬」を後年書いた作家のサビンコフである。サビンコフの回想録によると、カリャアエフは失敗した場合は、日本人のように腹切りをして自分の始末をつけると言っていたという。ことのほか寒いモスクワの夜に5人のテロリストがそれぞれの持ち場に着いていた。青い洋燈をつけた馬車はセルゲイ太公の馬車だけである。闇に浮かぶ白馬2頭、そして青い洋燈をつけた馬車が広場に入ってきた。ここはカリャアエフの持ち場であった。しかし爆弾の音はしなかった。馬車はボリショイ劇場の前に横づけされ、セルゲイ太公と太公妃、そして2人の幼い子供が劇場に入っていった。

 カリャアエフはサビンコフに言った。「小さい子供たちを誰が殺せますか。」カリャアエフでなく仲間の一人が怖じ気づき脱退を申し出た。サビンコフは計画の延期を決めるしかないと思った。ところが、カリャアエフはひとりでもやるという。2日後の2月4日、セルゲイ太公だけが乗った馬車がクレムリン宮の裁判所の前の広場にさしかかったとき、カリャアエフは爆弾を抱え飛び出した。馬車は粉みじんになりモスクワ総督セルゲイ太公の首が転がった。カリャアエフは顔から血が流れたぐらいで、その場でつかまり、馬車に乗せられた。彼の愛してやまなかった、子供、花、そして小鳥は監獄にはいない。が、彼は「楽な気持ち」になって手紙や手記を書いている。

 それによると、総督夫人がわざわざ会いに来たというのである。偶然生きのびた2人が会うことにカリャアエフは何とも言えない気がしたと書き残している。しかも自分が助けたという気持ちがあるのだ。夫人は親しくカリャアエフに小さい聖像を渡して、告げた。「これを、あなたに差し上げます。わたくしは、これからもあなたのためにお祈りしています。」カリャアエフは彼女に認められたと思い、総督が犯した罪悪に対する彼女の悔悟の象徴ではないかと思う。

 しかし大佛次郎は、詩人の空想ではないかと書いている。太公妃エリザベータが夫の暗殺者に会いに来たのは事実として、高貴な階級の、「支配するもの」が習慣的に行う、慈悲と憐憫、道徳の色彩を帯びた行動だと書いている。そうでなければ耐え難いであろうと。新聞は総督夫人の慈悲で、カリャアエフが懺悔したと、事実と反対のことを伝えた。しかし夫人が哀れみをかけて救おうとしたカリャアエフは、夫人のいのちを助けたことを一言も言わずに死刑台に消えた。詩人にとっては話す必要もなかったことだった。詩人であり、テロリストである彼の純粋さには共鳴する。 

 

 この短編が書かれたのは、1933年5月、日本においても検閲があり、厳しい条件の中で書かれたもので制約があるらしい。「自由」になった今、自己規制してはいないだろうか。テロリストになれない私ができることといえば、つまらない選挙に行くことだろうか。選択の基準は憲法9条をどうするかである。なによりも平和でなければならない。その前に、壁でつめをとぐ我が家の猫のテロリストを説得しなければ。もう一度家を建てる方がまだ可能性があるだろうか。それとも、足るを知る、べきであろうか。

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