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思い出すまま

 20年先を見て

 昨年あたりから自分のうちにこもった話しか出来ない。前はこんなとき作品を作ることが出来たのだが、その意欲が沸いてこないので、これはもっと長期戦で、人生の曲り角かななどと思っている。女性なら更年期障害真ったか中と言うところだが、男にもあるのです、からだと言うり心の更年期が。

 まあ、「アッシャーアレイクム」ですな。モスリムの挨拶の言葉だが、神様の思し召すまま、という意味です。くよくよ考えても仕方がない。物事は内の条件と外の条件が一致しなけはうまく行かない。時間を待つと言うのも大切なことだと思うのです。力任せに何かをするためにはいい年ですので。

 とはいっても、もう二十年は生きなくてはならない。二十年と言ったらかなりのことが出来ます。10年20年先を見てものごとは決めて行きたい。70歳で現役でいたのでね、僕は。出来たら死ぬまで現役で、ね。仕切り直し、戦いましょう。 

 

 脱北者・北朝鮮

 北朝鮮の亡命者が云々の報道がTVなどでやっていると、ついつい見てしまうし、車を運転しながら自分で空想の世界に入ってしまったりする。あのピリット引き締まった青年の面構え、状況が状況だから当然なのだが、一昔前の日本人の顔をしていた。敗戦前後のそしてその直後あたりの。丁度今の北の人間達は、戦前の日本人と同じなのだろと。もしなんらかの政治的状況が急変し、金正日体制が崩壊して、開放的政治形態になったら、おそらく彼らは勝手の日本人以上に、南の人間以上に、勿論中国人以上に開放的な経済体制を作り替えるような気がする。あの顔つはそれをやってのけそうな顔つきである。 他の国のことをとやかく言うべきではないのかも知れないが、あの国は早く壊れたほうがいい、あれは共産主義を仮装した王国ですから。「パンを・・・」というのが共産主義や社会主義の鉄則で、それが十分にできない社会は、名乗る資格はない。だから一日でも早く壊れたほうがいい。

 「社会」というのは相互扶助することにって他の動植物に対しての優位性を持とうとした人類の知恵です。その構成員が平等であるとは「果たせぬ夢」中世人の「千年王国」「同じ宗教のもとでの平等社会」そして近世の社会主義も人類の理想主義の近世版なのですが。決して社会主義が資本主義に負けたわけではない、「相互扶助」「社会的弱者を保護して行く」「マイナーのものを保護することにって、メジャーの欠点や欠点の修正を保障し、変化に対応する」事はますます求められていることです。

 話はそれたけど、勿論戦争や、更なる飢餓などの大きな犠牲者を出さずに北朝鮮が変わってくれたに越したことはないけど、人間は馬鹿だから、300万、400万人が蛇の生殺しのように死なないと変わらないのかも知れない。一番いいのは、金正日が死ねば、もうそれだけで南の政府と敵対関係する政治は維持できなくなるような気がする。混乱はあるけど、人が死そんなに死なずに済むような気がする。北朝鮮の多くの人は何事においても南の社会が追い越してしまった。としていると気付いている、ただ口に出せないだけ、政権の亀裂が表面化したら変わるのは早い。僕はそんな気がする。

 ・・・と考えはしたのだが、韓国に亡命した北朝鮮の人がいざ生活を始めると「食糧問題さえなければ北の生活のほうが良かった。」という意見もあるとニュースが伝えていた。社会の形は急速に変わるかも知れないが、多くの人は変われない、共産主義のほうが楽、一所懸命は足らなくてもノルマさえ果たせばいい、という労働スタイルになれた人間にとって、資本主義はきつすぎる。変化に対応できない30歳以上の人間が1000万人出ると仮定したら、時間はやっぱり同じ時間はかかるかも知れない。でも、今の飢餓状態よりはいい、ずうっと。

 そして、クーデターがあり、奇跡の経済成長があり、経済破綻がありまたそれからの復興と、日本の戦後より一回り激しく動いてきた、それに対応してきた韓国社会は強いと思うし対応できると思う。もちろん日本や中国の支援は必要だが。 

 

 サッカー

 日本中がサッカーサッカー、僕のホテンシャルが低いからついつい引き込まれる。ルールを守ったスマートなサッカーじゃなくて、反則すれすれのまるで格闘技、これならわかる、フリーガンなど過剰反応するファンが出てくることが。商店のガラスを割るとか暴徒化するのは困るけど、川に飛び込むぐらい言いじゃない、たとえそれで死んだって、子供じゃないのだから自分の責任で、死者や怪我人の出るお祭りと一緒、情熱忘れたら人間じゃない。

 今回はベスト16止まり、結果は正直ですね、あれだけのサポーターが居るのです、最低限このぐらいまで行かないと、テレビ観戦の感想として実力通りの結果という感じがした。

 NHKでサッカーやラクビーの原形になったアッシュボールというお祭りについてやっていた。中世から続くイギリスの田舎町で毎年開かれる試合、試合会場は街の中全部、選手も観客もなくそこに居る人全員、数千人の人がすべて選手兼観客。お昼だったかな、街の広場に集まった人の中にボールが投げ込まれ試合が始まる、ルールは町外れの二ヶ所に早くボールを運んだほうが勝ち、手を使おうが足を使おうがなんでも言いのだが、いかにせん人が多すぎてボールが動かない、一時間ぐらい人混みの足の下から出てこなかったりする。携帯電話で情報を交換して、作戦を練ったり、車で先回りしたり、小川沿いにボールを運ぼうとしたり、延々と夜の八時までやってもなかなか決着が着かない。再々の国王からの禁止命令にもかかわらず続いてきた。第一次大戦では前線にいたこの町出身の兵士が、戦争そっの気でゲームをやったと伝えられ、町の人はそれらを誇りにしている。

 紳士の国といわれるイギリス人がことサッカーに関しては狂信的になってしまうのか、その理由が少しわかったような気がする。日本で言えば、楽車だんじりや諏訪の御柱のお祭りですよ、もともと庶民のストレスの発散のためにあった。その庶民の祭りをスポーツ化しただけだからだと。

 

サッカー追記      

 スポーツを国威高揚の道具に使ったのはヒットラーで、それ以来オリンピックは政治に利用されてきた。サッカーも然りである。今回日本以上に熱狂的であった韓国、南米諸国、ヨーロッパとまるで戦争に勝った負けたなような熱狂ぶりは驚く。きっとこれはガス抜きなんでしょう。一昔前なら戦争して国と国の優劣をつければよかったのが、国特に、民族と民族の相互依存が進み沿う簡単に戦争で決着つけられなくなって、単純化したスポーツの場で模擬戦争をする、これがサッカーワールドカップの熱狂の原因なのでしょう。戦争と比較したらフーリガンなんて可愛いものかもしれない。  

  民族は人間の歴史そのもの消そうにも消せるものでもないし、これからも人間の心のよりどころであると思うが、国家はなくなればいいと僕は思っている。アメリカの州政府のように、国際機関に対する地方政府のようになってゆけばいいと思うのだが、サッカーはその思いと逆行する。この熱狂は何なんでしょうかねえ。ますます世界が相互依存、ネットワークが進むこの二十一世紀にあって。当分国家の枠は生き続けるということなのか。

 

アメリカの没落?

 昨年九月のアメリカのテロは21世紀初頭の歴史的事件です。その衝撃は大きく感情的になっているのはわかるのだが、野蛮なアメリカ人魂が全面に出てきて、遠くから見ていてもはなはだ気分が良くない。僕なんか考えるのは、大国のわがまま、国際社会を無視した態度が、テロの一番の原因で、このぐらいは当然だろとと思うのだけど。

 そして一年、その超大国の力の源、アメリカ経済に陰りが出てきた。エンロンに続きワールドコムの破綻、これはアメリカ経済の没落の始まりかも知れない。バブルが破じけたのです。十年間の成長神話が、実質経済に基づいたものではなく、株価操作、経理上の操作、虚構の繁栄であることが分かってしまったのです。

 旧ソ連、ヨーロッパ諸国、日本を始め東アジアが構造調整期に入っただけのこと、アメリカ社会や、経済が優位か分けでは何でもない、ヨーロッパの自然にとのサイクルを基本においた経済のほうが21世紀のより進んだ経済システムである僕は思うのだが。

 利益優先、経済を優先したそれも株に象徴される歪な社会、十年前日本のバブルが破じけた時、これで世の中静かになるとホットした覚えがある。その時ヨーロッパに旅行に行って日本に関する報道を見て、やっぱし日本はおかしいと意を新たにした。心有るアメリカの人も今そう思っていることだろう。 地球がさまざまなネットワークで結ばれる今日、世界の警察官とか超大国とか一国帝国主義は時代後れ、思い上がりです。

 

ミッチーの死

 ミッチーこと比嘉正道さんが六月下旬他界した。51歳とのこと。

 丸(丸山)さんの工場で何年か仕事を一緒していたこともあるので、残念なことです。僕は酒は余り飲まないので、酒が何よりの楽しみの彼氏とは親しい中ではなかったけど、現場で会えば、冗談を言い合うのが常であった。c型肝炎が肝硬変に悪化して癌まで併発していたとのこと、直前まで彼は気づかなかった。一月同じ現場で、足を痛めて星野修造に抱えられているを見たのが最後だったが、労災が下りると聞いて、丁度いいやこれで悪いところ全部直せばいい、などと思っていたのだが、こんなことなら見舞いしておけば良かった。

 若い頃フランスで交通事故に合い、九死に一生を得たのだが、頸椎に障害を持つことになり、首や肩がこるので、冗談をいいながらかを揉んでやると「武藤もっとやれ」捕喜んでいたのだが。仕方ないね。成仏してください。   合掌!

 

一億円あったら

 「なんかの拍子に自由に使える金が一億円転がり込んだら」と空想すると色々したいことが浮かんでくる。土地を買い小さな家を作り、そしてじっくり時間をかけギャラリーを作る。変化する建物、成長する家、完成することない作品。僕と友達のためのすべて手作り。大きなホールがあり、コンサートや踊りが開け展覧会が開ける・・・・

 みんな貧乏だから、1000万かけちょっと贅沢に旅行してもいい、無利子、無担保の基金を作ってもいい。

 梅雨空にこんな空想して半日幸せになった。一億二億なら無駄なく皆さんなるほどと言えるよう使う自信はありますよ。だからお金ください。

(記・まもる) 

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