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儒   教


 高校が藩校の流れをくむ高校に入学したこともあり、事あるごとに儒教的なものが出て来た。当時、それらの教えには違和感を感じていた。それは今でも変わらない。
 朱子学の教えの一つに「弟子は師を超えてはならい」という一句あるらしい。それで分かった、朝鮮王朝が長期の低迷した事も、古代こそ輝かしい文化を創造したにもかかわらず、その後新たなものはあまり作り出さなかった、中華文明も。
 儒教にも革命の思想はある。易姓革命である。しかしこれはトップを据え帰る事でしかない。旧態依然とした国家の体質は残る。
 なぜ儒教が悪いのか?問題はあるが社会が安定して良いではないか。という意見もある。しかし、儒教は農業を基本とした、変化の少ない社会の政治哲学だかです。近代とは、庶民の創意工夫の社会、それにより変化し続ける社会だから、儒教のように固定的対応していたのでは、間に合わないからです。
 年寄りの判断に頼っていたら、何もかにも滞りなってしまうのからです。自分で情報を集め、自分で判断しなければならないのが、現代の社会だかです。
2018.2.8 Mamoru Muto

 様々な学問が並立して、儒教はその一つに過ぎなかった日本でさえ、明治以降本格的な脱儒教が行われ今日に至っていますが、年功序列だったり、男尊女卑だったり、と未だに残っています。社会の体質変化には長い時間が必要です。
 かって朱子学オンリーだった朝鮮半島や本家の中国は陰に陽にその影響は根深く、今日の社会を支配し続けています。先進国の真似はすぐできます。未来につながる普遍的な価値を創造したとき初めて世界から尊敬されるのです。
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