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      パリの冬

小牧もみじ

 

 御茶の水駅近くの美術学校の生徒だったころ教室の窓から神田川ばかり眺めていた。昼食はニコライ堂の庭先でフィッシュバーガーをかじりアルバイト先にいそいだ。レストランのウエイトレスは時給250円だったが、夕食がでるのが魅力だった。おもいだしてみるとあまり楽しくもない時代だった。

 20代の終わりごろになってパリに行くことにした。そのころどうしても見たい壁画があった。モネの睡蓮の絵で、壁画ゆえに日本に来ないのだ。安い団体ツアーで寒い冬のことだった。パリに着いてからは一人で地図をたよりにさまよい歩いた。タクシーはストライキで一台も走っていない。コンコルド広場には運転手たちが詰めかけ赤旗がたくさんひらめいている。パリではひとつの組合がストライキを決めるとすべてのタクシードライバーが連帯し集結するそうだ。

 パリの冬は寒い。しかも小雨が降っていてどんよりと暗い。焼き栗を売っていたので歩きながら食べた。やっと目的の美術館にたどりつくと工事中で閉館していた。私は呆然として入り口に座り込んでしまった。みすぼらしい日本人の私に話しかけてくれる人もいたがフランス語がわからずなにもいえなかった。がっかりしてルーブル美術館に行くとキリストのはりつけの絵などがリアルで気分が悪くなってしまい、特に見たいものもないのですぐにでてきてしまった。セーヌ河を渡り、ロダン美術館を探したが見つからず、空腹だし、足は痛くなるし寒いし雨はつめたい。エッフェル塔のそばのホテルに戻ろうと思うが歩く気力が湧かない。大きな地図を広げて地下鉄を探していると中国人の青年が話しかけてきて、一緒に地下鉄に乗って私の宿泊するホテルのそばの駅まで送ってくれた。パリの想いでのひとつになっている。

 さて、私は2002年3月8日に50歳になった。あれから20年以上がすぎてパリはどうなっているだろうか。モネの壁画は健在だろうか。50歳の記念にもう一度パリに行きたい。今なら20年前より安い。見たいもの、食べたいものもたくさんある。

 しかし、2001年9月11日から世界は変わってしまったのだ。私も世界観、価値観の変換をせまられているのではないか。日本人は世界情勢を見る目を養う必要があるのではないだろうか。私はもはやパリにモネの絵を見るために行くことはできない。ベルサイユに行ってなんになるだろう。菜食主義者のためのフランス料理などあるだろうか。世界の人口63億人のうちの12億人が飢餓状態で、そのほとんどは子供たちだ。しかも我がアジアのこどもたちだ。パリに行きたくても行かれないのだ。

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