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     自惚れていた
澤村 浩行
 
 山口豪雨でご心配をかけたようですが、雨の勢いは収まりつつあります。これまでの被害は、庭の土が流れて低くなった位で、気がかりだった屋根瓦も大家が業者に直して貰った。ひどい湿気は、やはり彼が設置したエアコンの除湿で解決。毎夏の、他の五部屋からの室外機の排熱を避けるためでもあった、高山森林キャンピングリトリートがこの長雨で難しくなったら、このまま、からだと思考と心の整備を、エアコン28度を基点として続けるかもしれません。
 老人期突入を告げるかのような自転車転倒。そのコブもほぼ引きました。市内最年長のサイクリストとしてうぬぼれていた。それも「地球にぶん殴られた」原因の一つ。買い物や図書館や温泉には、歩いて行くことにしました。タイミングは雨足次第。
 
 一年分の縫い物をテーブルに山と積み上げましたが、腱鞘炎を再発させないように、すこしずつヒトハリヒトハリ丁寧にやるので、以前のやけっぱちな糸の跡は少なくなったみたいです。机の上には多方面にわたる予定原稿用のメモや資料が区分されて並んでいますが、それもすこしずつ見直すだけで、ゆったりとベンが歩き出すのを待っています。右手は料理をするためと杖を使うものが基本的戦略です。
 杖つく他はあまり使っていなかった左手で、雨の合間の庭いじりと室内の掃除に整頓。そして世界の旅に戻してくれる神棚作りごっこのインテリアを、聖なる左手で楽しめるように進化した、とまたうぬぼれているみたいです。メールやコメントも、左手の親指で、昔ながらのガラケ式携帯のボッチを押してこなせるようになりました。
 
 東南アジアの仏教僧がモンスーンに引きこもる「雨安」とシンクロしている感あり。すこしずつからだも思考も心も平常となりました。
 コロナと長雨は、いつも旅しているつもりの僕にとって、落ち着いて人生と日常生活を噛みしめながら進行させるという、インナートリップの機会を与えてくれました。ただ、あの給付金で買い過ぎた保存食でいっばいのリュックサックを担いで自転車に乗ったのも転倒の大きな原因となった。深く反省している。まこと、ブッダは弟子たちに、「明日の食い物を貯め込むな」と説教している。雨安期間中以外は「一ヵ所に一日以上泊まるな」とも。雨安は泥沼と疫病に際悩まされるモンスーンのインドを歩いて朝の托鉢に行きやすい都市郊外に庵を立てて共同生活をし、みんな揃って勉強するためだった。
 これよりは、歩いてリュックサックを担いで、買い物に行く。その決断を実行するために、粗大ゴミ場で拾った冷蔵庫が、音うるさくなったのと、電気代も千円越えるようになったので、プラグを抜き、倉庫にしました。新鮮食糧を少量買い、すぐに料理するか、大好きなカレー料理3日分を一度に料理して、米だけ食べる直前に炊く。おつまみ用に漬けた大量のらっきょうも、しばらくすると食卓に花を添える。毎日生活の智恵がすこしずつついて行く。ままごとじみた神棚作りと、積み木細工じみたインテリア、そして土山遊びめいた庭も、すこしずつ美しくなって行きます。たまに会う土地っ子や旅っ子とも、こんな不自由さの中であるからこそ、認識できる関係性、時代を共有共感しながらヴィジョンを探り合う関係性を感じます。電話やS N S も読書も沁みてくる。この雨も。
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