燃えさし
八木雅弘
●左まわりに死んでいる。まるで死者のようにもてなされてはいないか。
●黙って立ち尽す者は駆け抜けている。
●背景などない。背後にあるのは景色ではない。
●目を閉じずに目を閉じる。日を没めずに日が没む。
●それぞれの流れが時間をかけて織り重なる。渦まくよりも、異る多様な揺れがひとつの大まかな揺れへ回収されて、広大な表面を獲得するに至る。
●痛みとは気象のようなもの。特定の地域の気候のようなもの。ひとは痛みを繰返すことで離郷し帰郷することができる。
●己れがかつて通った道は、たった一度しか通らなかったとしても、ふいに歳月をへだてて蘇る、故郷の風土のようなものと化している。
●陣中、縫いめに沿って咽ぶ。
●水立てば匂いが引き出される。瞑目すなわち装束。
●先ず心臓が地震である。
●からだのすることはぜんぶ祈りである。と言うよりも、からだとは祈りそのものなのだ。祈りと呼吸法。
●意識とは、長い長い廊下、と言うか縁側みたいなものだと思う。
●私が客となって訪れるとき、私を客が訪れている。そう思わなくては。私が訪れるとき 、私を訪れている。客になる。客でなくなる。その出入りのほどは思いのほか、確めがたい。
●数はそのつど発見されなくてはならない。そのつど驚きであるべきだ。
●崇められれば直ちに去る。
●この世界に、音楽の音以外に余計な音などない。音楽はそれを教えてくれる。
●結びめからほどけてゆく。ふいに、はなれている。黙って、見つめて、遠ざかる。
●人間の速度とは「他」の速度であり、他は多に通ずる。ひとりの他者が多くの他者を予告する。多者の速度。
●つねの如く、私ならざるものに私がはこばれるとき、その外がわで、夜のなかを夜が動いてついてくる。
●我は断じて譲り難いものだとしても、いのちは、そもそも譲られたもの。
●(道具を)磨くことによって己れを磨くほかに、磨かぬことによって己れを磨くという消息もある。磨いて落した汚れはどこへ行くか。磨くことはささやかながらも世界を汚すことであり、自身から生じた汚れで世界が汚れてゆくその汚れを自身だけ免れようとする営みである。そのようにして磨かれた己れを離れてみる。道具はそのためにもある。世界にあることから世界であることへ。それは磨かない。磨かずに磨く、というよりいっそ、洗うと言えばよい。 弛みなく磨きたてることで輝きを放つ己れは摩滅にいたる拒絶とも言える。磨くことを習慣としてはなるまい。むしろ、日々洗う。洗うそのつど己れは新たにあらわれる。洗うことからさえ退く。決して現れない己れ、到ることなき己れ。
●抛(なげう)つ方は開(あ)く。その先は顔である。
●客は顔のみ持参のこと。
●皮膚には裏表があり、それはたぶん逆になっている。
●一命を取りとめる、というより、取りとめない諸々が一命によって取りとめられる。辛うじて。一命の一がよすがとなる。一にすぎない、ということがよすがとなる。
●中に住むものは外にいる。
●譲ればふさぐことになる。譲っても譲らなくてもふさいでいることに変りはない。
●祝えば境地をなくす。
●隈が緑となって鮮かに荒れる。そこでは横たわることと立つことが、生者と死者が、静かに、何度でも、取り違えられる。
●骨は最後に出来る。最後に残る。基礎とは最後のことだ。
●待てば急ぐと思うなら、待つことは卑劣である。時間の異なりを異なったまま迎える。待つことが乱してはならぬ。それが敬意であり、払って待つことがただちに払われて過ぎる意となる。すれ違うこと がこの上ない酬いとなる。
●私の最前に、糸のようなものが垂れる。途切れているが、垂れている。光ではないが、光のようなものが、糸を伝って明るむようだ。熱が去るさまか。息が去るさまか。
●水が水を閉じている。水と、水に映ったわずかな光で閉じている。
●光は何か普遍的なものなのではなく、そこに差していることじたいかけがえのないものなのだ。今、ここがよそに差されて(差しあって)いるというおののき。
●遮りあって、音を嵩ませる。
●私をかたちづくるものがおよそ列をなしており、私はその列に割り込んでいるだけである。列を乱して私を名のる。名のった列の手籠めにひとしい。
●雨は皮膚がおぼえる。目でも耳でもない。皮膚には年々世界が住みつく。
●光を見上げる。目はいちまいの翅にすぎない。
●言葉は留(とど)めるよりも蘇るにかかる。
●この反故の束があなたの前ではいちまいの白紙となって舞い上がる。