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 中国、巨大な養豚場の成立
 北朝鮮が軍事オプションではなく、話し合いで核廃絶の可能性が出て来た。金体制が続くとなると、半分しか喜ばない。ただまだ分からない。
 
 それより気になるのは中国。独裁化が進むこの国の行く末の方が、時代の流れに逆行している訳で、注意と警戒が必要です。
 中国国民は独裁者に飼育された豚です。物質的には豊かになったが、精神的自由は奪われたままなので、丸々肥えたブタです。
 核心的利益、即ち共産党体制の崩壊の阻止こそが、最大の目的なのです。共産党というタガを失う事への恐怖です。庶民が物言う事への恐怖の裏返しです。
 
 中国の場合、後進国から出発しているのです。経済成長に伴う様々な問題の解決方法を様々な先進国の歴史から学ぶ事が出来ます。民主化によりなされた解決策を先取りして実行し、独裁の成果として掲げることが出来ます。今までのところそれが成功しているのです。腐敗や一部の環境問題などです。
 
 それと多数派の農村部の実情があります。都会は豊かになったが、農村部はまだまだです。彼等の支持が得られれば、多数派となれる訳で、古い共産党の論理でもまだ通用するということでしょう。
 かってアヘン戦争に敗れ、日清戦争に敗れるまで約半世紀、そこで初めて、政治改革しなければいけないとやっと気付くわけです。自由化、民主化は余程の破綻がなければ始まらないということでしょうかね。
 
 戦前の日本と似ている、今の中国
 今の中国と戦前の日本が二重になって見えてきます。日露戦争に勝ち、日本は富国強兵策の成果として自信を持った。先進国、世界の大国の一角にまでしめるまでに、国力を成長したことは間違い。そしてその自信が傲慢さを生み出し、政策判断の間違いを修正出来ずに、第二次大戦敗北へと突き進むことになる。
 
 百年前と現在は違う、しかし政策担当者のメンタルの部分はそんなに変わらない。簡単に戦争できる時代ではない。その代わりに経済戦争の面は、桁違いに重要度を増し、複雑になっている。
 
 アメリカ発の経済危機、リーマンショクは世界を巻き込んだ。中国は世界経済の一角を占めるまでに経済成長し、経済危機の更なる混乱を食い止める、防波堤の役割を見事に果たした。これは中国の指導層に、後進国と卑下せざるを得たなった過去からの決別、大いなる自信となった。
 その自信は、長らくくすぶり続けた、中華社会の復権、世界のリーダーへの復帰という願望である。日本が自信を持つとともに、朝鮮半島の植民地化に踏み切り、満州国の設立へと突き進んたように、である。
 
 強い政府の力により、煤煙を撒き散らす工場を閉鎖し、石炭暖房に頼る古い住宅を取り壊し、新しいアパートを立てることは出る。そして青空を短期間で取り戻すこともできる。しかし住民運動により、時間をかけて意識改革をして青空を取り戻すのとは、根本的に違う。その違いを無視して今、突き進んでいる。
 
 先を予想するのはなかなか難しい。簡単に素通りした近代化の過程は、いずれ大きな政治的付けてとして、大きな挫折を味わうことなると思います。
 
萌え季節、光る谷川
 アメリカのTPP復帰?
 アメリカのTPP復帰が本格化しそうである。いずれそうなると予想していましたが、そういう方向に動き始めた。それは中国経済です。TPPは高度な自由貿易体制です。独裁体制を維持してる中国では受け入れられないシステムなのです。
 一向に対中国貿易赤字が減らないアメリカは、鉄鋼製品に関税をかけ、赤字を減らそうした。中国は対抗し農産物の輸入を制限する措置に出た。ただアメリカ一国では、効果が薄い、決定的に抑えることが出来ない。と分かったからです。
 
 中国には簡単に妥協出来ない理由があります。中国経済がこれからも拡大成長する必要があるからです。GDPの何倍にも及ぶ債権が不良債権化する事、適度な不動産バブルを維持すことが、至上命題なのです。不動産価格が下落し、成長率が下がれば、膨大な不良債権が表面化し、中国経済は決定的ダメージを受けるのです。それは共産党の崩壊を意味します。
 
 習政権が独裁体制を深めた最大の理由は、構造改革を強権発動で乗り切ろうしたからです。それで支持を獲得したのです。
 トランプ政権が対中国の関税を引き上げれば、中国は対アメリカで政権の中心力が増します。逆効果になり、あまり効果がないのです。
 国と国が相互依存を強める今日、トランプ政権のような単独主義は孤立して立ちゆくなくなります。トランプはビジネスマンです。国の経済と一企業の経営との違いに、やっと気付き始めてきたということです。
 そして習政権は、膨大な隠れ不良債権の処理を強権発動でやるという、かってどの国も成功しなかった冒険を始めたわけです。
 
 TPPに関して日本国内でも賛否要論がえりますが、経済が国際化し、相互依存がますます進むのは、時代の流れです。そこで不利益を被りそうな立場の人が反対してあるわけです。
 大切なのは、如何に自由で、公正で、透明性を維持して行くかです。こちらの方がより普遍的で、国を跨いだ利益にかなうのです。
 国内の産業の構造改革が求められることになりますが、長い目で見た時、国や国民利益になるのだと思います。
 
 
 たくさんの死、そして、、、
 お彼岸の頃から四月の10日頃まで、たくさんの病変と死に忙殺されました。三十年間、殴りの仕事で一緒でしたし、ここ十年は庭劇場のホームページを担当していた手前、他の友達よりは少し間近で、たくさんに接する事になり、その分忙殺された訳です。
 やはり人の死は重くて、悲しみを涙で表現できるのは、まだ軽いという事です。体の節々が痛み出す。身体が重く動かない。という具合に大きなショックは体にきます。
 
 70歳、確かに若い死です。過激なパーマンスなど考えた時、ある意味では納得行く年齢の死です。首吊りという行為そのものはそんなに身体に負担にはなりません。問題は精神的な部分、人を驚かせる言葉使っている。という部分です。心で「過激さ」を引き受けてている。この精神的重みは、結果的には、より多くの負担を強いる事になるからです。
 
 何年か前に死んだ縫部くんに比べ、悔恨の情は少なくて済みました。たくさんはやるべきことは大方やった。縫部君は、恐らくこれから大きな花を開かせるかもしれないという、希望の断絶がありました。「お前早すぎるよ!これからじゃないか!子供も立派に育て、これから自由に羽ばたけるんじゃないか。」と言った思いがなかなか、何ヶ月も消えませんでした。
 
 でも嘆いても仕方ありません。彼岸とういう世界があるなら、そのでの幸福を祈ります!
 
 
 北朝鮮
 今北朝鮮情勢が大きく動こうとしています。核兵器やミサイルを放棄し、朝鮮戦争の休戦状態を終戦を米朝で合意できれば、南北を隔てるものは何もなくなります。政治体制の違いは、余りにも明確に経済社会の違いとして見えている訳ですから、このままの社会主義体制を維持することの方が、すごぶる難しくなると思われます。そう遠く無い時期に、韓国による吸収合併へと動き出すと思われます。
 
 そこで問題なのは、中国です。米朝首脳会談後に、習自身が平壌に乗り込むのも、この和平プロセスに中国が参加したい、しなければならない強い意志の表れです。中国にとり、北朝鮮は政治的緩衝地帯、自由や民権思想が中国国内に入らない防波堤の役割を果たしています。北朝鮮が社会主義を放棄し南北統一に走っては困るのです。
 
 東北地方、旧満州には多くの朝鮮族が住んで居ます。言葉が同じで生活風土も同じて、血縁関係も多い人々です。彼らがもろ自由化や民主化の影響を受けます。又東北三省の人々は漢人ではありません。清王朝を作った人々です。
 かっては、経済の牽引役を担って居たのですが、今は低迷し、大量の失業者に敢えている地区です。反政府的運動が起こりやすい状況にあるのです。
 
 朝鮮族は極端なことが好きな民族です。仏教といえば仏教一辺倒になり、儒教といえば儒教一色になる国民的気質です。戦争を終結させ、そのまま社会主義を維持することはすごぶる大変なことです。
 今回朝鮮半島を基軸に、東アジアは大きく変わる可能性を秘めているのです。
 
 今日、四月二十七日の南北会談で、非核化に言及したので米朝会談へと進むことになりました。そこでミサイルや核の放棄の具体的道筋が合意できて初めて、朝鮮戦争以来の戦争状態は終わることになります。何ともかんともこんなバカバカしいことは早く終わらせてほしいものです。
 
萌えの季節、山の畑で
 乱蘭通信三十周年
 今年の五月で、この新聞が30年を迎えます。特別なものは企画しませんが、お蕎麦の会に合わせ、昔の資料など並べて、ほんの形だけの記念をしよう思っています。
 
 当初、一号出せればいいと思って始めた事です。それが三号になり、一年続き、三年になり、30年になりました。
 その初号から前戻る事20年前、水俣病患者支援から離れ、次は何をしようかと思った時、文章は書けそうだ、なら別のものという事で絵を描き始めました。その時は、文章に最小限、必要な詩的もの以外は封印しました。
 
 当時、言葉について疑問があり、言葉を発すること、特に意味言葉を連ねる事に、とても違和感を持っていたのです。より感覚的なもの、意味性の薄いもの、という意味で、描きやすい絵を選択したと思います。詩は心の言葉、それは許そう、論理的長いものはやめておこう。と思ったのです。
 
 その後、体を痛めました。感覚や感情により行動することの弊害がその根本にあるのでは無いかと思うようになりました。自分をコントロールするするためには、意味言葉が必要だ。自分自身を整理するには、意味言葉で整理する必要があると思ったのです。それがこの新聞出し始めた、僕の理由です。日記ではダメなのです。友達に見せ、感想を聞き、そこで言葉は社会性を持ち、普遍性を持つからです。
 
 そんな社会との違和感の解消には、三年ぐらいで、大方満足しました。その時点でやめても良かったのですが、友達とコミュニケーションを保ち続けるには、定期的に出すこと。という事が分かり、今日まで続いているのです。
 僕は理系の人間です。論理的なことは得意なのです。そんな自分に疑問を持ったのが、僕の青春期です。こんな心の変化があったのです。
 

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