No79/ No80 prev top next


思い出すまま

名字その二

 名字のことを調べて行くと、日本の政治社会文化の根の部分まで触れざるを得なくなる。以下は僕なりにまとめたものです。

1、大和言葉と漢字に付いて

 名字は多くが漢字を訓読みするのが普通である。漢字以前に成立していた大和言葉呼びが普通なんです。大和言葉の漢字表記法の種類によって多数の名字が生まれることとなる。渡辺、渡部、渡邊など。

 森、護、盛、守、杜、毛利、茂里、母里、全部「モリ」と発音して、神が宿る森の意味があ る。

2、名字を表わす言葉はたくさんある。「氏うじ」「姓かばね、せい」「名字みょうじ」「苗字みょうじ」「字あざな」etc. 簡単に説明すれば、「氏」は古代の氏族社会でもともと一族の持つ名。「姓」と「氏」ははっきり分かれていないことも多いが、律令制度化では天皇が与えるもの、「宿禰すくね」「連むらじ」とかですが、ここで忘れてならないのは庶民も皆「姓」を持っていたのです。「**部」とか。平安末期から鎌倉時代「名字」はもともとは支配する土地の名「名地みょうち」から家を表わすとして使われるようになった。こちらの方の「苗みょう字」は江戸時代初期、名地から離れてサラリーマン化した武士がそのルーツを表わす意味でこの字を使 った。「字」は通称名で基本的に子は相続しない一代限りの名前。

3、天皇家は「氏」「姓」「苗字」を持たない。

 ここが他の国と違うんです。天皇は「姓」を後からは「氏」も与えるもので、持たないことで特別な 地位を確保してきた。平安時代末期になると、古代の氏族は大きく後退して、「藤原」「源」「平」「橘」といった天皇一族だけで日本の支配層を独占することとなった。 それが「名字」が生まれる契機ともなった。異民族支配と言うことを経験していない特殊性から来ると思うのだけど、戦国時代といっても、親戚同士の戦争なんです。

 

 中国や朝鮮半島や他の多くの国で日本より「名字」の種類が圧倒的に少ないのは、大和言葉と漢字の組み合わせから表記が何種類にもなり、その数だけ分化したという。僕は更に日本社会の特殊性があると思う。皇帝や王が時々変わる社会にあって、また言葉や風習が違う異民族が近くに住む社会にあって、人々が精神的に最終帰属するのは「氏」で、同じ先祖を祭ることによって氏同士の結束し、社会の急激な変化をのりきってきたのではないか。だからやたらに新しい一族を作るようなことは少なかった。

 一方、日本の場合は、古代はルーツの違った「氏」が適当に混合してしまったことで、政治的にはともかく権威だけは今に至るまで天皇制があり、大陸的視点から見れば、日本社会そのものが「一族」で、「氏」を名乗る意味合いが少なくなってしまつた。そして、便宜的な小一族である「名字」=家の意味合いの方が大きくなった。そんな風に思う。

北朝鮮

 どうなんでしょうかねえ、この国。皮肉にも武力を誇示するアメリカの脅しに変化兆しが現れてきた。

僕が思うのはここの指導者にはそんな大それたことを成し遂げる器量あるかという言うと大いに疑問です。この国どうしょうもないのは、反対派をことごとく粛正してしまったことです。あの文革化のさなかに鄧小平を温存していたような中国とは違うと言うことです。改革変化するためには柔軟な思考と強い意志力が必要なんです。金正日にそんな大変な力があるとは思えない。情報を管理して軍による独裁によって体制を維持しているのです。そこに安住してきた人間が変われるとは思わない。今年から始めた経済の改革も見とうしが甘いと思うので、そのうち大混乱と言うことになると思う。今の金体制の崩壊の始まりと見たほうがいいと思う。

 北朝鮮から見れば「拉致」は戦前日本がさんざんやったことをちょっとばかりお返ししただけですし、また北朝鮮のスパイ組織は、戦前の日本の諜報機関を大いに参考にして作ってきた。これは歴史の皮肉です。同じようなことが今アメリカを怒らせている「アルカイダ」や「イラク」はかってCIAが対ソ連対イラク戦のために援助した組織が母体になっている。剣は岩にぶつかれば自分にはねかえつて来る歴史の皮肉です。徹底的に北朝鮮を追久すべきです。そして、植民地時代の日本の同種の行動まで行けたらすばらしいのだが。

 しかし、どうなるんでしょうか。がんじからめに国民を縛り付けてしまったて、問題は、食糧問題、農業問題なんです。食料が十分に確保出来て始めて、市場の自由化工業化です。豊かになりつつある中国や混乱の収まりつつあるロシアに目がゆき、自由化したところで失敗するのが目に見えている。今の体制、金日正が引退して新しい指導者が出てこれたらいいのだが、中国やベトナムのようには行かないでしょうね。クーデター程度の混乱ですめばいいが、自滅する可能性が高い。かってのルーマニアのように、大量の難民と餓死者をだしてというシナリオも考えておかなけばいけないでしょう。

 今すぐ国交が回復しても、同じ隣国の人とこだわりなくつきあえるようになるためには、断絶していたと同じ時間がかかるのです。ヨーロツパのように東アジア共同体と言うふうに国の概念が無くなればすばらしいのですが、そう長く目で見ましょうや、日本人と朝鮮人は兄弟の民族です。ユダヤとパレチスナの人々のように民族的に近いのにあそこまでこじれていないだけ仕合わせと言うことでしょうか。

 そうそう、核兵器とか、ミサイルとかあぶなかしいことを北朝鮮は言っているけど、朝鮮民族はそんな野蛮な民族じゃないのです。その証拠に、ここ二千年間朝鮮人は他民族を侵略したことがないのです。潜在的な野蛮さは日本人や中国人のほうがあるのです。もともと平和的な人々です。

No79/ No80 prev top next


 

宇宙と公害-イタイイタイ病を引き起こした鉱山の坑道を利用したニュートリノ検出装置-

 神通川上流の神岡鉱山というと僕なんかは、タイイタイ病だとすぐ浮かんでくる。日本の急速な工業化の中で起こった最大のカドミウム汚染、日本社会に今も延々と続く隠蔽体質の暗部、環境が意識されたるきっかけとなった大事件、と思い出される。企業はもちろん行政も薄々原因は鉱山にあると知りつつひた隠しに、川の水を使っていた住民が体中が痛み出す奇病にかかり、被害が拡大する。

 今年ノーベル賞をもらった小柴さんはこの坑道に巨大な水槽を作り、宇宙からやってくる微粒子が陽子や中性子にぶつかり出す光を感知する装置を作った。これは大変なことで、僕らが観測できる宇宙は十分の一程度で他は暗黒物質といって、この暗黒物質が宇宙の主役なんです。この検出装置を使った実験で、ニュートリノに質量があることが初めて確かめられ暗黒物質であるという可能性が出てきたのです。宇宙の科学に関する大事件なのです。宇宙はニュートリノの海が本体で、今まで見てきた宇宙はそこに浮かぶ島だけだったのかも知れない。

 闇があって初めて光があるのです。この二つに場所が同じという以上の関係はないが、20世紀から21世紀に至る現代文明の光の部分、闇の部分それぞれの最先端であることは象徴です。けしてイタイイタイ病も忘れないでください。

 

放浪の詩人・・・野たれ死

 仕事の通いの電車の暇潰しに西行の本など読んでいる。僕の先々のこと考えると「野たれ死に」の美学に憧れる。なかなか詩人の生きざまはすごく、詩だけ読んでいるならまだ客観的に見れるけど、私生活まで詳細を知るとなかなか真似の出来るものものではない。けして、真似したくない人が一人いる。種田山頭火なのです。自己破壊型の詩人は僕は嫌いです。自分が積極的にそう望んでそうなったというより、追いつめられてそうなってしまった、自分の欲望に負けてそうなってしまうの嫌です。

 山頭火の場合は幼くして母親が自殺していて、その喪失感が彼の全ての原点で母が生きていたらそうはならなかった。それと同時にあのすばらしい詩は出てこなかったのも確かですが。すばらしいのは彼を取り巻く人々で最後まで彼を援助して支えつつけた。

 僕の近くにも彼に近そうな人間も二三おるけど、ついついにげてしまうけど、「野たれ死に」の美学は憧れです。おそらくそうはできないと思うけど。

 

おみずと吉田君の田圃

 10月13日、埼玉の毛呂山町で田圃をやつているというので、一度は顔を出さかければとと思い、稲刈りの手伝いに行ってきました。全く農薬使わずにここまで(写真)育つのは大変なんです。よくやったと誉めることにしましょう。田圃は田植えした後がなかなか大変なんです。次から次と雑草が生えてきて除草剤など使わずにやるとなると手間がかかるのです。 


無農薬でここまでやるとはなかなか立派な実りであっる。 →



 








← お水はりっぱな百姓のおっかさん。




← 吉田君はどこの田舎におるよねちょっとおかしなおじさん。



 余談になりますが、その前日藤野町の篠原の芸術家の皆さんの田圃を見ましたが、これはすごかった。「雑草の中に稲科の植物がちょぼちょぼ」更に口上がすごかった。「すべて自然のままに任せた・・。」とのこと。これは詭弁だ、と僕は思うのだが、如何ですかな、岳ちゃん、高橋さん。










そば打ち

 10月14日、半年ぶりにアートランドでそばを打ちました。やっと少しそばらしくなってきました。個展と同じで「美味しい」言ってもらうまで落ち着かなくて、いつもどうして思うようにいかないんだろと思う。呼んでいただければ一式持って出向きます。

 そばは蕎麦粉が命です。玄そばを石臼で挽いたやつが一番でが、市販のものでは、秩父・大滝村の粗挽き粉が今一番気に入っています。返しやだしはスパーで買えるものでも、自分で作るとおいしくなります。返しを一週間から十日寝かせてやると、醤油とミリンと砂糖がしっくりとなじむんです。鰹より煮干しのほうが上品なだしが出ますし、昆布だしが好きです。僕のつゆは醤油は関東風、だしは関西風の折衷のつゆです。十日か半月前に連絡いただければ準備できるでしょう。

 中年男性のやってみたい料理の筆頭がそば打ちだそうです。自分がやってみて分かるような気がします。水加減一つでできあがりが全く変わってしまうのです。素材が単純なので、蕎麦粉の善し悪しと水加減などの技術で味ががらっと変わる緊張感がそば打ちをやってみたい人には耐え切れないのでしょう。

 今年も会津の玄そば(そばの実)を送ってもらいました。楽しみにしてください。

 

鹿

 この前(10月中葉)の夜中缶コーヒーを買いに談合坂のサービスエリアのほうに車で出た。僕の住んでいる日野部落のすぐ近く、高速道路と深い崖の間の細い道に何か居るのです。近寄ってよく見ると鹿なんです。驚いた。道志村や山崎さんの居る津久井の青山あたりなら、丹沢に居る鹿が下りてくることもあるかも知れないがここで見るとは。ここには猪はいない。狸や雉子や白眉しんは居るが、それ以上の大きな動物は見たことがない。そろそろ恋の季節だからであろか。道に迷ったからだろか。おそらく近くの権現山あたりから川づたえに下りてきたのだろと思うが。

No79/ No80 prev top next