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裸の王さまあるいは私の車

浅見君はどういう人かなが描きかったんだと申し分けなくバカだった訳だとか余り待遇もよくなかったが

 

 つい最近の話、二人のボケ老人が墓場にでも入るように私の寝起きしている真下の部屋に布団をしき、夜、寝るようになりました。昼間も寝ていたりして、それが父と母という訳なのですが、あいかわらず独り者の居候、長年の念願だった医者から出る薬を、眠り薬とか、20年ほどつまらなかったりして飲んでいたのを、すっかり止めることができたのが去年の始め、夜ごと夜ごとテレビをつけたりけしたりして、眠れないとか、本が読めなくなったとか、田舎の農家の古い建物、二階でゴトゴトギシギシしたりすると、下の階へひびいたり下の話がよく聞こえたり、懐かしいような話なんですが、

 また何だか車の話田舎の方へ帰ってくると、車を運転できないと、何かと不便したりするのですが、高校を卒業するのといっしょ、待っていたとばかりに若さや自由に憧れたり、夢見たりするように、車の免許を取る人が多かったりするようで、いい年をした男性が田舎の方で車の運転ができなかったりすると、大学も出ていないとか、酒・タバコもやらないで、ちょっと古いかな、あまり仕事も続かなかったりして、時々、東京の方に出掛けたりするぐらいのようだが何をしているのか、変人、変質者、大人子供のようにあしらわれたり、けむたがわれたり、僕はちょっとひねくれていて、余りインテリジェンスもないけれど、けっこうカワイがられたりする性格ではあったのだが、田舎の方では、あまり親しくしなくていい人や、近づきにくいような人とか、何かと車、車、車、金だ車とか言って心配でもしてくれるようによってくる人が多いようである。

 車社会のあたりまえのような事だったのだが、癒しがあったり、若い人たちにとって共通の話題だったり、ストレス競争社会の潤滑油であったり、するのか、そんな気がするのだが

 H1年、めでたく車の免許を取り持っていても、もちろんな収入がなかったり、心がなまくらで臆病だったりして、なかなか乗り出せなかったのが、去年の春、小さな車を買って、好みのような車体にぬりかえてもらったりして、乗るようになった。運転しだし、半年ぐらいたったころ事故を起こす人が多いとか。去年、秋、群馬の方へ温泉めぐりのドライブをして、ちょっと運転に自信をつけた私。東京の方へ描きためた油絵を持って行って、夜帰りうっかり不注意でいわゆる、前方車のオカマをこずいてしまった。それで年末、その愛車を修理に出したりしていて、正月とか、何の予定もない人として、なかなかインターネットも始められなかったりして、図書館で少し多く10さつまで貸すというから、大量に本をかりてきて、正月の2、3日間過ごそうかとか、年末調子に乗ったようなつもりでいたが、それもしないで、車、大学、御美箱のような正月は明けたのであったが、なかなか、部屋の清掃もはかどらない。今年は5月またアサミ君の個展があるとか。みなさまの役にでもたってくれたらと思っています。

浅見豊彦



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