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 中国、分からない国
 今中国の経済的台頭が世界秩序を狂わせ初めている。それに援護射撃をしているのが、トランプ政権の成立である。
 後進国が台頭し世界のリーダーが変わるって行くのは、歴史的必然です。問題は中国は古い体質のまま、経済的成功と共に起こるはずの社会改革が一向に進んでいないことなのです。
 二、三年前のあれだけのバブル景気なら、バブルが弾け、景気が低迷し、豊かになった人々は自己主張を強め政治の民主化に進むと言うのが、普通の社会変化の過程です。中国はそうはなっていない。未だに7%近い経済成長率を維持しているし、経済混乱を起こしていない。かえって政府の締め付けが強まっている。不思議な国である。
 
 考えられるのは、二つ。一つは国が大きく、六、七割の人はまだ経済発展の恩恵をておらず、彼らの豊かになりたいと言う願望が、今の経済成長を支えていること。
 もう一つは、社会主義国で、銀行も企業も国の統制下にあり、内実は破綻しても、全体を見たお金の融通が簡単で、社会的影響の大きい破綻を回避させ、繕うことが今の所上手く行っていると思われます。
 
 中国のエリート達は九十年代の日本のバブル経済とその崩壊の過程を良く研究している。バブルが弾けその後の金融式締めが長期のデフレ経済を招いたと分析し、そのテツは踏まないということで、ミニバブルを継続しながら、経済改革を進めようとしている。
 それはもとよりの隠蔽体質故に、不良債権の公表の引き伸ばしと増大に他ならないような気がする。例えば現在の不動産景気は、地方政府の財政破綻と直結してある。市場の不動産需要より、地方政府が抱えもつ債権の不良債権化防止の意味合いの方が強い。
 政府のコントロールが利かなくなる時期が、中国が変わる曲がり角になるですが、いつなのか、中々分からない。しかし、日本のバブル期の不良債権を大幅に超えてしまった。一歩経済政策間違えたらそれが表面化する。危機は見えないだけなのです。
 7月17日、横浜、みなとみらい
 日本丸が穂を広げるのは珍しい。今日は海の日。

 劉暁波氏の死
 七月十三日、民主化の象徴的存在の劉暁波氏が死んだ。それを中国本土のほとんどの人々は知らない。今は彼の死はそれ程大きな意味は無い。彼が参加した08憲法草案、「私には敵はいない。」と言った彼が残したものは、中国人の良心として、今後大きな意味を持つことでしょう。いくつか条件が整い社会が変わる時、道しるべとして大きく輝くことでしょう。
 天安門事件から30年、そろそろ大きな変化を期待するのだが、共産党のコントロールが上手く言っていて、政治的変化の予兆さえない。ならば経済破綻から社会混乱、政治改革へと期待していたのだか、それも今の所、予兆はない。
 
 オクラの花

 クマのプーさん
 七月頃からクマのプーさんの画像や動画が中国のウェブで消されているという。クマのプーさんはその体型が似ているので、習主席と同一視されてきた。政治批判が許されない中国において、ユーモラスなクマのプーさんをネット上に登場させるのは、現政権への批判の代わりという側面を持つ。
 例えば政治的な揶揄であっても、そこまで神経質になる必要はない。見てておけば良いものを、見てられないということは、この政権の自信のなさの現れです。いちいち検閲にかけるから、若者は益々政権への邪推、共産党離れが起こるわけです。そして社会不安が一旦起これば、それは政治的改革へと底なしに進むことになります。
 
 
 軍艦島、そして
 韓国映画の軍艦島が上映され、日韓で論争が高まっている。やれやれどんどん、口喧嘩ならいくらでもやれ。文政権になり、慰安婦問題も一向に衰えようとしない。これどんどん口喧嘩やれ、です。
 
 大切な事は、大々的論争して、共通認識の部分を増やして行く事です。過去は変えられないので、その事実確認をする事です。曖昧な事実認識の部分を、想像力で補ってお互いを非難するわけですが、共有する部分が多くなれば、非難する部分も少なくなるという事です。
 同じ歴史的事実であっても、立場が違えば、解釈が正反対になるのは仕方ありません。曖昧ななものまで批判の根拠にする事は避けなければなりません。
 
 恨はんについて
 長い朝鮮半島と日本の歴史にあり、日本は海に囲まれていた事は大きな違いがある事は、日本人は認識すべきです。
 日本は大陸の文化だけを受け取ることが出来たが、朝鮮半島は常に中国王朝の支配にあり、完全なる独立したことがないのです。やっと独立出来たのは70年前、しかしすぐに南北に分裂です。
 経済成長し民主化が進み、二千年の反独立の恨みつらみを、日本支配に向けられるの仕方ないことです。「反日」は自尊心の復権運動でもあり、要求が変わるのは変化の途中だからです。勿論潜在的は中国に対しての方が大きいのですが。
 日本人としは、やり過ぎの部分は毅然とノーといい、同意出来る事は同意すればいいと思います。
 
 朝鮮王朝の歴史など見ると、頑な儒教主義の下、実利的な商業や手工業が抑えられ、海外の情報にも疎かったのも、冊封体制下で、外交軍事権が清朝に抑えらるていた事に原因あるのです。明治政府は初めて李朝の近代化を促したのですが、なかなか進まないので、植民地化してしまったのですが、気長に待つ姿勢があったら、今日のような反日感情は起こらなかったと思います。
 
 
 金正恩の運命
 第二次朝鮮戦争は金正恩のミサイル発射留保で、ひとまず遠のいた。残念です。始まれば一日、遅くとも一週間で決着はつきます。北朝鮮に関しては力による解決、話し合いによる解決はあり得ないと思えるからです。
 叔父の張 成沢(チャン・ソンテク)を粛清した時点で、金正恩の運命は決まったのです。ミサイルや核の問題は話し合いで解決出来ます。しかし人権問題は、国際世論が決める訳ですので、金正恩の国際政治にデビューする道を自らが塞いでしまったのです。核やミサイルは金正恩の身を守る唯一は方法なのです。
 脱北する人々を無条件で韓国に届ければ、北朝鮮は崩壊します。中国はけしてそれを認めません。北朝鮮の崩壊と民主化は、隣接する東北地方の民主化要求につながるからです。難民は一時的な問題です、中国が恐れるは、民主化要求の高まりです。
 残された道は、金正恩暗殺か、戦争以外にないことになります。今回危機は回避されましたが、核やミサイル開発がアメリカの許容範囲を超えてしまったからには、戦争は避けて通れません。
 
 反日、韓国
 未だに植民地時代の日本を、批判し続けなかければならない背景には、韓国人が精神的に日本から自立しきれていないという事です。独立以降反日を掲げることにより、アイデンティティを探して来たのです。まだまだ、韓国人とは何か、朝鮮人とは何かと深めて欲しいものです。
 近代社会は庶民の時代です。日本では庶民の活発な活動により産業革命直前のヨーロッパ並みに、商業活動が盛んになっていたのです。それに比べ朝鮮半島では、農業中心の社会で、職人や商人に活動は皆無なのです。少なすぎるのです。社会の体質が変わるのに百年二百年はかかります。
 日本による植民地化は近代国家に脱皮する為に、ある程度避けられないことだったと思います。十大財閥と言われる企業の創業者は、植民地時代に近代的商法を学んで、起業した。植民地政府の役人や軍人達は、独立後の政治や軍を動かすことになります。
 
 民主化が進んで、独立後の政治経済を担って来た人々への批判が強まり、底辺の人々に焦点が移って来たのが現在です。日本統治も感情論が先行して、冷静に見れていないような気がします。
 軍艦島の映画見ていませんが、最後をブアンダジーを入れなければならないのはその為です。仕事が過酷であったのは事実でしょう。なかった集団脱走を入れざるを得ないのは、韓国人のプライドを守る為です。現在の韓国社会に自信があれば、過酷な徴用労働者を耐えて来たからだと素直に認めれ場合だけです。まだまだ時間が必要ということでしょう。
 
 日本の50年代からバブル期までの、左翼運動と比較すれば分かりやすいと思います。日本では政権を取れなかったけど、価値観の多様化、文化革命、市民運動と、豊かさの中身が追及がなされた時代です。公害や環境問題など物質的に豊かさに伴うデミリットがクローズアップされた時代です。韓国は価値観の多様化の時代に入ったと見るべきだと思います。
 
 
 大日本ジジババ国家
 どうも日本は老化現象が始まっているらしい。古い考えしかできない安倍政権がなかなか潰れないと思ったら、日本人全体が老化しているらしい。
ある世論調査で、現在の生活に満足している人が74%という数字が出た。ジジババが増えたこともあるが、若い世代がジジババ化しているからだろう。ほどほどの安定で満足しているからだろう。なんともかんとも寂しい限りだ。

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