pre top next

- 屋久島の手塚賢至さんからの写真と手紙です。- 

 御無沙汰しております。いつも「乱蘭通信」ありがとう。まず、購読料として切手同封しました。御納めください。

 さて、一月末、東京に参りました。詳しくははぶきますが、まず写真(デジカメで撮影、コンビューター編集は田津子さん《彼の奥さん》)を御覧あれ!

 東京は14年振りに降り立ちました。1月29日茨城県のつくば市(森林総合研究所でヤクタネゴヨウ関連の会に出席)から東京へ。上野で美学校の先輩石田勝久、浅原友子さんと待ち合わせて、まず
  東京芸大美術館で中西夏之展を観る。そして、
 ②・③・④ 神保町の美学校を訪ね、今泉、藤川、久馬さんに会う。今泉さんが思ってのほかお元気な様子なのでひと安心しました。

 ⑤~⑫ は入間です。今回の旅は私の20代の足跡を訪ね歩き、確認する2日間でした。入間は屋久島移住直前まで住んだ、私と私の家族にとっては故郷のようだ場所です。18年振りの入間 とても緊張しました。
  入間駅。PePeという駅ビルに連なっていました。
 ⑥ まさか、まさか、私の帰りを待つがごとく、今だけなげにたつ、河原町10-26のプレートが玄関に貼りついている。あの家。すでに2階の屋根は落ちつつ、家も朽ちる寸前の風情。ただいまー と声をかければ、中から小さな子供たちが飛び出してきそうな気配。霞川の土手の桜並木は健在でした。
  美学校分校。わが母校の跡地。やっと捜しあてた。確かにここだ。
  近くの春日神社。

  ハウス。ハウスのあった所には新築の空色の二階建。その右に小さな黒っぽい平屋。この家こそ、私が初めて住んだ家。ハウスとセットで3人で住んでいた。今や人の住む気配は無い。すでに朽ちはじめてはいるが、それでも建っていた。想い出深い場の記憶。
  国道16号線からまたぐ歩道橋の上から。青信号の河原町交差点の方向が美学校方面。入間市駅から美学校分校へ通った人にはなじみの光景ではなかろうか。

 石田さんとは4年振り。友子さんは昨年、娘さんと2人で屋久島に来てくれたから、近況はわかっていた。

 武藤君や他の知人達にも連絡しうにも、ちとテレくさくって、足早な2日間でした。神保町の美学校や入間を訪ね、改め、またここから始めようと強く思うことでした。今月末に京都に所用があるので、一気に名古屋へ。中西夏之展が開催されているようなので、観展して、渡辺夫妻の家に泊めてもらおうかと思っています。

 私も早晩50代に突入です。しかし人生はまだまだこれからです。一歩一歩 微々たるも歩いていかねばなりません。

 又 今年もよろしく。 






pre top next