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10.28 ピースウォーク浜岡

 

澤村 浩行

 

 148年前の東海地震の記念日。相良町から浜岡原発まで歩いた。冬を知らせる遠州名物の西風。走る白雲。白波立てる海と国道の間の堤防上の歩道は絶景だ。鈍行とバスの乗り換えに手まどり集合時間に30分遅れたが、そのまま御前崎行バスに乗り続けると、今夏の「平和の集い」袋井市デンマーク牧場以来運動の現場でひんぱんにあうクミとメグの歩いてるのを見つけ下車合流。彼女達も15分遅れて本隊を逃したという。

 3日続きの脱原発の流れだ。26日原発の日に池袋で脱原発全国集会。六ヶ所村、刈羽村、福島に浜岡原発裁判の会の代表と、原子力資料室、たのぽぽ舎の脱原発メジャー系が70名ほどだったが、夕刻デモをすると沿道から応援された。皆どこかで不安を感じている。

 27日の「浜岡原発問題を考える会」主催の浜岡集会は、閉会時に到着したが、650人のデモ隊の熱気と、金網ついた警察バスの物々しさをかい間見た。

 今日は、1年ほど前より急変した大地のうごめきと、季節の変わり目を感じながらのブラブラ歩き。途中より「ピースウォーク浜岡」のHPの地図通り内陸へ。モコモコした森に寄り道すると静かな神社があった。川の土手や昔ながらの村の道を選んで歩きながら、今夏以来を話あった。同行の20代の女性達は、「平和の集い」のコアー・スタッフを果たしてから「朝霧高原天空祭」「千代田湖ひょうこま祭り」「院内学習会」等で若者にアピールしながら、「意見書アクション」を続けた。最近は、若い主婦対象に、浜岡原発問題を優しく伝える絵本をアパッチと編集し、裁判の会より発行。静岡県は、全国で女性管理職の比率が一番低いのだが、次世代の遠州女は社会とかかわっている。この4ヶ月で人間的成長が著しい。その反面、人間と時代のはかなさも感じているようだ。ウォークは互いの勇気づけとなる。

 高圧線集中するあたりが原発だ。迷いはしない。小川の土手で休息したら、脇の農地から老人が話しかけた。同行の女性に自身の若さをアピールする。僕が浜岡問題を口にすると、プイと消えた。農民は風評破壊を恐れている。漁士は、深海魚が海面で取れたり、魚群の異常な動きを口にするが。

 浜岡町佐倉地区の道標。このあたりから、建設用重機と作業員の姿濃い。大型クレーンも街並の向こうにそそり立つ。政府は最近巨額の公共投資を浜岡町に約束した。下校中の小学生は全員黄色のヘルメットをしっかりつけている。だが、ランドセルの中身には、韓国の原発村のように、よう素剤は入っていない。自衛隊にも、完全な放射線防護車はない。

 95年阪神大震災の後にもかかわらずに、浜岡5号機建設が決定されたのに危機を感じた、原発隣接する佐倉地区住民は「浜岡原発問題を考える会」を発足させた。当初住民の7割が原発反対だったのも、広瀬隆の講演に来た車のナンバーから個別撃破され、表立って活動するのは、会長の伊藤実他少数となった。今は外部との関係を重視して「平和の集い」でも講演してくれた。その御礼に9月彼の経営するエアコン製造工場を訪れ数時間話をした。原発村の、国と企業による植民地支配の実態に、身の毛がよだった。その帰りに、夜の原発を遠くより撮影したが、海に向く風に放出される化学物質の異様な臭気に頭が痛くなった。東海地震は120年の周期で起ってきた。今年は30年のオバー・タイム。4日に3日は西風が吹き、7時間で東京を襲う。地震もないのに事故続きの原発が、阪神大震災の10倍の東海地震に耐えられるはずがない。

 

 新築の家並み、立派な道路にピカピカの新車の向こうが原発だ。現在4機全てが事故で停止中だから、警備員もリラツクスして見える。原発資料館でサービスの緑茶を飲む。昨日の日曜には、帰りのバスに、ここが提供する新しいゲームに熱中した小学生の遊び仲間達が十数人乗り込んできたが、今日は閑散としている。いつか脱原発資料館を作って、子供たちに脱原発にふさわしいゲームを提供したいものだ。

 閉館まぎわまで世界遺産の紹介のビデオを見た。原爆ドームも世界遺産となったからには、原発もそのように、過去の文明の遺産として慎重に忍耐強く管理し続けるしかない時代に差しかかっている。外に出ると、原発のゲートからバスやバンが労働者を乗せて次々と出て行く。連れの女性達は相良行バス停に先行したが、途中で反対側から戻ってきた。資料館が間違って教えたらしい。志気の衰えたときが一番危ない。大学の原子力工学科に入学する学生も極端に少なくなった。そして、現場作業員も素人まがい。

 ひとり菊川駅行バス停に向かう途中の民宿に原発バスが止まり、労働者を降ろしていく。点いた室内灯に、高齢者や日系人らしきの顔が浮かび上がる。この40年ほどの間に10万人の被爆労働者が出ているという。彼等の救済センターを立ちあげた元浜岡原発現場監督の平井憲夫から、現場の実情報告を聞いたことがある。その危鬼迫る証言は、単行本「アヒンサー」に収められている。(出版PKO雑則を広める会。Tel/Fax 0422-51-7602)東京の2人の主婦が阪神大震災に浜岡の危機を感じて発行した。

 当初僕が原発反対したのは、自分の命と愛する人たちの命を守りたかつたからだ。だが、事実を知るにつれ、現在も被爆され続けている労働者の存在が気にかかってきた。自分たちだけを救おうとする動機が恥ずかしくもなった。平井憲夫が被爆が原因で死亡した数年前より、その思い増々強くなった時に、99年JCO事故が起った。たった1mgであの惨事だ。長くむごい死。これは全廃するしかない。「平和の集い」にも参加した元原発労働者との交流や、そこで山田征が上映した湾岸戦争劣化ウラン弾による被爆住民の姿を見て、全廃の意志を更に強めた。以来、出逢う人には、その人に応じた話をするようにして、関心ある人にはパンフレットや反原発バッジを渡すようにしている。間に合うかどうかは知らないが、今できることを続けるだけだ。

 

 バス停の裏のブロック待合い所。風からは解放されたが、野宿者が泊まり続けたらしい臭気がまとわりついた。それでも13キロ歩いた後だから、長いベンチに横になれるだけでも有り難い。トロトロしてバス1台を見逃した。そこで次が来るまでの30分間はしっかり坐って、ブロックの先のヘッドライトの川を見続ける。絶体量の無関心を装う人の群れに虚しくなったから、あえて僕達のこれまでと、これからの流れを想った。熱く楽しくしんどく、そして学習した今夏の「平和の集い」ボランティア出演してくれた、37バンドの音の冴え。会場を飾った、造形美術家達の旗や舞台の美しさ。

 あの集いは静岡県の若者が主催した。その1ヶ月前に決行された、山口富士夫と内田ボブを中心とする静岡県下ライブ・ツアーに、そのトキワ・バンドも同行した。ライブハウスの若者たちの反応はすごかった。その勢いでなだれこんだ集いの現場袋井市デンマーク牧場では、衆議院議員の北川れい子や、静岡県議等の政治家や、元原発建設監督の菊池洋一、地震学者の河本和郎などの科学者と出逢い集中講義を受けた。アーティストや若者にとっては現実認識、彼等にとっては、より自由で美意識のある運動を学ぶ機会となった。少しでも肯定的な流れを進めるしか、存在の道はない。

 「平和の集い」で7日間共に住んだ600人の仲間も、設営と片付けも含めた20日間働いたスタッフも、その後全国に散ってそれぞれのやり方で脱原発の流れを作っている。僕の住む東京では、9月11日明治公園のニューヨークテロ1周年目のビーインでブースをだし、ライブ演奏とアピールをした。10月には、渋谷のライブハウス、クワトロで、作家の中島らもと山口富士夫ライブ。その間に東電の原発定検トラブル隠しがあり、三鷹市議会は全員一致で東電に原発全てを止めるように申し入れた。11月現在、東電17機の原発のうち9機が停止中。節電の要請もない。 

 これより、11月半ばに南伊豆住民による「平和の集い」があり、アイヌ民族アシリレラによる儀式と菊池洋一の講演がある。12月には、新宿のライブハウス、ロフトで浜岡問題をテーマとしたライブ、講演、上映を行なう予定だ。

 来年4月には統一地方選挙がある。文化的な要素を選挙に投入できないか考えているところだ。これまで、政治は汚いと避けている内に政治は増々汚くなった。10月の衆議院補欠選挙千葉の投票率は25%。僕は少なくとも、脱原発候補に投票しよう。今原発全廃しても90年の電力レベルに戻るだけだ。火力水力原発の稼働率50%以下。

 地震列島日本の原発は、時限爆弾だ。アメリカが20年来原発を新設せず、ヨーロッパの多勢が脱原発に向かっているのは「効率悪く、採算が取れず、超危険な上に廃棄物の管理が余りにも難しい。」という理由だが、裏で軍部が軍事的弱点をかかえることに反対しているからだ、という説もある。片や、危険物管理を口実にした秘密警察国家の到来を嫌悪する自由な勢力も、巌として存在しているのだろう。

 

 バスが来て、僕は心の整理を止めた。何ごともないように生活に追われる日々は終わった。この公案には対応し続ける。脱原発、まず静岡からだ。それは迫り来る東海地震を恐れているからだけではない。静岡県は全国で最も中間地帯にある。地理上だけではなく、県民の生活もそうだ。だからメーカーは、ここで新製品のマーケット・リサーチをする。タバコの新銘柄もここから売り出される。そしてここは、関東関西を結ぶ要だ。静岡から脱原発を実現することは、25年以内に85%の確率で大地震に見舞われると国土地理院が予告した宮城県女川原発、活断層の上に立つ愛媛県伊方原発を次々止めることにもつながるだろう。そして全廃へと。

 僕はバスで浜岡を去る。原発労働者とここの住民は残る。この申し訳けなさは、一歩一歩進む過程で償っていこう。「脱原発」ジプシーとして。

 

 www.stop-hamaoka.comに意見書アクションのやり方が述べてある。国民は誰でも地方議会に請願書、陳情緒、意見書をだす権利がある。定住者にはトライしていただきたい。

 また選挙では、脱原発候補に投票しよう。



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