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思いつくまま





  記憶・・・一号からの乱蘭通信をCDに保存して

 先号を発送し終わってから急に思い出し、乱蘭通信のバックナンバーの整理を始めた。スキャナーで一枚一枚コピーする作業である。ワープロを使うようになってからはフロッピーに保存したものをコンピーターに取り込んではいるのだけど、文字情報だけだったり、画像やページのレイアウトがソフトが違うので、ほとんど編集をやり直さなければならないし、破損しているフロッピーも多い。疲れたが、ほぼ完全にCDに保存できた。こういうことは思いついたときやっておかないと。時間が経つに従って亡くなってゆく。

 もう昔のものはかなりなくなっているかなと思ったけど、思った以上に-まったくないものが一号、おそらくナンバーを飛び越えてしまったののだろう、詳しく思え出せないもの。文章だけで全体のレイアウトが分からないもの一号。の二号分だけである。僕としては完璧に近い。-残っていたのでほっとしている。

 記憶と言うのは曖昧ですね。僕はこの新聞は1987年に始めたとばかり思っていたら、第一号は88年の春だった。手書きの頃の最初の三年、汚く読みずらいものを皆様に送って改めて申し訳ありません。

 僕は自分の脳味噌を整理する必要があったので、自分で文章を書き、皆様の反応を見て、考え方をチック修正するという作業です。皆様に甘えることにしたのです。素直に皆様に「ありがとう」と言えるようなったのはこの新聞のおかげです。

 しかしこんなに続くとは、最初は三回続けばいいと思っていた。それが一年になり、三年になり、もう十五年になる。これだけ続くとはそれなりの必然性があるのでしょう。紙面を眺めていると、エジプトに行ったあたりから大きく変わって、大月にアトリエを構えて、紙面が柔らかくなったのがよくわかる。

 人間は一人では生きられない。人と人を繋ぐものはさまざまあるが、その一番大きいのが言葉です。だから言葉は難しい。友達を怒らせて始めて、自分の使った言葉の不適的さに気づく、悪意があるわけではないが、一言二言の配慮のなさが多くの諍いの元になる。さりとて自分の考えを表現できなければ、ストレスが残りストレスは新たな妄想や誤解を生む。僕はその言葉の使い方をここで勉強してもらっているのです。

 機会を見て、また振り返ってみましょう。

 

 ちなみに、ホームページは65号2000年4月からですが、トラブルが多く、69号2000年12月から安定して更新出るようになった。

 

ゆったりと

 江戸の春というところで書けなかったけど、江戸時代大工は二時とき四時間が通常の労働時間だったという。江戸の町人は職人の町で大工はその中核の職種です。ほかの職人達の待遇もそれに準ずることになります。今で言えば中小業、ブルーカラーの工員と言ったところでしょうか。又、江戸の半数を占めた武士達も、町の奉行の月番制のように、半分は休みの日があった。大店の商人は別でしょうが大方の人々は今の人の半部の労働時間だったと思われます。

 物質的には今と比較にならないほど質素であったけど、精神的と言うと貧相ではまったく無かったと思う。心のゆったりさといったら今の人より豊かだった思われます。お寺や神社は整備されていたし、日帰りできる名所旧跡は江戸の町にたくさん散らばっていた。

 日本が急激に変わったのは1960年になってからです。こんなに働き虫になったのもこの頃からでしょう。高度成長という時期がついこの前バブル景気まで続いた。今は長期の不景気の時期が続いている、変わるべき時期なのでしょう。今こそ心の豊かさに立ち戻る時期なのです。ゆっくゆったり人生にライフスタイルに返りましょう。                

 

 句三つ

   一人寝の 心にしみる 猫の声

   朧月 夢幻の 中に住み

   水温み 心も優しく なりにけり

 

 鬼の攪乱 

 二月の後半、春が近ずくと、雪がつもって困ることはなくなるが、天気の変化が早くなり、先週(第3週)なんかは日替わりで春と冬とが入れ代わる具合であった。さすがの僕も風邪を引いてしまった。一週間のまとまった休みも、風邪のためだけに費やされる事となってしまった。

 ちょうど浅草に仕事とにいっていて、昼休みに観音さんの御みくじを引いたら大吉だったのだが、その時思いついたギャグ。「観音さんに行って来たので皆さんの幸せ頼んでおいたよ。」「○○さんは健康でありますように、□□君は夫婦円満でありますように。」「そして、僕には○○さんや□□君より百倍幸せが来ますように」と。風邪はこのギャグの罰ですか。

 

   春来きたる まずは風邪に やられけり

   春風邪に 姉の電話や ありがたし

 

 風邪も長引いているのに今度は寝違いで首が回らない。後ろを振り向こうとすると痛烈な痛みが走る。困ったのは車の運転の時、後ろが観えない。恐る恐るの運転である。「首は昔から回っていないのだけど、これぞ年貢の納め時らしい。」と冗談を言って笑うほかない。

 

   寝違いや 回らぬ首の 納め時

 

 北朝鮮

 勝手の日本の朝鮮半島支配に「皇民化政策」をとった。朝鮮文化を否定する下劣な政策である。革命後、北朝鮮は「主体思想」というスターリン主義と儒教をミックスした支配を受けている。徹底的な情報統制と秘密警察と鎖国主義である。

 東ヨーロッパが変わったのは「市民」がいたからです。民主主義と言うのは「市民社会」が成立して初めて成立するのです。戦争などせず北朝鮮の人が運動を起こし変わって行くのが一番いいのですが、「市民」がいない社会にあってあまり期待できない。

 経済制裁や最終的には武力による武装解除というということも僕の中からは捨て難い。昔クメールルージュのカンボジヤの大量虐殺を止めたのはベトナム軍の進行であった。金正日は力しか信じていない政権です。力に対しては敏感なんです。甘くはつきあわないほうがいい。と僕はそう思う。

 もし「北」がベトナムや中国のような国になったら、環日本海は世界に誇れる経済、文化の中心に変化するでしょう。「北」の人々は勤勉ですし急速に現在の世界の人々に追いつく力は持っています。

 難しいよね、今の韓国のように融和政策をとれば、国民のことよりミサイルとか核兵器の開発をする。封じ込め政策をとれば何時でもプッツンすると脅す。僕は、二千三百万人の犯罪国家になってしまつた国、返り血を浴びることは覚悟すべきで、優しく付き合ってはいけないと思う。

 日本の難民政策は変えてほしい。日本国籍とか元在日とか関係なしに、百万人単位で、難民を受け入れることを決めてほしい。生活保障をし、職業訓練をすれば、将来彼らが北の社会を作り替える指導者になるからです。過去に対して後ろめたさがあるなら、こんな形での返し方こそ素敵な反省の仕方だと思うのですが。

 これは隣の国のことです、返り血や何の犠牲なしに済ませることは考えてはならない。

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