思い出すまま

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菅野家の月下美人

あっという間に一年

 何にもしない間に時間だけは早く過ぎます。昨年は(書いている今はまだ12月)春が早くやってきて、夏は暑く、秋になったら急に寒くなり、冬も1ヶ月も早くやってきた。なぜか季節が早く巡っている。

 心のうちの季節は人それぞれ違う。2月になれば春を感じるし、七月になれば秋風が吹くし、10月には冬景色が見える。きっと心の中にある未来に対する願いの強さによると思う。季節を1、2月早く感じる性癖は僕は若い頃からあった。何か満足できないものが溜まりつつあるのだろ、その意味ではいいことだ。

 

 閉塞感 冬は早めに 気を利かせ

 閉塞感 季節だけが 早回り

 

 12月初旬に寒波がやってきた。僕の居る相模湖上流の上野原でも15センチの雪が降り、8、9日の2日間雪に閉じ込められた。今週は晴れてはいるけど寒く雪がなかなか融けない。道路が夜凍結して、坂道の裏の通りなどすべって恐い。でも星が凍てつく夜空にきらきら輝き美しい。もう1月大寒の気候である。

 

 街の灯も オリオンも凍る 師走かな

 

 12月1日に水眠亭でコンサートがあったので手伝いに行っていた。お客の送り向かいをやっていたので姜泰煥(カン・ティファン) さん演奏はほとんど聞けなかったが、人が集まり良い企画ができると言うことが楽しいのであって、お客がまたやって欲しいと言ってくれればそれで楽しさが倍増する。その時、時間を見て宮が瀬ダムのの木のクリスマストリーを見に行った。数年前TVなどで報道されたこともあり、毎年観客で大渋滞を起こしているのだが、まだクリスマスには早いと言うことで近くで見ることができた。最近、イルミネーションを飾る民家が増えてきた。

 

 年毎としごとに 年の瀬を食う クリスマス

 

 この季節になると特に思うのだが、この国の宗教観はどうなっているのかと。アメリカ式の軽薄な飾り付けは、どうも気に入らない。でも、これはいいことかも知れない。宗教を盾にいがみ合っている国や人々に比べたら、よっぽどいい。この国に宗教観がないと言うことでけしてないと思う。キリスト教やイスラム教とは(一部の偏狭な人々とは)、異質な文化異質な宗教観と言うことなんだと思う。一神教の生真面目さ偏狭さ以前の自然宗教と言うか、一神教下で魔女や悪魔におとしめられてしまった豊かな自然との交流の文化、多神教の包容性は忘れては欲しくない。もう、アニメや、映画や、お祭りにか存在しないのかも知れないが、これはきっと、近代合理主義を乗り越えるための忘れてはならない哲学なんです。これからの二十一世紀を切り開くための道標なんです。

 

 願えども なにも変わらぬ 年の暮れ

 何もせず 年だけ増える 大晦日

 

 アートランドでもう3回そばを打つた。合田さんの会では大失敗してしまった。柔らかすぎたのです。そばの水加減が一番難しい。柔らかい方が粘りが出て伸ばしやすく打ちやすい、でも腰がなくなつてしまうのです。ゆでてみなければ分からないので始末が悪い。次の修ちゃんの会では家で、打ち始めをゆでて確かめてから次を打ち、打ったものをアートランドに持っていった。更にうれしいことに、今回田舎から送ってもらった「玄そば(そば殻、そばの実)」を石臼で引いて十割りて打った。うまく行った。そばは新鮮さが一番、石臼で挽くとまったく粘りが違う。ちょっと調子に乗ると乗りすぎ次は失敗するので、しっかりその加減を体で覚えるまでもっと打たないといけない。

 先週、思い立ってうどんを打った。うどんもうどん粉の善し悪しが一番です。讃岐の人がうどんを卵と生醤油で食べるのが分かるような気がする。おいしいうどんはそれでもおいしい。これも以前、万福の会でうどんを打ち失敗しているので機会があったら、いい地粉が入ったらリベンジしよう。

 

 そば打ちも 猫に狙われ 一人前

 ふやけそば 猫も逃げ出し 外は雪 

我が家の猫四匹
携帯電話で撮ったのでぼけちゃった。

 猫で思い出したが、我が家に猫がしっかり居着いてしまった。真っ黒の母親、きれいな縞模様の雌、茶色の雌、茶色の子供の白黒の雄の四匹である。白黒の雄以外は一日に一度実家、隣に飯があるかどうか様子見にはゆく。今はしっかりこたつを占領している。

 こいつらなかなか野性的で、戸棚の戸は開けるし、引き出しも開ける。魚や餌の置場所に困り、天上からさげたら2メートルぐらいなら飛びつく。魚を焼いたら猫にとられず食べるのが至難の業、何せ一対四のバトルですから。今まで何枚皿を割られたことか。外から家に入ってきて餌をあさるのまではいいのだが、その都度皿を割るので仕方なしに餌づけしたのです。餌が少ないとすぐ御乱行が始まるので困ったことだ。僕が猫嫌いじゃないのがもっと困ったことなのだが。

 引っ越し先が決まっても、一匹ぐらいはつれていってもいいが四匹は多い、引き取ってくれる人がいたら喜んで差し上げます。きれいな猫達です。

 

 来年こそ またも願っている 除夜の鐘  

 

 パツとしない1年であったがこういう時もあるでしょう。病気になったわけでないし、生活できないほど仕事がなくなったわけじゃない。友達も僕と似たりよったりの人が多いが、僕のこと心配してくれる人も多い。有り難いことです。来年はもうひとつ違った素敵なことを見つけることができると信じることにしましょう。

 

 風花かざばなや くじの夢も 空に舞い  

 貧乏神 よくよく見れば 福の神                            

      

 

北朝鮮

 金正日の拉致を認める発言から、毎日どこのテレビチャンネルでも特集をやっている。日本の報道機関がこんなに北朝鮮に注目したことを僕は知らない。さらに核問題と問題が大きくなり、今回は十年前の核問題の時とは違った結果になるのではないか、と思われる。

 社会主義と言う歴史的使命はとっくに終わっている。金正日が後継者に使命された時点で、もうこの国は終わったのです。歴史を逆行しているのです。食糧問題なんてこの国で起るはずのないことなのです。日本の半分ぐらいの土地に二千万たらずの人しか居らずどうして食量不足になるか、摩訶不思議な現象なのです。

 北朝鮮の脱国者の証言を聞いていて分かった。米の作付まで党の指導が必要、完全管理社会、農業を知らない人の指示に従わなければならない制度、・・・・でもこの制度になれてしまえば楽なんでょう。病院依存症と言う病気があり、病は直ったのに医者の指示や薬を飲まないと落ち着かない、そんな状態です。党依存体質を直すことは恐ろしく大変なことでしょう。

 内外に「主体思想」と言う方式が間違いだったと公明正大に認めることができるかどうかです。面子とかにこだわる限りこの国は潰れるしかないでしょう。ミサイルとか核兵器とかにしがみついているようでは一日も早く潰れたほうがいい。

 金正日を始め労働党の人間は馬鹿ですね、間違いを認めさえすれば、中国からは社会主義を維持しながら体制の改造のノウハウを学べるし、南からはさまざまな分野での技術指導が得られるし、日本からは金が入るのに。中国なんかより二倍の速さで変わることができるでしょうに。

 日本には過去の罪意識のため弱腰が外交と言われてきた経緯があるけど、日本の過去の犯罪行為と北朝鮮の今の犯罪とは別問題です。拉致とか麻薬とかの国家犯罪は日本とか朝鮮とかの問題にとどまらない普遍的な犯罪です。北朝鮮に甘いと言うことは、過去の日本の朝鮮に対する犯罪にも甘いと言うことです。

 仕方ない、人が四五百万死んで、百万単位で中国に流民化して逃げ出すことにってしかこの国は壊れないのかも知れない。中世の王朝となんにも変わらないと言うことかも知れない。

 などと悲観的思っていたら「反政府の動き」あると言うニュースが漏れてきた。まだ一部かも知れないがアメリカがでしゃばりアフガンとかイラクとか国を力で変えようとしても根本的なものではない。内部から自分の政府は自分たちで正す力が出てこなければ何にもならない。もう体制が壊れるのも早いかも知れないが、よくわからない。二十一世紀、同じ東アジア、極東文化圏の国として大切にしなければならない国であることは間違いない。

 

 僕なんか一番心配なのは一般の人々です。中国が一日も脱北者を難民と認めると共に、日本も逃げてくる人を受け入れ、今の体制が崩壊したら帰れるよう、生活援助や職業訓練すべきです。

 それからもう一つアメリカの軍事力に頼る可きじゃない。アメリカは東アジアに一定の政治力を保ちたいから日本に軍隊をおいているもので、自分の利益にならないことはしない、それが人間、国家と言うものの当たり前の姿です。自分のみは自分で守らなくてはならない。憲法でもなんでも変えるべきです。韓国、中国で近代史に関する共同の認識のための作業などしながら、自衛隊を軍隊と認めるべきです。北朝鮮のことはアメリカなんか入れずに廻りの国で解決すべきです。 

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冬の雨

 今日は朝から雨が降っている。夜には寒くなり雪になると言う。さっき買い物に出たら烏が一羽枯れ木にとまり雨に濡れていた。なんとも寒々とさびしげなことか。でもこういう風景が僕は好きなのです。寒々と不安げな季節が。

 

 しぐれあめ 枯れ木にカラス 一羽居る

 

 僕の中にある陰湿な部分、こんな不安にの中にしっとりとしているときは一番心が落ち着いている。田舎が会津の新潟との県境なので、丁度十一月ごろがこんな感じなのです。紅葉が終わり、十一月半ばから根雪になる十二月半ばごろまで、毎日雲がかかるようになり、時雨がちょくちょく降るようになり、遠くの飯豊連峰には白い雪が見える。そんな風景が僕の根の性格を作ってきたのでしょう。

 

 我が故郷 飯豊いいで阿賀野川あがのがわ 氷雨かな

 

 こんな日はこたつにでも入って、昔の思い出に浸ったり、自分の考えをまとめたり、空想に耽ったりするのかにとてもいい、一週間ばかりまったく進まなかったこの文章もまた進み始めた。若い頃読んだエミリー・ブロンティの「嵐から丘」の風景、僕の故郷なんかよりもっと暗くすざましい自然で、低く厚い雲、ヒースの丘を吹く強い風、だからこそ激しい純愛小説が生まれてくる。心というのは不思議で、春重い地面を突き破って芽が出てくるように寒さや雨で行動が規制されるとそれをはねのけるように空想の世界が花開く。

 

 外は雨 猫とこたつで 夢の中

                     

 

インターネットと携帯電話

 僕もここ二三年でコンピュターと携帯電話を持つようになり、なくてはならない必要品になった。便利だから使わざるを得なくなったわけだが、これによって本質的なものが変わったとは思われない。新聞で使う画像もインターネットでとったものを使うことが多くなったし、編集もワープロに比べ飛躍的にきれいになったし、ホームページも作った。また携帯電話で電話するほうが圧倒的に多くなったし、振込まで携帯電話で出来る。

 僕も男ですから、暇なときはエッチなホームページに繋いで楽しんだりしてもおります。現代文明というほかのメデア同様、無意識のうちに感性まで、感性の本質的なものまでIT汚染が進んでいるのかも知れないが。しかし、これらのものには決して満足できない渇望は常に感じている。感じていると言うことで僕は健全だと安心している。

 人間が人間の心に響くものは、これらの機械を通して悔いたり見たりするものではなく、五感で出会った「生感覚」「汗で稼いだ体験」以外ないと言うことです。忘れてはならないことだと思っています。 

コンピューターで作った画像
   

 余談ですが、僕の繋いでいるaolはアメリカの通信会社で、ここ一二年やたらと広告メールが多くなった。メールが来るのは親のアドレスだけなので助かっているのだが(そんな訳で僕のe-mailはサブのアドレス《ran1tsu@aol.com》を使っている)、多いときは一日十件ぐらい飛び込んでいる。携帯の出会い系のメールと同じ方式で、コンピュターが勝手に送ってくる。そんなところからもアメリカが不景気になりつつある事がわかる。日本のバブルが弾けた頃、勝手に広告faxを送ってきたのに似ている。困ったことです。aolとかdocomoとか大手の会社はこの辺サービスが横柄で嫌いなのだが、今更変えることが大変なので使っているが。  

   

 

さて今年は

 是非新しいことを見つけ新しく始めたいものです。変化の年でありたいものです。

 引っ越し先を早く見つけてという事なりますが、もし金があったら外国に旅行したいのだが。じっとして何かを見つけようとしても、以前やったもの見てしまったものとしか感じられなくて、脳味噌が活発に化学反応を起こさない。ついつい愚痴になってしまったが、心の準備はしつつ時期が来るのを待つこととしましょう。そろそろ何かが始まる年廻りですので。

 

  元旦は 雪 夕日に 手を合わせ

 

 昨年も八方塞がり空元気の正月メッセージだったような気がする。類似することはたくさんあるけど同じ結果になることはけしてない。と言うのが歴史です。空元気は大切なことです。いい見通しのことは少ないが、そこは気持ちでいいものに変えて行きましょう。



( 文・まもる   2002/11/15~2003/1/15 )

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